エヴァンゲリオンANIMUS外伝    作:しゅとるむ

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ウァレンティヌスの贈り物

 色々な番狂わせがあった。

 ヒトの集合世界の終焉となるはずの局面、ジオフロントは空に向かって口をあけ、そのとき量産型エヴァの輪舞の中心に居たのはエヴァ初号機ではなく弐号機。

 人類補完計画の最後の儀式がアスカの弐号機を中心に発現しようとするとき、ネルフ本部施設に押し寄せた勢力を辛くも撃退したエヴァ初号機が生命の祭儀に割って入る。

 ロンギヌスの槍に刺し貫かれたエヴァ弐号機を頂点に空中に描かれた生命の樹は崩れ、シンジは結果、人類補完計画の成立を壊してしまう。 そこからANIMAは始まる。

 

(エヴァンゲリオンANIMA一巻 巻頭辞より)

 

 

 サードインパクトを碇シンジが阻止してから、二年余りの時が経った。皆それぞれに背が伸び、二次性徴も進んで大人の男女に少しずつ近づきつつあるシンジたちは、高校に進学していた。第3新東京市立仙石原高等学校。地元の高校に危なげなく持ち上がった感じだが、もちろん、ネルフ関係者の子女が集められている「特別な」学校だった。

 

 女子はカラーと裾にブルーのラインの入った白のセーラー服に、青い短めのボウタイ。男子も女子同様、襟に青線の入ったカッターにブルーのネクタイが制服だ。

 

 他に中学時代から変わった点はといえば、シンジとアスカの髪型だった。シンジは加持リョウジを真似たように、後ろ髪を伸ばし始めて括っている。アスカは自慢の長い金髪をツインテールにしていて、トレードマークの赤いヘッドセットは青いヘッドセットに置き換えられている。赤という色、そしてそれに象徴されるエヴァや自己のプライドへの拘りが、良い意味で薄れ、彼女の心は長年の束縛から放たれ、自由になりつつあった。

 

 そんな、高校一年生の2月の放課後だ。もうすぐ二年への進級を控えてなのか、生徒たちの行動にもどこか浮き足立ったようなそわそわとした雰囲気が漂っている。

 

 

「はぁ? バレンタイン?」

 

 机の前に立った洞木ヒカリの言葉に、惣流・アスカ・ラングレーは眉を顰めた。

 

「そう。アスカも贈るんでしょ?」

「……バカバカしいわネ。そんなあからさまな商業イベント」

 

と若干の無言の間を挟んでから、アスカは斬って捨てる。日本では女子から男子に告白するためのイベントと化しているが、海外生まれのアスカにはそもそも馴染みのない解釈だ。どこがどう間違って日本に伝わったものやら。

 

「え? でも──」

 

 洞木ヒカリは、教室の前方で騒いでいる男子たち──鈴原トウジと碇シンジに視線を向ける。

 

 放課後の教室だ。掃除当番ではない筈の二人の男子は、今はガキっぽさを丸出しにふざけあっているが、そろそろ来週の14日を意識してはいるのだろう。ヒカリやアスカに対して、時折、ぎこちない素振りを見せることもあった。

 

 しかし──。

 

 アスカは首を横に振った。アスカにはシンジに対して借りがある。本部決戦で、シンジの初号機に命を救われた事への借りだ。しかし、それは大き過ぎる借りで、もちろん、ちっぽけなチョコレート一つで返せるようなものではない。

 

「でも、やっぱり欲しがるんじゃない? 男の子って」

 

 自明の主語である相手の名前はあえて省いてヒカリが確認すると、アスカは視線を彼ではなく、ぽつんと独り、窓際の席に座る綾波レイ──正確には三人目のレイ──綾波レイ№トロワに向けた。

 

 サードインパクトを阻止した後、時の止まった砦の囚われ人となった碇ゲンドウの後を襲い、ネルフJPN総司令となった葛城ミサトからの情報開示によって、綾波レイが碇シンジの母、碇ユイのクローンである事が明かされていた。

 

 それは、シンジはもちろん、アスカ、そして綾波レイ自身にも大きなショックを与えた。自分が普通の人間とはどこか違うと知っていても、己の出自を詳らかにされると、その真相は──当然といえば当然ではあるが──感情の起伏が薄いこの少女にも少なからず動揺をもたらしたようだった。

 

 なぜそんな情報をミサトは、メンタルへの打撃も度外視して、エヴァ適合者(チルドレン)三人に明かしたのだろうか。エヴァンゲリオンという兵器は搭乗者の精神的安定が、通常兵器以上に求められるセンシティブな存在だというのに。その理由をアスカから問い詰められ、葛城ミサトは目を伏せながら、申し訳なさそうに言った。

 

「間違いがあってからでは遅いから……」

 

