軽空母鳳翔にとっての戦場は、海上ではない。
縦10m横15mの厨房が、彼女の戦場だ。
決して楽な戦場ではない。むしろ過酷だ。
深海棲艦は毎日現れるわけではないが、この戦場は365日朝昼晩戦わなければならない。
しかも相手は育ち盛りの駆逐艦に、食べ盛りの重巡洋艦だ。
この食堂は艦娘と提督専用なので人数こそ少ないが、艦娘の食事量を侮ってはいけない。それに加えて、日々身体を動かすためにダイエットという概念がない環境。求められる食事量は常人の倍を優に超える。
食事の時間が遅れたり量が少なければ、激しい非難が飛び交うのは必至。
炊事に携わる人間が多ければいいのだが、この厨房には艦娘しか入れない。そして島風と潮は毎日山のような訓練が課されているし、愛宕と高雄はそれ以上に多忙だ。
必然的に、手の空くことが多い鳳翔がこの厨房を取り仕切るという流れになってしまっている。
しかし悪い気分ではない。
命を絶つ戦争よりも、命を繋ぐ戦争の方が遥かに意義がある。鳳翔はそう考えていた。
「よし、できた」
今日の夕食を作り終えた鳳翔は、満足気に一人頷く。
現在の時刻は17時15分。夕食まであと15分だ。
それまでに、まずは配膳を済ませておこう。
そうして配膳が終わった、ドタバトと誰かが走る音が聞こえてくる。
この慌ただしい足音は、島風だろうか。
果たして、予想通りの人物が食堂に飛び込んできた。
「鳳翔さん今日のご飯は!?」
「今日はビーフシチューと唐揚げと春巻きを作ってみたのよ」
次に食堂に入ってきたのは潮だ。
「わぁ。いい匂い」
「ふふ。いっぱい食べてね」
駆逐艦の二人は揃って席について、食事に手を付けずに雑談を始めた。
この単冠湾では艦娘全員が揃ってから、食事が開始されるという決まりになっている。
大勢の艦娘がいる鎮守府では無理かもしれないが、総勢5名しか艦娘がいないこの泊地なら問題ない。
「あら~今日も美味しそう」
「愛宕。だからってあなた最近食べ過ぎじゃない?」
「その分動いてるから平気よぉ」
そして最後に入ってきたのは、愛宕と高雄の重巡洋艦の二人。
ついこの間までは、最後にやってくるこの二人が席に着いてから食事が始まったが、最近は少し違う。
「ほう。今日は洋食か」
最近着任した八神大佐が席について、食事が開始されるのが最近の恒例である。
「お口に合えばいいですけれど」
「いや、鳳翔さんが作る料理は絶品だ。ハズレはないよ」
そして八神大佐が席につくと同時に、
「「いただきます」」
という声が重なり合う。
そしてカチャカチャと食器の鳴る音が続く。
食事の最中は、全員の口数が少なくなる。
全員が料理を食べるのに夢中で、声を出す余裕がないのだ。
「「ごちそうさまでした」」
20人分はあった料理が、たった30分で全て無くなってしまった。
いつ何が起こるかわからない軍という職場では、全ての行動をなるべく短縮することが求められる。当然食事の時間もそうなのだが、作り手である鳳翔としてはもう少しゆっくり味わってほしいというのが本音だ。
そして食事が終わると、一人、また一人と食堂から出て行く。
最後に残ったのは、愛宕ただ一人。
「鳳翔さ~ん。今日もお願いできますかぁ?」
「いいですよ。その代わり」
「は~い。じゃあお皿運びますーす」
愛宕はテーブルの上の皿を手際よく集めて、洗い場へと運んでいく。
そして腕まくりをして、皿を洗う。
鳳翔はその横で、スルメを焼き始める。
「ん~いい匂いねぇ」
「最初は驚きました。愛宕さんがあたりめ好きだなんて」
「意外ですかぁ?」
「はい。ナッツやピクルス、チョコレートが好きかと思ってました。お酒はブランデーで」
「うふふ。スルメと日本酒の組み合わせに勝てるものなんてないわ~」
そうこうしているうちに愛宕は皿を全て洗い終え、布巾で水滴をふき取る。
「は~い。終わりましたよぉ」
「お疲れ様です。はい、どうぞ」
お皿にのったスルメと、ガラスコップ一杯の日本酒。
愛宕はそれを見て目を輝かせると、足を千切って口に放り込み、続いて日本酒を飲む。
「ん~~~~っ! 美味しい!」
「あらあら。飲みすぎないでくださいね」
「鳳翔さんもどう?」
「そうですね。では、一杯だけ頂きます」
鳳翔は自分でコップに酒を注ぎ、唇を湿らすように口をつけた。
「それで、今日はどうしたんです?」
「ん~何が?」
「愛宕さん、いつも何かあるとここでお酒飲むじゃないですか。秘書官の仕事、大変なんですか?」
「ん~……」
愛宕は言葉を濁す。
当たらずといえども遠からず、といったところだろうか。
「それじゃあ、八神提督のことかしら?」
「……ん~~~~」
声の反応からして、当たりらしい。
「良い人だと思いますが、秘書艦をしていて何か問題でもありましたか?」
「そういうわけじゃないんだけどぉ……」
どうにも煮え切らない態度だ。
愛宕はしばらく机に突っ伏して、ようやく口を開いた。
「そうねぇ……もし提督が、知られたくないことを調べてたらどうする?」
「知られたくないこと?」
八神提督は愛宕の胸部サイズでも調べたのだろうか? そういうことをしそうな人には見えないが、もしそうなら注意しなければなるまい。
「何か、嫌なことでも聞かれたんですか?」
我ながら子どもに問いかけるような物言いだとわかっているが、この性分はきっと死ぬまで変えられないのだろう。
「嫌なこと……なのかしらねぇ。知られたくないだけ、かな……」
「だったら、提督にハッキリと言ったらどうですか?」
「言ったんだけどぉ……火をつけちゃったみたいなの」
ガラスコップの縁を指でなぞりながら、悩ましげに愛宕は言う。
「それじゃあ、私が言いましょうか?」
「それはダメ~」
高雄は日本酒を一息に飲み干すと、そのまま立ち上がる。
「お酒ありがと。あ、このこと誰にも言っちゃダメよぉ?」
ウインク一つ残して、愛宕は逃げるように食堂を出て行った。
何か悪いことでも聞いてしまったのだろうか?
「聞かれたくないこと……あっ」
一つ、思い当たることがある。
戦死した前提督、巌重蔵のことだ。
一緒に出撃していながら守れなかったと、愛宕が肩を落としていたのを覚えている。普段の明るい愛宕からは、想像もできない落ち込みようだった。
その時のことを聞かれたのだろうか。だとすれば、納得もできる。
「でも、変ね……」
鳳翔の目から見て、お世辞にも愛宕と巌提督の中は良好なものではなかった。
むしろ愛宕は、巌提督のことを嫌悪していたような節がある。
巌提督が死んで喜びこそすれ、悲しむなんてことは絶対にないはずだ。
当時はそういうこともあるのかと、訝しげに思いながらも納得したが、まだ気にしているとなると妙な話だ。
「……考えても、仕方ないわね」
結局何を考えようとも、空想の域を出ない。
悩みが深いようなら、今度は本格的に相談に乗ってあげよう。
鳳翔はそう思い直し、明日の朝食の仕込みに取り掛かった。