【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

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第四話:巨拳

1.

 

 

 サクラが立ち上がった。 

 花山薫は、黙ってそれを見ていた。

 観客が沸いた。

 波打つ興奮が最高潮を記録する。

 サクラの息が激しく乱れていた。

 汗が吹きこぼれている。

 ゆっくりと顔を持ち上げて、花山を見上げていた。

 

 信じられない──

 というのが、サクラの感想であった。

 それはまず、花山のパンチの重さであり、硬さについてである。

 サクラの顔面にめり込んだ拳の感触ときたら……人間が、拳を固めた時のそれではなかった。

 全ての体重が、馬力が、拳に乗っていた。

 だからと言って、ここまで破壊力があるものなのか。

 花山の身体(サイズ)は、間違いなく巨漢のそれである。

 しかし、格闘技にとり、特に体重制限の無いヘビィ級の場合、このぐらいの体格の持ち主はいないこともない。

 例えば大相撲などは、幕内ともなれば平均体重が一六〇キロにもなる。

 筋密度でも、骨密度でも、単に身長体重と筋肉量から導く数値的比率で言えば、花山ぐらいの巨躯(サイズ)の持ち主は、いることはいる。

 逆に、そう言った単なる数値的事実だけを見れば、ヘビィ級最上層と比べるならば、花山は小さい方になってしまうだろう。

 現代の表のレスリング界で最高最強の男、アレキサンダー・ガーレンなどは身長二〇〇センチメートル強で体重は一六九キロと、花山より明確に大きいほどだ。

 特に身長に関しては、最上位のフィジカルの面々と比べれば、花山はさほど大きい方ではない。 

 花山の背丈は、サクラよりちょうど頭ひとつ低いほどなのだから。

 つまり、花山の拳の破壊力は、サクラの暗算できる花山の身の丈から想定される破壊力を、完全に上回っていた。

 それは、視覚以外の全感覚で世界を捉えるサクラにとって、想像だにしなかったバグのようである。

 二度目だ──

 このテの計算違いは、二度目。

 一度目は、言うまでもなく、初めて獅子尾龍刃と戦った時のことだ。

 身長一九七センチメートル。

 体重はわずか一二五キログラムしかない獅子尾龍刃のパワーは、恐るべきことに、常人の二〇倍を誇る自身と互角だった。

 身体の裡側から発せられる熱量とでも言うべきものが、獅子尾龍刃は桁違いに大きかったのだ。

 花山薫も、その類に違いない。

 どこか、物理的な感覚機能では決して推し量れない()()()から、身の丈を超えるパワーを引き出せるのだ。

 それは、人智の及ばない領域なのかもしれない。

 少なくとも、科学的素養──タンパク質やカルシウムで人体を測る限り、永遠に見つからぬ神秘のそれだ。

 

 呼吸を整える。 

 幸い、まだ動ける。 

 これも、事前の経験が活きていた。 

 サクラがもらってきたパンチの中で、花山の拳の重さは()()()()()であった。

 そこに並ぶ男こそ、近代科学によって人類が創造(つく)りあげた“怪物(モンスター)“ユリウス・ラインホルトであり、彼の拳による一撃である。

 ユリウスの肉体は、サクラを以てしても抗い難いほどのパワーを誇っていた。

 ユリウスは、過度の筋肥大に見られるスタミナの無さもなく、筋量に任せた雑な筋肉の使い方もしなかったのである。

 むしろその逆で、ユリウスは自身の筋細胞のひとつひとつを、自身の意思で支配するに至っており、見た目も質も『剛の肉体』でありながら、繊細さと精密さをも併せ持っていた。

 サクラの知る限り、あれほどまでの筋肉支配を可能とするのは、かのビスケット・オリバを置いて他にはいまいと思った。

 そのユリウスとのやりとりが、経験が、サクラの身を守った。

 緊急時に、意思に反して行われる生命保持のための反射運動。

 ユリウスの前提で活かされていた無意識のそれが、花山の拳が伸び切る前に、この身を跳び退かせたのだ。

 だから、立てる。

 かろうじて。

 

 そして、どう言うことなのか。

 花山薫は、サクラが立ち上がり、息を整えている間、何もしなかった。 

 ただ、立っていた。

 その眼光は鋭く、サクラを見定めてはいたが、何もしない。

 