 父を殺し、母と交わる──ギリシャ悲劇のオイディプスのような過ち──それはオイディプスが父ライオスと母イオカステに幼い頃に生き別れ、その顔と名を知らなかったが故の悲劇だったから、総司令に就任してようやく綾波レイの情報にアクセス出来るようになってすぐ、ミサトが似たような悲劇の到来──近親相姦の成立を危惧して警告したのはアスカにも理解出来る。

 

 その時すでにシンジとレイの間には、アスカから見ても、時折、嫉妬するような心の繋がりが感じられたから、ミサトも危うさを感じたのだろう。もしかしたら、シンジにとっては綾波レイへの想いは、仄かな、自覚せざる初恋のようなものだったのかも知れない。

 

 それ以来、シンジとレイとの関係はギクシャクしている。明らかにシンジの方から、レイへの接触を避けているのだ。

 

 後のアルマロス動乱期とは違い、トロワ、カトル、サンク、シス、四人の綾波レイの複製体たちはまだその個性が分化していない。三人の後発クローンたちは0・0エヴァ──ゼロGゼロ気圧型零号機の事だが──で地表監視任務の為に衛星軌道上に上がっていたから、学校で始終顔を付き合わせるのは、あの本部決戦までをアスカやシンジとともに潜り抜けた三人目の綾波──コードネーム№トロワだ。

 

 トロワの方も思うことがあるらしい。

 

 時々、教壇の真ん前のシンジの席を、そして彼の背中をじっと見つめている事がある。帰り際などに、シンジに話しかけようとする素振りさえ見せるが、実行するまでには至らない。しかし、それだけでも、これまで受動的だった彼女にしてみれば大きな変化だとは言えた。

 

「バレンタインか──」

 

 アスカは呟いた。

 

「そうよ、アスカもちゃんとしなくちゃ。日本のバレンタインデーは女の子の戦いの日なんだから」

 

 訳知り顔でヒカリは解説してみせるが、アスカが再び口を開いた時、彼女の言葉に耳を疑った。

 

「私、あの子がシンジに渡すなら、私もチョコを渡してもいいわ」

「え、でもそれは──」

 

 ヒカリはそのアスカの態度を訝しむ。視線の向かう先には綾波レイの席がある。だから、あの子というのが誰を指すのかはすぐに分かった。

 

 しかし、それではまるで敵に塩を贈るようなものではないの? とヒカリは表情を曇らせた。敵という表現も本来似つかわしいとは言えないけれど、しかしヒカリはアスカのことを応援したかった。アスカもいつも、自分とトウジとの関係を応援してくれていたから。

 

「フェアプレイとか、同情とかそういうのではないのヨ」

 

 かつて、アスカは綾波レイのことを自らの意志を持たない人形のような存在だと思っていた。

 

 しかし、綾波レイは己の支えとなる保護者の碇ゲンドウを喪い──彼は赤木リツコらと共に、今では時間停滞スフィアと呼ばれるリリスが広げた空間に凍りついた時間と共に閉じ込められたままだ。

 

 さらに追い討ちを掛けるかのように、彼女はシンジからも露骨に距離を置かれている。その事で、アスカはシンジを責めることはすまいと思っていた。アスカだって、例えばもしシンジが自分の父親のクローンだと言われたら──もちろん、実際にはアスカの父親とシンジは少しも似ていないから想像だに出来ない事態なのだが──相手にどう接してよいか分からなかった筈だ。

 

 だから、シンジは悪くないのだが、それでもあの子は二人の大切な男性との繋がりを殆ど同時期に喪って、意気消沈していた。

 

 つまり、彼女はちっとも人形ではなかったのだ。

 

 いっそ彼女が本当に人形のような存在だったら、今の寂しさや苦しみから傷つけられずに済むだろうに、とアスカは哀しく思う。自分の見立て──彼女の独立した人格を疑う決め付けは間違いだったのだ。アスカはその事で一度はレイを傷つけた。

 

 それを自ら糺せないのなら、アスカは決して自分自身を許せないだろう。日々の鍛錬を欠かさず、己の怠惰を許容しないアスカの高貴な誇りは、倫理的にも自らを甘やかす事はない。

 

 金髪蒼眼の王女は椅子を引いて立ち上がった。上靴の音を木の床に小さく響かせながら、綾波レイ№トロワの席の前に立った。

 

「トロワ──ううん、綾波レイ」

「……」

 

 トロワが無言のままに、顔を上げてアスカを見ると、金髪の少女は電子黒板の右端の日付表示を指差した。

 

「きょうは2月10日、金曜日よね。もうすぐ14日」

「──セカンドの人」

「人を野球選手みたいに言うなっての。惣流・アスカ・ラングレーよ。いい加減覚えなさい」

「セカンドの惣流さん。……14日がなに?」

「だからあのねぇ」

 

 アスカはこめかみを抑えて、呆れ声を上げる。言い直したらますます、惣流二塁手みたいな呼び方になったではないか。用件を明らかに察していない様子のレイに向かって、金髪の少女は攻めあぐねる。

 

「ヒカリ──解説よろしく」

 

