変身者たち   作:Mk.Z

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変身者たち・後編

 □【憑戦騎(トランス・キャバリア)】アパシハ

 

「ガラシュリ、それはどういう事だ!」

 アパシハは叫んだ。

 <シャルル雨林>の最奥、変身者の里はざわめいていた。少しの恐慌と、戦意と、一番は困惑だ。

 当然だ。<マスター>など、未知の最たるもの。

「奴らは間違いなく直ぐ来る、せめて何かの手を……」

 その口を、ガラシュリは殴り付けた。アパシハの軽い身体が吹っ飛び、背後の若枝がへし折れる。

「アパシハ、掟は絶対だ」

 言い聞かせるようにガラシュリは言った。

「姿を晒すこと。迎え撃つこと。敵が紋章を持つ民(<マスター>)であるなら、全てが掟に触れる」

 掟を破ることはあり得ない。掟を破って森を守るという選択肢は始めからガラシュリの中にはないし、それは長老たちもそうだ。そもそも森に隠れ棲んでいること自体、掟に由るものなのだから。

 アパシハは口許を拭った。その大きな目が鋭くなる。

「だから、ただ隠れてやり過ごすと?そんなもの、手を打った内に入らない!」

「里を守るのは、<シャルル雨林>の呪いだけではない。破られるとも限らない」

 ガラシュリが掌を開く。空気が揺らぎ、古木と石の槍が現れた。石を削って造られた穂先には、かつて【竜王】の一柱の生き血を使った力ある文字が刻まれている。

「これ以上駄々を捏ねるなら……【昏睡槍(コチ)】を使うぞ」

「……」

 アパシハは従った。氏族でも選ばれたものにしか持つことが赦されない古代の槍だ。その刃の魔術は森の呪いと同質のもので、傷つけた相手の意識をも壊す。

「それでいい」

 ガラシュリは頷いた。

「お前は森を見回れ。手は出すな、姿を見せるな。敵が来たなら、遠巻きに見張るんだ」

「あぁ」

 アパシハが浅黒い肌を揺らし、犬へと変じる。ガラシュリも大猿へと姿を変え、樹冠へと一飛びで上った。

『里もまた、隠されている。奴らがこの秘密を解かない限り……森の呪いを解かない限り、我等が暴かれることはない』

 

 ◇◆◇

 

 ■【奴隷商】マライア・スキルフル

 

「からくりが分かってきたわ」

 森の境界ギリギリの、内部。マライアは<シャルル雨林>の大木の肌を撫でながら、そう言った。

 <シャルル雨林>はその名前通り、雨の多い森だ。少し低い場所には無数の小川が流れ、木々は水中に根を伸ばすよう適応している。西へと行けば、恐らくいずれマングローブ林へと繋がって海岸へと至るだろう。

「この森の呪い、いずれはこのお守りも貫通するのでしょう?」

「あぁ」

 ファウが腕時計をーー彼の<エンブリオ>を触る。マライアはいたずらっぽく笑った。

「さて、その呪いの根源はどこなのか?」

 マライアは焦らすように言った。後ろでブラスが口を開く。

「この土地、では?」

「そうかもしれないわね。でも、それは恐らくないわ」

 マライアは断言する。

「土地。土砂かしら?岩盤?土は動くわよ、そうなら呪いは拡大するはず。町の方までね」

 その優雅な靴に付いた泥を落としながら、マライアは再び木々を撫でた。その手が、ふと別のものを握る。太陽を受けてそれがギラリと光る。

「……それに、呪いの根源が森の奥にある可能性は考慮しなくて良いわ。対処のしようがないものを考えても意味がないもの」

 

 それは、巨大な裁ち鋏だった。

 

 金属とゴムで構成された鋏。間違いない、彼女の<エンブリオ>だ。

「そして、もうひとつ。呪いの媒体になっている可能性のあるものがある……この森の木ね。《裁断(コルタール)》」

 マライアが裁ち鋏を振りかぶる。次の瞬間、一抱えもある大木は斬り倒されていた。だがどうした術理か、その生命は全く損なわれていない。

「検証しましょうか?」

 マライアはそう言うと、その木を森の外へ投げた。巨木が音を立てて地面へ転がる。

「《喚起》」

 赤バラ頭の奴隷がマライアから離れ、森を出る。完全に境界を越えると、赤バラ頭の“三号”は首に掛けていた【免罪符】を外した。伐られた大木の側へと歩み寄る。

 

 そして、“三号”は昏倒した。

 

「決まりね。この森の呪いは生えてる木を媒介にしてる。どうして誰も確かめなかったのかしら?」

 マライアが呆れたように言う。ファウは諌めた。

「先にあいつを助けてやったらどうだ?」

「……《喚起》、“六号”」

 現れたのは、頭を冷蔵庫にされた鳥人の女だった。ふらふらと“三号”を回収し、マライアの元へ引きずる姿に、ブラスが無言で顔をしかめる。ファウもまた、そのしかめ面に首肯した。

「良い趣味だよ」

「あら、そう言って頂けて嬉しいわ」

 そう言うと、マライアは“三号”を叩き起こした。のそのそと起き上がる男に、マライアが言う。

「“三号”」

 言語と知性を奪われた男は答えなかった。代わりに、奴隷として組み込まれたシステムでマライアの指示を待つ。

「この森を焼き払いなさい」

 そして、男はその通りにした。

 

 ◆◆◆

 

「きれいね」

 燃え上がる<シャルル雨林>を前に、マライアは言った。

 光景は山火事の様相。さすがに全土を燃やせるはずもないので周囲を焼き払うだけに留まるとはいえ、十分無惨な光景だ。

「こんなことしていいんですかね……?」

 ブラスが辺りを見回す。黒煙が立ち上り、生木の弾ける音が景気よく響く。

「こう、器物損壊とか……」

「あら、法律なんて美の前では儚いものよ」

 マライアは笑った。そして、その首を目掛けて、炎のなかから巨大なウジ虫のようなモンスターがのし掛かった。

 “三号”の炎熱能力は大して強くない。それなりのモンスターにとってはかすり傷にすらならないようなものだったが、それでも炎は不快だ。棲みかを燃やされてはおちおち昼寝も出来ない。だから、その根源を断つことは当然の攻撃本能だった。ただし、

