ゆるい、ばいおはざーど   作:氷の泥

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11 ブラックタイガーと研究所への道

 双眼鏡が欲しくなってくるほど遠く、一本道の地下洞窟を一人先へ行ってしまったヨーンに呼びかける。トンネルの中で叫ぶ時と同じようにその声はよく響いた。

「ヨーンさーん! もうちょっと近くに来てくれませんかー!」

「なんでだー?」

「後ろ姿くらい智絵里も大丈夫ですよー!」

「無理することないだろー?」

「無理じゃないですってー! なぁ智絵里?」

「はーい! 無理じゃないでーす!」

 智絵里も一緒になって呼びかけると、じわりじわりと、ヨーンの背中が遠近法により大きくなってくる。そもそも蛇があの体でどうやって前進しているのかも俺は理解できていないのだが、どうやらヨーンは後ろ歩きもできるようだった。

 声を張らなくてもいい程度には彼が近くなる。洞窟の天井はあまり高くないので彼は体を持ち上げず這う格好に終始しているけれど、改めて見ると体の大きさというか太さの迫力がすごかった。よく小中学校のベランダに設置されていた避難用の袋状すべり台を連想させられる。

「智絵里ちゃんだっけ?」

「あ、はい」

「オレにもな、苦手なものがあるんだ」

「え、そうなんですか……?」

 智絵里の目はヨーンの体に釘付けになっている。どこぞの密林に生息する毒蛙にありそうな赤と緑の奇抜なツートンカラー。足音と呼ぶには絶え間なさすぎる這いずる音。波打つようにうねり、硬いのか柔らかいのかよく分からない胴体……。万人の目を引くそんな大蛇のことを、蛇嫌いの彼女はどんな気持ちで見つめているのやら。

「ここに来るまでに、全身真緑の頭がおかしい奴に会わなかったか? オレはあいつが苦手なんだ」

「あ、会いました。ハンターですよね」

「そうそう。あのハンターってやつは、なぜかオレに懐いてくるんだよな……」

「あー……」

 その場の全員がヨーンの体を見る。考えてみれば、この初代バイオハザードの世界に生息する「体に緑色を含む生物」は、ハンター本人と植物であるプラント42を除けばヨーンが唯一だったかもしれない。奴にとってはヨーンが心の寄る辺なのだろうか……? 想像するだけで迷惑そうだけれども。

 しばらく進むうち、洞窟には分岐路が現れるようになった。ヨーンはその全てを迷いなく進んでいくから、俺たちはそのあとをついて行くだけでいい。自前の方向感覚はあっという間に吹き飛んでしまったので、もしこれが自力で行かなければならない道のりだったら確実に迷子になっていたと思う。

 あるT字路状の分岐点にさしかかった時、ヨーンの歩みが初めてピタリと止まった。俺や智絵里がそれを受けて立ち止まるよりコンマ数秒早く、まるでそこで立ち止まることを初めから知っていたかのようにTさんが足を止めたことで、俺はこの先で何が起こるのかを大体察する。そして察せたからには、察せたからこそ、深呼吸と心構えが必要になる。

「お、そろそろだな。悪いが智絵里ちゃんは目をつむっててくれないか?」

「え? は、はい」

 素直に目を閉じる智絵里。するとヨーンがヌッとこちらを振り向いた。裂けたような大きな口の中から牙の根元が覗いている。

「ここから先は、別のゾンビのなわばりなんだ。……いいか? この先に別のゾンビが出るんだ。それを教えたところで俺の案内は終わる」

「あっ、ありがとうございました」

「大したことはしてない。それじゃあまた機会があれば会おう!」

 そう言ってヨーンは旋回し、鉄砲水のような速さで今来た道を逆走して洋館へと帰っていった。たしかに彼を見ていると智絵里の心変わりも分かるような気がする。

 さて、この分岐路の先で起こる可能性があるイベントには二通りがある。ヨーンやプラント42のような中ボス格が現れるか、あるいはショットランペットガンの時のようにステージギミックの類が発動するかだ。

 智絵里にとっては、後者であった方が幸運なことになる。この地下道の中ボスブラックタイガー……巨大蜘蛛ゾンビは、できれば俺一人だけで対処したい。

「智絵里様」

 ヨーンが去ったことを察して目を開けた智絵里の肩に、Tさんがポンとその手を置く。

「もし「次のゾンビ」が不安でしたら、この先で「声」がした後は目を閉じておくことをおすすめします」

「あ、はい……」

 先に俺が警告していたこともあり、智絵里は全てを察したようだ。この先には巨大な蜘蛛がいて、そいつは喋るのだと……。

「ちなみにTさん、次に出てくるゾンビの名前って何なんですか……?」

「名前ですか? ブラックタイガーです」

「ブラックタイガー……」

 なにかの記憶を振り返っているみたいに捉えどころのない表情で宙を見上げる智絵里。覚悟を決めているにしてはぼんやりした雰囲気の彼女に、俺は念のため補足しておく。

「智絵里あのな、ブラックタイガーはべつに、虎でも海老でもないんだ」

「分かってるよ。蜘蛛なんでしょ」

「あ、うん。分かってるならいいんだけど」

「……拓海、Tさん、わたしそのブラックタイガーの姿はちゃんと見ようと思う。無理と思ったら目をつむるけど」

「お、おう……?」

「智絵里様がそう決めたのでしたら、それが良いでしょう。……さぁ、行きますよ」

 Tさんが分岐路の接点へ歩を進める。俺たちもそれに続く。ヨーンの時と違い彼はどちらへ曲がることもなくその場で立ち止まったので、俺と智絵里は二人してキョロキョロと左右に伸びる道の先を見た。

 すると左ルートには、ずっと先まで道が続いていることが分かった。……一方で右ルートには、目で見てなんとなく「それ」と分かる程度の遠距離に、巨大な丸い岩石が鎮座していた。

 これは……! と察した瞬間に、遠くの方でガコンッと何かが外れるような音がする。設置されていた岩石が、明らかに一段階どこかからずり落ちた。Tさんが「声」がしてから目を閉じろと言っていたのはこういうことか!

