裁判長が木槌を打ち、一旦休憩となった。
休憩は花京院が来てから10分後になるそうだ。
すぐ来るだろうという話だが、随分曖昧だな。
「やったね。
なるほどくん、ひとりちゃん助かったよ。」
真宵ちゃんが歓喜ではにかんだ表情を僕に向ける。
対して僕は、この先の裁判も石橋を叩いて渡るようにして進まなければならないと感じていた。
何せ2人目の花京院が出てくるのだ。
まず、理解が追いつかない。
真宵ちゃんの肩に手をポンと置き、彼女も慎重にいくよう気持ちの共有を図る。
「いや、まだ終わってないよ。
ここから次の証人が何を言ってくるか分からないんだから。」
僕の言葉に真宵ちゃんがぶー垂れている。
「そうは言ってもあの証人が認めた以上、もうひとりちゃんは大丈夫だと思うけどなぁ。
でも、なるほどくんがそういうなら気は抜けないかな?」
おや、随分聞き分けがいいな。
昨日も晩御飯は『味噌ラーメンがいい!』と言い出してから、選択肢をいくつも出した僕が諦めるまで粘り続けたあの真宵ちゃんにしては珍しい。
後藤さんが助かったという安堵感がそうさせたのだろうか。
僕は向かい側の席で、御剣と話しているイトノコ刑事に歩み寄った。
「イトノコ刑事、ちょっといいですか?」
イトノコ刑事が僕の方を向いた。
「なんスか?」
「先ほどの新たな証人からの連絡ですけど、どうしてイトノコ刑事の携帯にかかってきたのでしょうか?」
「今その話を御剣検事と話していた最中ッス。
先の裁判の流れだと、電話をした次の証人はオインゴの”共犯者”だと思われるッス。
自分は、花京院の姿をしていたオインゴから事件について事情聴取をしたときに、連絡先を教えていたッス。
そこから漏れたと御剣検事は睨んでいるッスね。」
そうか、当時まだオインゴは通報した一般市民だと思われていたんだもんな。
何かあった時すぐ連絡を取れるように、携帯の番号を教えていたのか。
そこから今日までの間に、オインゴと共犯者は顔を合わせてその連絡先を共有していたのかもしれない。
「電話番号を知っていたのはその説明で分かりました。
けど、オインゴが姿を見せた直後に連絡を入れてくるのはタイミング良すぎないですか?」
「それは・・・そッスねぇ・・・。」
イトノコ刑事は首を傾げている。
「成歩堂。」
御剣が声をかけてきた。
「御剣はどう思う?」
「お前も想像がついているのかもしれないが、共犯者は恐らくこの法廷内を傍聴している人物だと思う。」
つまりはここで見ていたから、タイミングが良かったということか。
大胆なことをしたもんだ。
やはり、次の審理はすぐに始まるかもしれないな。
その前に、ちょっとアレだな、うん。
僕は真宵ちゃんのいる弁護側の席に戻って彼女に一言伝えておく。
「真宵ちゃん、休憩に入ったしちょっとお花を摘んでくるよ。」
「うわ。なるほどくん、それ上品な女の子が言うセリフだよ。
やっぱりもうちょっとは気を抜きなよ?」
ジト目で言ってくる真宵ちゃん。
僕も言ってて、25歳が使うには似つかわしくないことに気が付いた。
結構恥ずかしい。
・・・やっぱりちょっと肩の力を抜いたほうがいいかな。
僕が法廷所から出て扉を閉めたとき、御剣とイトノコ刑事がある話を始めていた。
「イトノコギリ刑事。
そういえば、オインゴはどうした?」
「ああ、オインゴは自分と一緒にいた巡査がトイレに連れて行ったッスよ?
なにやら、もよおしていたみたいッスから。」
「オインゴは罪を認めたのだから、留置所へ移送するが準備は万端か?
