実のところ、彼女を先輩だと思ったことはない。
「んじゃ、セッションでもしてみっか! 実は今日アンプ持ってきてんだよな」
そう言って小さなアンプを取り出す背の高い女性──明石結弦子さんは浮かれきった満面の笑みだった。背はあたしの知る限りどの知り合いよりも高いし、スタイルも良いから実際より更に大きな印象があるんだけど……うん、こういうところ見ると大柄だとか年上だとか、上からの圧みたいなものがなんにも感じない。いいとこ人懐っこい大型犬だ。湊さんとは正反対だな、って思うとリサさんの顔が浮かぶけど、でもあの人と同じカテゴリーじゃないよね、絶対。
暖炉の炎が人間になったみたいな優しいオレンジ色の、他の人が着たら間違いなくダサいワントーンコーデ。焼かれたボディとジャズマスのアーム、リバースヘッドにフロントピックアップとピックガードを外したイカれた見た目の白いテレキャスター。喋れば男口調っぽいし、かと思えば妙なとこで丁寧だし。アクが強すぎてこれと並べるのはリサさんに失礼だと思い直す。
羽沢珈琲店でひまりを口説いてたと思ったら止めに行ったあたしにまで構ってきて、ライブに来たと思ったら大号泣したし、なんなら別にAfterglow以外を見てもそんな調子だし、変な人だ。
……まあ、でも。
「おやっ、Micro Terrorとキャビのセットですか?」
「そうそう! このラジオっぽい筐体とオレンジ色のキャビの組み合わせ可愛いよな! マジ大好き!」
「レコーディングとかでは使ったりするんです?」
「んー……フォークポップっぽいので枯れた音が欲しいですー、とか言われたときかなぁ。これにMyriad Fuzzだけで繋いで以上! っつってもぜーんぜんやれるわ」
「潔いですね……」
……麻弥さんとしてる機材の話はろくにわかんないし、置いてけぼりで語り散らかすとこはちょっと、って思うけど。
「そうだ、蘭さん! よかったらこの椅子使ってください!」
「あ……ありがとうございます」
「まーやちゃーん、私のはー?」
「はいはい、ありますよー。どうぞ」
「ぃやったー! あんがと!」
「ファズ、あたしはこの中のやつ使ったらいいんですか?」
「おう! たーだーし、どれか一個だけな」
「一個……」
「一個だけでいろんな音が作れるって、蘭ちゃんはもうわかってんだろ? じゅーぶんじゅーぶん! 一緒に一個縛りやろーぜー!」
「……じゃあ、これ借ります。この元素記号書いてあるやつ……ビタミンCって言ってましたっけ」
「ラムズ系な、蘭ちゃんもハマったねぇ! 良い趣味だ! えらい!」
……手放しで偉いとか可愛いとか言ってくるところはむず痒いけど。
「ブルースコードで回してくか。蘭ちゃんわかる?」
「一応、前にみんなでセッションしようってやったことがあります。Dメジャーで」
「おっけおっけ、じゃあ今回もDメジャーな! D7を4小節、G7を2小節とD7を2小節、最後はA7、G7、D7、D7って感じ」
「オーソドックスなパターンですね! ジブンは適当に叩いてますので、おふたりで自由にやっちゃってください!」
「頼もしい! おっしゃいやるぞー!」
……こうやって「お前ならできるだろ」って顔でキラキラ見つめてくる感じなんか、年上どころかあこの相手してるみたいに思うけど。
Afterglowのみんなとは少し違う、一歩も二歩も離れた他人だからこその真っ直ぐな期待は、正直言って。
「……悪くないじゃん」
ふたりでコードを鳴らす。普通にローポジションのなんの変哲もない押さえ方なのに音が全然違う。良し悪しじゃなくて、音作りの方向性が。
あたしの音はレスポールのらしい太く丸い音にファズを通した、独特の圧力が乗った音だ。このファズはビッグマフの、ラムズヘッド、だっけ。その流れを組むジリジリした歪みとローの強さがあるけど、手元を絞った今は弦の煌びやかさも出てる気がする。
結弦子さんの音は華やかな容姿に反して枯れている。アンプもペダルもギターも全部ハイを絞り気味、ゲインも下げたちっぽけなアンプの中には猫が丸まって寝てるに違いない。中域に引っかかる、ころころと喉を鳴らすようなクランチトーンは不思議なのどかさと、ちょっといなたい雰囲気だ。それでもぐっと抜けてくるのは多少絞ったくらいじゃ消えそうにないテレキャスらしいハイの存在感のせいだろう。モカがリアで弾いてるときに近いといえば近いけど、毛色はちょっと違う。この人、学校でも普段からこれくらい賑やかなんだろうな。
