アオキ「……というのが妻との出会いです」   作:ホネホネ

16 / 22
13

 

立ち上がったアオキはスラックスについた土を軽く払ってから、振り返りミヤコの元へ歩みを進めた。地面にぺたりと座り込んだままの彼女はどこか惚けたような表情でこちらを見ている。

 

……急に話に割り込んで驚かせてしまったかもしれない。

なんとなく申し訳ないような心地になりながら、彼女へ声をかける。

 

「あちらの方がハンターの逃走先が西の入江のほうだと教えてくれました」

 

ゆっくりと歩いて、彼女の前で立ち止まり、軽く膝を曲げる。それから座り込んだままのミヤコ手を差し出した。

 

「もう大丈夫です、ミヤコさん。行きましょう」

 

そう言って差し出された掌をミヤコは見つめる。

夜なのに世界が明るくて、視界の端でぱちぱちと星が瞬いているみたいだった。

 

それから彼女はふと、自分はずっとこうやって手を差し出してくれる誰かをずっと待っていたのかとしれない、と思った。

あの死体まみれの研究室で震えていた自分に彼のような人が……いや、あの時にほかでもない彼がこうやって手を差し出して、私を外に連れ出してくれていたら……そんなありもしない夢を見る。

 

あの時のまだ10歳だった頃ミヤコの心は、今すぐにでも目の前の人の手を取りたかった。

その手を取ってその腕にしがみついて大声で泣いて自分がどれだけ怖い思いをしたのか聞いて欲しかった。もう一度大丈夫だって言って欲しかった。そうしたらきっと彼は何度でも大丈夫だと言ってくれるし、泣き喚くミヤコの支離滅裂な言葉を静かにそばで聞いてくれるだろう。

 

けれどもう大人になってしまったミヤコは、差し出された彼の手を取ろうとして、ふとその直前で動きを止める。

 

……急に、自分の手が吐瀉物や血で汚れているような気がした。

 

そう思った瞬間に痙攣したように震える手。

こんな汚れた手では目の前の優しくて尊い人にふれられない。……ふれていいわけがない。

私はもう子供じゃないのだから、自分の足で立たなくては。

 

そうしてミヤコは自分の手を引き戻そうとした。

その手をアオキは進んで掴んだ。

 

「……え」

「立てますか?」

 

アオキは彼女の手を取ると、立ち上がる手伝いをするようにその手を握って自分の方へ引き寄せる。

 

不意を打たれたミヤコはグッと引き寄せられたその勢いのまま、不安定に立ち上がり、タタラを踏んで、勢い余ってアオキの胸に飛び込んだ。ふらつく彼女をアオキは両腕を軽く開いて受け止める。

それが結果的にアオキがミヤコを抱きしめるような体勢になった。

 

「……っ!……ッ!?」

「すみません、強く引っ張りすぎました。腕とか痛くないですか?」

「あ、あ、だ、だいじょぶ、です……けど、あの、わ、私、汚れてる、ので」

「……?いえ、ミヤコさんは綺麗ですが」

「ミ゛」

「自分の方こそ走ってきたので汗かいてて……すみません」

「い、いえ、そんなことは、全然。こちらこそ、ありがとうございます。あの、立たせてくださって……」

 

勢い余ったミヤコを支えようと咄嗟に彼女の背中にふれていた掌を離して、アオキは今更ながら冷や汗をかきつつホールドアップした。

何もやましい意味はありません、服越しに彼女の下着の金具部分に手が当たったのは本当に偶然なんです、許してください、無抵抗です、弁護士を呼んでくださいのポーズだ。

 

ミヤコはミヤコで意中の男性と想定外の密着をしたために、それまでの感傷はすべて吹き飛んで今は大きく高鳴る心臓を抑えるのに必死だった。

な、なに今の。心臓が痛い。ときめきがすごい。え、香水?なんかすごく男性っぽい良い匂いがした……。

 

そのまま彼の胸に身を預けてしまいたい気持ちでいっぱいだったが、ミヤコは慌てて首を横に振った。

 

