【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

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一回戦第二試合:伽羅vs久我重明?
第一話:うごめく者たち


 

0.

 

 

 会場に、まだ、ざわめきが残っていた。

 とはいえそれは、負の感情や、困惑に起因するものではない。

 ざわめきは期待や幸福の発露である。

 観客の心中において、範馬刃牙と宮沢熹一の試合の興奮が冷めやらぬからだった。

 

 こんなレベルだったとは。

 ここまでスゴい奴らが揃っているとは。

 

 観客、選手、関係者など、多くの者がため息を洩らしていた。

 最大トーナメント、これほどレベルが高いとは……。

 範馬刃牙と宮沢熹一の試合。

 どこを切り取っても、人界を超えた光景であった。

 凡人では決して届かぬ、思いもしない次元の戦いであった。

 どちらが勝ってもおかしくなかった。

 勝ったのは刃牙ではあるものの、それが刃牙自身も限界ギリギリの、紙一重の勝利であることは誰の目にも明らかだ。

 衝撃があった。

 驚嘆があった。

 興奮していた。

 多くのものが、初めておもちゃで遊んだ子供のような感動に包まれていた。

 

 歓喜の渦中にありて、神妙な顔で闘技場を去る刃牙を、加藤清澄は見届ける他なかった。

 かける声が見当たらない。

 あまりにも凄すぎたからだ。

 声が出ない。

 そのまま、混沌とした感情を抱えたまま、刃牙の跡を追うように、控え室に戻る。

 格闘士たちの空気が変わっていた。

 張り詰めている。

 熱気があった。

 暑い──

 何人かが、見るからにそわそわしていた。

 異次元の戦いにアテられて、身体が疼くのを止められず、外に走り出しに出かけた者さえいた。

 

 加藤は肩を叩かれた。

 分厚い手、分厚い指で。

 身体を芯から震わせて、加藤はちらりと背後を見やった。

 

「スゴかったなあ、今の試合」

 

 獅子尾龍刃であった。

 濃いシワの刻まれた顔が、朗らかな形に歪んで、加藤を見下ろしていた。

 やはり、加藤は言葉に詰まった。

 獅子尾龍刃に向き合った。

 じろりと見上げた。

 獅子尾龍刃は笑っていた。

 

「あれが範馬刃牙かァ……ハハ、身体つきとかは、勇次郎には全然似てねェな」

 

 あっけらかんと言い放つ。

 どこか、懐かしむように目を細めていた。

 

「オッサン……」

 

 加藤の呟きに、ん? と龍刃は反応する。

 

「今からよ、必殺技……とか、なンか、できねェかな……」

 

 きょとん、と龍刃が目を丸くした。

 加藤はかあっと顔を赤らめた。

 何を言っているのか、自分は。

 恥ずかしさに口籠った。

 加藤の様子を見て、龍刃はく、と息を詰まらせた。

 

「スゴいな」

 

 と、半分笑いながら、言った。

 決してバカにしたような口ぶりではない。

 羨ましいとでも言いたげである。

 加藤はすぐさま肩をいからせて、

 

「ば、バカにすンじゃねェよ!! 今のはナシだッ!! 聞かなかったコトにしねェ!!」

 

 ははは、と龍刃は薄く笑う。

 ごめん、と言った後、違うよ、と続けた。

 

「いやスゴいよ、加藤くん。あのふたりの試合を見て、ベソかいてるだけじゃなくて、ちゃんと勝つ気持ちでいるンだもん」

 

 新たな必殺技の習得をしたい。

 加藤がそう切り出したのは、つまり、『どうやったらあのふたりに勝てるか』を模索しているということだ。

 あの試合を見て、敗北感や無力さではなく、なんとか食らいつこうという姿勢が先んじている。

 獅子尾龍刃はそれを見抜いていた。

 それは加藤の未熟である。

 それが、その青臭さがたまらない。

 

「ご、ゴマカシてんじゃねェよッ! オッサン!! オッサンならよォ、なんか……刃牙やらキー坊やらに勝てる手を持ってンじゃねェのかい!?」

「わからんよ、そんなの」

 

 やってみなけりゃね。

 龍刃はワザとらしく視線をずらし、悩むなあ、と口をヘの字に曲げる。

 胸を少し反らす態度は、負けん気と自身の強さへの信頼、すなわち自負の現れであった。

 

「そりゃあ、おれは超音速で動けるワケじゃないし……人間の内部だけをぶっ壊すなんて、器用なマネできないからね。だけど、だからと言って、じゃあ、おれが彼らと一〇〇回やって、確実に一〇〇回負ける気はしないよ」

