前回更新から約五ヶ月が経って気付けば七月になり、作者は「どうしてここまで長引いた」と頭を抱えております。
実のところ、バイオ4リメイクと、崩壊スターレイルにのめり込んでたのが理由の大半な気はしますが・・・・・
ともあれ、こうしてなんとか再投稿出来て良かったと、勝手に安堵しとります。
西陽が傾き、世界が茜色に染まっている。
四月も中旬となり、一日の日の長さは少しずつ伸びているが、とはいえ夕刻ともなれば夜闇の気配を感じ取れるだろう。
カラスが鳴いて、商店街ではもうすぐ懐かしさを覚えるメロディが流れる頃合いだ。
勉学に励んでいた学生達も、それぞれが文具を仕舞い午後の自由を謳歌しはじめる。
学友達への挨拶もそこそこに早々に帰路につく者もいれば、部活動に精を出す少年少女もいるだろう。過ごし方こそ様々だが、大抵は教室を立ち去って各自の目的地に向かっていく。
この時間、いつまでも教室に居残る生徒はほぼおらず無人であることが自然であり――それ故、人の気配が残っている時は相応の理由があるものだ。
「・・・・・・・・・」
「――――」
雄英高校、ヒーロー科、一年A組教室。
普段二十名以上の人間で賑わうこの場所は今、たった二人の人物に占有されていた。
片や、男子学生。森林を思わせる緑色の毛髪が特徴的な少年だ。
身につけたスカイグレーのブレザーが、彼が雄英在学生である事を示している。
夕焼けに照らされた教室の中、彼は実に姿勢良く自らの席についている―――というより、姿勢が良すぎる。
ビシッ! と伸びた背筋は曲げていないというより、直線以外の形になる事を知らないようで、背骨から鉄芯で無理矢理に固定しているかのようだ。姿勢と同じく彼の表情も強張っていて、一文字に結ばれた口は少年の力み具合を示している。
その姿はおよそリラックス状態から最も程遠く――ぶっちゃけ、彼はめちゃくちゃ緊張してた。
「そう固くならないで。君の見聞きした事を、ゆっくりと話してくれればいい」
対して、少年に向き合うのは彼とは対照的な、落ち着き払った長身の男性だ。
歳の頃は三十代後半だろうか。真っ白なワイシャツの上から纏ったベージュのトレンチコートが印象的だった。
席を挟んで正面に座る彼は、柔和な表情を浮かべて少年の緊張を解そうとする。
優しげな雰囲気も相まって、好感の持てる人物だ。――もっとも、その彼こそまさに少年が石像の如く固まっている原因なのだが。
「は、はい。分かりました―――刑事さん」
その少年が――緑谷出久が告げた言葉が、男の肩書を端的に現している。
――塚内直正。
今回のヴィラン襲撃の調査で雄英に赴いた警官の一人で、位階は警部。
警部とは本来、直接現場に出て捜査に携わる事のない階級だ。事件発生直後の臨場に赴く事はあっても、以降の聞き込みなどに関わることはない。
しかし、この塚内は珍しく自らの足を使っての捜査を好んだ。
彼がいま出久と向き合っているのも、自ら生徒達への事情聴取に携わっているからである。
その慣例に囚われない行動力は、往年のサスペンスドラマに登場する昔ながらの刑事<デカ>を彷彿とさせた。トレードマークじみたトレンチコートとハットも、そのイメージ形成に一役買っている。
「早速だけど、襲撃が起きた当初の事から教えてくれるかい?」
塚内はメモ帳とボールペンを手に、改めて聴取を開始する。
「えっと・・・・・まず最初にドーム内の照明が停止しました。最初は何か機材トラブルでもあったのかなって思ったんですけど、そのすぐ後に衛宮くん・・・・・あ、病院に運ばれた生徒の事なんですけど。その彼が突然弓を構えだしてて、向けてる先を見ると黒い靄の中から大量のヴィランが現れていました。それから―――」
自らの記憶を振り返り、ひとつひとつ、確かめる様に少し前の出来事を語りだす。
唐突にヴィランが現れたこと。ヴィランの個性によりクラスメイト達と散り散りにされたこと。転移させられた先で無数のヴィランと対峙し、級友と共に撃破したこと。相澤の援護に向かった先で、ヴィラン達の首魁と衛宮士郎が戦いを繰り広げたこと。
