それは夏の暑さも少し和らいだ日に舞い込んだ。
「演習?」
「はい。えっとぉ、横須賀鎮守府からの申し入れですね」
執務室で、愛宕は数枚の書類を提督の机に置く。
内容は、2週間後に演習を行いたい旨の手紙と、演習相手となる艦娘の情報であった。
「相手は横須賀鎮守府第三艦隊……提督は、一二三大佐か」
「あのキス島撤退作戦の? お知り合いなんですか?」
「同期だ」
海軍兵学校時代から、一二三大佐の話はよく聞いていた。
女性ながらも非常に優秀で、卒業も次席という快挙。
卒業してからも、深海棲艦に攻略されかけていたキス島から現地住民と陸軍兵士を救出するという離れ業をやってのけ、とんとん拍子に出世していった。
だが彼女を知る者は、一二三大佐に成績優秀な優等生というイメージは決して持たない。
「女性で大佐ですか。キス島の功績があったとしても、優秀な方なんですねぇ」
「いや、変態だ」
「変態?」
愛宕は目を瞬かせて、頭の上に「?」マークを浮かべている。
言いたいことは分かる。二十歳の中頃で大佐。経歴だけ聞けば、非の打ちどころの無い優秀な軍人に思えるだろう。少なくとも、変態という単語は相応しくない。
「会えばわかる。それよりこの演習の件だが……」
「どうしますか?」
「愛宕。君の意見は?」
判断の基準とするため、八神大佐は愛宕に意見を求めた。
「ん~そうですねぇ……」
愛宕は暫く考え、口を開く。
「受けてもいいと思いますよぉ? 練度向上にもなりますし、相手の第三艦隊の編成ならこちらにも勝機があります」
横須賀鎮守府第三艦隊の編成は、合計で六隻。戦艦と空母が混じっているが、他は駆逐艦という編成だ。
上手くすれば、勝てない相手ではない。
「それに此処しばらくは実戦もありませんでしたから、鈍った身体をほぐすにも丁度いいでしょう」
「そうだな。受けてみるか」
正直演習はともかくとしても、一二三大佐に会うのはあまり気が進まない。
だがそんな個人的な感情を抜きにしても、この演習は受けるべきだ。個々の練度の向上にもなるし、艦隊戦の練度を積むのはこの先の戦いを考えても必須と言える。
「それにしても、相手の練度は中々高いな」
「そうですねぇ。情報ではかなりの戦果を上げているようですし。特に、赤城、加賀の正規空母艦娘は横須賀の主力と言っても過言ではないようです」
「正規空母か」
この単冠湾にも空母鳳翔がいるが、軽空母と正規空母では能力に天と地ほどの差がある。
「そういえばぁ、鳳翔さんって昔横須賀にいたはずですよ。色々と話を聞けるんじゃないですか?」
経歴上では鳳翔は四年前、横須賀の第一艦隊に所属していたことがある。
話を聞けば、演習相手の艦娘の事も少しは分かるかもしれない。
「では愛宕。鳳翔さんを呼んでくれるか?」
「無理です」
真剣な顔で、即座に愛宕は返した。
「……理由を聞こうか」
まさか自分で呼びに行けということではあるまい。秘書艦なのだから、それぐらいの仕事は義務だ。
「お昼時だからです」
「そうだな。もう11時だ。それと何の関係が?」
「お昼時の厨房は戦場ですので、鳳翔さんをこの執務室に呼ぶことはできませ~ん」
にっこりと笑い、愛宕は言った。
「俺は提督で、お前たちの上官なんだが?」
「でもぉ、これで昼食が遅れると他の艦娘から非難の声が上がりますよ? もちろん私も文句を言います」
実に説得力のある発言であった。
鳳翔が作る美味しい食事の時間が遅れるとなれば、暴動にも発展しかねない。
「わかった。自分で行こう」
ため息を一つ、八神大佐は席から立った。
「それじゃあ私は横須賀の方に演習を受ける旨、伝えておきますね」
「ああ。頼んだ」
執務室を出た八神大佐は、その足で食堂の方へと向かう。
食堂の厨房では、割烹着を着た鳳翔が一人忙しそうに調理をしていた。
なるほど。呼び出すのは無理と言う愛宕の言葉は正しいようだ。
「鳳翔さん、今いいかな?」
「あら、提督。どうされたんですか?」
「いや、いいんだ。そのまま続けてくれ」
手を止めようとする鳳翔を、八神大佐は制する。
「では、このまま失礼しますね。どうかなされたんですか?」
魚を捌きながら、鳳翔は言う。
「君は昔、横須賀に所属していたことがあるだろ? 今度横須賀と演習をすることになって、横須賀を知っている君の話を聞きたいんだ」
「あらあらまあまあ。懐かしいですね、横須賀ですか」
「演習の相手は長門、白露、夕立、村雨、赤城、加賀だ」
「赤城さんと加賀さんは知っています。私の教え子です」
「その二人の実力はどうだったんだ?」
「凄いの一言です。操れる艦載機の数は私とは桁違いです」
惜しみない賛辞である。鳳翔よりも遥かに格上だと考えて間違いないだろう。
「ところで、艦載機を操るという表現がよく解らないんだが」
艦載機に限らず、航空機というのは人間が乗り込んで操るものである。
しかし八神大佐はこの泊地で、鳳翔が操る艦載機の搭乗員を見たことがない。
「そもそも、どうやって艦載機を出しているのかも解らない」
「ご説明しましょうか?」
「頼む」
「はい」
鳳翔は頷き、空母についての説明を始める。
空母が持っている弓と矢。実はこれ自体は特別なものではない。
「あの艦載機は、何と言いましょうか。私たちの思念が実体化したものなんです」
「思念が実体化?」
つまり、思いを形にするということだろうか?