 そういう男なのか。

 とサクラは思った。

 花山薫は、()()()()美学を持っているのか。

 実利や損得よりも、優先すべき美学があるのだ。それ姿勢を貫くことを決めている──生き方そのものと捉えるならば、哲学と呼んでもいいものがある。

 もちろんサクラには、それが何かはわからない。

 ただ、必要以上の追い打ちをしないことが、花山が決してこちらを舐めているからではない。少なくとも慢心や過信から生じたものではないことが、花山の光を浴びたサクラには、よくわかっていた。

 

 しかし、その美学のおかげで立ち上がれた。

 ありがたい、と思った。

 

 再び対面する。

 まだ、脳が揺れている。

 呼吸は整えられたが、まだ観客の声も、息遣いも、ひたすらにノイズになっている状態だ。

 それでも、花山薫という光だけは、なんの歪みもなくそこにあった。

 

 スゴイ男です。

 そう思う。

 光が縮んでいく。

 まただ。

 花山薫が、拳を引いているのだ。

 格闘技的にはありえないパンチの打ち方。 

 突きの姿勢(ヒッティング)というよりは、投げの姿勢(ピッチング)と言った方が正しい姿勢から、ただ、真っ直ぐにパンチを打つ。

 身体ごと、頭や肩が先んじるほどに、相手にぶつかるように──振りかぶる。

 さて、

 息を吐いた。

 どうしますかね……

 内心感じるどうしようもなさに、しかし、サクラは笑っていた。

 軽く、肩が震えている。

 怖い──と思っている。

 これだけ見え見えのパンチである。

 如何に破壊力があろうと、パンチである。

 ならば、カウンターを取ればいい。

 フットワークを使用(つか)って、避ければいい。

 普通はそうだ。

 サクラには、例えヘビィ級ボクサーのサンデー・パンチであろうと、カウンターを取れる自信がある。

 タイミングも、今の一回で覚えている。

 花山薫のそれに、大久保直也の器用さはないから、途中で攻撃が変化(かわ)るようなこともないだろう。

 しかし──花山薫のパンチは、花山薫のパンチなのだ。

 それは、そのパンチからカウンターを取るということが、どういうことなのか。

 そのパンチを避けるということは、どういうことなのか。

 例えていうなら、自分めがけて真っ直ぐに突進するダンプカーからカウンターを取れるのか? 

 という話になる。

 例えば、自身に向けて、二メートルの距離から放たれた大砲の砲弾を、放たれた後にフットワークを使って避けられるのか?

 という話になる。

 できるか? と問われれば、無理な話だ。 

 来るとわかっていても、ダンプカーからカウンターは取れない。  

 来るとわかっていても、二メートルの距離から砲弾を躱すことはできない。

 花山薫のパンチとは、その類の事象なのだ。

 だったらどうするか──

 幸い、サクラには引き出しがごまんとあった。

 地下格闘において、人種、年齢、スタイルを問わずに何十と闘争(たた)かってきた経験があった。

 その引き出しを、探る。

 砲弾のようなパンチを捌く方法を探す。

 直接的なものでなくてもいい。

 間接的な、パーツごとに見つけられればそれでいい。 

 パーツごとに分解して、それを組み合わせて、新しい解法を見つければそれでいいのだ。

 

 ああ、しかし、時間がない。

 流石の花山薫も、そこまでは待ってくれない。

 花山の身体の捻りが止まった。

 拳が、硬く引き締められている。

 来る、

 来る、

 天地がひっくり返っても確かなこと。

 花山薫のパンチが、このあと、間違いなく来る──

 それでも、探すのです。

 活路を見出すのです。

 まだ、パンチが放たれて、着弾するまで時間があるのだから。

 確実に来る、ということは、それはその時にならなければ訪れないということでもあるのだから。

 わたしは、時間感覚を圧縮する。

 脳裏にチラつくあの扉を前に、その扉をも白色で包まんとする光に、抗う。

 来た。

 真っ直ぐだ。

 後手──まだ間に合う。

 あと数センチ、まだ間に合う。

 探すのです。

 己の、闘争(たた)かいの歴史を信じるのです。

 あと、一センチ──ッッ!!!

