浮雲流れて 作:麒麟です
時計の針は巻き戻って、昨年の事。
七星剣武祭に向けての代表が選別され、公示の前に生徒六名へとその通知が生徒手帳へと飛ぶ。
能力値で選ばれるとはいえ、学校そのものから目を掛けられている証左でもある。
「………つまり、代表を辞退すると?」
「まあ、そっすね」
だからこそ、この手の選手は珍しい。
理事長黒鉄厳の前で、うなじを撫でながら三舟鹿史郎は頷いた。
代表公示の数日前の事だ。突然彼は理事長室を訪れて、代表辞退を申し出てきた。
一応、居ない訳では無い。代表を辞退する生徒というのも。だが、高ランクの学生騎士たちは幼少期より戦いの場に身を置いている場合が多く、箔をつける為にも寧ろ七星剣武祭の代表に自らを売り込もうとする場合の方が多い。
だが、今黒鉄理事長の前に立つ少年はその逆の道を行こうとしていた。
「理由を聞こう。相応のものであるならば、特例として認可する」
「あー……面倒だから?」
「なに?」
「いや、俺は七星剣武祭に興味ないんで。七星剣王の称号とかも」
厳めしい眉間に皺を寄せる理事長に対して、ボサボサの白髪頭はヘラリと笑う。
「俺みたいなやる気のない人間よりも、やる気のある代表漏れした奴を出した方が建設的って事です、はい」
「ならば、許可はできんな」
「は?」
「近年の破軍学園は、七星剣武祭においても成績を残せていない。学園として有力候補を遊ばせておく余裕は無い」
七校対抗の七星剣武祭による影響力というものは馬鹿に出来ない。それも、その頂の称号である七星剣王ともなれば、猶の事。
首席入学に加えて、リトルリーグにおける成績を加味すれば三舟鹿史郎の申し出は突っぱねられて然るべきこと。
話は終わったと言わんばかりの黒鉄理事長の姿に、鹿史郎は肩を落とす。
そしてポツリと一言。
「…………仕方ねぇ、転校するか」
資料を整理していた理事長の手が止まる。
学校が合わずに転校する、というのはままある事だ。寧ろ、完全な不登校になるよりも手間がかかっても環境を変える事は決して間違いではない。
しかし、こと伐刀者養成学校では意味合いが違う。
在籍する生徒の一人一人が、戦力だ。学園にとっても、国家にとっても。
そして、学園にとっては強力な伐刀者を世に排出する事は、そのまま自校のブランドを高める事にも繋がっていた。
やる気は無いが、しかし三舟鹿史郎は二つ名を持つBランク伐刀者。そんな彼が、他所の門を叩けば受け入れる所も少なくは無いだろう。彼自身、まだ一年生であるのだから。
顔を上げた黒鉄理事長の視線と、長い前髪の隙間から覗く瞳がかち合う。
「なんです?俺は別に、高校の卒業資格が取れればそれで良いんです。別に破軍じゃなくても、貪狼なんかに転校しても良い。おっと、なら何で魔導騎士育成のこの学校に居るのかって質問は飽きてるんで。単純に学費の為っすよ。伐刀者は国が支援してる。奨学金に関しても手続しやすいんで」
千人に一人の特異存在。加えて、軍事力の要となるかもしれない伐刀者へは支援が何かと充実していた。
利用する学生騎士は珍しくない。鹿史郎もその一人であるというだけ。
「…………良いだろう。理事会に掛け合うとしよう」
「どーも。良い返事を期待してます」
押し負けた黒鉄理事長の言質を取って、鹿史郎は一つ頭を下げた。
二日後、非公式戦として彼は、“雷切”と相対する事になる。
@
第二訓練場。この日、ここでは人払いが行われ関係者のみの出入りが許されていた。
「めんどくせぇな…………ま、仕方ねぇか」
柔軟をしながら、鹿史郎は控室で一人ぼやく。
面倒くさがりの彼だが、この辺りが落としどころであると判断したのだ。
この一戦で勝てば代表辞退。その後の、撤回は無し。負ければ、大人しく代表として出場して七星剣王となるべく尽力する。
念書も書いた。後は事を終わらせるだけ。
程々に体を解して鹿史郎は立ち上がる。すると、控室にノックの音が転がった。
