【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

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第三話:太陽は沈まない

 

1.

 

 

 ──誰か、止めてやれよ。

 そんな声がした。

 呟きであった。

 誰ともなく発し、それに異論を唱えるものは誰もいなかった。

 血に飢えた観客たちがざわついていた。

 試合を観る彼らの表情は、全体的に青ざめていたし、もう、すでに、結果の分かりきった()()この試合の推移に、興味を失っている者さえいた。

 

 加藤清澄はボロボロになっていた。

 ゲバルの攻撃に、何度も打ちのめされていた。

 ゲバルは、途中までは棒立ちで加藤のローキックを受けていたが、ある時からローに合わせて、張り手を打ち込んだのである。

 加藤の顔に、それはめり込んだ。

 まるで、トラックにでもぶち当たったように、加藤は吹っ飛んで、闘技場を転がっては砂を噛んで立ち上がった。

 フラフラだった。

 たった一発で、膝が笑っていた。

 それでも、加藤の眼には光が灯っていた。

 ゲバルは追撃をしなかった。

 また、加藤がローキックをし始めた。

 今度はパンチも混ぜていた。

 つまり、前よりも半歩踏み込んだ位置に立っていた。

 それらが、軽く捌かれていく。

 パンチは当然と手ではたき落とされ、ローキックすら足の裏で簡単に止められていた。

 そして、自分の番が回ったとばかりに、ゲバルがまた張り手を顔に打ち込む。

 加藤が吹き飛び、吐瀉物を撒き散らしながら、息も絶え絶えに立ち上がる。

 それを、ゲバルが待ち構えている。

 

 そんな攻防が、ずっと続いていた。

 傍目には、勝負の決した戦いに見えていた。

 加藤の攻撃は全く通じていない。

 ゲバルの一撃は、強く、重く、激しく、加藤を吹き飛ばして大ダメージを与えていく。

 勝ち目がないとはこのことであった。

 誰の目からも、加藤に勝機は無かった。

 しかし──加藤は立ち上がった。

 眼に、光があった。

 この闘技場の光量にも負けぬ、強い光であった。

 血反吐を吐きながら、砂埃に塗れ、吐瀉物を拭うこともせず、立ち上がってはゲバルにワンパターンな攻撃を続けていく。

 また、カウンターが入った。 

 ゲバルは完全に、加藤の攻撃のタイミングを盗みきっている。

 しかして、倒れ伏す加藤に、ゲバルは決して追撃をしなかった。

 

 ナメているわけではない──

 

 というのを、範馬刃牙は感じていた。

 ゲバルは、加藤清澄をナメていない。

 むしろ逆だ。

 最大限の警戒を当てている。

 自分の攻撃では、加藤の眼の光を絶てない。

 加藤を見下ろすゲバルの表情は、それを確信している顔であった。

 今、加藤清澄は精神の力で立っている。

 肉体の力だけでは、とうに、加藤清澄は倒れているだろう。

 そして──加藤は、一発逆転の手を持っている。

 切り札を当てる機会を、虎視眈々と狙っているのだ。

 あの眼の光──

 その強さの一端を担うのは、その切り札への自負の現れなのだ。

 ()()がキまれば、一撃で戦局をひっくり返せる。

 そういう自信が加藤にはある。

 だから、その拠り所がある限り、加藤は折れない。

 それは即ち、加藤が、加藤なりに積んできたトレーニングへの信頼でもあり、目的のためにキツいトレーニングを乗り越えてきた、自分に対する想いの強さでもあった。

 

 それを読み切っているからこそ、ゲバルは深く踏み込まない。

 倒れた加藤に追撃をしない。

 加藤が狙っているのは、十中八九『肉を切らせて骨を断つ』、だ。

 あるいは、差し違えることさえ待望(のぞ)んでいる眼だ、あれは。

 加藤の能力をあらゆる面で上回りつつも、加藤の手札が読めない以上、ゲバルのヒット・アンド・アウェイな立ち回りは慎重を期す『正解』に違いない。

 だから、刃牙も、それを責める気は毛頭ない。

 ゲバルの行いは、勝ちを引き寄せるための手段だ。

 勝つために、手を尽くしているだけだ。

 いかに卑劣で臆病に見えても、ゲバルのそれは立派な兵法である。

 あるいは、表世界の豪奢たる格闘技大会なら、ゲバルに審判からの注意が入ることもあろうが──ここは、地下闘技場なのだ。

 勝つために、指を眼に突っ込むことを許容する場なのである。

 

