【第一章・完】拝啓、マイネイバー【更新休止】 作:いんせき
21時30分。消灯の時間は刻一刻と迫っている。
早めにベッドへ潜った僕の身体には、決闘の余韻が未だに残っていた。
「本当に、勝ったんだ……僕」
もう幾度も噛み締めた現実。けれど、心の片隅で夢だと感じる自分がいる。
ナナセに勝った事――否。それ以前に僕が戦いの場に立ったという事実が、どうしても信じられないでいた。
「不思議だなぁ……あの息苦しさも達成感も、終わってみると嘘みたいに思えてくる」
だけど一つ。今も続いている胸の高鳴りだけは、紛れもない本物だ。この高揚が、僕に夢では無い事を告げてくれている。
そう、夢じゃない。僕は確かに、決闘に勝利したんだ。
「……御手洗さんと会ったら、ちゃんとお礼を言わなきゃね」
僕一人で掴んだ勝利では無い。ああしてアリーナに立つ事が出来たのも、御手洗さんが戦い方を教えてくれたおかげなのだから。生まれてから一度も剣を握った経験が無かった僕に対して、彼女は辛抱強く付き合ってくれた。
さぞ迷惑だっただろう。出来る事なら、指導など投げ出してしまいたかっただろう。
それでも御手洗さんは、文句の一つすら零さず、最後まで僕の面倒を見てくれたのだ。
「うん。そうと決まったら、何時までも起きていられないね。さっさと寝て、明日を迎えないと……」
気持ちを切り替えたところで、玄関をノックする音が耳に届く。
思いもよらない来客に驚きつつ、僕はベッドから身体を起こした。
「アレ……誰だろう? アキト?」
消灯まで、あまり時間は残されていないはず。
不思議に思いつつも、僕は玄関まで歩いていき、その扉に手を伸ばす。
「――こんばんは」
開けるとそこには、意外な人物が立っていた。
「み、御手洗さん?」
僕の部屋を訪れたのは、なんと御手洗さんだった。
こちらが就寝用のルームウェアに着替えているのに対し、彼女は制服姿のまま。よく見ると、その手元にはカバンがあった。
どうしてこんな時間に。僕に何の用があるのか。真っ先に浮かんだ疑問を、そのまま彼女にぶつける事にした。
「ず……随分、遅い時間に来たね。僕に何か用かな?」
「…………」
無言の御手洗さん。僕から目を逸したまま、身体をソワソワさせている様は、彼女の不安を表しているように思えた。
「御手洗さん……?」
「……貴方と話がしたい。上がっても良い?」
僕を見上げる御手洗さんの瞳。その輝きは弱々しい物で、今にも消えてしまいそうな程に揺らめいていた。
「うん、良いよ。大した物は出せないけど、上がってって」
「……ありがとう」
僕の返事を聞いた事で、不安げだった表情が少し和らぐ。
安堵した様子の御手洗さんは、僕に促されるままベッドに腰を下ろした。
「ティーバッグは無いから、冷たいお茶になっちゃうけど……どうぞ」
ペットボトルから注がれた麦茶のコップ。御手洗さんは小さく会釈すると、差し出されたそれを両手で受け取る。
「いただきます」
ゆっくりと口を付け、徐々にコップを傾けていく。音を立てる事なく、静かに喉を潤していく姿が印象的だ。
上品さを感じさせる御手洗さんの仕草に、僕の意識は自然と吸い寄せられていた。
「……どうかした?」
「ううん、何でも無い。気にしないで」
十分にリラックスできたようで、表情からは先程の憂いが抜けているように見える。
こちらを窺ってくる御手洗さんに笑顔で応えた後、僕は彼女と向き合う形で椅子に座った。
「それで……話っていうのは何かな?」
「…………」
言いづらい内容なのか、御手洗さんは本題を切り出そうとしない。
口を開きかけては躊躇を繰り返した後、ようやく彼女は話し出した。
「貴方には……ずっとお礼を言いたいと思っていた」
「えっ?」
御手洗さんが放った言葉の意味を、僕は理解できなかった。こちらが礼を述べる事があっても、彼女がそうする理由など無いはずだ。
困惑した僕を他所に、御手洗さんは淡々と言葉を紡いでいく。
「私は今まで、周囲の人間から距離を置いて生きてきた。親族からも、同級生からも。他人など信頼できない、宛にしてはならないと決めつけ、自分の殻に閉じこもり続けた」
話を聞いていて、僕はナナセが言っていた事を思い出す。
父は汚職で逮捕。母は蒸発。突如として両親を失った事で、御手洗さんは誰の事も信じられなくなってしまったのだろう。
「貴方に対してもそう。話しかけられる度に邪険に扱い、時には威嚇までして退けてきた。自分を守りたい一心で、貴方の優しさを踏み躙ってきた」
「……無神経だっただけさ。御手洗さんが気にする事じゃないよ」
ポツリと言葉が零れ落ちる。
否があるのはこちらの方だ。相手が抱えている事情など露知らず、自分の感情を優先させてしまったのだから。
「いいえ……悔やませて」
縋る物を乞うかの如く、切実な願いを吐き出す御手洗さん。
コップを持つ手が震えているのを見て、僕は何も言えなかった。