「……マジかよ」

「うん。ここにいるヒトらは、だいたいみんな、おんなじ気持ちじゃねェかな?」

 

 加藤は、改めて、控え室をぐるりと見渡した。

 確かにそうだ。

 今、ここに充満しているのは、意気消沈した空気ではない。

 それとは真逆──漂うものは、熱意と、戦意の燻りであった。

 高揚に彩られている。

 意識すると、途端に、波打つ熱波が見えるようだった。焦げ臭いほどのそれを、臭い以上の感覚として、加藤は肌で実感する。

 

「ワクワクしてこないかい?」

 

 言われて、加藤は、自分が微笑(わら)っていることに気づいた。

 

 楽しんでいる──のか、おれは?

 

 この状況を。

 周りを見渡す。  

 もはや、どの程度差があるのかわからぬほどの、笑ってしまうぐらいの格上()()いない状況。

 逃げても良し。

 実戦ならそれもアリだ。

 しかし、逃げるワケにはいかない。

 看板を背負っているから──?

 ノン。

 愚地独歩(師匠)が観ているから──?

 ノン。

 愚地独歩の仇撃ちのため──?

 それは十分にある。

 だが、本質はもっと単純(シンプル)なもの。

 希望(のぞ)んでいた──のか?

 これを。

 おれが、加藤清澄という武術家が。

 知らなかったぜ。

 震えてやがる。

 おれが、こんなドMヤロウだったとは……

 

 くっくっと、加藤は自身にほくそ笑む。 

 悪魔的な表情であったが、その顔はよりいっそう、獅子尾龍刃に安堵をもたらした。

 

「怖いね、加藤くん」

 

 龍刃が抜け抜けと笑っている。

 どこか、愚地独歩のひょうきんさにも似ていた。

 

 と──、

 

 ズン……と揺れた。

 部屋が。

 地震ではない。

 揺れが一瞬だけだった。

 どうやら、何者かが、部屋の内部で強い震脚を行ったようだ。

 

 視線が集まる。

 加藤と龍刃も、目を向ける。

 

 そこに立っていたのは、ふたり。

 参加選手だった。

 向かい合っている。

 距離が近い。

 立ち合いの間合いである。

 そして、陰険な気配を発している。

 

 ひとりは総髪にまとめた髪を三つ編みに結って流している、中華服の男。

 浅黒い肌に、服の上からでも理解(わか)るガタイの良さ。

 男を睨みあげるその顔が、嫌悪に彩られている。

 中国拳法の烈海王だった。

 

 そして、その烈海王に睨まれている男。

 普通の、無地の白い長ズボンを履いている。

 上は黒いタンクトップ。

 ほどよく隆起した筋肉に、肉眼で把握できるほど血管が浮いている。

 ライオンの頭髪を思わせるボサボサの髪が目立つ。

 鋭い眼光で、烈海王を睨み返している。

 それでいて、口元には綽々とした笑みが浮かんでいた。

 左目の部分の皮膚が溶けた後があり、その面相をより怖く恐ろしいものに際立てている。

 伽羅と呼ばれる男であった。

 

 

1.

 

 

「俺に、何か用でもあるのか? お利口さんの海王が?」

 

 伽羅が烈海王を見下ろしている。

 烈海王が伽羅を睨み上げている。

 ふたりの身長差はほとんどない。

 つまり、この状態は、烈海王が気持ち前傾に身体をもたげて、腰を落としていた。

 今すぐにでも、パンチやキックを放てそうである。

 それを、伽羅は待っているようでさえあった。

 口元に不適な笑みが張り付いている。

 全身から挑発的な空気を発していた。

 

「キサマはわたしを知らないだろうが、わたしはキサマを知っている」

「ほォ? 高名な海王サマが、俺の何を知っているって?」

「わたしが海王の名を賜ったのは、白林寺だッッ!!」

「────!!」

 

 伽羅が、かすかに眉を吊り上げた。

 驚いているのか、それとも呆れているのか。

 しばしの後、伽羅はクク、と再び含みのある微笑を浮かべた。

 

「そうか。お前、劉のジイさんの弟子か……」

「海王()に師事し、中国拳法の秘技を収めておきながら……その名を継がず出奔した挙句……闇試合に身をやつす……海王の名に賭けて、キサマのような輩を放っておくわけにはいかんのだッッ!!」

