転生したと思ったら婚約者(元男)が女の子になっていた件について   作:舞依夜

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玉の緒よ 絶えねば絶えね なんとやら

 翌日の水曜日、その日は生憎の雨だった。六限の教室、机に頬杖をつきながら窓の外の上から下へと伸びる斜線を茜は眺める。教卓では生物教師豊田が鬼のような形相をして「神の扉を開いてしまった…… 」などとのたまっていたが、そんな事は彼女にとってどうでもよかった。

 

 右後ろをちらりと覗くと、案の定美月は机に顔を突っ伏して寝ている。薄く目の下に浮いたクマが痛々しい。一方で、口元は柔らかな弧を描き「眠り姫」の異名に恥じぬ寝姿であった。

 

 結局昨日はあの後、二人は涼香のドレスのデザインの話をひたすらしながら帰路についた。

 

『マーメイドラインって言っても色んな種類がある。肩を出すか出さないかとか。私としては肌は出し過ぎない方がいいと思う。変に大人ぶって見せるのは逆効果。色気を振りまくのはただの娼婦。ちょっと肌を出すくらいがド

キッとするライン。首丈で胸元までシースルーとかがいいと思う。茜はどういうのがいいと思う?』

 

 熱く語る美月に、彼女は「美月が言ったのでいいんじゃない」と余りにも無難に返した。

 

 美月はデザイナーになりたいらしい。茜の知らない所で縫製所に通いつめ、そこのオーナーと仲良くなり、様々なファッション雑誌を無料で読み漁っている。その上、藝大を出ているオーナーの直弟子にまで上り詰めているのだから驚きだ。

 

 茜はそれをほんの三か月前に知った。

 

 雨が地面を叩く。

 彼女たちの二年五組は三階にある。四階建ての校舎の真ん中よりちょっと上。直接雨が屋根を打つ訳ではない。けれど「ざあざあ」と雨は確かに己の存在を主張している。それはきっと風切り音で、数多くの意思無き者たちの精一杯の自己主張で。

 

「寝とるよ!」

 

 生物教師の叱責が教室を支配する。けれどそれは偽りだ。もはや生徒たちはその叱責に慣れっこで、コーヒーブレイクについてくる砂糖菓子のような感覚でそれを処理している。慣れというのは恐ろしいもので、異常を異常と

認識出来なくさせる。

 

 当たり前は、人を狂わせる。

 

「安原美月!眠そうな顔してどうした!?恋の悩みか!」

 

 その問いに全員が呆れたようなため息を吐いた。彼女が茜と付き合っているのは周知の事実だ。そして、その関係性が小学校時代から続くもので、十年もの間喧嘩一つないという事も。生物教師豊田の問いはあまりにも愚問で

あった。

 

「そうですね」

 

 しかし粗方の予想を裏切って、顔を上げた彼女は平然とそう答えた。

 

「なんだ!先生に相談してみろ!」

 

 ざわつく生徒たち。一方で、生物教師豊田は町中を歩いていたら通報されそうな笑みを浮かべ、美月に問いかける。

 

「プライバシーにかかわるのでここでは言えません」

 

「なら、後で生物室に来い!二人で話を聞いてやる」

 

 茜は思わず顔を顰めた。豊田といえばセクハラ、セクハラといえば豊田である。授業中、女子しか当てず、依怙贔屓をする変態教師。彼女の脳裏でR18的展開がフラッシュバックする。

 

 誰もが美月はその申し出を断るだろうと予測した。

 

「そうですね」

 

 だが美月は眠たげに瞼を下ろしながら、適当に頷いた。

 

「授業後、来るように」

 

 ピシッと凍り付いた空気も何のその、豊田はそう言うと好色めいた笑みと共にチョークで黒板に何事か書きつけた。そして、珍しくプリントの穴埋めをし始める。しかし、茜はそれどころではなかった。

 

 美月の抱える恋の悩みとは何なのか。

 

 普段、何にもやる気を出さない美月が、どうして豊田の呼び出しに応じる

気になったのか。

 

 分からないことだらけだ。

 

 雨音も、意味不明なips細胞の話も、彼女の耳を右から左へと抜けていく。

 

 