時間かと返事をしようとするが、その前に入ってきたのは小柄な人物。
異質なものを感じるが、しかし武人としては脅威足りえない。それが初対面で鹿史郎の抱いた印象だった。
小柄な彼、御祓泡沫はにこやかに笑みを浮かべる。
「やあ、三舟鹿史郎君」
「………どーも?案内人、じゃないっすよね」
「うん。ボクは御祓泡沫。二年生だよ」
「…………それでその、御祓先輩が何の用っすか?」
「恐れ知らずの後輩を見に来たんだよ」
さらりと言ってのける泡沫。しかしその目は表情のようには笑っていない。
「恐れ知らず?」
「これは老婆心で言うけど、降参する事を進めるよ」
「やる前からっすか?」
「相手が、刀華じゃ、万が一にも君には勝ち目が無いだろう?」
「……ハッ、随分と相手の肩を持つんすね」
「純粋な事実さ。刀華の背負ってる重みは、君には無いんだから」
ハッキリと言いきられ、ここで初めて鹿史郎と泡沫の目が正面からかち合った。
沈黙が流れる。
「…………重み、ね」
頭を掻く鹿史郎がポツリと呟いた。
「まあ、言いたいことは分かりますけどね…………ソレは所詮、アンタの自論だろ?」
「そうだね。でも、事実でもある。この学園で、最強は刀華だしね」
「背負ってるから、強いってか?……ま、俺には関係ないんで」
何かを言おうとしたのかもしれないが、しかし適当に濁した鹿史郎は、そのまま泡沫の脇を通って控室を出る。
泡沫は、その後を追って来なかった。通路に響くのは一人分の足音だけ。
薄暗い中に浮かぶその表情は、完全な無。内心は読み取れない。
そして辿り着くフィールド。
閑散とした観客席は薄暗く、その一方で戦いの場である舞台は煌々と照らされていた。
ゆったりとした足取りで前へと進み、舞台の縁へと腰かけて一つ息を吐き出した。
程なくして観客席に数人が入って来る。同時に、舞台へと上がるための通路にも気配が一つ。
「……早いですね」
「どーも」
「今回の件、私としても承服しかねる部分があります。三舟君、貴方の実力があれば七星剣武祭でも良い成績が残せるでしょう?」
「俺は別に、名誉とか評価とか興味ないんで。とっとと始めましょうや」
立ち上がって尻を叩いた鹿史郎は、さっさと舞台の中央辺りにまで歩を進めた。
その背を見送りながら、刀華は眉根を寄せた。
今日の模擬戦は唐突だった。理事会からの指示として生徒手帳へと通知が飛び、あれよあれよという間に場が整えられて今に至る。
発端が舞台に立つ少年にある。その理由も聞き及んだ。
(……ほとんどが、怠惰。というよりも、惰性?)
自分よりも年下でありながら、まるで定年後の独居老人の様な有様。
刀華としても数は少ないが、しかし彼女の境遇の中で何度か見た事のある目をした少年。
気にはなる、なるがしかし学園の為にも戦力を手放すような事にはなってほしくない。となれば、勝つしかないというのが実情だ。
果たして、両雄相対する。
『それでは、これより非公式戦を開始します。両名は、固有霊装を実像形態にて呼び出してください』
機械音声がスピーカーで流される。
それぞれの手に現れる固有霊装。くしくも、同型。鞘に入った刀という形状のそれらを左手に携え、両者は睨み合い。
『準備は宜しいでしょうか?では、3……2……1――――
ついに始まる非公式戦。ただ、両者初手は共に様子見を選択していた。
鹿史郎は兎も角として、刀華が得た彼に関する戦闘情報といえば、入試の際の模擬戦と、それから小学生の頃に行われた“風の剣帝”との一戦プラスその前の数戦といった所。
何かしらの異能を用いたのでは、というシーンは多かったが何れも伐刀絶技は無し。入試に至っては、相手を一刀で切り伏せてしまっていた。
剣を振るう者からすれば、嫉妬を覚えさせるほどの技のキレ。特に“鋭さ”という点においては刀華自身後塵を拝しているだろうと、思っている。
しかし、このまま睨み合っても時間は無為に過ぎるばかり。
「…………ッ!」
距離、凡そ二十メートル。刀華にしてみれば、踏み潰すまでに一秒とかからない。
