一度ロビーへ戻り、洋館入口から向かって右にある部屋へ向かう。そこは青く薄暗い照明と飾られた彫刻が特徴的な部屋で、その部屋の奥にある扉を開くと、そこにはL字に曲がった明るい廊下が伸びていた。
廊下の天井に吊られた照明はシャンデリアで、壁紙と床は洒落たデザインをしている。初代バイオの大抵の場所は床が板張りやタイル張りだったり、壁紙が無地だったりするので、見た目的にも、ただの廊下のわりにここは印象に残りやすい場所だと言えるだろう。……まぁこの廊下の「印象」の本体はもっと別なところにあるのだけれど。
俺はすでに、自分たちの視界の先に「窓」が一枚あることを確認済みだ。きっとそれと同じ窓が、角を折れた先にももう一枚あるだろう。
「ところで智絵里様、死体の臭いをかいだことはありますか?」
「えっ、なんですか急に」
ドン引きの一歩手前くらいの顔で智絵里がTさんを見る。逞しいメンタルを持つ彼女は、すでにその見た目クリーチャーな男と並んで歩くことに何の違和感も持っていないようだった。俺は一度目を離したあともう一度彼の姿を見ると未だに「うおっ」となる。
しかしそれはそうと、今Tさんが智絵里に振った話の魂胆に、俺は秒で気が付いた。そしてその魂胆に乗ることにする。
俺たちは三人揃って、ゆっくりと廊下を歩いていく。Tさんの歩みが緩やかだから、誰もあえて急ごうとはしなかった。
「普通、ゾンビが隣にいたら死臭がするはずでしょう?」
「あ、たしかに。言われてみれば全然変なにおいしないですね」
「そこもまた恐怖回避バージョンの一環なのですよ。試しに少し嗅いでみますか? 花の香りがしますよ」
「花の……? まさかぁ」
Tさんの肩のあたりをくんくんと嗅ぐ智絵里。するとすぐにその目が見開かれる。
「えっ、マジだ」
「えっ、マジなの?」
俺も気になって同じように嗅いでみると、確かに柔軟剤のようなフローラルな香りがした。逆にそれ以外の香りは一切しない。血濡れの服からも腐肉の肌からもである。……まぁ、唯一口元からはほのかに魚っぽい臭いもしていたけれど……。
「今後現れるゾンビたちからも同じ香りがしますよ」
「へぇ〜、それは助かるぎゃあああっ!?!?」
智絵里の悲鳴は、俺たちが今まさに横切ろうとした窓がガシャン!とけたましく割れる音にまったく負けていなかった。
廊下の窓は内側に向かって粉々に割れた。外からゾンビ犬ケルベロスが突っ込んできたのだ。……そう、これがこの廊下の名物! 数々の初見プレイヤーたちの心臓を止めてきた「窓を破壊して急に現れるケルベロス」なのだ!
ドッキリ企画のように現れたケルベロスがおとなしく「おすわり」していることをなんとか確認して、肩で息をする智絵里はやっと胸を撫で下ろしたようだった。
「な、び、び、びびったぁ……。なんて心臓に悪いことを……」
「あはは」
「何笑ってんの!」
「いや、初見の反応を見るのっていいなーと思って」
「え……、はぁ!? じゃあこうなるの知ってたってこと? た、たしかにアンタ全然驚いてないし……。……こいつっ!」
智絵里の肩パンが俺を襲う。数値にすれば1とはいえ、それがこの世界に来てから俺の初めて受けたダメージだった。
そんな怒れる智絵里の足元に、人懐っこいケルベロスが擦り寄ってくる。森の中で見た時と同じようにその犬の腹は裂けて肋骨が見えており、目は白目だけの状態、黒毛の体は全身血みどろだ。
さらに、他にもところどころ皮膚が剥がれてむき出しの肉が見えている箇所がある。右耳に関してはちぎれて完全に失くなっており、そこから頭蓋骨が露出していた。……恐怖回避バージョンというわりにはバチくそにグロすぎないか?