 ましてや、刃牙に言わせるなら、ここまでイタズラに試合が長引かせているのは加藤のミスでもある。

 加藤は、()()を作りすぎていた。

 おそらく、切り札が最大限の効力を発揮するシチュエーションを望んでいたのだろうが、もったいぶった結果、ゲバルの警戒心を最大限にアゲてしまった。

 その切り札に相当の自信があるのなら、多少のダメージは覚悟の上で突っ込んで、強引に決着(キメ)ることをやるべきだった。

 いや、もしかすると、この状態は、ゲバルがワザと手加減した攻撃で加藤に適度なダメージを累積させ、加藤の望む最高のシチュエーション作りを阻害し続けた結果なのかもしれない。  

 心理的な駆け引きでも、加藤はゲバルに劣っているのか。

 いや、ゲバルがすごすぎるだけか、これは。

 

「見事やな……」

 

 刃牙の隣で、キー坊がつぶやいた。

 ゲバルへの感嘆と、加藤への憐憫と共感の混じった声である。

 憔悴しきってなお、意気の衰えぬ弱者──加藤の振る舞いは、格闘士たちの共感を呼び、その心を強く引き込んでいた。

 刃牙とキー坊の背後に、その表情を読み取らせまいと下がっていた獅子尾龍刃が、眉を顰めさせて口をつぐんでいた。

 とうとう、苦心を隠せなくなっていた。

 その隣に、ジャック・ハンマーが静かに並び立つ。

 ジャックもまた、モニターの向こうでボロボロになりながらも、光を見失わない加藤を、真摯な表情で見つめていた。

 

 オリバだけが、微笑を携えていた。

 いや、もうひとり、嬉しそうに笑っている男がいる。

 

 愚地独歩──

 不安と辛苦をないまぜにした愚地克巳と全く真逆の、ともすれば羨望の色に輝く視線を、加藤に投げやっている。

 

「お、親父……」

 

 克巳が言った。

 声が震えていた。

 

「止めなくて、いいのかよ……」

 

 独歩は答えない。

 声では。

 振り返った独歩の(かお)は、言葉よりも雄弁に、克巳に聞き返していた。

 

 ──止める? 冗談じゃねェゼ。 

 ──羨ましくねェのかい、オメェはよ?

 

「──ッッ!!」

 

 克巳は歯を食いしばった。

 独歩の笑顔の底の底──そこに、腑の奥に煮詰まるドス黒いものを見たからだ。かつて見たことがない父の狂気を垣間見たからだ。

 自分が止めに行く──

 瞬時にそこに至り、克巳は振り返った。

 が、一歩も踏み出せず、足を止めた。

 

 視線の先に、葛城無門が立っていた。

 両腕を適度に弛ませ、背筋を伸ばし、いつでも攻撃可能な姿勢で。

 

「どこに行くんだい、克巳」

 

 問いかけのようで、疑問符のない言葉であった。

 冷気を纏わせる、恐ろしく妖艶な声であった。

 

「アニキ……これ以上は、もう……もう……ッッ」

「ダメだよ、克巳。()()()()邪魔しちゃいけない」

「お、おれは部外者じゃ……ッ!!」

「だったらなおさらだ。克巳、おまえは加藤さんを負けさせたいのか?」

「────ッッ!?」

 

 無門は静かに、力強く、克己を睨み上げた。

 克巳を睨むそれは、怒気を孕ませた強い目であった。

 思わず、克己は息を呑んだ。

 克巳の気構えが後退りしたのを見計らって、無門は口を開いた。

 

「加藤さんは、まだ、負けを認めちゃいない」

「────ッッ!!」

「克巳。参加者でもないおまえが、加藤さんを勝手に敗北(まけ)させちゃいけない」

 

 それだけはやっちゃいけない。

 これは『大会』だ。

 いかにダーティを気取ろうとも、野試合とは違う。

 最低限のルールがある。

 どちらかに肩入れした部外者の乱入は、その時点で、肩入れされている方の負けを意味する。

 

「克巳。選手でもないおまえが、加藤さんを負けさせるな」

 

 強い、言葉だった。

 弟を叱る、兄の言葉であった。

 克巳は項垂れた。

 つ、と汗が滴り落ちた。

 部外者──この、おれが。

 肩が、小刻みに震えていた。

 屈辱が、しかし、すんなりと飲み込める。

 アニキの言う通りだ。

 おれは、加藤に負けた。

 だから、今、ここにいる。

 こんなことになるなら、加藤に勝っていればよかった──

 しかし、自分は敗者だ。

 どう取り繕っても、自分は加藤に負けたのだ。敗者が、加藤の勝負を決定する権利も、そんなことを口にする権利もないのは当然のこと。

 

