【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

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一回戦第十五試合:渋川剛気vsビスケット・オリバ開始ィィッッ!!
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一回戦第十五試合:渋川剛気vsビスケット・オリバ
第一話:剛柔相打つ


 

0.

 

 

 元アメリカ大統領シークレット・サービス(護衛長)ケビン・スチュワート、渋川剛気について語る

 

 

 一九六X年の話だね。

 私が、マスター渋川と立ち会ったのは。

 あの当時、我が国の大統領が、日本に表敬訪問に来ていた時だよ。

 当時、わたしが警護していた大統領はご存知かな?

 ──そう、その人だよ。悲劇の人。

 人気絶頂期のパレードの最中に、頭を撃ち抜かれて死んだ男さ。

 政治的な知識の乏しさを、バッチリ固めたメイクとスマートなジャケット。メリハリのあるトーク・テクニックで補って、瞬く間に国民の人気を掌握した、あの男だよ。

 あの方はね、芸術が好きで、活劇が好きで、武術が好きだったんだ。

 特に、日本のマーシャル・アーツを気に入っていた。

 ある理由からね。

 そうだね。

 きみは、一九五X年の、日米武術交流試合を知っているかな?

 そう、それだ。

 『交流試合』とは名ばかりの、日本武術の存亡をかけた試合のことだ。

 第二次世界大戦後、GHQが日本に民主主義教育を施す名目で行った政治政策──日本のマーシャル・アーツを廃絶せんと目論んで行われた、忌まわしき儀式のことだ。

 

 当時、戦勝国であった我が国(アメリカ)の、GHQ最高顧問のダグラス・マッカーサーは、日本から軍隊教育……つまりは体育的教育の一切を廃絶せんと動いていた。

 さっきも言ったけど、政治的な理由でね。

 有名な話だが、マッカーサーはあの時、大統領の椅子を狙っていたんだよ。

 敗戦国を植民地化せず奴隷化せず、それどころか人間的教育を施して、文明を発展させ、『アメリカに隷属している』という前提をそのままに、日本を国際社会の一翼を担うほどに発展させようとしていたんだ。

 そうすることで、自身の寛容さと器量の大きさを国民に、国際社会にアピールすることが狙いだったんだよね。

 もちろんソ連への牽制も兼ねていたよ。

 日本の地理は、アメリカも、ソ連も欲しがる、ちょうどいい位置にあるからね。

 日本って、本当にちょうどいい位置にあるんだよ。

 もし、アメリカなりソ連なりが、ここに軍事基地を作れたら、そのまま西にも東にも核弾頭を撃ち込めるようになるんだ。

 怖いでしょ?

 そんなワケでさ、日本に道徳的指導を施し人道に沿った敗戦処理を行うことは、ポツダム宣言の前には決まっていたんだよ。

 そのマッカーサーが、指導の手始めとして、日本人の軍隊精神──それを育む原因となっていた、体育的教育を撤廃しようとしていたんだ。

 つまり、日本から空手、剣道、柔道、相撲と言った、武術全般を廃絶しようとしていたんだね。

 GHQの主張は、「日本の残虐性の根幹には、武術教育がある」というものだった。

 当然、これは日本側から猛反発があった。

 日本人代議士のゲンナイ・ハモリと、マッカーサーお付きの日系人特別顧問の……ハセガワだかツルミだかという男が特に反発した。

 内外からの猛抗議にあって、話をまとめるため、GHQは折半案を出した。

 それが『日米武術交流試合』さ。

 

 一九五X年、武道場で銃剣を携えた海兵隊のドイル中尉と、素手のユウマ・ナゴという日本人空手家が立ち合ったんだ。

 信じられるかい?

