【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

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第五話:生きる意味

 

0.

 

 

 たった一夜の宿を貸し

    一夜で亡くなるはずの名が

 旅の博徒に助けられ

    たった一夜の恩返し

 五臓六腑を刻まれて

    一歩も引かぬ“侠客(おとこ)立ち“

 とうに命は枯れ果てて

    されど倒れぬ"侠客(おとこ)立ち“

 とうに命は枯れ果てて

    男一代“侠客(おとこ)立ち“

 

 ────花山弥吉

 

 

 

1.

 

 

 サクラが呆然としていた。

 自らの腕が爆発した。

 理解(わか)っているのは、その漠然とした事実のみ。

 サクラの裡に構築される世界に、その不条理は再現しようもなかった。

 

 “握撃“

 相手の四肢を両手で挟み、強く握る。

 超絶の握力によって締められ、逃げ場をなくした血液や筋細胞が、皮膚の内側から破裂するという技だ。

 サクラの知りえる常識を外れすぎていた。

 普通は、四肢の端と端に、どんなに強い力をかけて潰しても、そんな現象は起こり得ない。

 先に筋肉と骨が潰れるし、血管が破裂するにしても、内出血を起こして筋骨の隅々に血液が逃げてしまう。

 ただ握力が強いから──で、できるモノではない。

 

 しかし、花山薫であった。

 仕掛け人は、そう、花山薫なのである。

 だから、できる。

 できてしまう。

 道理や、合理性とは無縁の性質(サガ)を持ち、その生き方を押し通す花山だからこそ、非科学的だろうと、不条理だろうと成り立たせてしまうのだ。

 

 スリーパーが外れた。

 未だ呆然と自らの腕を『視』るサクラの顔面を、花山の拳が撃ち抜いた。

 

 

2.

 

 

 理解の外にある。

 それを理解した。

 

 サクラは、混濁する意識の中で、懸命に思考を働かせていた。

 花山薫へ意識を向けると、依然として、突き刺すような白光が全身から放たれている。

 ああ──

 と、サクラは息を吐いた。

 鉄の味が舌の上に転がっていく。

 吐息に、血が混じっている。

 ああ──

 と、サクラは顔を持ち上げられた。

 髪を掴まれていた。

 花山薫に身体を引っこ抜かれて、中腰の姿勢で立たされている。

 ガラ空きのボディに、花山の拳がめり込んでいく。

 ああ────、

 と、サクラは闘技場を転がり、仰向けに倒れた。

 吐く息も絶え絶えであったが、あまりにも痛すぎる花山の拳は、却ってサクラから意識を奪うことを許さなかった。

 サクラは、痛みを感じていた。

 肉体以上に、その心に。

 

 なんという悲劇であろうか──

 花山薫の光を浴びて、サクラはそう思っていた。

  

 花山薫は、()()()()()に生きるしかなかったのか。

 まだ、十九歳だと聞いていた。

 十九歳にして、ヤクザ・ファミリーの長であると。

 日本(ジャパン)で、素手の喧嘩(ステゴロ)でいちばん強いのだと──

 

 納得がいっている。

 理解が及ぶ。

 その強さに関しては、全てが腑に落ちる。

 才能が違う。

 生まれ持った肉体が、選ばれた者のそれだ。

 その実感がある。

 サクラは、花山薫の人生など、何も知らない。

 花山薫の情報は秘匿されている。

 なにせ、サクラですら些細を窺い知れない狂気の白光が、全てを覆い尽くしているのだから。

 少なくとも、花山薫がどういう人生を送ってきたのか、前情報ではほとんど知らなかった。

 向かい合ってすぐに、凄絶な人生を歩んでいると気づいた。

 その精神が、普通の人間では生涯を賭けても辿り着けない境地にあると気づいた。

 ただ人の焦がれる情景に、花山薫は立っている。

 その立ち姿は、多くの男たちを魅了するのだろう。

 

 なんという悲劇であろうか。

 花山薫は、生まれながらにして強かったのだろう。

 類まれな『(きょう)』を持って生まれたのだろう。

 そして、そこに誇りを持っている。

 だからこそ『()』のままにあって、強者の振る舞いができているのだ。

 まだ、十九歳だというのに。

 この生き方しか()()()()というのだ。

 この生き方で()()()()()()()()と、花山薫は自らに戒めているのだ。

 

