自慢ではないのだが、女性とデートをした事がない。
……本当に自慢ではなかった。だが事実なので仕方がない。
子供の頃に異性の友人と街へ出かけたことをデートだと主張する気もないし、仕事の都合で異性と食事に行ったことをそうだと判断するつもりもない。また、そういった経験のない自分を異常に感じる感覚もなかった。
自身の幼年期から青年期にかけて恋愛に関心がなかったのか?と問われると、やや考えてからうなづいてしまうかもしれない。
まだ駆け出しのトレーナーだった頃の自分は強いトレーナーになることに自身の時間の多くを割いていたはずだったから。そう、あの頃はまだ。
…………いや、この話はやめよう。
まだ自分が自分以上の何者かになれると信じていた無知な頃の自分を思い出すことは、今のアオキにとっては胸を掻きむしりたくなるくらいの羞恥と諦観に身を晒す行いに他ならなかったから。
閑話休題。
問題は過去にではなく、現在にある。
問題というのはアオキの隣を、パルデアの広い景色を物珍しそうに眺めながら歩いている女性、ミヤコのことである。
誤解のないように言っておきたいのだが、彼女に問題があるのではなく、彼女と共にいる自分に問題がある。
簡潔に言うのならば、つまるところ、…………彼女と何を話していいのかわからない。助けて欲しい。
いやわかっている。これはあくまでも仕事なのだから仕事の話をすればいいのだと。だが、だからといってそればかりするわけにはいかないだろう。
これから数日、いやもしかしたら数週間単位で関わる相手だというのに仕事の話ばかりでは気が滅入る。彼女が滅入らずとも、自分が滅入る。アオキは思った。
現在は2人はリーグ本部からテーブルシティへ出て、空飛ぶタクシーを使ってチャンプルタウンへ到着。
そこから西2番エリアを道沿いにオージャの湖へ向かっている。
「現地調査でオージャの湖に行くのなら明るいうちの方がいい」と提案したのはアオキで、その提言をミヤコが素直に聞き入れた結果2人は今、申し訳程度に舗装された道を並んで歩いている。パルデア地方でまともに舗装されているのは街かポケモンセンターくらいで、それ以外はそのままの大自然が残されている。
湖まで空飛ぶタクシーで向かうことは可能だったが、そう遠い距離でもないし、道を把握するという意味もあって徒歩で向かっていた。
この道はアオキにとっては慣れた道であるし、一本道で迷うことはない。順調だ。
ミヤコとは街を出た時の「行きましょうか」「はい」以降、一切会話がないこと以外は順調だ。天気も良い。
沈黙が続くごとに重くなる心を抱えながらアオキが歩いていると、ふと隣を歩いていたミヤコが口を開いた。
「……アオキさん、私ずっと考えていたのですが」
「……はい」
それまでずっと隣で何事か考えていたミヤコが不意に神妙な声音で切り出したため、アオキは若干助かったなと思いながらとりあえず真面目な顔で相槌を打つ。
「私たちはこれから長期間ともに任務にあたるわけです。となると咄嗟の時の連携なども考えて、お互いのことをもっと知りあうべきではないでしょう?」
「……なるほど」
その言葉にアオキも納得した。確かにその通りだ。
これからのことを考えれば、表面的なパーソナルデータ以上に相互の理解が必要になる。
まずは手持ちのポケモンとその技構成あたりからだろうかと思いながら「何から話しますか?」と問うと、ミヤコは変わらず真面目で神妙な顔のまま隣に立つアオキを見上げて唇を開いた。
「……好きな食べ物、とかからでしょうか?」
アオキは噴き出しそうになったのを咄嗟に堪えた。
その結果凄まじく咳き込んだが。
突然咳き込んだアオキにミヤコはびっくりした顔で立ち止まり「うえ、大丈夫ですか?」と目を丸くした。
「ゴホッゴホ、……すみません、大丈夫です。少しむせて……んん」
思い返せばリーグ本部でも彼女は「あくまでもポケモン所持資格者であってトレーナーではない」と発言していた。
ポケモン所持資格とは文字通り、トレーナーではないが業務や介護など何らかの理由でポケモンを所持する必要のある人を対象とした資格のことだ。
医療従事者にとってのラッキーや、空飛ぶタクシー運転手にとってのイキリンコなどがそれに当たる。ミヤコの場合は探偵という仕事を手助けするメタモンがそうだ。
つまり彼女はトレーナーではない。
だから、バトルの連携というものに思考が至らないのだろう。