手錠はしっかりかけてあるだろうな?」
「その辺に抜かりはないッス。
すぐに移送にかかるッスよ。」
「・・・そうか。
まぁ、警察官が一緒なら問題ないか。」
御剣はこの時、成歩堂は被告人の控え室に向かっていたために、姿が見えないものだと思っていた。
――――――――――――――――
9月18日 午前11時40分
地方裁判所 男性用トイレ内
まずその部屋に入ると突き当りに、横へ長く広がる鏡とその下に手洗い器が3つ並んで配置されていた。
手洗い器に近づき、左へ曲がると左側には小便器が5つ、右側には個室トイレが4つ並んでいる。
奥側にはタイルの壁があり、僕の胸ぐらいの高さに小窓が取り付けられている。
その小窓のカギはクレセント錠で、ピアノでいうと黒鍵のような棒状のものがついている。
それを手前に円を描きながら、上から下へ半回転させると開錠できるよく見られるタイプのカギだ。
僕はこのトイレを何度も使用していたために、何も考えなくとも躊躇なく身体が左折するようになっていた。
馴染みのあるそこは、僕にとって入れば落ち着くことのできる場所と化している。
ただし、今日においてはそこに今までとは異なる者が混ざりこんでいた。
洗面器から左折した先には、背の高い警察官と先程まで証言台に立っていたオインゴがいた。
彼の服装について、不思議なものを目にしている。
オインゴは学ランを脱いでおり、今は白のYシャツに上から黒いベストを身につけている。
胸元には、ネクタイではなく白いフリフリのジャボが見られた。
一際目立つのが、ワインレッドカラーの上下のスーツだった。
その服装は、どこからどう見ても御剣のものである。
彼の手には、学ランと青い上下のスーツが握られていた。
オインゴの様子を見た警察官は、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
「・・・何をしているんですか?」
不審に思った僕が2人に声を掛けると、彼らは一度僕を見やるが今度はお互いの顔を見る。
一瞬、止まったかと思うと2人の口角が大きく上がるのが分かった。
オインゴがニヤニヤしながら僕に身体を向ける。
「いやな、聞いてくれよ弁護士さんよ。
俺はさっきまで悩みっぱなしだったんだ。
何をって?
色の話さ。
赤にするか、青にするかずっと悩んで悩みぬいて・・・。
ようやく・・・
よし、赤にしよう!と決意した矢先によ。
現れてくれるじゃねぇか、”青”がよ。
また着替えなおすのも大変なんだぜ?」
これはまずい気配しかしない。
僕は身をひるがえし、トイレルームから出ようとする。
瞬間、背中に何か重たい衝撃が響く。
僕の身体は重力の向きが変わったかのように前方へと吹っ飛ぶ。
タイルの壁に音を立てて激突する。
胸の前に両手を添えたとはいえ、右側の顔からも壁に突っ込んでしまった。
左側には、手洗い器が見えた。
僕は何故かその時、無性に顔を洗いたくなっていた。
激突したためか、思考がいまいち定まらない。
僕のスーツの襟元が、がっしりとつかまれる感覚があった。
そのまま後ろに引きずられていく。
僕の視界には、青いスーツパンツと以前靴ひもの切れた革靴があった。
それらが、タイルの床をズルズルとすべっていく。
置いて行かれるようにして、後方へと流れていくタイル達が羨ましかった。
視線が上がったかと思うと、クルリと僕の身体が反転する。
僕をそうした人物の左腕が、だらりと下がっているのがチラリと目に映る。
足先がついているとはいえ、僕は右の片手だけで持ち上げられているらしい。
目の前には、大きく両頬にしわを寄せてにかりと笑う警察官がいた。
上下の歯は幾本か無いのが見えた。
背が高いだけでなく、相当鍛えられた身体だな。
ぼんやりとそんなことを思っていた。
「運がなかったな。成歩堂龍一。」
その男が僕に声をかけてきたと同時に、右の頬に衝撃が起きた。
遅れて感じる痛みとともに、再び身体が浮いた感覚になる。
直後、僕は一番目の個室トイレのドアに身体を打ち付けていた。
バキバキと音を立てて、気がつけば乱暴に便座へと腰を下ろす体制を取っている。
少しの間、痛みと理解できない展開に脳が処理できず動けなかった。
頬以外にも痛みを感じ、ようやっとの思いで上げた右手で、右の側頭部を抑えると濡れた感触がした。
木材のドアが割れた際に、破片で切ったのかもしれない。
赤く染まる右手を見て、自分に何が起きたのか理解する。
先程の警察官の言葉が脳裏をよぎる。
本当に運がない。
靴ひもが切れたのはこのことの暗示だったのかもしれない。
視界と意識がぼやける中で、2人の男の声がした。
「おい、オインゴ。
着替えながらでいいから聞け。
青になったら、被告人の第1控え室に行くんだ。」
「そのあとはどうするんだ?」
「なに、弁護士を演じりゃいいのさ。
バレても構わねぇ。
ただし、出来るだけ長くもつようにしろよ?