「智絵里走れ!」

「えっ!?」

 俺たち三人は左ルートの方へ向けて猛ダッシュする。……そう、焦るあまりなぜか反射的にそちらへ向かって走ってしまった。T字路を引き返すという選択肢は思い浮かばなかったのだ。

 ストッパーのはずれた岩石がインディージョーンズよろしくゴロゴロと転がってくる音を背後に聞く。これは原作にもあったトラップだ。そして初代バイオハザードのトラップは全て、回避失敗が即死を意味する。

「うおおおおおお」

 なんでだ!? ブラックタイガーの話はどうなった!? そんな疑問を頭の片隅に追いやると同時に、今まさに自分たちの背中に迫りつつある岩石トラップをやり過ごす方法も探し考える。頭をフル回転させながら走る、走る……!

 すると途中で、「そうだこの世界の罠が人を殺すわけがない」という思考に行き着いた。それで一瞬足を止めそうになる。なったが……。

 俺の鼓膜は、その楽観的思考を「それは間違いだ」と否定していた。ゴロゴロと転がる岩の音が、おふざけにしては重すぎるのだ。たとえば「中が空洞のプラスチックが回転する音」とは明らかに違う。硬く……尋常ではない質量を持つ物が、同質の床と擦れ合いながら転がってくる音がする。

 これは本当に大丈夫な物なのか……!? 「音」というたった一つの情報が、これまでに培った恐怖回避バージョン世界への信頼感をあっけなく打ち砕く。轢かれたらマジに殺されるんじゃないかという実感が湧いてくる。そしてその実感を踏まえてTさんを見てみれば、なんだか彼も中庭の時よりずっと必死になって走ってないか……!? 文字通り命がけであるように見える……!

 だんだんと迫り来る岩の音に焦りながら、振り返る暇も惜しんでとにかく走る。その走行は秒数にすればほんの僅かだったのかもしれない。けれど俺の脳みそはその僅かな時間の中で次のエマージェンシーを発見していた。……周囲を見渡して目を凝らした結果、この左ルートは正真正銘の「直線」だということに気がついたのだ。

 壁面に、いかにも罠をやりすごすための隙間があるというわけでもない。走れば間に合う曲がり角があるというわけでもない。線路の上を走るかのように、この道はずっとただ一本だ。岩の転がる速度は近づいてくる音から察するに、俺たちの足より常に若干速いのに。

「うおおおおおおお!! 間に合えぇぇぇぇ!!」

「はっ!?」

 迫真の雄叫びを上げたのは、この場の三人の誰でもなかった。走ることに必死で一度も振り返っていなかった背後をここで初めて振り返る。

 ……巨大な黒い蜘蛛が、八本の脚をフル稼働して大岩を食い止めてくれていた。

「ぶ、ブラックタイガー……!」

「えっ、あれが!?」

「なんとか間に合ったようだな……」

 その蜘蛛が喋ると、巨大な鋏のような顎がガチガチと鳴る。……決して、原作においては決して、彼はこんな登場の仕方をするゾンビではない。

「い、いったいどこから……?」

「岩がT字路の分岐点に差し掛かるギリギリ前に、なんとか割り込めたのさ」

「そ、そうか、別の分岐路の先に居たのか」

「え、ていうか、大丈夫なんですか……!? 助けてくれてありがとう……!」

 小学生どころか俺でも乗れそうなほど巨大なブラックタイガーの体には、全身に薄らかつびっしりと体毛が生えている。それがとてもよく見える。かつてないほど巨大な分、悪い意味での見た目のインパクトは随一だ。けれどアドレナリンが出ているのか、智絵里はそれを怖がることを忘れていた。

 ブラックタイガーの地面と接した二本の足と丸く巨大な胴体が、ズズッと音を立てながら少しだけ岩に押し負ける。

「あまり大丈夫ではないな……。お前たち、オレに触れなきゃいけないんだろ? さっさと触って先へ行きな、いつまでも止めていられる保証はないぜ」

「わ、わかった、ありがとう」

 驚くべきことに何のためらいもなく、智絵里がブラックタイガーの胴体に触れる。「ブラックタイガー」クリアの報せが鳴った。

「御二方、この一本道の先にエレベーターがあります! 急いでそこへ向かいましょう!」

 Tさんに促されて俺たちは先を急ぐ。岩壁に上手くまぎれる色に錆びていたので遠目には分からなかったが、たしかに洞窟の先には巨大で古めかしいエレベーターが存在していた。

 Tさんがスイッチを押すとブザー音と共にすぐにエレベーターの扉が開く。乗り込みつつ、智絵里が不安そうに言った。

「あの、ブラックタイガーさんはあれで大丈夫なんですか……?」

「えぇ、大丈夫です。この後洋館のゾンビたちが総出で救出に向かいますので」

「あ、そうなんだ。よかった」

 扉が閉まり、エレベーターはこの地下洞窟よりもさらに下へと降りていく。この先にあるのはいよいよ最終ダンジョン、ゾンビを作った悪の製薬会社アンブレラの隠し研究室だ。……そう、もう俺たちはあの洋館の中には戻らない。研究所を踏破した後エレベーターでヘリポートまで上がり、そこから脱出用のヘリに乗ってゲームをクリアするのだ。

 次々起こる出来事のおかげてしみじみする暇もないけれど、着実に、この旅は終わりへと近づいている。残すゾンビはあと二体だけだ。

 

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