【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

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第四話:力剛山

 

1.

 

 

 目を覚ました時、龍刃はリングの上であった。

 

 仰向けに寝転がっているところにバケツの水を顔にぶちまけられて、意識が戻ったのだ。

 刺さるような冷たさと眩しい照明と、心配そうにこちらを覗き込むジムメイトたちが朧げに見えた。

 その意識も、まだ戻りきっていない。

 龍刃は呆然としていた。

 

「何が……あったんスか……?」

 

 口から出たものは、当然の疑問であった。

 もちろん意識して発言したものではない。

 焦点の合わない視点同様にぼんやりと、無意識にこぼしたものだ。

 

 回転を始めた頭でやっと、記憶を探る。

 自分は、あの太い男と対峙した。

 恐ろしい威圧感であった。

 退がりたい気持ちを振り切って殴りかかった。

 無様なほどにがむしゃらだった……ような気がする。

 拳が躱されたことは覚えている。  

 視界を埋めるほど大きな手が伸びてきたことも覚えている。

 その手に、頭を上から掴まれたような……

 

「おまえ、それで負けたんだよ」

 

 頭を掴まれ、前後に揺さぶられた。

 ただそれだけで、龍刃の意識は飛んでいた。

 頭蓋骨の内部に、脳が激しく打ち付けられたのだ。

 ピンボールのように内壁にぶつかって跳ね回り、結果、ひどい脳震盪が起きていた。

 ダメージを覚悟するいとまも無かった。

 だから、強靭無比な肉体を持つ龍刃でも、耐えられなかったのだ。

 

「運が良かったんだよ、おまえ」

 

 コーチがそう言った。

 

「あの人を相手に、それだけで済んで……」

 

 あの人──?

 

「知ってる……ん、スか……? あの男が、誰なのか……」

 

 ああ、とコーチが言った。

 ジムメイトも動揺を浮かべている。

 コーチは絞り出すように、言葉に恐れを纏わせながら、その名前を言った。

 

「あの人は範馬勇一郎……孤高の柔道家、『鬼』の範馬勇一郎だ」

 

 

2.

 

 

 力剛山の目論見は、プロレスでのしあがることであった。

 

 既に、地下格闘技界においては一流どころに数えられてはいたが、あそこは名と実力を称えど、カネが手に入らない。

 元大相撲関脇上がり。

 にも関わらず、現役時点で大関や横綱を平気でぶん投げる力剛山の強さは、角界を知るものならば恐れ慄くほどであった。

 

 しかし、暴力的で衝動的。

 権力への求心力が強く、打算的でずる賢い人間性の問題で、力剛の相撲での地位は既に頭打ちだったのだ。

 相撲は神事である。

 江戸時代には、神社と提携して一般的な武芸とは一線を画す『格』を備えていたのだ。

 第二次世界大戦での敗北以後、日本はGHQの民主主義的平和指導によって、天皇崇拝を筆頭に体育的、軍隊的教育がまず解体された。

 その都合で、当然の如く武術全般の必要性は消え、日本の武術界は風前の灯火であった。

 この危機を乗り越えるためにも、柔道や剣道はその有段者たちに「これは健全なスポーツである」と言い訳させ、結果的に今日においても教育に携わる地位は残せたものの、代わりに実践的で効果的な技術の失伝を大いに促したのは言うまでもない。

 

 だが、相撲に限っては柔道や剣道ほど、その存在を危険視されたわけではなかった。

 なぜなら相撲は神事であり、また、選ばれた天才たちしか力士になれないためである。

 相撲は『武術』ではなく、稀少で格式高い『文化』と看做されたのである。

 もちろんそう説得するために尽力したものたちがいることは疑いようもないが。

 

 だが、そう言うわけで。

 力士という選ばれし者たちには、戦後の時代に限らず──はるか昔から神に捧げる戦いを司る者たちとして、品格が尊ばれた。

 肉体の天才たちが侘び寂びと義心を学ぶ必要性に迫られ、神の依代とも評される横綱ともなれば、その態度には『看板』に相応しい優しさと強さを兼ね備えなければならなかったのだ。

