転生したと思ったら婚約者(元男)が女の子になっていた件について 作:舞依夜
2021年。愛知県南部、とあるちょっと都会な街。
列車発車後、数十分で清の意識は消失し、その次に目覚めた時、彼は彼女になっており、清は美月になっていた。この事象を彼女は中学生の頃、「突然すぎてビビった。死んだと思ったのに」などと呑気に語っている。
安原美月は2003年、一般的なサラリーマン家庭に生まれた。二十代半ばに結婚してから長年に渡る妊活の末、三十代半ばで生まれた美月を両親はいたく可愛がった。欲しがったものは全て買い与え、やりたいと言った事は全てやらせ、逆にやりたくない事は何もやらせなかった。
彼女は安原家の小さな女王であった。いや、そうなるはずであったと言うべきが正しいかもしれない。なぜなら、美月はそんな臣下―― もとい両親たちに何の要求もしなかったのだから。
普通ならばそんな状況に置かれていたら、わがまま放題な子供が育つだろう。PTA激怒、いじめ問題、学級崩壊、家の電話鳴りやまぬ問題児の誕生である。
だが、安原美月という少女はそうはならなかった。
彼女は普通の女の子ではなかったからだ。
前世の記憶があるという点と、その前世が男であるという二重の意味で。
そして、その記憶は美月に多大なる影響を与えた。
それはずばり、共に駆け落ちしていた千代への深い思慕である。
彼女は他の何物よりも千代が欲しかった。百万円するグランドピアノよりも、千代の鈴のような笑い声が欲しかった。巷で流行っているゲームソフトよりも、千代とする手遊びの方が楽しかった。どんな高級品にもあの風が吹くプラットフォームで抱きしめた彼女の体よりも暖かい物はなかった。
「美月ちゃん!私、お城作ってるの!よかったら一緒に作らない?」
そして、その暖かさは保育園で砂遊びをしていた。
スコップを持って、柔らかそうな頬に泥を引っ付け幼女は笑った。外見は五歳児だが、精神年齢は十八才である美月は保育園に全く馴染めておらず、周囲を馬鹿にしてすらいた。
だが、目の前で異様に高いクオリティで砂遊びを行っている幼女は、明らかに他の子供たちと違っていた。
ピンと高く伸びた尖塔に、木の枝で書かれた丸い窓。明確にゴシック建築を意識したそれに美月は息を呑み、
「君、名前は?」
気づけば彼女は幼女にそう問いかけていた。
「私は如月茜!ねぇ、一緒に作ろうよ!」
茜はそう言うと、傍らに落ちていたもう一つのスコップを美月に向かって差し出す。彼女はそれを恐る恐る受け取る。目を疑う程小さくなってしまった自分の手が茜の手に触れた時、美月は不意にあの日の暖かさを覚えた。
これが安原美月という何にも関心を持たなかった少女が、初めて何かに関心を持った瞬間で、同時に前世の愛し人と再会した瞬間であった。
それから十二年、高校生になった二人は俗に言う青春という奴を謳歌している。美月は自身が男であったという事すら半ば忘れかけ、花の女子高生として日常を謳歌し、その傍らにはいつも前世での恋人兼現世での恋人でもあ
る茜の姿があった。
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生物の授業はとっても退屈だ。教える人が上手ければ面白いのだろうけど、彼女たちを担当したのは「寝とるよ!」が口癖の変態ゴミ教師こと豊田であった。寝とるのではなく、寝させているというのが生徒側からの感覚であり、イライラの種を散々まき散らして帰って行った奴に教室内では非難囂々である。
「プリントの穴埋め一個も埋めなかった」「また中庭の木の名前連呼してたよ」
そんな不満が吐き出され続ける邪気に満ちた教室の一角で、新たなバトルが始まっていた。
「ま~たプリン食べて!一日一個までって言ってあるでしょ!」
透明なスプーンを揺れるプリンに突き刺さんと構えていた美月の腕を、茜が横から掴んだ。思わぬ邪魔が入った事に彼女は眉を寄せ「放して」と仏頂面で抗議する。
「駄目です~。若いうちはいいかもしれないけど、大人になったら大変なんだからね。糖尿病で人工透析の美月を世話するのなんて、私嫌だから!」
「これは没収!」という言葉と共に眼前から攫われていくプリンに、彼女は「あぁ~~」と情けない声を上げる。
