運動場の中央に、フラッシュたちが一列に並ぶ。2月の風は凍てつくような寒さを宿し、彼女たちを容赦なく突き刺す。練習を切り上げた彼女たちは、シュトロハイムから支給された制服を身にまとい、寒さを凌ぎながらシュトロハイムの到着を待っていた。
練習試合を兼ねているとはいえ相手は他国の精鋭部隊であり、これは間違いなく国務行為の一つだった……国務である以上、行為に赴く自身も制服を着て出迎えなければならない、そんなことは分かっているつもりだった。
しかし彼女は自身が身にまとう、その所属を示す衣服に辟易していた。
こんな制服……
地獄の悪魔でさえ目を背ける、そんな所業を平気で繰り返してきたのがこの軍団であり、現代を生きる私たちはその歴史を痛いほど認識している。シュバルツたちがどう思っているかは知らないが、フラッシュにとって、この制服に袖を通すことは、屈辱と罪の鉄の十字架をその身に背負うことに他ならなかった。
私は決して、悪魔の手先なんかじゃあない。
それでもオリンピックに向けてその権威を示すためにも、正式な場では制服を着るようにとシュトロハイムからお達しがあり、チーム全員分の制服を支給されたのが先日の出来事だった。
寒空の下で顔をしかめながらも、フラッシュはシュトロハイムから制服を渡された時に彼からかけられた言葉を思い返していた。
「こうすれば、お前が敵国のスパイとして疑惑の目を少しでも軽減させることができるかもしれない。」
冷や飯を食わなければならない立場とはいえ、シュトロハイムもれっきとした武装親衛隊の将校である。親衛隊は総統直轄の軍団で権限は強く、その中でもシュトロハイムは政府の中枢人物たちとも交流がある。シュトロハイムが自身の配下としてフラッシュを据え置くことによって、少しでもゲシュタポの捜査から彼女を守ろう、その意図が込められているようにフラッシュは感じ取っていた。
あの男…1939年にタイムスリップしたフラッシュを、スパイと決めつけて尋問しようとしたゲシュタポの、アーノルド。彼はきっと、すんでのところで逃れた獲物である私と、面目を潰したシュトロハイムに対して虎視眈々と、その首を狙っているに違いない。
一歩外に出れば敵だらけ。そんな状態のフラッシュを少しでも守ろうという彼なりの気遣いを、渡された制服からは感じ取っていた。
「一同気を付け!」
庁舎の入り口に2台の車両が停車し、それぞれからウマ娘たちが降り立ってこちらに近づいてくる。その先頭で声を張り上げたシュトロハイムが、運動場の中央で一列に並んでいたフラッシュたちの向かいに彼女たちを並ばせると、言葉を続けた。
「彼女たちが日本からやってきた、東京オリンピック代表選手たちだ。そして私の隣にいるのが彼女たちの教官、西竹一少佐だ。」
シュトロハイムの隣にいる男……日本をはじめとしたアジアの人たちの特徴として見られる小柄な体格ではあるものの、周囲の者を圧倒させる何か覇気のような者をその「西」と呼ばれた男は纏っていた。
男はドイツの代表選手たちを見渡すと、その口に笑みを浮かべながら口を開いた。
「紹介にあった通り、私は日本陸軍省軍ウマ娘補充部、西竹一だ。今日は貴殿らとレースを通じて交流を深めることができるのを、遥々極東の地から楽しみに来た」
代表選手の一人であるシュバルツが列から一歩前に進み出ると貴族の所作らしく、仰々しく頭を下げて歓迎の意を示し、日本からやってきた一同に言葉を掛けた。
「長旅で疲れているでしょう。今日のところはお休みになって……」
日頃高飛車な態度を取るシュバルツらしくない振る舞いに驚きの目を向けるフラッシュだったが、これも彼女が幼い頃から貴族の娘として厳しい教育を受けてきた賜物であると言えるのであろう。しかし気品を持って発せられた彼女の言葉は、日本の選手団の一人であるウマ娘によって遮られることになった。