すぐ終わるゲームなんざ、つまらねぇからな。
あとは、俺の証言を聞いて有利に立ち回れるように他の奴らを引っ搔き回せばいい。」
「分かったよ。そいつはどうするんだ?」
「馬鹿が。生かしていたら、こいつの振りをするお前が不利になるだろうが。」
警察官の体から、黄色い粘性物質が湧いて出てくる。
「証拠はこいつの命だ。つまりは、こいつを”捕食すれば”しばらくは楽しむ時間が作れる。」
「おぞましいねぇ。まぁ、俺は俺の仕事に取り掛かりますかね。」
タイルを鳴らし遠のく靴の音が聞こえる。
・・・着替えが随分お早いことで。
軽口が頭に浮かぶのは、余裕があるからだろうか。
それとも、もう”そのとき”を悟ってしまったからだろうか。
黄色い粘性物質は、警察官の身体の周りでうごめいている。
一歩踏み出し、丁番にわずかについている割れたドアに手をかける。
その手のそばにちょこちょこと動く黒い虫を見て、警察官は舌打ちをする。
黒い虫をつまみ自身の肩に置くと、黄色い粘性物質がその虫を取り込んだ。
あっという間に、虫は消えていなくなる。
僕は、何かにしがみついて立とうとした。
けれども、腕が全然上がらない。
半端に持ち上げた左腕は、僕の意思に逆らい肘から後方に流れた。
キィ
ジャバァァーッ!!
肘がレバーにあたり、便器の中を無意味に水洗する。
それを見た警察官は、笑いをこらえていた。
「ぷくくっ。
お前は本当に運がないなぁ、成歩堂龍一。
今から御剣怜侍をここに呼び出していこうと思った時にお前が来るんだからよ。
それともあいつの運がよっぽど良かったのかもしれねぇな。
そういう奴に手を出そうとしたら、ろくでもないことが起きかねないからなぁ。
まぁ、安心してくれよ。
お前の事務所は俺らが守ってやるからよぉ。
つっても、法律なんざ知らねぇけどな!
一日でぶっ壊したらごめんなぁ!
けど、水に流してくれよぉ。
その便器みてぇになぁ!
ガァーハッハッハッハッ!!」
とうとう噴出した男は、ゆっくりと一歩一歩近づいてくる。
今のその時間を楽しんでいる様子だ。
腕を僕の方に伸ばしてくる。
その手には、先ほどから男の身体にまとわりついている粘性物質で覆われていた。
あと少しでその手が僕に触れようとしたときだった。
「何してやがる。」
警察官がパッと振り向くと、そこには学ラン姿の男がいた。
その男・・・空条 承太郎は、もはや虫の息となっている成歩堂を見てから警察官に視線を移した。
「ここの廊下を歩いているときに、トイレから水を流す音が聞こえたけどよ。
流れてねぇじゃねえか。
目の前にでっかいクソが残っているぜ。」
瞬間、男がひきつった顔をして、飛びのく。
三番目の個室トイレのドア前へと着地した男は、空条承太郎を見て顔中に汗を流す。
何故ここに承太郎がいるのか理解ができない表情をしている。
しかし、即座に思考を切り替える。
今必要なのは、うろたえることではない。
何が必要かを考える。
警察官は、左側で身動きできない成歩堂龍一を見やり、笑みを浮かべる。
「承太郎。
お前には個人的な恨みがあるが、ここは一旦ひかせてもらうぜ。」
承太郎はよどみなく足を男へと向けて進めた。
びくりとした男は、さらに二歩後ろへと下がる。
承太郎は、二番目の個室トイレのドアを開けた。
男が首をかしげていると、承太郎が口を開いた。
「どうした?
