イ級が『混沌』と鎬を削っていた同時刻、大和とクトゥルフの
瘴気が満ちる海に響く意思を砕くおぞましい咆哮。
舌を掻き回し吐き気を催させる生臭い空気。
まるで肌を犯すように纏わり付く風。
見るだけで正気を奪い狂気の世界へと引きずり込む異形の神。
五感の余さず侵す邪神の汚染に対し、大和はただ一言で振り切り鋼さえ断つ槍と化した傘を以て凪ぎ払う。
「くどい」
凪ぎ払われた傘は何倍もの質量を持つクトゥルフの腕を一振りでカチ上げ、驚愕するその顔面に18インチの砲身から鉄鋼弾を放ち爆砕する。
爆炎に焼かれ髭のように生えた触手を焼き断たれながら自らを
ありえない。
相手は忌まわしき旧神の加護も怨敵にして愚弟である黄衣の王の助力も持たない脆弱な蟻。
それが何故我が身を焼き身を裂く凶刃を奮う!?
「その腐った目で私を見るな」
艤装の重さを全く感じさせない足取りでクトゥルフの腕を足場として駆け上がった大和が傘を眼孔に突き立てる。
細腕から放たれたとは到底信じられない膂力により突き出された傘は眼孔を貫通し、分厚い骨を抜いて脳髄までも掻き回す。
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どんな生物にさえ発声しようもない叫び声を上げめちゃくちゃに暴れまわるクトゥルフだが、大和は動揺せず傘を抜き貫いた穴に向け鉄鋼弾の置き土産を残し悠々と距離を取る。
「しぶとい。
でも、それだけね」
いっそ憐れだと言うかのように薄く三日月を浮かべる大和。
確かに怪物は強力無比と言うに相応しい化物だろう。
並みの者なら、目視しただけで精神を砕かれ巨体に相応の膂力に臥され一方的に食われてしまうだろう。
だけどそれだけだ。
大和が降してきた姫達に較べれば、奴など見た目が気持ち悪いただただ大きいだけが取り柄の怪物止まり。
例えば戦艦棲姫。
姫本人も然ることながら、なにより警戒すべきは艤装の巨人。
従順に付き従うあの巨人が飼い主の姫から軛を解かれれば、その巨体からは信じられない俊敏さを以て飛び回るばかりかただ暴力を振るうのではなく冷徹にして合理的な思考を発揮し単一で多くを食い散らす狩人としての本性を顕にする。
例えば装甲空母姫。
素の性能はレ級に譲るとして脅威は低いと思われているが、一度戦火を交えればその評価は覆る。
あの姫の恐ろしさはイニシアチブの支配力に特化していたこと。
強襲してきた艦載機を警戒すれば魚雷を放ち、魚雷を対処しようとすれば砲撃を撃ち込まれ、ならば姫を注視すれば艦載機が群がり食い荒らす。
そうして絶え間無く先手を奪われ後手に後手にと詰められ、いつの間にか水底へと沈んでいった船は数知れず。
例えば飛行場姫。
あの姫はシンプルに数の暴力を用いた時が恐ろしい。
十で足りぬなら二十を。
百で足りぬなら二百を。
千で足りないなら万をぶつけて磨り潰す。
そんな馬鹿と冗談みたいな真似を本当にやってのけてしまうイカれた姫は他にいない。
例えば南方棲戦姫。
あの姫はひたすらに諦めない。
どれだけ追い詰め追い立て追い込もうと、知ったことかとばかりに正面から捩じ伏せようとする。
例えそれで沈もうと、いや、沈んでさえ水底から這い上がり何度でもその力を増して食らい付いてくる。
誰も彼も片手間でなどと隙を晒せば食い散らかされるのは此方側と成り果てる強敵ばかり。
それに比べてこいつはどうだ?
