【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

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本編で書けなかった選手たちの掛け合いなどです
読まなくとも本筋にはあまり関係しないやりとりとなります。 
5/5 ちょっと修正
5/7 誤字修正(つーか名前間違えてましたすんません…)


インターバル
インターバル


 

【愚地独歩&松尾象山】

 

 

 範馬刃牙対宮沢熹一の試合の後である。

 松尾象山は姫川勉と別れていた。

 試合を見届けるや否や、松尾象山がトイレに行く、と言ってその場を離れたのだが、遠ざかる太い背中を観て、姫川は呆れたように目を細めて、浅く息を吐いた。

 振り返る直前、松尾象山の顔には嬉々とした、太い笑みが張り付いていたのである。 

 ただトイレに行く、というには声が弾んでいた。

 隠す気のない好奇と企みの情は、姫川でなくとも察するに余りある。

 元々、松尾象山はそういった情感を隠そうともしない男であるが、強者ひしめくこの場に置いて、その童心は呆れ返るほど喜びに満ち満ちていて、真っ直ぐで分厚かった。

 

 松尾象山がトイレに入る。

 象山以外誰もいなかった。

 小便器と個室の間、当たり前だが一本道の途中で、象山は立ち止まった。

 

 止まってから、その背に、太い声がかけられた。

 

「松尾さん、ホントに現役復帰したんですねェ」

 

 感心の音色であった。

 それはそのまま、松尾象山への賞賛を奏でている。

 松尾象山がゆっくり振り返った。

 野生動物が、獲物を確かめるために、のそりと身体を持ち上げるような動きである。

 象山の視線の先にいたのは、愚地独歩であった。

 松尾象山は、その太い指で帯を掴みながら、言った。

 

「そうだよ、愚地さん」

 

 どうでェ? と続けた。

 太い唇がクレバスのように広がっている。

 大きな顔に相応の、大きな口であった。

 にぃ……と愚地独歩は静かに笑う。 

 松尾象山の身体は、見るからに疼いていた。

 帯を摘んだ理由こそ、歓喜に震え、今にも手を出さんとする衝動を抑えるためであろう。

 愚地独歩もそうであった。

 

 こりゃあ、仕掛けられないな。

 と独歩は思った。

 松尾象山の心身が熱を纏っている。

 それは、いつ、どこでも闘争(たたか)いに身を投じることのできる、狂気の具現であった。

 松尾象山は一分の隙もなく、狂気に満ちている。

 お互い、昂る理由は論じるまでもない。

 範馬刃牙と宮沢熹一の試合を観たからだ。

 あれ以降、松尾象山に限らず、格闘士たちの放つ空気が疼いている。

 そのまま放置していれば、もう、その場で誰かと誰かがおっぱじめちまうんじゃないかと、不安になるほどに。

 そう言った意味で、トイレという逃げ場のない空間に、武道家がふたり。

 出入り口の近くに愚地独歩がいる。

 愚地独歩が松尾象山をここに追い込んだのか。

 松尾象山が愚地独歩をここに誘い込んだのか……

 

「いいねえ、松尾さん」

 

 いい緊張感だね、と独歩は言う。

 にこやかな表情が、しかし、太い。 

 松尾象山は太い指で顎を掻いた。

 独歩に、自らの企みが見抜かれていると気づいたのか、照れ隠しような振る舞いであった。

 

「愚地さん、やめとこうぜ。ヤりてェ気持ちは理解(わか)るけどよ、御老公のメンツを潰すワケにゃあいかないだろう」

「松尾さん。じゃあ、なんで、すり足で近づいてるンだい?」

 

 言われて、象山は歩みを止めた。

 距離が詰まっていた。

 松尾象山の蹴りの間合い、その半歩前まで。

 松尾象山が太い笑みを浮かべた。

 目が、どこを見ているのかわからない。

 喜びに押し上げられて、上擦っている。

 

「おっとっと……いけねえなあ」

 

 つ、と松尾象山が後ずさった。

 その瞬間、

 

「しいっ」

 

 と、愚地独歩の前蹴りが飛んだ。

 松尾象山は、

 

「むん」

 

 と呼気を固め、片腕でそれを受け止めた。

 片腕である。

 あの、愚地独歩の前蹴りを、松尾象山は片腕で止めて見せた。

 受け止めた腕を戻さない。

 そのまま、独歩の足の上を滑らせた。

 拳を握っていた。

 独歩の蹴りの衝撃を溜めに利用して、太い裏拳が、愚地独歩の顔目掛けて昇っていく。

 

 それを、独歩は顔を振って避ける。

 メガネが跳んだ。

 それが床に落ちる時には、ふたりは拳を出せる距離で、腰を落として向き合っていた。

 

 にい、と笑みが深まっていく。

 どちらの笑みも、太い。

 

「正当防衛だよなあ、これは」

 

 象山が言う。

 

「そうだよ」

 

 独歩が言う。

 

「松尾さんが、あんまりにも魅力的過ぎるのがワルいンだぜ」

「愚地さん。本当に、こういうところは子供だねえ」

「うれしいくせに」

「まあね」

 

 言い合いながら、松尾象山の顔にこそ、喜色満面の童心が浮かんでいる。

 