「……それには及びません。今すぐにも、レースはできています。」
黒髪の短髪で、まるで触れれば切れてしまうようなナイフの鋭さを内包したその瞳をシュバルツに向けて彼女はそう淡々と言葉を口にする。今すぐにでもレースをしたいというやる気に満ち満ちているともとれる言葉だったが、その文意には例え長旅明けのコンディションであっても負けるはずがないという絶対の自信が窺い知れた。
シュバルツは面喰ったような表情を浮かべていたが、やがて自身が遠回しであるものの侮辱されたことに気が付くと、まるで茹で上がった蛸のようにその顔を紅潮させて不遜な彼女のことをにらみつけたのだった。
「ウラヌス。よさないか」
西はそう言って傍に控えるウマ娘に言葉をかけると、ウラヌスと呼ばれた彼女はぴたりと口を閉じ、姿勢を正した。やはり軍としての教育は徹底されているのだろう。直利不動で動かない彼女を横目に、西はシュトロハイムたちに声を掛けた。
「そうは言っても早くレースをしたい彼女たちの意思も尊重したいんだ…どうだろう?このまま模擬レースをするというのは?」
シュトロハイムが自身の担当たちに判断を任せようと彼女たちに首を向けると、シュバルツをはじめとして闘志一色の表情を浮かべていた。彼はため息を一つつくと、徐に口を開いた。
「……彼女たちも問題ないそうだ。準備にとりかかろうじゃあないか。」
男は運動場の中央で模擬レースの準備に取り掛かるシュトロハイムたちの様子をみながら、死角になっている場所に身を潜めていた。
気絶させた兵士はしばらく眠っているし、一目のつかない場所に隠したので早々敷地に侵入者がいることは発覚しないだろうが、さっきのように庁舎にいる人物に声をかけるのはあまりにも迂闊だった。
「きちーな。これ」
兵士から拝借した制服は、あまりにも自身の体躯とあったものじゃあない。裾を引っ張りながら男はため息を一つついた。
この男はある団体から、ある依頼を受けて敵国であるドイツに脚を運んでいる。
その団体はイギリスから単身渡米し、砂漠の果てで石油を掘り当てたことによって財を成した男の手によって組織された財団であり、1940年現在、世界中の要人たちと繋がり医療や自然学…様々な分野の研究をつかさどる機関としてその名を知らない者はいないほどの巨大な組織と化していた。
どうして自身がそんな組織と繋がりがあり、そして依頼を受ける縁があるのか。どうやらその組織を立ち上げた老人が若い頃、今は亡き自身の祖父に随分と世話になったようだ。彼は祖父が死んだ後、祖父の妻…つまり自身のおばあちゃんと自身をアメリカに移住するように手配し、現在まで自身やおばあちゃんを支援してくれている。
男は老人からこの依頼を受けた時の話を思い出していた。
その老人から呼び出された男は、NY市内の最高級ホテルの最上階に足を向けていた。男が部屋に到着した時、既に老人は部屋にいて、中央に配置された椅子に杖に両手を添えながら座っていた。
上流階級としての気品を放ちながらも、顔に刻まれた傷や隙を感じさせない鋭い視線など、修羅場を潜ってきた者特有のオーラを窺わせる、そんな老人に簡単な挨拶を済ませると、男は正面に配置された、空いている椅子に腰かけた。
男が座ったことを確認すると、老人は徐に口を開き、その依頼についての説明を始める。しかしある言葉を聞いた直後、男はその言葉が持つ違和感に顔をしかめた。
「……すまない、じーさん。つまり、どういうことだ?」
男は老人が今しがた発した言葉の後、そう言葉を口にする。老人が言った言葉の意味が良く分からなかった。言語としては理解することができたのだが、文意をくみ取ることが困難な…そんな言葉を老人は口にした。
「……もう一度言う。タイムトラベラーを探してほしいんだ。」