「アリガトよ、無門くん」

 

 小声で、愚地独歩が言った。

 無門はかすかに頷いて、克巳の肩に手を乗せた。

 見守ろう。

 そう、無門は述べていた。

 おれたちにできることは、見守って、信じることしかない、と。

 克巳は頷いた。

 その所作に、普段の生意気さはどこにもなく、まるで幼子のように素直な反応であった。

 

 

2.

 

 

 加藤の姿に、ゲバルもまた、共感を覚えていた。

 圧倒的格上に、弱者が立ち向かう──

 心の底から共感できる、加藤の現在(いま)であった。

 弱者が、強者に立ち向かう時、絶対に負けてはならないのは(ハート)である。

 (ハート)だけは、何があっても負けてはならない──

 肉体は鍛えればいい。

 武力は、いつだって、どんな時だって、思い立った瞬間から、いくらでも身につけることができる。

 大事なのは、その瞬間の勝ち負けではない。

 立ち上がることだ。

 叩きのめされて、潰されても、死なない限りはまた、何度でも立ち上がればいい。

 弱いなら、武器だって、本当は使用(つか)ってもいいんだ。

 それがそもそも武術だからな。

 だが、何を使用(つか)うにせよ、どうやって戦うにせよ、その結果何が起こっても、(ハート)だけは負けてはならない。

 心が折れた時が、そいつが真に敗北する時なんだ。

 

 加藤清澄──

 やはり、いい戦士(ウォーリア)だった。

 強者に立ち向かう覚悟を持っていた。

 覚悟を、肉体の隅々まで漲らせて、何度でも立ち上がれる漢だった。

 ()()()()()、踏み込まない。

 バカにしているつもりはない。

 むしろ、最大限の敬意を注いでいる。

 加藤清澄は『牙』を持っている。

 この、今この瞬間こそ、強者の側に在る自分に、ゲバルに届きうる『牙』を──

 だから警戒する。

 だから、差し違えることはさせない。

 心が折れない漢だからこそ、心をへし折るやり方をする。 

 つまり、完膚なきまでの敗北を味わわせる。

 徹底的に叩き潰す。

 いい蹴りなんだ。 

 いいパンチなんだ。

 加藤清澄のそれは。

 身体を、徹底的にいじめ抜いた男じゃないと、あの蹴りやパンチは出せない。

 身体を徹底的にいじめ抜いて、それを耐え抜ける男だけが獲得できる質のパンチなんだ。

 そういう男は、最後まで油断できない。

 強さに驕ることがないからだ。

 意識を失っても、戦いをやめないからだ。

 自分は弱い──それを、誰よりも知っているからだ。

 弱いから、小細工をする。

 弱いから、技術を身につける。

 弱いから、心だけは強い。

 加藤清澄に『弱さ』を教えた男たちは、いい男だ。

 武神──愚地独歩。

 そして、獅子尾龍刃。

 やはり、名の知れた男たちだ。

 ほれぼれする。

 一撃一撃、丁寧に、和紙を積み重ねるように、カウンターを打つ。

 打って、倒れて、それを追撃しない。

 追撃されることを、誰より望んでいるのは、加藤清澄だからだ。

 

 おそらく、加藤の切り札は、カウンターだ。

 ありうるのは、こちらのサンデー・(得意な)パンチに合わせたクロスカウンターのようなものだろう。

 加藤の狙いはこちらの最大の攻撃。

 地球(ほし)の地殻を利用した拳は、倒れた相手にはあまり有用ではない。

 しかし、あれを先に見せている以上、加藤の理性が働いている間は、むやみやたらに懐に飛び込んでくるような真似はできない。

 つまり、加藤のローキックやパンチに適度にカウンターを合わせて突き飛ばせば、加藤の体力も精神力も勝手に削れていく。

 ゲバルの望む最善は、加藤自身の口からの敗北宣言だが……意識を失ってもそれだけはしまい。

 ダメージが理性を奪う方が先であろう。

 理性がなくなって、安易に飛び込んできたら、アッパーで顎を砕く。

 加藤は、眼の光こそ衰えぬものの、肉体には既に、相当のダメージが累積している。

 脂汗がびっしり浮かび、まぶたは腫れて、鼻は曲がり、唇は切れて、空手衣は転がりまわって全身砂まみれ、膝は笑っている。

 闘技場の中央は陣取っているため、加藤には吹き飛ぶ範囲すら狭い。

 