 いきなり話を振られ、慌てて近寄ってきた洞木ヒカリは──高校に入ってからは碇シンジに委員長の職を譲って副委員長という新しいポストに就いているのだが──前と変わらずに面倒見よく、アスカ以上に日本社会の常識に欠けた木石のような少女に向かって解説する。

 

「えっと2月14日はバレンタインデーなのよ。アスカはその話をしたいんだと──思う」

「……バレンタイン休戦臨時条約の結ばれた日なら知ってる」

 

 セカンドインパクト直後に、インドパキスタンの国境での衝突に端を発した世界的紛争の後、休戦条約が結ばれたのが、2月14日だった。日本も東京に新型爆弾を投下されて五十万人の犠牲者を出すなど、各国こぞって甚大な被害を与えかつ被った紛争が、2001年のこの日、ようやく収束したのだ。もっともアスカに取ってみれば、あくまで現代史の教科書で習う、生まれる前の歴史である。

 

「今話してるバレンタインは、休戦ではなくて、むしろ女の開戦日なんでしょ。さっきのヒカリの言葉を借りればさ」

 

 そう言って、アスカはヒカリを事典や教科書代わりに解説を促す。ヒカリはなぜ私がそういう役回りなの?と多少、疑問を感じながらも、根っからの鷹揚さで詳細な説明を始めるのだった。

 

「えっと……キリスト教の聖人、ウァレンティヌスが処刑された日と言われているのよ。時のローマ皇帝が兵士に独身でいるよう命じていたのに、ウァレンティヌスは密かに、司祭として兵士たちの結婚式を挙げていたのね。それで死刑になってしまったの。だからバレンタインデーは恋の記念日なのよ」

「そうそう──そういう日なのよね」

 

 アスカはしれっと、まるで最初から知っていたような顔をして頷いてみせた。

 

「だから私たちとチョコを買いに行きましょ、男子たちにあげるチョコをね」

「チョコレート、なぜ? 私は結婚はしない」

「も、もちろん結婚までしなくてもいいのよ! そのずっと前の段階の話で、女の子がこの日、好きな男の子に、チョコレートを贈るのよ」

 

 ヒカリが慌てて補足するが、ピンと来ていない様子のレイに、すぐにアスカは訂正を入れる。

 

「別に好きでなくてもいいわ、義理でもいい。クラスの男子全員に配れなんて言わない。Loveじゃなくて、少しでもLikeの気持ちがある相手なら。義理ってのは、あなたの事が嫌いではありません、って意味ね。って……意訳過ぎるかしら、ヒカリ?」

「嫌いな人にでも、義理チョコをあげなくちゃいけないなんてシチュエーション、もっと大人にならないと体験しないんじゃないかな。それにこのクラス、嫌な人はいないわよ」

 

 綾波レイに、漠然と好きな男の子といっても難しいだろう。二人の丁寧なフォローというより半ばは脱線混じりの説明に、トロワはしばらく考えていたが、アスカの提案に首を横に振った。

 

「私は贈らない」

「どうしてよ?」

「私には贈る相手がいない」

「だからLikeでもいいんだって。私だってそうするつもり──」

「LikeとLoveの違いが分からない」

「それはLikeは好きって意味で、Loveはそんなものをもっと超えた……そうでしょ?」

「辞書的定義なら知ってる。でも私にはどちらもいない。クラスやネルフの男の人もよく知らない。よく知らない人に好きとか、嫌いではないとは言えない」

 

 でも、あんたには昔は二人、今は一人、例外がいるじゃないか、とアスカの言葉は思わず喉元まで出掛かる。しかし、それは言葉にしてはいけない筈の内容だった。そのくらいのデリカシーはむろんアスカにもある。

 

 とりつく島のないトロワの態度に、アスカはしかし、簡単に引き下がらなかった。ピッチャーが角度と球種を変えて投球するように、全く異なる問い掛けをする。

 

「……あんた、私服をどれだけ持っている?」

「私服? 制服と寝間着があるだけ」

「つまりその服を着た切り雀ってわけね。そういうの、女って言えるのかしら」

 

 この場の女子全員が身に付けているのと同じレイのセーラー服を眺めながら、アスカの舌鋒は鋭く、辛辣だ。

 

「性別が関係する理由が分からない」

「関係はあるわよ。女はがさつな男たちとは違う。着飾って、愛に命を賭ける。だから、服と恋は女の命よ」

 

 アスカは厳かに言った。日本のバレンタインの慣習に本来興味は無かったが、こうもレイの反応が糠に釘だと、何故だか闘志のような感情が湧いてくる。

 

「チョコは買わなくてもいい。でも服はこれから一緒に買いに行くわよ」

「なぜ」

「あんたの色を見つけ出す為よ!」

「私の──色?」

「そうよ! みんなと同じ制服を着て、それしか着なくって。それじゃ、あんたは何処にいるの?! 何のために生きているのよ!」

 

 アスカは本気で怒っていた。他人の事でこうも強く腹を立てている理由が自分でもよく分からない。

 