要点を押さえて簡潔に纏められた話は、ものの数分で終わった。
この間、塚内は話に水を差すこともなく、粛々とペンを動かし聴取内容を記入していたが、緑谷が話し終えたと見ると、いくつか質問していいか、と告げた。
「は、はいっ。もちろんです」
無論、出久がこの要求を断る理由も無く、二つ返事で了承した。
「ありがとう。――聞きたいのは、ヴィラン連合を名乗った集団の中核と思われる例の三人組についてだ。彼らとまともに接触した生徒はほとんどいなくてね。教員を除けば、最も近くであの三人を観察できたのは、君と病院に運ばれた衛宮士郎くんだけだ」
先の襲撃、死柄木弔、黒霧が逃亡した後、すぐに雄英に勤務するプロヒーローがUSJに到着し、ものの数分で残存するヴィランを制圧し終えた。
捕縛者は総数七十二名。いずれも組織の中心からは程遠い末端の構成員であると、塚内は当たりを付けている。無論、詳しく調査し、一人一人の取り調べが完了するまでは断定出来ないが、彼は半ば確信している。
理由は実に抽象的で、“覇気”を感じない、からだ。
警部という肩書は決して伊達ではなく、彼はこれまでに多くの犯罪者を見てきた。その顔ぶれも境遇も様々でまさに玉石混淆なのだが、その中にもやはり、“格”というものがある。
重大な犯罪を犯す者、残虐性の強い者ほど、対面した時に感じる気配は重く、暗い。
そういったある種の圧力を、捕縛された者達は有してはいなかった。
あれだけ大それた襲撃を実行できた組織の中核メンバーに、それぐらいの器が無いとは到底思えない。
稀に、意図して自身の気配を隠し自らを悪党と悟らせない者もいるが、その手の人間からはまさに何も感じないものだ。今回のような半端な悪党ではなく、ただの善良な一般市民としか思えないような擬態をする。
無論、捕らえた者の中にそんな芸当の出来そうな者もおらず、塚内は自身の直感を結論とした。
しかしそうなってくると、ヴィラン連合なる組織を詳らかにする手掛かり――そこに至るまでの取っ掛かりすら存在しない事になる。
今回の襲撃はあまりに突発的に起きた事件であり、犯行グループからの声明や犯行予告といった、犯人達の実態に繋がる前兆は無かった。
彼ら警察が知り得るのはヴィラン達が名乗った名と、教員並びに生徒の体験だけだ。
これら二種の情報だけが、犯人追跡の頼りとなる。
「今はとにかく情報が不足している。些細な事でもいい。気になったことがあれば言ってくれ」
塚内はそう前置いて、改めて質問に入る。
「まずは、黒霧と名乗ったヴィランについて。姿は常に黒い靄に包まれていて判然としない、とは他の生徒から聞いたけど、逆に容姿以外の性格なんかはどうだった?」
素性の知れないこの逃亡犯は、ヴィラン連合中心メンバーの内で生徒含めて接触した人数が比較的に多いヴィランだ。その容貌は多くの生徒が目撃している。
そのため、塚内は出久からこの者の人格や他の者との関わりを聞き出したかった。
「あのヴィランは・・・・・、常にうやうやしい態度で、言葉遣いも丁寧なものでした。けど、根本的には残虐な性質なんだと思います。他人の命に、何の価値も感じていない様子でしたから」
無数の悪党を引き連れて現れたかと思えば、13号と避難中だった生徒達の前に現れ、己達の目的は“平和の象徴”の殺害だと、温度を感じさせない声で平然と告げて。挙げ句、自らの役割は生徒を分散させて嬲り殺す事だと宣言した。
言動、行動共に、命に対する尊重が欠片も見えない。アレは心底、他人というものに関心を抱いていない類の人間だろう。
「それと、これは僕の感覚になるんですけど・・・・・」
「構わない。直に対峙した君の所感はむしろ大歓迎だ」
自信なさげに自らの顔色を伺う少年に、実直な刑事は微笑みを浮かべながら続きを促した。
その肯定を受けて、出久もまた再び口を開く。
「黒霧は死柄木に対して常に下手だったんですけど、なんだかそれが、ただの部下って感じがしなくて・・・・・」
「ただの部下じゃない?」
「本当に、ただの直感なんですけど・・・・・その、なんていうか・・・・・従者、みたいに感じたんです」
