【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

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第三話:武の姿

 

1.

 

 

 本部以蔵が審判に詰められていた。

 観客の反応が、真っ二つであった。

 本部以蔵は素知らぬ顔であった。

 葛城無門は目を閉じていた。

 

 いずれも、本部以蔵が、自身の着けていたベルトを使い、葛城無門の両手を封じた行為に対する反応である。

 

 反則ではないのか!?

 という声があった。

 『なんでもアリ』とされる地下闘技場で、唯一の原則が『武器の持ち込みと使用の禁止』である。

 つまり、要約すると『格闘士は地下闘技場では素手で闘うべし』という認識が、観客や格闘士の中に根付いている。

 だから、賛否の否の側の主張は、今回の本部以蔵がベルトを使用したことや、最初にタバコの火を蹴り当てたことが『武器の使用』にあたり、本部以蔵を反則負けにするべきではないか?

 というものであった。

 

 一方で、賛否の賛の側の主張。

 それは、本部以蔵のこれは、武器の使用に当たらないのではないか?

 というものであった。

 地下闘技場だって、現代社会の一角だ。

 誰だって、外に出る時は服は着る。

 そりゃあ、ズボンを履けばベルトぐらいつけるだろう。

 愛煙家なら、タバコぐらい吸ってるだろう。

 本部以蔵は、普段、人が身につけているものを巧く利用しただけである。

 ベルトやタバコでも、人を傷つけるどころか、極論を言えば人を殺すことができる。

 しかし、じゃあ、ベルトやタバコは、ナイフや拳銃のように、人を傷つけるために創造(つく)られたのか? 

 ベルトやタバコの用途は、人を殺すことにあるのか──?

 違う。

 断じて違う。

 確かに、暗殺用に仕立てられた暗器や、映画に出てくるようなスパイ・グッズのように、()()を目眩しにして、殺傷を目的と創造(つく)られたベルトやタバコはあるかもしれない。

 だが、本部以蔵が使ったベルトもタバコも、それ自体はなんの変哲もない()()なのだ。

 だから、これはいわゆるナイフや拳銃のような『武器』の使用にはあたらない。

 あくまで、それを活かした能力は本部の自前の技量であり、それもまた『武の姿』であろうという意見である。

 

 会場全体で議論が巻き起こっている。

 観客も、控え室の格闘士たちも、心中では賛否を論じていた。

 直接本部を問い詰める審判に対して、本部以蔵は後者の理論を用いて、毅然とした態度を貫いていた。

 

 

2.

 

 

 控室。

 モニターの前で、愚地克巳は苦虫を噛み潰したような表情であった。

 心中で渦巻く感情がふたつあり、そのふたつが、対極の色とカタチを持っている。

 反作用的に、吐き気を催すような気分であった。

 べったりとした玉の汗が、額にひとつ、浮かんでいる。

 

「克巳よ」

 

 克巳の隣に立つ愚地独歩が、微笑を携え、克巳に問うた。

 

「おまえさんは、これ、どっちだと思う?」

 

 イタズラに広がった口角。

 吊り上がった眉毛が、問いかけながらも、既に答えを教えている。

 克巳は苦笑いした。

 流石は愚地独歩。

 見透かされている。

 

 愚地独歩は、本部以蔵のやり方を容認している。

 その卑怯さを。

 そのズルさを。

 正々堂々(フェア・プレイ)の精神に、堂々と反している──ように、克巳には見えるえげつなさを、しかし、愚地独歩は称賛の表情で見届けていたのだ。

 

 克巳が口を開く。

 

「おれ個人としては……認めたくない気持ちがあるよ」

 

 言葉を発しながら、自身の口から溢れる感情を、改めて噛み砕くような物言いであった。

 淀む声色から、克巳の心中に潜む『甘さ』を察して、ふむ、と独歩が頷いた。

 ()()()()()()()()、なら、真意が別に()ある。

 

「本音はどうだい?」

「アニキが悪い……んだろうね、これは」

 

