【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

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序章②:進捗どうですか?

 

1.

 

 

 そのジムは、山中にあった。

 山を切り開き、地面を開拓してなめした上に建つ、見た目は立派なペンションハウスである。

 組み上げられた木材は焦茶色に塗装され、屋根は、ミントグリーンの瓦で敷き組まれている。

 三段ほど階段を登ると玄関があり、その手前の庭先に、ハンモックの代わりにサンドバッグが吊るしてあったり、様々なトレーニングを行えるようにアスレチックが設置されていた。

 中には食事処、台所、手洗いの洗濯所、食糧保管庫、バス付きのシャワー室に和式トイレがあり、加藤清澄にはわからなかったが、部屋の内装をクラシックにまとめるために、ずいぶん高そうな食器や絵画といった芸術装飾が、ふんだんに使われていた。

 

 だが、それは端役に過ぎない。

 このペンションハウスの変わったところ、一番の目玉は、入ってすぐ、部屋の総面積の半分は占めていそうな大きさのリングであった。

 

 神心会で獅子尾龍刃との立ち会いに敗れ、加藤清澄は半ば強制的に弟子入りすることになった。

 目が覚めた加藤に愚地独歩が説明すると、加藤はむすっとした表情ではあったが、これを受け入れる。

 

「強くして……くれンだろ……?」

 

 ぼそりと、加藤が言った。

 獅子尾龍刃は朗らかに笑って、

 

「ああ、モチロン!」

 

 と答えた。

 

 そうして、加藤は獅子尾龍刃に連れられ、空手着のまま、何も手に持たされず、その日の夜にはこのペンションハウスにお邪魔していたのだった。

 

 着いて早々に、獅子尾龍刃はトレーニングを開始すると言った。

 

「ンでよォ、何をやりゃあいいんだ?」

「ンー……そうだね。今、もうひとりが外、走りに出てるから」

 

 リュックを下ろし、ジャケットを脱いでTシャツ一枚になると、獅子尾龍刃はひらりと慣れた動きでリングに上がった。

 

「とりあえず、スパーリングするか」

「イキナリスパーかよ……」

 

 うん、と龍刃は頷く。

 

「そりゃあ、だって、大会まで後二ヶ月しかないんだもん。実践的な感覚を伸ばす方がいいさ。基礎トレや筋力鍛錬も大事だけど、そっちを重点的にやったって、間に合わないよ。試合の日に身体を痛めるだけさ」

 

 道理であった。

 そうして、加藤はリングに上がった。

 

 

2.

 

 

「ぐえええええっっ……!!」

 

 そして、加藤はリング上でうずくまり、ゲロを吐かされた。

 龍刃がそれを、からころと微笑しながら見下ろしている。

 スパーリングは一瞬で終わった。

 いやにノロいタックルで龍刃が詰め寄り、それに対して加藤が左のローキックを打った。

 それは、姿勢を低く重心を落としていた龍刃の右頬にぶち当たったのだが、龍刃はまったく怯むことなく前進し、背中からめくりあげるような左のワイドスイングで打った。

 加藤が咄嗟に顔を庇う。

 と、どん、と鈍い音が下から聞こえ、一拍置いて、加藤の腹部が強烈な痛みに襲われた。

 顔面狙いの打ち下ろしの左をフェイントに、掬い上げるような右のボディ。ガラ空きの加藤の腹は、当然意識の集中も間に合わず、モロにくらってしまった。

 そして、その一発で加藤は膝から崩れ落ち、腹を抱き抱えて、痛みに顔を顰めて、うつ伏せになって吐いたのである。

 

「が、がは……は……は、ッ!!」

 

 悶絶する。

 息ができない。

 息を吸い込めないし、吐けもしない。

 酸素が肺に向かわなし、酸素が外に出ていかない。

 手先足先がツーンと痺れていて、力が入らない。

 

「効くだろう?」

 

 と龍刃が言うと、加藤はかろうじて、視線を睨みあげる。

 

「まあ、今のおれと、加藤くんの戦力差は()()()()()だ」

 

 どうだい?

