早朝の単冠湾泊地の港。
単冠湾と横須賀の面々の前で、八神大佐が演習の説明を行っていた。
「では、演習の説明をする。島の両端にそれぞれ艦娘輸送艇を配置し、ヒトサンマルマルを持って演習開始とする」
艦娘輸送艇。文字通り、洋上での艦娘の輸送を行う前線基地とも言える船だ。
洋上を単身で移動できる艦娘には不要な艦に思えるが、そうではない。
艦娘は軍艦に等しい能力を持っているが、それはあくまで戦闘能力の話だ。どんなに優れた力を持とうとも、一個の生命体である限り限界はある。
食事、睡眠、休憩、排泄、装備の点検、それらに伴う様々な物資の積み込み。通常ならば艦内で出来ることが、艦娘単体では不可能なのだ。
そのため艦娘を使った作戦では、作戦海域の近くまでは艦娘輸送艇で移動し、そこから艦娘が出撃するという方法を取るのが基本となっている。
「勝敗は相手の艦娘を全員大破させれば勝利、または相手の輸送艇に撃沈判定が出れば勝利とする。制限時間を過ぎても両鎮守府の艦娘が健在なら、その時点で優勢な方が勝者となる。以上だが、何か質問は?」
八神大佐は居並ぶ艦娘の顔を見るが、ほぼ全員が理解できているようだった。
島風だけは「つまりどういうこと?」と隣の愛宕に聞いていたが、愛宕の「相手を全員やっつけちゃえばいいのよぉ」という答えに納得しているようなのでよしとしよう。
「質問がないようなら解散」
八神大佐の一声で、横須賀の面々は停泊してある輸送艇に乗り込んでいった。既に機関に火は入っていたので、輸送艇は即座に動き出す。
「よし。では我々も乗り込むぞ」
八神大佐も艦娘を率いて、単冠湾の艦娘輸送艇に乗り込む。単冠湾の船も、すぐに抜錨が可能な状態だ。
輸送艇はそれほど大きな船ではない。兵装も機関砲が一基装備されているだけだ。輸送艇は戦闘能力よりも、航続距離と、居住性、速度に重点が置かれてた設計をされている。なにしろ艦娘という最強の武装を背負っているのだから、主砲のように強力な武装を装備する必要がないのだ。
「高雄、作戦を立てるので指令室に来てくれ。他の者は待機しておくように」
「そんな、提督……作戦を立てるのに、秘書の私は必要じゃないのぉ? もう私には飽きちゃったの?」
「ご、誤解を招くようなことを言うな!」
たしかに愛宕は提督の執務の補佐をする秘書艦という立場にあるが、艦隊の旗艦はあくまでも高雄だ。
艦隊の運用に関しては、現場で指揮をする立場にある高雄と相談する必要がある。
「うふふ、わかってますよ~。提督ったら、顔を赤くしちゃって可愛い」
「愛宕! 提督になんて口を聞くの! 貴女がそうでは、駆逐艦の子に示しがつかないでしょ!」
「あらぁ、ごめんなさ~い」
高雄の小言を、愛宕は涼しい顔で受け流していく。そんな愛宕の態度に、高雄の小言にますます熱が入る。
「……では高雄、作戦司令室に行くぞ」
「あ、はい」
このままでは埒が明かないと判断した八神大佐は、強引に話を終わらせる。
「愛宕、後の事は任せた」
「は~い」
手を振る愛宕を背に、八神大佐と高雄は作戦司令室へと向かって行った。
「さ~てと。これからどうしましょうか?」
いつもならここで「あたし船の中探検したい!」と島風が騒ぐ頃なのだが、今日はそうならない。なぜならその島風は、とても不機嫌そうな顔で頬を膨らませていたからだ。
「あらぁ、島風ちゃんはご機嫌斜めですね」
「だって……」
どこか歯切れの悪い物言い。普段の島風からは考えられないことだ。
「あ、あの。島風ちゃん、昨日夕立ちゃんに負けちゃったのを気にしてて……」
「負けてないもん! 不意打ちだったし!」
涙目で地団駄を踏んで悔しがる島風。
その姿に愛宕も潮も苦笑するしかなかったが、鳳翔だけは違った。しゃがんで島風と目線を合わせると、厳しい顔と声で言った。
「島風ちゃん。負けは負けよ?」
「でも……」
