早めに気付き修正し、活動報告欄でもご報告させていただきましたが、もしまだご覧になっていない方がいらっしゃれば、追加分も併せてお読み頂ければと思います。
子供達の声が、男の耳に響く。
恐怖と安堵が混じった嗚咽に心底、己に怒りを抱く。
どうして、自分はこうなるまで居なかったのか。どうして、彼らを守ってやれなかったのか。
・・・・・不甲斐ないにも程がある。
理由は判りきっている。
己が浅はかだったからだ。
既に無理の利く体ではないのに、いつまでも自覚を持たず、前と変わらぬままに振る舞った。
困っている人、助けを求める人は放っておけない。苦難があれば真っ先に駆けつける――そんな生き方はもう長くは続けられないのだと、もっと早くに受け入れなければならなかった。
その事実と向き合わず、“活動限界”まで跳び回った。
――その結果がこれだ。
邪悪は現れ、彼の後輩達は傷付き、子供達に恐ろしい思いをさせ――ひとりの生徒を、死の直前まで追い込んだ。
彼は知っていた筈だ。その過去を、その在り方を。
資料を渡され、後輩にもどうかよく見ていて欲しいと、頼まれた筈だ。
何かあれば、真っ先に自分を犠牲にしてしまう、己と同じ――或いは、それ以上に危うい生徒なのだと、分かっていた筈なのだ。
にもかかわらず、その事態を避けるどころか、己は居合わせなかった。
己がいれば、こうはならなかった筈だ。
誰かが傷つくことも、誰かを恐怖させることもなかった筈だ。
本来なら自分はこの場所にいて、悪に狙われるのは自分だけだったというのに。
そこにいなかった。ただそれだけで、惨劇は生まれた。
彼らがどれだけ頑張ったのか――それを押し測ることすら烏滸がましい。
その権利は、この場で戦った者のみが持てるものだろう。呑気に茶を啜っていた自分に、その資格は無い。
どう取り繕おうと己はいるべき時にいなかった愚か者で、謝罪すら許されない身だ。
・・・・・しかし、だからこそ。この身はこれまで通りに在らねばならん。
失態は失態のまま、補填する事など出来はしない。
過去は変わらず、その償いをする術は彼には無い。
一度起きた事は、どうあっても不変だ。
罰はいずれ尽きるが、罪人にとって罪とは消えない存在である。
「――もう大丈夫」
ならばこそ彼は――オールマイトは、誰より胸を張っていなければならない。
己が落ち度で起きた惨状なら、その全てを覆し、今ある苦しみを取り除かねばならない。
過ぎた事を悔やみ、己を罰する事など後でいくらでも出来る。
己が不始末を許さず、彼らを救いたいと言うのなら、現在に目を向けろ。
「――私が来た!!!」
口にする言葉は、呆れるほどいつも通りだ。
被害が出た後に遅れて参じておきながら、この台詞を告げるのは恥知らずにすぎる。
だが、どれだけ厚顔無恥であったとしても、彼はそうしなければならない。
ただそこにいるだけで、皆に希望を与える存在。
“平和の象徴”として、己が罪は彼らを救う事でしか贖えないのだから。
――さあ、困難を打ち破れ。
◆
場は、大きく動いた。
誰もが傷つき、死は避けられないと思われた極限状態は、たった一人の人間によって覆された。
――“平和の象徴”、オールマイト。
USJ内にいた雄英の人間にとって、最も待ち焦がれた救い手。
大きなその背中は、多くの人々の記憶通りのもので、告げられた言葉も誰もが覚えているフレーズそのまま。これまでそうしてきたように、彼は悪の前に立ち塞がった。
「みんな、遅くなってすまない。ここから先は、私が引き受ける・・・・・!!」
オールマイトは視線をヴィランに向けたまま、近くにいる生徒達に告げる。
彼が生徒に対して言うべき事、言わなければならない事はもっと多くある。しかし結局のところ、それを告げたいと思うのは、彼自身の自己満足に過ぎない。
故に、今はただやるべき事にのみ注力する。
謝罪するのも、罵倒を受けるのも、全て終わってからにしなければならない。
「緑谷少年。蛙吹少女と一緒に、入口まで衛宮少年に付き添ってあげてくれ」
現状、峰田がその小柄な体で必死で遠くまで運んだ相澤を除けば、この場で最も命の危険に晒されているのは士郎だ。
ヴィランから受けたダメージ、自らの個性によって生まれた自傷。いずれも命に関わる損壊だ。
下手に移動させるのもリスクが大きいが、ヴィランの前に放置する方がよほど危険だろう。
本当なら、彼らに運んでもらうのが一番良いが、それも難しい。刃がただ生えているだけならそれも可能であったが、刃は生物の様に動いているのだ。
下手に近づいては、逆に救護者に傷を与える事になる。
現状、彼自身が自力で歩く他ない。もっとも――
「・・・・・い、や。まだ、俺も・・・・・戦え、る」
――彼が大人しく引き下がるかは、また別の話だが。
「だ、駄目だ、衛宮くん!これ以上無理したら本当に――」
「こんなの、どうって事、ない・・・・・っ!」
ギリ、と刃が擦れ合う音を奏でながら、まだやれるのだと、彼は言う。
――無論、強がりだ。
既に生きているのが不思議なほど、彼は自身の限界を超えている。
口にする言葉はどれも途切れ途切れで、まともに喋ることすら苦しい。彼が僅かでも気を抜けば、刃は制御を離れて彼の命を食い破る。
死に体そのものな状態を、大した事はないなどと、言える筈はない。
だが、確かに彼の眼は未だ死んでおらず、灯った火は消えていない。
冗談でもなく、虚勢ですらない。彼は本気で戦いを続けるつもりでいるのだ。
悪は未だ斃れず、守るべきモノは今も背後にある。多くを背負ってきたオールマイトが、彼らの為に戦おうとしている。
ならばこそ、彼が退く道理は無い。
たった一人を残して逃げる事など、彼には許せない。
「衛宮少年、君はもう十分すぎるほどに頑張った!後は私に任せて、君も早く逃げるんだ!」
当然、その不撓を見過ごすほど、オールマイトは愚かではない。
たとえ、士郎がどれほど強い信念の下に行動しているのだとしても、目の前で生徒をむざむざ死なせるような教師はいない。
そもそも、今この場で彼が死力を尽くさねばならない理由など、ただの一つも存在しないのだ。
「本来なら、教師である私がすべき事を君達に肩代わりさせてしまった・・・・・この上、更に命を張らせるわけいかない!」
故に、後は任せろと。今から命を賭けるべきは、己なのだと。
その声で、その背で告げて、避難を促す。
他の者なら、その言葉を否定する事はないだろう。
他人どころか、己の命すら危ぶまれる状況で、目の前にはどうあっても敵う事のない脅威がある。それを押しとどめる事の出来る人間も存在する。
であれば、瀕死の人間などいるだけ邪魔というもの。
そもそも、オールマイトという絶対的なカリスマ性と実力を兼ね備えた人間の言葉を跳ね除けられる人間など、それこそ皆無というものだ。
しかし見方によっては――相手がオールマイトだからこそ、彼は退けないのかもしれない。
「――それは、違う。俺が・・・・・俺たちが、あんたに、
「――――――」
数瞬、オールマイトの呼吸が止まった。
士郎が言った言葉を理解出来なかったのではなく、むしろ、彼の言わんとする事を理解して――
「今まで、あんたばっかりに、苦しい事を、押し付けて・・・・・そう出来るからって、それに、寄りかかって・・・・・きた」
平和の象徴。
ただ一人の力で多くを救い、ただ一人の威光を以って平穏を保たせた。
それは確かに、この上ない偉業だ。
一個人の影響力で一国の犯罪率を抑えた例など古今東西、世界中を探しても存在しないだろう。
他国の犯罪発生率が、軒並み20%を上回っているのに対し、日本だけが6%に抑えられている事実を鑑みても、彼という存在が如何に大きかったのか分かる。
――しかし、逆を言えば。
ただ一人が維持する平穏とは、ただ一人に重荷を背負わせた社会という事に他ならない。
オールマイトがどれだけ偉大で、どれだけ超絶な力を有していようと、彼もまた一人の人間であり、必ず限界は存在する。ただ、彼自身がそう見せない振る舞いをしていたから、誰もがその事実を忘れ、目を逸らしていただけ。
平和の象徴という名の人柱に支えられ、この国は成り立っている。
――それは、何か違うと、心の中で叫ぶものがあった。
「誰かを、助けるだ、けなら、個人の範疇だ・・・・・けど、平和ってのは、そこ、に生きてる、皆で作る、モノ、だろ」
オールマイトはこれまで多くの苦難に立ち向かい、その過程で数えきれないほどの傷を負ってきた筈だ――それこそ、人の身には抱えきれぬほどに。
それは本来なら、何処かで誰かと分つべきものだったのだ。
たとえ彼がそう生きると決めた時、そういうモノが無ければ進めない時代だったのだとしても。
彼は、一人で背負うべきではなかった。
士郎にとって、オールマイトを――“平和の象徴”を素直に受け入れられない理由はそれだ。
遍く世界を照らす唯一の象徴<イコン>など、人がなっていい存在ではない。
なのに、誰一人それを考えず、彼が振る舞うままに鵜呑みにして――その痛みに、誰も見向きもしないでいる。
――その孤独が、士郎にはたまらなく嫌だった。
士郎に対し、オールマイトは言った。
君は頑張ったのだ、と。
それは事実だろう。彼の自身の命すら厭わない奮戦が無ければ、既に誰かが死んでいてもおかしくはなかった。
しかし彼にそう告げるのなら、その言葉はオールマイトにも向けられなくてはならない筈だ。
「あんた、一人に・・・・・戦わせは、しない・・・・・っ」
「・・・・・・・・・・」
一人で背負い切れぬほどのモノを背負い続けてきたオールマイトに、これ以上、負担を掛けたくはない。
オールマイト殺しを目的にするこのヴィラン達は、ともすれば本当に成し得てしまうかもしれない力量がある。
ここで何もせずに逃げだして、本当に彼が殺されてしまったら。
そんな可能性を、士郎は見過ごす気は無かった。
「――ありがとう、衛宮少年。こんな不甲斐ない男を、そうまで慮ってくれて」
そして。
オールマイトにとって、士郎の言葉はひどく心を揺さぶるものだった。
苦しむ人を救い、誰もが安心出来る希望の灯火・・・・・そういうモノになろうと決めた。
実際に、彼は彼が望んだ通りの存在になって、母国の平穏を保ってきた。
どんな時も笑顔で、押し寄せる悪に屈さない――ナチュラルボーン・ヒーローで在り続けた。
・・・・・ただ、それは多くを知らない、外観のみを見た者の捉え方だ。
彼が戦ってきた人生の中で、救えなかったもの、取りこぼしてしまったものは幾つもある。
その度に己を呪い、悔やむ事もあった。
しかしそれを表に出しては、人々に安心を与えられない。悪に付け入る隙を与えてしまう。
だから、恐れに歪む顔も、痛みに身を折りそうな姿も封じ込めた――平和の象徴という偶像になって、その影を隠した。
――だが、衛宮士郎という人間は、その実態を見誤らなかった。
彼はオールマイトについて、特段に多くを知っているわけではない。