 

 

 

 授業後、美月は案の定椅子の上ですやすやと眠っていた。心地よさそうな寝顔に、茜は今からする事を少し心苦しく思う。しかし、彼女は心を鬼にして美月の机を思いっきり揺らした。

 

「ふぇぁ!」

 

 あまりにも間抜けな声を出して、飛び起きた美月。がばりと上げられた頭に引っ張られて、彼女の黒髪が翻る。そして、腰ほどまである長すぎるそれは持ち主本人にも制御できぬ凶器となって茜を襲った。

 

「ぶへ」

 

「あ、ごめん」

 

 バツが悪そうな顔をして、美月がぺこりと頭を下げる。茜は「別にいい」と言って首を横に振り、謝罪を求める代わりに問いかけた。

 

「何か悩みでもあるの?」

 

「そうだね。涼香のドレスのデザインは悩んでる。昨日も今朝までずっと図面引いてた。一応出来たけど、四日で縫製まで完成出来るかどうか」

 

 これ見よがしに欠伸をする美月。彼女の言葉を証明するかのように、目の下には酷いクマが出来ている。けれど、茜には美月の悩みがドレスではないと見抜いていた。

 

「でも、悩みってそれじゃないんでしょ?」

 

「? それだけど」

 

「恋の悩みだって言ってたじゃん」

 

「それは否定するのが面倒だっただけ。それに涼香の恋の悩みでしょ。間違ってはない」

 

 淡々と答える彼女に、一見嘘をついているような様子はない。しかし、美月がいかに面倒くさがりと言えど、豊田の言葉を否定する事すら面倒くさがるとは茜には思えなかった。なぜなら、そこで否定しなければもっと面倒な

事になるのが分かりきっているからだ。

 

「本当に生物室行くの?」

 

「行くよ。呼ばれたから」

 

「止めときなさい。何をされるか分からないわ」

 

 途中から話の輪に入っていた涼香が顔を顰めて美月を止める。彼女も美人

であるが故に、嫌な思いを何度もしてきたのだろう。妙な重みがあった。

 

「でも行かなきゃいけないんだ」

 

 しかし、彼女はそう言って立ち上がった。特段それが何でもない事のよう

に。昼下がり、スタバにでも立ち寄るかのように、平然と立ち上がった。

 

「美月が行くなら私も行く」

 

 立ち上がって、そのまま歩いて行ってしまいそうな彼女の手を引いて、茜は気づけばそう口にしていた。明らかに今の美月はいつもと違う。普段から彼女の口数は多くはないが、いつもなら茜が納得するまで説明をしてくれる。どうしてそう考えるか、どうしてそれをしなければならないのか、そういう話をしてくれる。

 

 けれど今は違った。

 

「生物室に行かなくてはならない」という強迫観念のような何かに突き動かされ、自分の事を蔑ろにしている。そう茜は感じた。

 だから、彼女は美月の手を決して離さないよう力強く握った。これを離すと、どこか遠く、茜の知らない所まで美月が行ってしまうのではないかと恐れた。

 

「一人で大丈夫」

 

 しかし美月はそう言い残し、するりと抜ける。強く握っていたにもかかわらず、彼女の手は、いつしか外れていた。彼女が歩いて、髪が揺れて、薔薇の香りがふわりとその場に残る。それは茜が誕生日にプレゼントした香水の香り。茜が大好きな香り。

 

「あっ」

 

 その香りに侵されていた脳が現実に戻る。しかし時既に遅し。美月は教室を出て、右に曲がり生物室に向かっていった。教室にいる彼女からはもうその姿は見えない。

 

「大丈夫かしら」

 

 頬に手を当て、心配そうに涼香が首を傾げる。クラスメイトたちは雑多な話に興じていた。この後の部活がどうだとか、雨が降ってるのに外練はだるいとか、うまぴょい出来なかったとか、そんな話が茜の耳の中に飛び込んで

くる。

 

「美月なら何とかするよ」

 

 涼香の言葉に、茜は無表情でそう返した。

 

「要領いいし、心配するだけ損じゃない?」

 

「そんな風に言う事ないじゃない」

 