 銃剣を扱うプロの軍人に、素手で挑めと言われ、更にドイル中尉に怪我を負わせることなく制圧しろ──そういうルールを投げられて、ユウマ・ナゴというカラテマスターは承諾したんだ。

 "日本の武道が真に優れているのなら、できるはずだ"。

 そんなことを言われていたらしい。

 

 結果を話すなら、それは叶ったよ。

 ユウマ・ナゴは、ドイル中尉を直接傷つけることなく、銃剣を拳で破壊して勝ったそうだ。

 全てを見届けたGHQ参謀第二支部長ケンプ少将は、ナゴの強さ、日本武道の深さにいたく感銘を受け、GHQ本部にはしばらく、その時ユウマ・ナゴの着ていた空手衣──血染めの正拳突きによって、日本国旗を模した柄になった──が飾ってあったそうなんだ。

 

 前置きが長くなってしまったね。

 とにかく、その話を大統領はいたく気に入っていたし、当時わたしも気になっていた。

 わたしもナマイキ盛りだったものだから、訝しむ形でね。

 “誇張された話だろう"。

 そう思っていた。

 “リップサービスに違いない"。

 酒の席で、仲間たちとそんなことを言い合っていたよ。

 銃剣を素手で破壊したってことは、拳で金属を捻じ曲げたってことだ。

 わたしたちシークレット・サービスの中には海兵隊出身の者も多い、当然、銃器の扱いには慣れていたし、銃剣も扱ったことはある。

 銃身の要たるバレルの頑丈さは誰もが知っていた。

 素手で、両端から掴んでも、そうそう曲がりっこないものを、拳を打ちつけて曲げるなんてのは無理だと思っていたんだよ。

 だから、それは、日本武道を贔屓していたケンプ少将のリップサービスだと思っていた。

 

 だから、表敬訪問に際し、大統領はこう言ったんだ。 

 

『この国でいちばんの武道家を呼んでくれ』

 

 それを聞くと、日本の代議士は静かに頷き、ある男を呼んだ。

 

 それが、合気柔術マスター渋川剛気だったんだ。

 

 わたしが代表になって、渋川剛気と立ち合うことになった。

 机や椅子が左右にどかされて、三メートル四方の広間ができた。

 わたしと渋川剛気を見渡せる位置に、目を輝かせて大統領が座っていた。

 わたしは驚いていたよ。

 渋川剛気の、その小ささに。

 わたしの身長は一九〇センチあるし、当時の体重は一一〇キロにも及んだ。

 対して渋川剛気。

 身長は一六〇センチもなく、体重に至ってはわたしの半分ほどだったろう。

 体格差は、格闘においては優劣を明確にする絶対の要素だ。

 おおよそ一〇キロも違えば勝負になるはずもない。

 だというのに、渋川剛気は笑っていた。

 静かに──笑っていたんだ。

 そして、言った。

 

『パンチでも蹴りでも、なんでも使ってください』

 

 とね。

 わたしはため息が出た。

 そんなことできるわけがない、そう思ったさ。

 この体格差があれば、適当にタックルしてマウントを取れば、あとはどうにでもできる。 

 この体格差で、わたしが本気で渋川剛気の顔を殴りつけたなら、たちまち渋川剛気の頭蓋骨は砕け、殺してしまうだろう。

 わたしはそう思ったんだ。

 聞けば、渋川剛気は警視庁で武術指導を行なっている立場にあるという。

 武術で身を立てているということだ。

 そんな人間に、公衆の面前でハジをかかせるわけにもいかない。

 テレビカメラも回っているし、大統領がいるのだ。ここでわたしが躊躇なく渋川の顔面を砕いてしまえば、疑われるのは渋川の弱さではなくわたしの品性になる。

 

 だから、わたしは渋川の提案に適当に相槌をうって、その実、タックルをしかけマウントを取り、身動きを封して勝つことを決めた。

 勝った後で、『隙を見つけるのがタイヘンだったよ』とでも答えてやれば、渋川の顔も立つだろうと思っていた。

 