「色──? 私は、此処にいる──」

 

 かつて綾波レイを人形扱いしたアスカが、過ちを糺す方法は、綾波レイに自立した人間性を目覚めさせる手助けをすること。今の怒りは、かつてエレベーターの中でレイにぶつけた怒りとは違う。もっと義憤に近いものだった。

 

「そうよ! あんたは此処にちゃんといる。服だってチョコだって、些細なことかも知れない。だけど、だからこそ、先ずはそこから選ばなくちゃ。生まれてきたんだから、私たちは。これからも生きていくんだから、私たちは」

 

 状況に流されるのではなく、他人に押し付けられるのではなく、自分の選択で何かを掴み取らなくてはいけない。

 

 アスカは強く、そう思い、自分もそうありたいと願うのだ。

 

 

 アスカとヒカリ、そしてレイトロワは、学校から直接、小涌園近くのショッピングモールに出て来た。一応、下校時の寄り道には当たるが、仙石原高校の校則は緩い上に、特別な生徒であるアスカたちに文句を言う人間もまずいない。その点は気楽かつ気儘なものだった。

 

「どう? この服も結構可愛いんじゃない」

「そうね──。さっきのフェミニンなワンピースも良かったけど、このコーディネートもクールな感じで、綾波さんらしさが引き出されているかも。ご本人としてはどう?」

 

 既に試着は三着めだ。もっぱらアスカが見立て、レイがそれを言われるままに試着し、ヒカリがそれを品評する。

 

 今、綾波レイが着ているのは、クルーネックのカットソーに、下はゼブラ柄のミニスカートだ。

 

「本人でも、分からない」

「あんたそればっかりね」

 

 ポツリと呟くレイトロワに、しかし、アスカはそれを昔のように、レイの作る頑なな壁だと言う風には考えなかった。これに関してはレイの態度が変わった事よりも、アスカの受け取り方が変わった事の方が大きいと思う。

 

 実際、アスカが自分の過去を思い出してみても、既に四、五歳の時には服装の好みがはっきりあったと思うのだ。多くの女の子はそうなのではないか。アスカも、「男の子みたいで可愛くない」ズボンを穿かされそうになると目を剥いて怒って、母キョウコを困らせたものだ。まだ母の精神がエヴァの実験によって崩壊する前の、懐かしくも戻りようのない日々の思い出だ。

 

 つまり、綾波レイはファッションに関しては本当に、幼女ほどにも「分からない」のだろう。素直にその事実を示してくれている事をアスカは肯定的に受け取れるようになっていた。取り様によっては、隠さず取り繕わず、分からないと言ってくれる事は、トロワのアスカに対する一定の信頼の証とさえ解釈出来るかも知れない。だって、乗り気ではなかった筈の買い物に、彼女はちゃんと付き合ってくれてもいるのだから。

 

「私はどれも似合うと思うな。アスカが選んだ服──最初のパンツルックは暖色系、ワンピースは寒色系、これはトップスはグレーベージュだけど、ボトムスはゼブラ柄……最初、その柄はどうなのって思ったけど、意外に合ってる」

 

 ヒカリは初め、アスカの一見カラフルで、一貫性のないチョイスに首を傾げていたものだったが、実際に綾波レイに着せてみると、どれもそう悪くない気がする。一つには素材であるレイが、惣流・アスカ・ラングレーに負けず劣らず、スタイルのいい美少女という、重大なプラス要素があるからだろう。丈の短いスカートから細く白い脚が、それこそシマウマの脚のように長く伸びている。それがともすれば下品になりそうなスカートの柄にも関わらず、颯爽とした印象を与えている。

 

(綺麗な子はやっぱり得よねえ)

 

 ヒカリとしては容姿に秀でた二人が羨ましい限りだ。

 

「一応私も色々考えてるのよ。パンツルックは男の子っぽくなるから、色は柔らかくとか。フェミニンなワンピースなら、その逆でとかね。これも、下が挑発的な分、上はアースカラーの丸首で全体的なバランスを取ってみたの」

 

 アスカは解説する。ヒカリの見るところ、アスカの私服のセンスは中学時代には微妙な所もあったのだが、最近は頑張っているようだ。

 

「だからかしら──まるでサバンナにいるようだわ」

 

 ヒカリはそう冗談を言って笑った。

 

「色がいろいろ」

「あら、綾波さんがダジャレ?」

 

 ニコニコとそんな突っ込みを入れると、トロワは首を横に振った。

 

「私の色。──まだ、分からないわ」

 

 その疑問に応じるように、アスカが少し真剣な顔付きになっていった。

 

「それを決めるのはあんた自身。私はそれを見つける為に連れ出したけど、決めてはあげられない。最初は零号機の色に合わせたりでもいいかと思ったけど、よく考えたら、私も普段はあまり赤い服着ないのよネ」

「まあ、赤い服って着こなしは難しいかもね」

「そうなのよ~。只でさえ、私は顔が日本人に比べて派手だしね」

 