 にぃぃっと、独歩が笑った。

 本部以蔵が良い、とは言わない。

 あくまで、葛城無門が悪いと言う。

 認めたくないのだ、本部以蔵が、葛城無門より優れているということを。

 幼少の時期とは言え、心から憧れていたアニキを前に、その兄が何者かに劣っている旨の発言をしたくないのだ。

 なんと甘い。

 だからそれは、愚地独歩からすれば、六〇点の回答であった。

 しかし、真に実戦の場に、傍観者とは言え立ったばかりの発言としては、まずまずといったところである。

 独歩は満足気に、口を大きく広げた。

 

「オウよ。これは、無門くんの手落ち……ふふ、本部め。たまらんなあオイ」

 

 

3.

 

 

「だまらっしゃいッッ!!!」

 

 埒が開かない展開で、快刀乱麻を断ったのは、徳川光成であった。

 闘技場に降り立った光成の声が轟き、賛否の波を飲み込んで、かき消している。

 とても老齢の出す声とは思えないほど、ハキハキと通る声であった。

 観客たちが静まる。

 光成に視線が集まっていた。

 審判もまた、助けを求めるように慌てた顔で、闘技場に降りてきた光成を見つめ入る。

 

 光成はサク、と本部と無門の間、二人の直線上より二歩ほど下がった場所に、立った。

 

「本部以蔵に不正はないッ!」

 

 言い切った。 

 ザワ……と会場に小さな波が立つ。

 

「きみたちは、武をなんと心得る?」

 

 光成は問うた。

 無門に、

 本部に、

 観客に、

 格闘士に、  

 そして、己に。

 光成は語った。

 武の本質、その本懐を。

 

 試合制の弊害──!

 武とは。

 本来の武とは、華やかなリングの上で、パフォーマンスを競って勝ち負けを決めるのではないッ!!

 日常の中で、突如襲いくる暴力!

 自身に──

 知人に──

 愛する人に──

 圧倒的弱者に──

 強きものから振るわれる暴力がある!!

 それを鎮圧してこその武じゃ!!

 武とは、(ほこ)()めると書くッ!!

 実戦とは、暴力とはッ!!

 決められた日時、決められた場所で起こるものではないッ!!

 それを、速やかに鎮圧することこそが『武の本番』ッッ!!

 リングの上でいかに結果を出せていようと、路上の喧嘩で素人に不覚を取る武になど、なんの価値もないッッ!!

 

「その上で──諸君らに尋ねよう。本部以蔵がいつ、武器を持ち込んで、使ったかね?」

 

 本部以蔵の格好は、普段着じゃ。

 なんの変哲もない背広。

 どこにでも売っているズボン。

 それを留めるためのベルト。

 革靴──。

 喫煙者なら、タバコぐらい吸っていよう。

 

 彼の身につけているものの中に、ナイフや拳銃のように、殺傷を目的として、それだけのために持ち込まれたものが、果たして、あると言えるのかね?

 

「本部以蔵は普段通り──つまり、闘争の場で、武の本番をやっているに過ぎん。で、あるならば、本部くんのやり方を非難する資格はワシらにはないッッ!!!」

 

 ワシも含めて、この会場に、本部以蔵がベルトを身につけることを、注意したものはおらん!

 たまたま着けていたベルト。

 たまたま履いていた靴ッ。

 たまたま持っていた扇子。

 たまたま胸に挿していたペン。

 ごく日常的にありうる、気の身着のまま。

 それらを武の意味で武器と断ずるならば、ワシらは本部以蔵が入場した時に、キチンと注意するべきじゃったろうが。

 

 ベルトを身につけるな!