 

 あっ、

 あったッッ!!

 見つけた──────ッッ!!!!

 

 閃いた瞬間、もう、わたしの身体は、腕は、動作の途中にあった。

 無我夢中──自身の思考よりも早く、細胞が反応していたのですッッ!!

 花山薫の拳を、わたしは迎え撃つ。

 

 がきいっ、

 

 と嫌な音が闘技場に響いた。

 それは、サクラの反撃の成功の音であった。

 

 

2.

 

 

「たいしたモンやのぉ……」

 

 控え室のモニター越しに、範馬刃牙と宮沢熹一は並んで試合を見ていた。

 キー坊が関心と息を吐くのは、花山薫のめちゃくちゃなファイト・スタイルに対してである。

 身体ごとぶつかっていく、単純なパンチ。

 花山薫は重心の残りも、残心も何もなく、振り抜いている。 

 この荒唐無稽さに比べれば、素人の打ち方だって、もっとまともに身体のバランスを考えているだろう。 

 しかし、それ故に、当たれば破壊力は甚大だ。

 

「熹一さんなら、どうしますか?」

 

 刃牙が言った。

 それはもちろん、キー坊がいざ花山薫の前に立ち、あのパンチを放たれた例え話のことである。

 キー坊はうむ、と唸った。

 

「ワシやったら、霧霞で避けつつ下から潜り込んで、波動系の打撃を振るわい」

 

 灘神影流の打撃は、肉体を外から破壊するだけではなく、体内部に衝撃を浸透させ内蔵器官から破壊するものがある。

 極めればただの正拳突きですら、相手の気脈を破壊してしまえる。

 キー坊は組んでいた腕を解き、刃牙の胸に向かって軽く、左右の拳をぽん、ぽんと当てた。

 塊貫拳なら、胸に打撃を当てて、体内の任意の場所に気を浸透させられる。

 つまり、キー坊は相手の胸に左右の連打を打ち込み、気を浸透させ、内部から脳や心臓を揺らすことができるのだ。

 外からの攻撃には圧倒的なタフさを誇る花山には、最適解が取れる。

 しかし、刃牙はかぶりをふった。

 

「それでも、立ってきますよ。花山さんは……」

 

 む、とキー坊が口を尖らせた。

 せやったらなあ、と言葉を続ける。

 

「そこから『幻突』に繋げるワ。ちょうど膝も落ちとるやろうし……鼻っぱしらにガツーンとやったるわい!」

「それでも、花山さんなら、立ってくるだろうなあ……」

「むぐ……刃牙ちゃんや、なんや花山薫とは昔からの縁らしいけどのォ。ワシの打撃も甘く見たらアカンで」

「もちろん、熹一さんの打撃も甘く見てませんよ。おれだって、もう幻突は食らいたくないっスから……ただ、それじゃあ花山さんは、立ってくるんですよ」

 

 柔和な口調ではあるが、断定的な物言いであった。

 流石のキー坊も、刃牙ほどの格闘士がここまで信頼を乗せた言葉なら、いたずらに否定はできない。

 しかし、キー坊もせっかくシミュレーションするなら負けたくもない気持ちがあった。

 

「せや! そやったら寝技に持ち込んで、スリーパーでオトしたるわっ!!」

 

 ぷっ、と刃牙が吹き出した。

 これには流石に少々の悪意を感じて、キー坊もムッと顔を顰めた。

 

「な、なんじゃい刃牙。なんやさっきからエラい性格悪いで!? なんか言いたいことあるんやったらハッキリ言えや!」

「いや、スンマセン。普通だったら、それで最適解っスよ。ただ……花山さんに寝技は、自殺行為になるかなァ……」

「? どういうこっちゃ?」

 

 刃牙は答えなかった。

 ただ、微笑を浮かべて、モニターに視線を投げていた。

 

 

3.