 かつての自分のように。

 母のために、強い自分であれと、己に楔を打っていた、かつての自分のように。

 

 だから、強い。

 だからこそ、憐憫の情が湧いて仕方がなかった。

 おそらく、花山薫という漢は、勝ち負けに拘泥していない。   

 勝っても負けても、そんなことは二の次に違いない。

 “生涯、この生き方をやり通す“

 それしかないのだ。

 その道を往く────

 死ぬまで、その瞬間まで、その道の上にある。

 

 その道を踏み外すなら、死ぬべきであるとさえ思っているだろう。

 この道を歩めない、意地を張り通せないのなら、花山薫という漢は躊躇いもなく自死を選択(えら)んでしまうだろう。

 だから、強い。

 勝つとか──

 負けるとか──

 そういう所に自分を置かない。

 だから、誰が相手なのかは関係がない。

 だから、誰に何を言われても、関係がない。

 自らがその『在り方』を示せているなら、それでいい。

 そういう哲学がある。

 その哲学しかない。  

 そこには過去も、未来もない。

 その瞬間、花山薫が花山薫であればいいという究極の刹那主義だ。

 だから、折れない。

 小細工など、通用するハズもない──

 

 サクラは立ち上がった。

 しこたま殴られた胸が、顔が、不自然に熱を持っている。

 腕を滴る血が生暖かい。

 錆臭い匂いが鼻を突く。

 生きている証であった。

 

 試合は止まらない。

 最大トーナメントの決着は、棄権以外にはどちらかの明確な戦闘不能が条件である。

 まだ、闘争(たた)かえる。

 そう判断されているのだ。

 サクラ自身がそう思っている。

 その心地は、サクラの強がりではない。

 花山薫のパンチと、同種のパンチをもらったことがある。

 

 獅子尾龍刃──

 一九X X年。彼と闘争(たた)かって、いっぱい話し合って、抱きしめあって、サクラは自らに釘刺した楔を解き放った。

 あの経験があるから、花山薫のパンチでも立ち上がれる。

 破壊力という意味なら、ユリウス・ラインホルトのそれだって、負けてはいない。

 大久保直也の愚直な情念だって、受け止めてきた。

 

 だからと、サクラは勝手に想う。

 今度は、ボクの番だと。

 花山薫の人生を、ほんの少し、動かしてあげようと。

 ほんの少し、自由にしてあげようと。

 もちろん、こんな想いは、サクラが勝手に想っているだけだ。

 花山薫が、花山薫であることには不自由を感じていないかもしれないし、それを貫くことを美学としているなら、間違いなく余計なおせっかいにすぎない。

 だから、これは、言葉としては間違っているね。

 己の中で問い直す。 

 違うでしょ。

 そう、違うんだ。

 考える。

 言葉を探す。

 ──あった。

 そうだ。

 “ぶつける“

 これだ。

 己の全てを、ぶつける──

 ありったけを、使用(つか)う。

 想いの全てを、塊にして、ぶつける。 

 それでいい。

 それでいいんだ。

 リュージンだって、最初っからボクを救おうとして話し合い(たた)かっていたワケじゃない。

 全てをぶつけてきてくれて、がむしゃらに挑んできて──結果として、ボクが勝手に救われたんだ。

 だから、ボクも同じことをやろう。

 花山薫の人生を、ほんの少しだけ動かそう。

 リュージンがそうしてくれたように。

 そのために、ボクのありったけを花山薫にぶつけてやろう。

 

 

3.