 愚痴めかしてアスカは苦笑で応じる。しかし実際、ヘッドセットの色もそうだが、アスカは段々と赤という色への拘りを捨て、それ以外の色に象徴される自分の新しい可能性を探ろうとしているのだ。自分のイメージを無闇に決め付けない、発想を自由にしてみれば、若い少女には無限の可能性が広がっている。

 

 そんなアスカの能動的な試みに比して、レイは受動的な願いを一つ持っている。

 

 ──もし、いつかその色を碇クンが決めてくれるなら。

 

 私はその色をきっといつまでも私の色として大切にするだろう。碇クンが似合うと選んでくれるのなら。

 

「この服でいい? それなら三着とも買ってあげる」

「弐号機さん……惣流さんのお金で?」

「安心しなさい。そのぐらいの持ち合わせはあるわよ。ブラックカードもあるし」

 

 エヴァに命を賭けて乗っているのだ。幸いなことに給料は相応のものをたっぷりと貰っている。

 

「でも、買ってもらう理由がない」

 

 レイは、別に遠慮ではなく、小首を傾げる。

 

「あんたには借りがある。正確には二人目のあんたにだけど」

 

 アスカは言った。かつてネルフ本部のエレベーター内であったいきさつとアスカからの侮辱について、トロワは何も知らないが、惣流・アスカ・ラングレーはそれを忘れたことはなかった。あれはもしかしたら、二人目の綾波レイとの最後の本格的なやり取りだったのではないか。それがあんな風なものになってしまったことについてアスカの中にも、小さくない後悔があった。

 

「いや、借りを返したいとかそういうんじゃないわね。そんなもの、服を何着プレゼントしたからって、償えるとは思えない。だから──」

 

 それから、アスカはじっと考え込んでいたが、やがて自分の中でしっくり来る表現に行き当たった。

 

「私はせめて人間らしく、振る舞いたいのよ」

「人間らしく?」

「そう。自分が正しいと思う事をしたいの。レイ、あんたはあたしの同僚で──共に命を賭けて戦う戦友よ」

 

 あるいは恋のライバルでもあるのか。

 

 シンジに命を救われたアスカが、そこから一気呵成にシンジとの仲を進めようとしていないのも、レイ№トロワが、今、ゲンドウの不在と、シンジの反応から大きな痛みを受けて、さ迷っていたからだ。

 

 アスカはその──他人の痛みや苦しみを無視したくはない。それが例え、恋敵のものであったとしても。今、レイの苦悩を好機と捉え、出し抜くような真似をしたら、自分の恋も汚してしまいそうな気がする。

 

 人形ではない本当の人間ならば、人間らしく振る舞う為にどう生きるべきなのか。

 

 そういえば、英語のkindという単語の原義は、その種としての固有の振る舞いのことを指すと聞いたことがある。

 

 つまり人間らしい、人間にしかできない、その種としての特徴的な行いをkindと呼び、やがてそこから、kindは人の優しさという意味も獲得するに至ったというのだ。優しさは人間にしかない気持ちで、人間にしかできない行いだ。

 

 だから、人は、優しくなければ生きていく資格がない。

 

 人類補完計画を拒否した人類。他人の痛みをたちどころに知れるようになる、そんな一つに溶け合える進化の階梯を拒んだ人間たちにとっては、溶け合うよりも素晴らしい世界があり、そこには優しさが満ちているという事をその所属する一人一人が種の尊厳を賭けて、証明して行かなければならない。

 

 そうでなければ、あいつと私が別々でいる世界を私たちが選んだ甲斐がない──そう、アスカは思うのだ。

 

 

 アスカがレイの服三着を一括払いのクレジットで買い終わり、彼女に手提げのショッピングバッグを手渡すと、「ありがとう」とか細い声で御礼が返ってきた。

 

「どういたまして」

 

 その瞬間を狙いすましたように、ヒカリが二人の前に歩み出た。

 

「あのね、アスカ、綾波さん。私、やっぱりチョコレートを買って帰りたいの。少しだけ寄らせてくれないかしら」

 

 ヒカリが両手を顔の前で合わせて、懇願をする。アスカがレイには見えないように片目をつぶり、予定通りねという合図を送る。

 

「なら──」

 

 きびすを返し、私は帰ると言われないように、素早くアスカはレイの手首を掴む。

 

「まあまあ、そんなに早く帰る事はないでしょ。それともこの後、何か予定があるの?」

「予定はないわ」

「それなら、付き合いなさい。色々な経験をすると、あんたにも色が付く。見聞を広めれば、何だって自分で決められるようになる。私はシンジにもそうするよう仕向けている。まあ一種の教育ね。アイツにもあんたと同じような所があるから」

「碇クンも?」

 

 アスカはレイを動かすマジックワードがシンジの話だとよく心得ている。

 

 抵抗が収まったので、今のうちにと素早く、予め目星を付けていたバレンタイン商戦の特設売り場に移動する。

 

「わぁ、このチョコ素敵ね! これを食べたら喜ぶだろうなぁ」

 