 また、ローに合わせて張り手を打つ。

 加藤が、あっさり吹き飛んで、勢いそのままに柵に背面をぶつける。

 ごきり、と音がした。

 骨が折れたか、外れる音だった。

 加藤は大きくのけぞって、糸の切れた人形のように、くたりと、力なく闘技場に沈んだ。

 

 ゲバルはそれをみて、ふ、と息を吐いた。

 審判──もとい、徳川光成へと振り返った。

 

「終わったようだぜ」

 

 そう言ったが、光成は胸元で手を組んで、表情は引き締めたまま、何も言わなかった。

 

 ぞわ……とゲバルの髪が逆立った。

 理由は、振り返るまでもなく、理解(わか)っていた。

 

 加藤が攻撃を仕掛けている。

 それが届く前に、振り返った。

 加藤の姿は、しかし、そこになかった。

 影が見えた。

 上──ッッ!?

 ゲバルの頭身より高く、加藤は跳んでいた。

 おそらく闘技場の柵を蹴って跳んでいる。

 この姿勢からは……渾身の跳び蹴りか。 

 逸ったな、加藤清澄。

 跳んでしまうとは──

 

 ゲバルが、強く大地を踏んだ。 

 砂埃が激しく立ち昇った。

 右のアッパーが、宙空にある加藤の顎に向かって真っ直ぐに飛んだ。

 

 めきいっ、

 

 と音がした。

 金属が捻じ曲がるような、鈍い音だった。

 

 加藤清澄の膝が、純・ゲバルの顎を打ち抜き、右腕の関節を巻き取ってその身体を地に伏せていた。

 

  試合開始から十二分と少し。  

  『虎王』──完了。

 

 

3.

 

 

 闘技場が爆発した。 

 歓声が巻き起こった。  

 間違いなく今日一番の歓声であった。

 どこかで、勇次郎が笑っていた。

 控室で、獅子尾龍刃がガッツポーズをとった。

 ジャック・ハンマーが微笑して、その背を叩いた。

 

 範馬刃牙は愕然としていた。

 

 『虎王』──ッッ!!

 古武術の重鎮、竹宮流の秘技。

 かつて、範馬勇次郎に敗れた刃牙が、現当主の泉宗一郎に手ずから指導を受け、授かったワザであった。

 

 少し離れた場で、同様の経緯を得て『虎王』を習得した、丹波文七も目を見開いていた。

 

 ゲバルのアッパーを、加藤清澄は()()()に躱した。 

 宙空で、あれは見切っていたワケでも予測していたワケでもなく、明らかに『勘』で避けていた。

 

 アッパーを打ち切ってガラ空きになったゲバルの後頭部に、加藤は蹴りを打ち込んだ。

 これは、あっさりと手で防がれた。

 それから、コンマ一秒の間を置いて、下から振り上げられた膝に、ゲバルの顎が打ち抜かれたのである。

 意識の外からの痛烈な一撃に、さしものゲバルの腰も砕けた。

 加藤はアッパーの腕を握り、翻し、ゲバルをうつ伏せになるように潰し、その背に乗って、落ちた。

  

 ここからの攻防は──息をつかせぬ速度で行われた。

 

 関節を極め、潰されていたゲバルが、全身を使って真上に跳んだ。

 これは、地球(ほし)の地殻を利用した(パンチ)の応用を、わずかな足の設置面から伝わる力で行い、左拳ひとつで身体を持ち上げたのである。 

 宙空で、ゲバルは激しく身を翻した。

 つまりバク転を行い、加藤の極めを千切るように逃れ、両脚でゆるやかな着地を成功させた。

 しかし、加藤の動きは一手分疾かった。

 慌てることなく姿勢を整え、先んじて着地し、ゲバルの右脚に向かって右のローキックを放っていた。

 ゲバルは当然その動きを見て、予測する。

 右脚を大地に接続し、防御姿勢をとった。

 

 すると、加藤の右脚は、ゲバルの左側頭部を穿っていた。

 

 ブラジリアンキック──

 ゲバルはしかし、意識を保つ。

 脳は揺れているが、加藤は目の前だ。

 パンチを出せば当たる──そういう位置である。

 だから、パンチを出そうとした。

 だから、気づかなかった。

 加藤の右足が戻っていないことに。 

 左膝が、自身の顎に向かって振り上げられ、貫いたことに──ッッ!!