「《喚起》」

ラジオ頭(レディオヘッド)がそれを阻む。

「良い働きよ、“十一号”。早くそのウジ虫(クリープ)を始末してちょうだい」

 “十一号”は従った。鉈が閃き、腹を切り裂かれた蟲が泣きわめきながら光に崩れていく。明らかに他の奴隷とは違うレベルの戦力だった。

 そのはずだ。ファウの《看破》は“十一号”のレベルを“五〇〇”と表示していた。

(カンスト。そんな人材をよくもまぁこんな早期に手に入れたものだな。加えてあの外観……この女の能力は人間の改造か?益々趣味が悪い)

「この蟲が“変身種族”でしょうか?」

 ブラスが言う。ファウは首を振った。

「《看破》した、単なる蟲だ。最も、“変身種族”とやらの能力が分からない以上断言は出来ないが。さっきあの女の言った通りだ、分からないことを考える意味はない」

「じゃあこれもそうかもしれないですけど」

 ブラスは歩きながら足元の燃え残りを踏み砕いた。

「そもそも本当にいるんですか?“変身種族”なんて」

「さぁな」

「行く前にその辺の店でちらっと喋ったら大笑いされましたよ」

 ブラスの言葉には少しだけ不快さが混じっていた。ファウはため息をついた。

「良いじゃないか。居なくても。未知を探すのは愉しい。ロマンというやつだ」

 ブラスは頷いた。ファウは前方で高笑いする貴婦人を見ながら続けた。

「しかしこれではロマンもなにもないな。破壊するだけだ」

「聞こえてるわよ!」

「聞こえるように言った!」

 ファウが怒鳴り、再び襲いかかってきたウジ虫を殴り飛ばす。たっぷり体液のつまった袋のような蟲は、即座に破裂して光の塵になった。

「もう少し繊細に動きたいが」

「そう……ですね」

 ブラスは苦笑いをして、手を振って見せるマライアに会釈をした。

 一行は順調に森を進んでいた。黒こげの道は直線的に森を貫き、醜い傷跡を刻み付けていた。

「手がかり、ないですね」

「全く……全部焼いてしまったんじゃないだろうな」

 ファウが舌打ちをする。

 ファウもまた、森を荒らせばなにかのアクションがあると思ったから焼き討ちに反対しなかったのだ。だがここまで何もないと、その判断を疑いたくもなる。強い怪物さえ居ないのだ。“変身種族”の実在すら信じられなくなってきた。

「止まれ!」

 その言葉に、マライアが停止する。“三号”もまたその手を止めた。

「一旦状況を見る。燃やすのは終わりだ。その奴隷もMPが枯渇寸前だろうが」

 “三号”が荒い息をーーどこに口があるのか分からないがーー吐く。マライアは鷹揚に頷いた。

「よくってよ?それで、何をしたいのかしら?」

「状況を見ると言った」

 ファウが折り畳みの椅子を取り出し、座る。

「そもそも“変身種族”なんて部族が森に棲んでいるなら、今まで露見しなかったことがおかしいんだ」

 どこかで鳥が鳴いた。三回、高らかに叫ぶように。

「考えてもみろ、雇い主の口ぶりじゃあ都市伝説としてこの森の噂は有名だったふうじゃないか。それで確証がないんだ、木を燃やすくらいのことはやった人間がいるはずだ」

「あら、ありきたりな思い付きで悪かったわね」

 マライアもまた森にはそぐわない豪奢な座椅子を炭の上に置き、優雅に腰かける。“三号”が紅茶のポットとカップを差し出した。ファウは続けた。

「秘密はあるはずだ。森の中に町かなにかがあるだけなら……それこそ上空から見下ろせば良い。レジェンダリアなら幾らでも人材がいるだろう?それでも無理だった。何か、秘密が……トリックが更にあるばすなんだ」

 ファウがさりげなく二つ目の椅子を出し、ブラスが座った。

「魔法で隠してあるとか……」

「だろうな。果たしてどんな魔法だ?」

 ファウが考え込む。マライアが手帳を繰った。

「わたしが知っているのは、【幻術師】くらいかな。あぁ、【密偵】の能力にも似たようなものがあるのだったわね?」

 情報は少ない。彼らはまだ新参……この世界では知らないことの方が多い。

 また、鳥が鳴いた。二回、何かを知らせるように。

「闘技場の結界のような形で内部のものを隠しているのだとしたら、外からは見つけられん。お前の奴隷に探知能力が使えるものは?」

「居ないわよ」

「埒が明かない。このまま歩き回っても同じ轍を踏み続けるだけだな……」

 ファウがため息をつき、マライアが紅茶を啜る。ブラスが椅子から立ち上がり、そして、鳥が一声大きく鳴いた。

 

 次の瞬間、三人は鬱蒼と繁る森の中にいた。

 

「……!?」

 木々は何もなかったかのように悠々と聳え、漂うのは焼け焦げではなく緑の香り。足元を埋め尽くしていたはずの燃えさしは、すべて落ち葉と苔の地面へと戻っていた。

 そう、焼き払う前と同じ光景だ。

「これは……!」

 ファウが首元の【免罪符】を握りしめる。再び繁り始めた呪いに、そのアクセサリーがギシギシと軋む。

「なんだ、これは!」

(異常すぎる。再生したというよりまるで、時間が巻き戻ったかのようだ!)

「うわぁ!」

 ブラスが叫ぶ。折り畳み式の簡易椅子は、まるで百年前からそうしていたように大木の根に飲み込まれ、びっしりと苔むしていた。

「小癪な!」

 マライアが鋏を振るう。人も物も傷つけることなく切り離すその鋏は、しかし今だけは単なる刃物として純粋に大木を斬り倒した。どうと巨木が倒れ、苔がずるむけて痩せた土を晒し、