お前の行き先はここだろう。
頭から突っ込ませてやるから、早く来いよ。」
「てっ、てめぇ!!」
こめかみに血管を浮かべて、明らか激昂した男は四番目の個室トイレのドアを掴んだ。
腕力のみで丁番からドアを引きちぎる。
小便器の方へ即座に移動した男は、そのままドアを承太郎の元へと投擲する。
スタープラチナを出した承太郎は、ドアを右手の裏拳で軽くいなす。
承太郎の視界を遮っていたドアが右側に流れたとき、彼の目の前にはドアの破片が飛んできていた。
よく見ると黄色い粘性物質が付着している。
破片が承太郎に当たる寸前―――、
「スタープラチナ ザ・ワールド!!」
彼のスタンド能力を発動する。
投擲された破片は、空中でピタリと動きを止めた。
警察官も成歩堂龍一も・・・、そこに鎮座された人形のようにピクリとも動かない。
時間が停止されたような空間を唯一動ける承太郎は、体をわずかにずらして破片の射線から外れる。
トイレルームの後方を見ると、クレセント錠を開錠して、小窓を開けた警察官の姿が見えた。
どうやら逃走する考えのようだ。
時間にもまだ余裕のある承太郎は、男に向けて足を踏み出そうとした。
ふっと気になることがあり、足を止める。
右後ろ側にいる成歩堂龍一を見ると、承太郎はハッとした。
破片が成歩堂龍一にも向かっていた。
投げた破片は2つだったのだ。
男が破片を投擲する前に、小便器の方へ移動したのはこのためであった。
破片に黄色い粘性物質がついているのが見える。
承太郎は、思考する。
ここまでが2秒、あの男を殴るには1.5秒で十分な距離だ。
だが、再び今いる位置に戻ったときには、時間が動き出しあの弁護士に破片があたる。
歯がゆい思いだが、仕方ない。
承太郎は、彼がはじいて床に倒れた個室トイレのドアをつかむ。
成歩堂龍一の前に立ち、そのドアを破片の前に立てかけた。
やがて、時間が動き出した。
べちゃりとドアに張り付いた粘性物質は、むさぼるようにそれに食らいつく。
トイレルームの奥から男の声はもうしなかった。
「うっ・・・。」
承太郎は、声に振り向く。
後方の成歩堂は、いまだ意識が朦朧としているように見える。
ただ出血も少ないし、側頭部の切り傷以外に外傷は見られない。
意識がはっきりしないのは、頭部を打ったためか。
命に別条はないだろう。
「・・・やれやれだぜ。」
――――――――――――――――
「成歩堂!!」
御剣怜侍が成歩堂龍一へ声をかけてくる。
彼は承太郎に左肩を担がれたまま、男性用トイレから廊下へと出ていた。
廊下奥からこちらへ駆け足で向ってくる御剣怜侍とイトノコギリ刑事が驚いた顔をしている。
その後ろでは、綾里真宵と後藤ひとりがついてきていた。
「成歩堂、その状態はどうした?」
「・・・。」
御剣が成歩堂の肩に手をかけ、軽くゆさぶり問いかける。
しかし、成歩堂は意識を失っているため返事はなかった。
「怪我人だ。もっと丁重に扱うんだぜ。」
「うっ、すまない。あなたは空条承太郎だろうか?
傍聴席に姿は見えなかったが・・・。」
「ああ。
裁判所に来ようとするジジイをまいていたら、来るのが遅れてしまったぜ。
・・・弁護士さんは、つい先ほどスタンド使いに襲われていた。」
「スタンド使い・・・、裁判所まで襲撃に来たのか。
あなたが助けてくれたのか。すまない、礼を言う。」
「気をつけな。スタンド使いは、ここの警察官だ。」
「えええええっ!」
承太郎の言葉に、イトノコギリ刑事は素っ頓狂な声をあげる。
御剣が彼をじろりと見ると、イトノコギリ刑事は両手で口を塞いだ。
「内部にスタンド使いが潜入していたとは・・・。」
御剣が腕を組んで何やら考えている。。
しかし、未知の能力に対してどう太刀打ちしたものか分からない、という表情をしていた。
「す、すみませんッス、御剣検事。
自分がついていながら・・・。」
イトノコギリ刑事が申し訳なさそうに御剣に言う。
御剣は彼の様子を見て、少々困った顔をした。
「イトノコギリ刑事、そんな顔をしないでほしい。
事前にスタンド使いという情報を知っておきながら、対策を打てなかったのだ。
こちらにも非はある。」
承太郎が御剣へ声をかける。
「あいつらは警察で簡単にどうこうできる相手じゃないぜ。
それより何しにここへ来たんだ?」
御剣がチラリと綾里真宵を見る。
彼女は、いまだ意識が戻らない成歩堂の身体を支えるように、右腕に両手を添えていた。
心配そうに彼の顔を覗きこんでいる。
「真宵くん・・・、彼女が我々の元に慌ててきたんだ。
『すぐに男子トイレへと向かってほしい。なるほどくんが危ない』とな。
来てみればこの事態だったわけだ。」
御剣の言葉に綾里真宵も続く。
「あたしとひとりちゃんがいた控え室に、なるほどくんの格好をしたオインゴが来たんだよ。
守護霊を見てすぐに違いには気づいたけども・・・。
何が目的でこんなひどいことをしたのかな・・・。」
綾里真宵の疑問に御剣が答える。
「ろくでもない理由だろう。
恐らく・・・、裁判を妨害し同時に楽しむことが目的ではないだろうか。
オインゴは逃げだすのではなく、成歩堂の変装を選んだ。
共犯者もわざわざ自分から証言台に立つよう進言してきたのだ。
どちらも愉快犯に違いあるまい。
裁判は一時中止せざるをえないな。」
「えっ!
