【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

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第三話:光

 

1.

 

 

 松尾象山との激闘を終え、獅子尾龍刃は控え室の壁にもたれて座っていた。     

 打たれた全身は腫れ上がり、血がところどころに滴っていて、肩で息をしている。

 流石にくたびれた様子であった。

 彼を見下ろすように、斜め前には加藤清澄が立っていた。

 加藤の表情には戸惑いがあった。

 加藤には、こんな姿の獅子尾龍刃を見るのは初めてであったし、驚愕の情報の洪水を、まだ処理しきれていない。

 何を聞いたらいいのか、何から尋ねればいいのか……言葉が浮かばず、ただ、唇を噛み締めていた。

 

 その間にも、獅子尾龍刃は息を整えていた。

 顔は、加藤の方を向いているが、その視線は加藤には向いていない。

 優しい光を灯した目が、虚空を見つめている。

 獅子尾龍刃は、目の前の虚空に何を想っているのか──

 肩が、細かく震えていた。

 感無量の念が、全身から滲んでいる。

 加藤に言わせれば、それは達成感のようであった。

 無理もないとは思う。

 ()()松尾象山に勝ったのだ。

 普通に考えても偉業に他ならない。

 が、おそらく獅子尾龍刃と松尾象山の間には、世間一般でいう松尾象山の伝説とは違った、並々ならぬ因果が含まれている。

 それは間違いない。

 加藤に限らず、あの試合を見た勘のいいものたちは、皆感じたことだろう。

 

 範馬勇一郎────

 その名前を、加藤は知らないわけではなかった。

 かつて、日本で最強と言われた柔道家である。

 日本の格闘史を見聞するに当たって、まず避けられない名前である。

 最強の柔道家でありながら、プロレス王の力剛山に敗れて、歴史から姿を消した男であった。

 『昭和の巌流島』が、事前に勝敗が決定(きま)っていたアトラクションであったことは、現代では周知の事実である。

 八百長を受け入れて、批難を浴びて、歴史から消えてしまった男が、まさか範馬勇次郎の父であり──範馬刃牙の祖父とは思いも寄らなかった。

 格闘士ならば、『昭和の巌流島』のようなプロレスを受けられるはずがない。

 これは、誰だってそうだ。

 例え目の前に巨万の富を高々と積まれても、どんな権力者に頭を下げられても、無理だ。

 例えば拳銃をアタマに突きつけられていても、『八百長で負けろ』などと言われて、地下闘技場に集まるような格闘士(グラップラー)が、それを許容(うけ)いれられるわけがない。

 だから、加藤には範馬勇一郎が、範馬勇次郎や範馬刃牙とは結びつかなかったのである。

 

 しかし、範馬勇一郎は、範馬勇次郎の父親だった。 

 そして、獅子尾龍刃は、範馬勇一郎の弟子であった。

 龍刃からの、刃牙へのあの、どこか意味深な振る舞いも、刃牙自身の龍刃への戸惑いにも、全て理由があった。

 加藤には腑に落ちた。

 だからこそ、加藤は言葉に詰まっていた。

 

 おれを利用したのか──?

 

 そういう思いが、どうしても頭をよぎっている。

 獅子尾龍刃は、範馬刃牙を勝たせるために、おれを踏み台にするために、おれを鍛えたのか?

 範馬勇次郎と範馬刃牙を相立たせるために、おれや、愚地独歩を利用しようとしているのか──?

 そういう思いが言葉となって、口から出そうになっている。

 その事実に、自己嫌悪を覚える自分にまた、怒りを覚えている。

 怒りを覚えている事実に、加藤は苦しんでいた。

 このオッサンが好きだ──

 そう思っている自分がいた。

 たった三ヶ月の付き合いだ。

 痛めつけられ、ゲロを吐かされ、ろくな目にあっていない。

 それでも、あの三ヶ月は楽しかった。

 空手をやり始めた時の()()()()と、同じものがあった。

 空手をやって、愚地独歩にはじめて褒められた時と、同じ感情があった。

 

 裏切られたと思っているのか、おれは?

