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1.
本部以蔵が審判に詰められていた。
観客の反応が、真っ二つであった。
本部以蔵は素知らぬ顔であった。
葛城無門は目を閉じていた。
いずれも、本部以蔵が、自身の着けていたベルトを使い、葛城無門の両手を封じた行為に対する反応である。
反則ではないのか!?
という声があった。
『なんでもアリ』とされる地下闘技場で、唯一の原則が『武器の持ち込みと使用の禁止』である。
つまり、要約すると『格闘士は地下闘技場では素手で闘うべし』という認識が、観客や格闘士の中に根付いている。
だから、賛否の否の側の主張は、今回の本部以蔵がベルトを使用したことや、最初にタバコの火を蹴り当てたことが『武器の使用』にあたり、本部以蔵を反則負けにするべきではないか?
というものであった。
一方で、賛否の賛の側の主張。
それは、本部以蔵のこれは、武器の使用に当たらないのではないか?
というものであった。
地下闘技場だって、現代社会の一角だ。
誰だって、外に出る時は服は着る。
そりゃあ、ズボンを履けばベルトぐらいつけるだろう。
愛煙家なら、タバコぐらい吸ってるだろう。
本部以蔵は、普段、人が身につけているものを巧く利用しただけである。
ベルトやタバコでも、人を傷つけるどころか、極論を言えば人を殺すことができる。
しかし、じゃあ、ベルトやタバコは、ナイフや拳銃のように、人を傷つけるために
ベルトやタバコの用途は、人を殺すことにあるのか──?
違う。
断じて違う。
確かに、暗殺用に仕立てられた暗器や、映画に出てくるようなスパイ・グッズのように、
だが、本部以蔵が使ったベルトもタバコも、それ自体はなんの変哲もない
だから、これはいわゆるナイフや拳銃のような『武器』の使用にはあたらない。
あくまで、それを活かした能力は本部の自前の技量であり、それもまた『武の姿』であろうという意見である。
会場全体で議論が巻き起こっている。
観客も、控え室の格闘士たちも、心中では賛否を論じていた。
直接本部を問い詰める審判に対して、本部以蔵は後者の理論を用いて、毅然とした態度を貫いていた。
2.
控室。
モニターの前で、愚地克巳は苦虫を噛み潰したような表情であった。
心中で渦巻く感情がふたつあり、そのふたつが、対極の色とカタチを持っている。
反作用的に、吐き気を催すような気分であった。
べったりとした玉の汗が、額にひとつ、浮かんでいる。
「克巳よ」
克巳の隣に立つ愚地独歩が、微笑を携え、克巳に問うた。
「おまえさんは、これ、どっちだと思う?」
イタズラに広がった口角。
吊り上がった眉毛が、問いかけながらも、既に答えを教えている。
克巳は苦笑いした。
流石は愚地独歩。
見透かされている。
愚地独歩は、本部以蔵のやり方を容認している。
その卑怯さを。
そのズルさを。
克巳が口を開く。
「おれ個人としては……認めたくない気持ちがあるよ」
言葉を発しながら、自身の口から溢れる感情を、改めて噛み砕くような物言いであった。
淀む声色から、克巳の心中に潜む『甘さ』を察して、ふむ、と独歩が頷いた。
「本音はどうだい?」
「アニキが悪い……んだろうね、これは」
にぃぃっと、独歩が笑った。
本部以蔵が良い、とは言わない。
あくまで、葛城無門が悪いと言う。
認めたくないのだ、本部以蔵が、葛城無門より優れているということを。
幼少の時期とは言え、心から憧れていたアニキを前に、その兄が何者かに劣っている旨の発言をしたくないのだ。
なんと甘い。
だからそれは、愚地独歩からすれば、六〇点の回答であった。
しかし、真に実戦の場に、傍観者とは言え立ったばかりの発言としては、まずまずといったところである。
独歩は満足気に、口を大きく広げた。
「オウよ。これは、無門くんの手落ち……ふふ、本部め。たまらんなあオイ」
3.