 ヒカリが小芝居じみた大袈裟な演技で、豪勢な特製チョコレートに目を輝かせてみせると、アスカも「どれどれ」とちょっとそれに乗っかって、演じてみようかという気になった。でも綾波レイはそんな手では動かない気がする。だから、色々と骨を折ってくれているヒカリには悪いけど、アスカは頭を振って、違う事を言い始める。

 

「チョコを最初にプレゼントするって考えた人はさ、とても賢かったと思うの」

 

 アスカはレイの隣で、しかし彼女に話し掛けるでもなく、ただ感想を口にする。

 

「だって、貰っても困るものじゃないし、すぐに消えて無くなるから邪魔にならないし、甘いものは誰だって嬉しい。本命とか義理とか頭に付けるけど、その点を曖昧にしておけば、想いは込められるし、その想いは決して拒絶されることはない」

「拒絶されることは──ないの?」

 

 レイが、話に乗っかってきた。

 

「想いを明かさないのなら、ね。LikeなのかLoveなのか、本当の気持ちを誤魔化して、そうやって告げるなら、きっと拒否はされないわよ」

 

 それが良いことだとは思わないけど。

 

 アスカは心の中でそっとそう結ぶ。

 

 その横で、中年の主婦のグループが、談笑をしながらチョコを選んでいる。トロワはそれを少し不思議そうに眺めている。

 

「家族に買う人も結構いるのよ。男の子はお母さんに貰う人も結構いるんじゃないのかな」

 

 ヒカリがまたレイに丁寧に説明をしてあげている。

 

「自分の子供にもあげるの」

「そう。恋愛とは違っても、愛には色んな形のものがあるから。親子愛や友情、チョコをあげる理由は、割となんでもアリなのよ」

 

 レイは主婦の集団がレジ前に並ぶのをじっと目で追っている。

 

「一番、美味しいの、どれ?」

 

 その言葉に、アスカとヒカリは顔を見合わせて、目を丸くした。

 

 

 週が明け、2月14日当日。帰りの下駄箱作戦のタイミングに傾注するヒカリと別れ、アスカは昼休み、屋上に上がっていた。他にこの場にいるのは、シンジと綾波レイ№トロワだ。

 

「碇クンに渡す。惣流さんも来て」

 

 まさか、シンジを屋上に呼び出したレイの介添え人までやらされるとは思っていなかった。

 

 ようやく名字だけで呼んでくれるようになったからか、その無茶な依頼を二つ返事で引き受ける自分は実は相当なお人好しだったのね、とアスカは頬を掻く。

 

 シンジもこのシチュエーションに、二人の少女が並んでいることに困惑を隠せない。

 

「アスカ、これって──」

「私は只の介添え人。学芸会の演劇の木の役とでも思いなさい。何も言わない、何も見ない、何も聞かない。木と話さずに、レイと話しなさい」

 

 と突き放してはみるものの。……それなら、木役なんか別に要らないじゃん!

 

 セルフ突っ込みをつい行ってしまったが、結果はどうなるにせよ、これは綾波レイの一つの旅立ちで、その行動を唆したのは、アスカ本人なのだ。矢張り前向きに動いている綾波という珍しい存在を生み出した、製造物責任というものがあるのだろう。事ここに至れば、いたしかたがない。最後まで見届けよう。

 

「碇くん。これ」

「綾波──これは」

 

 差し出された白い包装の四角の箱に、シンジは戸惑う。──今日がバレンタインデーだとはさすがに僕も分かっているのだけれど。

 

「セカンドの惣流さんが言った。好意ある男の子に渡すもの」

「でも、僕は──」

 

 葛城ミサトから真実を告げられて、遺伝子が全てではなく、レイと母ユイは別人だと心では思っていても、もうそこから踏み出せる筈がない。

 

「受け取れないのは、時が来たら私はあなたのお母さんになるから?」

 

 それは綾波レイにとって、恐れでもある。レイという人格が、シンジの母である碇ユイによって上書きされるのではないかという恐怖だ。

 

「そ、そんな事は」

「いいの。心配になる気持ちも分かる。葛城総司令にも釘を刺されたもの。間違いを起こすなって。でも──」

 

 レイは唇の端をぎこちなく吊り上げて、笑顔を作る。

 

「安心して。母親も息子にチョコレートを贈る。だからあなたはこれを受け取っても問題はない」

「!」

 

 シンジはぎりりと唇を噛んだ。

 

「そ、そういう……綾波がそういう気持ちなら、僕はこのチョコレートは受け取れない。綾波たちは母さんとは違う。違うんだよ」

「……碇クン」

 

 綾波レイはシンジの拒絶に驚き、哀しそうにその名前を口にした。

 

「私とあなたが一つになるには、補完計画しかなかった。でもあなたはそれを拒絶したのよ。あの子を選んで、私を選ばなかった」

 