 それがイヤだと──?

 

 身体の(うち)に渦巻く情念が、加藤の心をヤキモキさせていた。

 だから、聞けなかった。

 言葉にしてしまえば、きっと……

 それは、よくない未来を引き起こすと思っていた。

 

 加藤の隣に、男が立ち並んだ。

 範馬刃牙であった。

 刃牙の表情は、獅子尾龍刃を見下ろすその眼は、複雑な感情を混ぜ合わせた、深い色を浮かべていた。

 どうという心持ちなのか、閉じ切った口からは何も出てこない。

 加藤の存在すら、認知していないように思えた。

 

「……ン? あれ、加藤くん、どうかしたかい?」

 

 ぼけっとした声で、獅子尾龍刃が言った。 

 ようやく心を地に降ろしたようで、眼に現実的な光がともっている。

 刃牙のことも認識すると、揚々と声をかけた。

 加藤は黙っていた。

 睨むように、視線を細めた。

 

「はは、かっこワルいとこ見せちゃったモンなあ」

 

 太い指で、獅子尾龍刃は頬をかいた。

 そこから薄く、龍刃の指に血が流れていく。

 流れる血は獅子尾龍刃の知られざる歴史──激戦の(しるべ)である。

 たった今の、だけではない。

 それを、加藤も刃牙も理解している。

 

「獅子尾さ……」

「刃牙くんや!」

 

 刃牙の言葉を遮るように、龍刃は声を上げた。

 嬉々とした、よく通る声であった。

 加藤と刃牙の心を通り抜ける心地よい声であった。

 

()()が、きみのおじいさんが得意としていた技術(ワザ)だよ」

 

 あれ、とは、松尾象山のトドメとなったワザのことだろう。

 刃牙がそう聞くと、獅子尾龍刃は笑顔で頷いた。

 それの名を『ドレス』と言うのだと教えた。

 

「スゴいワザでしたね……」

「きっと、勇次郎も使用(ツカ)えるよ」

「…………ッッ!!」

 

 刃牙の背に、()()()としたものが立ち昇る。

 その様子がおかしいのか、あるいは予想でもしていたのか、獅子尾龍刃はからころと太い笑みを浮かべていた。

 

「オッサン……」

「加藤くんも、おれが言うのもヘンな話だけど──気をつけなよ。おれは、松尾さんぐらいまでのデカさなら、掴んだらどっからでも『ドレス』にもってけるからね──」

「……ッッ!?」

 

 加藤は、自身に向けられた獅子尾龍刃の笑みに、何かどす黒いものが混ざっていることを察した。

 そうだ、

 そうなのだ。

 加藤はBブロックなのだ。

 加藤の出番は、この次の次の試合なのだ。

 つまり、お互いにBブロックを勝ち上がれば、ブロック決勝でぶつかるのは避けられない。

 

「──ッ!」

「おれは、たぶん、次の試合でも手の内を見せちまうよ。なにせ、全力でヤるしか知らない男だからね」

 

 獅子尾龍刃は加藤を気遣っている。

 つまり、これは、獅子尾龍刃が加藤に稽古をつけているのだ。

 獅子尾龍刃は、試合ごとに手の内を明かして行くつもりだ。

 一試合一試合を全力で勝ち上がるつもりなのだ。

 加藤と闘争(たた)かうために。

 

 おまえと闘争(たた)かいたい。

 だから、強くなってくれ。

 

 獅子尾龍刃はそう言っているのだ。

 加藤の全身を、(いかづち)が貫いた。

 目に見えない衝撃が、加藤の身体(にく)の裡から迸って、ひどく熱を発していた。

 神経が震えている。手先が痺れていた。

 髪が、ゆらりと逆立って揺れていた。

 

 眼に力を漲らせて、唇をめくりあげて、加藤は言った。

 

「オッサンよォ……」

 

 震える声であった。

 歓喜の色が、じっとりとまとわりつく声であった。

 

「後悔させてやるゼ……」

 

 吐き出されたのは宣戦布告であった。

 しかし、それは格闘士にとって、愛の告白に等しいものだ。

 獅子尾龍刃は口角を広げた。

 とても……とても嬉しそうに、笑っていた。

 

 

2.