 

 

 刃牙たちのすぐ近くで、加藤清澄は息を呑んでいた。

 花山薫のケンカとは、こういうものかと見惚れていた。

 

 花山薫──

 伝説の男である。

 かつて、暴力団の用心棒を生業にしていた加藤は、当然花山の伝説は耳にしていた。

 曰く──日本最強の喧嘩師。

 曰く──神に選ばれた漢。

 曰く──素手の喧嘩(ステゴロ)最強の漢。

 まだまだイキり立っていた加藤は、ぜひヤって見たいと息巻いていた。

 しかし、その度にやめておけと止められた。

 誰であっても、同じ反応をされた。

 やめておけ、と。肩を叩かれる。

 それが無性に気に食わなかった。

 いつか、この手でぶちのめそうと、ふつふつとした想いを重ねていた。

 

 ある時、世話になっていた暴力団の幹部が、かつて花山と立ち合ったことを話してくれた。

 酒の席である。

 頬をうすく紅潮させ、アルコールの回った息で、その男は語り出した。

 

「加藤、花山薫とケンカするのはよせ」

 

 なぜだい?

 と、加藤は敢えて聞いた。

 我ながらに挑発的な口調だったと思う。

 くく、と男は笑った。

 

「ヘッ、このおれが、勝てねえからって、くだを巻いて逃亡(にげ)るとでも思ってンのか?」

「違うぜ、加藤。勝ち負けじゃねェんだよ。花山薫とケンカするってのはな……」

「アァン?」

 

 どういうことか、加藤にはさっぱりわからなかった。

 今まで、加藤が『やめておけ』と言われた理由は、『オマエじゃあ花山とケンカしたって勝てないから』だった。

 だから、余計に噛みついた。

 反抗する気概が湧いて出てしょうがなかった。

 強いか弱いか──当時の加藤には、それは勝つか負けるかという話において、あまり問題だとは思わなかった。

 ケンカで大事なのは、肉体の強さや、より良い得物を持っているかじゃあない。

 眼に、指を躊躇なく突っ込めるかどうかだった。

 手にした得物で、敵を容赦なく殺せるかだった。

 撃つ覚悟がないヤツの拳銃は、持たれてても怖くない。

 そういうヤツは、大抵威嚇のためにワザと外してくる。

 人に、銃口を向けられないヤツも、ごまんと見てきた。

 肉体的に恵まれているヤツが、きんたまを潰されて地に這いずる光景など、腐るほど見てきた。

 それを、敵にやってきたのが加藤であった。

 だから、勝ち負けを競うなら、花山薫だろうと負けはしないと思っていた。

 

 それを話すと、男は、

 

「違うんだよ」

 

 と言って、朗らかに笑った。

 

「だから、何がちがうンだよ?」

「失っちまうんだよ」

「────?」

 

 失う?

 何をだ?

 加藤はいやらしく笑った。

 小馬鹿にした顔を作り、吐き捨てた。

 

「ケッ! どーせ武に費やした時間……とか、強くなるために積み上げてきたモン……とか、そンなトコだろう?」

「違うぜ。花山と戦って失うモンはよ、人生だよ」

 

 ハァ?

 と加藤は言った。

 意味がわからない。  

 それはつまり、死ぬって言うことに聞こえたからだ。

 だが、目の前の男は別に死んでいない。

 もし、今更自分のことを幽霊だのゾンビだの言うならいざ知らず、しかし男は確かな肉も皮膚も足もあるし、血の色がよく浮き出た太い身体をもっている。

 

「いいか、加藤。花山と戦ったら、それまでの人生が、全部吹っ飛んじまうぜ。綺麗さっぱり、たったのイッパツでな。そこに至るまでに我慢したこと──苦労したこと、達成感とか、そういうモンが、全部消し飛んじまうんだ」

「つまり、負けてるってことじゃねえか」

「違うんだよ。勝ち負けとは違うんだ、これは……うまく言えねェんだけどな。花山に負けるってことは、負けるってこととは違うんだ」

「? ンっだよそれ、意味ワカンねぇ」

「ああ、わかんなくていいんだよ、加藤。おめェには、ずっとそういう風に生きててほしいからな。おれは、おめえには、そういう風に生きていける才能があると思ってる」

「つまりよ、おれに、花山薫とは戦うなって言ってンだな? オイ?」

 

 そうさ。

 と男は言った。

 嬉しそうな声であった。

 

