九州戦線 傷病者集合点
1971年9月12日
「担架だ!早く!」
「戦闘服が溶けて傷口に張り付いてる!」
「剥がすな!そのままにしてろ!水とビニール!急げ!」
「Ⅲ度熱傷者多数!輸液パックをもっと持ってこい!」
前線より後方の傷病者集合点ではメディックや有志の医者達が前線の将兵達と変わらぬ気迫で救命活動に従事していた。
後送されてくる患者のほとんどが重度の熱傷、あるいは瓦礫や誘爆に巻き込まれて酷い裂傷等を負った患者達のみで軽症者と言えるものはただの1人として存在しなかった。
レーザー光を直視してしまい失明した者、全身を一瞬で焼かれたが運良く…もしくは運悪く生き残ってしまった者、崩壊した建物に巻き込まれて手や足を潰され無くした者、装甲車内で高熱に晒され気道に熱傷を負い呼吸が困難になった者。
本来であれば充分対応出来る範囲の負傷者。だが2度に渡るレーザー掃射により複数の野戦病院や病院船が被害を受け、医薬品などを搭載していた輸送艦や集積所が蒸発させられ、現在九州戦線には医薬品が不足していた…いや、ありとあらゆる物資が不足していた。
輸送艦隊も安全な航路など存在しない事を承知の上で各港に物資を持ち込み、輸送ヘリコプターの編隊が各地に輸送していくが全く足りない。
1万の人員が負傷しているうち100人分の医療品しかないという絶望的な状況の中医療に従事している人々は1人でも多くの人の命を繋ぎ続けていた。
そしてさらに治療を求めて負傷者が集まってくる次第だった。
「ダメです…此処ではもう収容できません、他のところに回せませんか?」
「無理だ、他のキャンプは全て……蒸発した、佐世保周辺で残っている野戦病院は此処だけだ、我々が踏み留まり続けなければ彼等は死んでしまう」
「せめてヘリで他の病院へ回せませんか!」
「再三要請しているがレーザーによる障害の為か通信が繋がらない、現在もオープンチャンネルで呼び掛けているが応答は無い」
「…微力を尽くします…」
「すまない…」
指揮所から出て行く背中を見送りながら考える
(現実問題もう収容人数を超過している…軍人はともかく民間協力者の疲労も無視出来なくなってきた)
このキャンプの隅に設けられた遺体安置所には既に死体袋が積み上げられており、現在も防護服を着込んだスタッフが積んでいる最中だった。
(…どうする…どうするべきだ…)
側に置かれた無線機からは空電が響いており、なんの反応も無い。それがなんだが腹立たしいのか悲しいのか分からなかった。
(ダメだ、人員や補給が来なければ撤退するしかない)
撤退する事をスタッフ全員に伝える為に立ち上がり出入り口に向かう
(負傷者は…放置車両を確保して分乗させても…全員は無理だ、このキャンプにいる負傷者は5284名、スタッフの数は363名…どうしても全員は無理だ)
天幕の出入り口に着いた時、背後にある無線機から声が聞こえてきた
『こちらは第4航空団第21輸送ヘリコプター隊、そちらの無線を受信した、聞こえるか?』
「っ!こちらは第3区野戦病院!聞こえる!聞こえるぞ!」
『良かった、現在こちらは各地から負傷者を撤退させる任務を遂行中だ。そちらの負傷者数は?』
「重症者は5284名!スタッフの数は363名、合計で5647名!もうこの拠点は維持できない、すぐに追加の人員と補給品を!」
『了解した、臨時司令部に指示を仰ぐ…編隊から補給品を搭載したヘリを向かわせた、足しにしてくれ』
「ありがとう…っ…ありがとう…」
『こちらも遅れてすまない、すぐに追加の物資と人員を輸送する、ヘリポートを用意しておいてほしい』
ーー半壊しつつも航空戦力を展開し続けた米海軍第7艦隊と帝国陸軍輸送ヘリコプター隊が緊急展開し続け、多数の生存者たちを拾い野戦病院に送り続け、野戦病院のスタッフ達はその身を削りながらも他者を生かし続けた。
統合軍 医療教育センター
『至るところ、すべての人の為に』
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