「い、行きましょうか!ミニーブたちを助けに!」

「あ、はい、行きましょう」

お互いに数歩後ろに下がってとりあえず一定の距離を取って向かい合った。2人共、慌てて頭を切り替える。

ラブコメっている場合ではない。事件はまだ続いているのだから。

 

「現場に向かうにあたってなのですが、」

切り替えるようにそう前置きするアオキへ、ミヤコはうなづきながら耳を傾ける。

 

「ミヤコさんは直接ポケモンに乗って空を飛んだ経験はありますか?」

 

 

 

 

 

ハンターを追うにあたって、徒歩では間に合わないと判断してアオキは自身の鳥ポケモンの力を借りることをミヤコへ提案した。

提案といっても実質その方法しかハンターのもとに向かう手段はなかった。徒歩ではあまりに時間がかかり過ぎるし、体力が取られる。

 

そんなわけで、現在アオキはウォーグルに、ミヤコはアオキのムクホークの背に乗って入江へ向けて空を飛んでいる。

 

先ほどのアオキからの問いかけに首を横に振ったミヤコは今、下を見ないよう必死に顔を上げながらムクホークにしがみついていた。

以前も高いところ……というより、高いところから落下するのが苦手と言っていた彼女だ。今も言葉にはしないながらも受ける風や気流によって揺れることに顔をこわばらせている。やはり少なからず緊張しているようだ。

 

彼女の気を紛らわせるためという意味合いも含めて、今このタイミングでアオキは彼女へ声をかける。

それは彼がずっと思っていて、彼女に伝えたいと思っていたことだ。

 

「……ミヤコさん、少しだけ聞いてください」

「は、はい」

「……さっきの件やこれまでの付き合いであなたが精神的にも肉体的にも強い人だということはわかりました。……ですが、たまには他の人……いえ、もっと自分を頼ってください」

「…………」

「問題を1人で抱え込んだり解決しようとしないでください。互いに支え合うためのバディです。……あなたの力になりたい。頼りないかもしれませんが、自分にあなたを守らせてほしいんです」

「……アオキさん、ごめんなさい」

 

並んで飛ぶポケモンの上、ぽつりぽつりと言葉を告げるアオキへミヤコは顔をむける。

その言葉を受けた彼女は少しだけ困ったような顔を見せながら口を開いた。

 

「……あの、風が強くてちょっとお声が遠くて……。今の、もう一回言ってもらってもいいですか……?」

 

申し訳なさそうな彼女の表情には全く嘘がなくて、これには流石のアオキも肩をがくりと落とした。

それなりに気合を入れて言った言葉が全然届いていなかったらしい。

思わず半目になる。いや、声が通らない自分が悪いのだが。しかしもう一回言うのはなんか恥ずかしい。

 

「……いえ、大したことではないので気にしないでください」

「ぜ、絶対嘘じゃないですか!なんかまあまあ長いこと喋ってましたよね!?」

「……では、あとで話します」

「え!?なんて!?」

「…………」

「あの、諦めないでもらっていいですか!?」

 

スン……とちょっとわかりやすく拗ねた様子を見せるアオキにミヤコも思わず声を上げる。

その反応にアオキは内心で少しだけ笑って、それから「入江が見えてきましたね、そろそろ下降しますよ」とミヤコへ声をかけた。その言葉にミヤコはうなづいて、それからアオキを見つめて言った。

 

「アオキさん」

「はい」

「ミニーブたちは大丈夫ですよ」

「……なにか手を打ってる、ということですか」

「ええ、メタモンがミニーブに変身して、本物のミニーブたちに紛れてハンターに捕まってくれています」

「……それは、大丈夫なんですか?」

「もちろん!私のメタモンはとっても優秀な子ですから!」

 

そう言ってミヤコは自信をもって笑った。

アオキは思わず彼女のその元気そうな笑顔に流されそうになったが、さっきアオキが言ったのはそういう大事なことは1人で抱えずにもっと早くにちゃんと共有しておいてくれということである。基礎的な報連相の話だ。

 

「……ミヤコさん」

「はい!」

「あとで反省会です」

「な、なんでですか!?」

 

なんでもクソもない。

組織に所属せずワンマン業務に慣れてしまうとこうなるんだなと思った。何故か羨ましくはなかった。

 

 

 

 

