青い眼をしたお人形   作:砂夜†

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第三話 高雄の教育

 資料室での愛宕の態度を受け、八神大佐は誰もいない執務室で思案していた。

 この鎮守府で、誰が敵で味方なのか。

 それを間違えれば、身に危険が及ぶかもしれない。軽率な行動は控えるべきだ。

 

「……考えすぎであってほしいが」

 

 明確な殺意を向けられたわけではないが、あの愛宕を見る限りとても楽観的な気分にはなれない。

 朝の爽やかな光が執務室に降り注ぐが、それとは裏腹に八神大佐の心は晴れなかった。

 

「提督、入ってもよろしいでしょうか?」

 

 ノックと共に、高雄の声。

 

「高雄か? どうした?」

「コーヒーを、お持ちしました」

「ありがとう。入ってくれ」

「失礼します」

 

 コーヒーカップが乗ったワゴンを押しながら、高雄が入室してくる。

 

「サイフォンを使いました。ご賞味ください」

 

 机の上に置かれたコーヒーカップから、芳醇な香りが立ち昇る。

 

「ほう。いい匂いだな」

 

 カップを持ち、口をつける。

 

「む、美味いな」

 

 カップが小さいせいもあり、そのまま二口で飲み干してしまう。

 今までの軍生活で、コーヒーといえば泥水という印象しか持っていなかった八神大佐にとって、まさに価値観が一変した瞬間であった。

 

「ああ、そうだ。高雄、人事について少し考えたんだが」

「はい。なんでしょうか?」

 

 愛宕の件や巌中将の件、考えることは山ほどあるが、まずは目先の問題だ。

 艦隊を少しでも効率的に運用するために、適材適所に人員を配置し直す必要がある。

 

「まず、秘書艦を愛宕にしようと思う」

「……は?」

 

 何を言われたのか解らないというように、高雄は目を瞬かせる。

 

「ど、どうしてですか!? 私に何か不手際が!?」

 

 そして十秒ほど経ち、ようやく自分が秘書艦を解任されたのだという事実に思い至ると、普段の落ち着きが嘘のように取り乱しはじめた。

 普段の温厚、冷静を絵にかいたような高雄からはとても想像できない光景だ。

 

「不手際ということじゃない。艦隊の旗艦と、秘書艦の兼務は大変だろう?」

「それは……そうですが」

「それにな、高雄には島風と潮の教育をしてもらいたい。秘書艦の仕事以上に難しいとは思うが、頼めるか?」

 

 気分を落ち着けようとしているのか、高雄は目を瞑り、大きく深呼吸をする。

 

「わかりました。困難な任務ですが、必ず成し遂げてご覧にいれます」

 

 困難、というのは島風のことだろう。

 高雄は背筋を伸ばして、綺麗な敬礼をする。

 

「頼んだぞ」

「はっ。では提督、秘書艦の引き継ぎ作業に入りますので、失礼します」

「そうだ、ちょっと待ってくれ。愛宕を呼んできてくれるか? 秘書艦の件、私からも伝えたい」

「わかりました。では、愛宕を呼んでまいります」

 

 そして高雄が部屋から出て行って十数分後、愛宕が入室してきた。

 その顔はどこか狐につままれた、という感じである。自分がこの部屋に呼ばれた理由が思い浮かばないのだろう。

 

「高雄から、秘書艦の件は聞いたか?」

「はい。私に秘書艦を任せると」

「何か不服はあるか? 納得していないという顔だが」

「納得できないというよりも、正直びっくりしてます。てっきり私を遠ざけるものと思ってましたから」

 

 クスリと愛宕は笑う。

 

「あいにくと、脅されると抵抗したくなる性格でね」

「うふふ。男らしいですね。そういう男の人って好きですよ」

「それで、秘書艦の件は受諾してくれるか?」

「ええ。微力ながらお手伝いしますわ」

 

 提督の監視もできますし、と愛宕が言外に言っているように思えるのは、八神大佐の被害妄想であろうか。

 

「ありがとう。では、高雄から秘書艦の任務について指導を受けてくれ」

「はい。では失礼しますね」

 

 ニッコリ笑い、愛宕は退出した。

 

「吉と出るか凶と出るか……」

 

 愛宕を秘書艦にしたのは、八神大佐自身が愛宕を見極めるという意味もある。

 愛宕が信用できるのか、何を考えているのか。それを知らなければ、提督としてこの鎮守府で活動するのは困難だ。

 他の艦娘も心配ではあるが、まずは正面から仕掛けてきた愛宕だ。彼女の出方を見て、今後の方針を決める。これが当面の目標だ。

 もっとも、下手をすれば寝首をかかれる恐れもあるが。

 

「危険だが、やるしかないか」

 

