取れない葡萄を酸っぱいだろうと言うほど心は苦々しい
かわいい猫耳カップから湯気の立ち昇るココアがふたつ。
「喉も体調も、すっかり大丈夫そうね」
「イヴちゃんの歌聞いたらなんか、バカなことしてる場合じゃなーい! って思って……」
「もっと早く気付いてほしかったわ」
「えへへ」
机の上に広げたお菓子をつまみながら、千聖ちゃんの呆れ顔に笑い返す。いや、まったくもって仰る通り。
イヴちゃんが私のために(そう、私のために!)歌ってくれた日から少し。二月の終わりまで間もなく、段々とマフラーがなくても過ごせる日が増えてきたと思いきや久々の寒空で。一日オフの千聖ちゃんとどこか行こうと思っていたところを急遽変更して丸山家に招待していた。
今日のチートデイに向けて溜め込んだお菓子の数々と、千聖ちゃんが持ってきてくれた手作りっぽいメレンゲクッキーとジンジャークッキーがピンクのテーブルに広げられて宴の準備は万全!
お父さんとお母さんは久しぶりのデート、妹は友達と出かけていて誰もいないから、っていうのもあるのかな。人目を気にしないで済む今は心なしか千聖ちゃんの表情が緩んで見える。
……まあ、おうちに招いて早々体調の話だったから、心配かけちゃってごめんなさいでもあるんだけど。
クッションに横座りした千聖ちゃんは「それにしても……」と呟いてちらりとあたりを見回す。
「彩ちゃんのお部屋って片付いてるのね」
「遠回しに意外って言ってない!?」
「冗談よ」
千聖ちゃんが手元のひなねこちゃん(中)をぽすぽす撫でて笑う。なんかすっごい自然な手つきなんだけど、いつもそのあたりにレオンがいるのかな。大型犬を侍らせてソファで本を読む千聖ちゃんをイメージしてみる。……う〜ん、絵になりそう。
「……これ手触りいいわね。毛がちょっとつるつるしてて」
「あれ、千聖ちゃん持ってなかったっけ? ひなねこちゃんぬいぐるみ」
「小さいキーホルダーのやつなら……そういえば、いろいろバリエーションが出てたわね。確かもっと大きな、それこそ膝に乗せて抱き抱えられるようなのもなかったかしら」
「あったあった、『おねーちゃんにプレゼントするー!』って言いながら企画書書いてたやつ」
懐かしい。パスパレの初ライブが『
「日菜ちゃん、パスパレ始まった頃からグッズ展開にすごく意欲的だよね……」
「他人のわからなさがクセになったら、今度はそれを上手く動かすのが楽しくなったみたいね」
「なんかのラスボスみたいだよね」
「まあ紗夜ちゃん──『おねーちゃん』とのギクシャクしてた関係が改善されつつあったタイミングで、余裕ができたのもあるんでしょうね」
もともと余裕たっぷりな感じだったような、と思わないでもないけど口にはしない。気にしない風に振る舞ってても、頭の片隅に悩みがあったら心は縮こまるものだと思うし。まして家族のことだったら尚更だろうから。
千聖ちゃんがコンビニで買ったオランダワッフルをカップに乗せる。え、なんかオシャレ……真似しよ。
「でも、なんでそういう小物なの? シャツとかでもよかったと思うけど」
「手に取るハードルが低いから、というのが大きいわね。それに服は洗濯してプリントが薄れたり、コップなんかは割ってしまったりするでしょう?」
「あぁー、そうかも。ヘタに手入れの必要があったらそうなっちゃうんだ」
「目に見えるところに置けるような小物なら失くしもしないから」
「なるほどね〜……」
「あと『ああ、僕はパスパレのファンだったな』って折に触れて思い出させるためでもあるらしいわ。そうやってこまめに意識させて気を引くのは私も賛成だったし」
「は、はらぐろい……」
「商業戦略ってそういうものよ」
「……うん。努力を認めてもらうための努力、だよね」
パスパレが結成されてすぐの頃、日菜ちゃんになんの悪気もなく「どうしてできないの?」と尋ねられたとき、千聖ちゃんに言われたことだ──能力向上のための努力と、能力発揮のための努力は別物で、どちらを疎かにしてもダメ、って。