……真面目な人なのだが、たまに変なボケを見せる時がある。悪いことではないのだが。
少なくとも永い沈黙に耐えかねていたアオキにとってはどんな話題であれ救いに近い。
「……おにぎり、とかですかね。歳を取ったら結局シンプルなものに落ち着いてきました」
「いいですね。中の具にこだわりはあるんですか?」
「特別好き嫌いはありませんが、塩結びが好きかもしれません」
「おお、まさにシンプルイズベストですねえ」
振ってくれた話題に面白みのない答えをしてしまった自覚はあったが、それでも彼女が楽しそうに受け答えしてくれたのが有り難かった。
「……ミヤコさんはどうですか」
自分ばかりが話す時間に耐えかねて、彼女に話題を振る。すると彼女は「そうですねえ」と一拍おいてから答えた。
「非常にざっくりとした回答になりますが、甘いものは好きですね。先日の『宝食堂』でもデザートに善哉をいただきました。あれは、素晴らしいですねえ」
「……あの後も食べてたんですか。昨晩も思ってたんですが、かなりの健啖家ですね」
「はは、昔からあんな感じで……両親を困らせましたねえ」
「普段からあれくらいの量を?」
「いえ、流石に毎日だとエンゲル係数が凄まじいことになって財布が火炎車ですので、たまに大きい仕事の前とかだけにしてます。あと昨日は偶然入った『宝食堂』のご飯がとても美味しかったので……」
思い出したのか表情を緩ませるミヤコに、アオキも少しだけ口元を緩めた。
それは見る人が見ても判別がつかない程度の表情の変化だったけれど。
西2番エリアから橋を渡った先、オージャの湖に辿り着く。湖の方から吹き抜ける風が2人の髪と衣服を揺らした。
「もう少し進むと高い崖があって、その先に湖があります。好戦的なポケモンはそういませんが比較的レベルの高いポケモンが多いのであまり自分から離れないようにお願いします」
アオキがそう言うと、ミヤコは今より更に一歩アオキの方へ寄って「はい、こちらこそお願いします」と相好を崩した。向けられた信頼にむず痒くなりながらも軽く顎を上げて空を見る。
視線の先には、街を出る時にミヤコに気が付かれないよう出したムクホークが上空を旋回していた。
ムクホークはアオキの指示通り、2人に近づこうとするポケモンへ威嚇をしている。
不用な対応かもしれないが、トレーナーではないミヤコがいる以上無用な戦闘を避けるためだ。
歩くほどに最低限舗装されていた道も最早ほぼ無くなっていき、生い茂る草を革靴で踏み締めて進む。
人の気配に逃げるポケモンと、遠くから眺めるポケモン。夕方に向けて色を変えていく西の昼空。2人分の足音。
「ミヤコさん、ここがオージャの湖です」
やがて辿り着いた崖の先から、2人は広い湖を見下ろした。
視界いっぱいに広がる凪いだ青色。西に傾いた陽の光を受けて水面はキラキラと輝き、その下を大きな魚影が悠々と泳いでいくのが見えた。
崖の下から吹き上げる風は強く、ミヤコは思わず崖のそばから少し離れる。それから感嘆して、肩を落とす。
「……安易にシャリタツを第一候補に上げなくてよかったと心から思っています」
彼女は一度言葉を止めて、深く息を吐いてから続ける。
「この湖は広過ぎる……」
目の前に広がる広大な湖に、彼女はそう呟いた。
その声も強い風に掻き消されて、すぐ隣にいたアオキにしか聞こえなかった。
「オージャの湖はこの地方の約10分の1を占める大きな湖です。パルデアの大穴と同じ程度のサイズだとか。向こうの岩壁が見えますか?あの岩壁の間から直接北パルデア海に繋がります」
「そんなに広い湖から小さなシャリタツを保護する、というのはあまりにも困難すぎますね。それに海に繋がっているとなると船でそのまま逃走される危険がありますし」
そんなことを話している2人のそばで死んだフリをしているシャリタツをミヤコはチラリと見てから小さく「お寿司……?」と小首を傾げた。
一応もう少しこのあたりを見ておきたいと言ったミヤコの意見をアオキが受け入れて、2人は坂を使って崖の下まで降りる。崖の上よりも湖に近くなったことで、湖の中を泳いだり岸近くを歩いたりする水ポケモンたちの姿が目に入るようになった。
湖岸に立ったミヤコはどこまでも広がる湖を見つめてはどこか驚いたような表情のまま辺りを歩く。
確かにこれほどまでに大きな湖というものはほかの地方には滅多にないものなのかもしれない。
「これは波乗りができる子がいないと調査のしようがありませんね……」