ヒーロー志望として、彼の戦う姿や戦法を知りはしても、緑谷のように重度のオールマイトマニアというわけではない。
彼の過去も、彼の事情も、何一つ知りはしない。
当然、オールマイトの“秘密”など、彼が予想できるはずもない。
それでも、理解していた。
彼の生き方が尊いものであったとしても、その在り方はどこか歪なものなのだと。
それはきっと、見過ごしてはいけないものなのだと、恐らくその魂が知っていた。
だからこそ、彼の言葉はオールマイトに響いたし――何より、耳に痛かった。
・・・・・平和は、皆で作るもの、か。
語るまでもない真理であり、決して己一人で平和が維持されているなどとは微塵も思っていないが――確かに、人を頼る事は出来ていなかったな、と自覚する。
なにせ、まさしく今この状況こそ、そのせいで起きてしまった事態なのだから。
今日、彼は出勤する途中、三件の事件・事故を解決してきた。
彼がいたからこそ迅速に解決できたものもあったし、命を救われた市民もいる。
しかしそれは――果たして本当に、彼が介入しなければ解決できないものだったのか。
もし、彼が他のヒーロー達を信じ、彼らに任せていたなら。
或いは、今回の襲撃による被害は、もっと小さなものだったかもしれない。
・・・・・意味の無い思考だ。過去は変わらないというのなら、仮定の話に何の意義がある。
オールマイトが助けた人達か。ヒーロー科の面々と同僚達か。
いずれも等価であり、天秤に掛けることはできない。
どうあれ、いま目の前にある光景こそ不変の現実だ。
いずれにせよ、彼がその責務を果たさねばならない事に変わりはない。
――それに、意外な事ではあるのだが。
オールマイト自身、士郎の言葉に、どこか心が温かくなるものがあった。
平和の象徴として生きてきて、救えた人に感謝される事は何度もあったが、逆にそれを重荷と捉えて心配するような人物は、ともすれば士郎が初めてかもしれない。
彼と親しい人物の中には、彼を案じる者は何人もいたが、彼の在り方そのものに疑問を抱く者はいなかった。
士郎の言葉を嬉しいと思っているのかはさておき。
そんな風に案じてくれた子供に、これ以上情けない姿は見せたくないと、心の中でそう考える自分がいるのだ。
「しかし、だからこそ、ここは私に任せて欲しい!君の言う“皆”の一人として、君の頑張りに報いさせてくれ!!」
士郎はここに至るまで、尋常ではない尽力を見せた。
平和が皆で生み出すものというなら、各々が捧げる対価は等量であるべきだ。これ以上、彼を戦わせるというのなら、それこそ釣り合いが取れない。
オールマイトが言う通り、今ここで戦うべきは士郎ではない。
それを、しかし頑なに首を振る。
「駄目だ。アイツは・・・・・あの黒い奴は、アンタを殺す為に、
徐々に声に安定が戻ってきたのか、少しずつ聞き取りやすくなってきた言葉で士郎は語る。
もし彼が脳無の能力を知らなければ。或いは、オールマイトの言葉に従ったのかもしれない。
だが、彼は知ってしまった。把握してしまった。
脳無というヴィランの力を――その正体を。
「”超再生“と、おそらく衝撃の吸収、そしてあんた並みの身体能力を備えた奴は――意思の無い、”動く死体“なんだ」
「・・・・・!?」
告げられた言葉に、オールマイトも、緑谷も驚愕した。
――動く死体。
俄には信じ難い話だ。
この超人社会、どんな超常現象を引き起こすか分からない個性で溢れかえってはいれど、死者を操るのではなく、生者の様に自立させる個性ないし技術など、あまりに現実離れしている。
他の人間が言ったなら、それは一考する価値もない戯言だっただろう。
しかし、この発言をしたのが衛宮士郎であるが故、オールマイトは即座に否定できなかった。
個性の関係上、”解析“というプロセスを踏む士郎は、物質の構造把握を可能としている。その精度が高いものであり、かける時間によっては生物に適用される事も、オールマイトは知っている。
その彼が断言したなら、それは一定の信憑性を有した事実と受け取っていい。
「いまここで、あんたを、手助けできるのは、俺しかいない・・・・・」
プロの二人が倒れ、増援もオールマイト一人の今、彼の援護を出来るのは生徒達だけだ。
この場にいるメンバーの中で、蛙吹と峰田は戦闘能力に乏しく、緑谷も個性制御を完全に習得したのか不明。
そもそも、戦技能という点において彼らは士郎に及ばない上、敵の動きにすら対応できない。
この三人よりも、深傷を負った士郎の方が戦力としては辛うじて上だった。
だから、士郎はどうあっても退けない。
如何にオールマイトとて、脳無に加えて二人の厄介なヴィランも同時に相手取るとなれば苦戦は免れない――いや、むしろ敗戦濃厚と言っていい。
オールマイトを一人残して撤退する。それ即ち、彼を犠牲に生き延びると同義である。
そも、他者を脅かす悪と戦う者が居るのに、それを横目に逃げる選択ができるほど、衛宮士郎という人間は物分かりの良い人間ではない。
「・・・・・・・・・・」
ここに至って、オールマイトは決断を迫られた。
衛宮士郎がもはや自分の言葉程度では止まらない事を、彼は十分に理解している。
このまま説得を試みても、無駄に時間を浪費するだけだ。
ヴィラン達もそう長くは待ってくれない。
オールマイトが初撃で死柄木の意識を刈り取った為にいまだに動きはないが、それも深く昏倒させるほどのものではなかった。
直に目を覚まし、戦いの口火は再び切られる。
故に、決めなければならない。
この場における衛宮士郎――その処遇をどうするか。
選択肢は二つ。
一つは、彼の援護を受け入れる。
自分がヴィランと戦う間、その補助をさせ、制圧するまで限界まで戦ってもらう――論外だ。
すでに致命、一秒後には息を止めてもおかしくはない風前の灯火である生徒に、これ以上の戦いを許すなど、人として認められざる選択だ。
であれば必然、採れる選択はもう一つ。
「衛宮少年。その必要は無い。本当に私対策がされたヴィランだとしても、その全てを上回ればいいだけの事!心配しなくても、こんな連中に負けはしない――私は、平和の象徴なのだから!!」
言って、オールマイトは誰の反応も待たず、ヴィランに向かって吶喊する。
究極の頑固者と言って差し支えないほどに頑なな士郎を、戦いから遠ざける最後の方法――それは、徹底的な放置である。
言っても聞かない。移動も難しい。とくれば、もはやこの場に残す他ない。
ヴィランとの正面対決。その場に要救助者である彼を留める事は危険に過ぎるが、悠長な事を言ってられるほどの余裕は無かった。
幸いにしてヴィランとの距離は10mは離れている。戦闘の余波で生徒達が傷つく事はまずない。
・・・・・ならば、彼らに被害が及ぶ前にケリをつける!
持てる力の全てで、一秒でも早くヴィラン達を圧する。
子供達に矛先を向かせず、衛宮士郎が介入する余地も残さず。
それが、オールマイトが選んだ、この場における次善策であった。
士郎自身の損傷具合から、彼が碌に動く事も出来ないだろうという考えと、士郎から得た敵の情報から、それが可能だと判断したのだ。
その考えはきっと、現状に即した適切な選択なのだろう――だが彼は、今以って思い違いをしている事に気づいていなかった。
この場で真に考慮すべきは状況ではなく、そこに並べられた条件<カード>なのだという事を。
彼にとっての誤算は二つ。
一つは、脳無というオールマイト対策と言われるヴィランの力量が、予想以上である事。
そして、もう一つは。
――衛宮士郎の忍耐を、見誤った事だった。
◆
戦いは既に始まっている。
俺達を守る為、戦いに巻き込まぬ為、彼はたった一人で三人のヴィランに挑みかかった。
そう出来るっていう自信はあったんだろう。けどそれ以前に、生徒を危険に晒したくないから、俺達を出し抜くみたいに向かっていったんだ。
実際、オールマイトは強い。
この日本――或いは、全世界のヒーローの中でも頂点に位置すると思えるほど、その力は隔絶している。
彼が平和の象徴と言われるのは、誇張でもなんでもない。
その異次元の実力で、多くの事件・事故を解決してきた末、本当に彼がいるだけで全ての問題は解決するのだと、誰もが認識した結果だ。
彼に対する信頼は、ただそうなのだという事実に過ぎない。
『オールマイト』という、あらゆる苦難を捩じ伏せる、現象そのものとも言えるかもしれない。
だが、いま目の前で起こっている戦いは、これまで何度も記録の中の映像を視て、脳内に焼き付けてきたオールマイトの実力のどれをも塗り潰す。
繰り広げられる脳無との激突は、もはや立ち入る隙も無いほどに苛烈だ。
彼は拳を一振りするたびに大気を攪拌させ、一歩踏み締める度に地面をひび割れさせる。
あれはもう、人の形をした天災そのもの。それも指向性を持った、とびっきり精密なものだ。止めようと思って止められる類の存在じゃない。
何者であれ、あの空間に立ち入れば秒と経たずに圧殺される。
原型どころか、人間としての痕跡すら残らない挽肉に成り果てるだろう。
あの戦いに割り込むっていうのなら、それこそ彼と同等の力を持っていないと不可能だ。
この場にいる誰であれ、オールマイトをサポートする事はできない。
「衛宮くん、今はオールマイトを信じよう」
「緑谷・・・・・」
俺の体から生える刃が辛うじて当たらない距離で、緑谷は撤退を促す。
「衛宮くんの気持ちは、僕にも分かる――でも、今の僕らじゃオールマイトの助けにはなれない・・・・・」
それがオールマイトの指示であり、いま俺たちがすべき選択だと、緑谷は理解している。
だから彼は、俺を護送<エスコート>する為に残った。
・・・・・けど、そう説得する彼の表情は、ひどく憂いを孕んでいる。
きっと緑谷も案じているんだ。オールマイトの無事を。
彼は離れながらも、相澤先生や俺があの三人と戦う様子を見ていた。連中の力量はよく理解しているんだろう。
だから、もしかしたらオールマイトが敗北してしまうんじゃないかって、恐れてる。
こいつはきっと、うちのクラスの中で一番のオールマイトファンだ。
他の誰よりも彼の偉大さを知ってる。普通なら、オールマイトが負けるところなんて、想像もしないだろう。
重度のマニアである緑谷なら尚の事だ。
――その緑谷が、オールマイトの勝利を疑っている。
他の皆が無条件に安心してる中、こいつだけは彼の勝利を絶対のものと考えていない。
誰よりもオールマイトという英雄の絶対性を信じながら、この場の誰よりも彼が地に伏す未来を見ている。
本当は緑谷もオールマイトを手助けしたいんだ。
けど俺がいるから、オールマイトに俺を頼まれたから、心中の葛藤を押し殺して、ここから離れる事を受け入れた。
きっと、それが正しい。
残ったところで、出来る事はほとんど無い。
彼の代わりに脳無と戦うなんて、到底できっこない。今の体じゃ、弓で援護する事も不可能だ。
オールマイトを信じて、俺たちは逃げるべきなんだろう――――本当にそうなのか?