「でも、じゃないわ。いい? 戦場では、何をしてもいいの。不意打ちされて負けたのなら、それは不意打ちを見抜けなかった島風ちゃんが悪いの」
「でも戦うなんて言ってなかったもん!」
「言ったでしょう? 不意打ちされる方が悪いのよ」
「うぅ……」
鳳翔は一貫して厳しい態度を取り、優しい言葉の一つもかけなかった。これ以上駄々をこねても無駄だと悟ったのか、島風は口をつぐむ。
「もういいよ! 潮、行こ!」
「え、あ、ま、待って」
島風は潮の手を引っ張って、その場から逃げ出してしまった。
「ちょっと意外です。鳳翔さんなら、優しく慰めるものかと思ったんですけど」
事実、鳳翔は甘い。訓練などでも、決して怒鳴ったり、厳しい態度はとらない。島風や潮がどれだけミスをしようと、終始笑顔で優しく指導をする。
「訓練ならそうしますが、実戦は命の取り合いです。島風ちゃんには今のうちに、考えを改めてもらいたいんです」
「そういえばぁ、島風ちゃんってまだ実戦は未経験でしたね」
「ですがいつまでもそうとは限りません。戦局は膠着状態……いえ、一部地域では負けています。未熟な艦娘でも、前線に送られる日は遠くないでしょう」
艦娘は深海棲艦と戦える力を持っている。一対一、百対百の戦いなら、この戦争は艦娘の勝利に終わるだろう。
だが深海棲艦には、極少数だが艦娘よりも遥かに強大な力を持つ者もいる。それに加えて、無限とも思える膨大な数で海を支配している。対する艦娘は、二百程度の人員。戦術的な勝利を得ることはできても、戦力的な勝利を得ることは難しいのが現状だ。
戦線は月日を重ねるごとに縮小していき、近年では日本本土とその近海を守るだけで精一杯という状況になっている。
「新聞じゃ、私達艦娘は連戦連勝なんですけどねぇ~」
「ふふ。このままだと、私たちは一度も敗北しないまま深海棲艦に滅ぼされてしまうのかもしれませんね」
大本営は事実を発表している。局所的な勝利も、戦局が悪いことも包み隠さず。
しかしマスメディアは都合のいい部分だけを抜き出して戦局有利の記事を書き、国民の戦意を煽っていく。現実逃避をしているだけなのか、それとも別の意味があるのか、鳳翔にも愛宕にも解らなかった。
「それで鳳翔さん、今日の演習に勝算はあるのかしらぁ?」
「制空権を取ることは無理ですね」
鳳翔は断言した。
「あらぁ……歴戦の空母である鳳翔さんがそういうなんて、驚きです」
「一対一ならなんとかできるかもしれませんけど、相手は二人ですしね」
「じゃあ、制空権はあっちのものですか」
愛宕の心中に暗雲が広がる。制空権を取られた状態での戦いなど、負けが確定しているようなものだ。
航空機によるアウトレンジからの攻撃はもちろん、索敵でも大きな溝を開けられる。これでどうやって勝てと言うのか。
「あら、私は制空権を相手に渡すつもりはありませんよ?」
「……はい?」
聞き間違いではない。鳳翔は確かに、制空権を相手に渡さないと言った。
「どうやってですかぁ?」
「後のお楽しみです」
悪戯っ子のように、鳳翔は微笑んだ。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「うー……!」
島風は唸りながら艦内をあてもなく歩いていた。その後ろを、おどおどと潮がついてくる。
「し、島風ちゃん。もう戻ろう? 待機中だよ?」
「やだ! 潮は悔しくないの? あんな卑怯なヤツに負けたのに!」
「で、でも……負けは負けだし」
「潮までそんなこと言うの!?」
「あぅ……だ、だって……でも……」
気が弱く頼りない印象の潮だが、幾度も実戦を潜り抜けているからこそ分かっているのだ。鳳翔が言ったことが正しいと。
そして島風も、本心では自分が間違っているということに気付いている。癇癪を起すのも、負けは負けだと認めている心と負けを認められない子供の心が争っているからだ。
暫くの間、涙目の潮とむくれる島風は無言で対峙する。