「と言っても、なんでも実体化できるわけじゃないんです。例えば……」
鳳翔は手元にあったリンゴを持つ。
「リンゴをどんなに頭で思い浮かべようと、リンゴを実体化させることはできません」
「だが艦載機なら可能だと?」
「条件があります。それが弓を飛ばすことです」
飛ばすべき艦載機を明確に思い描き、そのイメージを矢に載せ、射る。すると矢は艦載機の姿となり、射手の自由に動かせる。
「ですけど、操れる機数にも限度があります」
鳳翔は両の手を突き出す。
「提督、私と同じようにしてください」
「こうか?」
言われた通り、提督は掌を開いて、鳳翔に見せる。
「では人差し指を下げて下さい」
「こうか?」
「では次に小指を下げて」
鳳翔は矢継ぎ早に指示を出す。
その次は人差し指を上げて、親指を下げる。そのうちに二本の指を同時に上げ下げされることも要求される。
「これは……難しいな」
最初のうちは易々とこなせていた八神大佐であったが、時間が経つにつれて頭の指令と指の動きが合わなくなってくる。
「戦闘では、これより遥かに複雑な動きを艦載機にさせることになります。私はあまり才能がなかったので、四十二機しか操れません」
「それだけ操れて、才能がないのか?」
先ほどの指運動で、同時に複数の操作をする難しさを味わっただけに、鳳翔の言葉はにわかには信じがたい。
「他の軽空母は皆私よりも操れる数は多いですよ。それに赤城さんと加賀さんは、私の倍以上の艦載機を操ります」
「倍、か……」
絶望的な数字だ。
それはつまり、戦局を左右する制空権が相手の手中にあるということだ。
「さあ、お昼ご飯ができましたよ」
悲観的な顔をしている八神大佐に比べて、鳳翔は涼しい顔をして出来たての海鮮丼を配膳していく。
その表情や立ち振る舞いからは、一切の不安が見受けられない。
勝負を最初から諦めているのだろうか?
