【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

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最大トーナメント編、やります
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最大トーナメント編
序章:狂犬、吠える


 

1.

 

 

 男が歩いていた。

 早足である。

 肩をいからせて、視線は鋭く、眉を吊り上げている。

 顔からも、態度からも、歩き方からも、不平不満──怒りを滲ませていた。

 先を見据える目に、いき過ぎなぐらい力が入っていた。黒点が、小さくきゅっと引き締まっている。

 切れ目の形と相まって、視線の持つ力に、ナイフのような鋭くぶっそうな圧が込められていた。

 身長、一八〇センチメートルと少し。

 体重は八〇キロ前後といったところか。

 目見の肉付きはスラリとしており、スタイルの良さが伺える。

 首まで伸ばした黒髪をオールバックに流し、総髪気味に纏めていた。

 空手着を着ている。

 素足だ。

 帯の色は、黒。

 彼が歩いているのは、空手道神心会本部道場。

 その、館長室へと続く廊下であった。

 

 加藤清澄──

 神心会空手三段。

 『デンジャラス・ライオン』の異名をとる男が、まさに、獣のような表情をしていた。

 

「やめてくださいッッ! 加藤さんッッ!!」

「ここから先は館長室だぞッ!? 何する気だッッ!?」

「カトオオォッッ!! 止まれッ! 止まらんかあッッ!!!」

 

 神心会の空手家、加藤の同輩たちがその歩みを止めんとつかみかかる。

 二人、三人としがみつかれても、加藤の足取りは止められない。

 四人めに、正面から腹に向かって飛びつかれ、臍から腰までを掬い上げるようにしがみつかれて、ようやく、その足が鈍った。

 

 加藤の顔が、グッ、と振り返る。

 

「うるせエエェェッッ!!」

 

 加藤は、しがみつく同輩の顔に、容赦なく拳を打ち込んだ。

 

「ぐわッ!? ががががががぁ……!!」

 

 肩からかぶさるように組みついていた男は、裏拳の一発であっけなく吹き飛んだ。

 ゴロゴロと血を吐いて、顔を抑えてうずくまった。

 一気に緊張が走った。

 もう、館長室の、立派な門構えが目と鼻の先であった。

 

「カトオオォオッッ!!!」

 

 こうなっては仕方がない。

 手を出されたのなら、彼らとて黙っているわけにはいかない。

 

「チェリャアアッッ」

 

 加藤の正面に回り込んだ男が、加藤の顔を殴りつけた。

 加藤は打たれるままに首を傾けたが、

 

「ケッ!」

 

 とつばを吐き捨てて向き直り、

 

「キャオラッッ!!」

 

 と前蹴りを放った。

 どん、とそれが正面の男の水月に吸い込まれる。

 げえっ! と吐瀉物を吐き出して、身体がくの字に曲がった。

 

 続け様に、加藤は腰に巻き付いているやつに肘を打つ。

 こめかみに直撃し、胴体の縛りが緩くなると、身体を思い切り反転させる。

 そのまま後退り、館長室の扉を背にし、加藤は彼らと正面から身構えた。

 彼らの目には怯えがあった。

 加藤の鬼気迫る迫力が言葉を失わせている。

 飢えた獣のような貌であった。

 「邪魔をするなら、殺す!」

 刃物のような眼が、そう訴えていた。

 

 同輩、後輩、先輩の門下生たちが震えている。

 

「か、加藤ッ! 今、愚地館長は古い友人と話をされているんだ。気持ちはわかるが後にしろッッ!!」

「しらねーよッッ! んなこたァおれには関係ねェッ!!」

「加藤ッ! 思い上がるんじゃねェぞッッ!!」

 

 怒鳴りながら、同輩のひとりが加藤の前に出た。 

 呼気をあえて強めている。

 それに従って、相当に興奮していた。

 拳が固く握られている。

 ここで、もう、やるしかないのか?