けれど智絵里は、その目を逸らしたくなるようなグロテスクさを気にも留めていないかのように振る舞う。初めはおそるおそるその犬の頭に触れていたけど、向こうが痛みを感じていないのだと分かると、しゃがみこんでわしゃわしゃと全身を撫で始めた。
「おーよしよし、ごめんね、君は悪くないよ〜」
その瞬間に、どこからともなくピコンという音が鳴る。さらに同じように聞こえてくる「「ケルベロス」クリア」の機械音声……。
困惑する俺たちをよそに、撫で回されたケルベロスは尻尾を振って喜んでいた。
「なに? 今の音」
「智絵里様、おめでとうございます。クリア条件の一つ「ケルベロス」を達成しました」
「へ?」
「全てのゾンビに会うことが条件……と申しましたが、より正確には、各ゾンビに触れることで「出会った」という判定が得られるのです。よって智絵里様は今、ゲームクリアへの第一歩を踏み出されました」
「おおー? それはよかった!」
とぼけた返事をする智絵里の横で、顔には出していないつもりだが俺は驚愕していた。
触れる!? ゾンビに!?
正直なところすでに、俺は目の前の犬のグロさに若干引いている。反面、それを全力で可愛がることができる智絵里にはリスペクトの気持ちでいっぱいだ。……今後は俺も彼女を見習わなければならないのだろうか?
しかしこれでゾンビから花の香りがする理由が分かった。それはせめてもの配慮なのだ。ゲーム本来の世界観を……つまりゾンビのデザインを損なわない範囲で「触れることへの抵抗感」を軽減するための、苦肉の配慮に違いない。
「なるほど、だから改めてケルベロスか……」
「どゆこと?」
「森の中で会ったのはノーカンってこと」
「あぁ、たしかに。触ってないね」
語りこむプレイヤー二人に対して、Tさんは廊下の先を見ては言う。
「さぁ御二方、幸先よく触れられたところで次へ参りましょう。ここにはもう、ケルベロス以外のゾンビは現れませんから」
Tさんのその言い回しに、俺は思わずにやけてしまう。彼はこのゲームの案内人だという話だけど、なるほど気の利いた案内をしてくれるらしい。
持ち場を離れようとしないお利口のケルベロスに「じゃあね」と別れを告げて、俺たちは廊下を進むことにした。緩やかな歩みで直角の角を曲がると、やはりその先にももう一枚窓がある。
Tさんがまた、智絵里の意識をそらすために話を振り始めた。
「ところで智絵里様は、初代バイオハザードのことをどこまでご存知なのでしょう?」
「あ、ほとんど知らないんですよね。そういうゲームがあってリメイクもされてるってことは知ってるんですけど、まだ遊んだことはなくて。実写映画なら見たんですけど」
「あぁ、なるほどなるほど。それだとほぼ完全な初見さんというわけですね」
「そうなんですよ。……え、レーザー部屋とかないですよね?」
「大丈夫、あれは実写映画オリジナルの物ですよ」
「あっ、へぇ〜! そうだったんぎゃああああぁっ!?!?」
二枚目の窓を突き破って再びケルベロスが現れた。智絵里の悲鳴にも衰えがない。
二度同じ手に引っかかる智絵里を見て、俺だけでなくTさんもさぞ満足したことだろう。ゾンビだからか、その顔から表情の概念はほとんど見受けられないけれど。
今度のケルベロスはおすわりはせず、智絵里の足元を楽しそうに駆け回っていた。
「ちょっと拓海! なんで先に教えとかないの!?」
「あっはっはっ、初見の楽しみを奪うようなことはしないよ」
「なにが楽しみよ……。よしケルベロス、あの男に体当たりして」
「バウッ!」
「ぐあっ!? 嘘だろ、人語を介してる!?」
ポケモンバトルかな? という迅速な意思疎通により、俺はゾンビ犬のタックルをもろにくらった。原作でもくらったことないのに!
ともかく、こうして俺たちは無事に名所の廊下を踏破することが出来たのだった。……なんというか、ひょっとしてこのゲームのクリアは楽勝なのかもしれない。そんな気がしてきた。