鷲は駆ける   作:ボンゴレパスタ

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鷲は駆ける

 

 

 

吹きあがる粉塵に、鼻腔にこびり付く硝煙の臭い。履帯の軋む音が地面に揺らしながら轟く。

 

 

黒鹿毛の髪を靡かせて、肩やズボンの裾にこびりついた土埃に気にも留めることなく、彼女は空を見上げた。まるで空から花火のような爛々たる光が降り注ぎ、周囲からは阿鼻叫喚というべき人々の声が聞こえてくるが、意識が朦朧とした彼女にとってそれは、まるで水中を介して聞いたかのように曇ったものだった。

 

 

沢山の哀しみが…沢山の痛みが………教科書で只々過去に起こった出来事として眺める文章ではない、この視界の景色は、確かな現実として自分に訴えかけてきている。

 

 

両親も友人もいない……いや、そもそも産まれてきてすらいないという表現の方が正しいか。そんな世界の中、彼女は悲鳴を漏らすこともせずに只々呆けた様子でその空を見つめていた。

 

 

……彼は。こんな時、彼だったら。

 

 

彼女の脳内に、とある人物が過る。その男は、軍人だった。骨の髄まで祖国の信奉者として、そして誇り高き、愛国者として彼は戦い続けた。そして彼は、彼は……私にとって。

 

 

これは私ととある男の……産まれた国は同じであれど時代を隔てた2人の、奇妙な物語である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20○○年、4月。

あるウマ娘が、羽田空港に降り立つ。それは、10年もの綿密に続く「スケジュール」の始まりであり、冷静である普段の自身からは考えられないほど胸が高まる一瞬だった。

 

 

「Toi、Toi、Toi……」

 

 

心の中に沸き上がった、大いなる期待とその中に孕む一抹の不安をそう心の中で祖国のまじないを唱えて収めると、彼女は祖国であるドイツから遠く離れたこの地、日本の景色を眺めた。

 

 

「…ここからです」

 

 

感傷に浸る時間は予定には組み込んでいない。既に予定の時刻から15秒のロスタイムだ。彼女……エイシンフラッシュはスーツケースを引きずりながらタクシーに乗り込むと、運転手にその行き先を告げる。本来であれば電車を使った方が良いに決まっているのだが、慣れない異国で、2時間もの電車の移動はあまり得策であるとは言えないはずだ。

 

 

学生の身分で少々分不相応な気もするが、ここは両親から必要な時に使うようにと手渡された仕送りが今手元にあるため、それを使わせてもらおう。なにはともあれ、始まったばかりのスケジュールを今ここでずらすわけにもいくまい。

 

 

彼女を乗せ、タクシーは目的地である日本トレーニングセンター学園を目指して行く。フラッシュは後部座席にその身を預けながら、胸元に下げていたペンダントをそっと持ち上げると、付いているソケットの蓋を開ける。そこには2人の男女が仲睦まじい様子で写真に映っていた。

 

 

…胸にこみあげてくる寂寥感。彼女はしっかりしているとはいえ、まだ年端も行かぬ少女であることには変わりない。留学で遠くの地でこれから3年間、離れて暮らさなければならないという事実は、今になって彼女の胸をじんわりと締め付けてきていた。

 

 

……だからこそ、勝たなければ。ドイツにいる父と母にもその名前が届くように。レースに…G1レースに勝てば、きっと。

 

 

だからこそ、ウマ娘の育成機関として世界トップレベルの実力を誇るトレセン学園の門を叩き、遥々ドイツから脚を伸ばしたのだ。負けは許されない、自身に求められるのは誇りを秘め、それを昇華させた勝利だけだ。だからこそ幼い頃から努力し、その結果留学生として優秀な成績が認められ、異国であるトレセン学園から留学生として認められたのだ。

 

 

タクシーはやがて、ゆっくりと赤信号によって停止する。既にタクシーが停車することも、スケジュールには組み込んでいる。このまま全部の信号で停止しようとも、必ず予定が完遂するように組んでいるのだ。

 

 

今日はその長い道のりの第1歩。ここで想定外のことが起きてスケジュールに異常が発生することなど決してあってはならない。

 

 

フラッシュは満足そうに微笑んでスケジュール帳に少し事項を書き足すと、満足そうにシートに身を預けた。

 

 

……完ぺきなスケジュールだ。

 

 

私の計画にズレはない。これならきっと……

 

 

ドンッ!