常に死柄木を敬う口調で、男が害されそうになると何より優先してその身を守ろうとして。
その様が、単なる組織の上司と部下という関係には到底見えず、まるで主を守護する忠義者の様に思えたのだ。
「従者・・・・・例えば召使いとか、執事の様なものかい?」
「・・・・・もしくは、しもべ、でしょうか」
ただ一つの役割に腐心する生物。唯一、主人の守護のみを目的として存在する命。
それが、緑谷出久が抱いた、黒霧という人間の印象だ。
「少なくとも黒霧は、死柄木を逃す為に力尽くで拘束を脱していくほどの執念を見せました」
全身を凍結させられ、悉く熱を奪い去る氷に地面へと縛り付けられ、身じろぎの一つも叶わない身であった。なおかつ、腹には渾身の力で叩き込まれた無数の刃が残した刺創をも抱えていた。皮膚を剥がれ落としかねない霜に覆われ息も絶え絶えでありながら、そんな事にまるで憶えが無いかのように戒めを振り払い、裂帛の声を上げて膨大な
一連の流れは瞬きの間の出来事で、それは目と鼻の先でまさに踏み込もうとしていたオールマイトですら間に合わぬほどに。
あの死に物狂いさを、ただの上司相手に発揮できるとは、出久は思えなかった。
「・・・・・なるほど。連中の関係性は置いておいても、聞いた感じだと両者の間には明確な上下関係があるようだね」
少年の話を飲み下し、しかし結論には至らない。
出久の感性がどうであれ、やはり確証の無い仮定を早々に鵜呑みにするのはリスクが大きい。
現状、この二人について断定できるのは、この一点のみだろう。
「ありがとう。黒霧の人物像については分かったよ。・・・・・次は例のワープについて。どういった性質の“個性”だったとか、何か印象に残ってる事はあるかい?」
これ以上、出久から真新しい所感を引き出せそうにはない、と判断した塚内はまた別の側面から犯人に近づこうとする。
「性質、ですか?」
問われて、黒霧と呼ばれたヴィランの“個性”の発動を思い返す。
無数の人間の転移。秒も要さず展開されるゲート。人間のみならず物体まで通過させる。
相対したヴィランが用いた能力を回顧し、脳内に列挙される特徴の数々。
そのどれもが、まさしくワープという言葉に相応しいものであり、犯罪者の身に宿る事が非常に惜しまれる”個性“だと思い――
――ああ、そうか。トンネルなんだ。
情報を整理する事で、改めて気付きを得る。
それは、考えるまでもなく理解する前提だが、だからこそその在り方を定義づける特質だった。
「あのヴィランの“個性“は多分、“門”と“道”を造る事なんだと思います」
「門と道・・・・・いわゆる、ワームホールのタイプだね」
「はい」
SF作品におけるワープ、或いは転移には、大別して二つの種類がある。
一つは、対象を原子レベルで分解し、転送先で再構築するタイプ。
もう一つは、出発点と到着点間の空間を繋げて、転送先に送るタイプ。
前者は分解と再構築というプロセスを踏むことから即応性に欠ける。
既に形がある肉体の構造を崩し、再度構築を行う以上、何らかの歪みが生まれる。そのズレは目眩や吐き気などという形で肉体に、神経に現れる。
そのズレを抱えたまま、平時と変わらず行動できる人間はいないだろう。
人間とはそれそのものが緻密な設計図であり、一つの世界だ。その全容を、人類は未だに把握しきれていない。無から有を創り出す事が出来ない様に、完全に理解できないものを、完璧に再現する事は出来ないのだ。
しかし、後者にはその様な制約が無い。こちらは、ただ単に能動的な移動を行なっているに過ぎないからだ。
点と点を特殊な空間で繋いで物理的な距離を極端に短縮するそれは、利用者に一切の変質を起こさず、ゲートを通れるモノなら理論上、あらゆる存在を通過させることができる。
そこに特別な資質や条件は求められない。必要なのはただ通り道の規格に適応している事だけ。
もっとも、通過するという行為そのものが一定の時間を要するため、純粋な転移速度で言えば前者に分があるのだが。
とかく、黒霧の”個性“によるワープは、その特徴からして後者が当て嵌まると推測される。