 と、そこに水が刺される。

 パン、と手を叩く音が、愚地独歩の背後からした。

 愚地独歩は振り返らない。

 しかし、両者共に動きは止まった。

 松尾象山も愚地独歩もお互いから目を外さない。だが、仕掛けんとするふたりの心、その機微は的確に抑えられていた。

 見事なタイミングであった。

 愚地独歩は意識だけを、微かに、背後に向けた。

 

「流石は愚地先生。この状況になってなお、仕掛ける隙がありませんね」

 

 中性的美貌の持ち主であった。

 武道家にしては、頬にかかる程伸ばした黒髪が細やかに揺らいでいる。

 北辰館の姫川勉であった。

 姫川は、空手着のふたりと違い、スーツに革靴という、普段着であった。

 艶かしい視線が、独歩の背を舐めた。

 

「館長、なにをやっているんですか」

 

 嗜めるというよりは、叱る声色であった。

 松尾象山はふ、と気構えを解いた。

 にこりと、朗らかな笑みを姫川に投げやった。

 

「姫川ァ。男がふたり、連れションしてて、何がワルいンだい?」

()()()()があったようですが……?」

「そりゃあよ、連れション中なんだ。おしゃべりのひとつやふたつ、するだろうよ」

「…………」

 

 姫川はふう、と息を吐いた。

 諦めのそれである。

 松尾象山が悪い悪いと、全く悪びれずに笑う。

 愚地独歩は警戒を解いていない。

 だから、姫川は歩を進めない。

 近づかない。

 その場で、言葉を紡ぐ。

 

「館長も、愚地先生も、わたしの顔はともかくとして──御老公の顔を立ててあげてください」

「うん。姫川くんに言われちゃあ、しょうがねェなあ」

 

 愚地独歩はメガネをひろい、それをかけずに手の中に握り、ゆらりゆらりと姫川に近づいた。

 正確には、出入り口に向かって歩き出した。

 姫川は凛とした表情であった。

 松尾象山は、少しずつ遠ざかる太い背中を見て、やはりね、と笑っていた。

 仕掛けられないねえ、と。

 姫川とすれ違った。

 お互いに、意識は向けながらも、仕掛けなかった。

 

「それじゃあ松尾さん、姫川くん。縁があったら、()で会おうゼ」

 

 最後まで言葉にたっぷりと含身を込めて。

 そうして、愚地独歩は飄々と立ち去ったのだった。

 

 

【範馬刃牙&宮沢熹一】

 

 

「せやからのぉ刃牙! そのリアルシャドーってのはなんやねん!!? そんなのワシは知らんでっ!!?」

「まいったなァ、なんて説明したらいいんだか……」

 

 東京ドーム駐車場。

 Aブロックの全過程を終了して挟まれたインターバル中である。

 宮沢熹一──キー坊は刃牙と話をしていた。

 キー坊が、『なぜ刃牙が灘神影流もとい、キー坊の動きを悉く知っていのか』を知りたがったのだ。

 灘神影流は腐っても門外不出の秘術である。

 T.D.Kやハイパー・バトルで全世界放送をやっておきながら何を今更……と言う話でもあるが、灘の当主たるキー坊には刃牙の謎を知っておく必要があった。

 敵だった男に、恥も外聞もなく秘訣を聞きに来るキー坊の純粋さに笑みを溢しつつも、刃牙は謎解きのためといい、東京ドームの駐車場までキー坊を誘った。

 

 駐車場は、静かであった。

 人気がない。

 それもそのはずだ。

 今日に限っていうならば、東京ドームという土地、地盤そのものを、徳川光成が完全に借り切って独占しているのだ。

 だから、地下闘技場の関係者以外の他者はいない。ドームに入ることもできないのだった。

 それでも、車がまばらに停まっている。

 刃牙とキー坊は横並びに並んで、それらを背景に歩いていた。

 開けた場所で、ふたりは立ち止まった。

 刃牙がキー坊に振り向く。

 

「この辺かな」

「ここで、何をするんや?」

「何って、ここでヤるんですよ」

「やる? ……ま、まさか刃牙ちゃん。また、ワシとやるつもりか?」

「いやいやいやいや、流石にそれはね。おれも、まだ次の試合のために、体力残してたいですし。こいつは色々説明するより、見てもらった方が早いと思って……」

 

 そう言って、刃牙がTシャツを脱ぎながら、キー坊の前に歩み出た。

 そうして、構えた。

 いつもの刃牙の構え。  

 視線の先には、十分に手足を伸ばせる以上の空間と、シャッターの壁しかない。

 キー坊は腕を組んで、鼻息を鳴らし、何が起こるのかを凝視する。

 

 と──

 

 刃牙の、目の前の空気が歪んでいく。

 それは、キー坊の目にはっきりと見えた。

 いや、心眼の鍛えを常とする、灘神影流当主たる宮沢熹一だからこそ、よりリアルに、より実態を伴ったカタチで見えている。

 

「なにっ!?」

 

 刃牙がそれを見上げている。

 身体に緊張が走っていた。

 

「な、なんだあっ!!?」

 

