──鼓動はいつか止まる。
考えてみたら当たり前の話。ベートーヴェンもモーツァルトも、もうみんなお空の上にいる。世界一有名なバンドのギターボーカルだってきっと同じ場所にいる。
全てのミュージシャンがいつまでも元気に活動してるなんて、ありえないんだ。
当たり前なのに、考えたこともなかった。
考えてみたら、胸につっかえて苦しくなった。
抱えきれないほどの歌が、苦しい。
ランダムスターのギグバッグを肩にかけて、ボードを積んだキャスターをごろごろ引いてCiRCLEへ向かう。昨夜ほんの少し降った雨で白く凍った道を恐る恐る進む歩幅は小さくて、朝早く出たのに100倍の時間が経っちゃいそうだ。
昨日聞いた約束と勇気の歌と、溜め息と、空元気が体の中ぱんぱんに詰まって、くすんだ胸だけ残してはち切れてしまうような曇り空。どんよりと重たくて、私はイヤホンもないのに俯いていた。
「おはよう香澄。……香澄?」
「……え、あれっ、おたえ」
歩いていると、私服姿でギターを背負ったおたえに声を掛けられた。そこでやっと、もうCiRCLEのすぐ目の前まで来ていたことに気付く。
「おはよーおたえ。今日も寒いねー」
「……香澄、泣いてる?」
「へ?」
「悲しそうだよ」
おたえが両手で私のほっぺを包む。一瞬冷たくて、だんだん温かくなっていく。美人さんな目尻が垂れて、眉毛もハの字にしゅんとして、彼女の方が私よりよっぽど悲しそうだった。
「……おたえ」
「ん」
ぎゅー、っと抱き着く。おたえはマフラーを巻いてて、カラーシャツの上からセーターとコートも着てて、すっかり厚着だから体温なんてわかりっこないのに。なんだか温かかった。切ない気球がゆっくり萎んで降りてくる。重たい空に宙ぶらりんだった心を、おたえはそのまま何も聞かずに抱き止めてくれた。
彼女の手が私のギグバッグを優しく叩く。ゆったり、ぽん、ぽん、って。私の背中じゃなくてギターにそうするのがなんだかおたえらしくて、ちょっと笑えた。そうしたら栓が抜けたみたいにうわーんって泣けた。今度は私の背を、やっぱり優しく叩いてくれた。
「ごめんねおたえ。ふー、カプチーノおいしい……」
「大丈夫、なんにも見てないから」
お、漢前だ……!
私はぼーっとしてて、おたえはスタジオが空いてたらちょっと自主練する気で早く来てたから練習の時間まではまだ1時間くらいあって。ふたりでCiRCLEのカフェスペースに入って休憩していた。
ふわふわの雲が乗ったカプチーノを手の中で転がす。口をつけたところはコーヒーの茶色が顔を出して、ミルクの白が負けている。おたえも両手でカップを持ってほうじ茶ラテを啜っている。まだ空はどんより灰色に白んでいるけど、日が昇って少し明るくなってきた。
もう一口カプチーノを舐めて、私は顔を上げた。
「おたえ……聞いてくれる?」
「うん。どんな話でも」
微笑みが返ってくる。
彼女の手元でほうじ茶ラテの湯気がほっこり揺れる。
私はカプチーノのカップに目を落とした。泡が少し溶けていた。
「あのね──大好きな歌を作った人が亡くなるなんて、思いもしなかったんだ」
言葉にすると、また胸の奥がキュッとする。
ずっとずっとずーっと、抱き締めるみたいに歌ってきた。どんな歌も同じように、楽しい、って思いだけで。ウソはないし軽んじているつもりもないって心から言うことも、昨日までは迷いなくできた。どの歌も大好きで、積み重ねた日々のキラキラを込めて本気で歌ってきた。でも、そうだ。同じように、「他のアーティストの曲」として。
だから、初めての「同じじゃない」重さに心がびっくりしてるんだ。
こんなに素敵な歌たちだもん、聞いた瞬間に虜になった人だってたくさんたくさん、たーっくさんいるはずで。その人たちだけのキラキラドキドキを、私が歌うことで取り返しがつかないくらい曇らせてしまうかもしれない。
「この歌に込められた思い
「香澄……」
ぐずぐず溶けたカプチーノの泡と目が合った。いつのまにか凍ったみたいに固く組んでいた指から顔を上げると、おたえは神妙な顔でスマホを取り出した。
「見て」
「へ? これって……うさぎ?」
うさぎだ。
いっぱいのうさぎだ。
……ど、どう見てもうさぎの写真!