 加藤の実力は、神心会の中でも頭ひとつ抜けている。

 何より──躊躇のなさがある。

 敵を壊す躊躇の無さである。

 同輩であろうが、先輩であろうが、気に入らないと判断すれば噛み付いてくる──

 と、なれば、ここで怒りを湧き立たせる加藤と戦うということは、実戦ということだ。

 空手ではなく、ケンカだ。

 唐突に訪れた実戦を前に、同輩たちは気持ちが昂って、怖くて、その恐怖を吹き飛ばさんと、あえて呼気を強めるあまり、身体がこわばっているのである。

 

 一方の加藤には、同輩たちの不安と弱さが手に取るようだった。

 おもしろくない。

 ケッ、と舌打ちした。

 そして、飛びかかった。

 

「キャオラッッ!!」

「ウワァッッ!!」

「ヒイィッ!!」

 

 加藤が前に出たことで、つい、反射的に打たれた正拳突きを、ダッキングの要領で掻い潜り、懐に入って鼻っ柱に拳を打ち込む。

 痛みに鼻を抱えて丸ったその背を飛び越えて、左の回し蹴り。

 加藤の目論見通り、後ろに立っていた同輩に当たるものの、これは受けられた。

 だが、姿勢が整わず腰が上擦っていて、蹴りの勢いを殺しきれず、ドミノ倒しのように倒れていった。

 倒れる男たちに、加藤は躊躇なく足を持ち上げ、かかとを落としに入り──

 

「加藤、まて」

 

 声に止められた。

 加藤が向く。

 そこに、大きな男が立っていた。

 短い髪、分厚い唇、よく使い込まれた空手着を着ている。

 身長、二〇五センチメートル。

 体重、一三〇キログラム。

 日本人離れした体格であり、事実、日本人離れした身体能力を、その男は持っていた。

 神心会空手道三段──末堂厚であった。

 

「末堂……テメェまで、おれの邪魔ァする気か……?」

 

 加藤の表情が、殺人的な怒りを含んでいく。血が昇って、皮膚が物理的に赤くなっていた。

 対する末堂は落ち着いていた。

 普段は、この末堂も何かと暴れん坊気質であったのだが、先日の空手大会の決勝で範馬刃牙に敗れ、さらに、敬愛する館長の愚地独歩が範馬勇次郎に敗れたのを目撃して以降、ある種の──武人然とした落ち着きを得ていた。

 

「加藤……オマエの気持ちはよく分かる」

 

 だが、と末堂は続ける。

 

「オマエだって、理解(ワカ)ってるハズだぜ。範馬刃牙や、愚地館長の立っている場所が──()()()()とは違う、ってことぐれェな……」

「────ッッ!!」

 

 加藤の憤りは、元凶を探るのなら()()にあった。

 

 最大トーナメント。

  

 東京ドーム地下闘技場オーナー、徳川光成がぶちあげた、最強の漢を決めるトーナメントのことである。世界中の、表社会も裏社会を問わず、最強と謳われる闘士たちを集めた最新、最強、最高のトーナメントであった。

 範馬勇次郎にやられた傷を、脅威的な速度で治した愚地独歩の元にも、当然の如く招待状は届いていた。

 というより、徳川光成当人が、神心会道場まで上がり、愚地独歩の再起の場に立ち会い、そこでトーナメントの概要を告げたのである。

 素手というルール縛りはあるものの、現段階で参戦が決まっていた闘士の名前──加藤が知っているだけでも、文句のない超一流どころばかりであった。

 愚地独歩は、そこに、自身の義息子である愚地克巳を参戦させると決めた。

 武神、愚地独歩と、その独歩自らが天才と謳う愚地克巳。

 参戦資格は十分すぎる。

 

 そこに、その場で名乗りをあげた命知らずが加藤清澄であった。

 同席していた神心会門下生はざわめいた。

 徳川光成も、愚地独歩さえも驚いていた。

 何を言っているこのバカは?

 レベルの違いが、理解(ワカ)っていないのか──?