「他の子も似た様な考えだったし、いま判明している特徴を考慮すれば、おそらくその可能性が高いだろうね」
塚内も同様の推察を行なっていたようで、出久の考察に同意する。
付け加えるならば、ワープゲートという性質故の欠点にまで彼の考えは及んでいるが、そちらは今のところ目の前の学生には関わりのない話だ。
彼は自らの推論を頭の隅に押しやり、次の質問へと移った。
「なら次は、死柄木弔について。この男の人となり、性格、仕草。何でもいいから、さっきみたいに君が感じたことを率直に言って欲しい」
今回の襲撃における主犯格と目され、黒霧が死に物狂いで逃した男。これから警察が最優先で追うことになるであろうヴィラン。
こちらもまた黒霧と同等か、或いはそれ以上に得体が知れない。
真っ先に目につくのが、顔面をはじめとした全身の至る所に取り付けられた“手”の装飾だ。黒霧に比べ“個性”による肉体の変化は見られず、容貌は純粋な人間のそれだが、却ってそれが不気味な出で立ちを際立たせていた。加えて、装飾故に表情はおろか人相すら把握できず、これからの捜査の難航具合は想像に難くない。塚内にとっては頭の痛い話である。
「僕とあのヴィランとの接触はあまり長いものではなかったので、ハッキリしたことは言えないんですけど――」
目の前の刑事の内心の煩悶など露知らず、出久はそう前置いて話を続ける。
「あのヴィランはどこか曖昧というか、ちぐはぐな印象を受けました」
「というと?」
「あんな大胆で周到な計画を実行に移した人間の割には、言動や仕草が幼稚だったり、事が上手く進まないと簡単に癇癪を起こしたりして、どこか子供っぽさを感じました。・・・・・けど同時に、相澤先生――イレイザーヘッドの戦闘スタイルや個性の欠点を見抜いたり、妙に冴えてる部分もあって・・・・・」
「それが、矛盾しているように感じる、と?」
「・・・・・はい」
ふむ、とひとつ頷きを入れ塚内は思案する。
彼が出久に対する聴取に移る前、既に1-Aクラス全員の聞き込みは終えている。その際に得られた反応、語られた言葉は様々だが、主にヴィランに対する恐ろしさや気味悪さを主張する者が多かった。ごく一部、言葉通りの意味で“気色悪いヤツ”と評する生徒もいはしたが、それは特殊な部類の感想だろう。
一方、出久が覚えた感覚は、他のそれよりさらに先に踏み込むものだ。死柄木の非情さ、酷薄さも憂慮すべきものではあるが、死柄木弔という人物のパーソナルに迫るには、それらだけでは足りない。個人の本質を掴むに肝要なのは、その言動・行動から対象の在り方を掴む事だ。その点で言えば、出久の齎した情報は取っ掛かりとして十分な証言である。
「あと、もう一つ気になることが」
「なんだい?」
メモから視線を上げ、塚内は出久に視線を合わせる。少年の表情には、胸中の疑念がありありと浮かんでいた。
「理由までは分からないんですけど・・・・・死柄木は、オールマイトにひどく執着してたみたいなんです」
「――――」
選ばれ、吐き出された言葉を吟味する。
ただ一人の人間を標的とし、無数の人間を巻き込んでまで事を起こした精神性は確かに尋常ではない。が、しかし――
「執着、と言ったね。けど、オールマイトの殺害を目的としての襲撃なら、彼に固執するのはむしろ自然なことじゃないかい?」
塚内の言葉に間違いは無い。妥当と言っていい。
ヴィラン連合、或いは死柄木弔の狙いはオールマイトという平和の象徴を打ち壊すことだ。その為に練られた計画は周到という他なく、彼らの姿勢は本気そのものだった。
だが、それを執着という言葉で括ることはない。目的とは、どうあれ果たす事を念頭に据えられるものだ。事の成否、難度に関わらずまずは達成を目指す。それだけは絶対だ。故に、彼らがオールマイトのみを標的として襲撃を決行したのなら、彼にこだわる事は自然な事だ。
執着という言葉は、異常なまでの関心を他に寄せること。それ以外目に入らず、ただ一つの存在に囚われる、それだけの情念が無ければ執着という表現は見合わず――
「・・・・・・・・・・嗤ってたんです」
「え・・・・・?」