要領の悪い、努力を続けることしか能がないと自認する身としてはすごく耳の痛い話だった。あのときの千聖ちゃんはすっごい言葉を選んでくれてたけど、それが返って一層刺さったのを覚えている。
うーん。
「私もなにか考えようかなぁ」
「彩ちゃんはなにかにつけてダサいから他のものにしましょうね」
「千聖ちゃん!?」
「それに日菜ちゃんがグッズ展開に意欲的なのは、自分をモチーフにする限り許可を取る必要がないからってだけよ。あの子、自分の飽きるタイミングをそのままファンが飽き始める頃合いと見て次を考え始めるでしょうし、彩ちゃんが無理に考える必要は特にないわね。安心してちょうだい」
「ち、千聖ちゃん? あの、『冗談よ』が抜けてるんじゃないかな〜なんて……」
「彩ちゃんにはグッズじゃなくて、SNS映えするようなポーズを考えてもらおうかしらね。前に見せてもらった決めポーズは割と可愛かったし」
「そ、そう? えへへえへへ、前ってあれだよねパスパレ復活ライブのちょっと前のあれだよね、確かこんな感じ──」
「冗談よ」
「うわーん!」
「あ、ちょっと……もう」
こういうところは結弦子ちゃんとそっくり! ひどいんだー! 今だって「ちょっと言い過ぎたかしら……」とか言ってるけど否定しないもんね! そんなにダサいかな私のセンス。そんなに? そんなになの?
彼女の手元のひなねこちゃんに飛びついて「仕方ない子ね……」と撫でられながら(あれ? 子供扱い?)、私は千聖ちゃんの顔を恨めしく見上げる。
「……逆にさ、千聖ちゃんはオシャレだよね」
「一応は変装なのよ? 白鷺千聖がしなさそうなストリート系、ってコンセプトで」
「マウンテンパーカー着た千聖ちゃんとか初めて見たよ……」
玄関開けたとき誰かと思っちゃったもん。大きな黒いネクタイを締めたブラウスと黒いプリーツスカートから伸びる真っ赤なタイツ、白いバッシュ、腰元までファスナーを下ろした白いパーカーにはところどころ赤い差し色が入っている。原宿系、でいいのかな。いつもと雰囲気違うけどかわいいなぁ、私なんかいつもレッスン着で使ってるような普段着だし、もう少しオシャレすればよかった。
「ほーら、起きなさい」「あぁーんママあと5分」「せめてお姉ちゃんになさいな」と起こされた私は、千聖ちゃんが持ってきてくれたメレンゲクッキーをひとつ取ってココアにちょんとつけた。
「Patagoniaとか着るんだ……」
「この手のは持ってなかったから結弦子に貰ったのよ。あの子は手足が長いだけで胴はむしろ短いくらいだから、こういうダボっとしたアウターなら一応私も着れるし……」
「あ、結弦子ちゃんのなんだ」
「ええ。そのせいでちょっと大きいのよね」
ほら、と袖を摘んで広げて見せる千聖ちゃんだけど、なんだろう、学園風ファッションの上から着てるせいか強烈なカレ服感がある。
そのへんは言わない方がいいかなと踏んで、私は話をそれとなく逸らしていくことにした。
「結弦子ちゃんも……うん、ハイセンスだよね」
「ワントーン縛りに関してはダサいって言っていいのよ?」
「いやでも実際似合ってるし……」
友達の姿を思い出す。まっすぐなロングヘアは太陽の光が落ちるみたいにツヤツヤのサラサラ。制服のスカートから伸びる足は長いだけじゃなくて薄く筋肉がついていてすっごく綺麗。あとずるいことにおっぱいまである。謙遜もなにもない自信満々の振る舞いを見てもそりゃそうだって笑って納得しちゃうくらいの美人さんだし。
……一皮剥いたらワンちゃんみたいな性格してるけど。
「そういえば、結弦子ちゃんって昔からあんな感じなの? 明るくて、元気で、ワンちゃんっぽくて」
「そうね……ずっとあんな感じね。人懐っこくてぐいぐい距離を詰めてきて、そのくせ妙に空気が読めて見透かしたところがあって。それがうまく媚びを売ってるように見えて、小さい頃は少し苦手だったわ」
千聖ちゃんは笑顔でそういう。あの日の、喉を潰して学校に行った日の保健室で聞いたのと同じように。今ではすっかり大好きだけど、って副音声が聞こえてきそうな笑顔で。