「ふん。次、勝てばいいんでしょ」
先に折れたのは、島風だった。
島風は潮から目を背けて、呟く。どうやら負けを認める心が勝ったようだ。
「う、うん! 頑張ろう!」
とても嬉しそうに、潮は言った。
「……ところでさ、潮。この艦って他の人いないの?」
「他の人?」
「だってさっきから誰にも会わないからさ」
島風が言うのは、提督と艦娘以外の乗務員ということだ。
通常であれば、軍艦というのは二百名以上の大人数が乗り込み運用するものである。しかし艦娘輸送艇は船体自体が小さく動員される人数も少ない。本来なら人員が大幅に必要になる兵装も機関砲が一基だけで、しかも艦内から一人で操作できる。
必要なのは機関部の人員と、輸送艇を操縦する人員、ダメージコントロール要員、提督の作戦立案を補佐する参謀となる艦娘を補佐する人員だけだ。
艦娘輸送艇を運用する際に必要となる人員は、百名にも満たない。
「ほとんどの人が機関部と指令室にいるから、会わないだけだとおもうよ?」
「ふ~ん。そっか~」
ニヤリ、と島風は笑った。
「ねぇ、艤装ってどこにあるの?」
「兵器庫にあるはずだけど……あ、あの、島風ちゃん。変なこと考えてない?」
「変なことって?」
「例えば……勝手に出撃して、夕立さんと戦うとか」
「……」
島風の顔が強張り、目が泳いで潮から逃げた。
「や、やっぱりそんなこと考えてるの!?」
「潮! みんなには黙っててね!」
「え、あ、ま、待って!」
島風は潮を一人残して、駆け出して行ってしまった。
残された潮はおろおろしながら、島風の後を追うか、それとも先に報告すべきかを迷ってしまった。迷った時間は数秒だったが、快足の島風はあっという間に潮の前から姿を消してしまう。
「た、高雄さーん!」
潮は急いで指令室に向かった。島風の後を追ったとしても、出撃を止める自信が潮にはなかったからだ。
・ ・ ・ ・ ・ ・
兵器庫の扉は、観音開きになっており、強固な南京錠で厳重に鍵が掛けられていた。
「ふんっ!」
島風は南京錠を両手で握ると、渾身の力を込める。すると南京錠はまるで飴細工のように、島風の手の中でボロボロに崩れてしまった。
壊れた南京錠を放り投げ、島風は兵器庫に入る。そこには所狭しと様々な兵器が収められていた。
「ん~と、私の艤装は……あったあった」
島風は自分の艤装を手に取り、手慣れた手つきで装備していく。背面に五連装酸素魚雷の発射管を背負い、足に水上推進器を装備する。
水上推進器は、簡単に言うならば『水の上を自由に動ける靴』とでも言うべきものだ。これを装備すれば水面に立て、自由に動き回れるようになる。艦娘にとって、最も重要な装備の一つであると言える。
「行くよ、連装砲ちゃん!」
島風の声に、三つの影が蠢く。それは円筒形の胴体に魚のヒレのような細長い手足がついた。まるでお菓子の箱のような四角い頭には、砲塔が二つ付いており、つぶらな瞳に主である島風の姿が映し出されていた。
「何よ? なにか文句でもあるの?」
連装砲ちゃん達は小さな手足をパタパタと動かし、島風の行く手をなんとか遮ろうとしていた。
「え? 命令は出てない? いいの! 連装砲ちゃん達は私の言うこときいてれば!」
子どものように癇癪を起こして大声を上げると、連装砲ちゃん達は「しょうがない……」といった顔で島風の後ろについていった。
「えーと、ハッチの操作盤は……あ、これか」
島風は操作盤を触る。
プシュ、と空気の抜ける音がして、扉がスライドする。
「よし、行くぞー!」
扉の奥は、小さな個室だった。奥行だけは数メートルと長いが、横幅は両手を伸ばせば届いてしまう狭さだ。
部屋の床には二本の溝があり、島風はそこに足に装備した水上推進器をセットする。
全面の壁がまるで魚の口のように上下に開いていく。
その次の瞬間、島風の身体は凄まじい勢いで前方の海へと押し出され、海面は艦娘を祝福するかのように飛沫を上げた。