確かにオールマイトの力は絶対的で、俺たちが助ける余地なんて欠片も残っちゃいない。
・・・・・けど同時に、俺はあのヴィラン達の力も体感した。あいつらがどれだけ強大か、身を以って経験したんだ。
だからこそ分かる。連中の戦力なら、オールマイトの命にも十分に届きうる、と。
今まで彼が倒してきた敵みたいに、殴り飛ばせば倒れるような輩とは訳が違う。
現に、戦いは今も続いている。
オールマイトの拳は、繰り出される度に威力と速度を上げていっている――それはつまり、その連撃を受け続ける敵の生存を意味している。
彼の力を真正面から受け止めて、徐々に上昇する力に対して、確実に付いていってるんだ。
見ていれば誰だって分かる。
今のオールマイトに余裕なんて残ってない。目の前の敵を倒すのに全霊を尽くしてるんだ。
そんな彼が、残る二人のヴィンランまで相手にする余裕があるかのか――そんな余分、あるはずがない。
敗北する。
遠からず、彼はヴィラン達に打ち負かされる。一人で戦い続ける限り、彼に勝機は無い。
相澤先生みたいにその体を破壊し尽くされ、目を逸らしたくなるような惨い死に様を晒して斃れる――その未来を、黙って見過ごすというのか。
「―――悪い、緑谷」
一言だけ残して、二人のヴィランに向かって走る。
刃同士が干渉してぎこちない事この上ないが、動けるならそれでいい。
「衛宮くん・・・・・!?」
緑谷の驚く声が聞こえた。
傍目に見れば瀕死の重体、傷と痛みで歩く事も出来なさそうな重傷者が変わらず走り出したら、そりゃあ驚く。
実際、少しでも気を緩めたらもう動けなくなる。
身体中そこかしこが痛いし、血だってかなり流してる。
目の前の景色がひどくあやふやに見えて、自分が真っ直ぐ走れているかすら自信を持てない。
・・・・・でもな、緑谷。こんなのは、俺にとっちゃ慣れたものなんだ。
刃で全身ズタボロになるのも、痛みだけで失神しそうになる感覚も全部、これまで何回も繰り返してきた事だから。
だからこの自害しかねない苦痛にも耐えられるし、やるべき事もハッキリ判ってる。
後はただ、その通りにこの体を使うだけだ。
「―――、――――!」
死柄木と呼ばれていた男が金属音に気付いて、こちらを迎え撃とうと構えを取る。
それでいい。お前らはオールマイトなんて放っておいて、こっちを見てればいいんだ。
「あぁあああああーーッ!!」
あらん限りの力を込めて吼える。掛け声にもならない、ただ奥底から絞り出しただけの叫び。
それだけのことが、こんなにもこの喉を苛む。
声を出すために震わせたのが、その振動で刃を更に食い込ませる。
・・・・・無視しろ。今はその痛みに構っている余裕は無い。
こうして、叫びでも上げてなければ、本当に意識が落ちてしまいそうなんだから。
「・・・・・、はぁあああーーッ!!!」
仰反る勢い任せに腕を体ごと振り被り、戻す反動で右腕を振るう。
折れて邪魔くさい右腕は、そのまま剣の様に刃で固定してる。
こんな単純な動作でも、十分に武器になる。
「・・・・・、―――っ!!」
けど、そんな稚拙な攻撃は簡単に躱された。
奴が軽く後ろに飛び退いただけで、こっちの攻撃は届かなくなる。
驚きは無い。
右腕はこうなってからは円の攻撃しか出来ない。そんなとろくさい動き、子供だって避けれる。
それでも構わない。
要するに、こいつらと脳無の連携さえ阻害できればいいんだ。
オールマイトが脳無を打倒するまで、こいつらを妨害できればそれで十分。
それ以上の事は忘れろ。
今はただ、時間を稼ぐ事に専念してればいい。
「―――!」
敵が何か叫んでるが、それも正確には聞き取れない。
視界と一緒だ。死にかけてる体は、外の情報をまともに収集する事も出来なくなってる。
今の俺にハッキリ聞こえるものなんて、未だに止まらずに済んでいる心臓の音と、耳障りな金属音だけ。
それ以外の音は、集中を乱す雑音でしかない。
「っ――――、ぁああ・・・・・・・!!」
離された距離を踏み込み、辛うじて動かせる左腕を奴の手を狙って叩き込む。
死柄木が危険なのは、あの手で触れたものを破壊する個性故だ。
だったら、その力を発揮する手を
全身が刃塗れの今なら、どこで触れても奴を斬り裂ける。
「――――ッ!!」
「・・・・・っ!」
拳が到達する直前、俺と奴の間に黒い靄が生まれる。
ワープホール。
黒霧の個性。
「っ・・・・・!」
「――――!?」
理解してすぐ、闇の中に飛び込む。
下手に動きを止めれば、半端に腕を残してゲートを閉じられる。
今の状態で左腕まで失えば、俺の戦力は大きく下がる。
それならいっそ、全身で通過してしまえばいい。
それに、これまでのやつの個性発動を思い返せば――
「・・・・・・・っ!」
視界が一瞬、暗闇に染まる。
上手く働かない頭で、こう暗いと眠気にやられそうだな、なんて埒外の考えが浮かぶ。
それもまたアリだが・・・・・それはこの戦いが終わってからだ。
――さあ、ゲートを抜けて、奴の前へ。
「・・・・・ッ!」
「・・・・・!?」
一瞬、外の光で眩む視界に見えたのは、黒霧の姿。
やっぱり、思った通りだ。
奴の個性、おそらく転送先さえ把握できれば何処にでも飛ばせるんだろうが、咄嗟に個性を使う分には手近な場所にしか繋げられない――だからこうして、
この距離なら、たとえワープの個性でも、ゲートが開く前に打ち込める・・・・・!
「らぁっ・・・・・ッ!!」
「・・・・・っ!?」
途中で遮られた左拳を、矛先を変えて今度こそ叩き込む。
狙いは奴の鳩尾。
一切の妨害を受けずに突き刺さった一撃は確かに奴に当たり、その体を殴り飛ばした。
打ち込んだ拳には、血が纏わりついてる。
俺の体から流れたもの――だけじゃない。
この手に付着する内の何割かは返り血だ。最初に予想した通り、黒霧には実体があった。
これなら、さっきの一撃は奴にとっては十分に痛手だった筈だ。
暫くは、痛みと無理矢理に乱された呼吸で、動けないだろう。後は――
「――――ッ!!」
後方から、死柄木がこちらに腕を突き出す。
曖昧な視界じゃよく分からないが、何か怒っているように見える。
それは仲間が傷つけられた事への憤りか。
こんな、見た者に嫌悪を呼び起こすような雰囲気を纏う人間でも、一端に人間らしい心があるのか、とつまらない考えが浮かぶ。
「・・・・・っ!」
奴の手が迫る。
あの手に触れられるのは危うい。
死柄木の個性がどれだけ影響を及ぼすのか分からない以上、下手に喰らえない。
「っ・・・・・!」
右脚を軸に左脚を引いて90度ほど転進、そのまま軽く後ろに仰反る。
それに一瞬遅れて、胸元近くを奴の腕が通り過ぎていく。
接触は回避できた。
後は姿勢を戻し、その流れで胸やら腹やらから生えてる刃で、死柄木の手を斬って――
「うぉ・・・・・っ!?」
思考を実現する直前、姿勢を崩して背後に倒れ込み、みっともなく尻餅をつく。
一瞬、頭が混乱する。
急に視界が下がって、同じ視線にあった死柄木を、今では見上げる形になってる。
何が起きたのか――それを考える前に奴の手は追ってくる。
「っ・・・・・!」
「・・・・・・・・・・」
手が届く前に腕を横薙ぎに払って、これ以上、近づけるなと威嚇する。
奴も針鼠よろしく刃だらけの体を警戒してか、すぐに腕を引っ込めて後ろに退がる。
その隙に立ち上がるも、頭の中には疑問は残るままだ。
さっきはなんだって少し仰け反ったくらいで、あんな無様を晒したのか。
普段から体は鍛えてるし、身体技能だって相応に高めてきた。
少し不安定なだけの姿勢で倒れるような未熟者じゃない、それぐらいの自負はあったんだが――
・・・・・いや、何も不思議なことなんかじゃない。
この状態に慣れすぎて、当たり前の事を忘れていた。
既に動いてるのが不思議な体で、何度も無理を通してるんだ。それなら、どこかで歪みが生まれるのは当然だろう。
普段、意識せずともこなせていた動作は、今では気を抜いただけで出来なくなっている。
血を多く流したのもあって、平衡感覚を上手く保てていないんだ。加えて――
「っ・・・・・」
肉体を呑み込む刃は、外から来るものじゃない。
剣も刃も、俺自身が生み出してるもの。ならば、刃とはまさしく、己の血肉に等しい。
体と刃は別個の存在ではなく、俺の体そのものだ。
だから、剣が流れ出したらどうなるか――簡単だ、俺の体そのものが、徐々に剣と化していく。
何も無いのにふらついた挙句に転んだのは、関節が硬化していたから。
少しずつ硬くなる節々のせいで、挙動が固まっていたからだ。
長く刃を生み出し続ければ、俺は物言わぬ剣に成り下がる。
そうなる前に、決着を付けなければ。
「あぁあーーーーッ!!」
自ら踏み込み、攻勢に出る。
もはや、オールマイトが脳無を制圧するのを待つなんて、悠長な選択は取れない。
黒霧が動きを止めている、この僅かな間隙に死柄木をどうにかする。
それが出来なければ、生死以前に生き物として完全に終わる。
「――――」
「・・・・・っ!」
けれど、そんな願望をあっさりと裏切って、死柄木は回避に専念している。
その表情、ニヤついた気色の悪い笑みは明らかに俺を嘲っている。
さっきまで俺に触れようとしてきたのに、今じゃ一切、攻撃してこない。
・・・・・野郎、こっちの事情に気づきやがった・・・・・!
