あたしたちがカバー曲をやるとき、大抵の場合はひーちゃんがネタを持ってくる。もともと流行に対するアンテナは高かったけど、バンドを始めて積極的に音楽を聞くようになるとそれはより一層爪先立ちしてぐるぐる回ってた。集めてきた曲は数知れず。カッコイイのから可愛いのから、それホントにあたしたちでやる気〜? っていうのまで。
「ひーちゃんチャンネル、ときどきよその番組映ってない〜?」
「ひ、ひどい! 頑張って調べたのに!」
「聖飢魔II……お、おしろいあったかなぁ……!?」
「つぐみ、無理しないでいいから。目指すべきなのは絶対これじゃないから」
「はははっ! やるなら上手くなってからじゃないと格好つかないだろ!」
「絶対やらない!」
こんな調子。みんなであーだこーだ言いながらカバーする曲探したっけ。
勉強も兼ねてサブスクでいろいろ聴いたけど、当時のあたしたちでも弾けそうな曲ってベタなとこばっかで。意外なことにつぐがちょっと不満そうというか、どうせなら私たちの思い出として強く残るようにしたいみたいだったから、結成したばかりの殻付きひよこなAfterglowは練習だけじゃなく下調べにも結構な時間をつぎ込んでいた。
あたしたちの新しい「いつも通り」に、仕入れた曲の紹介合戦が加わったのじゃよ。
あたしはまあ、楽器を買って懐もひえひえだったし。タダでお手本を集められたらなー、ということで動画サイト巡回に落ち着いた。良い曲たくさんあって、お手本や目標にしたくなる演奏動画もある。広告は垂れ流しだったけど、ほえ〜と流し見してるか、適当に他のことをしていれば怒るほどのことでもないし。ときどきこれで1音目から心を掴まれるすごい曲が流れてきたりして、あたしはそれをみんなには教えずにコソ練するのだ。ヤマが当たってバンド連でやることになったときにしれ〜っと鮮やかに奏でて見せたりなんかしちゃうと、蘭のあたしに向ける目がちょっとキラキラするんだ。いやぁ、良い時代に生まれましたなぁ。
そう、それで、誰かの歌ってみただったかなぁ。片耳に引っ掛けたイヤホンから流れてきたんだ。放課後の屋上で曲を書き留めるのに熱中する蘭と隣り合わせ、ステンレスの柵に背中をもたれて座りながらそれを聞いて、良いなぁって。
ひねくれて、強がりで、傷の痛みに喚きもせず蹲るような繊細さを歌うハードロック。
「ら〜ん、詰まってる?」
「……別に」
「これ、今度やんない? いま流れてきたんだけど、蘭に似合うかもよ〜?」
「……」
「ふふ、ど〜うぞ」
ギターを構えてムスッとした顔のまま片耳を寄せる蘭に、仕方ないなぁって笑いながら。
そうだ。『天ノ弱』だけは、ナイショにしなかったんだ。
「……なあ、今日の蘭、なんか……」
軽く汗を拭ったトモちんがおっかなびっくり耳打ちした。
大体2週間に1度あるCiRCLEの定例ライブ。今年の大トリを務めることになったあたしたちは『True Color』と『ツナグ、ソラモヨウ』で客席をあっちあちにして、一旦袖に引っ込んだところだった。今はアンコール待ち。いやぁ、アンコールがあることを前提にライブできるようになっちゃうとはね。遠くへ来たもんですなぁ。
ただどうしてか、あたしたちの視線の先にいる蘭の目は、もーっと遠くへ飛んでいる。チューニングを直しながらも心ここにあらず……ではないか。でも、そのまま遠く見据えているどこかへ行ってしまいそうな空気がある。
蘭検定1級のあたしにはわかる。これは、そう!