 と龍刃が前屈みになって、加藤に顔を近づけた。

 

「ガアッ!!」

 

 そこに、加藤は右手を伸ばした。

 拳ではなかった、掌底で、人差し指と中指を曲げていて、虎爪の形である。

 目をつぶしに来ていた。

 

 が、それは龍刃の分厚い額に弾かれて、あっけなく突き指させられた。加藤は更なる痛みにうめいた。

 龍刃は虎爪に対し、顎を少し引いて指先のヒットポイントを額に移した。

 ベア・ナックル(素手)時代のボクサーが好んで使用したというディフェンス技術である。硬い額にワザと当てさせて、相手の拳を壊すのだ。

 

「油断も隙もないなあ」

 

 うめく加藤を見ながら、感心したように微笑んで、龍刃が言った。

 

 その日は、結局深夜になるまでリングの上で、加藤は龍刃にぶちのめされた。

 倒されては回復するまで待たれて、立ち上がったらまた、ワンパンでゲロを吐かされて転がる。

 気絶したら、バケツの水をぶちまけられて、髪を掴まれて引き起こされた。

 

 それは、夜の二時まで休みなく続いた。

 結局、その時間、龍刃のパートナーは帰ってこなかったが、加藤はそれどころではなかった。

 

 

3.

 

 

「嫌いなものでもあった? それとも、モーニング、気に入らなかったかい?」

 

 加藤が起こされたのは、朝の五時であった。

 就寝したのが深夜二時過ぎであったので、三時間もない睡眠である。

 意識が呆然としていたし、身体はめちゃくちゃに痛んでるし軋んでいる。

 内臓が裏返っているような、もたれた感覚が腹の中にずっとあり、加藤は目の前に出されたスクランブルエッグとトマトのサラダ、醤油を垂らしただけのおから、減塩バター塗りの二枚のトーストに口をつける気が全くしない。

 

「あ、わかった。トマトがダメなんでしょ?」

「あんだけボロクソにしやがった癖に、食えねェよ……チクショウが……ッッ!!」

 

 と、いいつつ、フォークを手に皿を持ち上げて、加藤は皿の上で乱暴にかき混ぜた朝食を、一気に胃に流し込んだ。 

 食わねばならない。

 強くなるためには、身体を大きくするためには、食わねばならない。

 たとえどんな状態であっても、まず食わねば話は始まらない。

 そんなことぐらいは、加藤にもわかっていた。

 胃が、悲鳴をあげている。

 戻せ、と強く脳が身体に命じる。

 加藤は本能に反逆した。

 目尻に涙を溜めながら、頬を膨らませながら、用意されていた麦茶をかきこんで、無理やり流し込んだ。

 

「ハァ……ハァ……」

「うん、いい食べっぷりだ!」

 

 と言いながら、獅子尾龍刃は自分の分の朝食を、優雅に食べて行った。

 

 

4.

 

 

 飯を食い終わったら、柔軟をやって、走り込みに出た。

 山中を、一定のペースでひたすら走る。

 酸素が薄い。朝の山は寒かった。

 加藤は、既にガタガタの身体を引きずって、しかし、獅子尾龍刃にそれを悟られたくなくて、意地で、足を前に出した。

 

 走り込みが終わったのは、日中で最も高く太陽が昇る時間であった。

 ペンションハウスに戻ったとき、加藤は膝を支えに手をついて、前屈みになって粗く細かい息を短く吐いていた。

 身体中の水分が抜けてしまったようだ。

 走り出した時に比べて、明らかに皮膚が、髪が、唇がカサついている。

 一度もペースが落ちなかった。 

 獣道だろうと、川の中だろうと、獅子尾龍刃はずっと、同じペースで走り続けていた。

 それに、加藤は必死で食らいついた。

 今まで、自分がやってきたどんな走り込みよりきつかった。

 距離にそう違いはない。

 道だ。

 走る道の、足下の不安定さ。

 山の中の、都会とは違う非日常的空気。

 それらが、同じ距離でも、加藤の体力を想像以上に奪ったのだ。

 体内から水分は抜けたくせに、皮膚の上ではまだ、全身ぐっしょり汗まみれであった。

 睨み上げる。

 対する獅子尾龍刃は、

 

「ふう、あったまったなア」

 

 と、全身からむわりとした熱気を漂わせて、それをタオルで拭き取っていた。

 平然とした顔だった。

 