「だまらっしゃいッッ!!!」
埒が開かない展開で、快刀乱麻を断ったのは、徳川光成であった。
闘技場に降り立った光成の声が轟き、賛否の波を飲み込んで、かき消している。
とても老齢の出す声とは思えないほど、ハキハキと通る声であった。
観客たちが静まる。
光成に視線が集まっていた。
審判もまた、助けを求めるように慌てた顔で、闘技場に降りてきた光成を見つめ入る。
光成はサク、と本部と無門の間、二人の直線上より二歩ほど下がった場所に、立った。
「本部以蔵に不正はないッ!」
言い切った。
ザワ……と会場に小さな波が立つ。
「きみたちは、武をなんと心得る?」
光成は問うた。
無門に、
本部に、
観客に、
格闘士に、
そして、己に。
光成は語った。
武の本質、その本懐を。
試合制の弊害──!
武とは。
本来の武とは、華やかなリングの上で、パフォーマンスを競って勝ち負けを決めるのではないッ!!
日常の中で、突如襲いくる暴力!
自身に──
知人に──
愛する人に──
圧倒的弱者に──
強きものから振るわれる暴力がある!!
それを鎮圧してこその武じゃ!!
武とは、
実戦とは、暴力とはッ!!
決められた日時、決められた場所で起こるものではないッ!!
それを、速やかに鎮圧することこそが『武の本番』ッッ!!
リングの上でいかに結果を出せていようと、路上の喧嘩で素人に不覚を取る武になど、なんの価値もないッッ!!
「その上で──諸君らに尋ねよう。本部以蔵がいつ、武器を持ち込んで、使ったかね?」
本部以蔵の格好は、普段着じゃ。
なんの変哲もない背広。
どこにでも売っているズボン。
それを留めるためのベルト。
革靴──。
喫煙者なら、タバコぐらい吸っていよう。
彼の身につけているものの中に、ナイフや拳銃のように、殺傷を目的として、それだけのために持ち込まれたものが、果たして、あると言えるのかね?
「本部以蔵は普段通り──つまり、闘争の場で、武の本番をやっているに過ぎん。で、あるならば、本部くんのやり方を非難する資格はワシらにはないッッ!!!」
ワシも含めて、この会場に、本部以蔵がベルトを身につけることを、注意したものはおらん!
たまたま着けていたベルト。
たまたま履いていた靴ッ。
たまたま持っていた扇子。
たまたま胸に挿していたペン。
ごく日常的にありうる、気の身着のまま。
それらを武の意味で武器と断ずるならば、ワシらは本部以蔵が入場した時に、キチンと注意するべきじゃったろうが。
ベルトを身につけるな!
靴を履くな──と。
「なにせ、地下闘技場では武器の持ち込みは禁止じゃ。しかして、悟られずに持ち込ませた時点で、それはこちらの手落ち。ワシらに本部くんを責める資格はないッッ!!」
光成の覇気に気圧されて、会場が静まりかえっていた。
シン……と空気が張り詰めている。
それを確認して、ぐるりと、光成は本部を見上げた。
ぎょろついた目が、妖怪のようである。
「しかし、本部よ。おヌシの技術が地下闘技場で少し
本部は真顔より少しだけ目を開いた。
感嘆の意を混ぜて、顔を、少しだけ傾けた。
「御老公、お手を煩わせました」
光成はうむ、と頷いて、振り返った。
歩きながら、手を振り上げた。
「続行ッ!!」
審判たちが慌てて闘技場から離れていく。
試合が再開した。
4.
