【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

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第四話:父となり

 

0.

 

 

 最大トーナメントの三ヶ月前。

 ジャック・ハンマーと獅子尾龍刃のファースト・コンタクトの直後の話である。

 

 仰向けに倒れていた。

 深夜の、東京ドームの駐車場にである。

 あたりには、夥しい鮮血の飛び散った跡がある。

 その()()()()()()()()、獅子尾龍刃は倒れていた。

 龍刃の足先には、ジャック・ハンマーが座り込んでいた。

 尻をつけ、片膝を立て、右腕を腰の後ろに回して身体を支えている。

 息は乱れ、全身に汗が滲み、顔にも身体にも節々に青あざが見て取れた。

 獅子尾龍刃もまた、そのようなダメージを負っている。

 

「やめようぜ」

 

 と、獅子尾龍刃が言い出した。

 殴り合いがヒート・アップし始めて、お互いのダメージが深刻化し始めた頃であった。

 ジャックにとっては、ドラッグが全身に巡る寸前であり、本領発揮はこれからという時である。

 不完全燃焼だと、文句のひとつもこぼそうとすると、獅子尾龍刃はあられもなくその場に寝転んだのである。

 ジャックの敵意はまだ、完全に消沈していないにも関わらず。

 しかし、ジャックはそれに怒りなど覚えなかった。

 この状態は、抜け目がない。

 ジャックが立ち、龍刃が寝ている。

 この状態──猪狩・アライ状態が、異種格闘技において難攻不落の構えであることは、先に書いた通りであり、ジャックとてそれは承知していた。

 獅子尾龍刃には隙がない。

 今、不満を攻撃に変えて、怒り任せに龍刃の顔に踏みつけでもしようものなら、たちまちのうちに足を絡め取られて、膝関節を捻られるのが目に見えている。

 

 ジャックは不満を飲み込んだ。

 すると、どっ、と身体に気だるさが溢れてきて、握る拳のあてもないために、身体を緩めてその場に座ったのである。

 ジャックの賢明さに、龍刃は満足げに微笑んだ。

 顔を上げて、肘で支える形で、上半身を少し持ち上げた。

 獅子尾龍刃の呼吸(いき)は、ちっとも乱れていなかった。

 

「ジャックよう。おまえさん、勇次郎のなんなんだい?」

 

 眉をひそませて、龍刃が聞いた。

 質問の答えが、ある程度予想できている──そういう音色であった。 

 ジャックは顔を、少しだけ俯かせて、獅子尾龍刃を睨め上げるような視線を投げながら、ぽつりぽつりと語り出した。

 

「わたしは、範馬勇次郎の息子だ──」

 

 ジャックが龍刃を見ている。

 その視線に、力がこもっていた。

 多少の殺意が混ざっていた。

 この言葉を発することに、さまざまな思惑があったのだろう。

 

「そっか」

 

 獅子尾龍刃は、それだけを返した。

 そっけない言葉であった。

 しかし、そのそっけなさは、ジャックの殺意を安堵で丸め込んだ。

 

「そりゃあ、勇次郎に勝ちてえワケだ」

 

 たはっ、と龍刃は笑った。 

 上体を起こし、胡座をかいてジャックと向き合った。

 目線が合っている。

 龍刃には、目に見えるダメージがなかった。

 プロレスラーとして鍛えられた、打たれ強さや我慢強さを抜きにしても、ジャックの打撃では、その動きを鈍らせるほどのダメージが入っていない。

 それが、拳を振るっていた当人であるジャックには、ありありとわかっていた。

 

「今のわたしでは、どうかな……?」

 

 あえて、聞く。

 

「まあ、無理だろうね」

 

 龍刃は忌憚無く言った。

 予想していた通りの言葉で、予期していた通りの音を刻んだ。

 範馬勇次郎の力を、その身に味わった男の、まっすぐで力強い言葉であった。

 ジャックは、正面からそれを受け止めた。

 しかし、その言葉は、ジャックの中で雷鳴の如き鋭さを持って、臓腑を貫き、彼の心を震わせていた。

 予想はすれど、やはり、現実に言われると飲み込みきれぬ言葉であった。

 

「どうすればいい?」

 