知性は乏しく、戦術を解さず、闘志は薄く、暴力さえただ持っている性能にかまけただけの暴力装置。
こんなものは恐ろしくなんかない。
「沈め」
18インチ三連砲から吐き出される焼夷ナパーム弾が広範囲に広がり海面諸共にクトゥルフを焼く。
単純なダメージなら鉄鋼弾のほうが有効ではあるが、貫通性が高い鉄鋼弾では削れる範囲が狭く奴の回復力の高さから
撥水性のある粘性の液体が海面に広がりながら燃え上がりその中心でクトゥルフが1000度に迫る業火に焼かれ絶叫する。
「……なんて耳障りなの」
ナパーム弾の炎は効果は高いようだがクトゥルフの咆哮が更に酷くなったことに大和は眉をひそめる。
海中でも燃えつづける炎に暴れまわるクトゥルフに向け鉄鋼弾を撃つ大和。
放たれた砲弾は喉を穿ち声帯を引き裂いて声を潰す。
【!!!!!!????????】
一方的にも程がある展開に食傷を覚え大和は無防備にルルイエに視線を向ける。
見れば、丁度山城の支援砲撃が【混沌】へと突き刺さり凄まじい爆炎を発した所であった。
「……ちっ」
弾道から算出された発射距離は凡そ80キロ超過。
深海棲艦化したことにより更なる力を手に入れた大和にさえ届かせない超長距離砲撃を目にしつい舌打ちを打ってしまう。
それがあの小さな泊地の姫の仕業と思えば何れ潰すと思うだけで今は思考を終わらせる。
実際の真実を知った日を思えば山城の未来はかなり暗いようだ。
ともあれ今のところ手出しの必要は無いようだと把握し大和はクトゥルフに視線を戻す。
【!!!!!!!!???????????】
目にしたのは声帯を抉り抜かれ声にならない叫びを上げながらその巨大な剛腕を降り下ろすクトゥルフの姿。
いくら大和とて無防備に喰らえば只では済まないだろう1打を大和はするりと身を翻しながら振り抜いた傘の斬撃で打ち払いいなすと1斉射を叩き込み衝撃で硬直させ、そこから更に踏み込み跳躍した。
「不味そうだけど、下手物だと思えば小腹を満たす程度には十分ね」
ゾッとする呟きと共に義手を手刀の形に揃え触手を生え並ばせる顎へと抜き手を放った。
ずぐりと嫌な音を発てクトゥルフの顎へと義手を差し込み、まるで豆腐を握り潰したかのようにその骨をを砕く。
そのまま更に腕を潜り込ませ抉り込むと大和の艤装から生える大顎が大きく開き大和を絡め取ろうとする触手へと食らい付いた。
空かさず大和は潜り込ませた貫手でクトゥルフの舌を掴むと意気良い良く引きずり出しながら跳躍して降り掛かる体液を回避。
大顎は鋸のように並んだ鋭い乱喰歯で触手を喰い千切るとゾリゾリと身の毛もよだつ音を発てて咀嚼するも、すぐに不味そうに吐き出しぐるぐると喉を鳴らして怒りを顕にする。
「食べるにも値しないなんて愈々無価値ね」
戯れに与えた深海棲艦を嬉しそうに喰らった艤装にさえ食えたものではないと見なされたクトゥルフに一層憐憫さえ見せる大和。
【!!!!!!!!!!?????????????】
狂乱のままに大和を見失い何もない海面を殴り暴れまわるクトゥルフに飽きた大和はいい加減仕留めることにする。
「いい加減終わりにするわ」
「ええ、そうして頂戴」
ある筈の無い応対の声に咄嗟に大和は海面を蹴った。
「っ!?」
しかし跳躍した筈の大和が視界に捉えたのは、正確に自分へと振るわれた実物大の戦艦の碇の尖端だった。
ぞぶり
鈍器で肉を貫く凄まじい音と共に碇が大和の腹を貫く。
「~~~~~~!!??」
鈍い激痛に声にならない悲鳴を上げる大和を尻目に、巨大な錨に早贄のように大和を吊るすという目を疑う光景を片手で成した雷は、自重によって更に深く食い込もうとする錨を掴み引き抜こうとする大和に嘆息すると雷は錨を振って大和を海面に叩き付ける。
「ガッ!?」
叩き付けられた勢いによってコンクリート並みの硬度と化した海面に叩き付けられた大和から更なる悲鳴が漏れる。
悲鳴に構わず刺し貫いた錨を雷が片手を捻るだけで抜くとそれに連れて大和も浮き上がるが、しかし起き上がろうとして立つこともままならず四つん這いのまま気道に入った海水を吐き出そうと血の混じった咳を吐き出す様を、雷は温度を感じさせない目で見ながらまるでおいたを叱る姉のような口調で諭す。
「全く、こんなに遠くに出掛けるなんて探すのに手間取っちゃったじゃない」
さあ帰るわよ。と告げる様は自ら瀕死に追い込んだ者の発言とは思えない。
そんな狂人の名を大和は苦しげに吐き出す
「い…かづ……ち……」
「そんな目で見たって駄目よ?