彼女の二つ名であると同時に、伐刀絶技でもある“雷切”。
その術理は、レールガン。電磁加速を利用し、刀を鞘より射出、その勢いのままに切り裂く雷速の一刀である。
傍から見れば、今の刀華は黄金に輝く弾丸と化していた。その勢いのままに一刀両d――――
「ッ……!」
「まあ、そう来るよな」
刀華の抜き放った一刀に伝わったのは、肉断つ感触ではなく硬質な手応え。
命断つ一刀は、しかしその前に差し込まれた鞘入りの太刀によって阻まれていた。
突進と“雷切”の衝撃によって後ろへと弾かれた鹿史郎はしかしながら全くの無傷でフィールドに着地し鍔元を握っていた
初見でこの男、
その答えに気付いたのは、観客席に居た一人の老人。
“闘神”南郷寅次郎。九十を過ぎた国内最高齢の魔導騎士であるが、その実力はまだまだ生半可なものでは傷一つ付けられないかもしれない。
今回は、弟子である東堂刀華が戦うという事で顔を見に来た次第。
「成程……あの小僧、剣の腕じゃあ刀華よりも上か」
「おいおい、じじいどういう事だ?」
問うのは、隣に座る西京寧音。“夜叉姫”の異名をとるAランクの騎士であり、KOKにおける世界ランキング第三位の実力者。
「あの小僧、“直観”を持っておる。それも、尋常ではない研ぎ澄まされた」
「直観…?それで、刀華の“雷切”を防げるか?」
「無理じゃろうな。しかし、小僧はやった。その直感、コンマ数秒以下の時間で行わなければならない動作を
思考を挟む事のない最善手を打つ直観力。
その下地には、膨大な経験と訓練が必要となる。それを実戦で用いるならば、猶の事。
三舟鹿史郎にこの下地は無い。彼の場合は、生来持ち合わせたセンスと勘を組み合わせた、言ってしまえば心眼とでも称せる先見の明。
“雷切”が来る事を無意識に察知した体は、その対処のために動いた。一秒未満で。
高速戦闘を行う場合、鹿史郎は思考を挟まない。
――――“鳴雲雀”
「ッ!?」(斬撃!?)
甲高い鳥の声の様な音が響き、同時に鋭すぎる衝撃波が刀華を襲う。
反射的に挟まれた固有霊装“鳴神”によって致命傷こそ避けるが、その体に赤が走った。
両者の距離は五メートル程だった。十分に、“鳴雲雀”の射程圏内だ。
目を見開く刀華。そこに、抜刀したままの鹿史郎が駆ける。
ただ、彼女がクロスレンジで強いのは、何も“雷切”があるからだけではない。いや、要因の一つではあるだろうが。
「!」
見開かれる刀華の目。
彼女の目は伐刀絶技“
人間の動作は、その伝達に僅かな電気が用いられている。その信号を読み取る事で次の動きを察知。狙いに加えて、カウンターも取りやすい。
だが、
(これは………)
迫る刃と鞘による変則的な二刀流を捌きながら、刀華は内心で驚嘆する事になる。
視線が一切動かない。寧ろ、何処を見ているのか分からない。強いて挙げれば、虚空その物だろうか。
対処できるのは、電気信号そのものには異常が無いから。
ただ、空っぽなだけ。精神がごっそり無くなってしまったかのように、刀華には彼の中身がサッパリ読み取れてはいなかった。
「くっ……!」
鞘での強打を受けて刀華は後退。距離が開いた。
「あらら………仕留める気だったんだが」
「ふぅ……その割には、致命傷が全て鞘だったみたいですけど?」
「偶々でしょうよ」
肩を竦め、鹿史郎は右手の太刀を鞘へと納めた。
落としていた腰を上げ、限りなく脱力しながら太刀を左側の腰のベルトへとねじ込む。
そして、鯉口を切った。
「長引かせるのも面倒なんで、次は本気で抜きますね」
棒立ちのままに鯉口を切った鍔へと左親指を掛けるその立ち姿は、端的に言って隙だらけ。
だが、気配が変わった事を刀華は感じ取る。
先程までの事が、本気ではなかったという事。スロースターター、なのだろう。エンジンがかかるまでに遅い。
その一方で、一度でも本気になるのならそこに立つのは悪鬼羅刹のソレだと思え。
