鷲は駆ける   作:ボンゴレパスタ

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鷲は駆ける6

 

 

1940年1月。

厳しい冬の寒さを乗り越え、春の訪れが間近に迫ったこの頃だが、世間では心休まらぬ日々が続いている。

 

 

ポーランドを制したドイツは、その国を秘密裏に同盟を交わしていたソビエト連邦と割譲すると、しばらくは目立った動きを見せていなかった。

 

 

だがエイシンフラッシュはその未来を知っている。

 

 

史実通りに事が進むとすれば、ドイツは本格的に動き出すのはあと4か月後。フランスに本格的な侵攻を開始したドイツは、瞬く間に欧州の殆どを手中に収めることになり、その戦火を、密約を結んでいたはずのソ連にまで伸ばすことになる。

 

 

 

その排気筒から煙を吐き出しながら、1両の車両はベルリンの街中を進む。現代の車と異なり、そのドアにはサイドガラスは付けられていない。凍てつくベルリンの風が車内に容赦なく.吹き込み、フラッシュはその寒さに一度身体を震わせると、身にまとっていた外套の襟を口元まで引き上げた。

 

 

「今日は冷えますね。」

 

 

隣の座席に身を預ける男、シュトロハイムにそう声を掛けるが、彼から言葉が返ってくることはなく、車内には何とも言い難い沈黙が流れる。フラッシュはその気まずい空間から逃れるように車外の景色に目を向け、気を紛らわせることにした。

 

 

「……」

 

 

この世界に来て、早3か月が経過した。シュトロハイムと知り合ってからそれほどの年月が経過したというわけだが、彼と仲が深まったり、交流をしたりといったおよそ通常のトレーナーと担当ウマ娘のような代物は存在していなかった。

 

 

それは当たり前だ。彼は「命令」で仕方なく自身の傍にいるわけであって、軍人である以上は畑違いも甚だしい小娘の監視と指導にあたるよりは、戦場で軍人としての本分に従事した方が遥かに良いと考えるのも無理はない。

 

 

……それでも。

 

 

例えどんなに彼がこの任務を望んでいなかったとしても。例えこの世界に味方がいなかったとしても。

 

 

私は今日行われる選抜レースに勝利し、オリンピックの代表選手にならなければならない。それは決して今の歪んだ祖国に対しての忠誠心から来た願いなどではない。もしも代表選手になることができなければ、私の命の保証はない。スパイとして秘密国家警察にその身柄に引き渡されるか、お役御免として前線に送られるか……いずれにしても悲惨な運命が私を待っている。

 

 

元の時代に帰る手段も分からない以上は、この世界に順応し、そして何より「生き延びなければならない」。フラッシュはそう決意を胸に秘めると、前方に見えてきた巨大な建築物に目を向ける。

 

 

そこにはローマのコロッセオのような、見上げるほど巨大な競技場だった。それは今のドイツにもある施設、ベルリン・オリンピア・シュタディオンだった。幼いころに両親に連れられて現地へと足を運んだことがあったが、1936年のベルリンオリンピックの際に開場したその施設は、フラッシュの記憶に留まっていた姿よりも、いくらかクラシカルな雰囲気を纏っていた。

 

 

……さて、失敗は許されない。

 

 

やがて車がゆっくりと競技場の傍で停車すると、フラッシュはゆっくりとその場に降り立った。昨晩の雨でアスファルトは少々滑りやすくなっている。彼女はその肺から白い吐息を漏れ出させると、ゆっくりと会場へと足を踏み出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨晩はよく眠れなかった。

 

 

シュトロハイムは決して自身の寝不足が悟られることがないように、フラッシュの背後で口元を手で覆いながら欠伸を一つすると、ゆっくりと彼女のあとをついて行っていた。

 

 

競技場に入り、選手の控室に歩みを進めていると、ちらほらと選抜レースに参加する予定あろうウマ娘と、その監督役である他のトレーナーたちの姿が見えてきた。

 

 

「ハイル」

 

 

彼らの敬礼に敬礼で返しつつ、シュトロハイムは廊下を進んでいったが、すれ違う彼らの顔に僅かではあるが蔑みの感情が含まれていることを、彼は見逃さなかった。

 

 

「……」

 

 

親衛隊大佐。この戦時において、それほどの上級階級である彼が戦地に赴かず、こんな国事行為と雖も政府にとっては片手間である任務に勤しんでいるのか、それが気にならないものはいないだろう。それに「柱の男」と「石仮面」の任務について、具体的な任務の内容はトップシークレットであり、トレーナー職を宛がわれる程度の軍人が及び知ることができるものではないことは自明の理であるが、それでも任務に失敗し閑職に追いやられているということは風の噂として彼らの耳にも届いていた。