「め〜っちゃくちゃボルテージ上がって、あとはハジけるのを待つのみな、3曲目Cメロ中くらいの顔……!」
「やっぱそうだよな!? その気でやるかぁ……」
「今日やるカバー、激しい曲だもんね……」
たぶんこれから一番忙しくなるだろうつぐが言う。
あたしたちはまずオリジナルをやって、アンコールでカバーをやることが多い。ファンサタイムというか、蘭がこの曲やってるの見たらみんな喜ぶかな〜、みたいなのを持ってきてる。今回は、どうだろ。盛り上がるといいなぁ。
「あ、呼ばれてるよ! ほーら蘭、行こ!」
「うわっ、ちょ、ひまり!? 押さなくていいって……!」
「真っ先に行ったな」
「流石ひーちゃんですなぁ……」
さーて、あたしたちも続こう。
自然体に出て行ってめいめいボードの前に。ぜーんぶ置きっぱなしなんだからアンコールも期待するよね、そりゃ。
最近CiRCLEにイヤモニが導入されて、申請すれば使わせてもらえたりする。おかげでハウリングもあんまりしなくなったから、あたしたちはせっかくだしと立ち位置を変えようと思っていたのだ。ずるずるとボードを引き摺ってマイクも配置を変えて、みんなで向かい合う。蘭のマイクは客席に対して90度横、正面のお客さんは蘭の横顔を見ることになるのかな? PAさんはライブ録りみたいでいいね〜、って絶賛してくれてたっけ。
つぐがシンセの音色を確認して、トモちんはスネアのチューニングを検めながらクローズドリムをカツカツ鳴らす。ひーちゃんはピックを咥えてスラップしながらグライコを弄ってゴリゴリの音作りを。あたしはスウィープとか見せちゃおっかな〜。ちょっと歓声が上がった。ふふ〜。
蘭はいつものシンプルな足下だけど、ちょっとマイナーチェンジしてた。ファズが顔みたいな赤い子から、錆びたような黄色い子に。音もちょっと変わって、前よりジリジリと力強い太い音になってる。前後のオーバードライブも踏みっぱなしで手元で調整する弾き方は、なんだか玄人っぽくなってきた。リハのとき実際に言ってみたら、びみょ〜な顔してたね。……こんな、はち切れそうなギラギラの顔じゃなくて。
「いける?」
蘭が言う。軽い口振り。熾火の瞳。再び燃え上がる瞬間を今か今かと待っている。早くやろうって左手のコードフォームがそわそわしてる。
しょうがねえなー、って顔したトモちんが、左手のスティックを高く掲げて──
──スティック回しとオープンハイハットの16分カウント。
拍子頭のロングトーンで心をシンクロ。つぐの新未来的に鋭いシンセリフが切り開く期待。
さぁ、さぁ、さぁ。
いつも通りの音で、最高の音に、かっこいい音に。
「『千載一遇きたりて好機』ィ!」
──今日もついていくからね、蘭。
ミュートした他の弦も巻き込む派手な単音カッティングで走る高速リフ。ネットシーンを席巻する偉大なミュージシャン謹製のメロディはキャッチーで、つんざく高域の鋭さが誰もを縫い留めて離さない。
リフを弾いた勢いで振りぬいたヘッドの慣性に流されて中腰でぐるぐる回って、ちょっとふらふらのままハードなリズム刻みに従事する。
Roseliaの人たちと出会ってから──まあ蘭は絶対に認めないけど──あたしたちの間で密かなブーム、メタル。入れ墨ごりごりな感じじゃなくて、アニソンとかになってるような音楽的要素だけのやつ。ギターを腰元まで下げたクール系モカちゃんスタイルで、あたしはピックを弦にまっすぐ当てる並行アングルピッキングによるノイズレスなバッキングを敷き詰めていく。その上に、左手のスライドで音を焼き切った蘭の歌が乗る。
「『例えば今五年前に 又は十年前に戻ったって、僕はどうせ此処に辿り着いてほらねと思うだけ』──」
楽器隊は大暴れ。あたしはチョーキングを織り交ぜたフレーズでぎゅいんぎゅいんだし、ひーちゃんもギターばりにピックを駈ってメロディックに。つぐは蘭の刻むブリッジミュートの上でリズムを強調する派手なピアノバッキング。ドラムは四つ打ちのキックにスネアがドンパン乗って安定してるかと思いきやめ〜っちゃスティック回してる。
それでも寄り添って離れないアンサンブル。だって、幼馴染だもん。
「『もっと上手くやれた筈だった』ァ!」
「『もっと金も名誉もあった筈だ』!」
「『だけどこんな今日でこんな傷がなくちゃ僕はきっと僕じゃないのです』!」
捲し立てるような譜割り、トモちんが、ひーちゃんが歌い継いで乱反射する。
