ゆるい、ばいおはざーど   作:氷の泥

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02 洋館とゾンビと生臭さと

 ……どこか得体の知れないデザインの「バイオハザード」のディスクを、物置から引っ張り出してきたセガサターンに入れてさぁ遊ぼうと思った矢先に眠ってしまった……というのが、俺の記憶している限りの「直前の出来事」だ。

 しかし自宅で寝落ちしたはずの俺が次に目を覚ました時、目の前に広がっていたのは鬱蒼とした森林だった。智絵里も隣で目を覚まし、寝ぼけ眼をこすっている。……何をどう寝ぼければ、俺たちが森の中で目を覚ますようなことになるんだ?

 まだ夢を見ているのだろうかと頬をつねってみたが、これといって夢らしいことは起こらない。仮にこれが夢の中なのだとすれば明晰夢を超えた何かとしか言いようがないけれど……。

 遠くから、野犬の吠える声が無数に聞こえてくる。威嚇しているような物騒な鳴き方だ……。それが無数に聞こえてくるのだから、間違いなく近くに野犬が群れで居るのだと思う。……率直に言って、命の危機を感じざるを得ない状況だった。当然眠気は一瞬で消し飛んだ。

「おいっ、智絵里っ、なんだこれ、どういう状況!?」

「え、わたしも分かんない。森……じゃない……?」

「なんで森……」

「ねぇそれよりこの犬の鳴き声みたいなの、やばくない? 近づいてきてない?」

 智絵里の言う通り、野犬の群れは明らかにこちらへ近づいてきていた。幸い囲まれてはいないようだが、前方広範囲にかなりの数が迫って来ている。視界の先には壁のように大規模な茂みが広がっていてまだ野犬たちの姿は見えないが、凶暴な声の主たちはきっともうすぐそこにまで来ているはずだ……。

 クマから逃げる時は、目を合わせたままゆっくりと後ずさるのが最善解らしい。犬相手にもそれは通用するのだろうか……? 俺たちは丸腰で無力な一般人だ、襲われればひとたまりもない。

 智絵里をかばうように前に立ちながら、二人してゆっくりと後ずさる。できるだけ物音を立てないように、茂みの向こうの野犬たちを刺激しないように……。

 ……とその時、葉の擦れる音と共に、最も近くまで寄っていたのだろう三匹が俺たちの前に飛び出してきた。

「あっ! えっ!?」

「えっ、あれって……」

 二人して驚愕の声を上げる。そこで目撃した物のグロテスクさからすれば、普通なら恐怖に悲鳴を上げるべき場面だったのだろうけど、俺たちはそうはならなかった。

 飛び出してきたそれは、正確には野犬ではなかった。言うなればそれは「動く犬の死体」だった。肉が裂け、骨が露出し、白目を向いたドーベルマンの死体。……ゾンビ犬「ケルベロス」が、こちらへ向かって威嚇の声を上げていたのだ。

 ……いや、はたしてそれは本当に「威嚇」だったのだろうか? 飛び出してきた三匹のうち、中央の一匹は口にプラカードのような物を咥えていた。そのあまりの場違い感が、俺たち二人の恐怖心を完全に中和したのだ。

 ケルベロスの咥えたプラカード。そこにはおどろおどろしく、血のような色の文字でこう書かれている。

 

『洋館まで、この先真っ直ぐ100メートル』

 

 よく見ると、執拗に吠え続ける残り二匹の犬たちも、何やら嬉しそうに尻尾を振っていた。

「えっ、なっ、……えっ? なに? どういうこと?」

「もしかして……、わたしたち、ゲームの世界に入っちゃったとか……?」

「にしてもこんな親切な感じで!?」

 野生(?)のケルベロスたちは、バウバウと吠えこそするが一向に距離を縮めてこない。まるで彼らの目的が縄張りの防衛や狩りではなく、俺たちが「運営の想定したルートの外」へ行くことを防止するための壁役であるかのように。