 

 

既に見慣れた彼らの視線。それを無視するようにシュトロハイムは先へと……何処に続いているとも知らないその道の先を進んでいった。

 

 

「……」

 

 

フラッシュはそのシュトロハイムを包む視線に目をやる。彼は数年間、この視線に耐え続けてきたのだ。確かに彼は任務に失敗してしまったのかもしれない。それでもこれほどの誹りを受ける謂れはないはずだ。

 

 

「……大佐。」

 

 

「……?」

 

 

シュトロハイムはいぶかし気に彼女に顔を向ける。フラッシュはしっかりとその目を見据えながら口を開いた。

 

 

「……必ず。必ず勝ってみせます。」

 

 

彼だって、誇りある一人の人間だ。眠い時は眠るし、食事も取り、感情もある。機械じゃあない。そんな彼が誇りを取り戻すために私がするべきことは、偶然にも私がやらなければならないことと同じことだった。

 

 

「……そうか」

 

 

シュトロハイムはそう短く答える。彼の顔を、形容し難い表情を浮かべるその顔を見やると、フラッシュはそのままターフの方へと足を繰り出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会場には溢れんばかりの観客が、そのウマ娘たちの雄姿を一目見ようと押し寄せていた。当たり前のことだが、この時代のドイツにはインターネットも、テレビもなく、あるのはラジオのみ。戦時下の国民にとって、娯楽とはこの上ない嗜好品となる。

 

 

「…………さて。オリンピックの代表を決める選抜レースが始まりました。第4レース注目なのは名家の秘蔵っ子、シュバルツゴルトです!」

 

 

その名前を呼ばれたウマ娘は、とても気高い様子だった。ブロンドの髪を靡かせた彼女は、その自信を見せつけるように髪を掻きあげると、周囲にその気品を頻りにアピールしていた。

 

 

彼女の次に現れた、ゼッケンをつけたフラッシュが登場すると、会場からまばらではあるが歓声が起こる。会場に集った人々に一つ礼をすると、彼女はゲートにその身を収めた。

 

 

「toi,toi,toi………」

 

 

小さくそのまじないをつぶやき、胸に手を置くと、彼女は他のウマ娘たちと同じように前傾姿勢を取った。

 

 

「スタートしました。」

 

 

ゲートが開くと、ウマ娘が一斉に前方へと飛び出していく。それはフラッシュにとって、命を賭けたダッシュだった。トレセン学園に入学する際に行った、実技試験でもここまでの気持ちでは走らなかった。

 

 

ベルリンの凍てつく風が、肺を突き刺すように刺激していく。興奮していく自身とは裏腹に、脳内はいたって冷静だった。コースの芝の状態も、前方を走りウマ娘たちの息遣いやペース配分、どこでギアを入れれば前に抜け出すことができるのかも。

 

 

「前方に上がっていったのは、2人のウマ娘!エイシンフラッシュと、名家の令嬢、シュバルツゴルトです!」

 

 

シュバルツは驚いた表情で、自身よりやや後方に控えているフラッシュに視線を送る。このレースで、たかが1選抜レースで自身の速さを脅かすようなウマ娘などいないはずだ。レースの前に確認したデータでも、フラッシュは今までのレースに参加したような経歴はない、ぽっと出のウマ娘だったはず。

 

 

懸命にその脚を繰り出すが、その速度を上げるたびに、後ろのウマ娘はその速度を落とすことなく食らいついてくる。その敢然たる事実は、シュバルツの自尊心を著しく貶すことになった。

 

 

「Fickt‐euch!」

 

 

淑女らしからぬ言葉が口から漏れ出るが、そんなことを気にしている余裕さえも、今の彼女にはなかった。やがてフラッシュは彼女に並び立つと、二人はもつれ込むようにゴールを並んで通過した。

 

 

「ゴール!まさかの大どんでん返しぃぃ!圧勝かと思われたシュバルツゴルトに待ったをかけたのは正体不明のウマ娘、エイシンフラッシュだぁぁぁ!」

 

 

シュバルツ家たるもの、この程度のレースで同着となるとは。

 

 

彼女は乱れた髪を搔きながら、自身に背中を見せる彼女…エイシンフラッシュへと目を向けた。

 

 

「…………この借りは必ず」

 

