早朝。
単冠湾の全艦娘と提督は毎日食堂に集まり、同じ釜の飯を食べる。
軍事に携わる者にとって食事は最高の癒しともいえる時間であり、それはここでも例外ではない。おまけに料理番の鳳翔はプロの料理人顔負けの腕を持っており、毎日メニューが変わるので飽きるということがない。
「はぁ……」
そんな癒しの空間で、駆逐艦娘である潮は大きなため息をついた。
目の前には大好物であるサンマの塩焼きがあるのに、気分は晴れない。
その原因は、
「どうした潮? そんな大きなため息をして」
「あ、い、いえ! なんでもありまひぇん!」
緊張のあまり、噛んでしまった。
この八神大佐が着任してきてから、潮には気持ちが休まる時間がない。
八神大佐が悪いというわけではない。実直で、艦娘に対しても人間と同じように接してくれる。本来なら好感すら持てる男性だ。
誰が悪いのかということならば、それは潮になるのだろう。
(うぅ……なんだか胸を見られてるような気がする……)
ちらりと八神大佐を盗み見るが、彼はサンマを解すのに忙しいようで、潮の方を見ている余裕はないようだ。
(自意識過剰だよね……でも……)
どうしても気になってしまう。
今までこの単冠湾に来た提督は、艦娘と関わりを持とうとしなかった。良くも悪くも、潮はそれに助けられていた。
だがこの八神大佐は、積極的に艦娘とコミュニケーションを取ろうとしてくる。
男性が苦手な潮にしてみれば、八神大佐の行動は憂鬱の一言だ。しかし相手はこの基地の司令官。迷惑だからやめてください、なんてことは口が裂けても言えない。
せめて早く食べて、この場から逃げよう。
「潮食べるの早いよ。ごはん食べるときに早さは必要ないんだよ?」
「島風の言うとおりね。潮、もう少しゆっくり、行儀よく食べなさい」
「あぅ……」
島風と高雄から注意され、潮はやむなくゆっくりと箸を進める。島風のように癇癪を起してその場から逃げる度胸と幼さは、潮にはなかった。
「そうだわぁ。潮ちゃん」
「は、はい?」
愛宕が思い出したように、ぽんっと手を叩いて潮の方に顔を向ける。
「今日一日、秘書の仕事をお手伝いしてねぇ~」
「はぇ!?」
思わず変な声が出てしまった。
「あ、あの、な、なんで……」
「だってぇ。秘書の仕事って大変だから」
「だったら、高雄さんの方が適任じゃ……」
「あら~。潮ちゃんは高雄に負担を押し付けるんだ?」
「潮って悪い子だねー」
からかうように愛宕は言い、島風もそれに便乗する。
「え!? い、いえ、そういうわけじゃ……」
「愛宕、潮を苛めないの。島風も余計なことは言わない」
高雄が二人を窘める。
そんな姦しい場に、不釣り合いな低い声が響いた。
「潮。あまり、気乗りがしないか?」
「その……あの……そんなことは、ないです……」
俺が嫌いか? と聞かなかったのは、潮が答えやすいようにした配慮か、嫌いと言われないための防衛線か。
「うふふ。とにかく、これは決定事項でーす。潮ちゃんはマルハチマルマル、秘書艦室まで来てくださいね」
「は、はい……」
潮は暗く沈んだ気分のまま、サンマを解す作業に入った。
・ ・ ・ ・ ・ ・
愛宕が指定した時刻。
憂鬱な気分のまま、潮は秘書艦室のドアの前に立っていた。
「ふぅ……潮、入ります」
気持ちを少し落ち着け、ドアを開ける。
「ぱんぱかぱーん!」
「ひぃ!?」
両手を上げて奇声を上げる愛宕が、潮を出迎えた。
「お、驚かせないでください!」
涙目になって抗議するも、愛宕はどこ吹く風。
何を言っても無駄だと察して、潮は自分から引くことにする。
「あの、それで私は何をすれば」
「えっとねぇ、まずは提督の部屋のお掃除をお願いね」
「は、はい。わかりました」
どんな無茶を言われるか内心ビクビクしていた潮だが、言われたのは予想外にハードルの低い仕事だった。
「それじゃあお願いね~」
愛宕は潮に、掃除用具一式を手渡す。
そして愛宕はこれで話は終わりとばかりに、机に座って何やら書類を書き始めた。
掃除をするだけという簡単な仕事内容に安心した潮は、気楽に提督執務室の扉を開ける。
「潮?」
「……提督?」
なぜここに? という顔をした八神大佐が、潮を見てくる。
「し、失礼しました!」
慌てて扉を乱暴に閉めて、涙目になった潮は愛宕に抗議する。
「な、なんで提督がいるんですか!」
潮にしては珍しく大きな声であるが、愛宕はまるで動じずにそれを受け流す。
「なんでってぇ、あそこは提督の執務室だからよ?」
「そうじゃなくて……」
「ほら、はやく掃除しに行ってねぇ」
「で、でも……」
「ほらぁ。はやくぅ」
「うぅ……」
拒否することもできずに、潮は再びドアの前に立つ。
ハードルは低いと思ったが、急にハードルが上がってしまった。
「あの、提督。失礼します……」
恐る恐るドアを開ける。
「ああ、潮。どうしたんだ? いきなり」
「そ、その……お部屋のお掃除を。愛宕さんから頼まれて……」
「朝言っていた、秘書の手伝いか。じゃあ、よろしく頼む」
「あ、はい」