 

 しかし、加藤の意思は、光成にあっさりと承諾された。

 そこから一ヶ月──加藤は考えうる限りの鍛錬を積んだ。

 人の三倍走り込み、筋力鍛錬を課し、深夜の路地裏に出てはケンカをしまくった。

 加藤には目的があった。

 それはもちろん、出場()るからには優勝したい。

 範馬刃牙と、戦ってみたい。

 愚地独歩や克巳に勝ちたい。

 だが、加藤には、それ以上の目的と意思があった。

 意気込みは十分以上。

 身体もとことん追い込んでいる。

 首だけになっても、戦うとなれば、そのために食らいつく気持ちであった。

 

 そこに、開催二ヶ月前となった今、いきなり、加藤は愚地独歩の判断によって、最大トーナメントの参加を見送りにさせられたのである。

 

 

2.

 

 

「末堂ォ……おれを、止めれるかい?」

 

 そして、今。

 ()()()に向かっていた加藤と、それを止めんとする末堂が、館長室のすぐ前で睨み合っている。

 末堂の側に、倒れた神心会門下生たちが集まっていた。

 彼らを庇うように、末堂は半歩前に出る。

 

「加藤……気持ちはいてェほどワカるがよ……無理なんだよ、おれたちじゃあ……!!」

 

 範馬刃牙。 

 そして、範馬勇次郎。

 

 表の、()()()()()をやっていた加藤と末堂の前に現れた、()()()()格闘士(グラップラー)

 加藤は言うに及ばず、末堂もまた、表の世界では相当な強者である。 

 二人とも、この若さで神心会の三段に上がれていることこそ、才能と能力の高さを裏付けているのだから。

 

 だが、地下闘技場は、根本的に次元が違う。

 

 末堂をやすやすと破り去った範馬刃牙は、地下闘技場の現役チャンピオンだ。

 その父、範馬勇次郎は、曰く『地上最強の生物』であり、あの愚地独歩を一度、殺してしまってさえいる。

 愚地独歩は最強の空手家だ。

 空手道の神と呼んでいい存在である。

 空手家として、その強さとカリスマ性の総合力で、彼と並べる存在がいるとすれば、北辰館の松尾象山ぐらいのものだろう。

 それが、自分たちの目の前で範馬勇次郎に殺されたのだ。

 範馬刃牙の、目指す果てがアレだという。

 つまり、地下闘技場とはそういうレベルの漢たちが戦う場所なのである。

 

「だからどうしたってんだよ!」

 

 末堂の杞憂に、しかし加藤はつばを吐き捨てる。

 

「おれたちはよ、テメェで勝てねえ相手に勝つために、空手やってんじゃねェのかッッ!!?」

 

 相手をぶちのめすために。

 やっつけちまうために。

 例え、みっともなくとも勝つために。

 ケンカに負けたくないから、舐められたくないから、空手をやっている。

 それが、ハナっから勝てないと諦めて、勝負の土俵にも立たないとはどういうことか。

 加藤清澄という男にとって、それは屈辱であった。

 末堂とて、それは理解している。

 共に苦杯を飲んだ仲である。痛いほどに、自分の痛みであるほどに、理解(ワカ)っているのだ。

 

「加藤……ッ!」

「どけよ、末堂ッ!」

 

 末堂は、しかし、両拳を握って持ち上げた。

 その顔が、苦しそうであった。

 加藤が苦虫を潰したような顔で、末堂を睨みあげた。

 

 その時──、

 

「何をしとるんだ、オマエらは」

 

 加藤の背後から、太い声がかけられた。

 振り返る。

 

 加藤の蹴りの間合い、その一歩ほど外側に、愚地独歩が立っていた。

 

 

3.