 

 

 逢いたい──

 

 という想いを、サクラは我慢していた。

 獅子尾龍刃に逢いたいと、身体が震えている。

 それを、表向きには隠している今だって、心が震えているのであった。

 

 松尾象山対獅子尾龍刃。

 スバラシイ試合であった。

 エゲツない闘争(たた)かいであった。

 あの時より──獅子尾龍刃は格段に強くなっていた。

 嬉しい。

 それが、嬉しい。

 

 獅子尾龍刃は、獅子尾龍刃のままであった。

 獅子尾龍刃は、獅子尾龍刃のまま、更なるアップデートを重ねていた。

 自分の知らないところで、おそらくは相当な修羅場を乗り越えてきたのだろう。

 つまりそれは、闘技場で立ち会った時、龍刃とたくさん()()()()ができるということである。

 あれから、サクラも激闘を乗り越えた。

 特に楽しかったのは、グレート巽との激闘だ。

 この間まで、大久保直也とも、楽しい時を過ごした。

 もうひとり──まさに、今大会のために用意した、スペシャル・パートナーである、ユリウス・ラインホルトとのスパーリングが加熱しすぎて、殺し合う手前まで行ってしまったトラブルなども、是非笑って語りたい。

 今すぐに。

 

 だが、それではダメだ。

 それは、闘技場で発揮しなければならないモチベーションだ。

 我慢を重ねた上で発揮するもの。

 ここで発露してしまえば、その瞬間はどんなに気持ちいいことか、想像するにヨダレが出そうであるが──そうなったら、その後が萎えてしまう。

 

 それはダメだ。 

 それは、今日この日のために協力してくれた滅堂や大久保たちの誠意も潰してしまうことになる。 

 ここに立つために、ウォーケンにも大変な面倒をかけている。

 自分はプロなのだ。

 活躍の場がアンダーグラウンドではあるが、観客の、ファンの期待には応えなければならない。

 

 ああ──それも、プロレスラーでもあった、リュージンから教わったんだ。

 

 たまらない感情が、肉体を快感へ突き上げている。

 きっと、今の自分は傍目から見て不気味に見えているだろう。

 わかっていても、繕えない。

 それほどに嬉しいのだ。

 未来に対する期待──待つ時間は、とてつもなくじれったく、果てしなく楽しい。

 

 名前を呼ばれた時、思わず声が大きくなった。

 

 すぐさま平静を装った。

 闘技場への道を、うきうきとした気持ちで、サクラは歩み出した。

 

 

3.

 

 

「ここ、空いてるかい?」

 

 徳川光成の背後から、その声はかけられた。

 光成と滅堂、不知火と貘が振り向くと、そこに老人が立っていた。

 ビシリとノリの効いた白の背広を着ていた。

 杖を片手に着いているが、背筋はしっかり伸びている。

 背は、一六〇もあるかわからない、小柄な老人である。

 その背後に、黒の背広を着た大男たちを侍らせていた。

 大男たちは、全部で三人。

 全員、顔に尋常ではない傷痕があった。

 銃創やナイフの跡だけではない。

 至近距離から爆風でも浴びたのか、顔の皮膚がまるっと剥ぎ取られている男もいる。

 どう見てもカタギではなかった。

 老人は、暴力団藤木組組長の秋田太郎であった。

 

 滅堂の背後に控える王森とミノルが緊張を走らせた。

 貘を庇うように、夜行妃古壱が立つ。

 光成はにっこりと柔和な笑みを浮かべていた。

 

「太郎ちゃん。席は空いとるから、その(いかめ)しい連中は、どうにかならんかね?」

「おいおい光成さんよ。暴力団のアタマが、部下のひとりも侍らせてねェンじゃ格好がつかねえよ」

 