「ほんと美月は幸せ者よね」
そんな二人を眺めながら口に手を当て涼香が笑った。彼女は中学校の時に出会った二人の友人だ。スラリと高い身長が特徴的な涼香は、きりっとした目つきをしており、その年にしてベテラン女教師のような風格を漂わせてい
る。
「一体私のどこが幸せなんだ~~」
茜に目の前でプリンを食べられ、目の端に涙を浮かべながら机の下で足をバタつかせる美月。そんな彼女に涼香は苦笑する。
「だって大人になっても美月の世話してくれるって茜は言ってるのよ? こんな幸せなことないじゃない」
「いや、別に私はそういう意味で言った訳じゃなくて…… 」
彼女の言葉に、茜は思わずそっぽを向く。しかし、そんな彼女を後目に美月は堂々とVサインを掲げた。
「そう。私はやっぱり見る目がある。そしてこのまま添い遂げるつもり」
「私から見ると添い遂げるって言うより、添い遂げて貰うの方が言い方として正しいと思うのだけれど」
にまにまと笑っている彼女を前に、涼香が顎に手を当てる。しかし、それは頭ふわふわな美月には届かない。
「私の魅力で、茜は私から離れられない。魅力的すぎるボデーと優しい性格の私に茜はぞっこん」
彼女はそう言って「ふん」と胸を張る。
身長145cm、魅力的と言うよりは母性を煽られるスタイル。艶やかな髪と白い肌が特徴的なギリギリ違法ロリの安原美月は、己は優しいと恋人に向けて威張り散らす。
「馬鹿では?」
「馬鹿ではない。私はいつだって大真面目」
顔を顰めた茜とは対照的に、真顔で彼女はそう答えた。額に手を当てる茜。
それを前に首を傾げる美月。
「本当に貴方達って変わらないわね」
そんな二人を涼香はクスクスと笑っていた。
教室内では様々な話が飛び交っている。昨日見たテレビ番組の話。トウカイテイオーでうまぴょいしたとか、サイレンススズカを追い込み育成しただとか、ハルウララで有馬記念を突破したとか、そういう他愛ない話だ。
それらは彼女達の時代―― 清と千代の時代にはなかったもの。
「次は数Bよ。流石の美月も聞かないとまずいんじゃない?」
「そうだね」
「どうしてそんなに寝てて、他の勉強が出来るか謎なんだけど」
あまり勉強が得意ではない茜が、羨ましそうに美月を見る。彼女の授業態度は最悪だが、地頭がいいせいか、何故か成績は良かった。そんな彼女唯一の欠点が数学である。
「本当に面倒な世の中になったものだなぁ」
六限での苦難を想い、美月は大きくため息を吐いた。
「なに懐古厨?やめてよね老人が移る」
それに茜は思わず眉を寄せる。
「いや、別にそういう訳じゃないけどさ」
本気で不機嫌そうな彼女に美月は手を左右に振って、
「凄い世の中になったなと思ってさ」
僅かに顔を伏せてそう言った。
茜はそれに何も言わない。そんな彼女たちの様子を、涼香は不思議そうな顔をして見ていた。チャイムが鳴り響くと同時、クラスメイトたちが慌ただしく動き始める。次の授業の準備だろう。黒板に数式が刻まれ始める。その光景が美月にも、茜にもどこか非現実的で。
「どうしてだろうね」
気づけば茜はそんな言葉を口にしていた。
「百年近く経ってるから」
美月は絹糸のような髪を弄びながら淡々とそう答える。それは茜が欲した解答ではなかった。けれど、彼女は「そうだね」と頷く。くるくると美月はシャーペンを回す。小さな手だ。細くて、滑らかな女の子の手だ。サラサラとした手触りにもちもちな肌。千代がかつて握った清の、ゴツゴツとした手は面影すらない。
変わってしまった。
「どうしたの?」
こてんと美月が首を傾げる。可愛らしい仕草。スカートをパタパタと揺らす彼女が、付き合ってみたい女子ランキング一位に涼香を押しのけて躍り出るのも頷ける。
しかし、そんな美月が茜はどうにも好きになれない。だが、きっとそんな事は思ってはいけないのだろう。それは裏切りだ。奇跡の否定だ。死という永遠の別れを超えた愛を台無しにする酷い行いだ。
茜は己への嫌悪にぎゅっと空のプリンケースを握りしめた。
「ごめん。もうプリンは控える」
仏頂面でケースを握りしめる茜を前に、勘違いした美月がしょぼんと頭を
下げた。
「これからは気をつけてね」