無理もない。戦力差は絶望的だ。
「鳳翔さん……」
「はい?」
「いえ。なんでもありません」
下手な慰めなど言えなかった。
単冠湾に、空母は鳳翔ただ一人。確実に負ける航空戦に赴く彼女の心中は、暗く沈んだものに違いない。それを悟らせないように、明るく振る舞っているのだろう。
提督である自分の勤めは、鳳翔の思いをくみ取ることと、演習を勝利に導く策を考えることだ。
・ ・ ・ ・ ・ ・
二週間が経ち、一二三大佐との演習の日となった。
この二週間、単冠湾の艦娘達は演習に向けて練度を高めていた。艦隊運動、艦砲射撃、対空防御。
島風の動きにやや不安が残るが、以前に比べれば格段の進歩と言える。
万全の態勢、とまではいかないが、それでも恥をかかないだけの準備は整えた。後は相手が来るのを待つだけ。
単冠湾の艦娘一同と八神大佐は、横須賀鎮守府の艦娘と提督が来るのを港で待っていた。
「ねーねー! ここの飾りつけこんな感じでいいの?」
港には大きな横断幕が設置され、『ようこそ! 単冠湾へ!』と書かれている。『ようこそ!』の部分はとても丁寧な字で、『単冠湾へ!』の部分は急いで書いたのか下手くそな字であった。
横断幕の上の方には大きな久寿玉が待機している。
「愛宕。俺はお前になんて言ったかな?」
「はい? えっとぉ、横須賀の人を迎える準備をしておけって言われましたので」
その結果が、この有様らしい。
「確かにこれは公の行事ではない。華々しい式典などは必要ないが……」
「ねーねー提督! これね、私と潮が作ったんだよ! 凄いでしょ!」
「え、えっと……あの……がんばりました」
どちらがどの字を書いたかは一目瞭然である。字は書いた人の性格が出ると言うが、それは正しいらしい。
「申し訳ありません提督。愛宕がどうしてもと強硬したもので……」
妹の蛮行を食い止められなかった罪悪感からか、高雄は申し訳なさそうに頭を下げる。
「いや、君は何も悪くない」
「あらあら。いいじゃないですか。子供達が頑張って書いたのですから、先方も笑って許してくださいますよ」
「……そうかもしれんな」
たしかに、あの一二三大佐ならば笑って許すだろう。それどころか、駆逐艦の子供が書いたと知れば泣いて喜ぶかもしれない。
「提督。来たみたいですよぉ」
「来たか」
と言っても、人間である八神大佐では、まだその姿を視認することはできない。
八神大佐は所持していた双眼鏡をのぞき込む。
水平線の向こうから、大型客船が一隻と、護衛のための軍艦が2隻向かってくるのが見えた。
「しかし不思議なものだな。海から来ると言うから、てっきり艦娘は自力で航行するものかと思ったんだが」
『艦』娘の名に恥じず、航行速度、航続距離、通常の軍艦と比べてなんら遜色はない。
横須賀からこの単冠湾までは距離があるが、それでも軍艦と同じ能力を有する艦娘ならば自力で航行もできるはずだ。
「もぉ~提督ったら無茶言うのねぇ~」
苦笑しながら、愛宕は言う。
「私達艦娘だって疲れるんですよ。お腹だって減るんです。危険な海域でもない限りは、身体を休めておくのは当然じゃないですか」
なるほど。言われてみればその通りだ。
艦と同じ能力を持っていようと、艦娘には心がある。精神がある。
物言わぬ機械とは違い、疲労すれば精神は摩耗していく。そして精神の摩耗は、あらゆる能力の低下に繋がる。
「愚問だったな。君達は機械じゃない」
少しずつ、水平線の彼方に浮かぶ影が大きくなってくる。
「さあ、敬礼だ! 横須賀からの猛者を出迎えるぞ!」
「「はい!」」
一同整列し、背筋を伸ばし、綺麗な敬礼をする。
大型客船と護衛艦2隻が港に接岸し、舷梯が下ろされた。
まず下船してきたのは、腰まである長い黒髪と切れ長の目つきが印象的な長身の女性であった。露出度の高い服装の下には、引き締まった肉体が自己主張をしている。
その次に下船してきたのは、赤と青の和服に身を包んだ女性。髪をサイドテールにした青い服の女性は、凛々しい視線で単冠湾の面々を睥睨する。対して長髪の赤い服の女性は、にこやかに笑いながら軽く手を振ってくれる。
続いて下船してきたのは、快活そうな少女が二人。ボブカットの少女と、ツインテールの少女。
五人の女性は地に足をつけると、単冠湾の面々に答礼する。そして客船に向けて、敬礼。
その敬礼に応えるように降りてきたのは、白い軍服に身を包んだ長髪の女性。一見すると美男子と間違えそうになるほど、男装の麗人と言う言葉がよく似合う。
陸地を踏んだ男装の麗人は、その右手を八神大佐の方へと差し出す。
「やぁ、お久しぶり八神君。今は大佐だったかしら?」