『リ……リ……』

そして、何事もなかったかのように元に戻る。

 千切れた蔦も、跳ね散った泥も、すべては元に戻る。あるべき場所に、あるべき形に。

『リ……リ……リ……』

 森を吹き抜ける風が木の葉を揺らす。湿った匂いが辺りに満ちる。

『リ……リ……リ……』

 木々が鳴いていた。土が鳴いていた。水がざわめいていた。緑の匂いが芳醇に香り続けていた。

『……《リ・フォレスタティオーン(再植林)》』

 傷ついた森が、回帰する。不変の緑へと。かつて彼らの親愛なる主が残した法則に従って。主の力の名前すら模倣して。

「この能力……一体!?」

 ファウが蒼白な顔で言った。攻撃はない。ダメージはない。状態異常の表示はない。これは、実際の光景だ。

 森はただ、そこにある。そして、永久にそこにある。

「無敵だというのか、この木々は?だが……」

「……どうやって?」

 彼らの浅い経験でも分かる。この世界は厳密な損得勘定で動いている。理由のない無敵はあり得ない。

 ファウにも、心当たりがあった。

「……俺と同じ能力!」

 ファウの<エンブリオ>、腕時計のアームズたる【十二針 ヤーヌス】の能力は、ステータスの保存と上書きである。

 十二時。長針が指すその数字のひとつひとつに、その時間の“自分”を刻み、後に自らをそれで上書きすることができる。つまり、巧くやれば十一回は瀕死を踏み倒すことができるのだ。

(それはヤーヌスがあるから、参照する情報の本体があるからだ!この森の植物どもも同じ、本体がある!だが、どこに?)

「不味いわよ!」

 マライアが叫ぶ。【免罪符(ゲズントハイト)】の耐用時間が迫っていた。森の深部だからか、消耗が早い。このままでは遠からず彼らは昏睡する。精神保護のある彼らだ、身体をこの森に置き去りにしたまま、意識だけが昏睡空間へ……

(……!)

 ファウが目を見開く。その口が厳かに開いた。

「……思い付いたことがある」

「何よ!」

 マライアがファウを睨み付ける。彼女の眼差しを正面から迎え撃って、ファウは言った。

「この森が再生……復活するのは、そもそも破壊されていないからだ」

 その手が足元を這っていた小さなワームをつまみ上げ、潰す。()()()()()()()()()()()()()()()()()は、ただ己の弱さのみによって死に、そして復活することはなかった。

「この蟲は森の一部ではない。だから、死ねばそれまで。植物どもの本体だけが違う場所にある。<シャルル雨林>、この森そのものが幻影のようなものだ。実体は……!」

 ファウが【免罪符】を引きちぎる。十数種の精神系状態異常がファウを襲い、身体の感覚が遠退いていく。マライアとブラスが息をのんだ。

「何を……!」

「……この森の実体は、幻覚の中だ!」

 朦朧とするファウが叫び、その拳が背後の巨木を粉砕する。飛び散った木片は、今度こそ……再生することはなかった。

 

 そして、ファウもまだ立っている。

 

「理解すること。それこそが鍵だったわけだ。曖昧な幻は合理的な理解によって退けられる。ハッ!気が利いてるな」

 その身体は状態異常に侵されていた。にも関わらず、その具体的な症状は現れることがない。さっきまでの苦しみが嘘のように爽快だ。

「不思議に思ってはいた。“変身種族”とやらがいるなら、そいつらも呪いでダウンして然るべきだ。何か強力な呪い避けでもあるかと考えていたが」

 打って変わって、森は静かだった。そのはずだ。ここには植物しかいない。さっきまで眼前にいたはずのブラスとマライアも、獣たちも、蟲も、鳥も、風さえも、いない。

 ここは幻覚を通りすぎた、さらに内部だ。なんのことはない、森の呪いは始めからその最奥への入り口でもあった。現実にある森は単なる影。本物を見、触れ、そしてそこに行くためには、呪いの幻に掛けられていなくてはならない。

 幻覚を見て、精神を狂わされ、そしてその精神系状態異常の内部にこそ、真の<シャルル雨林>が存在する。言うなれば、ここは幻の内部に広がる異界なのだ。

 そして、そこに隠れ棲むのは……

「そこにいるな?“変身種族”」

ファウは背後に潜む気配に、そう声をかけた。

 

 ◇◆◇

 

 □■<シャルル雨林>・幻覚内

 

 アパシハが踏んでいるその枝は、幻の内部の枝だ。現実でも同じ場所には同じ枝の“影”があるが、アパシハの身体はない。肉体ごと、幻覚の中にいるからだ。

 それは、あの【苦行僧】も同じこと。現実には彼の肉体はない。

『最悪だ』

 <シャルル雨林>の守りが破られた。目の前で振り向くあの【苦行僧(サドゥー)】がその気になれば、容易く彼らの里へと辿り着けるだろう。

『入り口を使わずに……“理解”したのか?こんなことになるなんて』

「おい、いるんだろう、“変身種族”!返事をしてくれ!」

 息を潜め、身をも潜めるアパシハに、ファウが叫ぶ。

「森を焼いておいてなんだが……戦闘の意思はない。こちらはコンタクトが取りたいだけだ!平和的な情報交換の用意がある」

 信用できるものか?アパシハは考え込んだ。大事なのは、むしろ長たちの意思だ。外部のものとこの森で言葉を交わすことは間違いなく掟に触れる。

(侵入された状況でか?バカらしい)

 そう思っても、彼は踏み出さなかった。代わりに、どこかにいるのだろうガラシュリの合図を待つ。連絡はすぐに来た。

『アパシハ』

『サビアハか』

『命令。一旦引け』

 その黄金虫は若い女の声で囁いた。黄金虫のサビアハは続けた。

『今、長たちが“掟”を解釈している。侵入者をどう排除するか、もう少し待つ。戻れ』

(ここに来て“掟”、“掟”、“掟”……)

 黒犬が身を起こす。アパシハが風のように疾駆して里へ帰ろうとしたその時……

 

「あら、本当に入れたわ」

「こんな仕組みだったんですね……」

 

 新たな侵入者が二人、出現した。

(……当然か。最悪を更新したな)

 アパシハが臍を噛む。どちらにせよ、“掟”に縛られた彼に成せることはない。気がかりに後ろ髪を引かれつつ、彼は立ち去ろうとして……

 

「《喚起(コール)》、“二十号”」

 

マライアが呼び出したものに、思わず足を止めた。

 それは人馬種族の男だった。それはいい。その頭がよく分からないもの(扇風機だった)にすげ替えられていることも、いい。

 

 問題は、それが明らかに戦闘態勢だったことだ。

 

