「では提督、こちらの書類にサインを」
「ああ」
「それが終わりましたら、こちらの書類に目を通してください」
八神大佐が単冠湾泊地に着任した翌日。
膨大な数の書類に目を通し、ひたすらにサインをしていく。
備品発注、艦娘の装備開発の許可、資材の備蓄量、近海の警備状況。その他にも様々な事案がある。
「しかし、ここ最近は平和なようだな」
深海棲艦も、ロシア帝国も、ここ数か月はまるで姿を見せていないようだ。
これでは戦功を立てるどころか、永久にこの僻地で燻る未来しか見えない。
「そうですね。ですが、ロシア帝国に関しては深海棲艦の侵攻でそれどころではない、というのが実情でしょうが」
深海棲艦はその力で海上を支配しており、特に日本のような海洋国家は大きな打撃を受けている。
ロシアは海洋国家というわけではないが、それでも深海棲艦の脅威と無縁ではない。深海棲艦は陸地を浸食していき、海に変えるという能力を持っている。
陸に住む生物にとっては、悪夢というべき能力だ。
「自国を守るので精一杯というところか」
深海棲艦の厄介な所は、その身体の周囲に張られている特殊な力場だ。これにより、深海棲艦は人類の持つ兵器に対して驚異的なまでの耐久力を有する。
だがその力場は決して万能というわけではない。特に陸地から近い海域に出現する駆逐艦や軽巡洋艦級の深海棲艦はその力場も弱く、辛うじて通常兵器による撃退が可能となっている。
もっとも、戦艦級になると完全に人類の手には負えなくなるが、幸運なことにそれほどの大物が近海に出現したことは一度もない。
「下手をすると、救援要請でもくるかな?」
「可能性はありますが、低いと思われます。我が国に宣戦布告をしている手前もありますし」
もっとも救援要請が来ても、日本を守るだけで精一杯の現状では応じられるかどうかは疑問だ。
「そういえば、今日は午後から艦娘の海上演習があったな」
「はい。提督着任を記念しての、観艦式を兼ねています」
「なるほど。楽しみにさせてもらおう」
八神大佐は机の上の書類を取る。そこには単冠湾泊地に在籍している艦娘のデータが記されていた。
重巡洋艦の高雄、愛宕。この2名は能力値がどれも高く、最前線でも十分に戦い抜ける力を持っていると思える。
潮は能力的には特筆するべき戦闘力があるわけではないが、驚くべきはその戦歴。数々の海戦を渡り歩いてきている、歴戦の強者だ。
軽空母の鳳翔も、搭載機数は少ないとはいえ艦娘としての経歴は長い。能力値は低いとはいえ、経験は大きな強みだ。
そして島風。駆逐艦とは思えない能力値だ。特に速度は随一で、回避能力は冗談としか思えない数値を叩きだしている。
この単冠湾泊地は深海棲艦の脅威が少ないとはいえ、国防という観点から見れば重要な土地だ。
だからこそ、これだけの艦娘が配属されているのだろう。
そして午前の業務はつつがなく終了し、この日の目玉である海上演習を迎えた。
・ ・ ・ ・ ・ ・
見晴らしが良い一室に案内された八神大佐は、備え付けのソファに腰を下ろす。柔らかく、それでいて弾力のある、絶妙の座り心地だ。
双眼鏡を使い、眼下の海上に浮かぶ5名の女性を見る。
「……本当に、浮いているんだな」
実際に見ても、まだ信じられない。
人間が船にも乗らず、その両の足で、まるで大地にいるかのように水面に立っている。そして少女たちの体には、軍艦の艤装を模した艤装が取り付けられていた。見かけ倒しではない。見かけこそ小さいが、火力は本物となんら遜色はない。
これが艦娘だ。
人であり、艦でもある。
「ほう。まるで滑るように動くんだな」
艦娘達が、ゆっくりと海上を動き始めた。まるで氷の上を滑るかのように、優雅で美しい。
「ん?」
一糸乱れぬ艦隊行動だったが、綻びが出始めた。
島風が突出しすぎている。
高雄が何事か島風に言っている。怒り顔と動作で、怒鳴っているのだと予想できる。
対する島風には、まるで反省という言葉が見られない。高雄から顔を逸らして、仏頂面をしている。
愛宕、潮、鳳翔が島風に何やら言う。宥めているのだろうか。
だが島風は艦隊に復帰することなく、そのまま港へと引き返してしまった。
「……なんだこれは」
自分の見たものを、八神大佐は信じられずにいた。
これが人類の希望である艦娘なのか? 気に入らないからといって逃げ出すなど、まるで子供の行動だ。艦娘以前に、軍人としても失格と言わざるを得ない。
双眼鏡越しに、高雄と目が合う。
ペコペコと頭を下げられた。
気持ちはわかる。
上官の前でこのような失態。艦隊旗艦の高雄としては立つ瀬がないだろう。
「これは、なんとかしなければならんな……」
このままでは、ロシア帝国に対する牽制としては使えても、肝心の対深海棲艦という任務に支障が出てしまう。
たしかに艦娘は強いが、無敵ではない。
深海棲艦も人間と同じように隊列を組み行動する。今のままの乱れた隊列では、隊列を組んで行動する深海棲艦に勝つことは難しいだろう。
その後も海上訓練は続く。島風が抜けたことで調和が取れたのか、実に滑らかな動きを見せてくれる。先の島風の問題行動を帳消しにするかのような動きだ。
これならなんの不安もない。
そして訓練が終わったそのすぐ後。
申し訳なさそうな顔をした高雄が、執務室まで出向いてきた。
「先ほどは、とんだお目汚しを……」