「かっこいい」曲だ。泥臭く、熱く、不安は確かにあっても全部引き摺って這いつくばって進んでいく。男の唄ってやつですなぁ。
Bメロに入って、叫ぶ合いの手は全員で。それからオーソドックスな上ハモをつぐがつぐって、あたしはもっと上からファルセットでカウンターメロディっぽくハモリを重ねていく。
蘭は音域が上下に広い。パワーある男性ボーカルの曲だって普通に歌えちゃうの、実はすごいよね。多少ならキーを上げたりしないで低いまま歌えるから、コーラスをやるあたしたちが実はちょっと楽だったり。
一瞬だけポップになるアンサンブルに、待ちきれないと足踏みでもするようにカッティングを弾ませて。あたし自身も合わせてぴょんぴょん跳ねてみるとプチ盛り上がり。いえ〜い。
ファンサついでにリズム隊のふたりにウィンクしちゃう。ひーちゃんがあたしと同じようにぴょんぴょんしながら、ピックを握り込んでファンキーなスラップフレーズをバキバキ鳴らすと蘭の歌の追い風になる。
スネアのロールとひーちゃんのロータリーの捲土重来ビートから全員一斉のリズム。今ちらっと見えたけど、頭の振り方までみーんな一緒じゃない?
歌う蘭がこちらを見ておかしそうに微笑んで、それがそのまま不敵に熱く燃え上がる。あたしまで火照っちゃうな〜。
なので、さん、にー、い〜ち……!
「『だからこんな千載一遇 二度と逃すかよ』!」
ジャンプも揃っちゃった。まいっか、蘭のパワーコードの上でペンタフレーズのメロディーを飾り付けながら、さっきのあたしみたいにヘッドを振った勢いに負けてくるくるしてるひーちゃんを笑う。
「『Dance!』」
「『Dance!』」
「『どうやらやっと僕の番だ Chance!』」
「Chance!』」
「『どこまで行ってやろうかね』!」
ふらついても手元は大安定、ひーちゃんがソロパート並みの高速ロータリーでバチバチの低音を唸らせれば、極限まで飾りを削ぎ落としたトモちんががっちりと手綱を握る。あたしの単音カッティングでヤンチャしちゃう裏メロと蘭のザクザクと歯切れのいいパワーコードを、8分にシンコペーションの右手で勢いを増すつぐのピアノがリズム隊ごとぐるりと抱き締める。
「『未熟さに迷って 過ちに転んで』──『だけど遂に始まった』!」
「『Now This is now now Now』!」
ピッチより勢いで、一斉に叫べば客席からも返ってくる。いいね〜。みんな知ってるあたり流石はガールズバンド大盛況の中心地。ロックの大御所はもちろん、最近流行りのボカロやアニソンの有名な人は追いかけるんだろうなぁ。
サビを折り返し、キメのフレーズもびしっと揃えて、再びつぐのリフが華やかな間奏。トモちんがノってきて手数増えてきたのにつぐが苦笑いしてるのを横目に、思う。
う〜ん……おかしいなぁ。
蘭のテンションが読めない。いつもなら絶対爆発してる頃だ。こう、ゲージ100パーになったらすぐ使ってた必殺技を、今はなんか200パー超えてもまだ溜めてる感じ。音に浸って目を閉じて、だらんと上向いちゃったりなんかしてるちょっとダウナーなノリ方はあんまり見たことない姿だった。
手元は依然として繊細だ。歪んでるようで歪んでない太い音、ファズは元々ソロ用で踏んでないのはいつも通りだけど、新しいピックアップかな。音の歯切れがすごく溌剌としていて蘭の強弱の上手さが際立ってる。
たしか、結弦子先輩の仕事だ。
あの人と交流が増えてから、ちょっと違う音になったんだ。
原曲だとスライサーを使ったドロップに入るところ、ちょっと歪みを落とした白玉のコードで場所を空けて──
「いっくよー!」
ひーちゃんのベースソロ。
ピックの速弾きでサスティーンを稼ぎながら中指のプルでリスナーを感電させていくハーフテンポの重いパートから、ピックをポイっと投げて新技。弾いてみたとかで覚えたのかな、VivieのオーバードライブとDarkglassのプリアンプで作る、ドンシャリ気味な歪みに太い芯の通った「カッコイイ」音色で迸る速弾きロータリースラップ。さっきバックでやってたよりもっと速く大きく動く手数お化けのフレージングは、正しくネットでよく見るようなスラップヒーローを彷彿とさせるプレイだ。顔におっぱいに性格まで良くて、しかもこの演奏までやっちゃったらもうね〜、ベースに近い最前列の子が扉開いちゃわない?