茜は頬を吊り上げて笑い、美月の艶やかな黒髪を撫でる。すると彼女は心地よさそうに瞼を閉じた。
周囲の喧噪が大きくなっていく。生物教師への文句からゲームの話。そして噂話へと移り変わっていく。次は小テストらしい。文化祭はどうするか。誰と誰が付き合った、別れた。好きだ、嫌いだ。
その文字列に彼女の胸が跳ねる。茜と美月の関係はそんな浅いものではない。偶然とはいえ、転生までして貫いた愛は偽物じゃない。
けれど、それでも…… 。
優しく美月の髪を握る。それはすぐに手を零れた。確かにそこにあったものが、いとも容易く零れ落ちてしまう。零れゆく髪を彼女はもう一度掴み直そうとする。
「早くしなさい」
「え!?」
その言葉にぎょっとして、茜は美月から離れた。
「もうすぐ授業よ。貴方当たっていたでしょう?黒板に問2の答え書いておかないと怒られるわよ」
涼香が腕を組んでこちらを見ていた。
「あ、ああそうだね」
茜は寝息を立て始めた美月から離れ、自分の席にノートを取りに行く。後ろから感じる涼香の視線。それを無視して足早に彼女は進む。机の迷路をくぐり抜け、人の樹木を躱しながら、茜は教室を歩む。
意図して何も考えまいとして。
「えぇ~!三年も付き合ってたのに別れちゃったの?どうして?」
けれど、人体とはままならないもので、通りすがりに女の子のそんな声が耳に入る。入ってしまう。
「だってさ、陸ったら最近おかしいんだもん。初めは優しくて、思いやりもあってカッコいいなって思ってたんだけど―― 」
茜はその場から逃げ出したい衝動に駆られる。でも、少女は無情にも言葉
を続けた。
「今は全然そんな事なくて、デートとかも私ばっかりが夢中になってる気がして、温度差感じるんだよね。は~あ、私が好きだった陸ってどこに行っちゃったんだろう」
茜の短い髪が揺れる。日に焼けたせいで少し茶色で、トリートメントをしていてもパサついてしまう髪。けれど、愛されるはずだった髪。大きな手で乱暴に撫でられるはずだった髪。
机の横に吊るされたバッグから、彼女は教科書とノートを取り出す。
そしてそのまま黒板へと向かった。
問2と書き出す。ちょっと難しい微積の問題。インテグラルを、欠けたチョークで書きつける。淡々と数式を刻み続け、そのうちにチャイムが鳴った。
『X=』
ここまで来た。ほとんど答えは出ている。問1の担当者は既に解き終えて席に戻っていた。問3のスペースには馬鹿正直に「分かりません」と書かれている。彼女にはその素直さが羨ましい。
駆け落ちの日
「一緒に生きてくれないか?」
と問われた時、頷いた過去の自分を思い出す。
変わらないものはある。
今もセーラー服の中で揺れる逆三角形のネックレス。二人が小学生の時、まだひねくれていて男っぽさが抜けなかった美月から貰った大切なもの。
変わってしまうものがある。
広い肩。硬い手。背の高さ。優しさ。性格。そして、人への想い。
『X=』
答えは出ていた。
けれど茜は静かに目を伏せた。後ろで変な空気が漂い始めたのを彼女は肌で感じていた。割り算で答えが出るのに、しないのだから当然だ。でも、茜は答えを出さなかった。出したくなかった。出してしまったら、終わってしまう気がした。チョークを置き、彼女は黒板の前を離れる。黒板に向き合っていた体をくるりと翻すと、目の端に眠りこける少女の姿が映った。
「認めない」
茜は口の中で小さく呟く。
そう、認められない。認めたくない。
自分が美月の事を好きでなくなっている事実なんて、認められない。
彼女が椅子に座るのと、先生が教室に入って来るのはほぼ同時だった。チャイムから二分ほど遅れて来た彼は、黒板に書かれた数字たちを眺めて
「如月、最後まで書いとけよ」
苦笑気味にそう言った。先生はどうやら茜が最後まで書くのを忘れたと思ったようだ。
しかし、彼女は俯き気味に答える。
「途中で不安になっちゃって」
その数秒後、起立の声が教室に響く。マリオネットのように茜は立ち上がる。それは眠りこけようとしていた美月も同様だ。
千代が好きだった清の面影を残さない美月。
ならば、時を超えた関係性を続ける意味はあるのか。
昔の『彼』は好きだった。
なら、今の『彼女』は好きなのか?
声のままに頭を下げた茜の問いは、未だに答えが出る事はない。