 何もない空間から現れたのは、男だった。

 身長、一九〇センチメートル強。

 体重、一〇〇キログラム強。

 大男である。

 全身黒い服を着ていた。

 カンフーシューズを履いている。

 それには、質量があった。

 異常に隆起した筋肉だけではく、金属的な光沢を放つ、皮膚の色艶すら見えるではないか。

 方方に靡く髪の色が、血色を煮詰めた紅蓮であることも、わかる。

 その顔が、悪魔的な笑みを浮かべ、刃牙を見下ろしているのがわかる。

 その目付きが、刀剣──を超えて、もっと荒々しい、牙のような獰猛さと鋭さを備えているのがわかるッッ。

 

「刃牙、この男って……ま……まさか」

 

 キー坊の額に、ねばっこい汗の粒が滲んだ。

 男の放つ獣臭すらもがはっきりとわかる。

 男の量感、闘気の質──すなわち戦闘力の高さもまた、キー坊にははっきりと見えていた。

 男を見上げる刃牙の表情が、苦笑じみて歪んでいる。

 

 そして、決着は、たったの一発でついた。

 両腕を持ち上げた男の、無造作なパンチ。

 刃牙は反応すらできない。

 正面からボディへの一撃。

 その、たった一発で、刃牙は身体ごと吹き飛ばされ、キー坊を横切って地面を転がった。

 腹を抑え、吐瀉物を吐き、苦悶に顔を歪めている。

 もう、男は消え去っていた。

 

「刃牙っ! 大丈夫かあっ!?」

 

 キー坊が駆け寄って腕を取り、刃牙を立たせた。 

 持ち上がった刃牙の身体を見て、ゾッとする。

 刃牙の腹部には、パンチの痕があった。

 それはつまり、空虚から現れた男の、空虚から放たれたパンチが、質量と実体を伴って刃牙を殴ったことの証明である。

 

「これ、が……リアル、シャドーです……」

 

 キー坊に支えられて、息も絶え絶えに、刃牙が言った。

 キー坊は納得するしなかった。

 極限のイメージによる、極めてリアルな独闘。

 これを、刃牙は毎日、自分をイメージして行なっていたわけだ。

 キー坊の中でなるほどと、闘技場での刃牙の言葉が腑に落ちる。

 パワーもスピードもテクニックでも、刃牙とキー坊には大して差がなかった。

 経験──引き出しの豊富さや爆発力もよくて()()()()だった。

 あの戦い、勝敗を分けたのは相手への慣れの差だったのだ。

 互いと戦ったことがあるかどうかという経験と慣れの差である。

 キー坊は、刃牙と戦うのは初めてだった。

 しかし、刃牙はあの場に至るまでに、何百何千という数、()()でキー坊と戦っていたのだ。

 しかし、驚いている。

 恐ろしさを感じている。

 キー坊も古今東西様々な強者と巡り会ったが、これほどレベルの高い独闘を使いこなす男は初めて見た。

 刃牙は、見えないものを創造(つく)りだす能力を持っている。

 つまり、範馬刃牙とは格闘において、キー坊が出会った男たちの中で、最もクリエイティブな才覚を発揮できる男なのである。

 得心がいった。

 自身に、刃牙が勝てたことに。

 同時に、キー坊の心臓が高鳴っていた。

 ひとりの武人として、改めて刃牙の才能を認め、実感している。

 その恐るべきポテンシャルが、キー坊の心に小さな火を灯したのである。

 

「熹一さん。アナタがおれと戦った時、アナタは全力は出してこそいたけど、おれに手心を加えているのがわかった」

「…………」

 

 それは、ある種の事実である。 

 灘神影流は、源流を辿れば武術というよりは、純粋な殺法である。

 その秘技の数々は、より効率的に人を殺す術に長けており、より効果的に人を苦しめる術に長けている。

 はっきり言って、現代社会においては不必要な技術の結晶なのだ。

 キー坊の父、宮沢静虎が灘神影流を用いて活法に傾倒している実情は、その複雑怪奇な人生経験だけではなく、現代における殺法の在り方を詮索した結果でもあるのだろう。

 つまり、キー坊は試合では決して使わないと決めている技がある。

 殺傷能力が高すぎるあまり、試合には不適切な秘技を有しているのである。

 

 ──ガルシア

 

 と、キー坊は心中である男を思い出していた。

 悲しみと懐かしさを織り交ぜて、複雑な心境に眼を細めていた。

 

「……それでも、勝ったんはおまえやで、刃牙」

「ま、それは、おれもそう思うんだけどさ!」

「……へ、調子がええのう! かーっ、言いおるわい!」

「……で、今、おれが思い描いた男が……」

「範馬勇次郎、やな」

「……はい」

「いやあ、おっそろしいのお。刃牙ちゃんの想像がどこまで正確かわからんが、ハハ、ありゃあ鬼龍じゃハナシにならんわな」

「…………?」

「あっ、こっちのハナシや」

 

 刃牙は気にせんでええ。

 と言って、向かい合った刃牙の胸を軽く叩いた。

 

「熹一さん。これで、おれはひとつ、手のうちを見せたワケだけど……」

 

 刃牙がうつむきながら、申し訳なさげに頭を掻いた。

 キー坊はにやりと笑った。

 刃牙の下心を察したのである。

 

「ははぁん。刃牙ちゃんや、ワシに教えてもらいたいことがあるんやな?」

「教えてもらいたいっていうか……組み手の相手をして欲しいっていうか……」

「刃牙ぃ」

 

 がしっと、キー坊が刃牙の肩に腕を回した。

 

「遠慮なんかせんでえーんやで。ワシら、心からやりあった仲やないか。協力して欲しいんやったら、いくらでも胸を貸してやるわい!」

 

 ワシでええならな!