「そっちも壮健そうで何よりだ。一二三大佐の活躍はよく聞いているよ」
差し出された右手に八神大佐は応じ、旧友である竹内一二三大佐と固い握手を交わす。
「そこの五名が、君の艦隊の?」
「ええ、そうよ。私の第三艦隊の精鋭。みんな、自己紹介して」
一二三大佐の声に、まずは長身の女性が一歩前に出た。
「横須賀鎮守府第三艦隊の旗艦、長門だ! よろしく頼むぞ」
続いて赤い和服の女性と、
「正規空母の赤城です。横須賀の空母機動部隊の中核を任されています」
青い和服の女性が出てきた。
「正規空母、加賀です」
服の色と同じく、性格の方も極端に違うらしい。
赤城は穏やかな雰囲気を纏い、逆に加賀の方は何者も寄せ付けない冷たい空気を纏っている。
「白露です! 白露型駆逐艦の一番艦です!」
「白露型駆逐艦、村雨だよ。よろしくね!」
最後に、ボブカットの少女白露と、ツインテールの少女村雨が出てきた。
「ではこちらの艦娘を紹介しましょう。まずは、秘書の愛宕。重巡洋艦です」
「よろしくおねがいしますねぇ~」
「重巡洋艦の、高雄。軽空母の鳳翔です」
二人は軽く会釈をする。
ここまでは、特に問題もなかった。だが問題があるとすれば次だ。八神大佐の性癖が変わっていないとすれば、次が問題だ。
「駆逐艦の潮、島風です」
「可愛いー!」
一足飛びに、一二三大佐は二人の駆逐艦に抱きついた。
「ひぃ!?」
「おぅ!?」
「あーもう! 本当に可愛い!」
同性という武器を最大限利用し、一二三大佐は二人の身体を存分に堪能する。
島風の剥き出しの腹を触り、潮の胸を無遠慮にこねくり回す。
「やだー! この人嫌いー!」
「や、やめてください……」
島風は手足をバタつかせて抵抗し、潮は身を縮こまらせて涙目で耐える。
単冠湾の面々は、この異常事態に身体と頭が動かなかった。一方で横須賀の面々は慣れているのか、「またか」と苦笑いを浮かべている。
「そこまでだ! 横須賀の名をこれ以上汚すな!」
「ぐっ!?」
長門が一二三大佐の襟首を引っ掴み、誰も止められなかった精神的レイプ事件を止める。
「一二三大佐。今度このようなことをしたら憲兵に突き出すからな! 私が元帥閣下からその権限を与えられているのをお忘れなく」
「ご、ごめんなさい……」
獅子のごとき一喝に、一二三大佐はあっと言う間に大人しくなる。
艦娘は人間としての権利は一切無く、それゆえに軍部内での地位や権限も無い。だが軍の上層部が認めれば、艦娘に一定の地位と権限を与えることもできる。
「すまない。長門、だったかな? 元帥閣下というのは」
「はい。横須賀鎮守府総司令官、山本磯六閣下です」
皇国海軍に三人しかいない、元帥の称号を持つ内の一人。
齢五十を超えてなお壮健な、皇国海軍の象徴と言っても過言ではない人物だ。
「一二三大佐! 無礼をお詫びしてください!」
「はい! あの、さきほどはつい魔が差して……これも全部駆逐艦の娘達が可愛すぎるのが悪いんです。だってあんなに可愛かったら抱きつきたくなるでしょう?」
「まるで反省していないじゃないですか!」
「あ、そうじゃなくて! えー……突然無遠慮に抱きついたりして申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる一二三大佐。
「本当に申し訳ない。性格的に非常に難は有るが、悪気があるわけではないんだ。どうか、許してやってほしい。二度目があれば私が絶対に容赦はしない」
「いや、私はいいんだが……島風、潮、お前達も、問題はないな?」
「二度と近づかないでよね!」
「あ、はい……」
島風は歯をむき出しにして全力で敵意をアピールし、潮は状況に流されるままに首を縦に振る。
「あのぉ、提督。この人、本当に凄い人なんですか?」
愛宕がひそひそと耳打ちしてくる。
その疑問はもっともだ。この醜態だけ見れば、変質者と何ら変わりない。
「能力だけは、一級品だ」
苦々しく、八神大佐は言った。
それ相応の能力があるからこそ、一二三大佐はこの地位についているのだ。皇国海軍は変質者を大佐にするほど、無能ではない。
「ところで、一二三大佐。書類ではそちらは六隻での編成のはずだが?」
八神大佐は目の前の横須賀の艦娘を数えるが、やはり五隻しかいない。
夕立という艦娘の姿が見えない。
「うん……あの子、夕立ちゃんは少し特殊でね」
一二三大佐は言い淀み、横須賀の面々も困り顔になる。
「すまないが、あの子の紹介はまた後ほどさせてもらうよ」
「それは構わないが。その夕立という艦娘、調子でも悪いのか?」
「いや、その逆だよ」
一二三大佐は乗艦してきた客船を見て、困ったように頭を掻いた。
「調子が良すぎるんだよ」