「……おいおい、勘違いするな。俺は別に、劉のジイさん()()の弟子になった覚えはねえよ」

「言い訳をッッ!!」

「とにかくどけ。次は俺の試合なんだよ。お前の相手は()()死ぬまでやってやる」

 

 これは、明確に半ば呆れ顔であった。

 烈海王の横を通り抜けて、伽羅が闘技場に向かう。

 と、烈海王の間合いから十分離れた地点で止まり、顔だけを振り返った。

 

「まあ、お前が勝ち上がれば、いずれ機会はやってくる。慌てるな……」

 

 笑っていた。

 恐ろしい顔だった。

 左目の古傷が、まるで真新しい傷であるかのように蠢いて見える。

 

「怖い男だね……」

 

 と、全てを見届けて、獅子尾龍刃が言った。

 野獣の覇気を纏っている。

 話ができる、理路整然としている。

 それでいて、狂気に身を置くことを屁とも思っていない。

 人間の人生は、生命力は、心構えは眼光に現れる。

 言うなれば、伽羅という男を取り巻くこれまでの環境は、並々ならぬ修羅と狂気の中にあったのだろう。

 

「ほんと……たまらんね、この世界は」

 

 獅子尾龍刃もまた、くっくっと笑った。

 どこか、狂気の滲んでいる、恐ろしい顔であった。

 

 

2.

 

 

 観客席の最前列。

 三人の老人が並んでいた。

 ふかふかのソファを無理やり設置させた特製の座席に着いている。

 中心に座すのは小柄で、ハゲ頭にくりっとした眼をしている。この闘技場のオーナーであり、この大会の発起人たる徳川光成であった。

 その左側の老人は中肉中背、光成同様に禿げ上がった頭に、切れ目で凄みの含んだ眼をしている。日本政治界に深い根を下ろす黒幕(フィクサー)、名を不知火検丈と言った。

 右隣りの老人は、ふたりと違って髪も髭ももっさりと蓄えており、皺の数で言えばふたりよりも深く濃いものの、身にまとう初々しい活力は誰よりも若く見える。拳願会元会長にして、大日本銀行総帥、片原滅堂であった。

 

 いずれも、その口の囁き、指の動きひとつで嘘を誠にさえしうる、日本の行く末さえ変えかねる権力(ちから)を持っている傑物である。

 片原の背後には、彼の護衛たる王森正道と鷹山ミノルがいた。このスーツ姿の大男たちは、ふたりがふたりとも武術の達人であり、この大会の参加者と遜色ない実力を秘めている。

 

「どうじゃ、めっちゃんケンちゃん。地下闘技場もなかなかのモンじゃろう?」

 

 したり顔で、光成が言う。

 

「いやあ〜スゴいのうみっちゃん! 範馬刃牙と宮沢熹一! ふたりの一挙手一投足を見ているだけで、ワシャ一〇年は若返る気持ちだったぞい!」

「全くよ。まさか、あの宮沢が一回戦負けとはな……」

 

 感嘆をこぼすふたりの反応に、うんうんと光成は満足げに頷いた。

 

「流石はみっちゃん、流石は地下闘技場よ。このレベルの格闘士を集めるのは拳願試合では無理じゃからのう」

 

 拳願試合最大の仕合。

 かつて行われた絶命トーナメントでさえ、この大会のレベルに比べれば一段は劣るだろうか。

 拳願試合はあくまで企業の代理闘争にすぎないため、拳願会に所属し、登録されている闘技者以外はそもそも試合に出る権利がないという理由もあるが。

 

「しかしみっちゃんよ。ワシもアギトを出しておるワケじゃし……今度は拳願試合に地下闘技場の正選手をお借りしたいところよ」

 

 かつて、拳願会と地下闘技場は交流試合をおこなったことがある。

 源流を『徳川』にたどる両者は、ただ一度だけ交流戦もとい、兄弟喧嘩をおこなったことがあるのだ。

 その時、地下闘技場からは愚地独歩が。

 拳願会からは、現在の闘技者のひとり、鎧塚サーパインの父パーパインが代表として立ち合っている。

 

 試合を開く目的が真逆と言っていいため、それ以降お互いの道が交わることはなかったとはいえ、代表であった愚地独歩曰く、『拳願会と地下闘技場の闘争はまだ続行中(つづ)いている』という。

 

「モチロンじゃよ、みっちゃん。というか、今回手伝ってくれたのはその時のために見繕うハラじゃろうが」

「ハハハ〜! バレとったかのー!」

 