悪いのは貴女なんだから。
それにほら、」
直後、狂気に触れたクトゥルフがその爪を雷に降り下ろしたが、雷はなんの躊躇いもなく身を捻る勢いを重ねて錨を振り上げるとそれだけでクトゥルフは真っ二つに引き裂かれた。
まるで竹を割ったように中心から二つに倒れていく巨体に目もくれず雷はなんでもない様子で言う。
「これで貴方の目的も終わったわよね?」
「……」
着水の衝撃がスコールとなって落ちてくる中、あまりに呆気ない幕引きにさしもの大和さえ声を失う。
そうして訪れた異様としか表せない沈黙の世界に、更に異様を新たに知らせる『音』が響く。
ぼぉぉぉぉぉぉぉ………
まるで地獄の底から響いてきたかのような虚ろな重低音が静寂の中に響き渡る。
そんな寒気を感じさせる音を、しかし大和は聞いたことがあった。
「…汽笛?」
船であったかつてには自身も搭載されていた在り来たりな、そしてあまりに場違いな音に腹部から訴えられる痛みを圧して誰が鳴らしているのだと疑念を過らせる。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
突如、それを聞いた雷が狂ったような笑いを上げる。
「そう、そうなのね?
どうして今まで
まるで要を得ない台詞を口にしながら心底愉快そうに笑う雷。
そうして笑う雷が突如爆炎に呑み込まれた。
喜悦に満ちたその笑いを見た大和が本能的に稼働する砲を雷に向け放ったのだ。
「これで……っ!?」
自身でさえ食らえば只では住まない己の砲撃を零距離からの全弾直撃したのだ。
たとえ深海棲艦化していたとしても致命傷は免れない……筈だった。
「駄目よ? そんなんじゃ」
しかし煙の中から姿を現した雷は多少煤に汚れた程度で負傷した気配は微塵も無かった。
「……そんな」
深海棲艦化しているとはいえ、まさか駆逐艦に
刹那、大和は無意識に傘を楯にした。
直後雷の碇が傘を削りながら火花を散らして大和を吹き飛ばす。
「粘るのね。
でも、それじゃあ足りないわ」
振り抜いた勢いで宙へと舞った雷が身を捻り重力に自重を加えた鋭い降り下ろしの一打を繰り出す。
再び傘を盾にするも痛烈とすら生温い衝撃に膝を着いて耐える。
直後、真横にボチャンと立て続けに小さな何かが着水する音を大和の耳が捉え、その正体が雷の艤装の深海棲艦の口から吐き出されたいくつもの爆雷だと気付いた大和は傘を捻り雷を往なしてその場を飛び退く。
大和が海面を蹴った瞬間、撒かれた爆雷が炸裂して立て続けに水柱を生み雷を煽るも、雷は身を焙る衝撃波に対しその大過ぎる錨を内輪のように扇いだ。
錨はぶぉんと空気を唸らせる異音を発てながら爆雷の衝撃波を相殺し、更にはその余波で着水したばかりの大和をも鑪踏ませて見せる。
「ぐぅぅっ!?」
十発以上の爆雷を往なそうとたかが風圧程度、万全の状態でなら意にも介さなかったであろうが、腹部を貫いた大穴は大和から踏ん張る力を奪い膝を着かせる。
更にだめ押しとばかりに塞がり始めたばかるの傷口から新たに血が吹き出し、そこから発されたまるで火箸を突き刺されたかのような激痛に脂汗が浮き呼吸が荒くなっていく。
そうして終に、大和はその意思とは裏腹に正面から海面へと倒れ込んだ。
「……ふぅ。
思ったより手こずらされたわね」
立ち上がる体力さえ底を尽きながらなおも戦おうと全身を痙攣させる大和を見下ろしながら、先の戦闘がなんでもなかったかのようにそう漏らすと、雷は無造作に錨を担ぎ大和の艤装を叩き砕いた。
トラックに押し潰された肉がひしゃげたような一度聞いたら一生耳にこびりつきそうな嫌な音が響き大和の艤装が破壊される。
「本当なら首だけ持って帰るつもりだったけど、折角だから身体も一緒に持っていくわね」
主に出血多量により意識を保つことも困難なほどに疲弊した大和を鎖で乱雑に繋ぎ戦域を離脱する雷。
適当に混ぜた絵の具みたいにぐずぐずに崩れて纏まらない意識の中で大和の瞳は一隻の駆逐艦の姿を幻視していた。
「……る……め……」
まるですがるように手を伸ばそうとするが、その手は何も掴むことはなくやがて海面に落ちた。
第四ラウンド
クトゥルフ撃破、大和退場