 靴を履くな──と。

 

「なにせ、地下闘技場では武器の持ち込みは禁止じゃ。しかして、悟られずに持ち込ませた時点で、それはこちらの手落ち。ワシらに本部くんを責める資格はないッッ!!」

 

 光成の覇気に気圧されて、会場が静まりかえっていた。

 シン……と空気が張り詰めている。

 それを確認して、ぐるりと、光成は本部を見上げた。

 ぎょろついた目が、妖怪のようである。

 

「しかし、本部よ。おヌシの技術が地下闘技場で少し()()()()()おるのも事実じゃ。よって、あと、なにかひとつでも五体以外の()()使用(つか)った時点で、失格とする……それでよいな?」

 

 本部は真顔より少しだけ目を開いた。

 感嘆の意を混ぜて、顔を、少しだけ傾けた。

 

「御老公、お手を煩わせました」

 

 光成はうむ、と頷いて、振り返った。

 歩きながら、手を振り上げた。

 

「続行ッ!!」

 

 審判たちが慌てて闘技場から離れていく。

 試合が再開した。

 

 

4.

 

 

「本部さん、ありがとう」

 

 葛城無門は言った。

 本部は、その皮肉を、あえて抱きしめて、微笑する。

 

「腕が、戻っているね」

 

 本部の言葉通りであった。

 葛城無門の腕が、身体の前に来ている。

 無門は、会場の意識が光成に集まって、試合が停止(とま)っていた隙に、肩の関節を外して足を潜らせ、腕を前に持ってきたのである。

 まだ、手首はベルトで閉じられているが、これで、多少は動きも重心もマシになる。

 腕が後ろで縛られているよりは、身体の自由が効くし、蹴るにせよ受け身を取るにせよ、バランスははるかにとりやすい。

 そして、本部以蔵はそれを、黙って見過ごしていた。

 あの時、控室の何人かの格闘士を除けば、闘技場にいた中で、無門を注視し続けていたのは本部以蔵だけであった。

 その気になれば、審判の物言いも光成の話も無視して、本部はいつでも無門の行動を妨害できた。

 無門に言わせても、この状態まで貶められたのは、本部が優れた武を振るったからで、武の正当性は、どこを切り取っても本部にあった。

 そもそも、審判たちが勝手に本部に物言いを仕掛けただけで、試合が中断された合図はどこにもなかったのだ。

 本部が殺す気なら、審判や光成など──第三者を無視してトドメをさせた。

 しかし、本部はやらなかった。

 なんのためなのかはわからない。

 もしかすると、本部は自分がこの状態にされても、返し技を持っていて、自分がそれを使えるかもしれないと思って、追撃をやめたのかもしれない。

 あるいは、本部には本部なりの哲学があって、それに従ったのかもしれない。

 わからない。

 ただ、事実として、自分は殺されていない。

 それは無門にとって、間違いなく本部の恩情である。

 だから、無門はありがとうと言った。

 

 本部は、無門の邪気のない言葉に、ふ、と息を吐いた。

 

「降参の気は、なさそうか」

「うん。そのつもりはないよ」

 

 むしろね、本部さん。

 

 葛城無門は笑っていた。

 その顔が、惚れ惚れするほど純粋で、光を放っているようだった。

 本部の目がグッと見開かれる。

 呆れているような、感動しているような動きであった。

 

 無門は言った。

 

「おれ、ワクワクしてるんだ」

 

 無門が踏み込んだ。

 本部の足に向かって、ローキックを放った。

 

 

5.

 

 

 無門は攻めていた。

 蹴りで、とにかく蹴りである。

 無門は、却ってこれでよかったんじゃないかと思っていた。

 

 パンチは、ほぼ完全に、本部に見切られていた。

 威力を受け流され、動作は捌かれ、容易く掴まれる。

 捕まれば、本部は瞬時に関節技を仕掛けてくる。

 関節技に入られたら、抜け出す手段はひとつしかない。

 技が極まる前に抜け出すしかないのだ。

 あるいは、花山薫やビスケット・オリバであるならば、関節技を力づくで脱出もできよう。

 しかし、葛城無門にそれはできない。

 完全に極まった関節技とは、普通、その瞬間に勝ち負けが決まってしまうほど、極悪な技なのである。

 無門は、現に、手を縛られるまでは危ない場面がいくつもあった。

 

 だが、足なら?