言葉が足りなかったとはいえ、ミヤコ自身もそれなりの経験を積んだ探偵でありGメンではある。

入江に辿り着いた時には、確かにこの事件はほぼ解決していたと見てよかった。

 

アオキがウォーグルから地に降りた時、そして彼がグロッキーな顔をしているミヤコに手を貸した時、2人の耳に届いたのは透き通るような歌声だった。

その声をアオキは実際には聞いたことはない。ただその姿だけは文献で知っていた。

 

「……ラプラス」

首長竜のような姿に、背中に大きな甲羅を持つポケモン、ラプラス。

快晴の空のように青い体は見上げるほど大きく、海に浮かんでは楽しそうに口を開けて歌っている。

 

「カントーのチャンピオンがGメンを兼任している関係で四天王の方々とも交流があるんです」

ミヤコはアオキの隣に立ってそんなことを言った。

 

「かつてカントー四天王には氷タイプの使い手がいました。彼女のパートナーであるラプラスとは私とメタモンも何度か顔を合わせたことがあります」

彼女は今四天王を引退してポケモンの保護活動をしていますが、とミヤコは微笑んだ。

 

付近の海を凍り付かせてハンターたちの逃走用の船を動けなくさせたラプラス──ラプラスに変身したメタモンは、やってきたアオキとミヤコに気がつくと元気よく鳴き声を上げた。その甲羅の上にいるミニーブたちもぴょこぴょこと跳ねて元気そうだ。安堵する。が、しかし。

 

「ミヤコさん」

「はい!」

「あとで大反省会です」

「な、なんでえ!?」

 

いや本当にここまで読めていたのなら、もっとちゃんと報連相しておいて欲しかった。

 

「……まあ、それは後にして、我々も仕事を終えましょう」

「ええ、そうですね」

この場で元気が無いのは、密猟したポケモンには逃げられ逃走用の船まで確保されてしまったハンターたちだけだった。

 

黒ずくめの服装に身を包んだ男女2人組のハンターはやってきたアオキとミヤコを見ると苦々しそうな顔で2人を睨みつける。

それさえ気にすることなくミヤコは2人へ外面のいい笑顔を向けた。

 

「こんばんは。対組織犯罪捜査官、通称ポケモンGメンのミヤコと申します」

「パルデア地方ポケモンリーグ所属のアオキです。現行犯ではないので任意での警察への同行になりますが、ご協力いただけますか」

 

アオキがそう声をかけてみるが、あまりご協力いただけそうにない顔つきにミヤコは肩をすくめる。

ハンターたちは素早くモンスターボールを構えた。女の方が低い声で唸るように吐き捨てる。

 

「そこの男、飛行ポケモンを持っているな。奪って我々の逃走に利用させてもらう……!」

「……ですって、アオキさん」

「怖いですね」

さして怖がった様子もなくアオキは答えた。

そして迎え打つように2人もモンスターボールを構える。

 

「まったく、乱暴な人って嫌ですねえ」

「でもミヤコさん、さっきの男性のこと殴ってましたよね」

「え?あー、あっ、もしかしたら揉み合った時に拳が当たってしまったのかもしれません。そのことですか?」

「露骨すぎます……反省会の議題が増えましたね……」

「む」

「貴様らなにをごちゃごちゃと!」

 

痺れを切らしたハンターたちがボールを投げる。すると男のボールからはゴルバットが、女の方からはニューラが飛び出してきた。

それを見たアオキとミヤコも返す刃のように素早くボールを投げる。

 

「気合を入れていきましょう、ムクホーク」

「みんなを守るよ、ランちゃん──ニドクイン!」

 

ミヤコのボールから飛び出してきたランちゃんと呼ばれたニドクイン。その大きな体躯でトレーナーを守るように大きく一歩、前へ進み出る。

その時に一瞬だけ、彼女は流し目でアオキを見た。それに気がついたアオキと視線が交差する。

その瞬間、ニドクインがアオキに対して少し笑ったような気がした。それはまるで「まあ、お前にならいいか」と認めるような顔つきのように見えた、のは気のせいだったのか。

それを確かめようとした次の瞬間にはニドクインはすでに眼前の敵へ視線を向けられていた。

 