少しずつ精彩を欠いていく俺に、刃が溢れ出す事の影響を理解したんだ。
だからこうして、避ける事を選んだ。
こいつは待っているんだ。衛宮士郎という人間が動きを止め、ただの物に変貌するのを、笑いながら見物してる。
・・・・・ほんと、悪党<ヴィラン>の鑑みたいな奴だなっ・・・・・!
心中で悪態を吐くも、現状は変わらない。
こんな鈍い動きじゃ死柄木は捉えられない。
固まってる関節がもどかしい。
無理矢理に動かす腕は、錆びた鉄みたく滑らかさがない。
ギャリギャリと音を鳴らして敵を追う様は、下手で不恰好な踊りにも見えるだろう。
奴はそれを、滑稽そうに笑っている。
全くもって腹立たしい。こちとら見せ物じゃねぇぞと・・・・・そんな文句を言う事も出来ない。
奴の動きは、今の俺が羨ましくなってくるほど、実に人間らしい。
滑らかな動作は僅かな引っ掛かりもない。
俺の鈍重な動きは紙一重どころか、辞典一冊分は余裕を持って躱されてる。
ギリギリで避けたら、刃に傷付けられるからだ。
・・・・・だったら。
「おぉお・・・・・!!」
「――――!」
再び打ち込んだ拳は、十分な距離を空けて回避される。
奴は愉快そうな笑みを浮かべて――直後、不思議そうに自分の腕を見る。
真っ黒い服に覆われた腕、そこに滲んだ紅と、鈍い銀色。
「――――!?」
奴が大きく飛び退き、苦悶の声を上げる。
何でそんな事になってるか、さぞ不思議だろう。
だが、奴が俺を侮らずにこっちの動きをよく見てれば、何が起きたのか気付けた筈だ。
なにせ傷の原因になったのは、今まさにあしらわれた俺の腕なんだから。
奴が拳や腕による近距離での攻撃を警戒してるなら、それ以外の攻撃をしてやればいい。
だから、特定の部位の刃をあえて増加させ、その勢いで先にあった刃を押し出してやった。
勢いよく現出した刃は、古いそれを外部に吹き飛ばす。
射線上にあるものは、その刃に襲われる事になる。
子供騙しもいいところなチャチな攻撃だったが、もはや俺が単調な攻撃しかできないと油断しきっていた奴は、滑稽なくらい簡単に傷を負った。
「・・・・・は―――っ、はぁ――――」
もっとも、代償として更に刃が増える事にはなったが。
体内で一気に異物が増えた痛みも、しっかり存在する。
ほとんど自滅前提の反応装甲<リアクティブアーマー>みたいなもんだ。
こんな戦法、そう何度も繰り返せるもんじゃない。
「――――っ!」
震えた声でなにがしかを口にし、こちらを睨めつける死柄木。
その顔には、俺への憤りがありありと浮かんでる。
油断して警戒を怠ったお前の自業自得だと罵ってやりたいが、こっちの状況もよろしくない。
今ので距離を潰した攻撃もできるんだって奴も理解した。同じ攻撃はもう二度と通じない。
目を潰すか、手を斬り落とすか――或いは、首を斬りつけるか。
いずれかが叶っていればまだやりようもあったが、それももう届かない願いだ。
今の俺じゃ、接近戦で死柄木を捉える事は出来ない。
残る投影もこの状況で通じるかどうか――
「っ・・・・・!?」
停滞した場を突然、凄まじい冷気が覆う。
死柄木の横合いから地面を伝って氷が走る。
奴はすんでのところで躱し、更に大きく距離を取った。
明確にヴィランに向けて行使されたこの能力、この個性は――
「・・・・・轟、か」
氷が向かってきた方向を見やる。
視線を向けた先に、左右で二色に分かれた独特な頭髪が見えた。
地面ごと氷結させてる轟は、その冷気を周囲に漂わせてる。
よくよく見れば、今ので黒霧も狙った様で、こちらはきっちりと捉えていた。
「・・・・・・・」
ふと、轟と視線が合う。
彼の表情に一瞬、驚きの色が見えたが、すぐに鳴りを潜めた。
それでいい、と思う。
俺の姿か、この場の状況に対してかは分からない。いずれにせよ、すぐに現状を受け入れて敵に目を向けられるのは、流石の推薦入学組と言う他ない。
「――――ッ!!」
ボンッ、という、耳がイカれはじめた俺ですら聞き取れる、耳をつんざく爆音。
轟が現れてから少しの間も置かず、新たな闖入者がこの場に殴り込んできた。
一人はその激しい音に恥じない爆発を死柄木に叩き込み、もう一人は庇う形で俺の前に立った。
爆発を起こしてる方は分かりやすい。うちのクラスでああいうのが出来るは、爆豪だけだ。
もう一人は誰だろう。
さっきから視界すら定まらず、あやふやに見えていた景色が、この上さらに暗くなってる。
「お■、■丈■■衛■っ!」
目の前の誰かが振り返り、刃も気にせず近づいて大きく声をかけてくる。
切羽詰まった様子で、俺の身を案じてる、目も醒めるような赤い髪色の誰か――ああ、切島か。
「・・・・・悪い。さっきから、目と耳の、調子が悪くて、気付かなかった・・・・・」
意識はまだハッキリしてる。
ただ、五感の幾つかに異常がある。さっきまで、ほとんど呼吸も止まってた。
死体同然の体で戦い続けた代償――或いは、戦い続ける為に、敢えて機能を縮小したのか。
「■■■■■・・・・・い■■れ以■に、■■■は■■し■■だ■っ!?」
切島の顔がより近づいて、彼の表情がよく分かる。
本当に心配してくれているようで、こうまで動揺している彼は今まで見たことがない。
うまく聞き取れなかったけど、今のはこの体の事を聞いていたらしい。
俺の身勝手で彼に心労をかけるのは申し訳なく思うが、今は目の前の敵に注力してほしい。
「・・・・・気を付けろ。奴の個性には、手で触れたものを、破壊する力がある」
「そ■■■た■介■・・・・・って、■■!?」
告げるべきを告げて、切島を避けて前へ出る。
なし崩し的に流れが停滞したとはいえ、戦いはまだ続いている。ここで休んでいる暇など、一分たりともありはしない。
「待■■宮!■ん■■でま■■う■か!?」
途切れ途切れの声が、尚も剣を執るのかと問いただす――無論だ。
轟の凍結、爆豪の爆破、いずれも死柄木を捉えてはいない。増援が来たとはいえ、奴の戦闘能力を考えれば、逆に彼らが殺される可能性は大いに存在する。
凍らされた黒霧も、その気になればあの拘束から脱することも不可能ではない筈だ。
戦いの行く末は、未だ見えてこない。今は一人でも多くの戦力が必要なんだ。
勝ちの目はある。
死柄木と黒霧は、既に大きなダメージを受けている。
螺旋剣の余波で受けた無数の切創、そこからの出血は決して少ないものではない。加えて、切島達が来るまでの戦闘で、あの二人にはそれぞれ手傷を負わせている。
損傷としてはかなりのものだろう。
俺だけなら、こちらの方が重傷だったからそれは大したアドバンテージにはならなかった。
けど、こうして増援が現れた今、数の優位を考えれば奴らの負傷は明確に弱みとなる。
ここで退かずに奴らを攻め続ける事が出来れば、形成をこちらに傾かせる事は出来る筈だ。
・・・・・まあ、こっちはこっちで連携が難しいが。
轟は広範囲殲滅攻撃を得意とし、爆豪の間合いには迂闊に近寄れない。俺もまた、今の体で他人が側にいると、かえって傷付ける恐れがある。
自分を含めて、これほど協力という言葉から程遠い面子もいないだろう。
下手に立ち回れば、すぐに態勢は崩される。
・・・・・けど、やるしかない。
俺達が失敗すれば、その分だけ被害が広がる可能性を高める事になる。
この場の人間だけじゃなく、こいつらがいずれ傷つけるかもしれない誰か。
こいつらを取り逃すという事は、その人達の命を危ぶめるという事だ。
迷っている暇は無い。敗北も許されない。
ヴィラン連合なる集団、ここで完全に壊滅させる事こそ、ヒーローを目指す者の責務だ。
「――――」
落ちそうになる意識を何とか繋ぎ止め、敵を見据える。
死柄木も、さっきまでの余裕そうな態度は失せている。手傷を負った状態で、ほぼ無傷の三人も合わせて相手にする以上、奴とて楽観的に構えられはしない。
ここから先は互いに全霊。
さっきまでの半端な戦いではなく、一切の加減も容赦も無い真っ向からのぶつかり合いとなる。
片や、平和を壊し尽くす為。片や、平和を護る為。
それぞれの願いを賭け、持てる力の全てで、敵対者の存在を否定し尽くす。
停止寸前の全身に力を溜め込み、一秒先の激突に備えて――
――瞬間、世界が爆ぜた。
◆
世界そのものが弾け飛んだのだと、その場の誰もが錯覚した。
強きに過ぎる衝撃が四方へ飛散し、膨大な量の空気が一瞬の内に圧縮され、一息に撃ち出されたかの如き轟音が鳴り渡った。
ヒーロー科生徒達も、ヴィラン連合の人間も、皆一様に音の出どころに視線を向けた。
そこは、一つの戦いが繰り広げられていた場所だ。
平和の象徴オールマイトと、異形の傀儡、脳無。
二つの巨大な力がぶつかり合っていた地点であり、そこには当然、二つの影があるはずだった。
だが今や、そこには一人の人間しかおらず――オールマイトがただ一人、拳を振り抜いた姿勢をゆっくりと解いていた。
何が起きたのかは、一目瞭然だ――脳無を打ち破り、オールマイトが勝利した。
彼の戦いが如何なるものであったか。
それは死柄木達と対峙していた四人、そして中央広場を視認できない位置にいる者以外、このUSJ内にいる殆どの生徒達がその光景を目にした。
しかし、その様子を正確に捉えられた者はいない。
両者の戦いは苛烈であり、残像すら残さぬ速度で展開され、視認すら許されなかった。
彼らに把握できたのは、二つだけ。
拮抗していた両者の拳が、徐々にオールマイトの領域で埋められていった事。
そして最後の瞬間、ただの一撃を以って、黒の巨躯がドームを突き破って空の彼方まで殴り飛ばされた事。
これら二つだけが、彼らが認識できた事象だった。
その力はまさしく、プロヒーロー達の頂点に相応しいものであり――
「やはり衰えたか、三百発も撃ってしまった。――全盛期なら、五発もあれば十分だったろうに」
――それですら、自身の黄金時代には程遠いと、彼は言う。
オールマイトの発言に、ヴィランのみならず生徒達ですら、戦慄を抱かずにはいられなかった。
己を殺す為に生まれ、己が力全てを封殺する能力を持った敵を、全て承知で更にその上から悉く捩じ伏せる。
彼は一切の小細工を弄さず、純然たる膂力のみで脳無の許容値を上回った。
超再生と衝撃吸収を完全に凌駕し、それらを無いものにしたのだ。
常人はおろか、トップヒーロー達にも成し得るかどうか、という芸当だろう。
――それを、凋落し劣化しただけの拳でしかないと、そう言うのか。
「・・・・・何が衰えた、だ。俺の脳無をぶっ飛ばしやがった癖に・・・・・このチートが、全っ然、弱ってないじゃないか!!
