転生したと思ったら婚約者(元男)が女の子になっていた件について   作:舞依夜

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動乱~序=

 美月が目を覚ました時、外はすっかり暗くなっていた。

 

「うぅん」

 

 寝ぼけ眼を擦り、枕元に置かれた時計を覗く。午後八時。そこにはそう示されていた。ただ、それは茜に別れを告げられた日の午後八時ではない。その翌日の午後八時である。その事に気づき、彼女は一つため息を吐く。

 

「また寝ちゃった」

 

 ここ一年ほど、美月は不眠症に悩まされていた。夜、一人でベッドに横たわっていると足元の方からぞわぞわと恐怖という名の黒い靄が這い上がって来るのだ。

 はっとして起き上がっても、そこには何もいない。

 

「あいつのせいだ」

 

 起きて早々、彼女は唇を噛みしめた。

 

 あの男。名前も年も知らない長身の男。奴が美月を苦しめていた。

 

「どうして私の事なんか好きになるんだ。どうして振ったのについてくるんだ」

 

 布団を被り直し、悲鳴を押し殺す。そして瞼を閉じた。

 

 どうせ眠れない。

 

 力尽きて眠るか、茜が近くにいないと眠れない。

 だから、学校でしか眠れない。

 

「あのストーカー野郎、一体どこまで私を壊せば気が済むんだ」

 

 もはや彼女には声を荒げ、布団を殴りつけるだけの力などない。ほんの二、三時間の睡眠に、ほとんど何も口にしていない体は、いつ死んでもおかしくないのだ。

 

 けれど、そんな状況下にあっても美月は動こうという気になれなかった。

 

 

 

 彼女が男に付き纏われ始めたのは今から五年ほど前、中学校二年の夏頃からだった。突然男は美月の前に現れ「君は僕の運命の人だ。結婚しよう!」と満面の笑みでほざいてきた。当然、美月は断った。素知らぬ顔をして「ごめん」と一刀両断した。

 

 だが、どこの世界にも頭のおかしい人間というのはいるもので、彼はそれに対して「これは神が僕に与えた試練か…… 。分かった!僕は君に毎日求婚し続けよう!」と謎に意気込み、去って行った。

 

 それから毎日、しつこいほどの求婚が始まったのだ。

 外に出れば「やあ、今日はいい天気だね」と微笑みかけられ、自宅に籠っていれば「愛してるよ」というラブレターがポストに投函される。初めは彼女も気にしていなかった。どうせすぐに諦める。今のは一過性のもので、長くても一週間ほどで終わるだろうと思っていた。

 

 しかしその予測は外れ、男は五年も彼女に付き纏っている。

 

「もう怯えて暮らすのは嫌だ」

 

 美月は残された力を振り絞り、自らの体を抱く。五年の間、彼女は一人で戦って来た。警察に相談しても実害がない以上動けないと言われ、両親は弟に夢中。あまりにも欲がなく何を考えているか分からない娘より、手間のか

かる三つ下の息子の方が可愛いのだろう。保育園時代に向けられていた愛情は、今となっては影も形もない。

 

 だから、彼女は今もこうして一人自室で項垂れている。

 

「あかね」

 

 唯一の拠り所。

 その名を呼ぶ。

 

 彼女は乞食のようにスマートフォンへ細い手を伸ばした。力を無くした彼女の腕は、小刻みに震えている。

 

「ううん」

 

 だが、美月は伸ばしかけた手を途中で下ろした。

 

「だめだ」

 

 ここで頼ってはいけない。そう決めたから。きっと茜に助けを求めれば、彼女は喜んで助けてくれるだろう。涙を流した自分の肩を抱いて「よく頑張ったね」とそう言ってくれるだろう。

 

 しかし、それはつまり『茜が好きな美月の喪失』を意味する。

 それは彼女にとって許容出来なかった。

 今の安原美月という人間は、弱い。

 

 肉体的にも精神的にも、前世の清には及ばない。寂しいと泣いた千代の体を強く抱きしめる事も、彼女を安心させるための一言も咄嗟に出てこない。

 美月は自分で自分が頼りがいがない事を自覚している。

 だからこそ、それを隠したい。

 

 茜には―― 好きな人には悟られたくない。

 今の自分に失望されたくない。

 そう思って隠して来た。ストーカーに怯える心を、必死に押し隠して来た。

 

「ふふふ」

 

 その結果、彼女の手元には何も残らなかった。美月は鼻で笑う。今までの苦労も、訴えも、何の意味もなかったのだ。

 

「あはは」

 

 ほろほろと乾き切った目から涙が零れ始める。もはや今の彼女には泣く事しか出来ない。そして、それすらも美月にとっては不思議だった。数え切れないほど泣き、ほとんど水分も取らずにいる。なのに体から水分を放出して

いる。

 

 最後の力を振り絞って、恐る恐る彼女は窓の方へ行き、カーテンを開けた。

 

「?」

 

 そこに広がった光景を見て、美月は思わず首を傾げる。視界を遮る電線に、そこへぶら下がる蝙蝠たち。暗闇の中、ぼんやりと道路を照らす街灯。明かりがついていない茜の部屋に、夜の街を疾駆する一匹の猫。

 

「いない…… 」

 

 本来なら何の変哲もない光景だ。だが、彼女に限ってはそうではなかった。

 

「あいつがいない!」

 

 五年間、深夜二時近くになっても突っ立ていたあの男がいない。思わず彼女は目を見開く。すっかり失っていた力が、再び全身を駆け巡る。

 

もしかしたら諦めてくれた?

 

 そんな淡い幻想が頭を貫く。しかし、美月はそんな幻想を妄想だと断じ、すぐに搔き消す。今までそう考えて裏切られた事が何度あった? どうせ、今日たまたま用事があっただけだ。

 それに、奴がいなくなった所でもう自分はまともに外を歩く事など出来やしない。

 

 心の中でそう呟いて、その事実に打ちひしがれる。もしかしたら一生このままかもしれない。茜との関係を修復する事も、外に出て何かを買う事も、もう出来ないのかもしれない。

 

 膝を抱いて丸まり、己の未来に想いを馳せる。

 

 中学校、男に出会う前に思い描いていた未来とは、全く違う現実。

 美月はもう一度外を見て男がいない事を確認し、カーテンを閉じる。そして、丸めた体を起こし、再びベッドの上に転がり込んだ。

 

「ピンポーン」

 

 そんな時、玄関チャイムが軽快な音を立てて鳴る。

 しかし、彼女は一切身じろぎしなかった。

 

 玄関の開く音、母親の声、階段を上る足音。連続的に鳴る音を、美月は無関心で聞いていた。だが、二階まで上り終えたと思しき足音は、彼女の部屋の前で止まる。僅かに体を動かす美月。彼女の眼前でドアが開く。と同時に、涼香が飛び込んできた。乱れた髪に荒い息の彼女に、思わず目を丸くする美月。

 

 しかし、本当に驚いたのは涼香の発した言葉だった。

 

「何してるの美月!茜がいなくなったのよ!」

 

「え?」

 

 

 美月は目を見開いた。

 




投稿遅れてすみません。忘れてました。およそ半分まで来たので、最後までお付き合いいただければ幸いです。
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