 

 

 サクラは冷静であった。

 それは、単に思考がそうなのではなく、動きにも現れていた。

 花山のパンチを、サクラは投げた。

 全身を使って、腕を掴むというより飛びついて、身体全体をしならせて、花山の身体を引っこ抜いて、顔から闘技場に叩き落とした。

 それを、何度も続けていた。

 恐るべき光景であった。

 少なくとも、花山薫のパンチを存分に味わったことがある、範馬刃牙が戦慄する景色である。

 花山薫のパンチは、全く同じリズムで、全く同じ軌跡を描き、真っ直ぐに、ど真ん中に飛んでくる。

 だから、理屈の上ではカウンターを取りやすいパンチではある。

 しかし、言うは易し行うは難し。

 それを実際にやろうとしても、身体はまずそのようには動かない。

 実際、サクラの全身からは、尋常ではない汗が吹き出ていた。

 花山のパンチが眼前に迫る度に、過度の緊張が全身を巡っているのが、傍目からもわかった。

 それでも、サクラの動きにミスはない。

 的確に、花山の腕を巻き上げて、正確な投げを行っていた。

 

 しかし、何度叩きつけられても、花山はケロリと立ち上がってくる。

 対して、サクラの摩耗は手に取るようだ。

 腕からの出血も全く止まらない。

 

 勝負アリだ。

 範馬刃牙はそう思っていた。

 隣の宮沢熹一もそう思っていた。

 地下闘技場の格闘士たちも、皆、そう思っていた。

 観客たちにさえ、サクラの頑張りは風前の灯──最期の悪あがきと受け取られていた。

 

 しかし、サクラの勝ちを信じている男がいた。

 

 獅子尾龍刃であった。

 

 拳を握りしめ、指先から汗が滲んでいた。

 歯を食いしばって、祈るような視線を投げていた。

 あるいは、それは願望も混ざっていたかもしれない。 

 花山薫の強さは、獅子尾龍刃も知るところであった。

 秋田太郎に誘われて、幼少の花山の力試しに付き合わされて、花山の規格外の馬力を受けた龍刃の脳裏に浮かんだ漢は、範馬勇次郎であった。

 

 範馬勇次郎と同じものを、花山薫は持って生まれている。

 それすなわち、『(きょう)』である。

 着の身着のままでありながら、花山薫は範馬勇次郎のように、絶対強者としてあるべく、神か何かによって創造(つく)られたのだ。

 

 それでも、

 それでも、サクラに勝ち目はある。

 まだ、負けていないのだから。

 

 獅子尾龍刃は目に涙を滲ませて、モニターを眺めていた。

 

 

4.

 

 

 花山のパンチを、サクラが取った。

 位置が違った。

 今までは、花山がパンチをほぼ振り切ってから、腕を掴んで巻き上げていたが、今回はパンチが伸び切る前に、サクラ自らが花山の懐に踏み込んでいた。

 お構いなしに伸びていく花山の右腕を、サクラが全身で握っていく。

 振りがあった。

 サクラは、花山の腕を、下から巻き上げた。

 その際に、自ら跳んだ。

 パンチの進行方向に、身体を捻っていた。

 投げじゃない──

 範馬刃牙を筆頭に、何人かの格闘士が、サクラの狙いに気づいていた。

 

 サクラの身体が、宙空に留まった。

 ほんの一瞬ではあるが、花山の腕を抱えたまま、はっきりと空中で止まった。 

 そこから、サクラは全身を使って翻った。

 花山の腕を、自身の胸に仕舞い込むように潰していた。

 花山の腕に、サクラはボディプレスを仕掛けた。

 さしもの花山も、サクラの全体重と全馬力で抑え込まれて、バランスを崩して前のめりに倒れ込んだ。

 腕は、当然伸び切ったまま──

 

 地面に落ちた。

 折り重なるように、ふたり揃って。

 ボキッと音がした。

 悪寒の走る音であった。

 サクラが立ち上がった。

 花山は、まだ地面に伏せていた。

 

 伸び切った右腕が、肘の部分から真逆に曲がっていた。

 

 花山の額に、ようやく、人間らしい脂汗が浮いた。

 その背に、サクラは抱きついた。

 

 サクラが仕掛けたのは、チョーク・スリーパーだった。

 

 

5.

 

 

 バカな──と思い、刃牙は一瞬でその思考を打ち切った。

 

 握撃ができないッッ!!

 右腕が折れているのだ。

 首に巻かれるサクラの腕を、今の花山では挟み潰すことができないじゃないかッッ!!