ソロの終わり際、ムチっとした太ももでボディをリフトアップして換えのピックでマイナーペンタフレーズのシュレッドで締めれば歓声が爆発する。トモちんもスネアのゴーストノートが増えて盛り上がりに更なる加速をかけて、このままソロ回しに入っても良さそうな雰囲気だ。
蘭はファズを踏んで音を潰したバッキング。あたしは効果音的にチョーキングを多用して、原曲のスライサーを使った雰囲気をそれっぽく再現しながらひーちゃんの最後のフレーズを迎えに行ってあげる。その間に蘭は軽い低音リフでメリハリをつけて……あれ?
2番に入った。
ただ爆発するんじゃない、表面張力破綻寸前に押し込まれた極限熱量の
余裕たっぷりで、でも繊細な表現の制御に全霊を注ぐ本気の顔。
ギラギラした瞳が遠くを見てる。
──蘭って、こんなにすごかったっけ。
弾いてみたとか見てみんなで競ったこともあるから、超絶技巧みたいなのもちょっとはできる。2番のBメロに入って、今はつぐが歌の裏で5連符のアルペジオを弾いてたりするし。トモちんだってまだやってないけどド派手なドラムソロで魅せられる。あたしも、もちろん蘭も。
でも、こんな基礎を突き詰めたようなすごさは、あたしたちにはまだなかったはずなんだ。
サビを終えて間奏、イントロと同じリフ・リズム。蘭とアイコンタクトをすると、彼女は楽しそうに笑って一歩引く。じゃあ、あたしのソロだ。
肩が少し寒くてちょっぴり震える。
そういえば、もうすぐ今年も終わりだっけ。
「かっこいい」ソロで締め括らなきゃ──
「お疲れさま〜! 最後のモカのソロすごかった! スウィープとタッピングで上から下までギュインギュインって!」
「いえ〜い、才能見せちゃいました」
「ピアノみたいに指動いてたね。モカちゃんかっこよかったよ!」
「どもども〜」
楽屋に戻るとひーちゃんがはしゃいでバインバインしてた。ピースサインで返すけどそれよりお腹ぺこぺこだった。パン食べたいな〜。最近やまぶきベーカリーに入ったイチゴのマリトッツォ、大人気でまだありつけてないんだよね。つぐの褒め言葉にもにへら〜っと返す。
一方、蘭の方にはトモちんが絡みに行った。
「蘭、今日はなんかすげー渋かったな!」
肩を組んで脇腹を小突いてなんかイジメてるみたいだけど、テンションが上がってるせいか「あーもう鬱陶しい……」と蘭は半笑いだ。
「珍しい弾き方してたけど、なんか見たのか?」
「あー……」
「あっ、そうそう! すっごい安定感だった! いつもより一体感あって気持ちよかったもん!」
たぶん、トモちんとしてはなんてことない疑問なんだろうけど。
尋ねることもできなかったあたしは、審判を待つような気持ちで続きを待った。
「……いや、気分が高揚したときの自分の弾き方がだいぶしっちゃかめっちゃかだって気付いちゃって。あれはあれでいいんだろうけど、あれ以外出来ないのも駄目かな、って思ったから、かっこいいバッキングができないか試してた」
「そうだったんだ……蘭ちゃん、途中でちょっと音色変えてたよね? 私はあれ良いなって思ったよ!」
「アタシはひまりのソロの裏で音変えてたときかな。すっげー強い歪みだったじゃん、あれかっこよかったな!」
「……ありがと」
「蘭は流石ですなぁ」
あたしより、ずっと。
もっと良い音出せるようにならなきゃ。いや、その前に基礎練増やす? 蘭の安定感が増すならあたしの精度が悪いと一体感崩れちゃうし。……うん、音色はバイト代崩せばエフェクターなりピックアップなり変えていつでもどうにかできるから、手軽なとこよりまず練習かな。