 決意を込めて、八神大佐は呟いた。

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 高雄が秘書艦業務を解任されて、数日後。

 愛宕への秘書艦の引継ぎは滞りなく済ませ、高雄は秘書艦の激務から解放されていた。

 高雄は八神大佐から命ぜられた任務を果たすべく、自室で島風と潮への訓練メニューを考えていた。

 

「えっと、あとは一般教養も必要ね。特に島風にはちゃんと教えないと」

 

 まだ若い駆逐艦の子には、軍事的な座学だけでなく、一般教養も必要になる。その辺りもバランスよく組み込んだメニューを作らなくては。

 秘書艦を解任されたのはショックではあったが、駆逐艦の、特に島風の教育に専念できると思えば悪いことではない。

 今までは秘書艦の仕事が忙しく、身を入れた指導ができなかったが、これで思う存分教育できる。

 

「よし。できた」

 

 訓練メニューと座学用の教材を作り終えた高雄は、満足そうに頷く。

 これなら、駆逐艦の練度は飛躍的に上がるだろう。

 きっと提督も満足してくれるはずだ。

 そして翌日。

 島風と潮を鎮守府内の一室に集め、

 

「今日から私があなた達を鍛え上げます」

 

 と言い、意気揚々と訓練メニューを示す。

 朝は6時半から、夜は7時までびっしりと予定が組まれている。

 

「ふぇぇ……」

 

 と、潮は泣きそうな顔で身体を震わせる。

 

「うえぇ……」

 

 と、島風は心底嫌そうな顔をして顔を背ける。

 予想通りの反応だ。特に島風。

 

「高雄しつもーん! そんなに訓練ばっかだと遊べないじゃん!」

「遊ぶ暇なんてありません。あなた達はまだ未熟で、覚えることはたくさんあります。これでも足りないぐらいです」

「そんなの横暴だよ! 潮だってヤだよね?」

「え? わ、わたしはその……えっと……」

 

 潮は涙目になりながら、視線を右往左往させる。

 どう答えるべきか、決めかねているのだろう。

 

「ほら、やっぱ潮も嫌がってるよ! もっと簡単なのにしてよ」

「潮の気持ちを勝手に代弁しないの。困ってるでしょ」

「え、えっと、私は……あの……」

 

 板挟みの状態の潮は、どう答えた者かと悩んでいるのだろう。二人から視線を逸らし、ただ木製の床だけを見ている。

 

「だいたいさ。私達は軍人じゃないのに、なんで高雄の言うこと聞かないとダメなの?」

「私が艦隊の旗艦だからです。私にはあなた達を教育する義務があります。そして、あなたには艦隊旗艦の指示を聞く義務があります」

「そんなの頼んでないでしょ」

 

 不機嫌そうに顔を逸らす島風。

 なぜこの娘はこんなに人の言うことを聞かないのだろうか。

 少しずつ高雄の心に苛立ちが募っていく。

 

「とにかく! これは決定事項です。指示に従わないなら、相応の罰を受けてもらいますよ」

「もー! 高雄なんて嫌い!」

 

 苛立ちが募っていたのは島風も同じだったのか。脱兎のごとく駆け出して、その場から逃げ出してしまう。

 

「し、島風! 待ちなさい!」

 

 高雄の制止も空しく、場には高雄と潮だけが残された。

 

「もう……なんであの子は……」

「高雄さん。島風ちゃんのこと、その、あんまり怒らないで下さい。島風ちゃんも、素直になれないだけで……」

 

 潮は申し訳なさそうに島風を庇う。

 そんな潮の姿を見て、高雄の頭は冷えた。

 年長者である自分が冷静さを欠いてどうするのか。島風の態度に一々腹を立てず、どっしりと構えなければ。

 

「わかってるわ。まだ子供だものね」

 

 優しく接すれば、きっと島風もわかってくれるはずだ。

 

「潮、今日は自主訓練とします。私は島風を探してくるから」

「は、はい」

 

 高雄は早足に、その場から立ち去った。

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

 

「どこに行ったのかしら……」

 

 島風を探し鎮守府内を歩き回った高雄だったが、島風は一向に見つからなかった。

 すでに西日が窓から差し込んでいるが、どこに行ってしまったのか。

 

「あの子、もう少し他人と協力できないのかしら」

 

 とは言うものの、高雄は島風の心情が僅かながら理解できていた。

 島風は、駆逐艦という枠を大きく超えた艦娘だ。

 あらゆる能力値が平均を大きく上回り、特に速度は全ての艦娘を凌駕する。

 だが、その能力を活かすことができない。

 一隻だけ早くても駄目なのだ。他の艦娘が彼女の速度に追いつけず、結果として島風は長所である速度を殺して動かなければならない。

 本人はその名の如く、風のように海を駆け抜けたいだろう。しかしそれは許されない。彼女の中の不満は、とても大きなものだろう。

 だからと言って、そのワガママを認めるわけにはいかない。

 一人での行動など、殺してくださいと言っているようなものだ。

 島風には、なんとしてでも意識を変えてもらわなければならない。

 