 

 禁断の『虎王』二度撃ちッッ!!

 女神は加藤に微笑んだッッ!!

 

 ゲバルがうつ伏せに、頭から倒れていった。

 加藤は息も絶え絶えに立ち、興奮に眼を血走らせて、ゲバルを見下ろしていた。

 

 ──立ってくるなッッ!!

 

 加藤の想いはひとつだった。

 

 立ってくるなッッ!

 立ってくるなッッ!! 

 そのまま一生寝てろッッ!!!

 立たれたら、もう、打つ手がないッッ!

 全力は使い果たしたッッ。

 手札も全て切ったッッ。

 もう、この男に『虎王』は通用しないッッ!!

 身体はボロボロを通り越している。

 あと、このおれに残っているものは、僅かな気力と『命』だけだッッ!!

 立つなッッ!

 立つなッッ!!

 立つなッッ!!!

 

 立つ────……

 

 風が吹いた。

 風が吹いていた。

 風が、ゲバルに向かって吹いていくのを、加藤は感じてしまった。

 

 ちくしょう────ッッ

 

 加藤の目の前で、ゲバルは何事もなく立ち上がった。

 寝床から起きるような動作で。 

 ごく自然に、生命力に満ちた眼で、加藤を見下ろしていた。

 

 

4.

 

 

 どうしようもない。

 誰もが諦めた。

 加藤清澄の負けを、誰もが認めていた。

 範馬刃牙も──、

 愚地克巳も──、

 葛城無門も──、

 丹波文七も──、

 愚地独歩も、獅子尾龍刃でさえ──加藤の負けを覚悟した。

 

 当の加藤は──しかし、落ち着いていた。

 異様な落ち着きぶりであった。

 わかっていた──そう思う。

 こいつは立つよな。

 そうも思う。

 

 純・ゲバル──

 この男は、強い。

 とてつもないものを背負っている。

 それが、全身から伝わってきた。

 何か──加藤清澄では計り知れない責任か、愛か、プライドか……とにかく、何かを背負って、拳に乗せている。

 だから、立ってくるよな。 

 こいつは、このひとは、おれなんかとは違うもの……

 明日(あす)を生きるために、拳を握ってんだもの……

 

 この、とんでもなく強い男と戦うために──あと、加藤清澄は何を使用(つか)えばいいんだい?

 あと、おれに、何が残ってんだい?

 

 ──あ!

 あるじゃねえか。

 まだ、あるじゃねえか。

 たったひとつ──このおれが、戦いに使用(つか)えるモンが……ッッ!!

 

 

5.

 

 

 加藤が総毛立った。

 目が見開いていた。

 気力が、途端に溢れ出した。

 

「ッシャアアァァァッッ!!!!」

 

 叫んだ。

 足を踏み締めた。

 拳を握った。

 加藤の闘気によって、闘技場が震えていた。

 力が入りすぎているが、それも仕方がない。

 

 何人かが気づいた。

 格闘士も、観客も、徳川光成でさえも。

 加藤清澄は、『命』を使用(つか)う気だ。

 文字通り、命懸けで闘争(たた)かう気だ──

 

 ゲバルが頭を掻いた。

 かぶりを振った。

 困ったように眉を顰めて、苦笑していた。

 

 振り返った。 

 背を向けた。

 加藤に。

 

 加藤の意識が、一瞬緩む。

 その隙を縫って、顔だけを振り向かせた。

 その時のゲバルは、心から笑っているようだった。

 

 ゲバルはそのまま歩いていった。

 通路に向かって。

 柵を開けて、何の躊躇(ためら)いもなく、闘技場を後にした。

 

「────ッッ!!?」

 

 ワケがわからなかった。

 加藤は唖然としていた。

 一歩も動けなかった。

 どういうことだ。

 なぜ? どうしてだ?

 ゲバルは立ち去った?

 なぜ──?

 

『勝負ありッッ!!!!』

 

 決着のコールが轟いた。

 会場がざわめいた。

 ゲバルが自分の足で闘技場を去り、加藤が勝った──?