 魔力が励起される。存在感が膨らむ。次の瞬間、【翠風術師】のそれと同じ風属性魔術が大砲のように森を薙ぎ倒した。

「ッ!マライア!」

「なにを!」

 ファウとブラスが叫ぶ。マライアは嘲笑った。

「何?ずいぶん偽善じゃない、貴方たちだって森に踏み入った敵なのよ?」

『ぬぽ』

 人馬種族の“二十号”が同意するように奇妙な鳴き声を上げる。

『ぬ、ぱ!』

「伝統と習慣を。そして未知を。無遠慮に踏みにじるなら、私たちは敵でなくてはならない。自分の望みと欲望、インスピレーションのために、善良さなどに頼ってはいられないのよ」

マライアの瞳には、信念があった。世界とは相容れぬ、けれど確かな信念が。

「……この森、【フォレストギガス】なんかの樹木系に近いけれど、あれよりずっと自我が希薄なのね。ただただ呪いを維持するだけの生命……簡単に蹂躙できるわ 」

「そんな強行手段……」

「初めからそういう任務でしょう?これは!」

 マライアが断言し、ファウが憤り、そして、

『ぬ、ぼー!』

知性すら()()()()()()哀れな人馬種族が、単純なプログラムに従ってブラスとファウ(主人の敵対者)を吹き飛ばした。

 風の刃が木々を裂き、幻覚内部の止まった空気を掻き回す。だが、その風のバズーカは、

「ダイラタンシー!」  

黒い結界に阻まれる。

 それこそが、ニッケル・ブラスの<エンブリオ>。力に反応して同等の力で打ち消す、自動防御特化のテリトリー。黒ずんでいるのは、一定以上の光すら打ち消されているからだ。

 単純なエネルギーの大きさではダイラタンシーを破れない。世界を滅ぼすほどの力、論理を壊すほどの力ならいざ知らず、“二十号”の《咆哮風(ブロウ・アウト)》は精々直線三十メートルの木々を薙ぎ倒す程度の暴風なのだから。

「助かる」

「安心しないでください!これまだあんまり長持ちしなくて……!」

 当然、そのレベルの防御を展開し続けることは容易くない。ブラスの魔力がガリガリと削られていく。黒球は微動だにしていないが、周囲に弾け飛ぶ風は森を丸く破壊していっていた。

(この女……!)

 強い。リソース面では同じ条件のはずだが、明らかに二人よりもその戦力は上だ。奴隷という外部リソースを運用しているからか。

 そして、暴れまわる風の奔流はついに、

「みーつけた!」

“変身種族”の里の外壁へと到達した。

 へし折れた木々の隙間から、明らかな人工物が見える。巨木の間を縫って古びた石や木造の柱が見える。方角のアタリはついた。

「“二十号”、三十五度左へ回頭(ターナラウンド)!発射!」

『ぬぽ!』

 “二十号”の蹄が地面を掻く。扇風機の羽根が一段と速さを増し……

 

『……やらせるか!』

 

そして、茂みから弾丸のように飛び出した猟犬の(あぎと)が、【奴隷商】の柔らかな喉を噛み裂いた。

 

 ◇◆◇

 

 □【憑戦騎】アパシハ

 

 “掟”などもう、どうでもよかった。人に決められた言葉のために人が死ぬ、そんなのはバカの極みとしか思えない。

『アパシハ!なにを!』

『サビアハ、黙れ』

 小煩い黄金虫を猟犬が振り払う。地面に崩れ落ちる女を踏みつけにして、アパシハは三人をねめつけた。【苦行僧】、【斥候】、そして、人馬種族の奴隷。

『お前たちは、敵か?』

 犬が滑らかに口を利くその光景に、二人は言葉を失ったようだった。奴隷は別だ。主人がダウンしたせいか、呆然と立ち尽くしている。

『……まぁ、どちらでも良い。同じだ』

 そう、やることは変わらない。“掟”を無視しても、彼らが森の最奥を踏んでいるのは不快だった。

『去れ!さもなくば、おれが殺す』

 三日殺せるなら上等だ。一族の……家族の暮らしは壊させない。“掟”に殉ずる()()のために、少しでも……

『聞こえないのか、去れ……』 

 

 そして、アパシハの身体を背後から衝撃が襲った。

 

 それをもたらしたのは、目の前の二人や、ましてや足元の【奴隷商】の意思ではない。アパシハは注意深く見ていた。彼らには攻撃の意思などなかった。

『あぁ、実に素晴らしい』

 そんな声が響く。背後では、茂みから出てきたそれが枯れ枝を踏みつけていた。

『君たちはこの森の謎を解いてくれた。お陰で、こうしてここに入れるというわけだ』

 流暢に話すそれは、石だった。【アンダーソン・カフェ】で使われていた共鳴の石だ。

『待ちわびていたさ、“変身種族”』

 そう、その声は雇い主たる男の声だった。そして、それを持つのは……魚の特徴を持つ亜人種だ。人より魚類に近い。喉元には鰓が開き、銀の鱗が光っている。

 魚男がサングラスをはずした。魚と同じ黄色い目でアパシハを見つめている。今しがた蹴り飛ばした黒犬を。

「追けてやがったか。そんなに俺たちの仕事ぶりが信用ならんのか?」

 ファウがため息をつき、雇い主は愉快そうに笑った。

『いや?信用していたよ。君たち(マスター)は必ずこの森の守りを破ってくれると。だからこそ人をやって見張らせていたのさ。そして、もう用済みだ。邪魔なので、速やかに消えてくれたまえ』

「そんな口を利かれてはいそうですかと従うほど素直に見えたか?光栄だな」

 ファウの憎まれ口を【共振石】は無視した。

『さて、ヘズゥール。侵入は成功だ、このままクリスタルを奪え』

「了解しました、ご主人様」

 ヘズゥールと呼ばれた魚男は、そのまま【共振石】を……嚥下すると、両手を拡げた。その掌でアイテムボックスが弾け、中身が溢れ出す。

『海水……!』

「つつがなく。《氾濫(オーヴァーフロウ)》」

 大量の海水が溢れ出し……しかして、物理法則を無視した動きで膨らみ、盛り上がる。【斥候】ニッケル・ブラスが驚いたように言った。

「【潮王(キング・オブ・タイド)】……?こんなジョブ、見たことがない!」

 そう、《看破》していた。眼前の魚男は、【斥候】や【苦行僧】といった、見慣れた字面とは違う肩書きを備えている。

 【潮王】。明らかに、普通とは違う。

『しらないのか?超級職(スペリオルジョブ)……【(キング)】だ。』

 犬のアパシハが言う。その口からねばつく血が溢れた。

(魔法系とはいえ……おれ相手ならこれくらいは出来るか。こいつらは陽動と露払い。本命はこの魚野郎……!)