麻弥さんが優しい音でライドのカップを鳴らしながらクローズドリムを軽やかに刻む。J-POPとか、大体の曲って8小節区切りだからちょっと調子狂うけど、そろそろ一巡り。結弦子さんがやたら嬉しそうな顔でバチバチウィンクしてくるから、あたしはちょっと力の抜けた肩でスナップをかけた。
いきなり15フレット、1・2弦で長めのチョーキング。軽く揺らす程度のビブラートで間を持たせながら逡巡……よし、こうしよう。
下りのスウィープで軽く跳んで開放弦のDに着地する。そのままアクセントを変えて単音でリズムを刻みつつ、ときどきオク上にちょっかいをかけて、F#とGでトリル。
結弦子さんが口をパクパクする。「やるじゃん!」かな。まだまだ、こんなんじゃないよ。
トリルで時間を稼いだ隙にお株を奪いにいく。結弦子さんのよくやる手元操作。右手でボリュームを少しだけ上げて7あたりまで。軽く弾いてもクランチくらいになるこのくらいがあたしにはちょうどいい。
ド頭だけ力強く振り抜いてビリつくコード。結弦子さんが大人しくバッキングをやってくれるのに甘えてC#7をぶつけに行く。『Jamboree! Journey!』のアレンジをしてたときにつぐみが勉強して教えてくれたジャズコードの理論。和音って色にぼかしをかけるためのテンションノートを再構築して、彩りは損なわないままコードの上に別のコードを乗せるフレーズ。たぶん今のセッションにはよく似合う。
しばらく臭いくらいのジャズフレーズをぶつけられてぽかんとした顔の結弦子さんを笑ってやって、最後の4小節。再び同じ、ハイフレットの3・4・5弦を押さえる3音だけのフォームで競りかけて競りかけて競りかけて、何食わぬ顔で半音上げてD7に帰る。あと2小節はまた軽い飾りを入れながら、あたしはボリュームノブをゆっくり絞っていった。
やるでしょ、あたしも。
お返しにウィンクでもしてやろうか、と思いかけたところで少し冷静になって、大人しくバッキングに徹する。ちらりと麻弥さんとアイコンタクトを取ってリズムキープしつつキメをなんとなく揃えて……さあ、ソロ渡しますよ。
と、思ったら。
「すげえじゃん」
あの人の口元が、太陽のフレアみたいに動いて。
「じゃあ、もっとすげえことしなきゃな」
やってることはそう変なことじゃない。あたしがやった、コードの上に別のコードを乗せるやつを真似された。
ただし、アームで煙草の煙みたいに揺らすチリついたクリーントーンで。和音の聞き取りもちょっとだけできるようになったからなんとなくわかる。FM7の、Cを半音下げてる不思議な和音。D7にぶつけて濁らせにかかる、あたしの思い切りを鼻で笑い飛ばすようなトーン。
それを半音上げて、全音上げて、最後には普通のAmにナインスを入れた高速スウィープで弦の上を動き回って……
とうとう目すら瞑って鼻歌でも歌ってそうな余裕綽々の横顔はすっと通る高い鼻筋と長い睫毛がいやに綺麗で、薄紅の浮かぶ頬が憎たらしくて、あぁ、あたしの音が形になってたら掴んで引っ叩いてやるのに!
顔も手元も熱くなるあたしと対象的に涼しい顔で手元を跳ね上げて、ハイの毛羽立つようなファズらしい音色に。今度はテンポをちょっともたつかせながら泣きメロでオトしにかかってくる。完璧じゃない、でもわざと少し低いピッチで上に届き切らない歌心のチョーキングを、アームを使わずにわざわざ手だけで震わせて聞かせる。これ見よがしの得意満面な笑みに口元の全休符、でもありありと伝わる。あたしにやれって言うんだ。ギターで歌えって!
手元を軽く跳ねてオーバードライブへ。ラムズ系のイデア、電気的なジリジリとした歪みが更に圧を増して、弦の鋭さも稲光を伴って撃ち抜く熱を帯びる。
どうせだ、これも掠め取ってやろう。ぜんぶ、あたしの中に吸収して、あたしの演奏に飲み込み返してやる!
ぐっとレスポールのヘッドを水平に落として前に出しながら、振り回すみたいに足を組み直して前屈みに。肘から先の回転、あたしの肩の上下でスナップをかける弾き方と合わせて、最小の動きを最高効率でインパクトに変える!