ちゅ、中止ですか?」
後藤ひとりは、困惑の色を表情に浮かべる。
目の前まで差し迫っていたはずの自分の判決が遠のいたのだから当然だろう。
御剣は、彼女に頭を下げた。
「すまない。
しかし、君の弁護士である成歩堂がこうなっては仕方がない。
どうか許してほしい。」
人は誰にも見られないときに本性が出てしまうものである。
御剣が頭を下げた時に、彼の頭髪により表情を伺えるものは誰もいなかった。
それでも彼は、苦渋に満ちた表情で後藤ひとりに謝罪した。
「い、いえ・・・。
だっ、大丈夫です。
先延ばしになるだけですし・・・、意外と留置所のご飯っておいしいですし・・・。」
後藤ひとりは白目で口元からよだれを垂らし、常温に少しおいたアイスクリームのように身体が溶けていた。
全然大丈夫じゃなさそうだ。
「御剣検事、奥は大惨事ッスよ。」
トイレルームから戻ってきたイトノコギリ刑事が御剣に報告する。
「そうか。
すぐにでも、器物損壊と暴行罪で訴えたいところだが・・・全く面倒なやつらだな。」
御剣がため息をつくと、承太郎がイトノコギリ刑事へと歩み寄った。
「俺は警察官に変装したやつを追う。
弁護士さんはあんたが抱えてくれ。」
「分かったッス。
自分も応援を手配したあと、すぐに追うッス。」
成歩堂が承太郎の肩から離れた瞬間だった。
学ランの二の腕部分を成歩堂がつかんだ。
「まって・・・ください・・・。」
かすかに聞こえる声だった。
だが、その声に込められた意志は、学ランを掴む握力以上に承太郎を引き留める力があった。
「成歩堂!意識が戻ったのか!」
御剣の呼びかけには答えず、成歩堂はまっすぐ承太郎を見ていた。
「くうじょう・・・さん。
さっきのやつは・・・、証人として・・・法廷に出ま・・・す。」
「・・・・・・。」
承太郎は無言で成歩堂の話を聞いていた。
「ぼくが・・・戦います・・・。
彼女の・・・無罪判決を勝ち取る・・・までは・・・どうか。」
成歩堂はそこで再び意識を失った。
「なるほどくん!!」
綾里真宵の呼びかけに応じることはなかった。
「おい、検事さん。」
承太郎は御剣に声を掛ける。
「なんだろうか?」
「弁護士さんを休ませる部屋を案内してほしい。」
「・・・分かった。
真宵くん、すまないが開廷寸前でもいいから被告人の控え室に戻るんだ。
気は進まないだろうがな・・・。
成歩堂に扮した男は、この男が法廷へ戻り次第現行犯逮捕する。」
目元を拭い頷いた綾里真宵は、後藤ひとりの手をひき、来た道を戻ろうとする。
だが、後藤ひとりは動かなかった。
彼女の視線の先には、意識を失う成歩堂龍一がいた。
「ど、どうして・・・弁護士さんはここまでして・・・。」
彼女は、他の弁護士に依頼を何度も断られ続けていた。
しかし、それも納得が出来ていた。
彼らに依頼した自分の裁判は、敗訴が決定づけられていたようなものだからだ。
自分に依頼される弁護士に対して、同情の気持ちすら湧いていた。
だから、分からない。
ケガをしてまで、意識を失うような目にあってまで、自分の無罪立証に奔走するこの人の考えが。
御剣が後藤ひとりに歩み寄る。
「この男は、以前私が不当にかけられた裁判でも同じような目に合っていた。」
「えっ・・・。」
「相手の検事から意識を奪われるようなことをされてでも、隠ぺいされそうになった証拠をつかむために必死になっていた。
ただ真実を追及するという考えだけでは、そこまでの行動はできないだろう。
今のこの男の原動力となっているのは・・・君だろうな。」
「・・・・・・。」
「君にできることだって何かあるはずだ。
ただし、この男のような無茶はしないでいただきたいな。」