 中に入ってからは、正拳突きや前蹴りなど、いくつかの空手の型をやった後、ひたすらリングに上がってスパーリングをした。

 スパーリングといっても、完全自由にやるのではなく、要所要所で攻撃を仕掛ける加藤に龍刃が止めをかけて、加藤に「あれはこう」だの、アドバイスを送っている。

 

 後二ヶ月、とにかく実戦に、最も近い形でやる。

 まず量をこなす。

 というのが、龍刃の出した結論であった。

 たった二ヶ月で、基礎筋力や体力をつけようとしても無理がある。

 だから、できることをしぼると龍刃は言った。

 ふたつ、やろうと。

 

 ひとつは、とにかく()()との戦いを身体に刻みつける。

 自分より強く、速く、重く、大きい相手のパワーやスピード、タフさを身体に覚えてこませる。その中で、そういう相手とどう戦えばいいのか、見つけることを加藤に課した。

 

 もうひとつは、

 

「必殺技……だよね、やっぱ」

「必殺技ァ!?」

「うん……そんな驚くことかい?」

「いや……まさか、『ライダーキック!!』を覚えろなんて、言うンじゃねェだろうな?」

「はは、それができたら、とっくにおれが使用(ツカ)ってるよ」

 

 龍刃は、もっと具体的なものだと言った。

 武術の秘伝、奥義。

 効率的に人を壊すための技術。

 古武術の多くが口伝でのみ継承を許すようなもので、空手においてもそれは基本『そう』である技術。

 

「もともと、武術ってもんは身体が小さくて力が弱いやつが、身体がデカくて力が強いやつをぶっ倒すためにできたもんだ。だから、どんな流派であれ、効果的かつ実戦的なワザのひとつやふたつは持ってるもんさ」

「おいおい冗談だろ、今は二十世紀だぜ?」

 

 武術界で長いこと信仰されてきた、中国拳法の神秘、古武術の神秘。

 空手においては、『一撃必殺』への盲信。

 例えば──松尾象山の自伝マンガでは、松尾象山は暴れ牛と戦い、これを正面から、脳天への正拳突きの一撃で倒してのけたという。

 例えば、愚地独歩の虎殺し。

 飢えたシベリア虎を前に、愚地独歩は手刀で頸椎を捻り、一撃でこれを葬り去ったという。

 人を、撫でるだけで倒す拳法の達人。

 牽制の軽い当身で、人を絶命させた達人。

 遠くにいる敵を、手を組んだままの遠当てで倒す達人。

 そういう伝説──普通に考えれば、荒唐無稽なお伽話が、格闘技の世界では長く信じられてきた。

 しかし、近年、なにを隠そうその松尾象山が唱えた『直接打撃制(フルコンタクト)』の試合にて、その幻想があっけなく崩れさったのは記憶に新しい。

 

 もっとも──加藤清澄は、愚地独歩の強さは本物だと確信している。 

 範馬刃牙の強さも、そういう(たぐい)のものだとも思っている。

 範馬勇次郎は、実際に、『鬼の一撃』で愚地独歩を絶命させた。

 

 だが、それは気の遠くなるような修練の結果であったり、そもそもが人界に収まらない天性があっての代物である。 

 自分は、普通だ。

 彼らと比べるなら、加藤清澄とは肉体も、才能も、平凡なそれである。

 

「問題ないよ」

 

 と、龍刃は言った。

 

「言っただろ、武術はもともと、弱いやつが創意工夫して強いやつから身を守る術なんだ。そりゃあ高等技術ってやつもあるけど、理屈の上ではひと工夫でやれるようになってるもんさ」

 

 案外ね。

 と龍刃はお茶目に言う。

 加藤はさっきから、要するにオマエは弱いだの弱者だのと遠回しに言われてムカっ腹が立っていたが、抑えていた。

 

 獅子尾龍刃は、いくつかのワザを加藤に提案した。

 リングの上で加藤自身にそれを、傷つけないようにかけてやって、どれを磨くのか考えるように促した。

 

 龍刃のパートナーが帰ってきたのは、加藤がそれに頭をひねらせていた時である。

 

 大きな男であった。 

 外国人。

 名をジャック・ハンマーと言った。

 

 

5.