瞬発力最高のピッキング。ギラギラのオクターブ奏法。人差し指が2フレットから16フレットまで吹き飛ばしてスライドの爆ぜる音まで組み込んだフレーズでレスポールが嘶きを上げる。点から点に稲妻のマイナーペンタ、同じフレーズを今度は力いっぱいの速弾きで刻みながら最後の最後だけゆっくりと握力で気持ちの高まるまま吊り上げていって。
「あっつ……」
なにやってんだろ、あたし。
すごいムキになってるな。
……でも。
「最ッ高だぜ蘭ちゃん……じゃあ、今度はこうだ!」
かぶりつきであたしを見てる。枯れた音なんてとんでもない、ちっちゃなアンプのツマミを長い指先でいっぺんに全部整えて、果実がじゅわりと息を吹き返す。
ぜんぶ、飲み干してやる──!
あぁ〜〜〜〜〜〜♡♡♡♡♡
ン灼熱のン瞳ィ〜〜〜〜〜♡♡♡♡♡♡♡
たぶんもう1時間は超えてるぶっ通しのセッション。私は先輩と散々やって慣れてるから平気だけど、機会なんかあんまねえだろう蘭ちゃんの演奏はすっかり精彩を欠いている。フレットノイズが目立ってきたし、ピッキングも超よれよれだ。ミスタッチだって全然増えてきた。
でも、カッコよさの瞬間最大風速はずっとずっと更新中だ。
ギラギラと私を焼き殺さんばかりに情熱溢れる目は大きく見開かれて、全力で踏み込みつつもギリギリ破綻してない絶妙なゲインでノイズを爆発させるみたいなタッピングをかます蘭ちゃん。
私が少し小突くたび、煽るたび、その全部を薪として飲み込んでいく業火、業火、業火のギター!
これは? ちょっと7連符するよ? いける? あ〜〜〜〜9連符レガートで返してくれる〜〜〜〜♡♡♡♡♡
私がAfterglowに、蘭ちゃんに惚れ込んだのはこの顔だ。触れたら壊れそうな繊細な感性をオーバーヒートさせて、外気に晒して無理やり冷ましながら稼働させまくるみたいな脳天ぶっちぎりのソロ。『天ノ弱』のアウトロだった。
パンクな格好してるけど、別に破れかぶれで適当に弾く子じゃない。むしろ正反対、曲の歌詞やコード進行、些細なフレーズのコンビネーションまでとことんまで気ィ配ってる子だ。「自分たちの音」に貪欲なんだよ。だからファズ試してるときだってあんなに深いとこまで探ってくれたんだ。
でも、そうやって固く固く、かたーく作り上げた基礎理念の染み込んだ指先を頭ぶっ飛ばしてパッションでぶん回してたあのギターソロ! 痺れたね!
蘭ちゃんだけ放り込んだらそこらのバンドなんか、顔も名前もマジックでぐしゃぐしゃ潰して「美竹蘭のバックバンド」ってラベルで包まれておしまいだ──でも、Afterglowは違う。
最初からブッ飛んだ演奏してたならともかく、蘭ちゃんはボルテージ上がりきってアウトロでいきなりギターモンスターに変貌する。でもその瞬間にリズムもコード上でのフレーズワークも全部蘭ちゃん専用に切り替えて、しかも手癖っぽいフレーズには合いの手まで被せて来るんだ。惚れちゃうに決まってるよなぁ!?
そんな子が。
私の出すフレーズを片っ端から食って羽化していく。
ほら、ただのスウィープじゃないぜ、弦飛びしながらのリディアンセブンスを拾ってくからな? そう、すげえ、そのまま引き継いでタッピングで上まで引き伸ばして『That Is How I Roll!』のサビメロまで繋いできた! これは? いける? うわなんだその左手のハンマリング! ジミヘンかよ!
推しが──超弩級レッドダイヤの原石が、私の音の隅から隅まで、このままぶち殺されるんじゃねえかってツラで食らいついてくる。 健康に良い〜〜〜〜〜〜! 寿命伸びるわ。今テロメア4万キロ。
先輩も私とセッションするたびについてけるわけねえじゃんばか! って言いたくなるフレーズばっか叩き込んできてたけど、そうか、これが育てる喜び……!
「もっと尖って♡ 光って♡ 燃え盛って♡」
「こんっ、のぉ……!」
私の声なんか聞こえてない必死の顔しゅきぃ〜〜〜〜〜〜〜♡♡♡♡♡♡(メジャーペンタひとりハモリ高速シュレッド)
明石結弦子
結弦子ちゃんは天才なので一部始終をきちんと録画していたし一ヶ月くらいはこれ見てニチャる
美竹蘭
あとから録画を見せてもらって「え……あたしこんなめちゃくちゃな弾き方してたの……」ってちょっと反省するけど、でもライブで気分が高揚したらまたヤバいソロする
大和麻弥
ドラマーとしてきちんとメンバーの様子を把握しているため、結弦子のどろっどろに融け切った目にハートマーク浮いてる顔を見て2年近い付き合いの中で初めて彼女にドン引きした