転生したと思ったら婚約者(元男)が女の子になっていた件について 作:舞依夜
ベッドの上に寝転がっていた彼女を見るや否や、涼香はその頬に平手打ちを食らわした。
「貴方、どうしてこんな所で転がってるの?」
「なに?」
突然叩かれたせいで、痛みと熱を持った頬を擦りながら美月は上目遣いで彼女を見上げる。
「茜が昨日の夜からずっと行方不明なのよ。貴方と会って、彼女が家に入っていくまでは私と一緒にいた。けれど、その後茜が外出してから行方不明なの」
イライラしたように歯を噛みしめながら、吐き捨てるように彼女は言う。
けれど、美月は涼香の話を信じられなかった。
「それ本当?」
「どうしてそんな嘘言う必要あるのよ!貴方、何か知ってるんでしょう? 早く言いなさい!」
「そんな事言われても…… 」
唾が飛んできそうな距離で叫ぶ涼香。それを前に、美月は必死に脳内を探る。だが、特に心当たりはない。
「別に心配しなくても大丈夫。単なる家出」
考えた末、特に思い当たる要因もなかった彼女は、いつものように淡々とそう返した。
「そう。分かったわ。貴方はそう思うのね」
呆れ果てたといった様子で、涼香は鼻を鳴らし、くるりと踵を返す。そして、去り際僅かに振り返り、
「貴方はこの後に及んでそう言ってごまかすのね。茜がいなくなっても、そうやって虚勢を張るのね」
そう口にした。
「は?」
美月はその言葉に眼を剥く。しかし、涼香は構わず言葉を続ける。
「私だって、高校生よ。それに茜の話を聞くに貴方達はもう三十年近く生きてる」
茜が前世の事を話したのか。言葉を聞いてすぐ、美月はそう考えた。だが、彼女の話の本質はそこにはない。
「だから家出なら心配なんかしないわ。なんなら、私の家に泊めてあげたっていい。ホテルに泊まるなら、少しくらいお金を出しても構わないわ」
聞けば聞くほど、一体何の話をしているのか美月には分からなくなる。彼女はぼやけた顔をして涼香を見る。それを見て、彼女は小さく舌打ちをして、忌まわしいものでも見るかのように顔を歪めた。
「茜はね、家出なんかじゃないわ。歩いている所を何者かに攫われたのよ」
涼香は美月を睨みつけ、そう言い放っ。
「だから私は貴方に聞いてる。茜の恋人だった貴方に聞いてるのよ。安原美月」
人差し指を突き付けられた彼女は、ごくりと息を呑んだ。
「犯人は身長が高く、若い男。心当たりがないとは言わせないわよ」
その言葉に、つい先ほど覗いた外を思い出す。ストーカーの男はそこにいなかった。それが嬉しくて、諦めてくれたのかと淡い希望を抱いた。
しかし、その希望は本当に淡いもので、現実は絶望となって帰って来る。
「うん。あるよ」
「最初から全部話しなさい最低彼女。体が女だったとしても、恋人のために全霊でもって望みなさい。そんなのは男であっても、女であっても当たり前の事よ」
「そうだね」
涼香の言葉に応えた彼女の頬には、涙などない。そんなものは自分のために流し尽くした。五年間で泣かなかった夜は二、三年くらいだろう。五年のうちの二、三年。短いようで、当人からしたらとても長い。泣かなかった夜も眠れずに、言いようのない不安を勉強で紛らわした。
涙はもう流れない。
水分を失った美月の体に、そんな余裕などない。
だが、そのおかげで彼女は涼香の瞳を正面から見つめる事が出来た。
「私は茜が好き。振られちゃっても、それでも好き」
一息で、胸の前で両手を組みながら美月は呟く。
「そんな事知ってるわ。いいから早く話しなさい」
突如、告白を始めた彼女に涼香は呆れ、ため息を吐いた。その反応に美月
は苦笑して、
「始まりは中学二年の時――」
茜の理想を演じるために、強い自分を演出するために、隠し通して来た恐怖を。茜の理想を演じるために、強い 自分を演出するために、隠し通して来た恐怖を。茜が知ったら失望されるかもしれない。
涼香が聞いたら軽蔑するかもしれない。
茜が誘拐されたという話を聞いても、そんな不安は消えない。それは仕方ない。美月は男だ。いや、男であろうとした人間だ。
旧時代の『強く頼りになる男』であろうとした、弱い女の子だ。端からどう見えていようと、茜に対してだけはそうありたかった。
けれど、そんな事よりも大事な事がある。
恋は相手がいないと出来ない。一人では出来ない。恋情を抱くというのは、一種の奇跡だ。恋する事は難しい。人を好きになるのは、大変だ。
美月は今までの日々を思い返し、そんな風に考える。
苦しんでいる事を言えない。
好きだから、好かれたい。相手の理想の自分を、実現したい。
美月は涼香に話しながら、そんな事を考えていた。
「五年間、ストーカーされてて、多分今回茜を攫ったのもそいつだと思う」
一通り概要を話し終わり、彼女はそう締めくくった。
「でも、どうして今更になって茜を襲うの?」
「それは―― 先週の木曜日の帰り際に、私が本気で彼を拒絶したからだと思う」
首を傾げた涼香に、美月はそう答えた。しかし、それでも彼女は納得しなかったようで「今まで散々断って来たのに、本気で拒絶したくらいで離れるようなものなの?」と聞いてくる。
「河川敷を歩いてたら、突然あの男が私に抱き着いてきて『どうして受け入てくれないんだ!』って言ってきた。襲われそうになって―― だから、私には好きな人がいるって言ったの」
それを聞いて、涼香は合点がいったというように、ぽんと手を叩いた。
「なるほど、大体読めて来たわ。それが理由で、貴方は外に出られなくなったのね。そしてストーカーは何を勘違いしたのか、茜がいなくなれば美月と付き合えるという発想に至ったと」
「そうかは知らないけど」
独自の推理を展開し始めた彼女に、眉を寄せる美月。
「とにかく、そのストーカーが犯人と見て、間違いなさそうね」
「うん」
「どこかそいつが行きそうな所に心当たりとかある?」
「ない」
「そうよね」
「じゃあ、手当たり次第探すしかないわね」
「私も行く」
「貴方が行かなくて、誰が行くのよ。警察も動いてくれてるし、皆で探せばきっと見つかるわ」
警察と聞いて、僅かに美月の顔が歪む。それは彼女を助けてくれなかった場所だ。
「警察なんかに頼らない。私は自分で茜を見つける」
そう言い放った美月に、涼香は苦笑して頷いた。
「その意気よ」
およそ一週間ぶりに外へ出た美月。そんな彼女を出迎えたのは、深い闇だった。夜九時、辺りは既に暗くなり、街灯と煌々と輝く月のみが世界を照らしている。
「私は右の方、河川敷を探す」
「分かったわ。私は学校の方を見る」
二人はそれだけ言って、夜の街に繰り出した。
ただ走る。
一つの目的のために、美月は走り続ける。ほとんど何も口にしていないせいで、体は悲鳴を上げていた。駆け落ちした日のように、もう一人の腕を引っ張るだけの力は、彼女にない。だが、あの日と違って逃げるためではなく、追いかけるために美月は必死に走る。