戦闘が始まる直前のひりついた空気の中、アオキのムクホークは大きく翼を広げて鋭く鳴き声を上げ、敵対するポケモンたちへ威嚇をする。

かかってくるのならば命は無いとばかりに威圧するその姿に、一瞬怯えたようにゴルバットとニューラが身を引いた。しかしそれを見た女ハンターは鋭く叱咤する。

 

「この程度で怯えるな!ニューラ!こごえるかぜ!」

「引き受けます。ムクホーク、インファイト」

 

冷たい冷気を纏ったかと思うとそれをこちらへ向けて放とうとするニューラ。

その攻撃が繰り出される前にムクホークは素早く距離を詰め、ニューラの闇に紛れるかのようなその体を鋭く殴打する。

反面、敵の懐に入ったことでノーガードとなったムクホークへ敵のゴルバットが飛びかかる。

 

「今だ!ゴルバット!どくどくのきば!」

「ニドクイン、ゴルバットへれいとうビーム」

 

ゴルバットが攻撃を仕掛けようとしたその瞬間、ニドクインが遠距離から特殊技を的確に撃ち込んだ。薄いゴルバットの体が冷たく鋭い攻撃で弾き飛ばされる。

 

地面に落下するゴルバットと、崩れ落ちるニューラ。

ポケモン勝負はその一瞬で勝敗が決した。

瞬間にミヤコが駆け出す。

 

「犯人確保します!」

「ミヤコさん、乱暴はダメで……あ、もういいです」

 

駆け出した勢いのまま女ハンターの方へドロップキックをかましたミヤコを見て、アオキは肩を落とした。

仕方なく男の方の確保に向かう。逃げようとする男に足をかけて転ばせて、地面に押さえつける。

 

「確保しましたが、どうするんですか」

「先に女を穴抜けの紐で捕縛しますね。少々お待ちください」

「……なんですかそれ。常にロープ持ってるんですか」

「え?穴抜けの紐は旅の基本装備では……?」

「いえ、カントーの常識で語られても……」

「む!偏見の匂いを察知!」

 

女ハンターの手足を拘束したミヤコは続いてアオキが押さえ込んでいる男ハンターも同様に拘束する。手慣れてる……とアオキは思った。

縛り終えてから、汚れを落とすように手を叩いて立ち上がったミヤコはそれからアオキへ声をかける。

 

「アオキさん、警察への連絡とミニーブたちの保護をお願いできますか」

「はい、了解です」

 

そううなづいたアオキがスマホロトムで警察へ通報しつつメタモンたちのいる海辺へ向かうのを見てから、ミヤコはアオキへ向けていた穏やかな表情を消してハンターを見下ろした。

男のハンターよりも立場が上らしい女ハンターのそばに膝をつくと、顔をこちらへ向けさせる。

 

「さて、あなたは私とお話をしましょうね。まずは幹部の、アポロの所在を吐いてもらいましょうか」

「……何の話だ」

睨みつける女ハンターにミヤコは無表情で語りかける。

 

「あなた方のような新興組織が早々に裏社会にのしあがるなんておかしなことです。前身となる組織があった、とカントーのポケモンGメンのほうでは考えています。……それがロケット団なんじゃないですか?」

「……へえ、Gメンとやらも案外単純なんだな」

ミヤコの言葉にハンターは挑発的に笑った。

その返答にミヤコは一瞬不愉快そうに眉を寄せる。

ハンターは続けた。

 

「確かに我々はそう名乗ったよ。ロケット団はかつてカントーを裏から支配していた組織だ。元ロケット団だと触れ回れば裏社会で動きやすくなるからな。だが名乗っただけだ。実情は違う。実際のところ我々はそんな過去の遺骸と何の関係もないのさ。貴様のいう幹部とやらも知らんな」

「……そう。まあ、いいでしょう。詳しいことは後ほど警察の方へお話ししてくださいね」

 

ミヤコは顔を上げるとそばに立っていたニドクインへ向けて軽く首を横に振った。ニドクインは一度不満げな顔をしたが、彼女に見つめられて折れたような顔をする。

 