 

 徳川光成が歩みでた。

 マイクを手にしていた。

 光成は、観客に対し、加藤に対し、語った。

 

 どんな理由があろうと、試合の途中で闘技場を出れば負けとなる。

 

 ──と。

 シンプルな話であった。  

 地下闘技場の、数少ない『ルール』だった。

 

 加藤はざわめきの渦中で、まだ事態をよく飲み込めていなかった。

 その加藤の肩に、大きな手が乗った。

 驚いて、加藤が振り向くと、そこには末堂厚が立っていた。

 

「末堂……」

「オメェの勝利(かち)だぜ、加藤」

「…………」

 

 理解も、納得もできなかった。

 明らかに、ゲバルには余力があった。

 明らかに、加藤の方が負けていた。

 そもそも、ゲバルは戦闘中、何度も加藤を仕留める機会があった。

 たった一度勝つために、何度負けたことか──

 

「それでも、勝ちは勝ちだぜ」

 

 末堂は言い切った。

 喜びに満ちている顔であった。

 加藤は俯いた。

 素直には喜べなかった。

 

 だが、どこからともなく、拍手がした。

 その小さな拍手が、次第に、観客たちの興奮の鼓動に合わせるように、大きくなっていった。

 

 

 一回戦第八試合:勝者、加藤清澄ッッ!!

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 選手通路をゲバルは歩いていた。

 拍手の音が遠くに聞こえてくる。

 それが、自身に捧げられたワケではなくとも、ゲバルは満足気な表情を浮かべていた。

 

 足を止めた。

 ゲバルの先に、獅子尾龍刃が立っていた。

 

「オヤ、ミスター獅子尾。()()に……何か御用かな?」

 

 皮肉めいて、ゲバルは言った。

 龍刃は、

 

「ありがとう」

 

 と言って、頭を下げた。

 

「あ──はい?」

「きみは本当にすごい人だ」

 

 ゲバルは戸惑いにほほを掻いた。

 獅子尾龍刃の後頭部が丸見えであった。

 隙だらけであった。

 言葉も、行動も、意味がわからなかった。

 龍刃は頭を下げたまま、語り出した。

 

「あのままヤりあえば、加藤くんをもう、殺すしかなかった──殺すぐらいなら負けでいい。あの場で、そういう気概を発揮できるミスター・ゲバルは本当にすごいヤツだ。尊敬する……」

「…………いやいやいや」

 

 ゲバルは手を伸ばして、龍刃の顔を上げるようにあたふたとジェスチャーをとった。

 龍刃が顔を上げた。

 精悍で、しわくちゃの顔であった。

 ふ、とゲバルは息を吐いた。

 

「カンチガイされては困る。ミスター・リュージン。わたしはこう見えて大統領なのだよ? 大統領のスケジュールというのはね、分刻み──どころか、秒刻みだ。オヤツを楽しむ時間すら惜しい……」

 

 大統領のスケジュールとして、たまたま、加藤くんに、これ以上時間はかけられなかった。

 ゲバルは笑って、そう続けた。

 

「それだけの話だよ」

 

 そうして言葉を打ち切った。

 獅子尾龍刃はうん、うんと頷いた。

 心からの賛嘆が溢れていた。

 

「ところで──」

 

 鼻を啜って、龍刃は言った。

 

()()()()()()?」

 

 龍刃の眼に、一瞬で力が張り巡らされた。

 途端に、緊張感が場を支配した。

 まるで、通路全体に氷の幕が張り、そこから伸びた氷刃の糸が、そこらじゅうに張り巡らされたような冷たさと、殺意を孕んだ沈黙に覆われたようだった。

 

 ゲバルはしかし、間を溶かすように微笑していた。

 

「敗者であるわたしが、勝者(選手)であるあなたの手を借りるワケにはいかないだろう?」

 

 そして、ちら、と龍刃の背後へ視線を投げやった。

 明確に、殺気を滲ませた視線である。

 

 闇の中から、その殺気にアテられたのか、その人物は現れた。

 

「初めまして、大統領(プレジデント)ゲバル。そして、獅子尾龍刃──」

 

 硬い足音をさせて近づき、その女性は、威風堂々と冷たい息を放った。

 上下ともに光沢が出るほど鋭角な黒のスーツに、黒のハイヒール。

 スラリとしたスタイルに、出るところは出て締まるところは引き締まった体躯。

 首の位置に揃えられた髪が均一に揺れている。

 青水晶のように澄んだ、凍結感のある眼がふたりを射抜いていた。

 

(わたくし)、賭郎外務卿──泉江夕湖と申します」

 




一回戦Bブロック終了、次回 インターバル②
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