「いや。その後の艦隊行動は実に見事だった。あれなら、深海棲艦とも戦えるだろう」
「……あ、あの。島風のことなのですが」
どこか緊張したような顔で、高雄は言った。
「まだ彼女は子供で、感情の制御が出来ないんです。私からもよく言って聞かせます。ですから、重い処罰は……」
「待て待て、別に処罰する気などないぞ」
たしかにあのままでは問題だが、だからと言って重罪を課す気はない。
砂浜を延々と走ってもらうのが、落としどころだろう。
もっとも、走るのが好きな島風なら嬉々としてやりそうだが。
「ほ、本当ですか!?」
安堵したように、高雄は顔を綻ばせた。
「なんだ。そんなに喜ぶようなものか?」
「いえ、以前の司令官は、その……とても厳しい方でしたので」
よほど厳しい司令官だったのだろう。高雄は顔を伏せ、身体を震わせる。
「そういえば、その前任者の方は? たしか、巌重蔵中将だったか」
八神大佐は、前任者の巌重蔵中将に会ったことがない。
本来なら引き継ぎの挨拶等があるはずだが、それもなかった。
「……お亡くなりになりました」
「なに!?」
まったくの初耳であった。
一兵士の死ならともかく、中将という階級にある者の死がまるで報道されていないのはどういうことなのか。
民間への報道管制? だとしても、軍の人間でもあり、佐官である八神大佐が知らないのはおかしなことだ。
「いったい何故?」
「深海棲艦の攻撃による殉職です。艦に乗って移動している途中、深海棲艦の攻撃で。護衛に私たちもついていたのですが……」
それだけ言って、高雄は口を閉ざし、目を逸らした。
あまり、思い出したくないのだろう。自分たちの司令官を守れなかったのだ。無理もない。
「そうか。悪いことを聞いたな」
「いえ……」
しかし、どうにも納得のできないことが多い。
巌中将のこと、調べた方がいいのかもしれない。
・ ・ ・ ・ ・ ・
「どういうことだ。巌中将の死に関する記録が少なすぎる」
夕刻。巌中将のことが気になった八神大佐は、洋館の地下にある資料室で巌中将に関する記録を探していた。
十畳ほどの大きさの部屋で、実に色々な書類が存在していた。
だが、何もない。日誌や報告書、あらゆる書類が存在しない。
「馬鹿な。こんなことはありえん……」
あるのは、巌中将が乗り込んでいた艦が、敵の攻撃によって撃沈したということだけ。
だが肝心の敵に関する詳細がまるでない。敵が本当に深海棲艦なのかすら不透明だ。
「しかしこれは……」
まるで、敵の存在を誰かが意図的に隠しているような……
「あらぁ。どうしたんですか? 八神提督」
「!?」
背後から声をかけられ、八神大佐は驚愕と共に振り向いた。
「なんだ、愛宕か」
いつの間に資料室に入ってきたのか。そこには愛宕が一人、壁に背を預けていた。
「なんだとは酷いじゃないですかぁ~。私に会えて嬉しくないんですか?」
「嬉しいも何も、毎日顔を合わせているだろ」
「そういえばそうですね」
クスクスと愛宕は笑った。
「それより、何かお探しなんですか? お手伝いしますよ」
「ああ。私の前の司令官、巌重蔵中将に関する資料なんだが」
「探して、どうするんです?」
その瞬間、愛宕の顔から感情が消えた。見た目は笑顔だが、それは仮面だということが伝わってくる。その仮面の下は、無表情なのか、それとも……別の顔なのか。
「……別に、どうもしないさ。ただ、興味があっただけだ」
八神大佐は、慎重に言葉を選ぶ。
何故そうしたのか、明確な理由はない。だが軍人としての勘と、生物の本能が、彼にそうさせたのだ。
「うふふ。提督、無いものはしょうがないじゃないですか。探すの、やめませんか?」
「そうだな。やめておこう」
もし仮に、やめないと言えばどうなるのか。
「それがいいです。大丈夫ですよ、そんなに緊張しないでも。提督は良い人みたいですから、きっとみんなと上手くやっていけます」
愛宕は微笑む。
今、気づいた。彼女は最初から、仮面を被っていたのだ。
この人当たりの良い笑みは、彼女の本当の顔ではない。
「是非そう願いたいね」
背骨に氷をぶち込まれたような悪寒を感じながら、八神大佐は必死に冷静を装った。
そうしなければ、泣き叫んで助けを求めてしまいそうだったから。
「それより提督、そろそろ夕食の時間ですよ。今日はなんと……ぱんぱかぱーん! 鳳翔さん特性のカレーですよ!」
「わかった。すぐ行くよ」
「すぐ、来てくださいね」
それだけ言って、愛宕は資料室から出て行った。
「ふぅ……」
愛宕が消えたことで気が抜けたのか。
八神大佐は崩れ落ちるように、その場に座り込んでしまう。
皇国軍人として恥ずべきことだが、完全に気圧されていた。
「どうしたものかな」
軍の本部に、巌中将の死の件を詳しく調べてもらうように要請すべきだろうか。
しかしあの愛宕の態度。巌中将の死の件について、何か知っている可能性が高い。そして、それを知られたくないのだろう。
だとするなら、報告は危険が伴うと考えた方がいい。
大人しくしてさえいれば、危害は加えられないのだろう。しかし、
「ふん。皇国軍人を見くびるなよ」
ここで引き下がるわけにはいかない。
巌中将の死を、徹底的に調べ上げてやる。
そこに何があるかはわからないが、この件は調べるだけの価値はありそうだ。