「花山薫は、おれのそれまでの人生を全部、根こそぎ奪っちまったけど、代わりに、それからの人生を全部くれたんだ。おれにとっては、それは良いことだったが、誰にとってもそれが良いこととは思わねェ」

「…………」

「加藤。おめェはたぶん、花山薫とは出会わねえ方がいい性分だ」

 

 そう言って、男は酒を煽った。

 吐き出した言葉もまるっと飲み込むように、グラスの酒を一気に飲み干した。

 加藤は面白くなかった。

 酒を煽り、生意気を吐いて、心に誓った。

 いつか、必ず、花山薫をぶちのめしてみせる──と。

 

 その思い出が、その時の意気が、今、木っ端微塵になりそうだった。

 花山薫──伝説は本物だった。

 間違いなく、本当に違いなかった。

 たった一発のパンチで、サクラが吹き飛んだ。

 サクラも、また、並の格闘士でないことは一目瞭然だ。

 超然とした肉体美、底知れなさ、人とは思えぬ恐ろしさを纏っている。

 それが、パンチいっぱつを避けれなかった。

 そのいっぱつで、身体にガタが来ていると眼に見えた。

 

 だが、何より加藤が恐ろしいと思ったのが、花山薫の眼であった。

 敵意がない。

 鋭い眼光だ。

 とても十九歳には見えない、分厚い眼をしている。

 あれは、愚地独歩や松尾象山や、獅子尾龍刃たちと同じ部類の眼である。

 にも関わらず、花山の眼は彼らに比べてなお、超然とした色で輝いているのだ。

 どういうことなのか、一体。

 横たえるサクラに追撃をしなかった。

 サクラが立ち上がって、息を整えてから、攻撃の姿勢に入った。

 変わらない、大袈裟に身体を捻って、パンチを打つ姿勢──

 

 あれを、おれは受けれるか!?

 いざ、花山の目の前に立って、あれをどうにかできるだろうか!?

 この試合は、加藤にとっても意味が深い。

 なにせ、加藤が次の自分の試合で勝ったなら、二回戦の相手は花山薫かサクラのどちらがなのだから。

 

 そう考えると、途端に自信が萎んでいく。

 弱きに落ちる自分の頬を、内心でひったたく。

 バカヤロウ!!

 なにを弱気になってンだッッ!!

 刃牙だって、化け物相手に勝ってンだぞッッ!

 オッサンが、おれと闘争(たた)かいてェって言ってンだぞ!!?

 おれは、愚地克巳や末堂の気持ちまで背負って、ここに立ってんだぞッッ!!!

 

 考えろ。

 考えろ、加藤清澄ッッ!!

 自分なら、こいつら相手にどう闘争(たた)かうか──

 自分が、肉体的にはこいつらに劣っていることを受け入れるンだッッ!!!!

 考えろッ!!

 

 加藤はモニターを睨みつけた。 

 その先で、花山の振りかぶった拳に、サクラが自らの拳を後出して打ち合わせていた。

 

 

5.

 

 

 不可思議なことが起こった。

 パンチを振り抜いて、腕を引き戻した花山が、目を丸くしている。

 自身の拳を見ていた。

 その拳の、小指と薬指が、真逆に折れていた。

 顔を上げる。

 にこりと笑う、サクラがいた。

 

 合わせやがった────!!

 

 と、誰かが言った。

 観客も言ったし、控室の格闘士たちも同じ内容でざわついていた。

 サクラが行ったことは、拳に対するカウンターであった。

 拳と言っても、花山の拳そのものに真正面からカウンターを取ったわけではない。

 花山の拳の小指と薬指に、自身の拳の最も硬い面を当てに行った。  

 それも、微妙に角度をつけて。

 結果、すれ違った両者の拳は掠めるように接触し、弱い方が負けてへし折れたのである。

 

「スッ……ゲぇな、サクラ」

 

 ぽつりと、獅子尾龍刃が言った。

 ダンプカーから、カウンターを取って見せた。

 正確には、ダンプカーそのものにカウンターを取るのではなく、運転席に座る運転手を、窓の側面から打ち抜きに行ったのである。

 恐るべき精度、恐るべき速度であった。

 だが、何より賞賛したいのは、その『勇気』である。

 ほんの数ミリ、ほんのわずかにタイミングがズレるだけで、砕かれていたのはサクラの拳である。

 それは間違いない。

 拳そのものが持つ破壊力は、全身を余すことなく使い尽くすパワーは、何より握力は、花山の方が遥かに上だからだ。

 サクラはどこまでもクレバーに神業をやってのけた。

 そこがスゴイのである。

 