 と笑った。

 キー坊の言葉は真っ直ぐであった。

 刃牙は戸惑った。

 眩しいほどに、まっすぐな情をぶつけられたからだ。

 嘘はない。

 キー坊の眼を見て、刃牙は確信している。

 その言葉は、キー坊自身が歩んできた道ゆえの言葉であるのだろう。

 

 幼少の時から、キー坊は様々な人に支えられてきた。 

 その時々で、相手と戦って勝つために、たくさんの人がキー坊のために時間と力を費やしてくれていた。

 だから、その心を、言動を、今度はキー坊自身が他者(ひと)に分け与える番なのだ。

 そう思っている眼であった。

 

 刃牙の事情が並々ならないことは、キー坊にはなんとなくわかっている。

 わずか十七歳で、地下闘技場のグランド・チャンピオンになっている男だ。

 ()()範馬勇次郎の息子なのだ。

 範馬刃牙は、強くならねばならないのだろう。

 範馬勇次郎のためにも。

 自らの人生を切り拓くためにも。  

 だったら、キー坊にその手伝いをすることに迷いはなかった。

 共に、もっともっと強くなれる。

 なら、手を差し伸べることに、何の迷いがあろうか。

 

「あ、あの……」

 

 刃牙は、やはり戸惑っていた。 

 相対したこともある格闘士から、ここまで真っ直ぐな視線を向けられたのは初めてだった。

 武道家は、所詮自分第一の生き物だ。

 少なくとも、刃牙の見てきた武道家はそうだった。

 愚地独歩や本部以蔵ですら、根底にはそれがある。

 範馬勇次郎は言うまでもない。

 だから、刃牙はこの提案がキー坊に突っぱねられることも思案していたのである。

 それが、こうも易々と受け入れられるとは。

 

「なんじゃ、不満そうじゃのう。ワシでは相手にならんか?」

「いやっ、そうじゃなくて……」

 

 刃牙は頭を掻いた。

 口をへの字に曲げて、首を二、三度振った。

 ややうつむきながら、おずおずと手を差し出した。

 

「よ、よろしくお願いします」

 

 キー坊はにっこりと笑った。

 笑って、揚々と刃牙の手を握り返した。

 

 

【ビスケット・オリバ&ロロン・ドネア】

 

 

「オヤ……どこかで見た顔だと思ったら……やっぱり、ロロン・ドネアじゃないか」

 

 流暢な日本語で話しかけられて、ロロン・ドネアは静かに、ビスケット・オリバを睨み上げた。

 

「アンチェインか」

 

 朴訥な表情で、ロロンは言った。

 対して、人懐っこい笑み浮かべて、ふふん、と、懐かしいねェとオリバは笑った。

 

「今は煉獄で絶対王者をやっていると聞いていたが、元気そうでなによりだ」

「…………」

 

 お淑やかな口調ではあるが、いささか皮肉めいた音である。

 いかにもビスケット・オリバらしいセリフであった。

 ロロンは平静を保っていた。

 心に、一点の澱みもなかった。

 

「意外だな」

「何がだい?」

「『世界最自由の男』が、格闘大会に名乗り出るとは」

「おいおい、わたしを何だと思っているのかな? わたしがどこで何をしていようと、それはわたしの自由だよ」

「おまえの自負心が、このトーナメントで満たされるとは思えんが……何が狙いだ?」

 

 ビスケット・オリバ。

 アメリカで最も喧嘩が強い男である。

 そして、世界で最も自由な男でもある。

 その存在は法治国家において、あろうことか法の外に位置し、

 『鬼神(オーガ)』こと範馬勇次郎。

 『怪物を超えた怪物』こと宮沢鬼龍と並び、自らの地位と力の証明を、()()()()()()()()()()()()()()男なのである。

 ビスケット・オリバという人間は、自負と傲慢さを満たす意味で、既に人と競う必要のない領域にいる。

 

 ましてや範馬勇次郎や宮沢鬼龍と違い、ビスケット・オリバは今でも必要とあらばハンターとして、アメリカに依頼されれば戦地にも赴き、その智と暴を存分に振るっているのである。

 現在も続くフィリピン内戦──ロロン・ドネアがかつてフィリピン軍の部練教官として勤めていた時も、アメリカ軍かCIAに依頼されたのか、ビスケット・オリバは戦地に降り立って、暴力の限りを尽くしていた。

 まだ若き範馬勇次郎とも、ロロンは……

 

 その記憶は、ロロンの脳裏に強烈に焼き付いていた。

 

 だから、ロロンは訝しむ。

 ビスケット・オリバが格闘大会に参加する?

 なんの意図がある?

 なんのメリットがある?