戦慄く声には、恐れと怒りがないまぜになって込もっている。
些か幼稚な言葉選びではあるが、死柄木が口にした不正<チート>という言葉。そんな所感が出てくるのも無理からぬ事だ。
オールマイトの力は、間違いなく一つの極地だ。
果ての果てまで高められた、人類の最高到達点にして窮極。
これまで無数の只人が仰ぎ見、手を届かせるために死に物狂いになり、しかして至ることの出来なかった地平。
――英雄と。まさしくそう呼ばれるに相応しい領域に、オールマイトは生きている。
「――――」
が、それら畏怖の眼差しに、オールマイト本人は何一つ反応を見せない。残るヴィランに向ける意識すらそぞろであった。
彼が気にかけていたのは、交戦前に退避を促し、しかし未だに戦い続けていた衛宮士郎だ。
オールマイトは戦いながらも、彼が逃げていない事を把握していた。
士郎がそこにいた事に対して彼自身、そう驚きは無かった。
理性では彼が大人しく引き下がってくれる事を望みはしても、心の中ではそうはならないだろうと、半ば確信じみた予想を抱いていた。
それ故の放置であり、速攻だった。
これ以上、彼がその命を擦り減らす前に、目の前の敵を打ち倒す。
この場をすぐさま治めて、士郎の救護を行うつもりだったのだ。
だが、そんな考えはどこまでも甘いものだったのだと、骨の髄まで実感させられた。
己の対策として、死体から造られた人造の怪物。
真偽の程はともかく、その力は確かに恐ろしいものであり、ともすれば自らの命に届き得るものだったと、オールマイトは彼方に殴り飛ばした強敵を振り返る。
――そう、強すぎた。
一瞬で片を付けるどころか、勝利すら危うい――そんな敵を相手にして、他の二人まで相手に出来るほど、
士郎が更なる無理をして二人のヴィランを留めていたから勝てたようなもの。
それが無ければ、危うかったのは彼の方だっただろう。
すぐに終わらせて生徒を助けるのだと息巻きながら、実際にはその生徒に救われた形だ。
あらかじめ脳無が有する能力を伝えられ、二人のヴィランを生徒が引き付けてくれたからこそ、何とか無傷で勝利できたものの、既に彼の消耗は激しい。
余力はあれど、それを
彼が戦える時間はそう長くなく、手傷を負っているとはいえワープという厄介な能力を持つヴィランを含めた二人を瞬殺出来るほど、力が残っているわけでもない。
――三十秒だ。
目の前の敵を打倒し、自らの秘め事も隠し通すことの出来るタイムリミット。
この僅かな時間だけが、オールマイトに与えられた戦いに充てられる限界だ。
一線を超えれば、あまりに多くのものが崩れ去ってしまう。
今まで築き上げてきたもの。後進に託すまで張り通そうとしてきたもの。
それら足掻きの悉くが、ここで瓦解する。
「―――さあ。次は君らの番だ」
「ひっ――――!?」
故に、彼が判断を下すに至るまでの時間も、ごく短いものだった。
生徒達へ抱く負い目も今は片隅に押し込み、残る敵を打倒すべく拳を構える。
現状がどれほど拙いものか。対峙する敵が如何に降し難いか。失敗の結果、ナニが失われるか。
それらリスクと負債を、彼は過たず理解しており――その全てを一時、忘却した。
いずれにせよ、ここで眼前の困難を打ち壊せねば、その代価は己のみならず日本中の市民に背負わせるものになる。
その様な結末を見過ごしていい道理など、微塵たりとも存在しない。
恐れはある。迷いもある。
だが、自らが守るべき、守りたいもののために、胸中に燻るそれら不安を無視する。
目の前にはこれ以上無いほどの困難があり、残る時間も僅かなもの。
だが、上等。
覆し難い逆境、分が悪い賭け、そんなのは日常茶飯事だ。
――この程度の窮地、乗り越えられずして何が平和の象徴。
ヒーローとは常に苦難<ピンチ>をぶち壊していくもの。
どんな苦境に立たされようと、決して諦めてはならないのだ。
――
それこそが全てのヒーローが抱く、原点にして不屈の信念である。
ヒーロー達の頂点たるオールマイトがその信条を貫けぬなど、あってはならない。
残る敵を完膚無きまで打ちのめすべく、彼は全身に残る力の全てを張り巡らしていき――
「――ぉ、オォオオオオオオオオオ――――――――ッ!!!!!!」
――その一歩が踏み出される前に、黒い霧が中央広場を覆った。
「これは――っ!?」
突然の事態、遮られる視界に足を止めたオールマイトを、責められる人間はいない。
想像もしていなかった事象に対し、人間はどうしてもそちらに気を割いてしまう。
それは予期せぬ危険を回避し、身構えようとする生物としての機能であり、これを押し止められる者はいない。
瞬時のうちに行われる反射のようなものであり、想定外の現象を避けるべきだという、知恵持つ生物としての無意識下での反応だ。
多くの緊急事態を経験してきたオールマイトといえど、その生き物としての性には逆らえない。
「拙い――っ!」
だが、経験が多ければ多いほど、そこからの復帰は早くなる。
目の前の霧がヴィランの個性、ワープを引き起こすための媒介であると、オールマイトが理解するのにそう時間はかからなかった。
時間にして一秒あるか無いかという、その程度の停滞だ。
判断を終えた彼は当然、すぐさま霧の中心部へと踏み込んでおり――
――その一瞬さえあれば、ヴィラン達が撤退を終えるには十分であった。
「っ・・・・・、やられたっ・・・・・!」
到達した頃には既に手遅れだった。
ヴィランの姿どころか、黒い霧すら全て晴れ、人のいた痕跡など欠片も残っていなかった。
――取り逃した。
変えようもないその事実が、オールマイトの心に重くのしかかる。
生徒や教師陣にこうまで被害を与えられて、出来たことが撃退だけなど、到底、容認できない。
あまつさえ、脳無などという正真正銘の化け物を用意できる組織、その主犯格を捕らえ損ねた事は、この社会全体にとって大きすぎる失態だ。
もしあれと同等の個体が街中にでも放たれたら・・・・・被害の規模など、考えるだけで恐ろしい。
更に悪い事に、連中にはワープの個性がある。
襲撃、逃走、雲隠れ・・・・・およそ移動という行為の全てを一瞬で終えられる奴らを再び捕捉し、その身柄を確保する事は困難を極めるだろう。
あの時、無理矢理に拘束を脱して逃げ果せるだけの余力があのヴィランに残っていた事を見極められなかったのは、不覚と言うにはあまりに深刻な過誤だ。
仮令、今後どこかで同様の存在による被害が発生したとき、その責任の在処は――
「おい待て、衛宮!その体でどこ行くつもりだよ・・・・・!?」
「っ・・・・・!!」
自責から来る思考は、生徒の張り詰めた叫びによって中断させられた。
切島鋭児郎が士郎の前に立って、何処かに向かおうとする彼を押しとどめている。
死体同然の体で士郎が何をしようとしているのか――その答えを、オールマイトは容易に察する事が出来た。
「・・・・・戦いは、まだ終わってない――他の皆を、助けに行かないと・・・・・」
オールマイトを除き、この場にいた誰もが唖然とし、士郎を凝視する。比較的、士郎と親しい緑谷や切島は勿論、他者に対し高圧的な爆豪や常に平静を保つ轟ですら息を呑んだ。
主犯と思われる二人が逃げ、この一件は終息に向かうのだと、皆一様に気を緩めた。
各エリアに残敵はあり、散らされた仲間の安否が気遣われるが現状、その優先度は高くない。
いまこの場で思案すべきは、誰よりも傷付いて死に瀕した衛宮士郎の救命である。
百人に問えば、百人が同じ答えを返すだろう。
だが、その案じられる士郎当人が、未だに闘志を失っていない。
最も他者の助けを必要とする筈の彼が、まるでその事実を知らぬかのように、クラスメイトを助けようとしている。
衛宮士郎の正気を疑わない生徒は、この場にはいなかった。
一秒ごとに自壊していく肉体を認識しながら、命を磨り減らして救済という行為に執心する様は、いっそ狂的ですらある。
「っっっ、馬鹿な事言うな!お前、自分の状態を判ってんのか・・・・・っ!?」
堪えきれないとばかりに、切島が語気を強める。
その言葉の強さには、憤りや憂慮のみならず、彼自身の戸惑いも混じっていた。
切島が知る衛宮士郎という人間は、他者を重んじる事の出来る人間だ。
入学初日の個性把握テストで、士郎が指を負傷した緑谷の治療を行なっている姿を切島は見ている。その時はまだ幾つかの種目を残し、各々が余力を残しておくべき状況だった。
何より、成績最下位は除籍処分などという脅しが効いていて、他人に気を掛けられる生徒はいなかっただろう。ましてや、その後の計測に支障が出ぬようにと、余力を削ってまで他人の手助けが出来る者は士郎以外にいなかった。
それは、ヒーローを目指す者にとっては、何より重要な資質だろう。
そして、入試における士郎の振る舞いも、耳郎響香から彼は伝え聞いている。
付き合いは浅くとも、それらの過去は衛宮士郎の善性を確信できる根拠足りえ――
――想像を超えて、その献身は常軌を逸していた。
「今ここで助けなくちゃならないのは、お前自身だ!他の連中が心配なのは俺らも同じだけど、今はまず自分の事を考えろよ・・・・・!?」
切島は、衛宮士郎という人間が解らなくなった。
ヒーローを志す人間であったとしても、何故こうまで自分を捨てて他人を助けようとする事が出来るのか、それが不思議でならない。
衛宮士郎には、切島のような身を守る特異な能力は無い。攻撃を受ければその分だけ傷を負うことになる。当然、内側から刃で斬り刻まれて無事でいられるはずがない。
自らの行為が己の死に届きうると、それを理解した上で躊躇なく捨て身になれる矛盾。
痛みを忌避する感情が無いのか。死への恐れは無いのか。そんな迷妄すら浮かんできて――
「衛宮さん・・・・・っ!」
瞬間、少女の声が耳に届く。
悲鳴じみた叫びの主は八百万百。六人が気付かない間に彼女は中央広場に駆け寄っていた。
彼らには知る由もないが、広場の惨状を断崖から確認した八百万は数瞬、呆然とするも共に飛ばされた二人の制止も無視して、すぐさまここに向かって走り出していたのだ。
山岳エリアの頂上付近からの下山に相応の時間を要し、ようやくここまで辿り着いたところだ。
「八百万っ!?」
下山してきた少女に意識を取られ、他の五人同様に切島が振り向いた。このタイミングで現れたクラスメイトに、驚くなという方が無理な話である。
しかし、士郎はその僅かな隙間を縫って、切島の脇をスルリと通り抜けていた。
「ばっ、お前いい加減に――」
士郎の行動に気付き、その歩みを抑えるべく回り込もうとした切島の動きは半端に停止した。
気付けば八百万が士郎の前に立ち塞がり、その行手を阻んでいる。
それに伴って士郎もまた、動きを止めざるをえなかった。
「そこを退いてくれ、八百万・・・・・」
辛うじて見える視覚情報と、数秒前に僅かに聞き取れた声から、目の前の人物が誰なのかを判断し、道を譲るように願う士郎。
他クラスメイトの救援は、いまだに止めようとはしない。
「――――――」
対する八百万は無言。
士郎からかけられた言葉に反応はしない――いや、正確に言えば反応出来ないでいる。
有り体に言って、彼女は言葉を失っていた。
遠目から見ただけでは判らなかった衛宮士郎の容体。こうして正面から向き合う事で、初めてその細部を見せつけられたのだ。
戦闘衣装がはだけて素肌が見える腹部には巨大に過ぎる打撲痕が有り、赤黒く腫れ上った痕が受けた衝撃の激しさを物語っている。
内から生える刃が血を滴らせ蠢きながら士郎の体を斬り裂いていく様はさながら、体内に寄生した得体の知れない生き物が、宿主を喰い破って孵化しようとしている様にすら思えた。
そんな状態でいれば、出血は当然に多量で、彼の顔面は蒼白そのもの。
刃が出現したまま、多少なりとも傷口を塞いでいなければ、とっくに死んでいただろう。
重傷などという言葉では到底治りきらず、この一週間で見慣れた少年の姿は見る影も無い。
数時間前の彼との会話と、山頂で彼の大まかな容体を視認してある程度の覚悟が出来ていなければ、余りの惨状に彼女は耐えきれず嘔吐していたかもしれない。
いや、正直に言えば近くに寄った事でより鮮明に嗅ぎ取れる濃すぎる鉄の匂いや、傷口から覗く肉の断面の生々しさに、今でも胃の中身を吐き出してしまいそうになっているのだ。
だが士郎本人はそんな事など知らぬとばかりに、生きている事が不自然なほどの体でどこかに行こうとしている。
行き先が何処かなど知る由もなければ、考えも及ばない。
気を取り乱し、混乱する彼女の頭は普段の理路整然とした思考回路とはほど遠いものだった。
・・・・・このまま死んでしまう・・・・・・・・・・誰が?――――衛宮さんが・・・・・?