 

 

「館長ッッ!!」

 

 末堂が音をつんのめらせて言った。

 愚地独歩は背広であった。 

 太い縁の四角メガネをかけていて、完全に他所行きのために着こなしている私服である。 

 メガネ越しに、太い視線が加藤たちを射抜くのが分かる。

 全体を見通すと、愚地独歩の太く、厚みのある唇が、ゆっくりと開いた。

 

「状況は、なんとなくわかったぜ。けど、わたしは今、懐かしいトモダチと思い出話に花を咲かせている最中なんだよねえ」

「館長ォッッ!!」

 

 静かで、丁寧で、どこか恐ろしい独歩の声に、加藤は恐れず口を挟んだ。

 

「なんでだよッッ!? なんでおれをハズしやがったんだッッ!!?」

 

 愚地独歩は、加藤の激昂をまっすぐ受け止めた。

 ひと間をおいて、顔をやや俯かせ、ふ、と細い息を吐いた。

 

「オメェじゃ、無理なんだよ」

 

 ──────ッッ!!

 

 加藤は、

 加藤は、その瞬間蹴っていた。

 愚地独歩に向かって、前蹴りを放っていた。

 鋭い前蹴りであった。

 完全な不意打ちであった。

 

 が──それは、愚地独歩の身体をすり抜けた。

 

「──なッ!?」

「加藤よう。分かれとはいわねェが、少しは親心ってモンを察してくれやい」

 

 可愛い弟子をよう。

 おいらの、可愛い弟子をだよ。

 ただ、死ぬとわかっている場所に、放り込めるわきゃねェんだよ。

 神心会の、長として。

 おめぇらの、師としてよう。

 「死んでこい」なんて、言えるわきゃねェだろうが。

 

 愚地独歩のデカい顔が、加藤の目の前にあった。

 加藤の足は、まだ宙にある。

 蹴り足を戻すより先に、愚地独歩の、あの神の拳が容易に腹に打ち込まれる位置関係であった。

 いや、愚地独歩なら、もっとエゲツないことも、多くを、平然とヤれるだろう。

 

「────〜〜ッッ!!」

 

 加藤は、それでも、納得できなかった。

 理解(ワカ)っている。

 愚地独歩とすら、自分とは、ここまで差がある。

 その愚地独歩ですら、最大トーナメントでは参加者のひとりに過ぎない。

 トーナメント表がどうであれ、優勝するということは、いつか独歩に当たるか──愚地独歩に勝った、愚地独歩より強い漢と戦うということである。

 最初から、自分なんかが──加藤清澄如きに、出る幕はないのだ。

 だが、理解(ワカ)っていても、心は納得していない。

 納得できない。できるわけがないッッ。

 しかし、それを口に出してしまえば、愚地独歩は躊躇なく拳を出してくるだろう。

 それを口に出したなら、その瞬間から、愚地独歩は神の拳を持って、加藤清澄に納得(ワカ)らせてくる。

 現実を──つまり、『オマエは弱い』ということを。

 

 加藤は、ともすれば泣きそうに顔を歪めた。

 歯を、軋むほどに噛み締めていた。

 それを、愚地独歩は頑とした態度で見据えている。

 

「愚地さん、ちょっといいですか?」

 

 その愚地独歩の背後から声がかけられた。

 加藤が見上げた。

 愚地独歩が、意識だけを、微かに割く。

 

 そこに──太い男が立っていた。

 

 

4.

 

 

 大きな漢だった。 

 分厚い漢だった。

 太い──漢だった。

 身長、一九七センチメートル。

 体重、一二五キログラム。 

 体感、末堂厚より、半回り程度小さいが、日本人にしては、やはりずば抜けて大きい。

 顔がデカい。

 眉毛が太い。 

 唇が分厚い。

 その顔以上に、首が太かった。

 首から繋がる僧帽筋が、分厚い肉で膨れ上がって、そこから肩まで山のように緩やかなカーブを描いている。

 顔より大きな大胸筋が前にせり出していて、腹筋との間に見て分かるほどの溝ができていた。

 脚も、太い。

 靴のサイズは三〇センチをはるかに超えているだろう。

 どこにでも売っている運動靴のようだが、サイズからして特注品(オーダーメイド)なのがひと目で分かる。

 Tシャツの上から紺色のジャケットを羽織り、下はなんでもないジーンズを穿いている。

 白髪混じりの短い黒髪。

 皺の濃い顔。

 愚地独歩と同年代か、それより上に見える。

 左顎から頭に向かってざっくりと伸びる刃疵が目立っていた。

 威圧的な容貌から、しかし、表情に不思議な愛嬌がある。

 