 秋田は微笑を浮かべ、そのまま光成たちのすぐ後ろの席に、全員並んで座った。

 滅堂は王森とミノルを下がらせている。

 最初から、光成の返答がどうあれ、秋田はここに座るつもりだったのだ。

 光成も滅堂もまた、それを見越しての振る舞いであった。

 秋田は身を乗り出して、滅堂の斜め横に顔を出した。

 

「久しぶりだねェ片原さん。恵利央サンは元気してるかい?」

「ホッホッ、あやつは元気も元気に孫バカしとるぞよ。太郎ちゃんこそ、よく生きとるわい。ワシャてっきり、()()()()で引退するモンじゃと思っておったが……」

「フフフッ、元は(おい)らもそのつもりだったんだがよ、あの抗争でケツ拭けンのがおれだけになっちまったもんでよ……恥ずかしいことに、(おい)らの周りもまだまだケツの青いガキばっかりなもんでな。神輿に担がれる役をやって下さいと頼まれちゃアよォ……」

 

 片原滅堂は、戦後わずかな時期、関東地方を根城に闇市にシマを敷いていた。

 いわば、藤木組や、当時の日本最強の暴力団である山王組とは敵対関係にあった。

 しかし、片原滅堂はその後、片原流通を設立し、仕切りの場を拳願会に移したことで無用の争い──暴力団との大規模な抗争とは早々に縁を切っている。

 ここでふたりが言う抗争とは、『山源抗争』と呼ばれる一大抗争と、そこから派生した『源藤抗争』のことである。

 簡潔に言うと、『山源抗争』とは当時の日本最強の山王組の跡目争いに乗じて、直参組織であった『源王会』が下剋上を仕掛け、それを叶えてしまったものである。

 かくて日本最強の暴力団となった七代目源王会は、その勢いのまま日本の暴力団統一を大義に唱え、各地で武装蜂起を始めていった。

 そこに立ち塞がったのが、五代目藤木組──つまりは秋田太郎たちなのである。

 

 この抗争における検挙者は七八一名。 

 死傷者は三九〇名。

 行方不明者は二十二名にものぼった。

 死傷者、行方不明者の中には民間人も含まれている。

 二年以上継続(つづ)いた抗争は、藤木組傘下の花山組の仕掛けた奇襲による、源王会の会長の死を以って終結したのであった。

 多数の犠牲を出したこの大規模抗争以降、警察による暴対法の制定は成され、暴力団への締め付けはいっそう厳しくなり、各所での暴力団絡みの切った張ったの抗争はナリを潜めていったのである。

 

 言ってしまえば、秋田太郎は古き良きヤクザであった。

 悪い言い方をすれば、時代遅れの化石ヤクザである。

 

「片原さん。あんたは拳願会の会長の座を降りたんだってな。おれも、いい加減に引き際は弁えてェところだが……若ェ連中に負債を残して行くワケにもいかねェからよ」

「こりゃ! ヤクザ者がやりたい放題ここまで生きてきておいて、のうのうと老後を暮らそうとはイカンぞ」

「わーってるよ、相変わらずうるせェジジイだなァあんたは。というか片原さんこそやりたい放題やって、のうのうと引退してンじゃねェか」

「ワシャ引退はしとらんもんね。今の役職は相談役じゃし〜」

「あ、片原さん。あんたまだ挑戦者のつもりだね。隙があれば会長の座も、まだ狙ってるね、その眼は」

「モチロン。なんなら、これまで以上に血がたぎっとるよ」

「若いねェ」

「はいはいそこまでじゃ、太郎ちゃんも、呼び出しに応じてくれてありがたい。礼を言うわい」

「いいンだよ光成さん。おれだって花山の活躍……ってヤツはよ、見たくねェって言えばウソになる」

 

 秋田の物腰は柔らかい。

 柔らかいが、その一言一句には圧があった。

 光成にせよ、滅堂にせよ、不知火にせよ、妖怪じみた圧力は纏っているが、秋田太郎のそれは、彼らとはまた種類が違っている。

 凡人が割り込めない空気を作り出す──という意味では同じではあるが。

 