 足技は、まだ、本部に見切られていない。

 足は、単純に腕の三倍の筋力がある。

 つまり、蹴り技を突き技と同じ捌き方で処理するにも、捌く方にも単純に三倍の筋力や技量が必要になるのである。

 フィジカルでは、無門の方が上だ。 

 だから、力で攻める。

 速さで攻める。

 余計なことが削り落とされた分、無門の迷いが消えていた。

 

 当たる。

 当たっている。

 掴まれた。

 左のハイキックを、顔と右腕で固定された。

 捻られる──前に、無門が跳んだ。

 右足で、前にダメ押す。

 跳びの前蹴りで、本部の身体がぐらりと傾く。

 体幹が、地面から外れた。

 

 チャンスだ──!!

 

 無門は攻めた。

 無門が攻める。

 

 モニター越し、愚地克巳が拳を握りしめていた。

 勝てる……ッ!

 勝てるぞ、アニキッッ!!

 顔が、そうと知らずに笑みを作っている。

 

 喜びのあまり、克己は、となりの愚地独歩が、神妙な顔をしていることに気づかなかった。

 

 

6.

 

 

 無門の攻勢は、あっさりと止まった。

 最初、左の前蹴りを打って、それが本部の腹部を貫いた。

 貫いたのとほぼ同時に、本部が蹴り足を上から叩いたのだ。

 膝の部分を。

 途端に、無門の足に痛みが走る。

 金槌で叩いたような、痺れる痛み。

 伸び切った足だった。

 ヒットの瞬間、本部の腹筋でかすかに固定された刹那に叩かれた。

 

 次に、同じように、無門は右の前蹴りを放った。

 本部が、今度は当たる前に防御姿勢を取っていた。

 が、それは無門の予定通り。

 無門の足は本部の前で止まった。

 無門は左足一本でジャンプする。

 高い。

 本部の頭部に尻の位置がくるほどである。

 そして、右の跳び回し蹴りを放った。

 本部は反応できていない。

 すんなりと、本部の顔に、無門のつま先が突き刺さる。

 倒れながら、蹴り足を、本部が掴む。

 無門はまた、左足で迎撃を試みた。

 だが、本部の動きが違った。

 本部の身体は急に力が抜けて、重心が下に落ちた。

 そのまま、前に倒れ込んだ。

 つまり、無門の腹の上に、覆い被さるような形である。

 無門は動けなかった。

 本部が、倒れながら、右手を前に突き出していたからだ。

 右手が伸びて、少し曲がり、無門の腰のベルトを掴んでいた。

 つまり、無門は体幹を握られてしまっていた。

 

 そのまま倒れた。

 闘技場に。

 無門は咄嗟に、腹の上に伸びた本部の右腕を起点に、三角絞めに移行せんと動いた。

 三角絞めなら、手が縛られていても使える。

 この体勢からできる関節技は、十字か三角ぐらいしかない。

 途端、無門の腹部にずしんと重たい痛みが生じた。

 石を、腹の中に詰め込まれたような、鈍く重い痛み。 

 それが、無門の腹部を駆け上って、頭頂部を震わせて、頭の外にまで突き抜けた。

 跳び上がる痛みだった。

 たまらず、無門の腰が浮いた。

 

「が……あ、っ!!」

 

 と、無門らしからぬ悲鳴が上がった。

 つばが口からだらりと垂れていた。

 

 本部以蔵は右手の指を使っていた。

 デコピンで、無門の睾丸を弾いていた。

 

 

7.

 

 

 無門はコツカケはやっていた。

 つまり、睾丸を腹部に押し上げてはいた。

 だが、腰を握って腰から押し倒されて、衝撃で睾丸が外に出てしまっていた。

 そこを打たれた。

 

 悶える痛みの中で、無門は思う。

 

 最初っから、全部、手のひらの上だったのか──ッ!?

