鷲は駆ける   作:ボンゴレパスタ

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鷲は駆ける5

 

 

 

 

1938年 ドイツ・ベルリン総統官邸にて。

ベルリンの中央省庁が立ちならぶヴィルヘルム街に建てられた、ドイツの心臓部といってもいいその場所。ドイツ帝国以降のドイツ国首相の首相官邸として利用されていたが、1934年に一人の男が大統領と首相の役割を兼ねた「総統」の地位に就任すると、それ以降は彼のための官邸として利用されていた。

 

 

一人の男が官邸の入口の扉から姿を現すと、ゆっくりと建物の前に乗り付けていた車に乗り込んだ。運転席に座る部下が、何度か車の鍵を捻って、癖あるエンジンの尻を叩いてやると、車はゆっくりと発進した。

 

 

冬場になると、自身の身体そのものである鉄が、その全身を突き刺すようにその寒さに包まれる。その痛さともとれる寒さに顔をしかめながら男は……シュトロハイムは無表情のまま後部座席にその身を預けた。

 

 

元来この男は、不遜ともいえるほどの態度を振舞うような素振りが何度か見受けられていたが、今はすっかりとその様子は鳴りを潜めている。それは偏に、先程シュトロハイムが体験したことに起因していた。

 

 

……この国のトップである御方に拝命いただいた任務を、遂行することができなかった。

 

 

秘密裏に頂戴し、大隊規模の人員と資材まで頂戴し完遂するようにと厳命されたとある任務。メキシコで発掘されたとある男について、その仔細を調べ上げて軍事利用に転用する活路を見つけるように、というのがその任務だった。

 

 

既にドイツ国内の軍部でも、戦争の準備が進んでいることは知っていた。初めてそのメキシコに眠っていたという男の話を聞かされた時は、あまりにも荒唐無稽な話に只々驚く他なかった。

 

 

俺自身が、特にそういった迷信の類を信じていたわけじゃあない。正直その話を聞いた時はあの御方の気は違えてしまったと心配をしてしまった。それでもメキシコから発掘されたあの男の姿を見れば、それは迷信でもオカルティズムでもなくただ一つの真実だと信じざるを得なかった。

 

 

これは自身にとって、出世の大チャンスだった。青少年のころからユーゲントとしてその身をドイツに捧げ、親衛隊の少佐にまで上り詰めることができた当時のキャリア。それだけでも今の歳を考えれば御の字を言えるかもしれないが、今回の任務が成功すれば、総統自らの任務ということもあり昇進間違いなしだろう。

 

 

早速ベルリンからメキシコに赴き、親衛隊直轄の基地でその男の監視、そして実験の責任者となった。およそ2000年間の眠りから目覚めたその男の身体の秘密、そしてその深層に迫ることができたのならば、欧州に打ち勝つことができる。先の大戦の雪辱を必ずや果たすことができると息まいていた。

 

 

 

……だがそれは、あまりにも甘い見通しだった。

 

 

 

その男の力は、あまりも人智を逸したものだった。部隊の兵士や研究者の一瞬の隙をついて部隊に襲い掛かってきたのだ。あの男は……最早私たちにとっては神に近い存在だと言ってもいいだろう。そんな男を目覚めさせ、あまつ逃亡を許したのは他の紛れもない自分自身だった。

 

 

勿論被害も出た。メキシコに構えていた基地と、そこにいた部下は全滅した。不測の事態が起きてしまったといえばそうだが、それを並び立てたところでそれは最早言い訳にしかならない。

 

 

その男の逃亡によって、俺自身も瀕死の重傷を負った。もっとも俺の場合は手榴弾で自爆したわけだが。自身の身体は救難信号を受け取り、全て事が片付いたあとに到着した増援によって発見され、直ぐに手術……もとい人体実験が施された。

 

 

長い昏睡状態の後、目覚めたのは凡そ数週間後だった。長い眠りから覚め、初めて見た自身の姿には驚きを隠すことができなかった。

 

 

……顔の半分にはメカのコルセットが覆われ、身体の殆どに触覚がない。自身の胴体をそっと触ると、そこにはとてもじゃあないが人肌ともいえるような柔らかさはなく、冷たい鉄の感触がそこにはあった。

 

 