後藤ひとりには、ある気持ちが芽生えていた。
それは、種から出たばかりの芽のように、とても小さくて弱いものだ。
御剣の言葉は、彼女のその気持ちを少しばかり大きくしてくれるものであった。
「さぁ、真宵くんと一緒に戻るんだ。
くれぐれも、青いスーツの男には近づくんじゃないぞ?」
御剣は苦笑した。
「・・・・・・はっ、はい。」
御剣は、彼女らの背中を見送った。
プルルルル
御剣の携帯電話から着信音が鳴った。
通話ボタンを押す。
「もしもし、御剣だが。」
「あっ、御剣検事。
先ほど、証人が到着して待機しております。」
係官からの連絡だった。
どうやら、相手はまだ裁判を楽しむつもりらしい。
「分かった。すまないが、少し待たせておいてくれ。
用事が済み次第、すぐに向かう。」
「了解しました。」
通話を切り、御剣は承太郎の元へと向かう。
――――――――――――――――
成歩堂は空いていた控え室に運んで休ませた。
応急処置をし、空条承太郎には見張りをしてもらった。
スタンド使いがいつまた急襲するかもわからないからだ。
御剣とイトノコギリ刑事は廊下を歩いていた。
「イトノコギリ刑事、この裁判所の表と裏に警官を待機させてほしい。
ただし、できるだけ目立たないようにな。」
「分かったッス。
少人数で待機させるよう手配するッス。」
足早に離れていくイトノコギリ刑事。
プルルルル
御剣の携帯電話から再び着信音が鳴った。
通話ボタンを押して、耳元に受話口をあてる。
「もしもし?」
「おー、御剣ぃ!」
電話の主は矢張政志だった。
うるさい声が響き、わずかに受話口を耳から遠ざける。
「開廷時間が迫っているから切るぞ。」
「ちょちょ、ちょっと待ってくれ!
お前、人に対してその態度はあんまりだぞ!」
「・・・なんだ?」
「いや、さっき成歩堂に電話したんだけどよ。会話の途中で切れちゃったんだよな。
それでお前に言っとこうと思うんだけどよ?
俺の勤め先のコンビニのよ、金庫の金がねぇんだよ。」
「お前・・・とうとう店の金に手をつけたのか。」
「ちっげー--よ!断じて俺じゃねぇよ!!
何なの?お前は俺を犯罪者に仕立て上げようとしてるの?」
正直、女が絡んだこいつは、そうなってもおかしくないとは思っている。
「じゃあ、なんだ?それはいつ無くなったんだ?」
「いや、俺が外出したのってここ2ヶ月で1回だからよ。
たぶん、通報があった日じゃねぇかなぁって・・・。
・・・ってあれ、御剣。聞いてる?
おーい、御剣検事ぃー?」
「矢張・・・、お前のポカはなぜこうも面倒なことばかりなんだ!
だいたい先日、コンビニ内のゴミ箱にあったレシートを見つけた時だってそうだ。
私が質問をしているのに、
『いや、今忙しいんだよ。あれだろ?それ事件に関係するものだろ?
まぁ、そういうことで。』って、なんだあの返答は!
とにかく、今すぐ地方裁判所に来い!」
「いや、来いつったって、店はどうすんのよ?
だいたい、ここから地方裁判所は1時間以上かかるぞ?」
「いいから来るんだ!」
御剣は通話を勢いよく切った。
ふぅ、と息をはく。
矢張の話の内容も気がかりだが、今は証人との話し合いが先だ。
相手がどんな証言を用意しているのか、予想がつかない。
御剣は、花京院の待つ部屋へと足を向けた。
ちょっとした補足
このあと、意識を取り戻した成歩堂ですが、法定所へ戻る前にトイレに行っています。
また、警察官は手袋をしており、成歩堂の頬を殴ったときに粘性物質が付着しなかったのはこのためです。
粘性物質で手袋を覆っても良かったのですが、彼はこのときその選択は取りませんでした。