 普通人ではない。

 館長室から出てきた漢。

 漢は、名を、獅子尾龍刃と言った。

 

「獅子尾さん、待っててくれって言ったのによォ」

「ワルいね、愚地さん。でも、流石にあんだけデカい声が飛び交ってたら、気になっちゃうよ」

 

 龍刃は申し訳なさそうに頭を掻く。

 ちら、と加藤に目をやった。

 加藤は、いきなり現れたこの巨漢に、どういう反応を示せばいいのか困惑している様子であった。

 

「イキがいい子ですね。さすが愚地さん、弟子も一筋縄じゃあいかないようだ」

 

 ニコリと笑う。

 その笑みが太い。

 その笑みに意識を吸い込まれたか、加藤は完全に振り返って隙だらけ(に見える)愚地独歩に、攻撃を仕掛けることを忘れていた。

 

「紹介しておくか。こちら、おれの古い友人で、獅子尾龍刃さんだ」

 

 龍刃はひと懐っこい笑みのまま、「龍刃です」と加藤たちに向かって頭を下げた。

 

「か、館長……もしかして、こいつも……」

「こらこら、わたしの客人に『こいつ』はないだろう、『こいつ』は……」

「いいよ、別に。それより、愚地さん。道場ひとつ、使えますか?」

 

 えっ、と言ったのは何故か加藤であった。

 独歩が、

 

「いくつかは使えるぜ」

 

 と返すと、獅子尾龍刃はニコリと──先ほどとは打って変わって、獰猛に──笑って、愚地独歩と加藤清澄の前に歩み寄った。

 

「おいおい、まさか、獅子尾さんよ」

「そのまさかさ、愚地さん」

 

 ぐりっとした眼が、加藤を見下ろした。

 近くて見ると、より一層、獅子尾龍刃はデカい漢だった。

 

「加藤くん……だっけ? ちょっと、ヤろうか」

「──は、ハァ!?」

 

 戸惑いの声。

 隣の愚地独歩が、ほほうと、楽しそうな声を出した。

 

「ワルい話じゃないよ。もし、加藤くんがおれに勝てたら……徳川さんに頼んで、おれの出場枠を、きみにあげよう」

 

 

5.

 

 

 道場で、獅子尾龍刃と加藤清澄が向かいあっている。

 立会人は、愚地独歩と末堂厚である。

 愚地独歩と獅子尾龍刃は背広。  

 末堂厚と加藤清澄は空手着である。

 

「ルールは……まあ、なんでもアリでいいかな」

 

 獅子尾龍刃が言った。

 何気ない声だった。 

 愚地独歩と、加藤にむけている。

 同意を求めていた。

 愚地独歩は、

 

「いいンじゃねェかい?」

 

 と言い、視線を飛ばして加藤に同意を求めた。

 加藤は神妙な顔で、ぼやくように、ああ、と頷いた。

 加藤の視線は、意識は、獅子尾龍刃にあった。

 なんて、デカい漢だ──

 物理的には、末堂より、半回り小さいだけだったハズ。

 だが、対峙してからずっと、加藤の目には、獅子尾龍刃の身体が大きくなり続けているようだった。

 その量感が、この距離で伝わってくる。

 まるで、山のようだった。

 山が、意思を持ち、手足を伸ばし、人の形をしている。

 内心、怖気付いている。

 

 いや──

 

 心中で首を振る。

 自分に檄を飛ばす。

 何を弱気になってんだ、と。

 