そう言って、ポケットに手を入れっぱなしにしたまま水辺に近づいたミヤコへ、湖を泳いでいた1匹のミガルーサが突進しようと体をばたつかせて加速する。
それに気がついたアオキはいつも通りのフラットな声音で「ミヤコさん」と彼女の名前を呼んだ。
「あ、はい、どうしましたか?」
名前を呼ばれた彼女は湖に背を向けて、アオキのほうへ振り返った。
その瞬間、上空から素早く急降下したムクホークがその両脚でミガルーサを捕らえて、そのまま再度水面を蹴るように高く飛び立つ。
そうしてミガルーサを捕まえたまま、ムクホークは湖の中島の方へ羽ばたいていった。
聡明なパートナーだ、適当なところで放して戻ってくるだろう。
そう思いながらアオキは唇を開いた。
「いえ、あまり湖に近づくと靴が濡れてしまいますので」
「え?ああ、そうですね!すみません、見慣れない景色だったのでつい気になってしまいました」
照れたように笑った彼女は素直にアオキのいるほうへ戻った。それから彼の前に立ち、頭を下げる。
「アオキさん、お付き合いいただきありがとうございました。もう戻りましょう」
「いいんですか?」
「ええ、結論として現状の人員……というか、私が担当者ではここの対応は無理ということがわかりましたので充分な収穫です」
「前向きですね……」
中島の方から太陽を背にムクホークが戻ってくるのを見てから、アオキは彼女と共に来た道を戻ることにした。
「今日このままロースト砂漠の方へ行くのはおすすめしません。もうすぐ日が暮れますし、あそこは昼と夜の寒暖差が激しいので」
「ご助言ありがとうございます。では明日に回すことにしますね」
「……もしよろしければ、自分も明日同行していいでしょうか?」
「有難いです!いいんですか?」
「はい、ロースト砂漠の近いカラフシティにはジムがあるので念のため話を通しておければと思っています。それとハンターの逃走経路の話になるのですが、砂漠の近くにマリナードタウンという港町があるんです」
アオキは一度言葉を区切ってから続けた。
「そもそもの前提の話なのですが、パルデアは様々な要因で空路があまり発達していません。精々資格を持った方による空飛ぶタクシー程度で、飛行機さえもパルデア上空の通過は基本的に制限されています」
「一応、その理由を聞いてもいいですか?」
「パルデアの大穴があるために上空の気流の変化が激しいからだそうです。空を飛ぶ技の使用が資格制なのは、パルデアには飛行中のポケモンへ地上から攻撃してくるポケモンがいるため、ある程度の技量がないと命に関わるからです」
「野生の治安……」
若干引いた顔を見せるミヤコにアオキは首を傾げた。
パルデアもまあアレだがガラルほどではないだろう、と思ったからだ。
パルデア地方の住民は自分が住む土地の野生ポケモンや地形について、いつも「ガラルよりマシ」と思っている。
「とにかく、そういうわけで基本的に地方から地方への移動には海路が利用されます。多少見知らぬ船が行き来していても違和感がないのは先ほど挙げたマリナードタウンかと思いますので、念のため確認しておいても良いかと」
「助かります。ええ、ぜひそうしましょう!」
2人が来た道を戻り、チャンプルタウンに着いた頃には日はすっかり落ちていた。
「いやー疲れましたね!」
隣でグッと伸びをする彼女を夕食に誘おうか一瞬だけ逡巡したが、なんらかのハラスメントに当たる気がしてやめた。
「宿はどちらに取っていますか?」
「動きやすさを考えて、テーブルシティにしています。今日はこのままタクシーで戻りますね」
「はい。では、明日はカラフ西側のセンター待ち合わせでお願いします」
やってきた空飛ぶタクシーに乗り込みながら、ミヤコはアオキへ手を振った。
「アオキさん、今日はありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」
ミヤコは笑って、空を見上げる。そうして空を指差すと言った。
「あの子にもぜひお礼をお伝えください!」
「……気付かれてましたか」
遠ざかっていくタクシーを見送るアオキの肩に降りてきたムクホークが悠々と止まる。
しっかりと働いてくれたパートナーへ労わるように首元を撫でてやれば、心地良さそうに喉を鳴らした。
「あ」
不意にあることを思い出して、アオキは口をポカリと開けた。
「……チリの連絡先を教えるのを忘れていました」
呟いたアオキに、知ったことかとばかりにムクホークはそっぽを向いた。