「本当の私は、どうしようもない程の弱者。虚勢を張る事でしか自分を保てない、幼稚で臆病な人間。そんな私に、貴方は諦める事なく接してくれた」
俯きかけていた顔を上げ、御手洗さんは僕を見据える。
必死に流すまいと堪えている涙の粒が、目尻に溜まっていた。
「だから、私は……そのお礼が言いたくてここに来た」
――――ありがとう。
ぎこちなく浮かべた笑顔で口にした、御手洗さんの感謝の言葉。
彼女の思いが存分に込もったその一言は、僕の胸に確かな熱を宿らせた。
「……僕も、御手洗さんにお礼を言いたいんだ」
「えっ?」
だったらこちらも、きちんと伝えなければならない。自分には、彼女に感謝しなければならない事が沢山あるのだから。
「ナナセさんに決闘を申し込んだ後、僕は君に特訓を頼み込んだ。自分が勝手に起こした面倒事なのに、他人まで巻き込もうとするなんて……その場で縁を切られても仕方ないと思う」
「…………」
「でも君は、僕のワガママに最後まで付き合ってくれた。何も知らない僕に、剣の握り方や振り方を根気強く教えてくれた。ホント、恵まれてるよ僕は」
彼女に一切の利が存在しない、清々しいまでの自己満足。投げ出しても文句は言われないどころか、むしろ当然の権利だと思う。
それでも、御手洗さんは決して投げ出さず、僕の訓練に付き合い続けてくれた。
「こちらこそありがとう、御手洗さん。迷惑極まりない僕の頼みを引き受けてくれて」
「…………」
御手洗さんの目が丸くなる。僕のお返しの言葉は、彼女にとって予想外な物だったようだ。
「御手洗、さん?」
「……お礼を言われたのは、コレが初めて」
どんな反応を示せば良いか、分からないといった様子の御手洗さん。
視線を彷徨わせながら戸惑う姿は、ストイックに強さを求める戦士から一転、年相応の少女へと戻っているように見えた。
「……あっ!? しまった、もう消灯の時間が過ぎてる!」
机に置かれた時計は、既に二十二時を回っている。消灯を迎えた後、アカデミーの生徒は部屋から出る事を禁じられているのだ。
これでは彼女が自室に戻れない。どうすれば良い。頭を悩ませている僕に、御手洗さんが落ち着き払った声で言ってきた。
「問題ない。貴方と話している間に、消灯を迎えるのは想定していたから」
「へっ?」
予想外の返答に呆けた声を出してしまう。話についていけない僕を余所に、御手洗さんは持参してきたカバンのチャックを開けた。
カバンから取り出したのは、綺麗に畳まれたホワイトカラーの寝間着。
それを見た途端、彼女が何を考えているのか察してしまった。
「今晩は、貴方と同じベッドで寢る」
「いやいやいやいやいやいやいやいや」
幾らなんでも唐突過ぎる。こちらの部屋に泊まるのは納得するとして、どうして同じベッドで寝ようとするのか。
とにかく、状況が飲み込めなかった。
「ちょっと待って。今、頭の中が混乱してるから……」
御手洗さんに断りを入れ、心を落ち着かせようと深呼吸を始める。
吸って、吐いて、また吸って……を繰り返していく内に、僕の頭は冷静さを取り戻していった。
「落ち着いた?」
「うん……なんとか」
「なら良かった」
混乱していた頭がリセットされたところで、僕は改めて御手洗さんと向き合う。
「……泊まるのは構わないけど。一緒のベッドで寝るのはちょっと、ね」
「ダメ?」
「だ……うーん」
元々、寮の部屋は一人の生徒に割り振られた物となっている。当然ながら、配置されているベッドはシングルサイズが一台のみ。
そこに二人が横になるというのは、些か無理があるように思えた。
かと言って、御手洗さんを床で眠らせるのは論外である。苦肉の策になっていまうが、やむを得ない。
「僕が床で寝て、御手洗さんがベッドっていうのは――」
「ダメ。それは私が許さない」
「そ、即答……」
こちらの妥協案に対し、御手洗さんは即座に否定の意を示した。
その勢いに圧倒され、思わず口籠ってしまう。
「……そうなっちゃうと、一人用のベッドに無理やり二人を押し込む事になっちゃうけど。大丈夫? 二人だと結構狭いよ?」
「私はそれを望んでいる」
「えぇ……」
分からない。ここに来て、御手洗さんの思考回路が理解できなくなっている。
何故そこまで、僕と一緒に眠りたがるのか。その意図が全く読めなかった。
「……どうして、僕に一緒に寝たいの?」
「…………」
真意を尋ねられて、黙り込んでしまう御手洗さん。
恥じらうような仕草を見せると、彼女は小さな声で答えを口にした。
「寂しい、から」
「えっ?」
「私の心が孤独を恐れている。だから……人肌が恋しくなった」
今まで誰にも見せてこなかった、
それを真っ向からぶつけられた事で、僕の中の選択肢は一つに絞られた。
「うん、良いよ。今日は一緒に寝よっか」
僕の返事を聞いた瞬間、御手洗さんの表情がパッと明るくなる。
花が咲いたかのような可愛らしい笑顔は、彼女が隠していた本心を表しているようだった。