 あまりに冷たい言い草に、涼香が眉を吊り上げる。でも、彼女にはもうどうでもよかった。きっと美月は上手くやるだろう。けろっとした顔で戻ってきて、「何かあった?」と聞いても「なにも」と平然と言って、何があったかも教えてくれない。

 

「美月なら大丈夫だよ」

 

 時々彼女にはそういう所があった。何でも理解してるみたいな顔をして、一人で何かを勝手に決めて、何を決めたのかすら茜には分からない。そんな自分勝手な美月が彼女は嫌いだった。

 

 ぷいとそっぽを向いて自分の席に戻り、美月からプレゼントされた彼女お手製のスクールバッグを背負って、廊下に出る。

 

 リノリウムで覆われた廊下は緑色のカーペットのようだ。それは湿気のせいでスリッパの痕に満ち黒ずんでいた。茜は教室を左に抜ける。右の方には小さなスリッパの痕が点々と続く。彼女はそれを頑なに見ようとし

なかった。

 

 

 

 それから木・金と美月は学校に来なかった。といっても、何か事件や事故に巻き込まれた訳ではない。単に涼香のドレス作りのための時間が必要だからだ。

 

 水曜日、帰宅してから茜のスマホにそう連絡があった。

 

「ごめんなさいね。美月の仕事を増やしてしまって」

 

 けれど連絡があったら寂しくない訳ではない。日に日に落ち込んでいく茜を励ますように、涼香は申し訳なさそうにそう言った。

 

「いやいや。むしろ美月の夢に近づく機会を与えてくれてありがとうって言わなきゃダメな立場だからね」

 

 涼香が悪い訳では全くない。努めて明るく彼女はそう答えた。だが、実際の所茜は美月の夢なんかどうでもよかった。そもそも彼女の夢がデザイナーなのかどうかすら、茜は聞いていないのだ。あくまでも、その夢は彼女の推測に過ぎない。

 

 だから茜には、美月の夢を応援する義務は存在しないのだ。

 

「ままならないなぁ」

 

 金曜日の夜。彼女はカーテンを開け、家の窓から外を覗く。雨はまだ降り続いていたが、対面にある美月が住む安原家は、はっきりと見えた。その二階の右側、美月の部屋はまだ明かりがついている。彼女の部屋には大きな机と製図のための定規やペンが並び、常軌を逸した大きさのクローゼットがある。

 

 その中には様々な服が並び、ファッション誌が山ほど積み込まれている。そこまで茜は知っている。好きな食べ物がプリンである事も、嫌いな食べ物がオクラである事も、彼女は知っている。

 

 それでも今現在、美月が何を考えているかを茜は知る事が出来なかった。

 

「はぁ」

 

 小さくため息を吐き、スマホをベッドの上に放り投げる。それはワンバウンドしてから兎のぬいぐるみの額にぶつかった。美月の可愛らしい部屋とは対照的に、彼女の部屋は酷く簡素だった。枕元に置かれた美月との2ショッ

トが入った写真立て。兎のぬいぐるみ。机の上には参考書や教科書。

 

 ごろりと彼女はベッドの上に五体を沈める。そして、放り投げたスマホを手に収めた。

 

『ごめん。明日から学校休む』

 

『どうかした?豊田に何か言われたの?』

 

『別に。ただ涼香の服、私が一から作る事になった。オーナーからの課題。それが出来たら、本格的に指導してもいいって』

 

『そうなんだ。頑張ってね!』

 

 美月とのトーク画面にはそう表示されていた。このやり取りをしたのが二日前の水曜日。茜はそれから度々連絡を送っているが、返信はない。元々、返信が速い方ではない美月だが、流石に一日以上空くのは初めてだった。

 

「ばか」

 

 電源を落とす。

 

 右側に表示されていた緑色の吹き出しで覆われた文字列。一方通行で延々と続くそれが、二人の距離。茜にはそう思えてならない。

 

 頭では分かっている。

 

 これは美月の夢への第一歩。それを恋人として応援すべきだと。でも、素直に応援出来ない自分がいた。「仕事と私どっちが大事なの?」という使い古された文言。面倒臭い女の代名詞のような言葉だ。しかし、実際その立場に置かれてみると、そのように言いたくなる気持ちが痛いほど分かる。