「仲良くなったきっかけとかあったの?」
「……小学、4年生くらいだったかしら。あの子とは違う学校で、ときどき音声収録で『Silk Scott』にお邪魔するくらいの接点しかなかったんだけど」
「一緒に遊んだりしてなかったの?」
「ええ。あの頃は、ちょっとだけあの子のことを避けていて」
その様子はすんなり想像がついた。学校でもそうなんだよね。結弦子ちゃんの振る舞いは眩しくて、なんとなく後ろめたい気持ちがあると逃げ出したくなっちゃうんだ。
……この間の私も、まあ、そうだし。
「でもあるとき、スタジオから近くの駅に向かう途中で家の鍵がないことに気がついてね?」
「えっ!?」
「スタジオでは持ってた気がしたから途中で落としたんだと思って、あちこみ見回しながらゆっくり引き返したのよ。でも見つからなくて、スタジオまで戻ってきて。入り口に自販機があるからそこで落としたのかと見に行ってみたら……」
「み、みたら?」
「……泥だらけになりながら側溝のフタをこじ開けて、私のカギ片手に満面の笑みでへたりこんでる結弦子がいて」
「ええ……」
スマートさの欠片もない姿はなんか鮮明に想像できた。自販機の前でどろんこで座り込んで「にゃははは!いやあまいったまいった」みたいなこと言ってる結弦子ちゃん……今でもやりそう!
ちょっと引きながらマシュマロをもぬもぬ頬張っていると、千聖ちゃんはカップに乗せていたワッフルを齧りながら入れ替えるみたいにマシュマロをひとつ摘み入れた。お、オシャレ! なにからなにまで!
「唖然としてたら開口一番『ごめん! 穴のフチに引っ掛かってるの取ろうとしたら一回落としちゃった!』って頭下げられて。そしたら、なんだか穿った目で見るのが馬鹿らしくなっちゃって。それからかしらね、一緒に遊ぶようになったのは」
「ほんと良い子だね……」
「そうね、それに変なとこで抜けてるのよね。連絡先くらい持ってるんだから教えてくれたらよかったのに」
「あっ! そうじゃん!」
「バカな子なのよ。その鍵のことだってそうだし、この間のイヴちゃんのことだってそう」
イヴちゃんのこと、って言われて思い出すのに時間はかからなかった。
千聖ちゃんからの又聞きだけど、結弦子ちゃんが受けたお仕事は要するに「イヴちゃんに伝わりやすい言葉で理論の説明をできそうにないので、こっちで適当に理由つけてけしかけるから自然な流れで勉強させてくれ」ってものだったらしい。私へ歌の贈り物を、ってなったのは偶然なんだと。珍しく結弦子が怒ってたー、って千聖ちゃんが苦笑しながら教えてくれたっけ。
「別にあの子がフィンランド語を齧ってまで引き受けなくても『そっちのタレントの育成くらい自分で面倒見ろ』って突き返して良かったはずなのに」
くるくるとマドラーを回してココアにマシュマロを溶かしながら、千聖ちゃんはおっとり微笑んだ。
「あの子、人になにかをしてあげるのが大好きなのよ。自分が人にもらってばかりだから……って、前に一緒にライブしたときも言ってたかしら」
「『kaleido proud fiesta』のとき?」
「そう。だから──」
一口啜ったマシュマロココアを置いて、その上で肘をついて組んだ指に顎を置いた千聖ちゃんは綺麗な目をじっとり細めた。
「──彩ちゃんの罪悪感になんの意味もないわ」
「う゛っ」
コミカルに胸を押さえて机に倒れ込んで見せる。
……こうしてふざけていないと、本当に死んじゃいそうだったから。
「ちさとちゃぁ〜ん……」
「しょぼくれた顔したってしょうがないじゃない、どうしようもないんだし。第一、向こうはそもそも彩ちゃんと相性悪いことくらい分かりきって接してるわよ。あの末っ子レトリバー、対人経験値だけは凄まじいんだから」
「でも〜……!」
「開き直って『僻んでごめんなさい』以外に言えることなんかないわ、きっと」
そう、今日の女子会の本題。
私が個人的に抱えてるこのモヤモヤをどうしようって相談である。
モヤモヤっていうか、うん、僻みなんだけども……!