 

 あまりにも迷いのない本部以蔵の攻撃。

 反射で行っていたとは思えなかった。

 なぜなら、反射神経なら、本部より自分の方が上だからだ。

 『咄嗟』の攻防で、本部が無門を上回るのは不可能だ。

 だから、あらかじめ、手順が決まっていたとしか思えない。

 つまり、本部以蔵は葛城無門の動き、思考の一切をあらかじめ把握していて、()()()()この金的を仕掛けてきていたということだ。

 

 いつからだ──ッッ!!?

 いつ、どこから、自分の動きは操作されていたッ!?

 ベルトで、手を縛られた時からか!?

 確かに、ベルトで縛られて、自分は足技を主体に攻めると決めた。

 徳川光成の中断が入った時からか!?

 あの時、意識を自分に向けつつも、本部が何の動作もとらなかったのは、この状況に持ち込みたかったからなのか!?

 いや、本部以蔵は、最初のタバコの時点でこうなることがわかっていた──ッッ!!?

 

 悶える無門の思考に、痛みが割り込んだ。

 足を、足首を取られている。

 アキレス腱固め。

 まずい!!  

 無門は咄嗟に身体を大きく振った。

 仰向けからうつ伏せになるように身体を大きく捻った。

 本部はあっさりと手を離した。 

 それどころか、無門の脱出を手伝うように、手を掬って無門の足を跳ね上げた。

 うつ伏せになった無門の背に、冷たいものが走った。

 しまった──ッ!!

 視線が外れた。

 意識が外れた。

 またしても、動きを操作されたッ!!

 

 葛城無門が眉を顰める。

 その首に、本部の腕が回っていた。

 

 

8.

 

 

「が……かっ……!!」

 

 無門はかろうじて息をしていた。

 咄嗟に顎を引いて、頸動脈が直接締められるのを防いだからだ。

 しかし、返し技がない。

 腹這いに潰されて、本部にのしかかられている。 

 これが、身体を立たせたままなら、上段蹴りを思い切り振って、背後にいる相手の顔を蹴れる。

 しかし、蹴り足を使えるスペースがない。

 本部の腕が締まっていく。

 膝立ちになった。

 腕を差し込めない。

 ベルトが邪魔をしている。

 無門の膝の上に、本部の膝が乗っている。

 だから、金的を狙うこともできない。

 

「無門くん。きみは本当に素直だ」

 

 耳元に囁かれる本部の声が掠れている。

 腕に、更なる力が込められた。

 無門は、最後の力を振り絞った。

 

 無門は、残った握力を注ぎ込んで、首に回った本部の腕を掴み、全身のバネを利用して、頭から飛び込むように闘技場に叩きつけた。

 頭から落ちるために、なるべく扇状に軌跡を描いて跳んだ。

 本部と無門が闘技場に頭から突っ込んだ。

 

 本部の方が先に落ちた。

 顔の位置が、無門より上にあったからだ。

 その上で、二人分の体重と勢いが、本部の首にぶつかった。

 

 本部の手が離れた。

 本部の下から、無門は転がり出る。

 距離を取って、上体を立たせて、喉元を手で押さえる。目尻には涙が浮かんでいた。

 呼吸を整える。

 突っ伏した本部が、ゆらりと顔を上げた。

 

「すごいよ、本部さん」

 

 吐瀉物をそのままに、無門は笑っていた。

 心からの賛嘆であった。

 強い──ッッ!!

 本部以蔵は、なんと強いのか!!

 

 本部は無言であった。

 無言で、無門を睨み上げる。

 膝立ちの本部の前に、無門は悠々と歩いて行った。

 目の前で止まった。

 無門の打撃、蹴りの間合いより、半歩以上近くであった。

 訝しむ本部の目の前で、無門は膝立ちに座った。

 

「──なんの真似かな?」

「アンタの真似」

 

 無門は、屈託なく言った。

 

 

9.

