朝を迎えたミヤコからは昨晩の明るさがすっかり消えて、笑顔なのにどこか焦燥感のあるような、ピリピリとした雰囲気があった。
彼女がどれくらい焦っていたというと、朝食も碌に取らずにホテルをチェックアウトしようとしたくらいだった。
脳死だろうが限界だろうが、どれだけ雑な食事をしたとしても、食事を摂らないという選択肢だけは選んではいけない。
アオキは彼女の手を引いて市場の方へ出て、なんとか食事だけは摂らせてからセルクルへ向かうことにした。
「Gメンの密猟組織とコンタクトを取っているチームは身分を研究者と偽ってミニーブを5体以上捕獲することを依頼し、依頼金額を含めて密猟組織と合意にまで至っています。過去の件を踏襲する限り、5日以内ほどで商品確保の連絡がきます」
「……はい」
「つまり、これから5日間が勝負ということになります」
空飛ぶタクシーでセルクルタウンへ向かいながら、硬い声音で情報を共有する彼女を横目に見つつ、アオキはうなづいた。
仮に今ここでアオキが「大丈夫か?」と声をかけて「大丈夫ではない」と返せるような人ではないだろう。
わかっていたから、アオキは唇を開いた。
「ミヤコさん」
「はい、なにか質問でもありましたか?」
「チョコあげます」
「……へ?」
「飴とクッキーもあるので、それも」
鞄から取り出したお菓子をほとんど押し付けるようにして渡すと、彼女は思わず掌を出して受け取る。タクシーの中で座ったまま、揃えた膝の上に置いた掌にアオキが渡したお菓子が乗っていた。
過去にチリやポピーからもらったものだが、自分より元気のない彼女の食べてもらうほうがいいだろう。きっと四天王の2人も快く許してくれる。
「あ、あの、アオキさん……」
「セルクルタウンには『ムクロジ』という美味しい洋菓子屋があるので、是非行きましょう」
唐突にそんなことを言ったアオキを、彼女は困ったように眉を下げてから伺うように見る。
アオキが静かに見つめ返せば、彼女も彼の気遣いに気がついたのか、少し視線を揺らしてから肩を落として微笑んだ。
それは朝に見せた焦燥感に塗れたものではなく、昨日までに見せてくれていた穏やかなものだった。その表情に安堵しながらアオキは続ける。
「カフェも併設されていて、景色も良いんです。人気店のテーブルを1人で埋めるのは申し訳ないので、ミヤコさんが一緒に来てくれると有難いのですが」
「……アオキさん、ありがとうございます。ええ、是非」
ミヤコはようやく少し安堵したような、落ち着いたような表情を見せた。
……数日間そばにいて感じたことなのだが、彼女は真面目で優しい人だが常に冷静でいられる人……というわけでは無いようだ。
先陣はミヤコに任せて、自分はむしろ彼女が暴走しないようにフォローに回ったほうがいいのかもしれない。アオキはそんなことを考えた。
そんなこんなでやってきたセルクルタウン。
空飛ぶタクシーを降りた2人はそのまま街の中心部にある『ムクロジ』へ向かう。
カフェに行く……のではなく、この街にジムリーダーであり『ムクロジ』のパティシエでもあるカエデに協力を求めるためだ。
「カエデさんってどんな方なんですか?」
「……性格は物腰穏やかですが、トレーナーとしても人としてもしっかりとした芯がある方ですよ」
ミヤコからの問いかけにアオキは少し逡巡してから、答える。
「ミヤコさんはカエデさんと仲良くなれるんじゃないかと思います」
『ムクロジ』に辿り着くと、普段はパティシエ故に裏で働いていることの方が多いカエデが店前に立って待っていた。
「あ〜、アオキさ〜ん、こっちですよ〜」