「んっ? んぎゅっ……」
「ひまりちゃん!? お、お水お水!」
「おいおい……はーい! どうぞ!」
みんなでつぐパパの用意してくれた差し入れのクッキーを摘みながら感想を言い合っていると、控室の扉がノックされた。ほっぺいっぱいに詰め込んだクッキーを喉につまらせたひーちゃんに代わってトモちんが促すと、扉がぱかーんと開く。
……あ。
「お疲れさまーAfterglow! ちょーかっこよかったぜ!」
「結弦子先輩!」
入ってきたのは、よくAfterglowのライブに来てくれる先輩──明石結弦子さんだった。トモちんより高い長身、メリハリあるスタイル。そして今日はあたしたちに合わせてくれたのか真っ赤な格好だった。赤いスニーカー、赤いカラージーンズ、上まできっちり閉じたシャツにテーラードジャケット。フォーマルなはずのジャケパンスタイルが芸能人みたいなハイセンスファッションとしてキマるのはこの人くらいだと思う。ひーちゃんがスタイルに憧れて筋トレ始めてたっけ、そういえば。
「こんばんは! あっそれやまぶきベーカリーですか!?」
「そうっ、新発売の生チョコマリトッツォ……! めちゃくちゃうまかったからお裾分けに来たぜ!」
「やったーっ!」
あ、いちごじゃないんだ。ちょっと残念。
わぁっ、とみんなでやまぶきベーカリーの紙袋に群がるけど、蘭だけは結弦子さんの背中に提げられた真っ赤なギグバッグに釘付けになっていた。
「あとこれ、蘭ちゃんにプレゼント」
「……まさか、ギターですか」
「おうっ! 前々からあげようあげようとは思ってたんだけどよ、やっと満足いくもんできたわ」
「えっ、『AY Guitarworks』のギター!? タダで!?」
「……ひまり、詳しいね」
「いやいやいや有名人だもん結弦子さん! スタジオミュージシャンとギタービルダー両方やってる人なんかあんまりいないし!」
「ビジュアルも良いしね〜」
「そうそう顔がいいからインスタ調べたりしてたら情報いっぱい出てきてって違う! そうじゃなくて!」
ひーちゃんが墓穴を掘った。
聞けば、新進気鋭の国産ハイエンドブランドとしてにわかに有名になりつつあるらしい。個人製作で生産数少なめ、趣味だって公言してるから予約すら数量限定。でも素材から何から依頼さえできれば融通が利いて品質も良いから要望が後を絶たないとのこと。
「にゃはは、嬉しいなぁ! ひまりちゃん今度ウチ来るか? ストック品見せてあげるぜ?」
「い、いいんですか!?」
「は〜い、モカちゃんも相談したいで〜す」
「おっけおっけ、何でも言ってくれよな!」
「結弦子さん、アタシはー?」
「……す、スネアならなんとか……」
「結弦子さん、私も……」
「ごめんキーボードは流石に……! でも筐体だけならなんとか……いや明石三姉妹の力を結集すれば……ッ!」
「じょ、冗談です! 冗談ですから!」
……あぁ。
この人、いつの間にこんな、仲良くなったんだろう。
なんというか、人の心にするりと滑り込んでくる人だ。ちょっと気を許すとどんどん絆されちゃう。
「お、蘭ちゃんどうだ? キルトブビンガ、良い杢目だろ」
蘭はギグバッグから取り出したギター……Fホールの空いたセミアコを構えた。
美しい杢目の透ける真っ赤やボディは、いつもの蘭のレスポールとそう変わらないサイズ。ES-339がモチーフなのかな。ピックアップはハムバッカーじゃなくてP90がふたつ、黒いカバーのイヤードッグで