 

 

 膠着していた。

 相手を目の前に、お互いに何も仕掛けない。

 無門はこの間を利用して、体力を回復させている。

 本部のセコンドの花田が苦笑いしていた。

 

 考えたものである。

 本部のこの構えの妙理は、実は『猪狩アライ状態』の理によく似ている。

 相手が立った状態で、打突を繰り出すからこそ、片膝立ちの側に有利があるのだ。

 だからこそ、同じ状態の相手に対する理がない。

 いや、こうなって仕舞えば、先に攻撃を仕掛けた方が不利である。

 お互いに寝技を使える場合、相手の打撃を()()()()()()ことで機先を制することができるのだから。 

 葛城無門は、本部以蔵を相手に、『先の先』での勝負ではなく、『後の先』での勝負をけしかけたのだ。

 本部以蔵の武を逆に利用して、その状況に持ち込んだ。

 なんという感性(センス)か、葛城無門。

 

 本部が微笑を浮かべた。

 

「たまらんな」

 

 と言った。

 無門も笑っていた。 

 ひりつく空気が、ずっとあった。

 こうして本部と同じ場に立って初めて、本部と自分の間にある『力の流れ』を実感していた。

 それが、この状態になって、初めて、本部と自分の間を漂う『力の流れ』が、綱引きをしているのを感じていた。

 なるほど!

 本部以蔵が真に制していたのはこれか!!

 本部以蔵が真に感じていたものは、これか!!

 無門はなるほどと納得する。

 力の流れが、こうもはっきりと見えていて、相手の力の流れさえ支配することができるならば、そりゃあ、これが見えていない相手など手玉だろう。

 本部以蔵のおかげで、自分は今、新しい世界を垣間見ている。

 

「ありがとう、本部さ────」

 

 無門が、たまらず感謝を述べた瞬間。

 言葉を言い切る前に、無門の人中に向かって、本部の左拳が飛んだ。

 

 

10.

 

 

 無門は、本部の拳を、ベルトによってつくられた腕の輪の中に迎え入れた。

 そのまま、本部の背に向けて身体を跳ばす。

 本部の左腕を遡って、肩の位置までするりと入り込んだ無門は、そのままスリーパーに移行した。

 

「か……ああ……ッッ!!」

 

 今度は、本部が膝立ちの姿勢で、無門にスリーパーで締められている。

 無門の顔に力が入っていた。

 腕に、腰に、力を込める。

 最後の力だった。

 対峙の最中、体力は回復できているが、腕力はその限りではない。

 散々操作され、挙句の対峙の緊張で張り詰め続けた無門の身体は、限界に近かった。

 自分の腕に力が籠っている実感が希薄なのである。

 残る力で、一気に締める。

 ここで決める。

 

 無門が力を込めるために、す、と息を吸った。

 

 その瞬間────

 

 

 

 

 

『ちゅどっ』

 

 

 

 

 と音がして、無門の視覚と聴覚は、世界を見失った。

 

 

 

11.

 

 

 分かっていた──

 本部は思う。

 経験からの読みを封じられ、反射神経の勝負に持ち込まれた時点で、勝利(かち)の目はほとんどなくなってしまった。

 同じことをやられると、才能の差をイヤというほど思い知る。

 

 葛城無門──

 

 マチガイなく天才だ。

 範馬刃牙や、渋川剛気と同類の格闘士だ。

 自分とはモノが違う。

 

 それでも、

 それでも……、

 

 本部は笑った。

 残った右腕で、ポケットをまさぐった。

 

 それでも、勝ち負けとなれば、ハナシは違うぜ。

 武の比較(くらべ)っこなら、この本部は負けていないぜ。

 

 そうして、掴んだそれを取り出して、思い切り地面に叩きつけた。

 

 

 ────『ちゅどっ』

 

 

12.

 

 

『え、煙幕ゥーーーーッッ!!?』

 

 実況が叫んだ。

 混乱の声であった。

 観客も、格闘士たちも、徳川光成や滅堂たちですら、困惑していた。

 

 勝負が決まる瞬間、本部が右ポケットから何かを出して、それを闘技場に叩きつけた。

 それが、まさかの爆薬であり、煙幕だった。

 

 もうもうと白煙が昇り立ち、闘技場を覆い尽くした。

 

 煙が晴れた時、そこにいたのは無門だけであった。

 無門自体が、呆然とした顔で、顔を庇っていただろう手が宙ぶらりんであった。

 

『にッ……にッッ……!!?』

 

 逃亡(にげ)た────ッッ!!!?