ニコニコと柔らかな笑顔を見せながらこちらへ手を振るカエデにアオキは軽く頭を下げてから近づく。
「お疲れ様です、カエデさん。急な連絡にも関わらずありがとうございます」
「いえいえ〜ポケモンの危機ですもの〜」
カエデは両手を顔の近くて合わせながら、アオキの隣に立つミヤコを見て微笑んだ。
「あらあら〜あなたが例の探偵さんですね〜。私はこの街のジムリーダーのカエデです〜」
「ご丁寧にありがとうございます。ミヤコと申します。お忙しいところ恐縮ですが、この度はよろしくお願いします」
「こちらこそ〜」
ミヤコとカエデは互いに笑顔を見せて握手をする。
カエデへは事前にある程度の概要は伝えていた。アオキとミヤコで改めて今回の任務の内容を再度説明した上で、セルクルタウン周辺に生息するミニーブが密猟対象となったことを伝える。
「と、いうことでこれから最大5日間ほどはこの街とミニーブへの警戒を強めていただきたいんです」
「なるほど〜、わかりました〜。日中はオリーブ農家の皆さんが農園にはいらっしゃいますから、その方々には異変があったら連絡するよう伝えますね〜」
「助かります、カエデさん」
カエデの協力的な様子にミヤコはホッとしたような表情を見せた。そんなミヤコへカエデは微笑んで言った。
「ミニーブたちは農家の皆さんと仲良しですからね〜、何かあったらすぐにわかりますよ〜」
「ええ、それなら安心です」
「問題は農家の方々がいらっしゃらない夜の間ですね〜」
頰に手を敢えてそう口にしたカエデに、アオキとミヤコは顔を見合わせてから軽くうなづいた。アオキが口を開く。
「はい。なので夜間は自分とミヤコさんで見回りをする予定です」
「あらあら〜、助かるわ〜。それでは昼間は街の方で見守って、夜はお2人の力を借りますね〜。私もできるだけ夜のお手伝いもしますから〜」
「えっ、ですが、それはカエデさんが大変過ぎませんか?日中もお仕事があるのに……」
「だってジムリーダーですもの〜。大切なこの街を守らないといけませんから〜」
微笑みながらもはっきりとそう言ったカエデのその言葉に、ミヤコは嬉しそうに笑った。
その様子にアオキはふと思い出す。
昨晩、ミヤコは「自分にできることを精一杯やろうとする理性的で善良な人」が好きだと言っていた。そういう意味だとカエデはミヤコにとってその判定に入る人なのかもしれない。安堵したような表情のミヤコを見て、朝の様子を知っているアオキは内心で胸を撫で下ろす。
「でもこの街で見回りするのにスーツ姿は目立ちますね〜」
不意にカエデはアオキとミヤコの服装を見てそんなことを言った。2人は思わず顔を見合わせる。
……確かにそうかもしれない、とミヤコは思った。
セルクルタウンはオフィス街や都会といった雰囲気の街ではない。むしろどこか長閑で自然の多い街だ。
この街の住人か、あるいはせめて観光客らしい格好をした方がいいかもしれない。
確かに……という顔をするミヤコに、カエデは胸の前で手を合わせて「そうだ!」とばかりに言った。
「ミヤコちゃんには私のお洋服を貸してあげますね〜」
「へ?」
「これから何日かはこの街にいるんでしょう〜?よかったら私のおうちに泊まったらどうかしら〜?」
「え、あ、いや、そ、それは流石にカエデさんにご迷惑では……」
「ご迷惑だったら最初から誘わないわ〜。今日はお店がお昼過ぎまでのシフトだから、終わったら『ムクロジ』で待ち合わせましょうね〜」
「え、え、あ、あわ、は、はい……」
ミヤコの手を取ってグイグイ来るカエデにあわあわと押し負けているミヤコを見て、アオキはぼんやりと(そういえばカエデさんは割と押しが強いタイプの人だったな……)と思い出す。