 

 少なくとも、一般人の目に届く範囲においては……である。

 

 そう言うわけで、力剛は相撲界からは疎まれ、また力剛自身が相撲を見限っていた。

 

 その力剛を、その強さのみを求めて欲しがったのが、徳川光成であった。

 つまり、後楽園地下闘技場のオーナーである。

 光成は力剛に品性など求めなかった。 

 その強さのみに惚れ込んでいた。

 力剛はそれを利用しようと考え、地下闘技場選手になることを即断した。

 

 そうして、圧倒的な強さで勝ちまくった力剛山は、あっというまに地下格闘技界のスター選手となった。

 

 そして、ある日。

 力剛は光成の屋敷に赴き、下座に座した。

 神妙な顔で、眼に野望の炎を漲らせて、

 

「御老公。わたしは渡米したいと思っています」

 

 と言った。

 そのための資金を出して欲しいと。

 

「なァ──リキよ」

 

 キセルからフカフカと煙を吐き出して、光成は言う。

 

「お主はこのワシの、地下闘技場の正選手にしてトップファイターじゃ」

 

 なんの不満があるのかのう?

 

 ぎょろりとその目が動いた。

 力剛山を見ている。

 その光の中に吸い込まれながら、力剛山は言葉を返す。

 

「わたしはッ、表舞台で活躍したいのですッッ」

 

 言った。

 少しの怯えもなく、言い切った。

 

 光成はキセルを吹かす。

 この老人──徳川光成は、決してただの好々爺ではない。

 政界、経済界、そして歴史に深い根を張る怪物である。

 歴代の内閣総理大臣ですら彼と、彼の持つ権力、財力には真っ向から頭を上げられない。

 果ては、アメリカにまでその影響を轟かせることができる。

 なにせ徳川光成、GHQが行った日本経済界へのメス入れをものともしていない。

 アメリカによる資本の解体と再分配の手を、巨額の出資を行うことで堂々と回避しているのだ。

 

 その怪物を前に、その怪物が焦がれるもの──すなわち、『強さ』──を持っているだけの男が、啖呵を切っているのだ。

 しかも、「お前のところではスターにはなれないので出ていく」と言っている。

 しかも、「そのための家出代はお前が出せ!」と言っているのだ。

 

 なんという傲慢。 

 時代が時代なれば、死に値する台詞だ。

 

 だからか、光成の答えは沈黙であった。

 半分閉じた目が、力剛山から外された視線が、どうとも言えない感情を描いて揺れている。

 

 結果を先に語るなら──

 この時、力剛山は光成からの出資は得られなかった。

 

 しかし、その答えを契機にと、力剛山は地下格闘技から足を洗った。

 そして、相撲時代のタニマチ(スポンサーのこと)を頼り、当時関東圏で勢力を伸ばしていた藤木組の若頭、秋田太郎──つまり、のちに花山薫を産み出す花山組の親──に海外遠征の出資を取り付けたのである。

 

 

3.

 

 

 その日、獅子尾龍刃は社長室に呼び出された。

 

 まだ日の落ち切らぬ時間のことである。

 風が少々肌寒い。

 力剛の本拠地たる社長室には贅沢に暖房が効いていた。

 

「失礼します、オス……」

 

 物静かに、龍刃はドアを開いた。

 練習の途中であったため、全身汗だくである。

 だが、呼吸だけは整えていた。

 目に力が入っている。

 適度な緊張感を持っていた。

 

 社長室の両脇の棚には、ぞろぞろとトロフィーが敷き詰められている。額に入れられた写真と、何かの認定証が上部にぞろりと飾られていた。

 どういうブランドかは知る由もないが、ひと目で高級品だとわかるケバケバしいカーペットが敷いてあった。

 扉を開けると否応なく、ケバい色彩とごつい机が正面に飛び込み、部屋に入るものに、そこに待ち構える力剛山の威厳を何倍にも増して見せるという構図である。

 