『……狙いはクリスタルか』

 力の入らぬ足で、灼熱の錯覚に腹を炙られながら、アパシハは立つ。

『何故、ほしい』

「【憑戦士(シャーマン)】系統を貴様たちに独占させはしない。というのが回答だ」

 ヘズゥールが言ってのけた。

「そのためならこの程度の策謀は軽い。あぁ、諸君……雇われの三人に関しても、報酬はきちんと振り込ませてもらう、とのことだ。加減が出来んのでここでは死んでもらうがね」

 大津波を背景に、ヘズゥールが笑う。その歯はノコギリのようにびっしりと連続していた。

「上の考えることは下っ端には理解できない。する必要もない。これは高度に政治的な判断なのだよ、イヌ人間が」

 水が逆流する。重力に逆らって、足元の小川がヘズゥールへと流れていく。

「では……道を開けて貰うか」

 【潮王】ヘズゥールが呟き、そして両手を振り下ろす。背後の大波が伸びをする猫のように、一族の里へ向けて飛びかかった。

 波が渦巻き、その大津波が純粋な質量をもってすべてを破壊する。普通の波とは違う、低きに流れることなく真っ直ぐに目標を目指す魔法の大潮だ。呆けていたファウが防御の姿勢を固め、ブラスが黒の結界を纏う。

 だが、それは無駄だ。超級職の奥義魔法、それを止めるには彼らはまだ()()。ヤーヌスを使う間もなくファウが水圧で即座に死に、そしてブラスはどうにか堪えた。

(防げ……!?)

 しかし、窒息は防げない。

 ダイラタンシーは一定以下の強さの攻撃は通してしまう。波濤の衝撃は殺せても、柔らかに侵入する水は、するりと逃げる空気は、止められない。圧倒的な水量に喉を塞がれたブラスがもがき……そして動かなくなる。

 それでも波濤は止まらない。本命たる“変身種族”の里へ向けて、破壊の波が走る。土砂を巻き込み、黄色く濁った第一陣が迫り……

 

「《変身(メタモルフォーゼ)》」

 

そして、出現した壁に阻まれた。

 波濤が砕け、森を押し流す。その正面に位置するのは、《大潮》を止めた白黒の壁だ。

 否、それは壁ではない。表面はまるでゴムのよう、大きさは山のごとし。超級奥義を受けてなお、その肉体は健在だ。

 

 そこにいたのは、超大型のクジラだった。

 

「【エンペラー・ホエール】。それも大型の部類か。それが陸に?さては……」

 ヘズゥールが興味深げに言い、アパシハは息を呑む。

『ヨベルバムレク老!』

『……クリスタルは渡さぬ』

 人鯨は大音声で激怒を表明した。

『ことここに至り、姿を隠す意味もあるまい。だが、あのクリスタルは我ら“ラ”の誇り。例え我ら死するとも、変身者の誇りは盗ませぬぞ』

『まだそんなことを……』

 波打ち際で、アパシハが血を吐き出す。

『くれてやればいい!それで命が助かるなら、安いものだ!』

『お前はなにも分かっておらん、アパシハ!』

 ヨベルバムレク老の巨大な瞳がアパシハを睨む。

『命があれば儲けもの、か?誇りは取り戻せぬのだ、さすれば闘うのみだ!人を生かすのが糧や薬だけだと思うたか?心のしるべがどれほど大事か、それを失った人々がいかに不幸か、考えたことはあるか?』

 アパシハは話にならないとばかりに首を振った。憤慨してか、鯨の鳴き声が響く。

『若造は自由ばかり求める!制約されることの有り難みをもう少しーー』

「雑談は終わりか?」

 【潮王】ヘズゥールが笑い、そして疾駆する。その手に嵌められた武装、蟹の鋏を模した金属の手甲が青い光を放つ。

「喰らうがいい、《液化徹甲弾(パイシーズ)》!」

 魔術で作り出した水が、まるで槍のように鯨を貫く。鮮血が雨のように森を汚していく。それでも、ヨベルバムレクは退かない。

『強情な!』

 アパシハは毒づくと、風のように走り出した。後には血の跡が点々と残されていた。

 

 ◇◆◇

 

(お前は我らを愚かと笑うかもしれんな。いや、事実そう思っとるだろう)

 ヨベルバムレク老は思った。もとより、陸上で彼に出来ることは多くない。鎮座して壁がわりになるのが精々だ。

 見回せば、他の戦士たちが次々に変身していくのが見えた。だが敵は【潮王】、超級職。勝ち目は決して大きくない。

(因習も掟も、わしは守る以外のやり方を知らぬ。少なくとも、これは我らを幸せにするためにあるはずだった)

 大鰐、大熊、怪鳥、そして巨大な猪。純竜級相当の怪物達が咆哮をあげ、ヘズゥールに襲いかかる。魚男(ヘズゥール)は鍛練十分の魔法職の動きでそれらを迎え撃っていた。

(古いものはここで死ぬ。既にアパシハよ、お前の妹は……我らの王は逃がした。習わしを変えられるのは新しき子供だけだ。願わくば、我らの血に、わしの理解できぬとしても……)

「終わりか?じいさんよ」

 間欠泉のような水流を踏んで、ヘズゥールが鯨の頭に飛び乗る。その背後では、倒された戦士たちが光の塵になっていっていた。

「面白い。獣の姿で倒されるとどうやら死体すら残らんらしいな。これは傑作だ。荼毘にすら伏されぬまま、惨めに死ね」

 ヘズゥールの声には、確かに私怨の色があった。ただの任務でこれをするのではない、恨みの色だ。

「当然の報いだ。貴様らは忘れたかもしれんが、俺たちの一族は記憶を伝え、覚えている……支配された歴史も、巻き添えで奪われたものも。返して貰うぞ、今日こそな!ご主人様の命令はそのついでだ!」