それから、ミヤコが案外押しに弱いという新しい発見も知った。だからどうということもないのだが。
そんなことをぼんやり思っていたアオキに顔を向けたカエデが口を開いた。
「流石にアオキさんは私のおうちには呼べませんけど〜」
「はい、それは大丈夫です。この近くで宿を取るので。服も自分でどうにかします」
ミヤコに目線でヘルプを送られるが、女性同士の間に自分が割って入るのもなあと思い、アオキはスルーした。
「あ〜、でもアオキさんはお洋服を変えてもパルデアだと有名ですから〜変装が必要かもですね〜」
と、思っていたらターゲットが自分に移って、ギクリとする。
咄嗟にミヤコへ目を向けるが、彼女には笑顔で微笑まれただけだった。先ほどスルーしたツケが即座に返ってきた。
「いえ、カエデさん、自分はジム写真でも顔を出してないので……」
「でもパルデアの人はみ〜んなアオキさんの顔知ってますからね〜」
ゆっくりと近づいてきたカエデはいつも通りのふわふわした笑顔のままアオキの方へ手を伸ばす。
唐突に顔の方へ伸ばしてくる手に内心ギョッとしながらもカエデの手を振り払うわけにもいかず、アオキは咄嗟に目を瞑る。
「前髪とか下ろしたらいいんじゃないでしょうか〜」
「……え?……うわっ」
カエデはアオキの髪に触れると、彼が朝にオールバックのように掻き上げた前髪をわしゃわしゃと撫でるように崩した。
落ちてきて額にかかる前髪の感触に固まっていると、やがてカエデの手が離れる。
「あらあら〜男前になりましたね〜」
「……カエデさん、なにを……」
「ほら〜髪型変えるだけで人って雰囲気変わりますから〜」
目の前で頰に手を寄せて微笑むカエデに戸惑いつつ、助けを求めるように再度ミヤコへ目を向けた。
「……え゛」
視線を向けた先にいたミヤコは、どうしてか酷く不機嫌そうな顔でアオキを見ていた。
例えるのなら二股かけてる男を見ているような、それくらい素っ気ない視線だった。
冷たい目で見られて、なにもしていないはずなのに何故か冷や汗が背中を伝う。
……知らないうちになにかやってしまったのか?
困惑するアオキと、露骨に不機嫌なミヤコを見たカエデは楽しそうに笑うと、ミヤコに何やら耳打ちしてから「ではミヤコちゃん〜また後で〜」と店の方へ戻ってしまった。
よくわからないが置いていかないで欲しい。
そう思いながら立ち尽くすアオキを見て、ミヤコは少しムッとした顔つきで言った。
「ふーん、そうですか」
「……あの、どうしましたか、ミヤコさん」
「カエデさんと随分仲がよろしいんですね」
「え?」
唐突にミヤコに腕を掴まれる。そのまま早足で歩き出すミヤコに引っ張られてアオキもつんのめりながら歩き出す。
「美人に見惚れてないで、さあ仕事です仕事!農園の視察に行きますよ!」
「え、あ、はい」
アオキの腕を掴んだまま大股で歩き出したミヤコは数歩進んでから立ち止まる。それからジト目でアオキを見上げた。
「……アオキさん、私と一緒にカフェに行ってくれるって言いましたよね?」
「え、あ、はい、言いました」
「ならいいです。よろしくお願いします」
「はい……」
「あと!」
「はい」
「……前髪、私もいいと思います、男前かと」
「……お気遣いありがとうございます?」
「まあ、今はそれでいいです。…………大丈夫よ、ミヤコ。私は『じわれ』さえ当てたことのある女なんだから……」
小さく何やら呟いた後、ふーっと軽く息を吐いたミヤコはアオキの腕を離してから、自身の顔を両手で挟むように軽く叩くと「失礼しました。気を取り直して、行きましょうか」といつもの笑顔を彼へ向けた。