それだけ言うと、八神大佐は机に目を向けて事務仕事を再開した。
見られたり、話しかけられたりしないのは気が楽でいい。
早く掃除をして、退出しよう。
(でも……)
どこを掃除したものか。
部屋は綺麗に整頓されており、埃一つ見られない。
(とりあえず、窓でも拭こうかな)
そう思い窓の方に近づくと、
「ああ、潮。窓掃除をするなら雨の日や曇りの日の方がいいぞ」
「へ?」
「晴れの日にやると、仕上がりが汚くなる」
「あ、はい……」
ダメ出しされてしまった。
それと同時に、やることが無くなってしまう。
いつまでもボーっと突っ立ているわけにはいかない。
「あ、あの提督……掃除をする場所もないので、その、失礼します……」
「そうだ、潮。聞きたいことがるんだが、いいか?」
「は、はい。いいです、けど」
いったい何を聞かれるんだろう。内心ビクビクしながら、潮は提督の言葉を待つ。
「なぜ君はいつも猫背なんだ? 皇国の海を守る者なら、もっと胸を張れ」
「あぅ……」
ついに恐れていた質問が来てしまった。
今までに、何度同じ質問をされただろうか。男性からは性的な目で、女性からはからかいや妬みの目で見られ、その度に潮の背中は曲がっていった。
「そ、その……」
「なんだ? 言いたいことがあるなら、ハッキリ言った方がいい」
高圧的な物言いというわけではないが、潮は八神大佐に気圧されていた。
それは八神大佐が漲らせる自信だ。自分に自信があることが、声や態度から滲み出ている。
そして潮は、そんな人間を羨ましく思い、同時に苦手としていた。
「あ、あの……失礼します! ふわっ!?」
その場の空気に耐えられなくなり、潮はその場から逃げ出そうとした。しかし踵を返したところで、なにかとてつもなく大きく柔らかいものが顔に当たり、尻もちをついてしまった。
「もぅ。提督ったら、それはセクハラですよ~?」
「愛宕?」
「愛宕さん!?」
いつの間に部屋に入ったのか、そこには愛宕が立っていた。
それにしても大きい。
地べたに尻をつけている潮からは、二つの大きな双丘が邪魔で愛宕の顔を見ることができない。
「愛宕。セクハラとは人聞きが悪いだろ」
「そんなことはないですよ。ねぇ、潮ちゃん?」
「へ? あ、その……」
急に話を振られても困ってしまう。
「まるで意味がわからんのだが?」
「つまりですねぇ」
愛宕にぐいっと手を引かれて、潮は立たされた。
そして、そのまま羽交い絞めにされて強制的に背を伸ばされる。
「きゃああ!?」
潮の胸部に、愛宕よりは控えめなれど、十分すぎる質量を持った膨らみが二つ生まれる。
愛宕が超弩級ならば、潮はさしずめ弩級と言ったところか。
「あら、結構大きいわね」
「ううっ……もう、やめて下さい……!」
必死に身をよじって愛宕の手から逃れようとするが、力の差は圧倒的でビクともしない。
「ほら、提督。これでわかるでしょ?」
「いや、その……」
「こっちを見てくださいよぉ」
「見ないでください!」
八神大佐は潮から顔を背けていたが、その耳の赤さが彼の心情を物語っていた。
「提督、これぐらいで動揺しないでくださいよぉ。経験がないわけじゃないでしょ?」
「ながっ……は、破廉恥な!」
傍目にもわかるほど、八神大佐は動揺していた。
それは態度によって愛宕の言葉が正鵠を射ていることを証明しているのだが、八神大佐はそのことに気付いていないようだ。
「やん。こわーい。それじゃあ退散しますね~」
潮と八神大佐が何か言う間もなく、愛宕はそそくさと執務室を後にした。
完全に退室するタイミングを逸した潮は、気まずい空気を全身で味わう。
「あーその、潮。すまなかった。困らせる気はなかったんだが……」
「い、いえ。私の方こそ……」
「それで、だな。これは好色な意見ではなく、君はもう少し胸を張ってもいいと思う。精神的にも、肉体的にも」
「え?」
「資料で見たが、君は駆逐艦という身で武勲も立てているし、何よりも人類を守る役目についている。君は、もっと自分に自信を持ってもいいと思う」
「あ、はい……」
少しだけ、胸を逸らす。
やはり同年代の娘より遥かに大きい胸が自己主張をし、潮の背は再び丸くなった。
「その、だな。君は胸の大きさを気にしているようだが、そう気にすることもないだろう。その……周囲も、気にしないだろうし」
八神大佐は、言葉を濁す。
だが何を言いたいかは、なんとなくではあるが潮にはわかった。
愛宕と高雄は、潮よりも遥かに胸部装甲が部厚い。島風はそもそも他人の『速さ』にしか興味がない。鳳翔は言わずもがな。
要するにこの単冠湾泊地には、潮の身体的特徴をからかったり妬んだりするような者はいないということだ。
問題があるとすれば、一つ。
潮はチラリと八神大佐を見る。
「私の目が気になる、というのであれば……なるべく、見ないようにする。私も、若い婦女子の身体をジロジロ見る気はない。安心してくれ」
少し顔を赤くしながら、八神大佐は言う。
「あは。はい」
その様子が可笑しくて、潮は思わず笑ってしまう。
ほんの少しだけ、潮の背中は真っ直ぐになった。