有象無象の顔の中、これほどまでに人のことを忘れてなるものかと思ったのは生まれて初めての経験だった。それはある種の愛憎に似ていた…シュバルツは彼女のことを睨みつけたまま、ターフを足早に立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よくやったな」

 

 

レースを終えたフラッシュにシュトロハイムはそう声を掛けた。その表情は窺い知ることはできない。それでも、彼女にはこの機械仕掛けの男に掛けねばならぬ言葉があった。

 

 

「…………私。同着1位でした」

 

 

「…………それは見ていた。選抜に選ばれるかどうかは、タイムが速い順番に決められていくことになる。君は間違いなく選抜になるだろう」

 

 

選抜の順位は同一1位。そのタイム自体も他のレースと比較しても文句なしで早いタイムを叩きだしているのだろう。

 

 

「………それじゃあ、早く戻るとするか」

 

 

そう言うと、シュトロハイムは足早にその場を立ち去ろうとする。今こうしている間にも、周囲には彼を取り巻く侮蔑の視線が取り巻いていた。一刻も早く、この視線から逃れたいといってたまらない様子に、フラッシュには見えた。

 

 

「シュトロハイム大佐!」

 

 

フラッシュは意を決すると、周囲が何事かと振り返るほどの大きな声で、彼のことを呼び止めた。シュトロハイムはその歩みを止めると、彼女のほうへとゆっくりと向き直った。

 

 

「…………?」

 

 

 

「私は代表選手になりました!これから行われるオリンピアに勝利して、その名誉を祖国に持ち帰ります!」

 

 

それはあまりにも、蛮勇と受け取られても致し方ないセリフだった。周囲のあざけるような視線の中で、唯一シュトロハイムはその目を動揺で大きく見開いていた。

 

 

「………!」

 

 

「そして…それは……貴方の担当ウマ娘としてです!誇り高きドイツのウマ娘として!」

 

 

自然というにはあまりにも長い沈黙がその場を支配する。フラッシュはその沈黙に耐え切れずに目を逸らそうとしたが、それを寸でのところで踏みとどまった。もしもここで目を逸らしてしまえば、二度と彼の信頼を勝ち取れない気がしたからだ。

 

 

シュトロハイムはやがてふっと溜息をもらすと、車に向かって歩みを進める。やがてその途中で一度だけ脚を止めると、後方に声を掛けた。

 

 

「……さぁ、帰るぞ。フロイライン…いや、エイシンフラッシュ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ニューヨークの昼下がりは、人々の往来が留まることを知らない。その大都会の中央のビルの一角で、一人の若い男が数日ぶりの休憩を楽しむために、皮張りのソファに身を沈めていた。190センチは優に超えているであろう体躯に、左手を動かすたびに、軋むような音が室内に響く。そんな男はとある不動産会社の社長だった。スピードワゴン財団の助けもあって、数年前から始めた不動産ビジネスは非常にうまくいっていた。自身の不動産会社も、既にNYの中では名だたる企業の内の一つとして名を連ねていた。

 

 

「貴方、お茶を淹れましたよ」

 

 

そう言って自身のもとに近づいてくるのは、数年前にNYで式を挙げたイタリア人の妻だった。彼女の好意に男は笑顔で応えてカップと新聞を受け取ると、そのカップの中の良い塩梅で淹れられているお茶を啜り、新聞の記事に目を通した。

 

 

「東京オリンピック開催か……」

 

 

世界では今、大きな闇が地上を覆いつくそうとしている。今はまだ戦いに参加していないアメリカもどうなるかは分からないし、故郷のイギリスは諸悪の根源であるドイツの目と鼻の先だ。男はその不安を振り払うかのように顔を上げると、溜息をつきながらその記事に再び目を通した。

 

 

開催国は日本。別に日本が嫌いというわけじゃあなかったが、今の日本はドイツ同様に軍国主義の道を歩み始めている。そんな国が主導で動くとあっては、大方プロパガンダが目的となっているとみて間違いないだろう。

 

 

…それに腹立たしいのは、その歪な平和の祭典にイギリスやアメリカも参加を表明したということだ。もしも参加などしなければ、きっとオリンピックも枢軸共の独り相撲で終わっていたことだろう。それでも祖国も奴らと同じ土俵に上がることを選択した。それは即ち、我々もオリンピックを政治の道具として利用する選択を取ったということだ。

 

 

ある種の苛立ちを覚えながら男は椅子から立ち上げると、窓から広がるニューヨークの摩天楼をじっと見つめる。すると、机の上に置かれている黒電話が来電を告げる。男は電話を取ると、徐に口を開いた。

 

 

「………はい。ジョセフ・ジョースターです」

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