「……とりあえず、百メートル直進してみる?」

「う、うん」

 一応、決してケルベロスから目をそらさないようにしながら後ろ歩きで進む。すると十歩ほど行ったところで、早くも彼らは踵を返し茂みの中へと帰り始めた。

 ……ケルベロスたちはきっと、俺たちが直進ルートから逸れると再び現れるような気がした。追い込み漁の要領で俺たちは洋館に向けて直進させられるようになっているのでは……と、なんとなくそんな気がする。

 とはいえ、ひとまずケルベロスたちの気配もなくなったので、まずはある程度緊張をといて普通に歩き出すことにする。するとたしかに「そろそろ百メートルくらい来たかな?」というタイミングで、雄大な自然が全てだった視界の中に、突如として明らかな人工物である巨大な洋館が現れた。

 森の中にぽつんと置かれたようなその館を見上げた後、二人して顔を見合わせる。

「ねぇ、これってやっぱり」

「そういうことだよな……」

 初代バイオハザードの主な舞台は、ゾンビのはびこる洋館だ。……ゲームの中に入るという馬鹿げた出来事が、どうやら実際に起こったようだと思うしかなくなってくる。

 そしてそうであるならば、俺たちの目的は当然一つにしぼられる。この世界からの脱出……すなわち「現実世界への帰還」だ。

 洋館入口の扉を開く。不気味に軋んだその扉の先にある広大なロビーの中心には、ケルベロスが咥えていたプラカードに続き、またしても看板のような物が立てられていた。

 

『進行方向、こちら』

 

 その文字は、もはやホラー感の欠片もなく、黒色の普通のインクで書かれていた。書体も活字らしく角張って整っている。……俺も智絵里も、たぶん段々と現状……というかこの世界への理解を深められてきた。

 どうも自分たちはゲームの世界に入ってしまったようだ。状況的にそうとしか考えられない。……が、かと言ってここは「ゲームそのままの世界」ではないらしい。もしゲームそのままの世界に入り込んでしまったのであれば、武装した特殊部隊でもなんでもない俺たちは、初めに見たケルベロスの群れにあっけなく喰い殺されてしまっていただろう。

 けれど実際にはそうはならなかった。喰い殺されるどころか、プラカードまで使って親切に進行ルートを案内してもらった形になる。……よく分からないけれど、今のところ目についた情報から察するのだとすれば、どうもこの世界の様子は「そういう感じ」らしい。もちろん今の時点ではまだ、身の安全が確保されたという保証はないのだけれど……。

 何せ俺たちが今立たされている状況は、原作ゲームで言うところのオープニング部分だ。主人公がオープニングでダメージを負うことはない。……その先の俺たちがどうなるのかは、まだ分からないわけだ。

「床に矢印が引かれてる……」

「そっちは……食堂か。よし、行ってみよう。行ってみるしかない」

「え、ねぇ、そこゾンビとか出る……?」

「……分からん」

 俺は嘘をついた。そして有無を言う隙を生まないように智絵里の前を歩いた。

 智絵里は初代バイオハザードの内容をほとんど知らないらしい。セガサターン版とプレステ版があることは知っていたようだから「ゲーム史的な知識」はあるのだろうけど、本編の流れなんかはほとんど見たことがないようだ。……しかしまぁついさっきのリアクションからして、ケルベロスのデザインくらいは知っていたのだろう。

 一方で、俺は初代バイオの流れをざっくり全て把握している。結論から言って食堂にゾンビは出ない。が、ゲーム本編では食堂を探索している最中に銃声が聞こえ、その出どころを探るために隣の部屋へ向かうと、そこでゾンビ(とそれに喰い殺される仲間)に初遭遇する。だから「食堂」にはゾンビは出ない。ギリギリ出ない。

 今居るこのゲームの世界らしき場所は、明らかに俺たちがルート通り先へ進むことを求めている。そしてケルベロスの群れに太刀打ちできないような俺たちにとって、そこへ逆らいながら元の世界へ帰る方法を探すなんて危険な択は選択肢に上がりもしない。だからもう、先へ進むしかないのだ。この世界から脱出を試みるなら、それしか出来ることがない。

 しかし、そうであるのだとしても、俺はか弱い彼女に「ゾンビ出るけど行くしかないから行こうぜ」とは言えなかった。言えなくても、行くしかないことに変わりはないのだけれど。