 ジャックは、自分でも驚くほど素直に聞いた。

 考えうる限りの鍛錬を積んだ、今日(こんにち)であった。

 自身の命を、削りに削ってたどり着いた今日(きょう)であった。

 それでもなお、範馬勇次郎の力を知る男曰く、範馬勇次郎には届かないという──

 

 龍刃は顔を左右に振って、ジャックの意を翻した。言葉を断ち切りたい──そういう意図が透けていた。

 ジャックには、奇怪な動きに見えたかもしれない。

 

「その前に、聞かせてくれないか?」

 

 聞いてきた。

 言葉を続けた。

 

「範馬勇次郎に対して、ジャックがどう想念(おも)っているのか──とか、()()()()()()()()()()──とか、聞かせてくれねえかい?」

 

 そうして、ジャックは語り出した。

 母ジェーンのことを。

 ベトナム戦争時に、何が起こったのかを。

 自分がどこで生まれたのかを。

 自分がどうやって生きてきたのかを。

 自分が、どういうことをやって、生きてきたのかを。

 驚くほどつらつらと、言葉が出てきた。

 話さなくとも良いことも、ジャックはつい、語ってしまっていた。

 獅子尾龍刃は、ジャックの()()()()()話を、ただ、黙って聞いていた。

 

「頑張ったんだなあ……」

 

 聞き終えて、獅子尾龍刃はしみじみと言った。

 食いしばるように、表情が固くなった。

 

「頑張ったんだなあ、ジャックよう」

 

 る……と、龍刃の目尻には涙が溜まっていた。

 ジャックは、思わず目を逸らした。

 困惑していた。

 なぜ、泣くのだ、この男は。

 胸の奥が、じんわりと熱を持っていた。

 その熱は、胸の奥から喉まで登ってきて、頭の中にするりと入りんだ。

 鼻が、つん、と痛くなった。

 なぜだ──

 獅子尾龍刃を見た。

 獅子尾龍刃が、笑っていた。

 目尻に溜めた涙をそのままに。

 

「ジャックよう、手伝うぜ」

 

 獅子尾龍刃は、身を乗り出した。

 さっきとは打って変わって、無防備に顔を近づけた。

 拳を出せば、当たる位置だった。

 

「勇次郎に、おまえさんを()()()()()()()()()ぜ。あいつの横っ面を、思い切りぶん殴ってやろうぜ」

 

 その資格が、おまえさんにはあらァよ。

 手伝うぜ、ジャック。

 

 龍刃は手を差し出した。

 巨大(おおき)な手であった。

 分厚く、柔らかく、傷だらけの手であった。

 この男もまた、範馬勇次郎を目的(めざ)して歩み続けている。

 その道筋を。

 ここに至るまでの圧倒的な密度を、歴史を感じさせる手であった。

 

 このッッ、大バカヤロウッッ!!

 突然、そう言った。

 目を見開いて、怒りを孕ませている。

 ジャックはびくりと肩を震わせた。

 ジャックを見て、しめしめと龍刃は笑っていた。

 

 そう、勇次郎に怒鳴ってやろうぜ。

 

 と──獅子尾龍刃はなかなかに恐ろしいことを言っていた。

 なんでもないことのように。

 ジャックは戸惑った。

 獅子尾龍刃の柔らかさに、だ。

 ジャックが知る限り──強者とは、真の強者とは、傲慢なものであった。 

 強者というものは、どんなに取り繕っていても、本質は揃って暴力的で、排他的で、贅沢で、傲慢で、固く分厚い樫の木のような印象を持っていた。

 獅子尾龍刃は、知らない男であった。

 初めて会うタイプであった。

 分厚い、巨大(おおき)な、熱く、優しい……真綿の塊のような男であった。

 

「ヨ、ヨロシク……オネガイシマス……」

 

 一転して、たどたどしい日本語で、ジャックは龍刃の手を握り返した。

 

 

1.

 

 

 ガゴッ、と音がした。

 轟いた。

 重い音だった。

 金属ほどに固めた肉が、岩のように固まった肉を、力任せに叩いて潰した音であった。

 衝撃が肉を貫き、骨にまで達していた音であった。

 

 範馬勇次郎の手刀が、ジャックを庇った獅子尾龍刃の肩から、背中に向かって落ちていた。

 

「オッサンッッッ!!!!!!」

 

 衝撃に、眼をぐらつかせながら、加藤清澄が叫んだ。

 範馬刃牙が言葉を失っていた。

 愚地独歩が、のそりと歩き出した。

 

 

2.