 地位も名声も、富も──何より自由を、ビスケット・オリバは余りあるほど持っている。

 徳川光成に頼まれたとて、断ることは容易いはずだ。

 

「力試しだよ」

 

 とオリバは言った。

 

「力試し……?」

 

 ロロンの眉がすこし吊り上がる。

 そうだよ、とオリバは続けた。

 

「実はね、最近わたしもショックな出来事が続いていてね。それなりに……それなりにではあるがネ、危機感というものを感じているのさ」

「…………」

 

 オリバは飄々と言ってのけた。

 芝居掛かった困惑の表情で、口をへの字に大きく開いて、軽く、首を振っている。

 本心からの言葉とは到底思えない。

 しかし、オリバがなんらかの意図があって、この場にいることは理解できた。

 

「まあ、いいだろう」

 

 ロロンは自らの思念を切って捨てた。

 ビスケット・オリバは『世界最自由の男』。 

 その行動はまさに名は体を示すがごとく、少なくとも意図を探ったところで己の立ち位置とは関係がないだろうと結論づけたのである。

 この大会、ロロンの視座から見ても、雑念を描いたまま勝ち抜けるほど甘いものではない。

 

「どうだね、大会が終わったら一杯やらないか?」

「遠慮しておこう」

 

 ロロンはそっけなく立ち去った。

 オリバはやれやれと息を吐いた。

 オリバは、どちらかと言えばロロンに自分が嫌われているのも自覚した上であった。

 思い通りにならないものは、オリバにとって、嫌いだが、好きである。

 自分を相手に、思い通りを押し通そうとする男など、この頃めっきり減ってしまっていた。

 

 オリバも踵を返した。

 その顔が、人に見せられそうもない、下品な笑みを浮かべていた。

 

 

【葛城無門&花田純一&神奈村狂太】

 

 

「いやァ、無門くんも落ち込む必要はないぜ。結果的にはオヤジ相手に勝ったんだし、大したモンさ」

「花田さん。全然励ましの言葉になってないよ、それ」

 

 ゆるゆるした花田の言葉に、無門はいやに刺々しく言葉を返していた。

 本部以蔵の逃亡後であった。

 腑に落ちぬ気持ちを抱えたまま歩く無門に、花田純一は軽々と話しかけていた。

 まだ、本部以蔵は戻ってきてはいない。

 花田が言うには、そのうち戻ってくるだろうとのことだが、この適当な男の言うことである。

 どこまで信用できるものか……

 

「だいたい、花田さん、初対面なのに馴れ馴れしすぎじゃない? 誰に対してもこの距離感なの?」

「いやァ別に、おれにだって好き嫌いぐらいあるよ」

 

 ただまあ、と続ける。

 

「無門くんって、プロレス(この)業界だと、ちょっとした有名人だからネ」

 

 花田がいやらしく笑って言った。

 極東プロレスのゴブリン春日と町田隼人を野試合で破った男──

 それが、プロレス界隈での、花田の知る葛城無門の名声であった。

 ゴブリン春日は、もともとマウント斗羽の下でプロレスをやっていたレスラーである。

 つまり、花田からすれば先輩レスラーに当たる人物である。

 故に、ゴブリンのエゲツなさと強さを、花田は他の先輩レスラーたちから伝え聞いていた。

 そもそも、他団体のプロレスはエゲツない手を使って潰しにかかるマウント斗羽の下から独立して、新団体を旗揚げしている時点でレスラーの視点から言えば命知らずである。

 実際に極東プロレスは興行不振を理由に解散しているものの、本当の理由はタニマチの暴力団との不和から『壊し屋』を派遣され、ネームドレスラーを潰されたことに起因していて、マウント斗羽の『他団体潰し』とは無関係だと花田は知っていた。

 

 その恐ろしくてエゲツないゴブリン春日を『ゆうえんち』で──つまり、なんでもアリで倒してのけたのが、この葛城無門なのである。

 

 それゆえか、花田は無門に興味津々であった。

 

「花田さん、そんなにおれと話がしたいなら、まず本部さんを連れてきてよ」

「つれないこと言うなよ無門くんさァ。『逃げの一手』に全振りしたオヤジを捕まえるってェのは、縁日でであった運命のカワイコちゃんに、ある日街中でばったり会うぐらい難易度高いんだゼ」

「例えがよくわかんないんだけど……」

「ま、トシも近いんだし、オヤジに翻弄されるワカモノどーし、仲良くしようぜ」

「…………」

 

 無門が呆れ顔で花田を見ていた。

 そこに、

 

「ずいぶん仲が良さそうじゃないか」

 

 と、落ち着いた声が割り入った。

 聞き覚えのある声であった。

 

「神奈村さん」

 

 ふたりの前に、神奈村狂太が立っていた。 

 相変わらずツイードのスーツを着て、きっちりネクタイを留めている。  

 眼鏡に、後ろ髪にまとめた艶のある髪。

 無門の記憶通りの神奈村狂太であった。

 

「あれ? 無門くんも、神奈村さんと知り合いなの?」

「えっ? 花田さんも知り合いだったの?」

 

 花田は驚きを浮かべていた。

 無門が聞けば、神奈村狂太は本部以蔵と知り合いであり、かつて本部道場に訪れた神奈村の()()()()を担当したのが花田とのことだった。

 

「あっ、おれ、わかっちゃった!」

 