 あの子というのは、言うまでもなくこの場にもいるアスカの事だろう。それと分かっても、アスカにも何も口を挟むことは出来ない。

 

「そんなつもりは──だってそれは結果論だろ!」

 

 シンジはまるで親子喧嘩のように、レイに怒鳴る。それなら、アスカをあの時救わなければ良かったとでも言うのか。そんな事が出来よう筈もない。

 

 綾波はそのシンジの怒りに怯えも見せず、そっと睫毛を伏せた。

 

「私と一つになる道を選ばなかったのだから、いずれ私はあなたの母親になるしかない」

「──僕の母さんはもういないんだよ。それは綾波じゃない!」

 

 二人の考えはどこまでも交わらない。そもそも己の新しい役割をシンジの母親と以て自ら任じているトロワにしてからが、アスカから見たら、無理をしているのが見え見えだった。

 

 ──私は気持ちを隠せば、受け取ってもらえるかもって話をしたけれど、それはこういう展開を願っていたからじゃなかった。曖昧さの中から育つ愛もある。私のシンジへの気持ちのように。それを雛のように大切にすればいいと思っていた。たとえ、それがシンジには受け入れられない愛だとしても、喪失の痛みが心の中から消えてなくなるまで待っても良い。心の中はその人だけの自由だから。結論を急ぐ必要はないと思っていたのだ。

 

 でも、それは未来における自分の恋の勝利を心密かに確信しているアスカの傲慢な思い上がりだったのだろうか?

 

 ただ、一つだけ言えることがある。

 

 男を愛する女が、母親の代わりなんか出来る訳がない。

 

 アスカにもそれは分かり切っている明瞭な事実だった。

 

 

「けっきょく、レイのチョコレート、受け取らなかったわね」

 

 十分後、レイだけが屋上を静かに去り、シンジは惚けたようにフェンス脇で、校庭や雲を眺め、アスカは溜め息をついた。

 

 こういう展開を一つの可能性としては予想しないでも無かったが、もっと穏当な落とし所に落ち着くという予測の方が、アスカの中では大きかった。シンジも綾波レイも、基本的には人とあまりぶつかろうとしない、大人しい性質の存在だからだ。

 

 だが、二人ともある一線を越えると、容易には自分の考えを譲らない頑固な性質を持っている。アスカはその双方の性格をもっと考えるべきだったわと改めて臍を噛む。

 

「嬉しくなかった訳じゃないんだ。でも綾波が僕の母さんだって思おうとしていて──そんな風に無理をしているのが分かったから。だったら僕はそんな気持ちの綾波からは貰えないよ」

 

 屋上を取り囲むフェンスを強い力で掴んで、背中を向けたままのシンジの主張に、アスカは肩をすくめる。

 

「でもね、あの子。──お店であんたにあげるチョコレートを選ぶ時、とっても嬉しそうだったわよ。買おうと決めるまでは随分迷っていたけれど、自分も買っていいんだ、シンジにチョコをあげてもいいんだと、そういう大義名分を手にしてからは束の間、凄く素直になっていたように見えた。あたしがいつか母親になった時、自分の息子へのチョコを買う場面で、あんな、端から見ただけで他人に分かるほど、弾んだ気持ちになるのはちょっと想像が出来ないわ」

 

 要するに、綾波レイ№トロワの気持ちは母親のそれではない。だからこそ、彼女の想いは行き場を喪い、彼女自身を苦しめているのだ。

 

「分かっている──僕はまたボタンを掛け違えてしまったんだ、きっと」

 

 別に珍しくもない話だ。シンジはいつも惑い、間違い、迷っている。それが人を傷付ける事もある。シンジの事を大切に想う人ほど、彼に傷付けられる。それはシンジ自身にもよく分かっている事なのだ。

 

「アスカは僕のこと、軽蔑するかな。だって僕は綾波の事が好きだったかも知れないんだ。でも、それは実は母親への思慕の延長みたいなものだったらしくて、それが上手く行かなくなったら、綾波から無理に距離を取っている。今、アスカとよく話すのは、話しやすいからだけど……」

 

 シンジの言いたい事は分かった。レイから距離を取る事が、すなわちアスカとの距離を縮める事になるという事実に、シンジは後ろめたさや申し訳なさを感じているのだろう。アスカ当人に対しても。

 

「確かに事情を知らない人間から見たら、あの子から私に乗り換えたみたいに見えるかもね」

「……うん。アスカも僕のこと、いい加減な奴って思うよね」

 

 世の中にはそんな事を気にもせず、簡単に相手を乗り変える者もいる。男女問わずだ。シンジはそういう人間とは違っている。繊細で傷つきやすい、男の子だ。

 

「わからない、分からないけど。……でも軽蔑なんてしないわよ」

 

 アスカはそう言って、溜め息をついた。

 

「あんたが私とあの子の真ん中にいて、あんたはあの子を好きになった──それはそれでいいじゃない。だって、あの子の事をあんたは母親として好きになったんじゃないわ」

 

 シンジは背中を向けたまま、言葉を発しない。

 