「拳が壊れましたねェ……」

 

 サクラが言った。

 自らの優位性の確認でもある。

 花山は、しかし、

  

 折れた指を、無理やり折りたたんで、拳を作った。

 そして、また、身体を大きく捻っていった。

 

 ふ、とサクラが息を吐く。

 そうくることは読めていた。

 指の一、二本を折ったところで、花山は構わず殴ってくるだろうと。

 しかし、こうなればもう、サクラには自身の勝ち筋がはっきりと見えてしまっている。

 

 また、同じことが起こった。

 交差する拳。

 神業的に、花山の指のみを、サクラは破壊した。

 今度は、中指だった。

 

 サクラの狙いは、花山から握力を奪うことだった。

 折れた指でどんなに拳を作ろうとも、折れていては十全に力が入らないのである。

 特に小指と薬指は『握りの要』とされる力の入る指である。

 力士は、相手のマワシを取る時、まず小指から引っ掛けていく。

 剣士が刀に握る時、特に柄の下部を握る手は、小指と薬指をねじ込むように握りしめて、刀がすっぽ抜けないようにしつつバランスを取る。

 暴力団がケジメをつける際に、詰める指が小指な理由は、握力の要である小指を無くすことで、匕首を握って復讐することを防ぐためである。

 そこにきて、サクラは超絶を誇る花山の小指を破壊することで、握り拳から『硬さ』を取り除いたのである。

 こうなれば、破壊力には重さと速さに分解され、たとえ当たっても威力が半減してしまう。

 それどころか、花山は自身の質量と速力によって、さらに拳を壊しかねない。

 無論、それで花山に戦闘不能になるほどのダメージを与えられるわけではないが、とりあえず致死に至るほどの威力はなくなるのである。

 

 ちなみに、スパーリングでサクラがユリウス・ラインホルトと潰し合いになるほどヒートアップした理由のひとつが、この『小指潰し』を行ったことに起因しているのであった。

 

 ともあれ、これで花山の拳は必殺ではなくなった。

 無理やり拳を作っているが、サクラに言わせてみれば、形だけである。

 

 次いで放たれた右のパンチは、今までより引きが深くなかった。

 これを、サクラは軽々と躱した。

 そして、伸び切っていく花山の右手首を左手で掴み、花山の腰をベルトごと潰すように右手で握った。

 そのまま、花山のパンチの勢いに乗って、サクラは思い切り花山を投げた。

 

 顔面から、花山が投げ落ちた。

 受け身も取れていない。

 ぶ、と花山の鼻から血が垂れた。

 サクラは素早く身体を入れ替えた。 

 花山の背後に回った。

 隙だらけの大きな背中だった。

 

 首に、腕を回した。

 両脚を胴体に巻きつけた。

 チョーク・スリーパーだった。

 

 花山の肉体がいかにタフであろうと、首につけられる筋肉は限りがあるし、気道を塞いで窒息すれば肉体強度は関係がない。

 

 良い選択であった。

 控室で、キー坊がよしっ! と握り拳を作っていた。

  

 その隣の刃牙が、額から冷や汗を流した。

 同様に、加藤の傍に立つ獅子尾龍刃も、である。

 

 花山が、首に回ったサクラの右腕を両腕で掴んだ。

 とはいえ、右拳は壊れているし、チョークは完璧にキマっている。

 外せるわけがなかった。

 サクラは、より一層腕に力を込めた。

 

 その瞬間である。

 

 サクラの右腕から、ぱんっ、と音がした。

 乾いた音だった。

 弾ける音だった。

 水分が詰まって、吹きこぼれる音も混ざっていた。

 

 サクラの世界に、朱色が割り込んだ。

 次いで、鋭い痛みが腕にあった。

 マグマを流し込んだような熱が迸っていた。

 

 わけもわからず、サクラは自身の腕を持ち上げて、呆然としていた。

 

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