「おじいちゃんたち……そろそろ、口を挟ませてもらっていい?」

 

 そこに、容赦なく割り込む男もまた、ただものではない。

 斑目貘はじっとりと視線を麗せて、秋田たちを見た。

 秋田は、むしろ貘よりも、その傍にある夜行にまず、意識を向けた。

 

「夜行さんか、これまた久しぶりだね」

「秋田様、お久しぶりです。ますますご健勝のようでなによりです」

「ハハ、会員証を花山に譲ってから、賭郎とはからっきしだったからねェ。花山のヤツも、ぶっちゃけあんまり賭郎は利用してねェだろう?」

「いえいえ。花山様には少し前に『D区(デンジャラス・ゾーン)』での賭けに立ち会わせて頂きましたよ。詳細は守秘義務なのでお話しできませんが……それが残念に想うほどに、アレは立ち会い甲斐のある賭けでした」

「ちょちょっ、夜行さん。俺、それ聞いてないんだけど……?」

「ええ、お屋形様には何も尋ねられていませんから」

「ええ〜っ……こないだ面接やったじゃん」

「あの時はお屋形様は『最も印象深い立ち会い』を望まれていましたので、それを話したまでです」

「ずるいなぁ夜行さん。やっぱり俺のこと嫌いでしょ?」

「ハハハ、まさか……」

「そっちの兄さんが、新しいお屋形様かい」

 

 そっ、と貘は軽々と答えた。

 

「斑目貘です。よろしくねっ、秋田さん」

「……フフッ。こりゃあまた、とんでもねえ怪物が現れたモンだ」

 

 くく、と微笑し合う。

 それだけなのだが、どこか怪しい空気がただよい始めていた。

 それを、光成は手を叩いて止めた。

 

「はいはいそこまでじゃ。おぬしら、今大会はワシが……もっと言うと、格闘士たちが主役じゃぞ。各々の昂ぶりはワカるがの、弁えなされ」

 

 光成の言葉を聞き、す、とふたりの気配は沈んだ。

 心なしか、夜行が細く息を吐いたのを、斑目貘は見ないことにした。

 

 闘技場に、男たちが入ってくる。

 会場が湧き上がった。

 興奮が波打っている。

 闘技場に立つ男は、ふたりとも大きい。

 抜群の存在感が表れていた。

 

 ひとりは、『泣き虫(クライ・ベイビー)』サクラ。

 ひとりは、花山薫である。

 

 

4.

 

 

 サクラは、サングラスを取った。

 眼窩が剥き出しになった顔が現れる。

 歓声の中に、悲鳴が混じる。

 しかし、まだ、圧倒的に興奮と歓喜の音が強い。

 

 その中で、サクラは花山薫を()()

 耳に手を添えて、花山薫が醸し出す音を、色を、匂いを分解し、脳内で構築していく。

 

 身長、一九〇.五センチメートル。

 体重は一六六キログラムか……

 文句なしの巨漢である。

 脂肪はほとんどない。

 筋肉が太い。

 骨が分厚い。

 関節の軋む音から、相当の筋密度と骨密度が窺えた。

 驚異的なパワー・ファイターだろう。

 前情報では、花山薫は日本のヤクザの組長だと聞いている。

 日本で素手の喧嘩(ステゴロ)で最強の漢と名高いと。

 あながちウソではなさそうである。

 一切のトレーニングを行わないと言うのもウソではないだろう。

 驚くべき肉体だが、その使い方が器用ではない。

 花山薫の立ち姿は、武的な立ち方ではない。

 武術をやっている人間は、自然と、日常にその立ち方が出てくるものだ。

 重心の位置であったり、足の幅であったり、目線であったりが、一般人と比べて軽妙であったりするワケだ。

 それが、花山薫にはない。

 地に足をべったりつけている。  

 否──つけすぎている。

 これでは、突然襲われた時、防御姿勢に入れない。

 攻撃にも、攻撃するための姿勢を整えるために、一手は必要になってしまう。

 つまりこれは、奇襲を受けた場合、必ず相手に先手を譲る立ち姿なのである。

 先手を譲ることなど、武に生きるものにはあり得ない。

 つまりそれは、花山薫という漢は、筋量鍛錬はいざ知らず、武的な──人間と闘争(たた)かうためのトレーニングは積んでいないことを意味している。

 そもそも服装が、おそらく背広に革靴である。

 およそケンカに向いた格好ではない。

 