ユラリ、と彼の体が左右に風に揺られる柳のように揺れる。
「ッ!」
響く、金属音。
揺れたかと思った鹿史郎は、次の瞬間には刀華から見て右側より斬りかかっていた。
ぶつかり合う白刃。
「ぐっ………!?」
刀華の左二の腕に赤が走った。
にもかかわらず、受け太刀の度にその体には傷が刻まれていく。
状況の打開のために、刀華は雷電をその刀身へと纏わせる。接触する事で、相手の固有霊装を伝って痺れさせることが出来るのだ。
だがその目論見は、鹿史郎の振るう太刀の刀身に灰色の魔力が纏わりつく事によって阻まれてしまっていた。
魔力は、その伐刀者の性質を如実に表す。鹿史郎の場合もその例に漏れず、絶縁体の如くその雷電の進行を阻んだ上で刀華に出血を強い続けていた。
三舟鹿史郎の剣は、決して重くはない。
ただ、只管に、
「――――鋭い」
南郷寅次郎は唸り、顎を扱く。
剣を振るうには、重視すべき刃筋というものがある。剣士にとっては、永遠の命題の一つでもあるだろう。
どれだけ垂直に振るったつもりでも、人間は機械ではない。どれだけの達人でも、そこには僅かなブレの様なものが存在する。
“闘神”の二つ名を有する彼をして、唸る鋭さ。三舟鹿史郎の太刀筋は、どの角度からの打ち込みも限りなく垂直で鋭すぎるほどに。
「アレが、あのガキの異能って事か?」
「いや、違う。アレはあくまでも、あの小僧の技術の上で成り立つものよ」
「………さっきの居合か?」
「そうじゃの。アレは鞘の中で加速させた切っ先で衝撃波を生んで対象を切り裂いておる。助走があってこその切れ味じゃろう。じゃが、射程を無視すれば小僧の斬撃全てに副次効果的にあの鎌鼬は乗るらしい」
寅次郎の言葉に、寧音は絶句する。
異能を有する魔導騎士にとって異常は日常であると言える。千差万別の力があるのだから、今フィールドで起きているような光景を再現することも出来るだろう。
だが、ソレを独力で。異能など無しに起こそうと思えば、いったいどれほどの修練が必要になるというのだろうか。
「じじいは、出来るか?」
「さてな……じゃが、教えられるような人間をワシは知らん」
彼のその言葉は、つまり三舟鹿史郎という男はある意味で剣の極致へと一人で至ったという事に他ならない。
今も、雷速で距離を取って遠距離攻撃を行う刀華からの雷の斬撃を魔力を纏わせた太刀一振りで全て切り伏せながら前進し続けていた。
(ここまで、差が…………!)
“鳴神”を鞘へと収め、刀華は荒く息を吐く。
初手の“雷切”を防がれた時点で、鹿史郎の技量に関しては警戒していたつもりだった。だったが、その認識は甘かったとしか言えない。
御祓泡沫は、東堂刀華の背負う重さを語ったが、鹿史郎にしてみればそんな物あろうと無かろうと勝敗には関係ないと考えていた。
勝った方が強く、負けた方が弱い。そこに、背負ったものの軽重は無い。
自論、という程でもないが反論しなかったのは水掛け論を嫌ったから。
相手の論に興味が無いのに、態々バチバチとやり合うなど
覚醒の間隙を縫う“抜き足”という技法がある。
特殊な呼吸法と足運びによって相手の意識の隙間へと潜り込む幻惑の技。
だが、これは試す間もなく鹿史郎には通用しない。
彼の目は、東堂刀華を含めた視界の全てを見ているのだから。
視界による注目を行わず、直感と直観の合わせ技である心眼を持って敵を切る。
苦し紛れの“雷切”は、しかし出血も相まってキレも何もかもが足りない。
――――
すり抜ける様に“雷切”を躱し、すれ違いざまに幾筋もの銀閃が刀華の体を切り刻む。
ただ、不思議な事にその体には先程までの受け太刀の過程でついた傷ばかりであり、切り刻まれた傷は見受けられなかった。
交差の直前、鹿史郎は固有霊装を幻想形態へと切り替えていた。
甘いが、しかし両者の間にはその選択を通せるだけの実力差が横たわっていたのだから。
一度太刀を振るって、鞘へと納める鹿史郎。
因縁の一戦は、こうして幕を下ろした。新たな火種を携えて。