「話は終わりか?Gメン」

「ええ、あなたとはあまり有益な話ができそうにないので」

「そうか、ならさよならだな。……ゴルバット!この女にかみつけ!」

 

先ほど倒して瀕死になったはずのゴルバットがほとんど這いずるような様子で飛びかかり、ミヤコの左の二の腕に噛み付く。

彼女の細腕に鋭い牙が突き刺さり、骨にまで達する。

 

……それをミヤコは当然のように真顔で受け止めた。

 

「…………は?」

「あなたの浅慮に助けられました。残念ながら密猟の現行犯はできませんでしたが、これのおかけで傷害罪は確定です」

 

瞬間、ニドクインの尾がゴルバットの体を一線した。吹き飛ばされたゴルバットは今度こそぴくりとも動かなくなる。

 

ミヤコは噛み付かれてできた腕の傷に唇をつけると、そこから自身の血を吸って、すぐにぺっと地面に吐き捨てる。ゴルバットの牙に毒があることくらいは知っていた。応急処置だ。

しかし、カエデから借りた綺麗な服の袖が大きく破けてしまったことに気がついて、眉間に皺を寄せる。

内心の苛立ちを隠しきれないままに口を開く。

 

「私を殺す気ならどくどくのきばにしておけばよかったのに。そういうところに覚悟が足りないんですよ」

「……はっ、そうかよ。貴様の助言は今後の参考にさせてもらうさ」

 

諦めたように力を抜いて地面に寝転がる女ハンターを確認してからミヤコは立ち上がり、アオキのいる方へ歩き出す。

流石に少し眠かった。ふらつく体にニドクインが寄り添って支える。

 

海辺近く、ミヤコがやってきたことに気がついたアオキは足元で跳ねているメタモンとミニーブたちを踏まないようにしながら彼女の元へ歩み寄った。

 

「警察への連絡は完了しました。引き渡しまでここで待機を……ミヤコさん?」

「あ、はい、なんでしょう」

 

アオキはミヤコの左腕に気がつくと、驚いたように目を見開いて、それから彼女へ駆け寄った。

焦った様子を見せるアオキにミヤコは笑顔で応えた。

 

「何があったんですか」

「大したことありませんよ。ちょっとハンターを煽ってゴルバットで攻撃させただけですから。これで現行犯が確定したので警察側としても、」

「ミヤコさん」

 

鋭く名前を呼ばれて、ミヤコは思わず驚いたように肩を揺らしてアオキを見上げた。

彼の顔を見つめて、それから思った。

 

……嗚呼、この人も怒ったりするんだ、と。

 

アオキは黙ったままミヤコの右手を取ると、近くにあった平らな石の上に座らせる。

メタモンとニドクインもミヤコのそばに寄り添い、不安げな様子で怪我をしたトレーナーを見つめていた。

アオキはポケットからハンカチを取り出すとそれ以上血が回らないように患部より上の位置できつく結ぶ。

それから彼女の前に膝をつくと鞄から毒消しを取り出して、赤黒く腫れ上がったミヤコの左腕へ処置を始めた。

 

「……アオキさん」

「黙ってください。……あなたを怒鳴りつけたくはない」

 

アオキはできるだけ感情を抑えながらそう告げた。会話は消えて、途端に静まり返る夜。

けれど、怒っているというくせに、ひどく優しい手つきで彼は彼女にふれた。

温かい手だ。その手をふれられて、ミヤコは場違いにも心地良ささえ感じた。……怪我してよかった、なんてことさえ内心で思う。

 

これから警察が来て、事後処理を終えて、任務が完全に終わればこの人との日々も終わりを告げる。

その前に、好きな人に壊れ物のように優しく触れてもらえたのだ。最後の思い出としては上々だろう。疲労か眠気か、霞がかった思考でミヤコはそう思う。

 

そんな彼女の前で、淡々とした処置を終えたアオキは深く息を吐いた。

彼は自分自身がその時冷静ではなかった自覚があった。

抱えきれない怒りを感じるのが久しすぎて、感情が溢れた時にどうなるのかわからなかった。

それでも彼女を傷つけたかったわけではない。だからこそ沈黙を選んだ。

 