ボディもネックも赤くて、綺麗なギターだ。
「……思ったより重くないし、音も……うん。悪くない」
「にゃはは! そりゃよかった! ハウリングはしにくいと思うけど、曲によっちゃ使いにくかったりもするかもだからさぁ。使うのも売るのも好きにしちゃってくれ」
「はい、好きにします」
「んじゃ、用も済んだし帰るよ。あんまし推しとベタベタするもんじゃねえからな……!」
「ありがとうございましたー! 良いお年を!」
「にゃはは、そういやそうだな! 良いお年を!」
朗らかに笑って出ていく結弦子さんにひーちゃんとトモちんが手を振って、つぐが深々と頭を下げた。ぱたん、と案外お淑やかに閉められた扉にひーちゃんが溜め息を吐く。
「はぁぁ……美人だよねぇ……ああなりたいよ」
「ひまりがあんな変人になったら名字で呼んで敬語使うから」
「蘭!? あんまりじゃない!?」
蘭がそう言って弄る。ひーちゃんをからかうのはいつも通りにしても、一応は先輩をこうやって引き合いに出すのは珍しい。
蘭は、上手くなった。ギターも立ち振る舞いも。
音作りが変わった。
弾き方が変わった。
交友関係が変わった。
蘭は、どんどん、先へ行く。遠くを見てたね。どこ見てたんだろ。結弦子さんかな。湊さんかな。それとも、もっともっと先なのかな。
蘭。
蘭、お願い。
置いてかないで────
「……あ」
なんてことないハイタッチ。
「どうかした? モカ」
「……いやぁ、ハイタッチを忘れてたな〜って思って」
「やっぱり」
蘭の右手に触れた左手が、火傷したみたい。
「で、相談って?」
ライブの後、ちょっとコンビニでお金を下ろしてくるって言ってひとりになったあたしは、コンビニのイートインで待っててもらった結弦子さんに声をかけた。
「ギターの制作をお願いしたいんですよね〜。今日の蘭が、いつもより渋かっこい〜演奏をしてましてー。置いてかれないためには練習も大事ですけど、フレット押さえる時の違和感とか、タッピングするときの立ち上がりとか、気になるとこも多くてですね〜」
結弦子さんは穏やかな顔で聞いている。うんうん頷きながらメモ帳を取り出して何かペンを走らせる彼女に、あたしはちょっぴり安堵していた。
Afterglowの大ファンな人、ってイメージの方が強かった。さっきだって冗談とはいえ、楽器を作って欲しいって言われて満更でもなさそうだったし、こうして相談にも乗ってくれている。賑やかで優しい人なんだと思う。
「というわけで、お願いできませんか〜? 予算も、バイト代で30万くらいまではなんとか出せますので〜」
相場は調べた。具体的に値段まで出せば、むしろ値切る方向まで持っていけるかなー、なんて軽く考えてたあたしは、うん。
ちょっぴり、侮っていた。
結弦子さんは言った。
「絶ッ対やだね!」
明石結弦子
別にナメられたからってギター制作を断ったりしない 真意やいかに
青葉モカ
まだ蘭がかっこいいことすると湿度が上がる時期のモカちゃん
次回から4話ほど主役です
上原ひまり
一時期は片っ端から調べるあまりホルモンだの聖飢魔IIだの打首獄門同好会だのばっかり聞いててサブスクのおすすめが汚染されてた
宇田川巴
「日本の米は世界一」をめちゃくちゃ練習している
羽沢つぐみ
東京事変のピアノがすごいなあ、と思っていろいろ聞き込んでいたらクラスメイトに心底意外そうな顔をされた
美竹蘭
「ありあまる富」をめちゃくちゃ練習している