SPIDER-MAN:No memory 作:その前ロマエ
閉じた瞼越しに光を感じて目を覚ます。
体を起こし、軽く伸びをする。
閉めたと思っていたカーテンは開いていて、そこから光が差し込んでいた。
寝相が悪かったのか、体にかけていたはずの毛布は床に落ちている。
目覚めのゆったりとした時間もそこそこに、ベッドから降り、スマホをパジャマのポケットへ入れて洗面台へと向かう。
歯を磨き、顔を洗い、タオルで顔についた水滴を軽く拭い取る。
眠気が残った頭を冷水で消し飛ばしたら、改めて鏡を見る。
鏡には、世界に誇るべき美少女が映った。
黄金の肩にかかるぐらいの髪、目鼻立ちの整った顔、ブルーサファイアのような瞳。
笑顔、落ち込んだ顔、自信ありげな顔、不安そうな顔など、表情の練習を一通りする。うん、今日も可愛い。
台所に行き、コンロに火をつけ、やかんでお湯を沸かす。その間に食パンを袋から一切れ取り出し、それをポップアップトースターに突っ込み、焼き上がるのを待つ。
ポケットからスマホを取り出し、SNSアプリで検索をかける。
検索ワードは、スパイダーマン。
『スパイダーマンってどう考えても女の子だよなあ」
『ヴィジランテとか、結局のところヴィラン予備軍じゃん。スパイダーマンは何で人気なの』
『スパイダーマンにこの前助けられたんだけど、あれ普通にプロでもやってけるだろ!』
SNS上ではスパイダーマンに対する称賛の意見、批判の意見が投稿の大半を占めている。
その中の一つが、目に留まる。
『ヴィラン出現! ヒーローまだ来てないよ! 早く来てくれスパイダーマン!』
位置情報と写真付きで投稿されたそのつぶやき。
「っはー……よし、準備するか」
寝室へと戻り、クローゼットの奥の方に隠すように仕舞ってある赤色と青色の手作りスーツとベビーパウダーを引っ張り出す。
着ているパジャマを脱ぎ捨て、先輩スパイダーマンの助言と経験をもとに、ベビーパウダーを関節部を特に意識して全身に塗りたくる。
スーツの下半身部分を履き終わり、その後に上半身部分を着る。
下半身部分と上半身部分を繋ぎとめるホックを付け終わると、マスクを手に取り台所へと戻る。
ちょうど焼き上がったトーストを掴み、口にくわえる。
マスクを口の部分だけ出るように半分だけ被りながら台所の、人一人がちょうど通れそうな窓を開ける。
僕は、そこから外へと飛び出した。
そうして、街に繰り出す……こともなく、部屋に戻ってくる。
火を消していなかった。
OK! 最初に説明しておこう。
僕の名前は
僕は15年前に誕生した、らしい。
らしい、らしいっていうのは僕にはその記憶がないから。僕はつい一年前にこの世界にやってきたような感覚なのだ。
僕はいわゆる転生というのをした。僕のヒーローアカデミアって漫画の世界に。
前世じゃ20年近く生きていた男だから、女の子としての自意識なんて持ち合わせちゃいないし、急にこの体になっちゃったで大変だ。
この体でもともと暮らしていた人がいるんだろうなとも思ってたまに罪悪感に駆られそうになるけれど、不思議とそういう時はすぐにその感覚が解消される。
話はそれたけれど、僕は今、この世界で、みんなもご存知の通り、スパイダーマンをやっている。
この世界の人たちが当たり前に持っている個性、僕のはどうやらスパイダーマンの能力をそのまま使える個性らしい。
正直に言ってしまえば、僕はそれに気づいたとき、やった! と思ったんだ。前世じゃスパイダーマンが好きだったから。
それで気づいたけれど、捨石紅蓮っていう名前もスパイダーマンのあの女の子の名前を基にしてるんだって気づいた。むしろなんで気づかなかったんだろう。
そうして、僕がスパイダーマンの力を使えるってことに気づいたら、僕はスーツを作って、ヴィジランテ活動を始めてた。
なんでかって言われたら、僕も分からない。なぜだかそれが僕の義務のような気がした。
しばらく活動していたら、結構有名になって、SNSやニュースでちょっと取り上げられるようにもなった。ファンも結構いる。アンチも同じぐらいいるけど。
話がまたまたそれてしまったけれど、僕はそうやってスパイダーマンとして活動して、電車を止めたり、街の危機を救ったり……はまだしていない。けど、そんなことはしなくてもいい。みんなの小さな危機を救うぐらいでもいいんだ。
だって、僕は──―
「おい! 見ろ! 来たぞ!」
親愛なる隣人のスパイダーマン、だからね。
線路上で暴れている図体の大きいヴィランの前にスイングを終わらせ着地する。
あれっ、もしかしてこのヴィランって原作のあのヴィラン?