 

 

彼女の思考は、突如後部から来た衝撃によって中断させられることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……一体何が?

 

 

意識が朦朧としている。視界は何やら黒い靄がかかったようになり、脚に力を入れることができない。

 

 

自身の身に一体何が起こったのか。突然の出来事に困惑しているフラッシュだったが、視線を向けると、そこには想像も絶するような光景が広がっていた。

 

 

フロントガラスが粉々に砕けた大型トラックが横転し、その前にはアコーディオンのように見るも無残にペシャンコに折れ曲がってしまったタクシーの姿があった。

 

 

……どうやら事故のようですね。

 

 

頭がやっとの思いでたどり着いたその結論。それでも彼女の脳内はそのあまりにもイレギュラーな出来事を自分事として捉えることを拒否し、彼女は何処か俯瞰した目でその凄惨な有様をぼうっと眺めていた。

 

 

……スケジュールを組み……直……さ……

 

 

彼女は自身の目のまえに、赤い液体に浸された自身のスケジュール帳に震えながら手を伸ばすがその直前、彼女の意識は遥か暗闇へと吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……うん?

 

 

どれほどの間眠ってしまっていたのだろうか。フラッシュがゆっくりとその目を開けると、そこは自身が最後に見た光景とは異なる様子だった。

 

 

「……ここは?」

 

 

その声は酷く枯れてしまっている。どうやらしばらく眠りについていたせいで、喉が痛んでしまっているようだ。言葉をうまく発することができない彼女は机の上に置かれている水差しからコップに水を注いで口に流し込んだ。

 

 

……とにもかくにも、私は今どこにいるのだろうか。

 

 

自身の腕には、カテーテルが繋がれその先には点滴がぶら下がっている。自身の視界の先に広がる白い天井、そしてベッドに目をやった彼女は自ずと導き出された自分がいるであろう場所に見当をつけると、ふうっと一つ溜息をついてベッドにその身を預けた。

 

 

どうやら留学初日で事故に遭い、入院する運びとなってしまったようだ。これは本来進める予定だったスケジュールを大幅に変更する必要がある。

 

 

自身の身よりも先に、フラッシュはその人生プランに歪みが生じたことを第一に心配すると、とにもかくにも自分の状況をより深く認識する必要があるとして、ベッドの横に備え付けられているナースコールへと手を伸ばそうとした。

 

 

「……あれ?」

 

 

枕もとにナースコールがない。その時になって彼女は初めて自身の身の周りの状況の異質さに気が付いた。

 

 

……ナースコールはおろか、ベッドサイトモニターすらない。これで一体どうやって患者の様態を把握できるのかと疑念を抱きながら彼女がふと視界をある方向へと定めると、そこにはあるものが置かれていた。

 

 

……新聞だ。

 

 

それは机の上に置かれている新聞だった。これで日程を把握し、自身がどれほど眠ってしまっていたのかを把握することができるはずだ。

 

 

その新聞は、ドイツ語で印字されていて、ドイツ出身である彼女はいとも簡単に読むことができた…否、ドイツ語が堪能である彼女だからこそ、どうして日本にいるはずの自身の手元にドイツ語の書かれた新聞があるのかという疑念を抱くことがなかった。

 

 

「……今日は1939年9月29日。ドイツ軍がポーランド首都、ワルシャワを侵略することに成功……って……え?」

 

 

頭の中が突如、混乱状態に陥る。フラッシュは目覚めたばかりできっと見間違えてしまったのだろうともう一度新聞の見出しを読むが、その内容は1度めと寸分違わず同じものだった。

 

 

「……ど、ど……どういう……」

 

 

顔が蒼ざめながら、フラッシュはその新聞から目を背けるように横を向くが、その視線の先にはベッドの後ろに付けられている窓が移った。

 

 

……窓の向こうから、何やら大きな騒ぎが聞こえる。

 

 

訝しげに彼女がカーテンの隙間からその騒ぎの正体を確認すると、あまりのショックに言葉を失った。彼女の視線の先には数万もの群衆が沿道に押し寄せ、そしてその道の中央には武装した兵士たちが隊列を組んでまるでテーマパークのパレードのように堂々と市街を闊歩していた。

 

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