タイムトラベラー?時間の旅行者?確か子供の頃にウェールズの「タイム・マシン」を読んだことはあったが。時代を隔てて違う過去や未来へ行ってしまう、あのタイムトラベラーのことを言っているのか?男はぽかんとした表情を浮かべていると、老人は徐に口を開いた。
「我々の財団が様々な分野に対して研究、支援の裾を広げているのは知っているな?」
その問いかけに、男は同意を示すために首を縦に振る。基本的には医療分野を主軸にした研究を行う機関…それ自体の認識について間違いはないのだが、組織が創設した部門の中には「超常現象部門」なるものが存在し、かかる部門の創設には間違いなく自身の一族が関わっていた。
そして自身に組織から、そして目のまえの老人から頼み事をされるということは間違いなく「超常現象」についてのことだろう。
「……財団は様々な超常現象について研究を進めてきた。吸血鬼や石仮面、柱の男についてもその一環だった」
「……」
その言葉に男の表情はわずかにこわばる。数年前に、自身の血脈に打たれた運命に従ってその身を戦いに投じた。超人的な力と残虐性のままに人々の血肉を欲する吸血鬼に、彼らを束ね、より上位の生物として太古から存在していた柱の男。彼らと戦い、打ち倒した代償として失った左手の痛みが、代わりに据え付けられた義手の付け根に感じる。
「……それで?そのタイムトラベラーがどうしたって?じいさん」
「……去年、つまり1939年9月に我々の財団の超常現象部門が『時間の歪み』を観測した。」
「時間の歪み?」
「私も詳しくは知らないが、チームの専門家曰く、「時間の流れの中で生じるバグ」のようなものだそうだ……その歪みがドイツ、ベルリンで生じた。」
ドイツ。その言葉を聞いて男の顔はますます険しいものとなる。現在のドイツはナチ党が率いる独裁体制のもと欧州を相手取って戦争行為をしており、その目覚ましい進軍のニュースはこの地アメリカにも届いていた。
「……うーん。別に困ることはないんじゃあねーか?何か起こったわけじゃあねーんだしよ」
首元をぽりぽりと搔きながら、男はそう呟く。実際のところ彼はこの依頼について面倒くさがっていた。アメリカ人である自身が敵国のドイツにわざわざ赴いて、俄かには信じがたい超常現象について調査をする…そのリスクは想像に容易いだろう。ドイツに潜入していることがばれてしまえば、ただでは済まない。
「それがそうでもない」
老人の一言に、男は顔を見上げる。老人の眉間に刻まれた加齢とは違う、深い皺が刻まれているのを視界にとらえた男は、事態がそれほど単純ではないことをうかがい知れた。
「ドイツに派遣された工作員から報告があった…『戸籍記録のない、ベルリン郊外で意識を失った状態で発見されたウマ娘が秘密警察に連行され、その後武装親衛隊に身柄を移された』と。」
ウマ娘。古来から人間と社会的に共存する、特徴的な耳と尻尾、そして超人的なパワーと走力を持った人と似て非なる生物。男も街中でよくみかける彼女たちであるが、どうやらタイムトラベラーとなったのは、そんな彼女たちの内の一人であるようだ。
「そのウマ娘がどうしたんだ?」
「……恐らく彼女は違う時代からタイムトラベルしてきた…タイムトラベラーだ。彼女がどの時代から来たのか、そしてどうやったら元の時代へ戻ることができるのか。それを探る必要がある」
「いやいやいや。仮に本当にそのウマ娘がタイムトラベラーだったとして、どうして俺たちがそいつを助けなくちゃあならないんだよ⁉オレらがわざわざ首を突っ込む必要、ないんじゃあねーか?」
男の質問に対して、老人はじっと顔をみつめる。その瞳の奥に不安と恐怖が内在しているのを男は見逃さなかった。
「…もしも彼女が過去から来たウマ娘だったらまだマシだ、彼女が未来のドイツの技術や情勢に戸惑うだけだからな…彼女自身にとっては気の毒だが。しかし万が一。万が一にでも彼女が未来からやってきたウマ娘だったらどうなると思う?彼女はこの時代から自身が生きてきた今迄のことを知っていて、それがドイツ軍の連中に知られたら?」