彼女が理解出来たのはそれだけだった。
衛宮士郎をこのまま放置し彼の思うままに行動させれば、彼は確実に絶命する。
無数の刃に包まれたまま冷たい残骸となる。
純然たるその事実はすんなりと八百万の頭に染み渡り――途端に、避けようもない未来に対する恐怖が湧き上がる。
親しい人が息絶え、二度と言葉を交わすことも、共に過ごす事も出来なくなるという恐ろしさ。
それが事故でも自然死でもなく、他者の暴威によって齎されるという非常。
齢十五程度の少女に、その現実は到底受け入れられなかった。
「はっ―――は――――はぁっ――――」
呼吸は乱れ、まともに息も吸えなくなっていく。
周囲の音など、とうに意識から外れていた。
どうすれば彼を救えるのか。どうすれば凄惨な未来の到来を回避出来るのか。
碌に働かぬ頭でその方法を模索し、されども良策は思いつけずにいる。まるで、唐突に書物の並べ順を忘れてしまったかのように、知識が浮かんでこない。
収集し、綺麗に腑分けし、分別したはずのそれらをどこに収めて、どう分けたのか。
そんな管理者として記憶している当たり前の情報が見つけられないのだ。
さもありなん。
彼女の強みとは、冷静沈着な思考によって活かされる膨大な知恵である。
目も覆いたくなる士郎の姿を見て半ば放心状態の彼女に、それまでの研鑽を活かせるほどの余暇は無い。
数時間前の衛宮士郎が語ったのと同じだ。
如何に知識を蓄え、脳内に情報を刻み込もうとも、自らの経験の伴わない記録はどこまでいっても記録止まりだ。自己という芯が無ければ、本の中の空想でしかない。
冷静さを欠いた彼女に、これまで培ってきた知識を活用出来るはずもない。
この瞬間、人の死を間近にした今、八百万百が誇る才智はその深遠さを発揮する事はなく――
――故に、彼女が衛宮士郎を救う為に選べた手法は至極、原始的なものであった。
「なっ――!?」
「っ・・・・・!?」
成り行きを見守っていた五人も、八百万を前にした士郎も、驚愕に身を固めた。
無残な少年の姿に慄き、絶望に打ちひしがれていたように見えた少女。
彼女が士郎へと踏み込み――正面から彼に覆い被さるなど、いったい誰が予測出来よう。
「八百万・・・・・!?」
誰よりも驚いたのは、他ならぬ士郎自身だ。
彼女が自らの首に絡めるように両腕を回し全身を密着させてくるなど、考えもしなかった。
その様は一見、互いの親愛を示す抱擁、男女が互いに抱きしめ合うラブロマンスのワンシーンにも見え――当然、これがそんな甘ったるい情景でない事は明白だった。
「馬鹿っ!何やってんだっ!?」
ボヤけた意識は冷水を浴びせられたみたいに冴えて、少女の蛮行をすぐさま咎める。
――そう、蛮行だ。
士郎の全身には無数の刃が生えている。それらが幻覚でもなければ玩具でも無い事は、彼女は承知している。刃が本物なら、触れるものを斬り裂く鋭さも現実だ。
その士郎に隙間も無いほど密着するとなれば、触れる刃の数だけ負傷する事は避けられない。
傷つく事が判りきっているというのに、それに自ら飛び込むような所業は、無謀という他ない。
「っっっ・・・・・!」
八百万の口蓋から、声にならない悲鳴が漏れる。
無数の刃によって、彼女の白い柔肌は容赦なく切り裂かれた。
およそ、これまでの人生で経験した事のない類の痛みに、呻きを抑える事も叶わない。
刃が肌を裂き、肉を抉り、骨すら貫通して体内に侵入する。
互いの血と血が混ざり合うほどの傷口が、彼女の身体中に刻み込まれる。
彼女にとって幸運だったのは、直前で士郎が彼女の意図に気づき、全力を尽くして刃の数々を制御した事だ。そのおかげで、刃による損傷はその面積を減じている。
相手の意図は計りかねども、自分から大怪我を負おうとする級友の行動を黙って見過ごせるほど、士郎は薄情な人間ではない。
「八百万、早く離れろっ!」
極力、刃が彼女を傷付けぬように操作したとはいえ、それも完全ではない。
どうしても躱しきれなかった箇所はあり、それらは凶器としての性能を遺憾無く発揮している。
全ての刃が勝手に動いている、という点も厄介さを増していた。
それらは士郎の意思に拠らず蠢動し、動作範囲も移動頻度もまちまちだ。
抑え込もうとして抑えきれるものではなく、避けた刃ですら八百万を傷つける恐れがある。
そのため可能な限り早急に、士郎は八百万を自身から引き離さねばならない。
しかし、意識はハッキリしても体が碌に言う事を聞かない事には変わりない。力を込めて抱き止める八百万を、無理矢理に引き剥がせるほどの余力は士郎には残っていなかった。
それ以前に、この状況で下手に動けば余計に彼女の傷を悪化させる事になる。
結果として、士郎に出来たのは僅かにみじろぎしながら、彼女を説得する事のみであった。
その状況を察し、突然の事態に硬直していた切島や緑谷が八百万を引き剥がそうと動き――
「――嫌ですっ!何があろうと、絶対に貴方を離しませんっ!」
――悲痛なまでの拒否の叫びが、その動きを制した。
「私は、このままあなたを死なせる気は毛頭ございませんっ!!」
何故、彼女が自傷を覚悟でこうも馬鹿げた行動に出たのか。
それは偏に、衛宮士郎の存命を願っての事だ。
士郎が目指す目的地も、その真意も彼女には分からない。
だが不変の事実として、今の士郎をこのまま行かせれば遠からず彼が命を落とすという事だけは、否応なしに理解していた。
故に、文字通り体を張って彼の動きを封じたのだ。
八百万の思惑通り、士郎はその歩みを止めざるをえなくなった。
「あなたが止まるまで、私はずっとこうしていますっ!あなたがもう無理はしないとっ!そう約束してくれるまで、私はやめませんからっ!!」
張り上げる声は震えを帯び、いつしか彼女の両目には涙が溢れていた。
それは、肉体を貫く痛みによるものだけではない。
彼女自身、もう感情の制御もできなくなっていて、色々と訳が分からなくなっている。
ヒーローを目指す者としての責務とか、命懸けで戦い抜いた少年の献身に報いるとか、そういった高尚な理由は彼女の中には無い。
あるのは、衛宮士郎という人間を死なせたくないのだと、ただそれだけの思いであった。
「八百万。これぐらい、俺は平気だ。だから早く離れろ・・・・・」
傍から見ればそれは、度を越した痩せ我慢に映っただろう。或いは欺瞞か。
生存はどうあっても絶望的で、瀕死という言葉ですら希望を感じるほどの状態だ。
そんな人間が平気だなどと言っても、信じられるものではない。
だがそれはやはり、彼以外が思う、第三者の所感だ。
生死はともかくとして、衛宮士郎という人間は、誰かを救う為ならこの苦痛を無視できる。
気が狂いそうなほどの痛みでも、体が徐々に熱を失っていく感覚も、それが必要な事ならその全てを噛み砕いて進める人間なのだ。
士郎の発言は虚言でもなければ、他者を案じさせぬ為の強がりでもない。
各エリアに散らばるクラスメイトを助ける為、彼は真実、命を蝕む絶痛を耐え切っている。
――だがそれは、八百万にとって到底看過できるものではなかった。
「っっっ、ふざけないでくださいっ!!こんなにも傷ついて、平気なはずないでしょう!?」
耳元で一層強く張られた声は、聴覚が碌に働いていない士郎ですら、ハッキリと聞き取れた。
そこに込められているのは、衛宮士郎に対する抑えようもない悲怒。
今にもその鼓動が止まってしまいそうなのに。
人には耐えられないような責め苦を、絶えず味わっているのに。
それでもなお、自分は大丈夫なのだと、平然と宣う。
苦しい筈なのに。痛いはずなのに。それでも彼は、自らの意思でそれを受け入れている。
それはおそらく、尊い在り方なのだろう。
他人の為に命を差し出し、欲もなければ迷いもなく、ひたすらに前へと走り出す。
そんな生き方こそが、八百万をはじめとした、ヒーローを目指す者が、本当に志すべきカタチなのだろう。
――けれど、痛みも苦しみも、まるで当たり前のように許容してしまえるその在り方は、ひどく悲しいものに思えた。
たとえ、それが何度も経験したものなのだとしても。
たとえ、誰かを救う為に必要な事だったとしても。
痛いのなら。苦しいのなら。
その辛さを、声に出して欲しい。たった一人で耐える必要はないのだと。せめて、仲間の前では弱音を吐いていいのだと。
頭ではなく、心で。
彼にその事を伝えなければならないのだと、彼女は無意識にそう思っていた。
「お願いです・・・・・もうこれ以上、無理をしないでください・・・・・どうかお願いですから――」
――死なないでください、と。
涙ぐんだ懇願は弱々しく、最後には消え入りそうな声で告げられた。
目の前の現実はとっくに彼女の精神の許容値を超えている。
溜まりに溜まった悲嘆は彼女の心をオーバーフローさせ、その表れかのように彼女はもう泣き声を上げることしか出来なくなっていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
そして。
士郎もまた戸惑いを隠せずにいた。
八百万が何故、こうまで自分を案じるのか――その理由が、彼には判らないのだ。
一週間だ。
士郎と八百万、彼ら二人が出会ってまだ一週間しか経っていない。
彼は考える。
八百万にとって己は、ただ雄英で最初に出会い、たまたま似通った力を持っていただけの、クラスメイトの一人でしかない、と。
何度か言葉を交わし、交友を深めてきたが、未だにその関係は浅いままだ。
その彼女が、自ら大怪我を負ってまで自身を押しとどめ、あまつさえ涙まで流す。