 花山薫が如何に人間離れしていようが、その身体構造そのものはアタリマエに人間である。

 その身体には骨があり、肉があり、血液が巡り、内臓が収まっている。

 両脚が折れていても、あるいは立つことはできるかもしれない。

 しかし、歩くことはできない。

 それが生命の摂理だ。

 腕が、指が折れていれば、指に力を入れられない。

 拳を握れない。

 アタリマエの話だ。

 なぜ、思い至らなかった──ッッ!!

 

「花山さんッッ!!!」

 

 刃牙が叫んだ。

 モニター越しの花山の顔からは、生気が抜け始めていた。

 

 

6.

 

 

 ここしかない。

 とサクラは腕に力を込めた。

 必然、圧のかかった腕からの出血が激しくなる。

 たった一度のチャンス。

 モノにするために、血を失いすぎていた。

 ここを逃せば戦闘不能は避けられない。

 力が抜けそうになる。

 意識が飛びそうになるのを、歯を食いしばって懸命に耐えていた。

 がんばれ──ッッ

 自らに言い聞かせる。

 がんばれ。

 こんなモンじゃないハズだ。

 クライベイビー・サクラの底力は、こんなモンじゃない。

 たくさん苦しい思いをしてきた。

 でも、それに負けなかった。

 負けなかったから、今、ここにいる。

 もし、ここで腕を離してしまうような男なら、ボクは地下格闘で、とっくに誰かに殺されているッッ。

 五秒だ。

 五秒で落とす。 

 しっかり極まっている。

 これは、今回は外せない。

 たったの五秒だ。

 たえろ!

 がんばれ!!

 永遠に近い五秒だ。

 まだ、五秒経っていないのかッ!?

 もう、三十秒は締めている気がする。

 まだ、花山薫の身体に力がある。

 なんというタフさだ。

 まさにビューティフルな肉体だ。

 かんばれサクラッッ。

 

 ──がんばれ! サクラッッ!!

 

 あれ、この声……

 ボクのじゃない、この声……ッ!!

 

「がんばれッッ!! サクラァーッッ!!!」

 

 リュージンッッ!!!

 ああ、そこにいる……出てきてくれたんだね!!

 見ていてくれたんだねッッ!!

 やっぱりきみは、見ていてくれたんだねッッ!!

 そこにいるんだねッッ!!

 じゃあ、がんばらなきゃ!!

 ボクが勝つんだ!!

 この漢に勝てたのなら、ボクはさらに強くなれるッ!!

 もっと強くなって、リュージンともういっかい遊ぶんだッ!!

 ボクが勝つッ!!

 ボクが勝つんだッッ!!

 花山薫の身体から、力が抜けてきたッッ!!

 勝ったッッ!!

 勝ったよッッ!!!

 リュー……

 

「サクラァッッ!! 手を出すんだあッッ!!!」

 

 リュー……ジン?

 

 

7.

 

 

 花山薫は、立っていた。

 サクラを背に抱えたまま、立ち上がった。

 そして、サクラの腕を、優しく、左手で解いていった。

 サクラの表情は、それを認識できていなかった。

 微笑を浮かべたままだった。

 花山が正面に向かい合った。

 花山もまた、白目を剥いていた。

 意識がなかった。

 

 だが、それでも、花山薫の肉体は、拳を握って、身体を引き絞っていた。

 

「サクラァッッ!! 手を出すんだあッッ!!!」

 

 獅子尾龍刃は柵を握りつぶして叫んだ。 

 サクラの意識は、戻らなかった。

 

 花山のパンチが、サクラの顔面を叩いた。

 サクラの身体は力無く、後方の柵まで回転しながら飛んでぶつかり、そのまま倒れて動かなくなった。

 

 ……サクラは読み違えていた。

 ふたつ、花山薫のことを、見通せていなかった。

 花山薫の精神に刻まれた、その背に描かれる漢のことを──

 

 

8.