 向かい合った。

 開始の合図と同時に、わたしは渋川にタックルを仕掛けた。

 渋川の胸の位置に頭をぶつけて、腰に手を回した。

 その瞬間、信じられないことが起こった。

 動かなかったんだ。

 渋川剛気が。

 渋川剛気が、突然、地中に杭打たれた鉄筋のように硬くなり、わたしが押してもびくともしなくなった。

 さあっ、と冷や汗が流れたよ。

 わたしは懸命に足を前に出したが、それは、床の上をずるずると滑るだけに終わった。

 渋川剛気は、笑っていたよ。

 さっきまでとは違う笑みだった。

 怖い顔だったなあ……あれは。

 狂気が張り付いていて、背筋に冷たいものが昇ってきた。

 わたしの肩に、渋川が手を置いた。

 枯れた枝のような腕だ。

 よく引き締まってはいるが、やはり、筋量という意味なら、わたしの半分もなさそうな腕だった。

 その腕に、ぐ、と力がこもった。

 途端に──わたしは床に突っ伏したよ。

 そのままの姿勢で、こけるように、倒れた。

 ぐぐっと、渋川剛気が、そのまま肩から背中に手を回して、わたしは完全に動けなくなった。

 まるで、巨岩に潰されている心地だったよ。

 肺が圧迫されているのか、息ができなかった。

 見かねたのだろうか、すぐさま『やめ』の合図が入った。

 渋川が手を離すと、わたしの身体に被さっていた巨岩は、たちまちのうちに消えて、わたしは仰向けになって尻をつき、渋川を見上げていた。

 にっこりと、渋川剛気は笑っていたよ。

 『ありがとうございました』って、柔和な声で言った。

 

 後のインタビューで、わたしはつい、『あの日は朝食を食べ損ねていたんだ』と答えてしまったが、渋川剛気はそれを非難しなかったし、大統領から何かを問い詰められることもなかった。

 あの時は、殴っておけば良かったと思っていたけど、今は、殴らなくて良かった──心からそう思う。

 あの時、もしわたしが殴りかかっていたら、渋川はきっと、もっとおぞましくてエゲツない返し技を使っていただろう。

 その後、渋川流合気柔術というものを自分なりに調べて、ある言葉に、わたしは腑に落ちた。

 

 ──渋川流柔術に、筋力では対抗できない。

 

 わたしは信じるしかなかったよ。

 あの、魔法のようなワザを。

 なにせ、この身で味わっているからね。

 あのワザを、力で破れる存在はいないだろう。

 

 ──え?

 

 『アンチェイン』なら、どうだって?

 あんた、ミスター・オリバを知っているのかい?

 アメリカナンバーワンの、あの男を!?

 

 アンチェインなら、かァ〜ッッ。

 アンチェインvs渋川剛気かァ〜ッッ。

 悩むなあ、それは。

 あれは、あの男は、道理の外側にいる人間だからね。

 もしかしたら、あの男なら、渋川の魔法ぐらい、筋肉でハネ返しちゃうかもね。

 

 ──えっ?

  

 実際、ヤってるの?

 あのふたり。

 冗談でしょ?

 

 

1.

 

 

 渋川剛気はすっ、と腰を上げた。

 心は平静にあった。

 和やかでさえある。

 ここまでの試合──その全てが、既存の格闘大会の規格を根底から覆すものばかりだ。

 だが、渋川剛気は落ち着いていた。

 いつも通り──その立ち姿は堂に入っている。

 

 闘技場に向かう渋川の前に、ふたりの男が立っていた。

 ふたりとも、頭を気持ちかがめていて、両の拳を左右に広げている。

 本部以蔵と、花田純一である。

 

「渋川老、お供させていただきますッ」

 

 本部が言うと、敬虔な態度でふたりは頭を下げた。

 無論、本部の意識は、渋川の一挙手一投足を覗いている。

 カカ、と渋川は笑った。

 

「いやァ〜……これはこれは……」

 

 ぺこりと、渋川も頭を下げた。

 気持ち程度の角度であった。

 渋川の意識は、一分の隙もなく、本部と花田の一挙手一投足を注視している。

 渋川には見えずとも、俯いた本部の顔が、不敵に歪んでいるのが手に取るようだった。

 

 渋川は、本部と花田に前を歩かせて、闘技場に向かっていった。

 

 

2.

 

 

 ビスケット・オリバは着替えていた。

 黒のビキニパンツに、一〇Lサイズの無地の白いTシャツを着ているだけであった。

 ただ、人が着替えるという光景に──控室の視線が釘付けになっていた。

 ビスケット・オリバの上半身が顕になった瞬間、息を呑む音がそこかしこから聞こえた。

 

 なんだ、この肉は!?