 カラコロと笑い合うふたりである。

 このふたり、お互いに格闘好きで、戦後の時代から付き合いがあるのだから、関係性は浅くとも波長の合い方は竹馬の友と呼べるのであった。

 不知火検丈がはあ、と息を吐く。

 若々しいふたりを羨みながらも、どこか見習ってたまるかと突き放すような態度であった。

 

「そう言えば、豊田くんはまだ着いとらんのかね?」

「あー、みっちゃんそれね。豊田くん大会の日程を一日ズレて覚えとったらしくてのう。今外国から慌ててこっちに直行しておるそうじゃ」

「あの聞かん坊はかわらんな」

「まあ豊田くんらしいわい」

 

 と話に花を咲かせていると、そのとなりに、ゆらりと陽炎が揺らいだ。

 陽炎──?

 正確には、陽炎のような妖気が揺らいでいる。

 一瞬で、王森とミノルの表情が険しくなる。鋭利な敵意、警戒心を、現れた妖気に向けた。

 それを、片手を持って制したのは滅堂であった。

 

「おじいちゃんたちさー」

 

 妖気が、手を伸ばした。

 美しい指であった。

 細く、長く、白く、人並外れた魔性が、人差し指を刺し下ろすだけの動作に詰め込まれている。

 唇が、また、怪しい。

 言葉を紡ぐと同時に、甘ったるい毒を吐いているようだった。

 白髪──いや、銀髪か。

 白いスーツも相待って、全身で光を取り込んで、飲み込んで、自らを輝かせている月光のような男であった。

 

「ここ、空いてる?」

 

 男は一転して、軽い口調で言った。

 にこりと笑った。

 光成が、滅堂が。

 不知火だけが、むむと、顔を顰めさせる。

 

「空いとるよ。座りなされ」

 

 光成のそれは優しい言葉である。

 男もまた、にこりと笑った。

 

「だよねだよね? 空いてるんだから座ってもいいよね? いやあ良かった〜ここ、熱気がスゴイからさ、立ち見なんて続けてたら倒れちゃうところだったよ」

 

 男は遠慮なく、すとんと身を落とした。

 太々しい態度が、いかにもわざとらしい。

 フフフ、と滅堂が笑う。

 細めた眼が、光っていた。 

 捕食者の光であった。

 

「あっ、そうだ! おじいちゃんたち! 次の試合さあ……」

 

 男がタメを作った。

 口角が不気味に吊り上がっていく。

 怪しく、楽しそうに。

 邪気に満ちた、無邪気な形に歪んでいく。

 

「ちょっと、俺と──賭けを、しないっ?」

「ええよ」

 

 さっくりと、光成は返した。

 あまりにもあっさりとした答えに、さしもの男もポカンと眼を見開いて。 

 うーんと唸って、人差し指で頭を掻いた。

 

「……光成さんさあ」

 

 不満そうな声である。

 

「もうちょっとさー、ノってくれても良くない?」

「ホッホッホッ! ワシらをノらせるにしては、演技が下手すぎるわい!」

「ウム、恵利央より下手くそじゃ。初めて見たかもしれん。それじゃあワシらはノれんノれん」

「ウム、舐められたものよのォ。それともアレか? まさか、ワシらほどの権力者が、お主の顔と名を知らんと思うかね?」

 

 三者三様のダメ出しをくらい、あちゃあーと男は目尻を押さえた。

 

「やっぱり、有名になりすぎるってのも考えものだね」

「ウム。じゃが、まさか、本当にきみ()()が来てくれるとは思わんかったぞい」

「……そりゃあ来ますよ、応援ぐらい。伽羅さん、俺の大事な仲間ですからねぇ」

「フフ、今はそう言うことにしておくかの」

 

 妖気が充満していた。

 男の発する美麗なる妖気は、しかし、老獪な権力者たちのそれと混ざり合い、格闘士たちのそれとは全く異質の鍔迫り合いに興じている。

 その空間だけ、臭いが違った。

 その邪気に満ち満ちた空気を平らげて、さて、と光成は言った。

 

「ワシはやることがあるんで、ちょっと行ってくるかのう」

「あれ? どうしたんじゃみっちゃん?」

「あの凶人、久我重明の試合が観れるというのに、席を立つのか? おまえらしくもない」

 

 不知火の言葉に、いやァ〜と光成は嫌そうに首を振った。

 

「実は、久我重明の試合は観れないんじゃよ」

 

 そうして、闘技場に降り立った光成の口から、『久我重明の棄権』が伝えられたのである。

 

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