 

 今度こそスマホを放り投げて、ぬいぐるみを抱きしめる。それに顔を埋めて、小さく呟く。

 

「素直に言ってくれればいいのに」

 

 だから、結局茜はこういう結論に落ち着くのだ。素直に「デザイナーになりたい」と言ってくれれば、それが応援出来る。何も言ってくれない現状では何も出来ない。

 

 そして、好きな人のために何も出来ない事が茜はとても辛かった。

 好きだから何でも出来た。

 清との仲が不釣り合いだと言われても貫けた。

 家族と縁を切っても、清と一緒に生きたいと思った。

 それは全部好きだったからで、この世の何よりも清の事が大切だったからだ。

 

 

 なのに、今茜は何も出来ない。

 ならば、好きでいても何にもならないではないか。相手のためにならない恋情なんて、ただの思い込みで、迷惑でしかないじゃないか。

 

 茜はぎゅっと固く目を瞑る。

 

 好きは負担と表裏一体。人を好きでいる事は重荷を背負わせること。

 

「ばか」

 

 勉強机に置かれた目覚まし時計は、元気に真上を刺していた。煌々と美月の部屋には電気が灯る。

 

 茜の部屋は空っぽだ。彼女だけのものなんて、ほとんどない。美月から送られたネックレスは、机の上に放り投げられている。ベッドの上の見慣れたピンクの兎。もふもふの兎。暖かい兎は、美月に与えられた冷たさを癒す。

 

 けれど、その兎すら美月からプレゼントとして贈られたもので。

 

 本当に如月茜という人間には、安原美月という人間しか詰まっていないのだ。

 

 だからこそ、ここまで揺さぶられる。

 

 離れたいのに、離れられない。

 

 好きな所なんて失ってしまったのに、離れる勇気が出ない。

 嫌いと頭では思っていても、心の奥底ではどうしようもないほど大好きで。

 

「ほんとうにばか」

 

 美月へ勝手に清である事を期待した。変わらない事を望んだ。性別が変わってしまって、彼女がその性に引きずられてどんどん可愛くなり、茜はその変化に取り残された。

 

 彼女だけが昔のままだった。

 

 美月が女になった事は何の問題もなかった。

 

 彼女は彼女だ。愛した人だ。ただその変化が許せなかった。

 

性別の変化と、環境の変化によって齎された恋人の変化が、茜には許せなかった。

 

「でも、好き」

 

 自分で言って自分で恥ずかしくなり、火照った顔をぬいぐるみに埋める。もふもふだけど、目の辺りの縫いが甘くて少しちくちくする。それは美月が、初めて作ったぬいぐるみだからだ。美月自身の部屋にも沢山のぬいぐるみがある。カメやキツネ、猫に犬。けれど、彼女は初めて作った一番出来の悪い物を茜に渡した。

 

 きゅっとそれを抱きしめて、茜はリモコンで部屋の電気を落した。暗闇が室内を包む。枕に頭を預ける。枕カバーも美月の手作りだ。甘い香り。雨音がすっと彼女の耳元に囁いてくる。

 

 知らない事は多い。

 

 知りたい事も多い。

 

 嫌いな所がある。

 

 好きな所はない。

 

 でも、一緒にいる。

 

 心は好きだと叫んでいる。

 

 きっとそれが恋なのだと、どう足掻いても相手の事を思ってしまうのが『好き』という感情なのだと、茜はまどろみながらそんな事を思う。それに囚われ、その感情のない生活なんて考えられない。美月が好きじゃない私なんて、きっとそれはもう私じゃない。

 

 そんな感情に茜は繋がれている。

 

 ぽつんと軒先から雨粒が零れた。道を分かつ事の不安を胸に、それを癒すため彼女は深い眠りにつく。その腕の中には、やっぱり兎のぬいぐるみがいた。




 ここまでお読み頂きありがとうございます。
 本日の更新分はここで終わりです。
 小説は書き終わっているので随時更新していきます。
 もしよろしければ、ブクマと評価の方をして頂ければ幸いです。

 あとアニメ「アークナイツ」が映画のような画質なので、是非見てください。
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