 

 

「大丈夫だ」

 

 獅子尾龍刃の第一声であった。

 範馬勇次郎をまるで無視して、腕の中で暴れ狂うジャックに向けていた。

 勇次郎が手刀をどけた。

 その場に、仁王立つ。

 獅子尾龍刃は、勇次郎の殺気など物ともせず、ジャックの顔を優しく包んでぐん、とひっぱり、自分の顔と向き合わせた。

 

「よく頑張った──よく、頑張ったなあ……」

 

 少し、休んでてくれ。

 

 肩に噛み付くジャックをそのままに、龍刃はジャックを抱き寄せた。両腕を背に回し、ジャックの顔が隣に並ぶ。

 ふ、と力を込めた。

 びきいっ! と音がして、ジャックの身体が小刻みに震え、ひと回り萎んで──ごろんと、闘技場に仰向けに転がった。

 もう、動かなかった。

 

「どういうつもりか──」

 

 頃合いを見計らったのか、大きな背に向けて、勇次郎が言った。

 鋭い殺気を孕んだ声であった。

 その眼が、殺意に磨かれてギラリと光っている。

 手を出さないのは、意図を知りたいからだ。

 勇次郎とて、若干ではあるが、獅子尾龍刃の乱入に戸惑っている。

 獅子尾龍刃は、ゆっくりと振り返った。

 闘技場が、このふたりの男の一挙手一投足に、釘付けとなっていた。

 

「ダメだよ、勇次郎」

 

 獅子尾龍刃は、悲しげな声であった。  

 諭すような口調であった。

 悲哀の眼で、勇次郎を見ていた。

 

「他のやつだったら、別にいいけど……()()()()()()()()()()()をやるのは、ダメだよ」

 

 それ──とは、つまり、勇次郎の乱入による()()のことである。

 勇次郎の眼が、怪訝に歪んだ。

 龍刃は、勇次郎の意図を、自分なりに噛み砕いて、語った。

 

 勇次郎──

 お前が怒るのは、当然だよ。

 瀕死に追い込まれ、倒れ伏し、気を失う。

 勝ち負けを認める、認めないの次元じゃない。誰がどう見ても、ジャックは敗北に落ちてた。

 戦場なら、倒れたジャックに追撃が放たれて、間違いなくジャックは殺されているだろうね。

 そんな状態で──ジャックは()()、立ち上がった。

 ただ立ち上がって、ただ向かっていった。

 勝ち目もなく、勝算も練らず、後先もなく、向かっていったんだ。

 負ける以外に、選択肢がない──

 そりゃあ、勇次郎、おまえからすれば許せないだろうさ。

 みっともない──

 そう思ったんだろう?

 見苦しい──

 そう思ったんだろう?

 怒髪天をついたんだろうな。

 理解(ワカ)るよ、それは。

 正直、おれも、だいぶ、そう思うからね。

 

 ……けど、勇次郎。

 ジャックにだけは、やっちゃダメなんだ。

 範馬勇次郎が、ジャック・ハンマーにだけは、それをやっちゃダメなんだよ……

 

「──なぜだ?」

「この子が、おまえの息子だからだ」

 

 会場が、その瞬間、静まり返っていた。

 沈黙が、勇次郎の意志をも巻き込んで、場を支配していた。

 勇次郎の眼が、静かに見開かれた。

 刃牙の口が、ぽかんと開いて、そこに汗の粒が入り込んだ。

 

「な……ッッ」

 

 加藤清澄が、拳を握りしめて、汗だくになっていた。

 身を絞られるような心地であった。

 ウソだろう……と声にならない声が、腹の底から霞れて、溢れていた。

 

 闘技場では、獅子尾龍刃が勇次郎の前に立っている。

 倒れ伏したジャックに、誰も手が出せなかった。

 加藤清澄の前で起きている、現実の出来事であった。

 

 

3.