「それにあんた、私のことも同じくらい好きでしょう?」

 

 それで、シンジは驚いてアスカに振り向いた。

 

「そ、それは」

「待って。言わなくていい──別に今、言ってもらう必要はないんだから」

 

 そして、アスカはそっぽを向く。

 

「だいたい外見だけで、私を好きになる男子は多いのよ。だけど、私の性格を知ると、みんな幻滅するか、辟易する」

「そんな事は」

「まあ、あんたには本性バレてるし、いい加減、耐性が出来てるでしょうけどネ」

 

 アスカのきつい性格に対する耐性、という意味だろう。

 

「アスカにズケズケ言われて、平気な訳じゃないけど。結構、反論や口げんかだってしてるしさ」

「それでも、あんたは私に付き合っている。他の男は面と向かっては私の色香にでれっとなって褒めるだけの癖に、陰では悪口を言っている。そういうのは分かるものよ」

 

 上辺を越えて、見てくれではなく、本質を知った上で、シンジはアスカと一緒にいる。シンジはアスカの命を救った。量産型の群れをありったけの膂力とスピードで薙ぎ倒す──アドレナリンを全開にして、後はないし、やり直しもないと心に堅く誓った命懸けの戦いで。アスカはその戦うシンジの背中を見た。実際に目撃したのは弐号機のモニター越しの初号機の背中でも、その躍動する筋肉の動きはシンジのそれを見るのと同じ事だった。

 

 そう言った後、アスカはその言葉の持つ別の意味に気付く。

 

「あ、付き合ってるって、そういう意味じゃないわよ、男女交際とかそういうんじゃなくて」

 

 少しだけ頬が紅潮する。それで出来た気まずい間を埋めるように、アスカはポケットに入れていた腕を突き出した。半ば握った拳には、赤い包装紙にくるまれたものがあった。

 

「これ。レイの買い物に付き合って、私も買った」

「チョコレート……? 僕に?」

 

 アスカから差し出され、受け取ったハート型の物体にはずしりとした質量以上の重みを感じる気がした。そこに込められた何かがあるからだろう。

 

「ハートの形をした煉瓦よ──と言ったら怒る?」

「それはやっぱり──ちゃんと食べれる方がいいな」

 

 シンジは苦笑する。

 

「安心なさい。半分引き受けるつもりで、美味しいと評判の店のを買ったから」

「これ、義理チョコなんだよね?」

「売り場ではいちばん高いチョコだったのよ。だから義理は義理でも、別格の義理なの」

 

 アスカはニカッと笑った。

 

「アスカ──ありがとう。あのさ」

 

 シンジはしばらく逡巡していたが、やがて決意したように言った。

 

「僕、綾波からもう一度、チョコ貰ってくるよ」

「あんたなら、そう言うと思った」

「母さんではなく、綾波という一人の女の子からのチョコレートを受け取るよ。今更、何よって怒られるかも知れないけど」

「それは、大丈夫だよ──きっと」

 

 綾波レイ──トロワの気持ちならきっと大丈夫だ。彼女の悩みはきっとこれからも続く。シンジとの距離感や彼女自身の立ち位置に悩みながら、それでも結局はシンジの隣ではなく、あるべき姿、あるべき距離に落ち着くだろうとアスカは思っている。でも、それは今すぐじゃない。

 

 一度は拒否した決意を翻意させたのはシンジの不器用な優しさだろう。優柔不断と言えば言えるかも知れないし、他の女の子からのチョコを受け取る事を容認するアスカも、愚かな程にお人好しなのかも知れない。でも、アスカは思うのだ。

 

 ここからが正々堂々の、スタートラインなのよ、と。

 

「私のチョコは戻ってくるまで預かっておく。流石にあの子でも、これを持ってたら、気を悪くするかも知れないからね」

 

 ──あの子にも嫉妬という感情はあるに違いない。でなければ、補完計画を阻止し、あの子より私を選んだシンジの選択を問い詰めたりはしないだろう。あの子がその感情から出発して、美醜善悪を併せ持つ人間らしさを育てて行けるなら、それは素晴らしい事に違いなかった。

 

「うん」

「あんたは必ず私の所に戻ってくるのよ、いいわね──あたしのいる所があんたの帰る場所」

 

 シンジは笑って、もう一度、強く頷いた。

 

「アスカの呉れたチョコレート、帰ったら二人で半分こしよう」

「うん、行っといで」

 

 アスカはぐっと親指を立てて、シンジを送り出す。白いカッターシャツの背中が駆け足で屋上を出て行く。

 

 あの子──綾波レイはシンジにチョコを受け取って貰う時、どんな顔をして笑うのだろう。あるいはどんな顔をして泣くのだろうと、アスカは想像した。

 

 でも、その笑顔や泣き顔は、今だけは、シンジだけのものなのだ。

 

 アスカは、綾波レイと碇シンジのどちらに焼き餅を妬いてるいるのか、分からなくなって、思わず吹き出した。

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