あ、あれ? 私いま真面目だったよね!?
「おたえ!? どういう流れ!?」
「この子の種類、わかる?」
「えっ!? え、えーっとぉ……」
さ、さっぱりわかんない……!
おたえは次から次へと「この子は? ダメ? じゃあこの子は」と画面をスワイプするけどてんでわからない。あっ最後にオッちゃんが出てきた。でも種類は……!
目をぐるぐる回す私に「じゃあさ」と続けるおたえは変わらず大真面目で。
「この子たちのこと、可愛いって思う?」
「それは……うん、もちろん!」
「この子は?」
「かわいい! いっぱい食べてるね」
「うん。一番食いしん坊なんだ。食べる量もそうだし、なんかグルメっぽいところあるの。……この子は?」
「かっ、かわいい……! 寝てる! なんかちょっとむずかしい顔してる!」
「この子はいっつもいっつも寝てるんだけど、神経質なのかな、近くに他の子がいるとすぐに起きるの。でも変に図太くて、そこらに他の子がいても平気で寝ようとするの」
「あははっ! かわいい〜!」
おたえの見せてくれるうさぎたちはみんな可愛くて、全員分のエピソードをすらすら応えてくれた。私が可愛いって言うと、なんだか誇らしげで。
「大事な家族なんだね」
「うん、大好き。……音楽も、それでいいの」
おたえは、誇る眼差しで私を射抜いた。
「大好きなアーティストの曲を素敵だと聴き惚れたり、一度は陳腐だなってスルーしたり。悲しみを教わって涙が引き出されたり、楽しい思い出に寄り添ってもらって嬉しくなったり……それは全部、自分だけの思い出だから。人の気持ちは漫画みたいに読んだりできないし、テレポートとかタイムスリップして見に行けるわけでもないし」
「それは、そうなんだけど……いいの?」
「いいの。誰かが嬉しそうにそれいいよね、って言ってくれたら、そのたび全部思い出せるから」
おたえは、よく私に音楽を勧めてくれる。これから来そうな勢いあるミュージシャン。世界一有名なロックバンドと、それに連なる往年のヒーローたち。アイドルソングやアニソンのプロデューサーにも詳しくて。でも聞かせてくれるたび、私はせいぜいすごいとか、カッコいいとかしか言えなかった気がするけど。
「香澄。サイサイの『Star Drops』、いいよね」
「……うん。おたえが、初めてオススメしてくれたやつ」
「『セピア』も素敵だよね」
「うんっ……『本当は忘れたくないよ』って歌詞、ぐっとくるから……」
「……『Stella-rium』、いいよね」
「……うんっ! この曲、優しくて大好き……!」
「同じアルバムの、『プリマステラ』も好きだよ」
「……うん、うん……! 私も、大好き……っ!」
それでよかったんだ。こんな、簡単な言葉だけで。
絶対に同じ気持ちじゃない。おたえの好きな音楽に詳しくないし、うさぎのこともよく知らない。おたえだけじゃない。私の気持ちは私にしかならない。
でも、たった一言寄り添ってくれるだけで、溢れそうなほど嬉しいなら。
「おたえ、私、次のライブで────」
────定例ライブ、本番。
青いチューブアンプのクリスタルクリーン。17フレットでキラキラ光って遠くへ流れる星のアルペジオがおたえのギターから零れ落ちる。
それを有咲のピアノが追い掛けて、ふわりと柔らかいグリッサンドで捕まえた瞬間。視界がぱっと開けるみたいにペダルを踏み込んでコードストロークした。
『プリマステラ』だ。私はこの曲もやりたいってワガママを言った。
CiRCLEのステージはいつも通りだ。よく来てくれる子たちが最前にいて、先に出番の終わった蘭ちゃんたちが奥の方で観てる。このあと出番のRoseliaの人たちも、控室で観てくれてるかな。
本来はヴァイオリンの音色で奏でられるイントロのフレーズはおたえがオーバードライブで綺麗に弾いてくれている。代わりに有咲がピアノをキラキラ散りばめてコードを鮮やかに彩って。
息を吸って。
ドキドキを、目一杯。
「『言葉にできないもどかしさを 抱え込んだまま 時を重ねて 見えないなにかが行く手さえぎる 閉ざされた世界 抜け出さなきゃ』──」
有咲のピアノが優しく下ろす夜の帳に包まれる歌い出し。すぐにみんなが追いついて、おたえとユニゾンするブリッジミュート、りみりんのルート。さーやのビートに乗って宇宙に踏み出しながら、私は思い出した。
たくさん、たくさん練習して、それでも届かないものはある。SPACEで言われたオーナーの言葉は乗り越えた。やり切った。でも、あの一度きりで満足なんてできっこない。
壁は、ある。何度だってきっと。もっともっと大きなライブに出たりしたら、歌どころかチラシも受け取ってもらえなかったりするかも。
「『正しさもわからなくなってしまいそうなんだ』」
──じゃあ、どうしよう?