八百万もまたヒーローを目指す人間ではあるが、今の彼女を見れば、この行動の動機が極めて個人的な思考に依るものであることは察せられた。
所詮は同じクラスにいるだけの、言ってしまえば
その根源が分からず、士郎は困惑していた。だが――
「・・・・・・・・・・分かった。お前の言う通りにする」
「―――っ!?」
その言葉にいち早く反応したのは、やはり八百万だった。
彼女は士郎からいくらか体を離し、視線を合わせる。
「本当ですか・・・・・?これ以上、もうどこにも行かないと、そう約束してくださいますか・・・・・?」
嘘ではございませんよね、と。
念押し、その言葉が偽りでない事を確認する。
眉尻を下げ縋る様に問う姿は、それだけ士郎の言葉に不安を感じている事を示している。
八百万がそんな反応を見せるのも当然で、士郎の決定を一言で信じられないのも無理は無い。
こうまで惨い有様を晒して、それにもかかわらず何かをしようとしていた人間が、そう易々と考えを変えるとは思えないだろう。
ましてや、説得に応じてくれるなどという楽観的な考えを、彼女は持ち合わせていなかった。
「――ああ、嘘はつかない。約束は守る」
八百万にしてみれば、さぞ不思議な事だろう。
彼女は気付かぬうちに、最も効果の高い方法で、士郎を引き留める事に成功していたのだ。
奇しくも、士郎の考えを変えたのは、八百万の自傷も辞さない制止だった。
凶器そのものな士郎に組み付き、産み出された刃によって幾つもの生傷を負い続ける。そしてそれを、彼が立ち止まるまで止めない、と彼女は言った。
彼女の決意を曲げる事は出来ない、と士郎は判断した。
であればそれは、士郎が説得に応じなければ、八百万も確実に絶命させてしまうという事に他ならない。
士郎は、誰かの命を守る為ならどんな苦しみにも耐えるつもりでいる。
だが当然、無闇に他者を道連れにする気は欠片も無い。
他者の危機に大人しく出来ないという、ただの独りよがりのせいで被害をより大きくするような愚行を、何より士郎自身が許せなかった。
士郎がその歩みを止めた理由は、苦痛に耐えきれなくなったのでも、八百万の行動に心打たれたのでもなく、ただ純粋に優先順位が入れ替わったというだけの事。
危険な状態とはいえ、生存確率は高い他のクラスメイトと。
放置すれば間違いなく命を落とす事になる八百万。
真っ先に救うべきモノを定め、その為に必要な行為を選択したに過ぎない。
「お前が良いって言うまで、俺はここを動かない――だから八百万。お前も俺から離れるんだ」
とかく、士郎は八百万の要求を飲んだ。
彼女だけでなく緑谷達含めた全員の前で、約束は守ると言い切った。
それが他者の身を案じたが故の選択で、何の保証も無い口約束だとしても、明言した以上はそれを遵守するのが筋というものだ。
そして八百万の知る限り、衛宮士郎は約束を違える人間ではない。
ならば、それに倣って彼女も士郎の言葉を呑むべきだ。
「・・・・・・・・・・分かりました」
五秒ほどの間を開けて、八百万は士郎からゆっくりと体を離した。
ピチャ、と音を立てて赤い粘性の液体が二人の間で糸を引く。
「っ―――ふぅ―――」
いまさらながら、八百万は刺し貫かれた痛みを強く自認する。
士郎がいくらか刃を遠ざけたとはいえ、それでも大怪我である事には変わりない。
上半身は特に傷が多く、流れ出る血が彼女の白い肌を真っ赤に彩っている。
幸いにして、刃はどれも筋骨を断つばかりで、彼女の内臓を傷付けてはいなかった。
接触によって負った傷そのものが、彼女の命を奪う事はない。
とはいえ、そのままの状態でいれば出血多量は免れず、傷口からの感染症や化膿、果ては壊死の恐れもある。
士郎に比べればマシな部類ではあるが、決して楽観できる訳ではない。
「まだ、“創造”に回せる余力はあるか?」
「・・・・・ええ。応急処置を済ませるくらいなら、なんとか」
「なら自分の治療に専念してくれ。俺はまだ耐えられるし、この様じゃ手当しても無駄だからな」
「・・・・・・・・・・・・・」
こういう時、対応力や汎用性という点において、八百万の個性は他の追随を許さない。
脂質からおよそほとんどの無生物を産み出すその能力は、その時々で必要な物資を自由に取り揃えられる。包帯から止血剤、注射器、その気になれば手術道具一式ですら何でもござれだ。
平静を取り戻した今の彼女がそれらの運用を誤る事はない。
士郎の発言に思う所のある八百万ではあったが、いくらか間を空けただけで何も言わなかった。
「すみませんが、どなたか手当を手伝っていただけませんか?」
その代わりと言う様に、彼女はクラスメイトに手助けを求めた。
負傷箇所は広範囲に渡り、至る所に点在している。出血量もばかにならない。
一人で手当てを済ませるには少々、時間がかかり過ぎるだろう。
「そ、それなら僕がやるよっ!」
「俺も手伝うぜ、八百万」
緑谷と切島が真っ先に名乗りを挙げ、八百万の指示に従って傷を塞いでいく。
同年代の女子と触れ合うという、健全な思春期真っ盛りの青少年には非常に気不味い行動ではあるが、事が事だけに、そんな浮ついた感情を二人が見せる事は無かった。
三人が治療を行なっている間、轟と爆豪は周囲に視線を巡らせていた。
主犯格は去れども、USJ内には未だ無数の悪党共が残っている。この無防備な状態を狙って襲ってくる者がいてもおかしくはない。
それ故の警戒である。
そして、残る一人は、
「衛宮少年。
応急処置を行う三人を横目に、オールマイトは問いかけた。
本人を除けば、この場で士郎の個性について最も理解している人物はオールマイトだ。
教師であり、生徒達を監督する立場にいる彼は、士郎も含めた自身が受け持つ生徒全員の情報を提示されている。
無論、この刃の侵食に関しても知りえている。
資料の記載を信じるのなら、衛宮士郎に発現している現象は個性制御の失敗、もしくは過剰行使による暴走によって引き起こされるものである。
そして、これを鎮静化する術がここには無い事ももちろん承知している。
しかし現実にこの光景を見せられては、そう易々と紙の上の文字を鵜呑みにする事はできないのも事実だった。
この状態を落ち着かせる手立てはないか。それが不可能でも、せめて緩和は出来ないのか。
オールマイトがそのような考えに至るのは、何ら不自然なことではない。
他人からすれば、士郎はいつ命を落としてもおかしくない様に見える。
出来る事、考えられる方法は可能な限り試すべきだろう。
「どうにもなりません。無理な行使をしましたし、もう俺の意思で戻せる段階じゃありませんから」
しかし、返された答えは否であった。
肉体の変容にまで至る暴走を自ら招いた結果だ。
溢れ出した刃の数々は、とうに制御できるラインを越えている。落ち着かせようにも、僅かに揺り動かす程度が関の山だ。
自らの意思で刃をどうにか出来るのなら、士郎はとっくの昔にそうしている。
「やはり、時間に任せるしかないか・・・・・」
「ええ。こうなると、自然に鎮まるのを待つしかないですね」
自力での鎮静化が困難である以上、時間の流れで解決する他ない。
これら刃も、一応は“個性”の枠組みに収まるモノだ。
個性を発現するエネルギーが尽きていけば、それに伴って数を減らしていく。
それまで士郎が生きていられるのか、という懸念もあるが、少なくとも彼はこれまでに何度も同じ経験をしてきて、その度に生還している。
それらの経験則から
「大丈夫です。これくらいなら問題は――」
ありません、と彼は言い切ろうとし。
――ブツン、と何かが切れたような錯覚を覚えた。
「ぎ―――、――――がぁああああああああああああああっ!??」
「衛宮少年!?」
唐突に挙げられた絶叫に、オールマイトのみならず広場にいた誰もが、出どころである士郎へと水を打った様に振り向く。
視線の先では、瞳孔を限界まで見開き膝を突いて苦しむ彼の姿があった。
「衛宮さんっ!!」
「おい!しっかりしろ衛宮!!」
「衛宮くんっ!!」
「衛宮少年!気をしっかり保つんだ!」
オールマイトや駆け寄った生徒達が士郎に声をかけるも、とても応答できそうな様子ではない。
もがきながら苦痛に喘ぐその姿が、尋常なものではないのは明らかだった。
「あ、ああああ、が、あ――――!」
漏れ出る苦悶は、衛宮士郎がその身に受ける痛みの凄絶さを物語る。
全身を刃に刺し貫かれるという体験を思えば、それは本来、何ら不思議な事ではないだろう。
ほんの小さな針が肌に刺さる事ですら、人によっては大の大人も耐え難い苦痛になる。
それがより幅広に、より膨大に。
身体中、無事な所を探す方が難しいほどに斬り裂かれては、耐えられるはずがない。
――だがそれは、その責め苦を受ける人間が衛宮士郎でなければの話だ。
彼の体内に刃が蔓延りだしたのは、なにも今に始まった事ではない。
自らの個性を意図的に暴走させてから数分間、ここに至るまでずっとその代償に耐えてきた。
常人なら命と共に正気を投げ出していただろう。ヒーローですら、想像を絶する苦しみに介錯を乞うかもしれない。
彼はその串刺地獄とでも形容せざるをえない苦行を、ただ意思のみで噛み殺していたのだ。
「ぐ、が―――ぁ、づぅぅぅ・・・・・!」
その彼が、今はみっともなく大口を開け、血混じりの唾液を垂れ流している。
開き切った瞳孔からは、乾き故か、それとも目に染みた血液故かも判らない涙が滲んでいた。
それまでの落ち着き様が嘘のように、今の士郎は悲鳴を上げている。
豹変とも言える突然の変容に、オールマイト達は動揺を隠せない。