 自信満々に、花田が鼻を鳴らした。

 

「無門くん、神奈村さんの子供で……」

「違うよ」

「はやくない?」

「違うからね。うん、とにかく違う」

「ちえ、おれのカンも鈍ったなあ」

「ふふ。まあ、ぼくと無門くんは親戚ではあるけどね」

「それで、なんのようですか、神奈村さん」

「無門くんを褒めたくてね」

「褒める?」

「うん。見ていて、無門くんが自覚してるから怪しかったからね。あの本部以蔵を、武を使用(つか)わせる段階まで追い込んだのは、スゴいことなんだってことを」

「……どういう意味ですか?」

「シンプルな話だよ。()()本部以蔵が、このような催しの場で、『武』を行使しなければならなかったというのはね、たいへんなことなんだよ」

「…………?」

 

 神奈村狂太の声は、多分な含みを孕んでいた。

 無門は頭を捻る。

 花田は、その含みに気づいているのか、あるいは気付かされたのか、その顔に、うっすらと恐怖の滲んだ笑みが浮かんでいた。

 

「本部さんは、もしかして、あそこから返し技があったってことですか?」

 

 無門の疑問に、神奈村は相槌を打った。

 

「半分正解だよ」

 

 半分?

 どういうことであろうか。

 本部以蔵が、あの状態から返し技を持っているなら、なぜ使わなかったのか。

 あそこで逃亡(にげ)ることが武だと言うこと自体、無門にはピンときていない。

 無門の疑念は顔に出ていたのだろう。

 神奈村はうん、と頷いて、

 

「それはね、無門くん。本部さんが逃亡()げを選んだ理由はね。あそこから本部さんが有する『武』を攻撃に向けていたなら、地下闘技場では行き過ぎた行いになってしまうからだよ」

「……おれが、本部さんに殺されていたってことですか?」

「死ぬなら、殺してくれるなら、まだマシだろうね」

「…………」

 

 神奈村の言葉は冷たかった。

 冷徹で、淡々としていて、それだけに嘘を言っているとは思えない。

 無門自身、神奈村の物言いには心当たりがあった。

 存在してはいけない技のことである。

 武の世界において、本来最も尊ばれるべき技術でありながら、現代においては存在するべきではない技のことである。

 効率よく敵を破壊し、破壊した敵のその後の人生を大きく変えざるを得なくなる技のことである。

 現代の武の倫理においては、()()の使用が許容(ゆる)される場は決まっている。

 圧倒的弱者に対する暴力──

 愛するものの重篤な危機──

 そして、戦争。

 それら非日常的な例外時にのみ、使用されるべき技である。

 

「…………」

理解(わか)ったようだね、無門くん。きみが、本部さんに『武』を発揮させたことは、称賛されるべきであり、同時に、きみは本部さんに、とても大事なことを教えてもらったんだよ」

 

 神奈村狂太は振り返る。

 

「でも、ま。本部さんが戻ってきたら、きみは怒っていいとも思うけどね」

 

 

 

【梶隆臣&フロイド・リー&マルコ&????】

 

 

 高速道路を車が走っていた。

 五人乗りの白のワゴン車である。

 

「はい、わかりました、貘さん。いまフロイドさんとマルコと一緒に向かっているところです」

 

 助手席に座っていた青年が、ポケットに携帯を仕舞った。

 黒髪中背で黒スーツの男である。

 ハンドルを握るのはフロイドと呼ばれた白スーツの男だった。

 後部座席には大柄で、純朴な瞳の男──マルコがいる。

 

「梶、嘘喰いはなんて?」

「あっ、はい。今ちょうど一回戦のAブロックが終わったところだそうです。今の所目立った動きはないって……」

「梶〜っ! 貘兄ちゃんなんて言ってた? マルコも電話するよ! 応援に行くよ!」

「マルコ、貘さんは大丈夫だからちゃんと座ってて! 車の中で飛び跳ねるとめちゃくちゃ揺れるから!!」

 

「……今だに信じられねーぜ。こいつがあの『廃ビルの悪魔』、ロデムだったなんてよ。そのルーツに陰謀をビシバシ感じるぜ……それで、梶ちゃんよ。おまえの専属の門倉立会人とはどこで合流できんだ?」

「あ、はい。門倉さんとはこの先のパーキングエリアで落ち合うって話ですけど……」

「ちょっと遠いな」

「……あの、いまいちピンときてないんですけど」

「どうした、梶?」

「なんで、その……貘さんと伽羅さんが、地下格闘技大会に?」

「…………」

「それに、フロイドさんまで一緒ってことは、ただごとじゃないですよね……?」

「どっから話したもんかな……」

「…………」

「まず、結論から言うと、『暗謀』が潰されかかってる」

「暗謀……って、確か、賭郎の……」

「そうだ。内閣暗流諜報謀略室、通称『暗謀』。倶楽部賭郎の先代お屋形様、切間創一が設立した内閣直轄の秘密組織。そいつを今、潰したがってる連中がいる」

「つまり、それって……」

「そうだ。賭郎と()()を構えようって連中が、国内にいるのさ。そいつらが大船額人の暗殺を企んでいることがわかっている」

「大船さんを……!? な、なんで……っ!?」

「連中の筋書きはこうだ」

 