 ヘズゥールが歯を噛み鳴らす。

「さぁ、クリスタルだ!出せ!」

『出さんと言うた!』

「悪足掻きを!」

 ヘズゥールが右手を振り上げる。金属の鋏が甲高い音を立て、【エンペラー・ホエール】の表皮を切り裂いた。

「陸にあがった魚め、このまま捌いてやろうか?クリスタルを出すんだ!」

 ヘズゥールの声音には余裕の音があった。鱗が得意気に光る。

「別にお前を殺してから探したって良いが、親切で聞いてやってるんだぞ、いいかクジラじじい、おとなしく従うんだ」

『……』

 ヨベルバムレクが黙り込む。その瞳がふと、決意に光った。

『奪われるなら……』

「あ?」

『奪われるなら、いっそこうしてくれる!』

 クジラが身をくねらせる。山のように圧倒的な大きさから繰り出される衝撃は、土を掘り返し、土砂を巻き上げ、岩盤を割り……

「なっ……!」

 

ここからでも、里を完全に岩の下へと埋めた。

 

 ヘズゥールが絶句する。これでは、クリスタルも岩の下敷き。粉々に砕けてしまっただろう。

「何をする、貴様!よくも俺たちの【(マーメ)ーー」

「《変身》」

 怒るヘズゥールの言葉は途中で遮られた。勢いよく空中に弾かれたからだ。それを成したのは、大蛇の尻尾。

『無事かえ』

語り部のベルシルタの尻尾だ。

『相変わらず無茶をしおる、ヨベル』

『ほう、耄碌は治ったか?ベルシルタよ』

『知らんな』

 蛇婆は嘯いた。

「新手か?次から次へと死に損ないばかり!俺をこけにするのもいい加減にしろ、この人もどきども!」

 ヘズゥールがまだ流れきっていない水面を踏みながら喚く。その目がふと、地平線へ向いた。

 ここは精神系状態異常の中にある世界。その外の遠景は単なる幻影に過ぎないが、それでも現実の風景とある程度対応している。

 そう、日がそろそろ落ちかけた、薄暗い時間。地平線からは月が上っていた。

「貴様、時間稼ぎを……!」

『暦を刻むのは我らの得意とするところ』

『月を見ることで獣は野生を解き放つ』

 鯨と蟒蛇がその圧を増す。

『残念じゃよ、月が幼いのは。我らの本懐を存分には見せられぬ』

「ほざけ!」

 ヘズゥールが歯を剥き出して怒る。山のような鯨がその上から、偽りの海を埋めるようにのし掛かった。

 鯨の背で、蟒蛇が吟じる。

『記憶と伝承の向こう側にてある祖よ、歩く森を従える【華将軍(フロラ・ジェネラル)】よ、義理堅き【夢竜王(ドラグドリーム)】よ……我等の滅びにどうか、一抹の憐れみを』

 【潮王】が吠える。呼び出された海が膨れ上がり、鯨の重量を真っ向から迎え撃った。

 月が少しずつ動き、太陽は沈みかけていた。地平線からは血のように赤く濃い、太陽の断末魔が空へ拡がっていた。

 

 ◇◆◇

 

 □【憑戦騎】ラ・アパシハ

 

 アパシハは既に人の姿に戻っていた。

 動物態の限界だった。亜竜級の犬の生命は尽きようとしていたが、変身を解けば傷はリセットされる。変身前後で使っている身体が違うからだ。とはいえ、死にかけた犬が回復するためには暫くかかる。これからは人の姿で走らねばならない。

 憑戦士系統は決して強力な能力ではない。変身能力にリソースを注いだせいで、その他全てが同格より脆弱だ。この姿でもし、【潮王】に追い付かれたら……

(一撃で殺される)

 アパシハは里の外側、櫓を飛び越えながら思った。

 里はもぬけの殻だった。どうやら、一族はみな外へ逃れてくれたらしい。その中を走り抜け、アパシハは里の中央の祭壇、その下へと入った。

 内部は乱れていた。ものが散乱し、清潔に掃き清められていた床には砂や泥が飛び散っている。奥では厳重に呪いと結界に囲まれて、一族の至宝たるクリスタルが鎮座していた。

「逃げたか……」

 アパシハは思わず大きく息を吐くと、そのままひと飛びで外へと飛び出した。()()は最優先だ。年老いた“掟”狂いどもにとっても、一族の“誇り”。

(反吐が出る!)

 アパシハは顔を歪めた。この思いはきっと、心の底にずっと澱のように溜まっていたのだ。

 歴史が、伝統が、因習が、掟が、文化こそが人を縛る。制約し、隷従させようとする。人間は文化の奴隷なのだ。

 無くなってしまえばいい。アパシハにとって、家族や友人のほうが大事だ。伝統など幾ら変わったところで、生活には勝らない。

 そのとき、地面が揺れた。ヨベルバムレク老の声が遠雷のごとく聴こえてくる。

『奪われるくらいなら……』

 土が揺らぐ。アパシハの顔に影が落ちた。

「あの爺!見境ってものがないのか!」 

 大地がうねり、岩塊が降り注ぐ。アパシハは脱兎のごとく走り出した。

 まるで語り部の物語る“火山の噴火”のようだ、とアパシハは頭の隅で思った。瓦礫が張り裂け、耳障りな音が迫る。

 速度はぎりぎりだった。人の姿では大した速さは出せない。それでも生き埋めに追い付かれないあたり、ヨベルバムレク老にも多少の慮りがあったらしかった。

 アパシハが跳躍する。里を囲む外壁を掴んだその時、岩崩の本体が里へ到達した。

 土埃と爆風が吹き荒れ、アパシハの身体を吹き飛ばす。森の木々をへし折りつつ、アパシハは十数メテルをも転がった。

「ッ!」

 背を丸め、手足を縮める。泥と土を吸い込まぬよう息を止め、瞼を閉じる。身体を揺らす震動が止まってから、アパシハは即座に跳ね起きた。

 里は崩土に埋まっていた。見慣れたはずの景色は、乱雑に掻き回された鍋のようにぐちゃぐちゃに変わっていた。あれほど至極大事に守っていた祭壇も岩崩の下敷きだ。

 アパシハは眉をひそめ、髪を汚す土埃を払った。里は一族にとって文字通り帰る場所だったはずだ。それを壊すなど、あり得ない。

「……帰るつもりがないのか?」

 見渡せば、確かに痕跡があった。逃げ出した一族たちの足取りは、幻覚の領域すら越えてシャルルの外、東の方角へ続いている。

「まさか……ここで死ぬつもりか、ヨベルバムレク老!」

 なぜそれほどまでに絶望が深いのか。アパシハには理解できなかった。故郷を失っては……

「……いや、そうだ。同じことだね」

 アパシハは自嘲して笑った。彼の誇りがそこにないだけのことだ。

「行こう」

 アパシハはまた走り出した。背後では、彼らの滅びを知らせる角笛が響いていた。

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みつけた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 森の外縁に近づくにつれ、雨林の呪いは弱くなる。それはこの精神系状態異常の内部の世界が脆くなるのと同義だったが、アパシハはぎりぎりまで外に出るつもりはなかった。