自分の中の感情が落ち着いたのを確認してから、アオキは顔を上げる。ミヤコを見つめれば、目の前に座っている彼女もまたアオキを見つめていた。視線が合う。

アオキが抱いた激情を知ってなお、彼女は穏やかな表情で彼を見つめていた。だからむしろアオキのほうが不意を打たれたような心地だった。

何から話すべきか、伝えるべきか、迷って名前を呼ぶ。

 

「……ミヤコさん」

「はい」

「……二度と、自分を犠牲にするような真似はしないでください」

「ふ、ふふ、反省会ですか」

「そうです、あなたには本当に怒っているんです」

「例えば?」

「問題を1人で抱え込むところも、大事なことを共有しないところも、すぐに手が出るところも、何の相談もなくこんなことをするところも」

「……嫌いに、なりましたか?」

 

ミヤコはそう問いかける。

その声音はどこか、アオキにうなづいて欲しいとさえ思っているようだった。アオキが答えるより先に、ミヤコは言葉を重ねた。

 

「アオキさん、あのね、私はきっとあなたが思うような人ではありません。私は愛想笑いが上手で、他人の懐に入るのがうまくて、嫌いな人が相手でも夜通し笑顔で話ができます。必要なら暴力も辞さないし、最善と思えば腕の1、2本失うことも奪うことも厭わないでしょう。他人の悪意を心の底から憎悪しながら、自身が悪意を振るうことに躊躇いなどない、そういう矛盾した生き物なんです」

 

ミヤコは気がついている。

彼女の中で膨れ上がったアオキへの恋心は、これから先の人生にまで抱えて生きるには辛すぎるものだ、と。

この人に愛されたいと思う。手を握ってほしい。抱きしめてほしい。そばにいてほしい。

けれどそれを望むには己はあまりにも醜悪で汚くて、ずっと続く悪夢に魘されている。だから目の前の善良な人の隣に立つことはできない。自分がこの人に好かれるに、愛されるに値しない人間だと知っている。

叶わないのならば潰えたい。いっそ嫌われてしまいたいと思う。

この優しくて善良で尊い人への想いなどいっそ完膚なきまでに叩き壊されて仕舞えばいい。そうすればすべてをこの土地に置いて去っていける。いい機会だ、とさえ思った。

 

全部終わらせてしまおう。

湖を濁すことなく飛び立つ鳥のように。

あるいは、絶えて土に還る亡骸のように。

 

「私はそういう人間です。だからあなたとの約束は守れない。守る意味もありません。任務は終わり、もうあなたと会うことは二度とないのだから」

アオキが握っていた右手を、ミヤコは振り解く。

 

瞬間、ふれあっていた体温は途絶えて、離れ離れになった掌の温度が冷たい夜の空気に冷やされていく、よりも、前に、アオキは取り戻すように彼女の手を掴んだ。

 

「困ります」

 

離れかけていた手を掴み直したアオキはミヤコの目を見てそう言った。

その視線に胸の真ん中が貫かれるような感覚になりながら、ミヤコは戸惑いを振り払って言葉を吐き出す。

 

「……なにが、ですか」

「約束を守ってもらえないことも、あなたと二度と会えないことも……嫌いになったと誤解されることも困ります」

「……おっしゃっている言葉の意味がわかりかねます」

「そうですか……では端的に伝えます」

 

彼女の右手を両手で包み込むように握る。

その時、感情を言語化するのは驚くほど容易かった。

意味と言葉に相違はなく、伝えた言葉だけが感情の全てだった。

 

「ミヤコさん、あなたのことが好きです」

 

口にすることで、アオキは改めて彼女への好意を認識する。

そうだ、ずっと彼女に惹かれていた。誰がなんと言おうとも、その気持ちは今この瞬間でさえも変わらない。

 

けれどミヤコにとっては予期しない言葉だったのか、混乱したような表情でアオキを見つめる。だからこそ、彼はゆっくりと伝えた。

 

「だから困るんです。あなたが傷つくことも、あなたに会えなくなることも、すべて」

 

そう告げたアオキを、ミヤコは揺らいだ瞳で見つめていた。愛を告げられた喜び以上の、怯えと恐れ。

喉を震わせながら彼女はアオキを見つめて呟いた。

 