まあ、やることは変わらないか。
「クソッ、ヒーローがもう来やがった!」
「大丈夫! 僕はヒーローじゃない。もちろん、ヴィランでもない……親愛なる隣人のスパイダーマンだよ!」
スパイダーマンという名前を聞いてヴィランはただでさえ大きい目玉をさらに大きく引ん剝く。
「スパイダーマン!? クソ、本当に来やがったのか……」
「おー、僕のこと知ってくれてるの? もしかして、僕のファン? そのズボンにサイン書いてあげよっか。多分それ履いて歩いたらヒーローとか警察にはいい顔されないだろうけど」
軽口が気に障ったのか、「うるせえ!」と怒鳴りながらその拳を僕に向けて来る。
「危ない危ない! 暴力はやめない? どうせすぐにヒーローが駆け付けるんだし、ゆっくりお茶でもしようよ! 僕も朝ごはん食べたばっかりでさ、激しく動きたくないんだよね」
その場から跳び退き、そのあたりのビルの壁に張り付く。
「じゃあ、尻尾撒いて逃げるんだな、スパイダーマン!」
ヴィランはそう叫ぶと、足元に敷いてあった線路を無理矢理剥ぎ取り、こちらへぶん投げて来る。
避けるのは簡単だが、ここで避けたらビルに被害が及ぶ。先ほど中を確認したが、若干名未だに避難が完了していない。
「全く、物を投げちゃいけないっていうのは小学生でも教えてもらえることだよ!」
ビルの壁を蹴って上の方向へ跳び、線路の破片を見る。
破片との距離が近づくにつれスローになっていく世界の中で、手首を破片に向けてウェブを発射する。
「そして、物を返さなくちゃいけないっていうのも同じくだよね!」
ウェブが着弾したことを確認次第、体を空中でぐるぐると振り回し、遠心力を活かして破片をヴィランへとお返しする。
僕は随分と遅く感じたが、ヴィランにはそうではなかったようで、破片を直撃している。
再びヴィランの前に着地する。
「ドッジボールじゃ僕の勝ちだけど、どうする? まだやる?」
「うぐっ、痛えっ……」
未だに痛みに悶えているヴィラン、それぐらいの覚悟なら最初からやるなとも思わなくもないが、まあ、それは置いておこう。人それぞれ考え方があるというものだ。
「クソッ、クソッ……クソが!」
悶え終わったヴィランは立ち上がり、暴言を吐き捨てながらこちらへと猛進してくる。
体勢は前傾姿勢。一般的な人型とは結構形が違うけれど、あごに当たるであろう部分は無防備。
「延長戦? 仕方ないな。それじゃあ、これで終わりにしよっか!」
拳を構え、無防備なあごにカウンターのアッパーを決めて、巨大なヴィランを浮き上がらせる。勢いあまって周りのビルに衝突しそうになっていたので慌ててウェブで引き止める。
「ふぅ、朝ご飯を食べたばっかりだって言ったのに」
ヴィランが気絶したことを確認して、ウェブでビルとビルの間に四肢をつないで大の字にしておいてやる。
「よし、見てた皆! 多分ヒーローが来るだろうからこのヴィラン、よろしくって言っておいて! それじゃあ、僕はコーヒーを飲まなきゃいけないから!」
野次馬にそう呼び掛けて、自分のマンションの部屋に戻ろうと動き始める。
ウェブスイングで飛び去って行く僕の背中には、僕の隣人たちの「ありがとう、スパイダーマン」という声が響いた。
OK! 最後にもう一度改めて、説明しておくよ。
僕の名前は捨石紅蓮、十五歳。一年前にスパイダーマンになった。
スパイダーマンになってから電車を止めたりなんかはしていない、けれど、大切な隣人たちを、微力ながら守っている。
何度だって言うよ。僕が、親愛なる隣人のスパイダーマンだ。