「本部さん、ありがとう」
葛城無門は言った。
本部は、その皮肉を、あえて抱きしめて、微笑する。
「腕が、戻っているね」
本部の言葉通りであった。
葛城無門の腕が、身体の前に来ている。
無門は、会場の意識が光成に集まって、試合が
まだ、手首はベルトで閉じられているが、これで、多少は動きも重心もマシになる。
腕が後ろで縛られているよりは、身体の自由が効くし、蹴るにせよ受け身を取るにせよ、バランスははるかにとりやすい。
そして、本部以蔵はそれを、黙って見過ごしていた。
あの時、控室の何人かの格闘士を除けば、闘技場にいた中で、無門を注視し続けていたのは本部以蔵だけであった。
その気になれば、審判の物言いも光成の話も無視して、本部はいつでも無門の行動を妨害できた。
無門に言わせても、この状態まで貶められたのは、本部が優れた武を振るったからで、武の正当性は、どこを切り取っても本部にあった。
そもそも、審判たちが勝手に本部に物言いを仕掛けただけで、試合が中断された合図はどこにもなかったのだ。
本部が殺す気なら、審判や光成など──第三者を無視してトドメをさせた。
しかし、本部はやらなかった。
なんのためなのかはわからない。
もしかすると、本部は自分がこの状態にされても、返し技を持っていて、自分がそれを使えるかもしれないと思って、追撃をやめたのかもしれない。
あるいは、本部には本部なりの哲学があって、それに従ったのかもしれない。
わからない。
ただ、事実として、自分は殺されていない。
それは無門にとって、間違いなく本部の恩情である。
だから、無門はありがとうと言った。
本部は、無門の邪気のない言葉に、ふ、と息を吐いた。
「降参の気は、なさそうか」
「うん。そのつもりはないよ」
むしろね、本部さん。
葛城無門は笑っていた。
その顔が、惚れ惚れするほど純粋で、光を放っているようだった。
本部の目がグッと見開かれる。
呆れているような、感動しているような動きであった。
無門は言った。
「おれ、ワクワクしてるんだ」
無門が踏み込んだ。
本部の足に向かって、ローキックを放った。
5.
無門は攻めていた。
蹴りで、とにかく蹴りである。
無門は、却ってこれでよかったんじゃないかと思っていた。
パンチは、ほぼ完全に、本部に見切られていた。
威力を受け流され、動作は捌かれ、容易く掴まれる。
捕まれば、本部は瞬時に関節技を仕掛けてくる。
関節技に入られたら、抜け出す手段はひとつしかない。
技が極まる前に抜け出すしかないのだ。
あるいは、花山薫やビスケット・オリバであるならば、関節技を力づくで脱出もできよう。
しかし、葛城無門にそれはできない。
完全に極まった関節技とは、普通、その瞬間に勝ち負けが決まってしまうほど、極悪な技なのである。
無門は、現に、手を縛られるまでは危ない場面がいくつもあった。
だが、足なら?
足技は、まだ、本部に見切られていない。
足は、単純に腕の三倍の筋力がある。
つまり、蹴り技を突き技と同じ捌き方で処理するにも、捌く方にも単純に三倍の筋力や技量が必要になるのである。
フィジカルでは、無門の方が上だ。
だから、力で攻める。
速さで攻める。
余計なことが削り落とされた分、無門の迷いが消えていた。
当たる。
当たっている。
掴まれた。
左のハイキックを、顔と右腕で固定された。
捻られる──前に、無門が跳んだ。
右足で、前にダメ押す。
跳びの前蹴りで、本部の身体がぐらりと傾く。
体幹が、地面から外れた。
チャンスだ──!!
無門は攻めた。
無門が攻める。
モニター越し、愚地克巳が拳を握りしめていた。
勝てる……ッ!
勝てるぞ、アニキッッ!!
顔が、そうと知らずに笑みを作っている。
喜びのあまり、克己は、となりの愚地独歩が、神妙な顔をしていることに気づかなかった。
6.