 

 

「勇次郎」

 

 獅子尾龍刃の口調に、力がこもっていた。

 勇次郎は見開いていた目を、元に戻した。

 怒りが、ほんのわずかになりを顰め、代わりにどこか、憂いを帯びた色を浮かべている。

 

「ジャックが何を想い、どういう道を歩んで、おまえに向かっていったのか──何も知らんだろう?」

 

 獅子尾龍刃の心が、鋭さを帯びていた。

 ふたりの間の空気が、ひび割れたガラスのように、危険に張り詰めている。

 

 敗北の前では、頑張る、という言葉は無意味である。

 敗北の前では、頑張った、という言葉は虚しいだけである。

 敗北の前では、よくやった、という言葉は詭弁であり、偽善であった。

 それら全てを理解していた。

 それら全てを飲み込みながら、しかし、獅子尾龍刃は範馬勇次郎の前に立っていた。

 

「だが、()()()()()()()()()()がわからない──そんなことは言わせないぞ、勇次郎ッ」

 

 言葉尻が、聞くに、強くなっていた。

 ゾワッと、地下闘技場に、立ち昇るものがあった。

 闘気であった。

 怒りの色であった。

 悲しい匂いを纏わせていた。

 あっという間に闘技場に満ちて、渦巻いていた。

 ふたりの──いや、三人の間に漂う並々ならぬ事情。

 それを、誰もが嗅ぎ取っていた。

 獅子尾龍刃から、発せられたそれは、のっぴきならない決意であった。

 獅子尾龍刃が重心を落とした。

 いつ、どういう姿勢からでも、どんな攻撃にも対処するために、地面を噛んだ。

 

 闘争のための構えであった。

 

「それがわからないってんなら──おれが、この場で()()()()()()()ッッ!!」

 

 どっ、と闘技場が湧いた。

 獅子尾龍刃は、公衆の面前で、地上最強の生物を前に堂々と、宣戦布告をおこなった。

 これが、どれほどトンデモないことなのかは、語るまでもない。

 獅子尾龍刃は、引くに引けぬ立場に、範馬勇次郎を引き摺り込んだ。

 

 勇次郎の眼が、鈍色に輝いていた。

 犬歯を剥き出しに、嗤っていた。

 いつもの、鬼神(オーガ)らしい貌──

 だが、何人かは気づいていた。

 鈍色の瞳、地獄の底から顔をもたげる悪魔めいた表情に、()()()()()()()()はわからないが、諦めの色が混ざっていることに。

 

 勇次郎の重心が落ちている。

 顔を伏せて、肩が上擦って、指がぴき、ぱきと鳴り、拳を作って昇っていく。

 闘気がぶつかり合う。

 たまらない獣臭が漂い始めていた。

 

 

4.

 

 

 膝をつく加納アギトの横を、男が通りすぎた。

 巨人であった。

 足がでかい。

 身体が、縦に長い。

 その歩幅の中に、跪くアギトの全身が、すっぽりおさまってしまいそうだった。

 呆然と、アギトが見上げた。

 その、長く、広い背を見送った。

 ガウンを羽織っていた。

 匕首を噛んだ鬼が染め付けてあった。

 マウント斗羽であった。

 

「斗羽さんッ!?」

 

 マウント斗羽は、獅子尾龍刃を潜るようにして前に出た。

 範馬勇次郎の前で、胸を張っていた。

 

「リュウさん。ダメでしょう、それは……」

 

 呆れた声であった。

 この場に溢れる獣臭を、その上から撫でるような声である。

 斗羽は、範馬勇次郎を、ちっとも畏怖(おそ)れていない。

 

「斗羽さん、どいてくれ。これは──」

「申し訳ないがね、リュウさん。あなたは二回戦に進むことが決まってる選手ですから。ここは、リザーバーのわたしがコトを収めるのが、御老公に通すべきスジというものでしょう」

 

 がらん、と音を立てて、斗羽は下駄を脱いだ。

 勇次郎の顔に、青筋が立っていた。

 

「マウント斗羽……キサマ如きが、おれの相手になるとでも……」

 

 声が震えていた。

 いうまでもなく、怒りによって。

 斗羽は、その大きな口で、大きな笑みを作った。

 

「なるとも。いつだって、きみはわたしの想定にあったからねえ」

 

 斗羽の言葉は、らしくもなく傲岸不遜に響いていた。

 恨みつらみ──どことなく、それを感じる韻を踏んでいる。

 

「わたしがね、きみが表に名を知られるようになってからの二〇余年──いったいいくつの“対オーガ用"のスペシャル・ホールドを開発したと思うかね?」

 