 

 ビスケット・オリバの身長は、一九〇センチに届かない程度だ。

 普通人よりは大きいが、格闘士としては大柄ではない。

 だが、異常極まる筋肉の量が、その身体から測量される数値の、何倍もの圧力を生み出している。

 無造作に曲げた腕の太さ──それが、女性のウエストどころではない。

 肩周りの形が、隆起した筋肉によって綺麗な球形になっている。

 だというのに、腰のくびれはグラビア・アイドルもかくやという角度を保っている。

 

「……な……ッッ」

 

 なんだいこりゃあ。

 そう言いかけて、加藤は口をつぐんだ。

 人間の形ではない。

 人間の筋肉は、ただ鍛えたからって、こんな大きさと形になるワケがない。

 

「刃牙……おめぇ、どう見るよ……」

「どう見る、っていうか……どう創造(つく)ったのか……ってとこなんだけど……」

 

 流石の刃牙も、言葉に驚嘆を隠しきれていない。

 ビスケット・オリバ。

 『世界最自由の男』。

 父──範馬勇次郎に匹敵する男として、恐れられているという。

 あの勇次郎が、オリバの言葉には自身の意を飲み込んでみせた。

 その『格』が、勇次郎に比肩するのは理解(わか)った。

 その強さが、勇次郎に近い域にあることも、今、よく理解(わか)った。

 あの筋肉はハッタリじゃない。

 そして、ビスケット・オリバが戦う相手が()()()()()

 

 渋川剛気──

 

 合気柔術の達人である。

 合気とは、相手の力を無力化させつつ、自分の力を乗せて相手を倒す技術のことだ。

 そのためか、武術のテーマとなるべきものが、徹底した『対力』なのである。

 極まった合気柔術には、力では対抗できない。

 渋川流合気柔術もまた、このテーマを掲げている。

 (というより、その筆頭である)。

 つまり、これは極端なまでに『力vs技』の戦いとなるのであり、その対立は刃牙にとって、いずれきたる対範馬勇次郎を考えるならば、参考にならないはずがない。

 

 極限の力に、究極の技は対抗できるのか──?

 

「オリバ」

 

 オリバの背後から声をかけたのは、獅子尾龍刃であった。

 オリバが龍刃の顔を見る。

 身体を正面を合わせた。

 こうして並んでみると、獅子尾龍刃の肉体ですらがやや細めに見えてしまう。

 

「渋川さんのことは知ってるかい?」

 

 ふふん、とオリバは鼻を鳴らした。

 もちろん、とすまし顔で言った。

 

「渋川さんは、()()()()だぜ」

 

 言葉が含む意図が、多い。

 そのいくつかを受け取ったのか、オリバはくく、と微笑した。

 

「ならば、この戦いは──わたしが胸を借りることになるかな?」

「……まあ、相性は五分五分だと思うけど、オリバが負けたらマリアさんに伝えておかなきゃいけねえからよ」

「オイオイオイオイ! それはないだろう」

 

 はははと笑い合う。

 これから戦いに赴くにしては、和気藹々とした雰囲気であった。

 す、と龍刃がオリバの眼を見た。

 

「つえぇぜ、渋川さんは」

 

 オリバは、顎を持ち上げて、口角を広げた。

 太い笑みが張り付いている。

 振り返った。

 

「ならば、わたしが勝った暁には、マリアに『やはり、きみのダーリンは世界一だ!』と伝えてくれたまえ」

 

 オリバはゆったりと歩き出した。

 全身の筋肉に血流がめぐり、閉じ込めきれない熱が、静かに、放たれていた。

 

 

3.