無門の攻勢は、あっさりと止まった。
最初、左の前蹴りを打って、それが本部の腹部を貫いた。
貫いたのとほぼ同時に、本部が蹴り足を上から叩いたのだ。
膝の部分を。
途端に、無門の足に痛みが走る。
金槌で叩いたような、痺れる痛み。
伸び切った足だった。
ヒットの瞬間、本部の腹筋でかすかに固定された刹那に叩かれた。
次に、同じように、無門は右の前蹴りを放った。
本部が、今度は当たる前に防御姿勢を取っていた。
が、それは無門の予定通り。
無門の足は本部の前で止まった。
無門は左足一本でジャンプする。
高い。
本部の頭部に尻の位置がくるほどである。
そして、右の跳び回し蹴りを放った。
本部は反応できていない。
すんなりと、本部の顔に、無門のつま先が突き刺さる。
倒れながら、蹴り足を、本部が掴む。
無門はまた、左足で迎撃を試みた。
だが、本部の動きが違った。
本部の身体は急に力が抜けて、重心が下に落ちた。
そのまま、前に倒れ込んだ。
つまり、無門の腹の上に、覆い被さるような形である。
無門は動けなかった。
本部が、倒れながら、右手を前に突き出していたからだ。
右手が伸びて、少し曲がり、無門の腰のベルトを掴んでいた。
つまり、無門は体幹を握られてしまっていた。
そのまま倒れた。
闘技場に。
無門は咄嗟に、腹の上に伸びた本部の右腕を起点に、三角絞めに移行せんと動いた。
三角絞めなら、手が縛られていても使える。
この体勢からできる関節技は、十字か三角ぐらいしかない。
途端、無門の腹部にずしんと重たい痛みが生じた。
石を、腹の中に詰め込まれたような、鈍く重い痛み。
それが、無門の腹部を駆け上って、頭頂部を震わせて、頭の外にまで突き抜けた。
跳び上がる痛みだった。
たまらず、無門の腰が浮いた。
「が……あ、っ!!」
と、無門らしからぬ悲鳴が上がった。
つばが口からだらりと垂れていた。
本部以蔵は右手の指を使っていた。
デコピンで、無門の睾丸を弾いていた。
7.
無門はコツカケはやっていた。
つまり、睾丸を腹部に押し上げてはいた。
だが、腰を握って腰から押し倒されて、衝撃で睾丸が外に出てしまっていた。
そこを打たれた。
悶える痛みの中で、無門は思う。
最初っから、全部、手のひらの上だったのか──ッ!?
あまりにも迷いのない本部以蔵の攻撃。
反射で行っていたとは思えなかった。
なぜなら、反射神経なら、本部より自分の方が上だからだ。
『咄嗟』の攻防で、本部が無門を上回るのは不可能だ。
だから、あらかじめ、手順が決まっていたとしか思えない。
つまり、本部以蔵は葛城無門の動き、思考の一切をあらかじめ把握していて、
いつからだ──ッッ!!?
いつ、どこから、自分の動きは操作されていたッ!?
ベルトで、手を縛られた時からか!?
確かに、ベルトで縛られて、自分は足技を主体に攻めると決めた。
徳川光成の中断が入った時からか!?
あの時、意識を自分に向けつつも、本部が何の動作もとらなかったのは、この状況に持ち込みたかったからなのか!?
いや、本部以蔵は、最初のタバコの時点でこうなることがわかっていた──ッッ!!?
悶える無門の思考に、痛みが割り込んだ。
足を、足首を取られている。
アキレス腱固め。
まずい!!
無門は咄嗟に身体を大きく振った。
仰向けからうつ伏せになるように身体を大きく捻った。
本部はあっさりと手を離した。
それどころか、無門の脱出を手伝うように、手を掬って無門の足を跳ね上げた。
うつ伏せになった無門の背に、冷たいものが走った。
しまった──ッ!!
視線が外れた。
意識が外れた。
またしても、動きを操作されたッ!!
葛城無門が眉を顰める。
その首に、本部の腕が回っていた。
8.