「『目覚めたらすぐ探しにいこう この声は届いてますか 両手広げて 翼を真似て 空こんなにも広い』──」
私、あんまり頭も良くないし。
結局、頑張るしかないんじゃないかな。
おたえに言われたこと。「大好き」で、それだけ大事に持っていれば大丈夫。
「──『重い荷物はいらないよ 裸足でかけていこう』!」
間奏、今度はおたえがバッキングに回って有咲がメロディを弾いてる。ヴァイオリンの音色じゃなくて、あえていつも通りのピアノの音で。おたえがマイクから離れてアルペジオを織り交ぜたフレーズを掻き鳴らして、りみりんも飛びつくみたいに弦をまたぐフレーズを送る。さーやがしっかりと土台を支えながら、スネアの連打で盛り上げていく。
マイク越しに目を閉じて歌だけ見てるのに、みんなの笑顔とアイコンタクトしてるような気がする。
「『ありがとう 明日と約束しよう 寂しくなるけど忘れはしない 大事な昨日にさようならして 守られた世界 旅立たなきゃ』」
よくよく考えたら、私は歌が大好きだけど……歌は、それを作った人は、きっと私なんて知ったこっちゃないんだ。誰かが作った輝きに満ち満ちた宇宙にドキドキしてる片思い。どれが何光年前で、何千光年前で、なんてあんまり考えてないもん。
それでも、音楽が素敵なことには変わりない。
「──『優しさもわからなくなってしまいそうなんだ』」
だからきっと、あの悩みは音楽にとっては大きなお世話だったのかも。
「『目覚めたらすぐ All is well 信じて
このときめきは消せないよ 涙の向こう 星が見えたの』──」
……ああ、この2番の歌詞。
「『またここで会えるよ』!」
特に好き。
大好きを込めて、込めて、それが今聞いてる人に届いてくれたらいいな。
「『思い通りにいかないよ それでもかけていこう』──『行け 行け 振り返るな』!」
全力のロングトーンにみんなのコーラスも重なって、有咲のピアノソロ。一瞬振り返りそうになって、今解き放ったばっかりの歌詞を思い出して踏み止まる。目を閉じてコードを弾きながら、瞼の裏にPoppin'Partyの星空を仰ぐ。
原曲と違う、ジャズみたいにちょっと濁った和音をつけたプレイ。そこからだんだんシンプルに洗練されていって、イントロのフレーズを使ったメロディから華やかなグリッサンドの流星群。
スパークする打鍵音をりみりんのハイポジションのワンフレーズとさーやのリフが受け取って、おたえのギターに引き継いでギターの番。やたらめったら速弾きじゃなくて、オクターブ奏法にアームで揺らして歌うみたいに。
ここ、本番までどうやって弾くか決めてなかったんだ。ふたりの好きを込めて、ってお願いして。そしたらリズム隊のふたりが「いい感じに繋いであげるよ〜?」「うん、かっこいいフレーズで応えるから……!」って言うから、有咲が逃げられなくなって。おたえもノリノリだったから、「あー、もうっ、やってやる!」って。
ピアノを弾いてる有咲ってね、ほんとにほんとに、ほんっとーにかっこいいんだ。
「『目覚めたらすぐ探しにいこう この声が届かなくても 変わらない歌 星がくれたの』──」
優しい宇宙にコードを。
ランダムスターの音が光る。
「『約束の未来まで』!」
みんなと織ったキラキラドキドキの中に。
「『目覚めたらすぐ探しにいこう 誰かのための未来じゃない 笑顔の向こう 星が見えるよ』──」
ラスサビ、これでもかと大好きを込めて。
ステージいっぱい、空いっぱい、胸いっぱいにキラキラドキドキを!