 それは一族も同じだったらしい。目の前には痕跡が続いていた。

 彼らと合流することが、当座のアパシハの望みだった。彼の世界。知った人と、そして大切な人の世界。

 生まれは呪いだ。“掟”を疎んでも、アパシハはその内側しか知らない。ヨベルバムレク老とアパシハに本質的な違いなど無いのだ。

「クオン……」

 アパシハはいつしか、走るのではなく歩き始めていた。足が重い。記憶に現実味がない。自分がどうすべきか分からない。

 制約はしるべだと老は言った。アパシハは屈服しそうな心を奮わせるように頭を振った。自分の芯を曲げることはしない。旧き“掟”に殉ずることは間違いだ。

 森の木々は疎らになり始めていた。それらの間を縫うような足跡が輪郭を濃くし始める。アパシハは少しだけ安堵した。もう少しで合流するだろう。

 

 そして、次の瞬きの後。アパシハの身体は絡み合う木の根へと倒れていた。

 

 肌に木の根の形を感じる。湿り気と泥の感触が手足を伝う。ただし、身体だけだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 アパシハの首は、身体と頭を繋いでいたはずのそれは、いまや綺麗に切断されていた。身体が地面に横たわっているのが見える。だというのに、血は一滴も出ない。感覚は繋がっている。力を込めれば、手指が動くのが分かった。

「見れば分かるわ……同じ眼をしてる。今度は人間の姿なのね?」

 ふと、そんな声が響く。

「あぁ、いいわ。やはりいい、君は極上の素材、わたしのインスピレーションをこの上なく刺激してくれる」

 

 そこにいたのは、【奴隷商】マライア・スキルフルだった。

 

 白いクローシュを被った女。右手を真っ直ぐに伸ばし、アパシハの髪を、頭を掴んでいる。その左手では、巨大な裁ち鋏が光の粒子に変わり、紋章に吸い込まれていっていた。

「何故……確かに喉を!それに、あの傷でここまで、どうやって!?」

 アパシハが唸る。マライアは朗らかに笑った。その顔が動き、襟を手が掴む。青白い喉頚をむき出しにする。

「さぁ、どうやったでしょう?」

 僅かに血がついた純白の丸襟の内側には、()()()()()()()()()()()()()があった。

「……ッ!」

 アパシハの身体が跳ね起きる。鍛練十分、近接戦闘に習熟した身体はマライアへと後ろ蹴りを放ち……そして無様に空振りした。

「人間の感覚って脆いわよねぇ、想定外のことがあるとすぐ混乱するのよ」

 突き、前蹴り、手刀。すべての狙いがお粗末だ。マライアが容易くそれらを躱し、そして口ずさむ。

「《喚起》……“十一号”」

 【ジュエル】が光る。ラジオ頭がその筋骨隆々の腕でアパシハの身体を押さえつけた。

「おれをどうする!殺すのか?」

 アパシハが首だけでマライアを睨み付ける。怒りと恐怖で息が荒くなっているのが分かった。他ならぬ首を断ち切られているというのに!それが一番不気味だ。

「……殺す?なぜ?」

 マライアは心底不思議そうに言った。

「殺害が目的ならさ、最適解は遠距離からの嬲り殺しだと思わなくって?わざわざ近づくリスクなんて必要ないわ」

 その左手に、再びあの裁ち鋏が現れる。黒々と、金属が鋭さを主張する。

「私、あなたがすき。だから、(コワ)したりなんてもったいないことはしないのよ」

 そう言うとマライアはアパシハの首を持ち上げ、その額に口づけをし、

「《裁断(コルタール)》」

押さえつけられたアパシハの身体を切り裂いた。

「……ッ!」

 アパシハが嫌悪感に歯を喰い縛る。マライアが鋏を無造作に使い、アパシハの右腕を切断した。

 見かけだけだ。血は流れないし、痛みもない。生命維持活動に支障はない。ただ鋏の冷たさが肌に残る。

「君は最高よ、この上なく掻き立てられる。君の指先から骨の一本まで……自分の物にしたい」

 

 鋏が、じょきりと音を立てた。

 

 アパシハの頬がひきつる。

「お前の能力……!」

「私のものよ。君はもう、私のものよ、変身者(メタモーフ)!」

 左腕が落ちる。腰が、腿が、脹脛が、足首が、切断されていく。それぞれの部位がさらに細切れにされ、親指大にまで裁断されていく。

「やめ、やめろ!この……」

「煩い」

 鋏が動く。アパシハの頭が両断され、断面を晒した。アパシハが忌々しげに瞬きをする。次の瞬間、その瞼すらも寸断され、アパシハは動かなくなった。

 マライアは満足げに息を吐き出すと、小さな箱を取り出した。ビロードのような質感の箱だ。表面には金文字で『SKILLFUL(巧妙に)』と記されている。生きたまま粉々になったアパシハをその小さな箱に残らず放り込むと、マライアは歩きだした。

「それにしても、この幻覚から出るにはどうするのかしら?ま、森から出れば大丈夫よね」

 その手が小箱を撫でる。“十一号”が【ジュエル】の中に吸い込まれていった。

「さて、モチーフは何にしようかしら?森の中の野人、原始的なシャーマニズムを思わせる“変身”……コントラストを狙って『白手袋』なんて、悪くないわね……」

 その足が西へと向かう。背後には沢山の足跡が続いていたが、マライアがそれを気に留めることは無かった。

 

 ◆◆◆

 

 ■【潮王】ヘズゥール

 

 ヘズゥールはゴボゴボと水っぽい声で悪態をついた。背後では鯨と蟒蛇が光の塵になり、呼び出した海水も退き始めていた。小さなアイテムボックスに流れ込んでいく水を眺めながら、ヘズゥールはまた悪態をついた。

 重傷だった。骨は折れ、肉は裂け、左手は指が二本に減っている。肉体の欠損を治癒するのは相当高位の魔法だ。暫くは飯を食うのに難儀するだろう。

 辺りは泥海のようになっていた。木々は津波に押し流され、撹拌された土砂が土地をうねらせている。

 最後の二人、【憑戦騎(トランス・キャバリア)】だったか?たかが上級職ごときに、この【潮王(キング・オブ・タイド)】が!