「密猟組織に依頼を出したのがこちらの時間で昨日深夜、密猟組織のほうから金額を含めた同意の連絡が来たのが本日朝です」
「となると、本日の夜にすぐミニーブを捕まえに来るか、というと微妙ですね」
「ええ、アール団自体がパルデア外の組織なのでハンターも他地方の人間でしょうし、仮にすでにパルデアにいて今夜ここに来るとしてもまだ下見段階でしょう」
「そのレベルだと相当不審でないと観光客と見分けるのは難しそうですね」
2人はセルクルタウンの周囲にあるオリーブ農園を見て回る。
今日は午前中にセルクルタウンやオリーブ農園の視察と関係者との顔合わせをした後、午後に仮眠をとって、夜に見回りという流れを予定している。
カエデ経由で話を受けている農園の組合関係者に「これから何日かかけて近頃発生している密猟対策のための視察をするため、不審なことがあったらカエデかアオキに連絡をして欲しい」と話をつける。
彼らへはGメン側の依頼やミニーブが密猟対象になっていることまでは伝えない。彼らが過剰に警戒することで、逆に密猟組織に不審がられて囮依頼であることがバレたら元も子もないからだ。
「セルクル来たなら絶対『ムクロジ』行かないとダメだからね!ミヤコちゃん!」
「まだ行けてないんですよ〜!SNS見たんですけど全部可愛いじゃないですか、どれ買えばいいか迷ってて〜」
「まずは王道にケーキ系じゃない?」
「えー、あたし絶対岩シュー食べて欲しいんだけど」
「結論全部じゃん?」
「セルクルって言ったらオリーブでしょ!カフェ限定のティラミスはオリーブオイルを使ってて美味しいの!絶対行って!」
「え、やばすぎ。絶対行きます」
初めこそ、外の地方から来た探偵ということでやや遠巻きな視線を受けていたミヤコだったが、いつもの口達者モードで容易く農園の方々の懐に入っていっていた。
特に女性陣とはスマホロトムの画面を見合いながら盛り上がっている。それをアオキは(すごいな……)と思いながら眺める。
「ミニーブって可愛いですよね。人懐っこい子なんですか?」
「農園で働いてる私たちにはだいぶ懐いてるけど、基本警戒心高めの子だよね」
「そうそう、進化前の草ポケモンであんまり強くないからね」
「ねー、たまに鳥ポケモンに襲われてたりして」
「え!捕まっちゃうんですか?」
「いや、あたしらが助ける前に苦いオリーブを体から出して大体自分で撃退してるよ」
「た、たくましい……。じゃあ知らない人にもちゃんと警戒してくれそうですね」
(ミヤコさん、ちゃんと情報収集してる……)
「ミヤコさんってすごいですね……営業に向いていると思います」
「ええ?なんですか急に」
農園から街へ戻る最中にそんなことを言えば、ミヤコに笑われた。
「いや営業さんはダメですよ。私割とカッカしやすいので、ムカついたら手が出ると思います」
「そうなると営業以前の問題な気がしますが……依頼者殴ったこととかありませんよね?」
「いやいや、依頼者さんは無いですよ」
「……依頼者『は』、ですか……」
そんな話をしながら、2人並んで街へ向かって歩いて行った。
2人が『ムクロジ』に戻ると、シフトを終えたらしいカエデにミヤコが捕まった。カエデにハグされて確保されたミヤコが彼女の腕の中でもちゃもちゃしている。
「ヒェッ!カ、カエデさんシフト終わるの早くないですか」
「スタッフの皆さんが早めに上がらせてくれたのよ〜。さあ〜私の家に行きましょうね〜」
「クゥーン……」
引き摺られていくミヤコに目線でヘルプを送られるが、女性同士の間に自分が割って入るのもなあと思い、アオキは遠ざかっていくミヤコに小さく手を振るにとどめた。
……さて、自分の宿を探しに行かなくては。