 防衛庁の大物取りに巻き込まれたが、事件解決と共に大船額人は生還できた。

 しかし──その『大物』の取り巻きが、逆恨みから大船額人を狙い、暗殺を企んでいる。

 その情報を『暗謀』は先んじて把握していたが、大船額人は無惨にも暗殺されてしまった。

 暗謀は表向きは『対テロ』のために造られた組織だが、防衛庁の職員(自分たちの味方)さえ護ることができなかった。

 それをニュースで繰り返し流し、国民感情を刺激して世論を暗謀解体に持っていく。 

 その中で、ふと、暗謀解体に携わっていた()()()の誰かが、倶楽部賭郎の存在を()()()()知り、世の中に暴いてしまう────

 

「……だからハルは、貘さんと別れて……」

「おそらくそうだ。切間創一……いや、蜂名直器は今、賭郎の戦力の半分を引き受けて、大船額人の護衛についている」

「……そっ、そんなことができるって……っ!?」

「敵は相当な大物()()さ。日本の政財界に強く根を張るだけじゃなく、世界規模でその力を行使できる連中……」

「……まさか、ヴァイス・ファンド!?」

「半分正解だ。梶、ついこの間、嘘喰いがアフリカの反政府組織、『アル・ヒーブル』を喰ったのは知ってるな?」

「ええ、ヴァイス・ファンドの七大組織……その一角を落としたんでしょう?」

「そうだ……が、そうそううまくはいかなかったんだ」

「と、言うと?」

「……梶。おまえはなんで、アル・ヒーブルが、わざわざ嘘喰いと賭郎勝負をしたと思う?」

「……? ヴィンセント・ラロの残した遺産が欲しかったからでしょう?」

「それもある……が、それは一番の理由じゃない」

「…………?」

「アル・ヒーブルのリーダー。シンバは()()()()()んだよ」

「焦って? 何に?」

「梶、おまえは純・ゲバルって男を知ってるか?」

「……いや、聞いたことないです」

「だろうな。この男の存在は、外部に漏れないように、アメリカが全力で陰謀を巡らせてるからな」

「────?」

「純・ゲバルっていうのは、一国を率いてアメリカと敵対し、アメリカに勝った男の名前だ」

「──なっ!?」

「今から一年ぐらい前だ。アメリカが傘下に置いていた南米のとある島が、独立を宣言した。人口二万人にも及ばない小さな島だ」

「…………」

「その指導者が純・ゲバル。この男の無謀とも言える独立運動を、あろうことかアメリカは止められなかったのさ」

「……なんでですか? そんな小さい島、アメリカならどうにでも……」

「ゲバルの独立宣言時、既に、アメリカ全州および、大統領警護のSPたちの中に、ゲバルの『搦手』が入り込んでいたからだ」

「搦手──!」

「ひとりひとりが原子力発電所を『素手』で制圧できると言われる、ゲバルの搦手たちによって、ゲバルはアメリカを脅し、自国民にたった一滴の血も流させず、また武器兵器を一切用いず、アメリカと対等の不可侵条約を交わしちまった」

「……す、すげえ……!!」

「反米思想の独立国家を、当のアメリカが認めたとあっちゃ、アメリカさんは世間に対して体裁を保てない。だからアメリカはゲバルの名を国外に出さないように全力で隠蔽し、CIAの()()()キルリストのトップには、純・ゲバルとビスケット・オリバの名前が仲良く並んでいる」

「武器も兵器も持たずに…………」

「察しがいいな、さすがだ、梶。おそらくおまえの想像している通りだが……ゲバルの偉業はアメリカ本国にもちろん影響を与えたが、それ以上に反米思想を元に活動するテロリストたちに、嬉々感と危機感を同時にもたらした」

「ひとつの国が、『素手で』アメリカと渡り合った……そんな事実が広まれば、そりゃそうでしょうね」

「今、ゲバルの兵士強化訓練(ブート・キャンプ)を受けるためなら、ありったけの金を出し、死人を出すことも辞さない反米テロ組織はゴマンとある。だが、同時に、その事実はそいつらの結束に取り返しがつかない軋轢を生んだのさ」

「……なんとなく、わかります。『なんでゲバルは素手でアメリカに勝てたのに、俺たちは血を流し続けて勝てないのか──?』組織の構成員が、そう思ってしまった……ってことですよね?」

「そうだ。ゲバルの存在は多くの反米組織に、『マシンガンをかき集める』ことでなく『()()()()()()()()()()創造(つく)り上げる』ことこそ最善だと……対アメリカの必勝戦略だと気づかせてしまったんだ」

 

 ──なるほど。

 斑目貘がシンバと接触した時点で、アル・ヒーブルの結束にはヒビが入っていた。

 アル・ヒーブルのリーダーであるシンバという男は、反抗勢力にとって絶対のカリスマだった。

 シンバのカリスマがあるからこそ、シンバの大義と信念があるからこそ、アル・ヒーブルが行う虐殺も強姦も強盗も、紛争そのものも、全て正義であったのだ。 

 しかし、素手でアメリカに勝った男──純・ゲバルの登場によって、シンバのカリスマは裏返ってしまった。

 