最早自分は、人間ではなく兵器になってしまったのだろう。それでも、その重要な任務を失敗してしまった自分を見殺しにせず、またチャンスを授けていただいた総統閣下には感謝しかなかった。……それは即ち、次はないぞという意も込められていたかもしれない。それでもまた祖国のために役が立てることが嬉しかった。

 

 

文字通り命を賭けた捨て身の作戦でその男が外へと出ることを阻止した功績と、その男からある程度のデータを収集できたことが認められ、大佐に昇進した自身は、生まれ変わったその身体で男の仲間たちの計画を阻止するために、そしてその男たちが狙っているとある石を奪取するため、スイスへとその足を赴けた。

 

 

次の任務の失敗は許されない。祖国のために。そして自分自身のために。俺はそんな決意を胸に秘めて任務に赴いたはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……その結果がこのザマだ。

 

 

2度目の正直と任させられた任務も失敗し、おめおめと帰還してしまった。総統閣下から頂戴していた部隊も取り上げられ、空っぽな肩書だけが残された自分の処遇については、しばらくの間上層部の預かりとなっていた。

 

 

……脳内にとある男の顔が浮かぶ。ほんの数度会っただけだったが、彼には奇妙な友情すら感じていた。敵国であるイギリス出身のアメリカ人である彼だったが、彼には血脈に刻まれた確かな誇りと、強さがあった。そんな彼はこの世界を脅威から守るために、その身を自身の目のまえで犠牲にしたのだ。

 

 

彼のように、私もあの時に死ぬべきだったのだろうか。そうすれば……

 

 

今年の冬は縛れるな。

 

 

車内からしかと感じる厳しい冬の寒さは、今のシュトロハイムにとってはより一層その心を凍てつかせたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな出来事から、もうすぐで1年が経とうとしている。シュトロハイムは年明けの選抜レースに備えてターフの上を走る身元不明のウマ娘、エイシンフラッシュに向けて視線を送った。

 

 

「……」

 

 

身元不明の彼女の監視をしつつ、その正体を探る。そして彼女の指導官としてオリンピックで結果を残す。それが長い謹慎期間を経て自身に宛がわれた任務だった。

 

 

今回の任務に関しては、どう見方を変えても自身にとって栄転といえる人事の采配ではない。それでも2度の不義理を犯してしまった自身にとっては、今回の任務は間違いなく失敗が許されない任務であることには変わりがない。

 

 

それもこれも、全ては年明けの選抜レースに掛かっている。もしもこのレースで勝つことができず、代表に彼女が選ばなければ彼女と自身はその任を解かれ、すぐさま前線に送られるのが関の山だろう。

 

 

それに今自分は不本意ながら秘密国家警察にマークされている。組織の所属のエージェントであるアーノルドを怒らせてしまったのだから、致し方無いことだろう。奴らが難癖をつけて自身の身柄を拘束しようと行動を起こさないのも、偏に自身が上層部から見捨てられずに直々に任務を拝命している故に他ならない。

 

 

正直に白状してしまえば、自身にとってはこのまま畑違いもいいところである選手指導と監視をしているよりは、汚名を返上し武勲を立てることができる前線に送られた方がいくらかマシだと言ってしまえばそうであるが、紛いなりにも上層部から預かった重要な任務だ。手を抜くような真似をするわけにはいかない。

 

 

「……どうすればいいのだろうなぁ」

 

 

秋空にシュトロハイムの声が小さく響く。最早そこには、かつて存在していた自信に満ちたドイツ軍人の姿はどこにもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本日10月6日、我らがドイツは隣国ポーランドの平定を完遂させたと本部からのニュースが届きました。そのめでたいニュースに、市内のあちこちから歓喜の声が……」

 

 

フラッシュはラジオから流れてくるニュースを途中にそのスイッチを切ると、机を前にして小さくため息をついた。そんな憂鬱なニュースなど聞きたくない。今この瞬間にも、この欧州では多くの血と涙が流れ、自身はその当事者となって立っているのだ。

 

 

少しでも気を紛らわせるつもりで、フラッシュは机の上に広げていた一冊のメモ帳……もとい自身のこの世界のこれからスケジューリングするためのそれに視線を落とす。今までしたためていたスケジュール帳は、この世界では最早役には立たない。それならば少しでもこの世界で心の平穏を、そして正気を保つために。そしてこの狂った世界に少しでも希望と光を見出すために必要だったからだ。

 

 

「……来年の年明けに選抜レースに勝って、それで……」

 

 

少しでも……少しでも……

 

 