 この間、巨人の倒し方は、範馬刃牙が実践したばかりだ。

 マウント斗羽──身長二〇九センチメートル、打撃耐性が完璧に近い怪物を相手に、範馬刃牙は自重を支える膝を壊すことで勝利してのけた。

 自分も、アレをやればいい。

 獅子尾龍刃。

 デカい漢だ。

 マウント斗羽よりは小さいものの、膝にかかっている負荷は相当のものだろう。

 下半身を攻める、特に膝を。

 そう決めた。

 構えた。

 緊張感を高めていく。

 

「──あ、そうだ」

 

 と、加藤の高まり張り詰める緊張感などまるで無視して、獅子尾龍刃は間の抜けた声を発した。

 

「せっかく、神心会で組み手するんだもん。愚地さん、おれも、空手着に着替えていいですか?」

「……いいけどよ、持ってンのかい? 空手着……」

「いや〜……ワルいんだけどさ、用意とか、してくんないスか?」

 

 歯を見せてたははと笑う龍刃に、愚地独歩ははあと息を吐いた。

 

「末堂、用意してあげなさい。一番大きいサイズをね」

「押忍」

 

 と、愚地独歩が目配せすると、末堂は着替えを取りに行った。

 加藤は「チャンスだ」と思った。

 龍刃が、ジャケットを脱いで綺麗に足下に畳み、続いてTシャツを脱ぎ始めたからだ。 

 チャンスだ! 

 袖を通している間に、仕掛ける!

 あの腕の太さだ。

 攻撃されたら、シャツを脱ぐまでに時間がかかって、その一瞬は龍刃は視界もなく両腕を使えない。

 ならば、狙いを変える。

 一撃必殺。

 一本拳で、喉を潰す──!!

 

 そうして、加藤が踏み出そうと足を上げた瞬間。

 加藤の目の前は真っ暗になった。

 

「────!?」

 

 なんだ!?

 何が起こった!?

 何をされたッッ!?

 手で、慌ててその暗闇を掴む。

 布──!?

 ジャケットかッッ!!

 

 そう、獅子尾龍刃は加藤が踏み込み、避けられない瞬間を見計らって、足下に畳んだジャケットに足の指を差し込んで、加藤に向けて蹴り上げたのだ。

 畳み方の工夫で、空中で空気抵抗を浴びて広がったジャケットが、そのまま加藤に被さった。

 

 狙ってやがったのか──ッッ!!?

 

 加藤は、すぐさまジャケットをはらうことをやめた。

 手を、胸の前に並べてカーテンを作った。

 防御の姿勢である。

 目くらましに成功した今、獅子尾龍刃の技は、いかなる大技だろうと容易く入ってしまうだろう。

 それこそ、普段は使えないような隙のある技でも、今なら決まってしまう。

 だから、今は耐える。

 だから、加藤は亀のように丸まって、『その一撃』を耐える姿勢をとった。

 

 が。

 

 ──?

 こない──?

 こない──ッッ?

 こない────ッッ!?

 

 何もこない。

 加藤の心、暗闇の中に不安がよぎる。

 そのまま、ジャケットが重力に従ってずるりと顔を滑るまで、加藤は動けなかった。

 

 そして、光が視界に挿した瞬間、加藤が見たもの──この戦いの最後の記憶は『何か巨大なもの』だった。

 

 

6.