「ここかしら……」

 

 食堂。

 高雄は引き戸を開けて中に入る。

 厨房では、鳳翔が一人忙しそうに動き回っていた。

 

「失礼します」

「あら、高雄さん。ごめんなさい、夕食はまだ出来てなくて」

「いえ、島風がこっちに来なかったかと思って」

「島風ちゃん? ごめんなさい、見てないわ」

「そうですか。お忙しいところ、失礼しました」

 

 一礼して、高雄は食堂を出ようとする。

 

「高雄さん、ちょっと待って」

「はい?」

 

 厨房の奥で、鳳翔が手招きをしていた。

 何か用でもあるのだろうか。不思議に思いながらも、高雄は厨房に入る。

 

「手を洗って」

「はい」

「次はそこにある割烹着を着て」

「はい」

「はい。じゃあ、次はそこのジャガイモの皮をむいてくださいね」

「あ、あの。申し訳ありませんが今はちょっと島風を探していまして」

「お願いね」

 

 優しげに微笑んで、鳳翔は言う。

 決して威圧的なわけではないのだが、断りづらい笑顔であった。

 

「は、はい」

 

 鳳翔のお願い通りに、ジャガイモの皮をむく。

 懐かしい。横須賀の鎮守府にいた頃のことを思い出す。

 艦娘に成ったばかりの頃、訓練に失敗した罰としてこうやってジャガイモの皮むきをよくやらされたものだ。

 しばらくの間、高雄も鳳翔も無言。調理音だけが厨房に響く。

 

「島風ちゃんと、上手くいってないの?」

「え?」

 

 寸胴鍋をかき回しながら、鳳翔は聞いてきた。

 

「いえ、そういうわけでは」

「逃げちゃったんでしょ? 島風ちゃん」

「それは……島風は、まだ子供ですから。こっちの言うことを素直に聞けないだけです」

「あら、ダメですよ。そういう考えでは」

「え?」

 

 鳳翔は魚を取り出し、手早く三枚におろす。

 

「言うことを聞かせるという態度では、島風ちゃんだって反発してしまいますよ」

「ですが、そうでなければ軍の規律が保てません」

 

 鳳翔の言いたいことはわかる。だがここは幼稚園ではない。個人の感情など二の次で、命令に服従させなければ。

 

「私達は軍人じゃありませんよ」

「軍人ではありませんが、軍属です。それに私達は強大な力を持っています。いつまでも子供のままでは困ります」

「ふふ。大丈夫ですよ」

 

 鳳翔は微笑み、聞くものが安心できる声で言った。

 

「私達艦娘の中にある、こことは違う世界の船の魂。気高く戦ったその船の魂、間違った者は決して選びません」

 

 艦娘の中核となるのは、別の世界の軍艦の魂だ。

 大日本皇国とは違う、大日本帝国と呼ばれる国の軍艦。

 皇国はどこからかその軍艦を手中に収め、それに宿る魂を人間に憑依させた。軍艦の魂が宿った者は、別の世界の記憶と、軍艦のように海を走る能力。そしていかなる攻撃も防ぐ不可視の力場という能力を持っていた。

 

「それは……わかっています」

「不安だろうけど、信じてあげましょう」

「はい」

 

 役者が違うな、と高雄は感じた。

 まるで母親のような大きな愛情を感じる。

 自分もこういう風にできれば、島風も心を開いてくれるのだろうか。

 

「よし、できた。高雄さん。大皿を取って来てくれるかしら。赤色の」

「はい、えっと、これですね」

 

 戸棚の上から、鳳翔が希望する大皿を取る。

 

「あら?」

 

 その時視界の隅に、ウサギの耳のような黒色のリボンが映った。

 リボンは食堂の隅の観葉植物の裏から生えており、リボンの持ち主が隠れていることを雄弁に語っている。

 鳳翔は嘘を言っていたわけだが、不思議と怒る気にはならなかった。

 

「そうだ、鳳翔さん。卵使ってもいいですか?」

「卵? いいですけど、何か作るんですか?」

「一品追加しようと思って。目玉焼きを」

「目玉焼き? ああ」

 

 鳳翔は得心が言ったように、両手を胸の前で打ち合わせた。

 

「はい。島風が好きなので」

 

 ピコピコと、観葉植物から生えるウサギ耳が揺れ動く。

 食べ物で機嫌を直してもらうというのは安直なようだが、島風には効果覿面なようだ。

 

「少しだけ、訓練の時間を減らそうと思います。子供には、遊ぶ時間も必要ですものね。かと言って、訓練は甘くはしませんが」

「ええ。それでいいと思いますよ」

 

 微笑む鳳翔に高雄も微笑みで返し、そして優しげな眼でウサギの耳を見つめた。

 

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