「…………どうかしてます。正気じゃない」

「そう見えますか?」

「……だって、私には、あなたに好いてもらえる理由がない」

 

お化けを怖がる子供のように、彼女は震えていた。

アオキはゆっくりと首を横に振る。

それから彼女へ向けて表情を和らげる。

 

「……あなたの優しさもひたむきさも、自分にはとても目映く、暖かいものだった。それを守りたいと思うのはおかしいことでしょうか」

 

それから彼女の手を少し自分の方へ引き寄せる。

怯えたように体を震わせるその人の選択に全てを任せようと思った。

 

「それでも、ミヤコさん、自分があなたをどう思っているかは大したことではないんです。大切なのは、ミヤコさんが自分をどう思っているか、です」

「……は」

「ミヤコさん、嫌であるのならそう言ってください。あなたが拒絶するのなら、自分はこの手を離し、二度とあなたの前に姿を見せません。あなたのことが好きだから、それがあなたの望みならば叶えます」

 

元よりアオキにとってミヤコは幾億と遠い場所で輝く星のようなものだった。

どれだけ高く空を飛ぼうとも宇宙には届かない。

届かない星にふれられるとは思わない。

愛故に手を離すことはアオキの中で矛盾することではなかったから。

 

握る手の力を緩める。

彼女が望むのなら振り解けるように。

けれどそうした途端にミヤコは親とはぐれた子供のように不安そうな顔をした。彼の手の中で小さな白皙の手が震える。

 

「……わ、私は、あなたなんて、」

 

ミヤコの声が震える。選択を迫られる。溢れる感情を、どうしたら良いのかなんてわかるわけもない。地を這うしか手段を知らない彼女にとって眩い空を見上げるのはあまりに辛いことだったから。愛故に手を離すことが正しい時もあると知っている。

そう、だから、この手はきっと、離すのが正しい。

一時、彼の心を傷つけるとしても、この温かい手を振り払うことこそが何よりも……。

 

ふ、とミヤコの体が揺れる。ぐらり、と、体が前へ倒れ込んだ。アオキは咄嗟に彼女の体を抱き止める。

彼女の頬がアオキの首元にあたり、吐息がかかる。

毒が回ったのかと焦るアオキにミヤコは呟くように言葉を吐いた。

 

「……アオキさん」

「ミヤコさん、体は大丈夫ですか」

「問題、ないです。聞いて、アオキさん。私は、私は、あなたのことなんて、本当に、」

 

それから彼女は諦めたみたいに力を抜いて、アオキに委ねるように体を任せた。

 

「……本当に、大好き」

「……え」

 

耳元で囁かれた声に、アオキは彼女の背中に手を回したまま固まる。返ってくるとしたら最上で「嫌いではない」だと思っていたアオキにとって、彼女の言葉はめざましビンタよりも衝撃だった。

縋り付くようにアオキに身を寄せるミヤコは何かを話そうとして、結局それが嗚咽にしかならなくて肩を震わせていた。

 

「……っ、あ、ごめん、なさい、ごめんなさい、アオキさん、だいすき、で、えぅ、あ、ごめんなさい……」

「どうして謝るんですか、泣かないでください、大丈夫です、大丈夫ですから」

 

啜り泣く彼女をアオキは今度こそ躊躇いなく抱き締めた。彼女の髪が頬に当たる。

子供のように泣き噦るその人が愛おしくてならなかった。

 

その時、不意にミヤコの後ろにいたメタモンとニドクインと目が合う。

メタモンはアオキと視線を合わせると嬉しそうに笑ってからボールへ戻る。

 

対してニドクインはじっとアオキの顔を見つめた。何かを確かめるみたいに。アオキは彼自身珍しく視線を逸らしたいという感覚に陥ることなく、その瞳を見つめ返す。

やがてニドクインは「クゥーン」と喉を鳴らすように鳴いたかと思うとアオキの額を鼻先でコツンと小突いてからメタモンを追うようにボールへ戻った。

……多分、任されたのだろう、と思った。

 

「……大丈夫。大丈夫です」

それを見届けてから、アオキはミヤコの背中へ手を回して落ち着かせるようにそっと撫で続けた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。