 

 

 オリバは足を止めた。

 闘技場の入り口のすぐ手前だ。

 もう、闘技馬の光量が通路に入り込み、歓声が通路に乱反射して、空気が絶え間なく揺れているのを感じる距離である。

 

 範馬勇次郎が、そこに立っていた。

 

「オーガ」

 

 範馬勇次郎は笑みを浮かべている。 

 不敵で、大胆で、喜色に歪んだ鬼神の笑み。

 普通人ならまず眼を背ける迫力に、臆すことなくオリバは言葉を投げる。

 

「応援してくれるのか、きみが? ハハ……ナルホド。つまり、センセイ渋川とは()()()()()()()なのだね?」

 

 ニィ、と勇次郎が唇を割った。

 白い歯が、唇の下から盛り上がっている。

 

「武術とは──本来力なき弱者、女子供が身を守る術として生まれ、発展してきた」

 

 ()()は、その、ある種の完成系。

 首をもたげる勇次郎は、言葉にせずそう伝えた。

 

「楽しみだぜ……丹念に積み上げた『武』が、ビスケット・オリバの『力』によって、崩れ去るシーンがよ」

 

 ──いってこいッッ!!!

 

 勇次郎がオリバの背を叩いた。

 そこに痛みと、いちまつの喜びを感じながら、オリバは光の中に歩み出した。

 

 

4.

 

 

 まるで、大人と子供……ではない。

 本当に、大人と子供ッッ!!

 『体重無差別』と言う『大差別』ッッ!!

 一見して──などするまでもないッッ!!

 ワカリやすいほどワカリやすいッッ!!

 『武』vs『力』ッッ!!

 剛良く柔を断つのかッッ!?

 柔よく剛を制すのかッッ!?

 

 ここにッ、この大会を象徴する──あるいはッッ、武と力を象徴する対立がなったのですッッ!!!

 

 アナウンスの一言一句に足踏みが連なる。

 会場が否応なく盛り上がっていた。

 観客のテンションがブチ上がっている。

 アナウンスの一言一句に同意しかない。

 なんというワカリやすい対比であろうか。

 

 ビスケット・オリバ──身長一八〇cm強ッ! 体重一六〇kg強ッッ!!

 渋川剛気──身長一五五cmッッ、体重四七kgッッ!!

 

 見た目の素質、肉の持つ才能が違いすぎる。シロウトにだってワカる圧倒的戦力差である。

 しかし、小さい方は、誰を隠そう渋川剛気であるッッ!!

 

 渋川流合気柔術。

 数々の逸話に彩られた、濃密な武を歩んでいる。

 もはや荒唐無稽なほどの──装飾過多なほどの伝説を備えている。

 

 本部以蔵は、渋川剛気の勝ちを確信しているだろう。 

 その伝説の一端を知る、愚地独歩すらもが渋川の有利を感じている。

 

 それを知らぬものにすら、渋川剛気の『只者ではない感』はとてつもなかった。

 Tシャツを脱ぎ、ビキニパンツのみになったビスケット・オリバ──つまりは、超絶の筋肉の要塞を前に、渋川の浮かべる表情は柔らかさを多分に孕んだ微笑なのである。

 

「センセイ渋川」

 

 オリバが言った。

 ン〜? と渋川が唇を濡らした。

 

「アナタは、日本武道における重鎮と聞いています」

「……イヤイヤイヤ。あんたねえ、それは周りが勝手に言ってるだけでしてねえ……イヤハヤ」

「なんでも、渋川流柔術には筋力では対抗できないとか──」

「……」

 

 にぃ、と白い歯を見せて、オリバが笑った。

 太い、笑みであった。

 腕を曲げて、力こぶを作ってみせた。

 それだけで、渋川の顔の大きさほどもある肉の塊ができていた。

 

「遠慮なく確かめさせてもらいマス」

 

 渋川の表情が、微笑から、大きな笑顔に変わっていった。

 花が開くように、声もなく、渋川は笑っていた。

 が、眼が笑っていない。

 見るものが見れば、ゾクリとする顔であった。

 

 試合が始まった。

 

 オリバが無造作に近寄って、力こぶを作って、大ぶりのパンチを放った。

 右のストレートである。

 スピードはないが、恐ろしいパワーが込められていた。

 それが、渋川の顔面に当たる瞬間、渋川から弾かれるようにオリバは飛んでいた。

 磁石の同極がぶつかり合ったように、恐ろしい勢いで闘技場の柵に、肩から突っ込んでいた。

 

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