「食堂の中も同じ感じだね」

「だな……」

 扉を一つくぐって食堂にたどり着いた俺たちの視界にまず目立った物は、ロビーの時とまったく同じ文句の書かれた看板と、同じく床に引かれた矢印だった。どうやらここでいくら待っても、何をどこに探しても、銃声が聞こえてくることはないらしい。俺たちに出来ることは矢印に従うことだけなのだろう。

 食堂奥の扉から洋館内の通路へ出る。薄暗くて細い通路だ。……その場所に立って俺は改めて確信する。あぁ、この先がゾンビと初遭遇する部屋だ……。

 食堂から出た瞬間から、すでに辺りには生臭いにおいが漂っていた。これがいわゆる死臭という物なのだろうか……? ポジティブシンキングを心がければ、まるで魚市場に来た時のようなにおいでもあるけれど……。

 床の矢印はゾンビがいるであろう部屋に伸びている。通路の先、扉を隔てずにある角の部屋だ。ここがゲームの世界だというのなら、今は曲がり角で死角になっているその部屋に「最初のゾンビ」がきっといる。

 ……心臓の音が己の耳に響くようになってきた。

「智絵里はここで待ってろ。で、やばくなったら食堂まで逃げろ」

「え、やばくなるの……?」

「かもしれない」

 ゲーム本編では、食堂まで逃げると仲間がゾンビを撃ち殺してくれる。この世界にそんな仲間が居るのかは分からないが、万が一の時は現れてくれる……ともはや願っておくしかない。ロビーに入った時に誰もいなかった時点で、望みは薄くはあるのだけれど……。

 ともかく、いたずらに時間をかけても良いことはない。ここは無数のゾンビが徘徊する館なのだ。通路に立っているだけでも安全とは言えないのだから時間が惜しい。俺は駆け足で矢印の先の部屋に突入した。

 ……するとやはり、居た。

 緑色の上着に袖を通した、およそ生きている人間のものとは思えない青白い肌をした坊主頭が、部屋の中央にしゃがみこんで何かを貪り喰っている。そいつの足元には血溜まりも広がっている……。

 ゲームならそこからコンマ一秒先に、ゾンビに喰い殺された人間の頭が転がるショッキングなムービーが挿入される。けれど今ここにいる俺は、それをムービーではなく「現実」として見ることになるのだろう。そして振り返ったゾンビと目が合うのだ。口元を血で汚したそいつの呻き声を聞くのだ。……ゲームなら応戦するも逃げるも自由だが、現実の俺には武器もなければ、助けを求められるような仲間もいない。逃げようにも、館にはそこら中にゾンビがいて、外の森にはケルベロスがいる。八方塞がりだ……。

 ……八方塞がり? 本当に? じゃあ仮に館から逃げ出せば、俺たちはプラカードを咥えたケルベロスに喰い殺されるのか? ……本当に? プラカードを咥えてるような感じなのに?

 ゴトッ……と何かが床に落ちる音がする。それが変わり果てた人間の頭部だろうということが分かっていながら、俺は咄嗟に音のした方を見てしまった。

 ………………マグロの頭部らしき物が、ゾンビの足元に落ちていた。

「んん……?」

 薄暗い部屋の中を改めてよく見ると、そのゾンビの足元に横たわっているのは人間の死体ではなく、一尾丸々の大きなマグロだった。しかも冷凍ではない、生のマグロだった。光沢のある銀色の皮がはっきりと目に映る。

 じゃあ足元の血溜まりは、マグロの血なのだろうか? じゃあ漂っていた生臭いにおいは、生のマグロを狭い部屋で食い散らかした時に漂うにおいだったのだろうか?

 素手でマグロを食い漁っていたゾンビがこちらを振り返る。呻き声はしなかった。そのかわり、

「あぁ、どうも」

 とハッキリした声で会釈をされた。

 そのゾンビはゾンビらしく白目を剥いていたが、しかしそのそれなりにショッキングな白色の中に、いかにも話が通じそうな人の良さが確かに見てとれた……ような気がする。

 どうやらこの「ゲームの世界」の様子は、やっぱりそういう感じらしい。

 

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