 

 

「エゲツねェなあ、獅子尾さん」

 

 道場の床から立ち上がる龍刃を見て、独歩が言った。

 龍刃が加藤に放ったものは、助走を十分につけた、ドロップキックだった。

 マウント斗羽の『三十二文ロケット砲』も顔負けに、全身を弾丸に変えた龍刃に蹴り飛ばされて、加藤は反対側の壁まで水平に吹っ飛んで倒れていた。

 当然、意識はない。

 

「いやあ、だって、加藤くん、見るからに素直な子だし……イケるかなあ、イケたわ! って、うん……自分でも、ちょっと驚いてる」

 

 獅子尾龍刃は尻を拭った。

 愚地独歩は、この結果に文句はなかった。

 龍刃はルールを『なんでもアリ』と言って、同意を促してきた。

 当然『なんでもアリ』とはいえ武器の使用などはダメだと意図を含んでいただろうが、龍刃のこれは、武器を用いた攻撃とは()()()()で言い難い。

 

 ジャケットは、龍刃が今日、愚地独歩に会うために()()()()着ていたものである。

 ましてや、龍刃が脱ぎ始めた時、既に、獅子尾龍刃と加藤清澄は対峙していた。

 だから、地下闘技場の規定に照らしても、武的観念から言っても、これは武器の使用には当たらない。

 グレーゾーンギリギリではあるが、卑劣な不意打ちではない。

 獅子尾龍刃は、敵を前にして、あるべきもので、ドロップキックを当てるための努力をしたに過ぎないからだ。

 

 加藤には、龍刃が「空手着に着替えたい」と言い出した時、それを止める権利があった。

 服を脱ぎ出した時、それを止める権利があった。

 だが、見過ごした。

 だから、これは加藤の落ち度なのである。

 

「どうだい、おいらの弟子はよ?」

「愚地さんに、全然似てないね」

「髪の事かい?」

「髪のハナシじゃなくて……加藤くん、愚地さんと違って素直すぎるね」

「ハハハ。だろう? デキがワルいンだ、こいつね」

「うん、だから──愚地さんが、あの大会からハズしたのも、分かるよ。加藤くん、可愛くて仕方がないでしょ?」

「……相変わらず、こっぱずかしいこと、平気で言ってくれるぜ」

 

 手間のかかる子ほど可愛いとは、よく言ったもの。

 ましてや、それがある程度の才能に恵まれているならば、なおさらの事。

 愚地独歩にとって、加藤清澄の反骨精神溢れる若さは、きっと眩しくて、愛おしいに違いなかった。

 

「……ねえ、愚地さん」

「なんだい、リュウちゃんよ」

「この子、おれに預けてくれないかな?」

「────!」

「あと、二ヶ月……仕込めるだけ、仕込んでみたい」

「惚れちまったのか、加藤(こいつ)に?」

「うん、それもあるけど……」

「けど?」

 

 いい詰まって、うほん、と咳をひとつ。

 

「今、おれ、一緒にトレーニングしてるやつがいるんだけど……ちょっと煮詰まっててさ。新しい風……若さが欲しくて、さ」

「へぇ、アンタのトレーニングに、ついていけるやつがいンのかい?」

 

 獅子尾龍刃は、範馬勇一郎の弟子である。

 勇一郎が亡くなり、ひとりになった後も、龍刃が範馬勇一郎の殺人的トレーニングを続けているのは愚地独歩も知るところであった。

 が、龍刃は独歩の思惑をはずれ、首をふった。

 違うよ、と続けた。

 

()()()、そいつのトレーニングについていけてないんだ」

「ほほゥ! そりゃア……すげェヤツがいたもんだな」

 

 うん、と龍刃は頷いた。

 

「あと二ヶ月……いや、一ヶ月ちょいかな」

「フツウに考えりゃあ、人が強くなるには短すぎる……が、リュウさん、アンタのことだ。何かしらデカいプレゼントをしてくれるんだろうな」

「さ、さあ……そういうこと言われると、自信ないなァ……」

 

 へへ、と愚地独歩は笑った。

 龍刃は困ったように眉を垂らす。

 

「いいぜ、神心会の長として、加藤清澄三段を、獅子尾龍刃に任せてみよう。おれが月までブっとぶぐれェ、とびきり強くしてやってくれよ」

「が、がんばります……はは……」

 

 こうして、神心会の『デンジャラス・ライオン』、加藤清澄は獅子尾龍刃に弟子入り(?)することになったのであった。

 

 

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