別に、結弦子ちゃんのことは嫌いじゃない。むしろ大好き。スタイル煽りムカつくけどそもそも千聖ちゃんがけしかけてるからノーカンとして、それを除くと一緒にジョギングしてくれるわ、スイーツ店巡りに付き合ってくれるわ、古着屋さんであれこれ見繕ったり遊んでくれるわ、よくバイト先で朝食べてるらしくて何故か私がチーフに褒められるわ(ほんとになんでだろう)、嫌いになれる要素の方が見つからない。
プライベート以外だってボイトレの相談に乗ってくれたり効率的なストレッチや喉に良い飲み物を教えてくれたり、簡単な音感トレーニングに使える無料の作曲ソフトとかを教えてもらったり、使わなくなったマイクとその上に被せる最新の静音機をセットでプレゼントしてくれたり、本当に本当にお世話になってる。向こうは「いつもデートしてくれるからな! 良い女にゃ貢がせてくれ」とか言うし。言うし! きっと紗夜ちゃんにも言ってるでしょ! やたらめったら顔が良いからちょっとドキドキしちゃって困る。
大好きな友達なんだ。本当に。
だからこれは、あの子じゃなくて自分に対するモヤモヤ。
「結弦子ちゃんに当たるのは間違いだってわかってるんだ。でも……」
いつもならなんてことない。でも、たくさんお仕事して、ちょっとミスが重なったり、前々からできないことができないままだったり、進歩のなさを痛感するたびに彼女の姿がちらつく。天真爛漫でちょっと剽軽な、言っちゃえばバカっぽい振る舞いに反して頭の良いあの子。
前に千聖ちゃんと行った古着屋さんで服を選んでもらったらきちんと可愛くて、センスを羨んだら「こんなん情報収集とパズルだよ」とあっさり言われた。テストの点もかなり良くて、授業に出られない分をどうやってカバーしてるのか聞いてみたら「中学んときに、出てくる定理とかがなんでそうなんのかを大学の論文取り寄せて調べまくったんだよ。理屈がわかってれば忘れねえしな」って実践の難しい返事が来たり。スタイルの良さも毎日時間を作って筋トレとストレッチしてるんだってメニューを教えてくれたり。イヴちゃんに音楽理論のことを教えるときも、まず「どうしてだと思う?」って考えさせたって聞いた。とにかく、努力の仕方が上手なんだって思う。
「疲れて疲れて、なんとか潜り込んだベッドの中とかで、ときどき……ほんとに、ときどきね? 思っちゃうんだ」
私は要領が悪いから努力するしかないと思ってた。頑張ってれば、いつか道が開けるかもって。
でも、たとえば。野球選手になりたいのにバットもボールもないまま走り込みだけしてたら。音楽家になりたいのにカラオケで歌うくらいしかしなかったら。頭が良くなりたいと言いながら教科書を流し読みするだけだったら──そんなの、いつまで経っても先に進めない。
「私には努力しかないけど……もしかしたら、ひょっとしたら」
パスパレが干されかけたとき、千聖ちゃんがライブの出演権を掴んできてくれた。無邪気に喜ぶ私たちがそのときにしてたことは。芽の出なかった研究生時代にしてたことは。……そして、今は。
「努力のつもりでやってきたことが、なんの意味もない徒労なんじゃないかって」
それが怖かったからあの日、喉を潰した日。
帰って安静にしろって結弦子ちゃんに言われるのがわかってたくせに、逆らうためだけに学校へ行ったんだ。
白鷺千聖
別に彩ちゃんの努力が徒労だと思ったことはあんまりない でも言葉で慰められようとデータでも見せられようと納得できないときもあるだろうとは思っている
丸山彩
初めて掴んだチャンスであるパスパレのお披露目ライブ、千聖ちゃんがPAさんに交渉してマネージャーや上に無断で生演奏しようと提案しなかったらどうなっていたんだろうとときどき夢に出る
一刻も早く機材の話したいので更新急ぎます