スケジュール帳に書き加えていたその手がぴたりと止まり、長い時が流れる。しばらくすると、スケジュール帳のページの上にぽたりと一粒の染みができた。

 

 

「…………」

 

 

だめだ。堪えなければ。

 

 

フラッシュは懸命にその涙を堪えようと努めたが、その目から涙は留まることを知らない。やがてスケジュール帳のページがくしゃくしゃになると、フラッシュはその場に突っ伏して必死に心から感情が零れ落ちるのを堪えた。

 

 

「……お父さん。お母さん」

 

 

この世界ではまだ産まれてさえいない自分の両親のことを想う。この世界には自分を知っている者も、友達もいないし、ましてや味方さえもいない。月夜が差し込むその部屋で、孤独に蝕まれる彼女の泣き声が静かにこだました。

 

 

やがて一頻り泣き、感情に整理をつけたフラッシュはゆっくりとため息を一つ付くと、気持ちを落ち着かせるために部屋から外に出た。

 

 

時刻は既に23時を少し回っている。廊下に付けられている窓から外を眺めると、戦いに勝った喜びだからだろうか、いつもよりも幾分か多くの灯りが街に灯っていた。そんな様子をどこか俯瞰した気持ちで眺めていたフラッシュは、建物を一回りしたらさっさと自室に戻ろうと足を向けた。

 

 

しばらく建物の中をぶらついていたフラッシュだったが、やがて中庭に出るといつも自分がトレーニングにと使っている部室の部屋の中から灯りが灯っていることに気が付いた。

 

 

……?

 

 

こんな時間に一体誰だろうか?ひょっとして、今日の練習の終わりに使ったまま、電気を消し忘れてしまったか?自分でいうのもなんだが、人一倍生真面目な自身がそんなことをするはずがないと内心思いながらフラッシュは部屋の前に近づき、扉の隙間からその中の様子を覗き込んだ。

 

 

「……!」

 

 

その中には机に座る一人の男……数日前から自身の指南役として傍についているシュトロハイムの姿があった。彼は夜の遅くの執務で疲れ切ってしまったのだろう、椅子に身を預け、制帽を額の上にずらして居眠りに耽ってしまっていた。

 

 

「……」

 

 

フラッシュは彼を起こさないようにそっと扉を開けると、室内に脚を踏み入れる。彼が眠っている椅子の前にある机に目を向けると、フラッシュは驚きのあまりに目を見開いた。

 

 

「……これは」

 

 

それはウマ娘人体力学や、トレーニングに関する書物だった。この時代はまだウマ娘の競技に関しても過渡期であり、現代に比べてもその指導技術が比肩できるものではないことは言うまでもないことである。

 

 

それは偏に、任務だからといってしまえばそれまでだろう。それでも彼は彼なりに、私の指導に真摯に向き合おうとしているのだ。そうでなければ寝る間を惜しんでこうして勉学に勤しんでいた。

 

 

今現在、元の時代に帰る方法は分かっていない。それまではこの世界で何とか生きていくほかないだろう。

 

 

…それなら絶望して何もしないよりも。哀しみに、不安に駆られて振り返るよりも。

 

 

秋といえど、ベルリンの夜は冷える。フラッシュは部屋の入口の傍に掛けられている外套を眠っている彼にそうっと掛け、机の上のメモの1枚にすらすらと何やら書くと、彼女はそのまま外に脚を繰り出し、自室へと戻っていった。

 

 

眠ってしまったか。

 

 

シュトロハイムは自身がそのまま眠ってしまったことに気が付くと、凝った身体をほぐすために背中を伸ばした。

 

 

バサッ

 

 

瞬間、自身の肩にかかっていた何かが床に落ちる。シュトロハイムがその床へと視線を送ると、そこには入口の傍に掛けていたはずの外套が落ちていた。

 

 

「……?」

 

 

不審に思いながら机に目を向けると、そこにはさきほどまでなかったはずのメモ書きが残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

夜遅くまでお疲れ様です。

夜の勉強も結構ですが、あまり夜更かしが過ぎると身体に触ります。

適度にお休みになってください。

 

PS・寝る前には温かいミルクを飲むといいそうです。

 

 

 

 

「………小娘め」

 

 

そのメモ書きを残した相手のことを思い浮かべたシュトロハイムは小さくそうつぶやいたが、その口元には本人も気づかぬ笑みが浮かんでいたのだった。

 

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