 サクラの脳内に、花山の姿が浮かんでくる。

 立体感があり、重量さえ感じるほど的確に、花山の姿形を構築していく。

 獅子尾龍刃や、グレート巽のように、身体に触れる必要もないほどに、花山の肉体ははっきりとイメージできた。

 花山は、サクラに何も隠そうとしないのだから、それも当然ではある。

 

 ガウンを脱いで、ウォーケンに渡した。

 露わになったサクラの肉体美に、再び歓声が上がる。

 

 審判が開始を告げた。

 

 すると、奇妙な光景が、サクラの()()()に広がっていた。

 

 

5.

 

 

 光──?

 

 光だった。

 サクラの網膜に焼き付いている情報と照らし合わせるなら、それは、間違いなく光であった。

 

 花山薫が構えた。

 両の手を顔の隣に持ち上げた。 

 拳を、硬く握っていた。

 防御の一切を捨てている構え──

 その代わりに、全ての力を攻撃に注げる構えだ。

 珍しいとも思わなかった。

 花山薫の質量は超大だ。

 なにより、おそらく、握力が桁違いに強い。

 その握力で拳を固めれば、鉄もかくやという硬度に達するだろう。

 ならば、あとはその硬度と質量で、思い切り殴りつけるのは戦法としては悪くない。

 攻撃は最大の防御である。

 相手の攻撃など全て押し潰して勝つというのは、花山薫の肉体を持ってすれば可能だろう。

 

 そこまで。

 サクラが、花山の姿を構築できていたのは、そこまでだった。

 

 そこから、不思議なことが起こった。

 花山の姿から、光が放たれたのである。

 白い、綺麗な光である。

 後光などという生やさしいものではない。

 まるで花山薫そのものが、恒星になってしまったかのように輝き出したのだ。

 

 眩しい。

 なんだこれは?

 サクラは軽く混乱していた。

 何も見えない。

 光の塊が、光を発して、自身の身体をすっぽり包み込んで、周囲を満たして、何も見えなくなってしまった。

 

 どういうことだ、これは?

 なぜ、花山薫から、光が?

 音が聞こえる。

 骨の、肉の軋む音。

 花山の重心が、引き絞られる音。

 攻撃の姿勢になっている。

 それは間違いない。

 だが──それならばなぜ、敵意がない?

 花山薫の姿からは、敵意がない。

 殺意もない。

 攻撃の意思すら見えなかった。

 ただ、眩しい。

 なんの色もない、とにかく眩しい。

 どういうことだ──

 まさか、これから殴り合おうと言う時に、殴り合う相手に、なんの情もないというのか?

 初めてだった。

 

 なんて純粋(きれ)いなんだ。

 純粋(きれ)いすぎる。

 これは、これでは、狂気ではないか。

 獅子尾龍刃でさえ、勝とうとする意思はあった。

 彼も、闘争(たた)いになんの色もなかったが、自身を『敵』と定めてはいた。

 

 しかし、花山薫よ──

 

 これは、どういう────……

 

 

 サクラの意識に、とてつもなく巨大なものが割り込んだ。

 白い光の中から、やはり光を纏って、それはサクラの顔に思い切りぶつかってきた。

 身体が浮いた。

 首が、引きちぎられそうになった。

 鼻の頭にめり込んで、たっぷり軟骨をへし折ってから、ようやく離れた。

 

 試合開始から、わずか二〇秒。

 花山薫の振り抜かれた拳が、サクラからダウンを奪っていた。

 

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