「シンバがヴィゾーム(悪徳者達)の中で、立場を失いつつあったのは間違いないだろう。焦ったシンバは突貫で力を欲していたワケだ──つまり、嘘喰いに勝つだけでアイデアルをモノにできると、嘘喰いの提案にあっさり乗っちまったワケだ」

「……それで、その話が、今回の件とどう繋がるんですか?」

「おそらくだが、失墜したシンバとアル・ヒーブルの代わりに、ヴィゾーム(悪徳者達)に繰り上がった組織が今、賭郎に弓を引いてる連中だ」

「──誰なんですか、それ」

「組織名はN.O.Nカンパニー。代表の名前はナットー・L・ネルーニョ。中東地域でシンバと同じく兵器の売買を中心にシノギを展開している連中だ」

「ナットー……」

「通称グランドマスターと呼ばれている男さ……もともと、ヴァイス・ファンドは縦つながりではなく横つながりのコミュニティだ。七大組織はあくまでそれぞれのシノギの代表にすぎねえ」

 

 アメリカの巨大軍需産業『コモン・センス社』。

 日本の新興宗教団体『涅槃創生会』。

 戦争請け合い人『デス・ディーラーズ』。

 そして、中東の兵器産業『N.O.Nカンパニー』。

 エトセトラ、エトセトラ……

 

「そのグランドマスターが、今、日本にいるという情報が……どうした、梶?」

「あ、いや……なんかヘンじゃないですか?」

「変……?」

「僕たち以外、なんで、一台も車が通ってないのかなって……」

「…………!!」

 

 梶の言葉に、フロイドが青ざめた。

 確かにおかしい。

 今は夕方の少し前の時間だ。

 この時間帯は仕事帰りの車の一台や二台は走っていて当然のはず。

 

「……梶っ! マズイかもしれん」

「あーっ! フロイド、ストップよ!! 道に人が立ってる!! このままじゃ轢いちゃうよ!!」

 

 後部座席から、マルコの腕がフロイドと梶の間ににゅっと伸びた。

 その指が示す先に、ふたりは視線を送る。

 そこには……

 

「なっ!? なんだあの人っ!? 高速道路を練り歩いてくるっ!!?」

 

 真紅のスポーツ・カーを背後に、ロングコートを羽織った男がこちらに歩いてきていた。

 それを見て、フロイドはアクセルを踏み込んだ。

 

「ちょっ! 何してんですかフロイドさん!? このままじゃ轢いちゃいますって……っ!?」

「かまわねえ!! 梶! シートベルト閉めておけよっ! このまま突っ込む!!」

「何言ってんですか!!?」

 

 梶の叫びをよそに、車はぐんぐん加速していった。

 突発的に発生したGによって、梶は背もたれに叩きつけられる。

 

 ぶつかる──っ!!

 

 そう思った瞬間、目の前に男が笑っているのが見えた。

 次の瞬間には、梶たちを乗せた車はスポーツ・カーに正面から追突し、その車体に乗り上げ、勢いよく浮き上がってゴロンと横転した。

 

 梶の見間違いでなければ、男は、車がぶつかる瞬間、蜃気楼のように消えてしまった。

 

「う、うっ……」

 

 シートベルトのおかげで、かろうじて一命は取り留めていた。 

 だが、全身をしこたま打ちつけて、痛みで動けなかった。

 フロイドは意識を失っているようで、返事がない。

 扉が開いた。

 梶は、息も絶え絶えに、男を見上げた。

 

「ほう、まだ息があるか。ククク……そう来なくてはな……」

 

 男の顔に後光が差していた。

 影に塗りつぶされた顔が、それでも、悪魔的に笑っているのが梶にはわかった。

 

 と──

 

 男が身を翻した。

 跳び退いたのだ。

 跳び蹴りを躱していた。

 蹴ったのは、マルコであった。

 

「梶ぃ! フロイドーっ! 無事?」

「マル、コ……」

 

 マルコは男を睨みつけた。

 男の頬に、軽いアザができていた。

 躱しきれていなかったのだ。

 そのアザを、男は愛らしく撫でている。

 

「ククク……そうか、おまえが『廃ビルの()()』ロデムか……」

「違うっ! マルコはマルコよっ!! ロデムはもう出てこないよ!!」

「残念だったな、()()では俺には勝てんぞ」

 

 不敵に笑うコートの男。

 しかし、梶は安心していた。

 マルコが無事ならなんとかなる。

 安堵に息を吐くと、それを諌めるように、梶の肩が掴まれた。

 フロイドだった。

 

「梶……っ!」

「フロイドさん! 良かった、意識が戻ったんですね!!」

「梶……! 携帯は生きてるか? 今すぐに、門倉立会人を呼ぶんだ……!!」

「だ、大丈夫ですよ。マルコが無事でしたから……」

「違う! ()()()()()勝てない!! やつは……やつは……っ!!」

 

 マルコと対峙する男は笑っていた。

 短い黒髪を丁寧に後ろに流して纏めている。

 頬を両断する刃物傷があった。

 愉悦と好奇と、傲慢さの滲む眼をしていた。

 

 『悪魔を超えた悪魔』。

 宮沢鬼龍──

 

 それが、マルコと対峙する男であった。

 

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