 

 

 一六一六年、如月。

 当時、豪農と知られた花山家は、ある夜、山賊に襲われる。

 一族郎党全滅の憂き目に会うも、その夜、一夜の宿を貸した旅の博徒により、一ツブ種の弥吉をこの世に残すことになる。

 

 もはや逃げることも敵わぬと悟った博徒は、幼い弥吉を寺の鐘の中に隠し、その背に背負い、山賊の前に立つ。

 

 我が身を盾とし、この名もなき博徒は幾たび斬られても、幾たび突かれても、絶命してなお立ち続け、ついには弥吉の身を守護(まも)り抜いた。

 

 以来、花山家ではこの博徒を『侠客(おとこ)』の鑑として崇め、その背に『侠客(おとこ)立ち』として宿し、その精神を連綿と引き継いでいる──

 

 花山薫の背にも、当然、『侠客(おとこ)立ち』は彫られている。

 彫られた上から斬り刻まれた『侠客(おとこ)立ち』は、花山の在り方に“かくあるべし“と標を刻んでいるのである。

 

 つまり──仮に負けるとしても、博徒を背負いし花山薫が()()()()()負けることなどあり得ないのだ。

 意識は失えど、  

 花山の細胞が──、

 花山の魂が──、

 あるいは、花山の信仰が──……

 サクラを背に負ったまま、花山薫の肉体を立たせたのである。

 

 これが、サクラのひとつ目の見落としである。

 そして、もうひとつの見落としこそが、花山薫を()()()()()である範馬勇次郎()()()()()()理由であった。

 

 花山薫は、自らの人生を不幸と思っていない。

 自らの生き方を、在り方を、不幸せとは思っていないのである。

 類まれな『強』を持って生まれながら、花山薫という漢がその他大勢の『弱者』に気を遣い、『弱者』を慕う心を併せ持つ理由。

 それこそが、名もなき博徒の存在そのものであり、博徒の起こした行動そのものであった。

 

 名もなき博徒は、果たして何を想っていたのか?

 弥吉を、その命に変えても守り抜いたのは、世話になった花山家に恩を返すためだけだろうか?

 山賊から逃げられぬと知った時、博徒は何を想ったのだろうか──?

 弥吉を鐘にかぶせ、それを背負った時、何を想ったのか──?

 山賊に囲まれ、その手に血を吸った刀や槍を見て、何を想ったのか──?

 斬り刻まれる己の身体を、失われ行く命を前に、何を想っていたのか──?

 

 今となっては、何もわからない。

 しかし、ただひとつの事実として、旅の博徒の行いによって、花山薫が今日(こんにち)ここに生きているということがある。 

 花山薫は──花山家は、旅の博徒に未来を貰ったのだ。

 博徒が命を引き換えにして、花山薫に命を与えてくれたのだ。

 だから、それだけでいい。

 名もなき博徒は、自分の全てを捨てた代わりに、花山薫に人生をくれた。

 だから、それだけでいい。 

 名もなき博徒が何を想っていたのか──それを考えるだけでよかった。

 例え、漆黒の闇のど真ん中に埋もれたとしても。

 例え、踏み出した道が底なしの闇だったとしても。

 例え、その場から一歩も動けなくなっても。

 花山薫は、自らの背に刻まれた名もなき博徒に寄り添うだけで、花山薫として生きていけるのだ。

 

 花山薫の人生で、波紋があったのは三度。

 父の帰らぬ背を見届けた時。

 範馬勇次郎に敗北した時。

 母が還らぬ人となった時。

 

 それでも、花山薫の人生には、名もなき博徒がいたのである。

 

 だから、屈折しなかった。

 だから、範馬勇次郎のようにはならなかった。

 だから、『生』のままに『強』を纏って、人として生きていける。

 

 サクラがもし、普通人ほどに目が見えていたのなら。

 花山薫の不条理な肉体と不合理な哲学とを結びつけることができたかもしれない。

 底知れぬ狂気を孕む、花山から放たれる白光の正体を暴くことができたかも知れない。

 

 しかし、サクラは見誤った。

 見誤ざるを得なかった。

 

 それが、勝敗を分けた。

 

 

『勝負ありッッ!!!!』

 

 

 審判のコールが轟いた。

 

 意識を取り戻した花山薫は、敵意を超越した眼で、サクラを見下ろしていた。

 

 

 

 一回戦第七試合:勝者、花山薫

 

 




次回、一回戦第八試合:加藤清澄対純・ゲバル 開始ィッッ
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