 斗羽がガウンを脱いだ。

 その肉体が──見事に隆起している。

 いつのまにか、バンプ・アップを済ませていたのか。

 この筋骨のハリ具合が、そのまま、マウント斗羽の気構えを現している。

 

「いやっ、斗羽さん。そういうハナシじゃ……」

「おいおい、そりゃアねえぜ、斗羽さんよう」

 

 すっかりペースを乱された龍刃の言葉に、その言葉はかぶさってきた。

 龍刃が背後に眼を向ける。 

 猪狩完至が、そこに立っていた。

 

 わあっ、とまた、会場が盛り上がった。

 猪狩はパンツ一枚の、プロレスルックであった。

 つまり、斗羽たちを止めるつもりはなく、むしろ自分も混ざってヤる気満々である。

 

「猪狩、おまえ……」

「リュウさん。おれは一回戦で負けちまってる──つまりよ、もう、()()()()()()()()()、ねえってコトだぜ?」

 

 猪狩の顔が、悪魔的に歪んでいた。

 完全に悪役(ヒール)のそれである。

 かつて、殺し屋(キラー)と恐れられていた、アントニオ猪狩がそこにいた。

 龍刃はあっけに取られた。

 斗羽は、微笑していた。

 なんでもアリになった時の、アントニオ猪狩は怖い。

 それを、このふたりはよく知っている。

 しかし、此度の相手は範馬勇次郎なのだ。

 並大抵のブラフが通用する相手ではない。

 

「キ……サ、マ、らあ〜ッッ!!」

 

 目の前で『イチャつきぶり』を見せられて、勇次郎の顔がいよいよ憤怒に染まっている。

 龍刃はきっ、と勇次郎を睨んだ。

 始まる。

 観客の誰もがそう思った。

 

 と、そこに、

 

「おいおい、御三方、それはダメだぜ……」

 

 新たなる割り込みがあった。

 声をかけたのは空手道の、愚地独歩であった。

 が、その背後に、一回戦を勝ち上がった格闘士と、まだ試合を控えている格闘士の大半が集まっていた。

 

「おろっ……ええ……」

 

 龍刃はどでかい、大粒の汗を流した。

 愚地独歩はふん、と鼻を鳴らしている。

 

「リュウさん。ここにいる連中はよ、言っちまえばこの大会の後、勇次郎を()()()()()()ブチのめそうってハラを抱えてンだぜ? アンタたちだけで、()()()()を先に食べちゃアいかんだろ」

 

 言いながら、独歩は龍刃の隣に立った。

 勇次郎と向き合う。

 その顔には、やはりというか、挑発的な太い笑みが張り付いていた。

 

「いや、そういうモンダイじゃなくてね……」

「リュウさん、ワルイけどね。アンタらの因縁なんて、おれたちには知ったこっちゃねーさ」

「だから、そうじゃなくて……」

 

 ズン、と衝撃が襲った。

 闘技場全体が揺れた。

 範馬勇次郎が、両脚で地面を踏んだのだ。

 その顔を、もはや人ならぬ怒りに染め上げて、歪みに歪んだ顔筋が暴力的に殺意を放っている。

 

「このおれを前に……よくもベラベラと……」

 

 あまりの怒りに、黒い声が掠れていた。

 龍刃たちが構えた。

 そこで、悠々と前に出たのはビスケット・オリバであった。

 

「オリバ──」

「勇次郎。いかんだろう、これは……」

 

 オリバは余裕綽然とした態度であった。

 左右に軽く、首をふった。 

 さしもの勇次郎も、数少ない友人の前には手を出すのは躊躇ったのか、まず出てきたものは、拳ではなく言葉であった。

 

「アンチェイン……」

「勇次郎、きみは今、とんでもないことをしているゾ」

 

 おちゃらけた様子で、あろうことか、オリバは胸ポケットから取り出した葉巻を吸い始めた。

 戦闘の気構えはそこになく、他の格闘士と違って、まるで実家にいるがごとく、リラックスしている。

 

「なんのことだ──」

「オーガよ。きみは……」

 

 オリバが口角を広げて、勇次郎に語ろうとした時。

 

「親父ィィイィィィイッッ!!!!!」

 

 強い怒気を孕んだ、範馬刃牙の叫びが木霊した。

 

 

5.