「が……かっ……!!」
無門はかろうじて息をしていた。
咄嗟に顎を引いて、頸動脈が直接締められるのを防いだからだ。
しかし、返し技がない。
腹這いに潰されて、本部にのしかかられている。
これが、身体を立たせたままなら、上段蹴りを思い切り振って、背後にいる相手の顔を蹴れる。
しかし、蹴り足を使えるスペースがない。
本部の腕が締まっていく。
膝立ちになった。
腕を差し込めない。
ベルトが邪魔をしている。
無門の膝の上に、本部の膝が乗っている。
だから、金的を狙うこともできない。
「無門くん。きみは本当に素直だ」
耳元に囁かれる本部の声が掠れている。
腕に、更なる力が込められた。
無門は、最後の力を振り絞った。
無門は、残った握力を注ぎ込んで、首に回った本部の腕を掴み、全身のバネを利用して、頭から飛び込むように闘技場に叩きつけた。
頭から落ちるために、なるべく扇状に軌跡を描いて跳んだ。
本部と無門が闘技場に頭から突っ込んだ。
本部の方が先に落ちた。
顔の位置が、無門より上にあったからだ。
その上で、二人分の体重と勢いが、本部の首にぶつかった。
本部の手が離れた。
本部の下から、無門は転がり出る。
距離を取って、上体を立たせて、喉元を手で押さえる。目尻には涙が浮かんでいた。
呼吸を整える。
突っ伏した本部が、ゆらりと顔を上げた。
「すごいよ、本部さん」
吐瀉物をそのままに、無門は笑っていた。
心からの賛嘆であった。
強い──ッッ!!
本部以蔵は、なんと強いのか!!
本部は無言であった。
無言で、無門を睨み上げる。
膝立ちの本部の前に、無門は悠々と歩いて行った。
目の前で止まった。
無門の打撃、蹴りの間合いより、半歩以上近くであった。
訝しむ本部の目の前で、無門は膝立ちに座った。
「──なんの真似かな?」
「アンタの真似」
無門は、屈託なく言った。
9.
膠着していた。
相手を目の前に、お互いに何も仕掛けない。
無門はこの間を利用して、体力を回復させている。
本部のセコンドの花田が苦笑いしていた。
考えたものである。
本部のこの構えの妙理は、実は『猪狩アライ状態』の理によく似ている。
相手が立った状態で、打突を繰り出すからこそ、片膝立ちの側に有利があるのだ。
だからこそ、同じ状態の相手に対する理がない。
いや、こうなって仕舞えば、先に攻撃を仕掛けた方が不利である。
お互いに寝技を使える場合、相手の打撃を
葛城無門は、本部以蔵を相手に、『先の先』での勝負ではなく、『後の先』での勝負をけしかけたのだ。
本部以蔵の武を逆に利用して、その状況に持ち込んだ。
なんという
本部が微笑を浮かべた。
「たまらんな」
と言った。
無門も笑っていた。
ひりつく空気が、ずっとあった。
こうして本部と同じ場に立って初めて、本部と自分の間にある『力の流れ』を実感していた。
それが、この状態になって、初めて、本部と自分の間を漂う『力の流れ』が、綱引きをしているのを感じていた。
なるほど!
本部以蔵が真に制していたのはこれか!!
本部以蔵が真に感じていたものは、これか!!
無門はなるほどと納得する。
力の流れが、こうもはっきりと見えていて、相手の力の流れさえ支配することができるならば、そりゃあ、これが見えていない相手など手玉だろう。
本部以蔵のおかげで、自分は今、新しい世界を垣間見ている。
「ありがとう、本部さ────」
無門が、たまらず感謝を述べた瞬間。
言葉を言い切る前に、無門の人中に向かって、本部の左拳が飛んだ。
10.
無門は、本部の拳を、ベルトによってつくられた腕の輪の中に迎え入れた。
そのまま、本部の背に向けて身体を跳ばす。
本部の左腕を遡って、肩の位置までするりと入り込んだ無門は、そのままスリーパーに移行した。
「か……ああ……ッッ!!」
今度は、本部が膝立ちの姿勢で、無門にスリーパーで締められている。
無門の顔に力が入っていた。
腕に、腰に、力を込める。
最後の力だった。
対峙の最中、体力は回復できているが、腕力はその限りではない。
散々操作され、挙句の対峙の緊張で張り詰め続けた無門の身体は、限界に近かった。
自分の腕に力が籠っている実感が希薄なのである。
残る力で、一気に締める。
ここで決める。
無門が力を込めるために、す、と息を吸った。
その瞬間────
『ちゅどっ』
と音がして、無門の視覚と聴覚は、世界を見失った。
11.