 

 

13.

 

 

「そんなんアリかよッッ!!?」

 

 と叫んでいるのが加藤であった。

 隣で爆笑しているのが獅子尾龍刃であった。

 愚地克巳もぽかんと口を開けており、隣の愚地独歩は大口を開けて笑っている。

 範馬刃牙は克己同様ぽかんと口をあけて汗をひと筋かいている。

 渋川剛気は爆笑していた。

 別所でモニタリングしている、ビスケット・オリバやゲバルは手を叩いて笑っていた。

 

「あーあーあー、はいはいナルホドね……」

 

 ひとしきり笑い終わって、目尻の涙を拭いながら、龍刃が言う。

 加藤が詰め寄った。

 

「どーいうことだよオッサンッ!?」

「どってことはないさ。あれが、本部以蔵の武の姿なンだよ」

「はァ!?」

 

 龍刃は説明した。 

 地下闘技場。

 大勢の客がいる。

 その中に、本部の命を狙う刺客がいないとは限らない。

 

「し、刺客ゥ!? お、オッサンよ。いくらなんでもマンガの読みすぎだぜ? ンな大袈裟な……」

「大袈裟じゃねェさ」

 

 と、話に割り込んできたのが愚地独歩であった。

 

 本部以蔵。

 伝説の男である。

 表沙汰だけでも、幾人もの空手家をはじめとする武術者が、この男に壊されている。

 武の世界は『縁縁怨怨(えんえんおんおん)』。

 武の世界を歩む限り、他者からの怨嗟を積み重ねるのは、至極当然のことだ。

 ならば、本部に怨を持ち、その隙を狙う連中もいて然るべし。

 

 もし、闘技場の観客の中に、本部を狙う刺客がいるとしたら? 

 もし、刺客の見ている前で、本部がスリーパーで失神して倒れ、身動きが取れなくなっていたら?

 刺客が舌なめずりして、ナイフを片手に飛び込んできたら?

 

「…………ッッ!!」

「殺されるぐらいなら負ける。負けるぐらいなら逃げる。いっそ清々しいまでに、武に生きる者の姿だわナ!」

 

 愚地独歩はにこにこと笑っている。

 同じく、獅子尾龍刃もニコニコであった。

 加藤は納得いってない顔であった。

 龍刃と独歩の言い分。理解はまあ、なんとなくできる。

 しかし、納得は別である。

 

「ま、誰より納得できてねェのは、無門くんだろうぜ」

 

 それはそうだ。

 無門からすれば、己の手で勝利を掴むハズが、相手に勝利を譲られたのだから。

 相手を倒すという意志(ワガママ)を貫く寸前に、相手の逃亡(にげ)るという意志(ワガママ)によって、意志の完遂を不意にされたのだから。

 

 格闘士として、

 武の世界に生きるものとして、

 獅子の世界にある漢として、

 これほどの屈辱もなかなかないだろう。

 

 事実、無門は闘技場の真ん中で、苦心に顔を歪めていた。

 顔を俯かせて、歯を噛み締めて、身体中にうずく、果たされなかった不満(ストレス)のあまり、悔しさのあまり、()()が震えていた。

 

 が──ふ、と息を吐いて、顔を上げた。

 

「ちえっ」

 

 言った。

 

「逃げられたんじゃ、しょうがないか」

 

 闘技場から、無門が退場する。

 その背が通路に消える寸前、ようやく、勝利者コールがなされたのであった。

 

 

 一回戦第四試合、勝者:葛城無門!!?

 

 

 




一回戦Aブロック終了 次回 インターバル(本筋で書けなかった選手たちの掛け合いなど)
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