「──『またここで会えたね』!」
白いオーバードライブを踏み込んで一層きらびやかに。コードを鳴らして、おたえの透き通るリフと、有咲の華やかなコードと、りみりんの優しいベースと、さーやの温かいビートと混ざり合って、弾けて、光れ!
「『思い通りにいかないよ それでもかけていこう』」
「──『Stella-rium』!」
弱気を振り払って歩む小さな勇気を照らす歌。
この曲が、私は大好き。
……おたえに苦しみを解いてもらった後、私なりにカバー曲をやる意味を考えたんだ。
Poppin'Partyの歌は私の……私たちのキラキラドキドキのため。日々の楽しかったこと、嬉しかったことを綴るため。ギターリフから歌詞の一文字にまで
じゃあ、カバー曲は?
作ったのは私たちじゃない。原曲以外は聞きたくなーい! って人だって絶対いるよね。
「『それははじまりの法則
誰しもにその人だけの思い出がある。誰かと喧嘩したときに慰めてくれたあの曲、目標に向かって頑張りたいときに背中を押してくれたあの曲、嬉しいことがあったときに口ずさみたいあの曲、恋をしたときに寄り添ってくれるあの曲。その全部が人それぞれで。きっと、邪魔なんてされたくないだろうけど。
「──『ひとつになる いま夢の行く先へ 走り出す!』」
Cメロからおたえのギターソロ。16小節いっぱいに気負いなく歩くような旋律を、微笑みと一緒に。
彼女が教えてくれたんだ。
「大好き」のひとことで、ほんの少しのリンクで……心震えて、勇気あふれて、涙が出ちゃいそうなほど嬉しいことを!
「『その時、生まれたときめきが 時空の波サーフしてゆく 不思議だね 今なら怖くない』」
みんなで同じフレーズを弾くこと、トゥッティって言うんだって。鼻歌を歌うみたいな語感が可愛くて、ちょっと気に入ってる。
ドラムとも揃えたトゥッティのフレーズで落ちサビに。そこからじりじりと迫るようなリズムで。
「『未完成なまま飛び込もう 約束の
私がカバーをやりたい理由はね。
人生の中で寄り添ってくれた曲たち。いつか、思い出になったそれを聞いた誰かが──愛しくて優しく、嬉しくて切なかったすべてを、また抱きしめられるように!
誰かのキラキラドキドキを、何度でも、何度でも届けるために──!
「『その時、めばえた衝動に記憶さえもシンクしてゆく 「ありがとう」何度も叫びたい』!」
歌いながらコードを全力で。胸に降り注ぐ流れ星の正体は、受け取った人だけが知っていればいいから。
その光が決して曇ることのないように、強く、強く、かき鳴らして!
「『未完成なまま それでいい 約束の歌を連れて』──」
目を開けて。
照明と、笑顔と、大好きな歌と、みんなの音で白飛びする銀河の中を、ありったけ抱えて。
「──『わたしよ わたしになれ!』」
アウトロで五人重なり合う。最後のキメを撃ち放って、残響を見送って。
両手で一度だけ、目元を拭ってから顔を上げた。
「……最後は、私たちの曲です! どうか──どうか、聞いてください!」
また溢れ出しそうな心にいっぱいの光を、この星の鼓動を、誰かの胸にも分けられるなら。
「──『1000回潤んだ空』!」
ああ、音楽だけは、いつまでも──