 

 

 刃牙は、真剣な目つきであった。 

 選手入場口から、強い歩みで勇次郎の前に立った。

 間が、空く。

 恐ろしい緊張感であった。

 獅子尾龍刃が、心配の気持ちで刃牙を見ていた。

 頃合いを見計らって、刃牙は口を開いた。

 肩の力を抜いて、ひと息を吐いた後である。

 

「──ウソをつくのかい?」

 

 柔らかな口調であった。

 ウソ──?

 なんのことであろうか。

 

「親父、あんた、闘技場(ここ)にきた時、なんて言ったよ?」

「────……」

「『おれは観戦のつもりよ』って、そう言ったよな? そう言って、徳川のジッちゃんの言葉に()()()()()、観客席に行ったよな?」

 

 ()()()、とは言わなかった。

 刃牙は、態度とは裏腹に、慎重に言葉を選んでいた。

 

「地上最強の生物が、一度吐いた己の『意志(ワガママ)』を、自分の気分で捻じ曲げるのかい?」

「────……」

 

 勇次郎は黙していた。

 それが、きっと、刃牙には怖くて仕方がなかったのだろう。

 丈夫を気取っても、隠しきれない動揺が、肩を、足を、微かに震えさせていた。

 刃牙は意を決した。 

 腹を据えた。

 どうなんだよッッ!?

 そう、叫ぼうとした。

 殴られるのを覚悟して。

 刃牙が腹に力を込めて、言葉を吐き出す寸前。

 絶妙のタイミングで、オリバの手が伸びた。

 

「──ッッ!!」

 

 オリバは、勇次郎には見えない角度に身を屈ませて、刃牙に微笑んで見せた。

 

 よく言った、オーガの倅よ。

 あとは、わたしが引きつごう。

 ポン、とその大きな手が、刃牙の肩を叩いた。

 

「──そういうわけだ、勇次郎」

 

 きみは、とんでもないミスを侵すところだったよ。

 地上最強の生物が、怒りに駆られて、自分にウソをつくところだった。

 目の前の状況がイヤで、怒りを理由に誤魔(ゴマ)化すところだったんだ。

 きみは、『地上最強の生物(範馬勇次郎)』であって、『地上最自由の男(ビスケット・オリバ)』ではない。

 

「ここで横暴を振るうことが、誰にとって一番不利益になるのか──まさか、きみが、ワカランわけじゃなかろう?」

 

 堂々と、その分厚い胸を張って、オリバは言ってのけた。

 刃牙は、不覚にも気圧されていた。

 

 これが──アンチェイン。

 これが、親父と並んで語られる男か……ッッ!!

 

「…………フン」

 

 気づけば、勇次郎の怒気はおさまっていた。

 こしゃくな、とでも言いたげに、眉を顰めているが、それを口に出したならば、それこそ自身のアイデンティティを曲げる行為に他ならないと悟っていた。

 もし、これが刃牙に言いくるめられていたら、勇次郎は構わず激怒していたかもしれないが、ビスケット・オリバの言葉ともなれば、頷かざるを得ない。

 

 勇次郎がポケットに手を入れた。

 格闘士たちに背を向けた。

 立ち去ろうと、歩き出した。

 

「勇次郎」

 

 それを、獅子尾龍刃は呼び止めた。 

 勇次郎が顔を振り向かせる。

 龍刃は自らの頬を指先でとん、と叩いた。

 ん、と言った。

 勇次郎は、頭を掻いた。

 この、お人好しが……と、誰に聞こえるでもなく、つぶやいた。

 

 ──一瞬だった。

 

 範馬勇次郎は、一瞬で獅子尾龍刃の間合いに飛び込んで、その頬に張り手を打った。

 恐ろしい速度で振り抜かれたそれに、龍刃の首が弾けた。

 血が、口と鼻から吹き出た。

 だが──獅子尾龍刃はすぐさま正面に向き直り、強い眼で、勇次郎を睨み返していた。

 

 勇次郎が退場して、すぐに、ジャックは担架に運ばれた。 

 加納アギトも、滅堂の兵たちに支えられて退場した。

 

 

 

 こうして、範馬勇次郎の乱入は、すんでのところで差し止められたのであった。

 




次回、一回戦第十二試合、神奈村狂太対畑幸吉、開始ィィッッ!!
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