 ヘズゥールの顔が瞬間的に赤く染まる。足元の潮に波紋が走った。

 怒りは続かなかった。頭を冷やした魚男は泥を掻き分けると、流木の上に腰を下ろし、前屈みに俯いた。水っぽい音と共にヘズゥールの喉が動く。構えた掌に【共振石】が落ちた。

 ヘズゥールはそのまま静止した。幸い、長くはかからなかった。石が震え出す。

『ヘズゥールよ』

「はい、ご主人様」

 ヘズゥールは恭しく言った。

「状況は終了致しました、報告をーー」

『必要ない』

 雇い主は冷たく遮った。

『既に他のエージェントから状況は聞いた。お前には失望したぞ、ヘズゥールよ』

 その言葉に、ヘズゥールが狼狽する。隠しきれぬ冷や汗と共に、薄い唇が動く。

「失望とはーー」

「言葉通りだよ」

 雇い主と呼ばれていたその男は、静かに言った。言葉の内容に反して、その声には特段の失望は現れていない。ただ、機械のように冷たい。

 その男がいるのは、とある屋敷の一室だった。途方もなく精緻で複雑な紋様を織り込んだ絨毯を惜しげもなく使い、壁際には大きな暖炉がある。その表面には恐るべきことに、神話級金属を用いた飾りがあしらわれていた。富の証だ。

 雇い主は机を軽く叩き、そして天板から浮き上がってきた紙を拾い上げた。正確なリズムで叩かなければ中身を取り出せない仕込み机だ。作った職人は既に冤罪で処刑されている。

 その書面には、血のような色の文字で『ヘズゥール』の名が記されていた。

「お前は言ったな。必ず遂行する、自分こそ此度の任務には相応しいと。その結果、どうだ?私怨に振り回されて、クリスタルを失い、目標を取り逃がすとは」

『お、お待ちを!クリスタルは回収不能ですが、憑戦士系統についてはかなりのデータが……』

「だから失望したというのだ、ヘズゥールよ」

 雇い主……ハイエルフの男は背もたれに身体を預け、【歩き葡萄(ウォーキングバイン)】を原料にした最高級のワインを一口、飲んだ。暖炉では炎が乾いた音を立てていた。

「情報?そんなものはエージェントから幾らでも手に入る。必要なのは、彼らが獣に変身するその完璧さだ。《看破》ですら見破れない力……実に有用だったろう。それを!」

 雇い主は初めて声を荒げた。

「ヘズゥール……ヘズゥール!覚えているな、私と交わした契約を!【潮王(キング・オブ・タイド)】とて、私が与えてやったというのに!」

『お、お待ちください、これから奴らを追います!就職者がいれば、あとは、例えば頭の中身を操作して……!』

「くどいぞ。それは私とその手駒が、()()()()()進める。そのためにも【潮王】は相応しい使い手に与えねばならん。さぁ、返してもらおう」

 雇い主が手の中の【契約書】を広げる。

「私が与えたものを」

「お、お待ちを!お待ちを!お慈悲を!私は、我が一族の復興はまだ……」

「承知の上で契約したはずだ」

 雇い主は引き出しから判子を取り出し、勢いよく書面に押し付けた。【キング・バジリスク】の牙から彫り出された魔法印は、速やかにその効力を発揮し、契約は遂行された。

「か……は……」

 遠く離れた<シャルル雨林>。幻覚世界の内側でヘズゥールが崩れ落ちる。超級職の消失に伴い減じたレベルは、彼の全身の重傷を紙一重で支えられなくなったのだ。

「……ふん」 

 雇い主は何の感慨もなく、【共振石】を引き出しに仕舞った。死体やなにかの諸々は現地のエージェントが始末をつけるだろう。抜かりはないよう命じてある。最も、彼らは雇い主の顔も名前をも知らないのだが。

 そして不意に、ノックの音がした。この部屋は防音の術が掛かっているが、外部からのノックだけは通すようになっている。ハイエルフは《カーム》を解除する仕掛けを動かし、一言、「なんだ」と尋ねた。

「ご主人さま」

 ドアの外の侍従は礼儀正しく言った。

「選挙演説のご準備が整いました。会場へ」

「あぁ、今行くとも」

 ハイエルフは立ち上がり、扉を開けた。背後の暖炉では、燃え盛る【契約書】が灰になっていくところだった。

 

 END……?




 □付記・とある昔話

 かつて、とある国がありました。
 数多の種族を従え、王国を築いた彼らの名は、“ラ・セトセントラ”。植物と石でできた都市を造り、そして人から獣へと変身する力を持っていました。
 しかし、その栄華は長くは続きませんでした。押さえつけられ蔑まれた民たちが団結し、反乱を起こしたのです。数に勝る反乱はとうとう首都を攻め落とし、国を滅ぼす寸前まで迫りました。
 人獣の民は恐怖しました。反乱を起こしたものたちが、彼らと同じ変身の力を手に入れるのではないかと。それは支配者としての証し、栄光を奪われ貶められることに等しかったのです。堪えがたい屈辱を避けるため、王の一族は命を下しました。
 変身の力を与えるクリスタルを、玉座にある一つを残してすべて砕くようにと。そして、彼らは木々を操る男と夢幻を司る竜王との盟約を頼り、その力を借りて迷いの森を作り上げ、その奥に逃げ込みました。
 時は経ち、彼らは文明を失っていきました。自分達がどれほどの栄華を誇ったか、どれほど呪いの技に長けていたか、自分達の名前すらも忘れてしまったのです。そうして、彼らは自らを“ラ”とだけ呼ぶようになりました。森に潜み、外界を恐れる“ラ”の一族の、これが始まりです。
 
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