 力剛山という男の、傲慢で豪放で、そしてどこか繊細でずる賢い性格が、濃く出ている空間であった。

 

「リュウ、よく来たな。まぁ座れ」

 

 リュウ、と言うのは龍刃のあだ名であった。

 いつしか力剛が呼び始め、そして、ジム内に浸透していたあだ名である。

 

 だが、龍刃は立ったままであった。

 それを見て、力剛はニヤリと笑った。

 

「わかってきたじゃねぇか」

 

 そう、力剛山は言われたままに龍刃が座った場合、龍刃をぶん殴るつもりであった。

 ウス、と龍刃が言った。

 ククク、と企みのある声で力剛が答えた。

 

 その力剛山を見て、龍刃は眩しい、と思っていた。

 

 力剛の今の格好は、普段ジムにいる時とは全く違う。

 しっかり高そうなスーツを着こなしている。

 紺色のジャケットを羽織り、顔が映りそうなほどピカピカのローファーを穿きこなす。

 髪も、整髪料を使って丁寧にオールバックに纏め上げ整え、その様はいっそ爽やかさすら感じさせる、汗臭い印象とも暑苦しいとも無縁の姿形であった。

 

 すごい、と龍刃は思った。

 これが、ひとりの人間が纏える力なのか。

 ただ座っているだけで、目が離せなくなる魅力に溢れている。

 つい、視界の中に、主として入れてしまう不可思議な力だ。

 カリスマなどと言う高尚な言葉を、無学な龍刃が知るはずもない。

 しかし、言葉では分からなくとも、その意味を感じることはできる。

 

「リュウ。おまえにはアメリカに行ってもらう」

 

 単刀直入に、しかし大胆なことを言った。

 

「アメリカ──っスか?」

 

 そうだ、と。

 力剛は強い言葉で短く締める。

 

「心配するな。まだ、おまえを試合に出そうってワケじゃない」

 

 如何に規格外の巨体といえど、龍刃はまだ十四歳。

 試合に出していい年齢ではなかった。

 最も、プロレス的アングルから、書類上の年齢として、力剛は龍刃の年齢を三歳ほどサバ読みさせている。

 

「ある人が、アメリカでちょっと興行をやることになっている。おまえはその人の付き人をやるんだ」

 

 付き人。

 つまりはトレーニングの相手兼世話係兼雑用係である。

 プロレスラーは常に弟子を付き人にする。

 そういう力剛の考えは、相撲時代に味わった経験から導き出したものだ。

 

「言っておくが、絶対に試合には出さんぞ。もし向こうから『出ろ』と言われても、断れ! いいな?」

 

 龍刃は頭を下げ、ウス、と短く返事をした。

 頭を上げる。

 

「その、それで、自分は誰の……」

 

 その時、龍刃の背後の扉が開いた。

 ガチャリと、音を立てて。

 分厚い存在感が、龍刃の背中を押し出すように圧をかけてくる。

 身に覚えのある圧力であった。

 

 龍刃は振りむいた。

 

 そこに、太い笑みを携えた、太い男が立っていた。

 

「俺さ、リュウちゃん。この範馬の付き人を、やってもらいたくてねェ」

 

 太い視線が、優しく、龍刃を貫いていた。

 

 

4.

 

 

 時を同じくして、ひとりの男がアメリカに行くことを決めていた。

 

 その男──太い身体を持っていた。

 太い顔──

 太い腕──

 太い胴──

 太い脚──

 その指、その爪までが、太い。

 その目つき、その唇。

 吐く息までもが、太い。

 

 道着を着ていた。

 真っ白な空手着であった。

 尋常ならざる筋量を収め切る、繊維の太く重さがあるものである。

 

 名前を、松尾象山と言った。

 後にフルコンタクト空手団体、北辰館を起こす男。

 名前すら、太い男であった。

 




第一章終わり
第二章、激突する空手編へ続く
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