その言葉の意味を理解した男の顔は、サッと血の気が引いたように青くなった。
男たちはもちろん、この時代を生きる人たちは及び知らぬことだが、世界に対して宣戦布告し、悪行の限りを尽くしたドイツは、1942年のスターリングラードの攻防によって防戦一方となり、1945年の4月に連合国軍が首都のベルリンを制圧したことによって敗戦を迎える。この世界でそれを知っているのは彼女……エイシンフラッシュのみだ。つまり何を決断し、何をすれば、どのような結末を迎えるのか知っているこの時代で唯一の人物ということになる。
ドイツ軍がもしもそのことを突き止め、彼女の情報をもとにどの地域に、どの兵力を割くかを決し、戦争を行えば?彼女が本来知っている未来とは別物へと変貌してしまうに違いない。
「現地にいる特派員の協力は勿論惜しまない。それに今回の依頼においてお前以上の適任はいない」
「……?それは一体?」
「それは彼女が……武装親衛隊の預かりとなった彼女が所属する部隊の指揮官が、我々のよく知る人物だからだ。」
……!
ドイツ人に知り合いは生憎一人しかいない。あのやかましい機械仕掛けのドイツ軍人の顔が脳裏に浮かんだ男はため息を一つつくと、椅子からすくっと立ち上がり入口へと踵を返した。
「お、おい!話はまだ終わっちゃあ……」
老人がよろよろと立ち上がり、男を呼び止める……男は入口の扉の前で立ち止まると、老人の方へ振り向き口を開いた。
「……動くのは早い方がいいんだろ?航空機の手配と、妻に……スージーQにしばらく家に帰らないと電報を頼む。」
「……ありがとう。気をつけるんだぞ、ジョジョ」
ジョジョと呼ばれた男……ジョセフ・ジョースターは老人に向けてニッと笑みを浮かべると部屋をあとにした。
こうして組織……スピードワゴン財団の依頼を経てドイツ・ベルリンへ潜入したジョセフは、シュトロハイムが管轄する部隊が根城にしているというベルリン郊外にある庁舎へ忍び込むと、守衛の兵士の一人を気絶させて制服を拝借し、件のウマ娘と、ついでにシュトロハイムの顔を拝んでおこうと、こうして姿を現していた。
……いろいろ読めてきた。
この一日庁舎を張り込んでいたジョセフは何となくではあるものの事情を把握することができていた。恐らくシュトロハイムは「例の赤石」の作戦の失敗によって、責任者としての責任を問われた彼は、武装親衛隊の将校という身分でありながらオリンピックの選手育成という閑職に追いやられている。数年前にみた、高慢でありながらも何処か睨めないドイツ軍人の姿は何処にもなく、そこには肩書きに見合った、落ち着きと冷静さを纏った軍人にしか見えなかった。
今の状態のシュトロハイムから協力を得ることができるのは、難しいだろう。ましてや戦争状態にある今のドイツの、ましてや親衛隊所属である彼の。フラッシュがタイムトラベラーと分かったとしても、それはシュトロハイムにとって祖国のためになるというであればむしろそれを報告し、フラッシュの口を割らせようとするかもしれない。
数年前の戦いで自身が噴火に巻き込まれて死んだと思っている彼の前に姿を見せれば、一体どんな顔をするだろうか。彼と会って話したいという気持ちがないわけじゃあないが、致し方あるまい。
……そして。
あいつが「例のウマ娘」だろう。
先程接触したウマ娘。確か名前は……エイシンフラッシュだったか。彼女が恐らくスピードワゴンの爺さんが言っていたタイムトラベラーに違いない。
彼女をこの場から連れ出し、SPW財団の本部へ連れていくことができれば、一つ目のミッションは完了だ。ジョセフはヘルメットをかぶりなおすと、彼女と接触を図るために歩みを進めていった。