 

 

 帰ってきたジャックと龍刃は挨拶を交わした。

 デカい漢とデカい漢が目の前に並んで、加藤はちょっと気圧される思いであった。

 デカい──

 名を、ジャック・ハンマーというらしいこの漢。

 並々ならぬ肉体を持っていた。

 全身ジャージを着ていたのだが、胸も、肩も、腕も、脚も、迫り出した肉の、分厚い量感がはっきりとわかる。

 眼がイヤに澄んでいる。

 色気のある形をしている。

 リュックを下ろして、ジャックがつ、と加藤に意識を向けた。

 心が震えるような、射抜く視線であった。

 

「ジャック、この子は神心会の……」

「ドッポ・オロチの弟子かい?」

「なんだ、もう知ってたのか」

「ミスター猪狩に聞いている」

「さすが猪狩……抜け目ねえなあ」

 

 獅子尾龍刃曰く、ジャック・ハンマーは今、アントニオ猪狩の雇われ『番犬(ポリスマン)』だと言う。

 この場合のポリスマンとは、雇い主の団体の護衛や敵対者の排除、道場破りへの対応などをこなす、ボディガードのようなものである。

 カナダから日本に入ったジャックは、生活費を得るためにプロレスジムに自分を売り込みに行き、そこで猪狩の前で久隅公平を文字通り瞬殺してみせて、()()()は『番犬(ポリスマン)』として雇われたのだと言う。

 

「かくいうこの別荘も、猪狩のモンだったりするぜ」

 

 稼いでるよなあ、あいつ。

 と龍刃が頭を掻きながら言う。

 なるほど、と加藤は頷いた。

 獅子尾龍刃には、金を持っている男特有の臭いが全くしていなかったが、そんな男がこんな豪勢な別荘を貸し切れる理由はそういうことか、と納得したのである。

 

 と、ジャックがジャージを脱ぎ始めた。 

 その、逞しい肉体があらわになる。

 

「────ッッ!!」

 

 加藤は、思わず見惚れてしまった。

 なんという肉体であろうか。

 太い。

 魔法瓶底抜けの腕の太さ。

 それでいて、長く、しなやかさも秘めている。

 見るからにはち切れそうな弾力があり、全身の筋肉が均等にそうであった。

 ジャックの全身は、余すことなく異常発達した筋肉でできているのである。

 不自然すぎるジャックの肉体の発達具合に、加藤は息を飲んだ。

 

 だが、獅子尾龍刃は特に気にすることもなく、Tシャツに着替えるジャックに言う。

 

「スパーやるかい?」

 

 ジャックはに、と笑った。

 

「その前に、お薬の時間だ」

 

 膝立ちに屈み、リュックを開ける。

 そこから、ビンに詰められた、大量の錠剤を取り出した。

 加藤には、それがなんなのか、すぐにわかった。

 ジャックの、あの不自然な筋肉と錠剤の関係が結びついた。

 

 ビンの蓋を開けて、ジャックはそれをひと飲みした。

 ガリゴリと噛んで、続いて、ペットボトルを取り出す。

 これも、とても飲料水の色をしていない。

 見るに、飴を溶かしたような、ぬらりとした手触りの想像できる液体である。

 それを、舌の上で転がし、飲み込む。

 次に、使い捨ての注射器を三本取り出し、自身の腕に注入した。

 

 間違いない。

 加藤は確信を持った。

 こいつ、ドーピングしてやがる、と。

 

「……おや、何も言わないんだな」

 

 意外そうに、龍刃が尋ねた。

 

「加藤くんなら、『いや、それ、そんなンアリかよ……ッ!?』とか言いそうだと思ったけど」

「……ケッ! 地下闘技場は、『武器の使用』以外はなんでもアリなんだろーがッ。じゃあ、ドーピングはルール違反じゃねェだろう……」

「うん、まあ、そういうことさ」

 

 ステロイドを打ち終わると、ゆらりとジャックが振り向いた。

 気のせいか、先ほどよりその肉体が、不気味なものに見える。

 

「さて……やろうか、シシオさん」

「……ん、その前に、加藤くん!」

 

 呼ばれて、加藤はどきりとした。

 期待の目で、龍刃は加藤を見た。 

 

「先に、ジャックとスパーしてみない?」

 

 加藤は唖然とした。

 ジャックは、ほぅ……と、意外そうな、感心したような息をこぼした。

 

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