分かっていた──
本部は思う。
経験からの読みを封じられ、反射神経の勝負に持ち込まれた時点で、
同じことをやられると、才能の差をイヤというほど思い知る。
葛城無門──
マチガイなく天才だ。
範馬刃牙や、渋川剛気と同類の格闘士だ。
自分とはモノが違う。
それでも、
それでも……、
本部は笑った。
残った右腕で、ポケットをまさぐった。
それでも、勝ち負けとなれば、ハナシは違うぜ。
武の
そうして、掴んだそれを取り出して、思い切り地面に叩きつけた。
────『ちゅどっ』
12.
『え、煙幕ゥーーーーッッ!!?』
実況が叫んだ。
混乱の声であった。
観客も、格闘士たちも、徳川光成や滅堂たちですら、困惑していた。
勝負が決まる瞬間、本部が右ポケットから何かを出して、それを闘技場に叩きつけた。
それが、まさかの爆薬であり、煙幕だった。
もうもうと白煙が昇り立ち、闘技場を覆い尽くした。
煙が晴れた時、そこにいたのは無門だけであった。
無門自体が、呆然とした顔で、顔を庇っていただろう手が宙ぶらりんであった。
『にッ……にッッ……!!?』
13.
「そんなんアリかよッッ!!?」
と叫んでいるのが加藤であった。
隣で爆笑しているのが獅子尾龍刃であった。
愚地克巳もぽかんと口を開けており、隣の愚地独歩は大口を開けて笑っている。
範馬刃牙は克己同様ぽかんと口をあけて汗をひと筋かいている。
渋川剛気は爆笑していた。
別所でモニタリングしている、ビスケット・オリバやゲバルは手を叩いて笑っていた。
「あーあーあー、はいはいナルホドね……」
ひとしきり笑い終わって、目尻の涙を拭いながら、龍刃が言う。
加藤が詰め寄った。
「どーいうことだよオッサンッ!?」
「どってことはないさ。あれが、本部以蔵の武の姿なンだよ」
「はァ!?」
龍刃は説明した。
地下闘技場。
大勢の客がいる。
その中に、本部の命を狙う刺客がいないとは限らない。
「し、刺客ゥ!? お、オッサンよ。いくらなんでもマンガの読みすぎだぜ? ンな大袈裟な……」
「大袈裟じゃねェさ」
と、話に割り込んできたのが愚地独歩であった。
本部以蔵。
伝説の男である。
表沙汰だけでも、幾人もの空手家をはじめとする武術者が、この男に壊されている。
武の世界は『
武の世界を歩む限り、他者からの怨嗟を積み重ねるのは、至極当然のことだ。
ならば、本部に怨を持ち、その隙を狙う連中もいて然るべし。
もし、闘技場の観客の中に、本部を狙う刺客がいるとしたら?
もし、刺客の見ている前で、本部がスリーパーで失神して倒れ、身動きが取れなくなっていたら?
刺客が舌なめずりして、ナイフを片手に飛び込んできたら?
「…………ッッ!!」
「殺されるぐらいなら負ける。負けるぐらいなら逃げる。いっそ清々しいまでに、武に生きる者の姿だわナ!」
愚地独歩はにこにこと笑っている。
同じく、獅子尾龍刃もニコニコであった。
加藤は納得いってない顔であった。
龍刃と独歩の言い分。理解はまあ、なんとなくできる。
しかし、納得は別である。
「ま、誰より納得できてねェのは、無門くんだろうぜ」
それはそうだ。
無門からすれば、己の手で勝利を掴むハズが、相手に勝利を譲られたのだから。
相手を倒すという
格闘士として、
武の世界に生きるものとして、
獅子の世界にある漢として、
これほどの屈辱もなかなかないだろう。
事実、無門は闘技場の真ん中で、苦心に顔を歪めていた。
顔を俯かせて、歯を噛み締めて、身体中にうずく、果たされなかった
が──ふ、と息を吐いて、顔を上げた。
「ちえっ」
言った。
「逃げられたんじゃ、しょうがないか」
闘技場から、無門が退場する。
その背が通路に消える寸前、ようやく、勝利者コールがなされたのであった。
一回戦第四試合、勝者:葛城無門!!?
一回戦Aブロック終了 次回 インターバル(本筋で書けなかった選手たちの掛け合いなど)