これまで悲鳴のひとつも上げなかった彼が何故、こうまで苦しんでいるのか、その原因を推測出来るほど、彼らは衛宮士郎について知っていなかった。
――いや、それ以前に。
何故、衛宮士郎があれ程の痛酷を堪えていられたのか、その理由すら彼らは分かっていない。
確かに、この現象は何度も経験したものであり、彼の痛みへの耐性が高い事も事実だ。
だが彼も間違いなく一人の人間であり、痛みも感じれば苦しみを厭う生物の性も存在する。
必要以上の苦痛に堪えるにはそれに見合った意義が必要だ。
命を散らす苦難を受け入れるに足る理由が無ければ、己を奮い立たせる事など出来はしない。
であれば、その意義とは、理由とは何なのか。
――無論、他者を救う事である。
抗い難い災害に見舞われる誰か。理不尽な暴力に晒される無辜の人々。
それらを護り通す為なら、衛宮士郎はどんな地獄にでも飛び込める。
だから、刃で身体を刺し貫かれても稼働できる。
必要とあらば、己の全ても投げ出すだろう。
――だが、逆を言えば。
そういった意味が無ければ、彼の苦痛に対する許容値は常人よりは強固程度のものでしかない。
だから、結論としては極単純なものではあるが。
彼は同じ経験を繰り返してきたから堪えられていたのではなく――ただ、そうする必要があったから、平静を保ち続けていただけだった。
それこそが、彼らが未だ理解していない、衛宮士郎の常軌を逸した忍耐の正体だ。
ヴィラン連合を名乗る集団の首魁達が逃亡し、他生徒の援護をしてはならないという願いを受け入れた時点で、衛宮士郎から苦痛を耐え忍ぶ理由は失われていた。
もう己の役割は無いのだと大人しく受け入れ――そうして、今になって漸く藻搔いているのだ。
彼は痛みを感じない人間などではない。
当たり前の事ではあるが、なまじ異質な忍耐を見せられたが為に、彼らはその事を思い出せないでいたのだ。
「――――――!!!」
呻きはいつしか、声にならない獣の咆哮じみた叫びになっている。
士郎自身、もう己自身を制御出来ず、その自覚も持てないでいる。思考は痛みによって塗りつぶされ、ほとんど自我を失っているのと変わらない。
それ程までに、彼を襲う苦痛は激しいものだった。
――ただ、この侵食がこれまで通りなら、彼もここまで悲惨な姿にはなっていない。
仮令、これが今までと全く同じ程度の痛みであったなら、僅かな応答は出来ただろう。
意識は朧げながらも保たれ、獣の様な叫び声を上げることもなかった筈だ。
だが、今回は違う。これまで起きてきた暴走とは、事情が違う。
士郎はこの戦いで、身に余る力を行使した。
例えそれが、記憶から失われているだけで本来は彼が自由に扱える筈の力だったとしても。
今の衛宮士郎には御し得ない、全く未知のモノを取り出したのだ。
今回と過去の最大の相違点はそこだ。
これまではどれだけ膨大な刃を生み出してしまっても、それらは本質的には既知のモノだった。
だから、無意識下で多少なりとも手綱を握れていたし、彼の体もある程度は順応していた。
対して今回は、彼自身、よく理解していない力を引き出した。それも、
後の事を考えずに力を求めたが為、全く力の制御ができていない。
例えるなら、限界以上に水道の蛇口を捻った様なものだ。
明確に定められている上限を無理やり拡げ、中身を放出させる。当然、水量を調節するノズルは壊れ、自力で流れを止める事は出来ない。
そうして流れ出たモノは普通の水ではなく、水道管ごと崩壊させていく劇薬の類だ。
通り道は徐々に溶け落ち、いずれ破裂する。
士郎が陥っている状況は、そういうものだ。
自身が制御出来ない領域に手を出し、無理に中身を掴み出したがために氾濫が起き、それらは手綱を握らねば自らの肉体を壊すモノだった。
警告は既に為されている。
過剰な力の行使に対して起きた肉体の拒絶反応。あの痛みを無視した時点で、この結果は決まっていた。
――同時に、士郎も判っていた。
どんな形で、どういった風に表れるのかまでは理解していなかったが、自らの選択が想像を絶するほどの地獄を齎すのだと、彼は初めから理解していた。
その上で力を願った以上、これは当然の代価だ。
身の丈に合わぬ力の代償は、己自身の破滅で。
溜まりに溜まったツケは、その身で返すのみである。
――以上を以って、結論は断定される。
この場の誰であれ、彼の苦痛を消し去る事はできない。
オールマイトらには、その責め苦を拭う術が無く。当人は、痛み故に対策も練れない。
熱は失せる。惨苦は続く。
いずれ刃が尽きて消えるまで、衛宮士郎は生死の境を彷徨い続けるだろう。
◆
「――――っ、――――――!!!」
意識が断線する。
両の足で立って呼吸をする事が、隔絶した技術の様になってる。
そのうち、立ってることも出来なくなって膝から崩れ落ちた。
使い物にならなくなった足には力も入らず、小刻みに揺れて地面に吸い込まれてく。
それでも、倒れる事は出来ない。
そこら中に生えた刃が、地に伏せることも許してくれない。
不恰好につっかえて、流れ出る赤黒い血が地面に水溜りを作ってく。
「・・・・・・・・・・・・っっっっ!!!」
それが一層、自分の状況を思い知らせたのか。
既に受け入れきれない痛みが、洪水みたいに勢いを増す。
脳髄が白熱して、内側から別のナニカに食い散らかされていく錯覚。
刃は無尽蔵に暴れ狂って、このカラダをコワシテいく。
無事なところなんて無い。
自ら飲んだ代償は、遠慮無く余す事なく肉と骨を裂いて砕く。
首が痛い。
腕が痛い。
腹が痛い。
脚が痛い。
神経が痛い。
――誘爆していくよう。
痛い。いたい。イたい。いタい。痛イ。イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ
イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ―――――
・・・・・でも。
こんなに痛くて気がおかしくなりそうなのに、意識を失う事は出来ない。
ショック死出来るほどの痛みだから、いつの間にか痛みも感じない・・・・・なんて、そんな都合の良い話は無い。
半端に慣れてしまっているから、曲がりなりに耐えていられるから、本当に狂う事は出来ない。
このまま刃が収まるまで、身悶えることも出来ないまま無間の如き地獄に苛まれる。
それが、俺の選んだ、逃れ得ない末路で――
「・・・・・・・・・・・・・・、―――?」
ふと、鼻腔をくすぐる香りに気付いた。
痛みでほとんど意識も絶え絶えで、
その微かに甘い香りだけは、何故か感じ取れた。
・・・・・なんだろう。
記憶に無いのに、ほんの少し覚えのある匂い。
何処か懐かしくて・・・・・不思議と、散り散りになってる心まで落ち着いていくよう。
・・・・・あ、れ・・・・・?
そこで、違和感を覚えた。
この香りを嗅いでからだろうか。ほんの少しずつ、痛みが和らいでいる気がする。
真っ白になった頭に、僅かに余白が戻ってきた。
いや、というより・・・・・
・・・・・なんか、意識が・・・・・
落ちかけているのか。
電車に揺られた時みたいに。或いは、満腹になった午後に日差しに照らされたみたいに。
景色が蕩けて、徐々に気が遠のいていくあの感じ。
気の所為で済ますには、余りに心地良く――
・・・・・ね・・・・・、む・・・・・・・・・・・・・・
今度こそ、“睡魔”に襲われる。
それは、有無を言わせない無慈悲なものではなく、むしろ安心感を感じる。
緩やかに。穏やかに。包み込むように。
闇に染まりつつある世界に、抗う気も起きず。
――暖かな微睡みに安堵を覚えながら、意識は深く沈んでいった。
どうも、前回から1ヶ月以上ぶりとなるなんでさです。
執筆に手こずったのに加え、fgo2部7章の攻略に勤しんでいたのが大まかな原因です。
6章に続き今回も奈須さん直々の執筆であったわけですが、やはり他のライターさんとは一線を画すというかTYPE-MOONという土俵の上では、当然ながら右に出る者はいないなと、改めて実感いたしました。
最新話では死柄木たちが退き、USJ襲撃編は終結致しました。
本作を始めるにあたり、初めの山場として、また1-A生徒達に衛宮士郎とは如何なる存在か、というのを刻み付ける第一手は、このUSJ編と決めていました。
そのあたり、スタートとしてはなかなか悪くないのではないか、などと微かに自画自賛しておりますが・・・・・なんか八百万さんのヒロイン力の上昇が止まる事を知らないんですけど。
針山士郎と他面子の会話辺りはもっとスムーズに済ませるつもりだったのに、気づいたら八百万さんがトンデモネークソ度胸見せつけてて作者ビックリ。あんな描写、一切予定に無かったのにいつの間にかああなってた。ナンダコレ?
時にキャラクターとは書き手の手を飛び出すものとは聞きますが、これがそういうものなのか。お陰で、ある人物の登場シーン及び描写が丸々カットされましたとさ。
士郎も士郎だよ。原作といいプリヤといい、気丈ながらも純真なお嬢様キャラを手当たり次第に落とすのはやめなさい。この小説はヒロアカ世界の正義と君の信念の相対をテーマにしてるんだから、気軽に18禁とかギャルゲー展開に持っていくんじゃあない。
・・・・・とまあ、駄文はここまでにいたしまして。
fgoは金曜からバレンタインイベ始まるし、個人的に好きな崩壊3rdも周年記念が始まるので、次の投稿ももしかしたら間隔が開くかもしれませんが、どうか気長にお付き合いください。
それでは、また次のお話で。