――独り言のような呟きが、その考えを両断する。
「オールマイトがあの場に現れて、死柄木たちの前に立ち塞がった瞬間からあの男は笑みを浮かべてて・・・・・・・・オールマイトに対して昏い感情を向けてるはずなのに、それでも愉しそうに嗤ってたんです」
見据えた少年の眼が、戸惑うように揺れている事に塚内は気付く。それは、彼自身が彼の言葉をいまなお理解できずにいるためか。
――オールマイトとは、時代そのものだ。
プロヒーローが飽和し、凡そ殆どのヴィランが迅速に制圧されるようになった現代では想像もつかないだろうが、ほんの三十年ほど前までこの日本という国は半ば無法地帯と化していた。
人体に突然として現れた、“個性”という名の超常現象。それが齎した禍根は根深く、黎明期を越え人々がその存在を辛うじて受け入れてもなお、社会は依然として混迷を極めたままだった。
“個性”を悪用する者は後を絶たず、ヒーローという存在は未だ秩序を護るほどの力を持たず、政府は日々積み重なる“個性”絡みの問題に追われ、新たな規範を敷く事も、ましてや新たな社会形態に順応する事もままならなかった。
誰しもが怯えていた。誰しもが希望を持てなかった。
いつ己が悪意に晒されるか、いつ社会は平穏を取り戻せるのか、そんな先の見えない憂慮と問いかけを繰り返し、せめて悪党に目をつけられないよう人々は俯いて暮らすしかない日々。
そんな暗黒の時代が、かつての日本であり、またかつての世界だった。
――オールマイトが頭角を表したのは、そんな暗闇の真っ只中だった。
かつて発生した大規模な災害、都市一つを丸ごと飲み込むかのような炎と瓦礫の中に、アメリカからの留学から帰国した直後の彼は迷うことなく飛び込んでいき、巻き込まれた市民を瞬く間に救い出していった。
最終的に彼が救い出した被災者は千人以上、救助に費やした時間は二時間足らず――これが国内で公的な記録に記載される、オールマイト初のプロヒーロー活動である。
その後数十年間語り続けられる伝説をデビューと同時に打ち立てた彼は、その勢いを減じる事なくヴィランおよび犯罪者の検挙に貢献した。一個人の悪党も、組織的な犯罪グループも等しく打ちのめされ投獄は途絶えず次々と。目に見えて犯罪者は街から消えていく。徐々になどという枕詞はつかない。本当に、一日あれば街の治安が復帰するほど。瀑布が砂や石塊を飲み込み押し流していくように、その勢いは怒涛のものだった。
そして、それに反比例するように、それまで暗雲で覆われていると錯覚するほど荒みきっていた街は活力を取り戻し、人々は平和への希望を抱いた。
地に向けられた視線はいつしか真っ直ぐに前を見据えて、表通りはそれこそが本来の姿だと誇示するように、人々の往来で溢れていく。
誰もが理解出来ただろう。時代の潮目が変わり始めたことに。そう感じ取った者の感性は正しく、それから三十年余りで日本は世界で最も犯罪発生率の低い国家となった。その偉業を成し、また国と人々を引っ張ったのは言うまでもなくオールマイトである。
彼のデビューで、悪意は抑制された。彼の活躍で、人々は闘志を燃え上がらせた。
まさしく時代の転換点にして呼び水。故に、断言できる。超常溢るる世界において、ヒーロー飽和社会を形成させるに至ったオールマイトこそが、この時代そのものなのだと。
混迷する時代に、ただ一人の威名で以って秩序を齎したという逸話は決して見せかけの伽藍堂ではない。頑強な偶像には火が灯っている。決して消えず、如何なる困難にも屈さぬ不撓の魂。
いま以って彼は市民にとって此方の平穏を維持する守護者であり、悪を為す者にとっては逃れ得ぬ破滅そのもの。相対すれば逃れられず、絶対的な力に圧倒されるが道理。たとえ対抗札を用意しようと、挑み掛かるとあれば相応の覚悟と気概が求められる。
――だというのに。
彼がその眼で見た限りにおいて死柄木弔にそんな素振りは見られず、むしろ愉快げですらあった。表情こそふざけた飾りに遮られて見られはしなかったが、隙間から僅かに覗いていた吊り上がった口角は何よりの証左だ。
社会の在り方すら変えた正真正銘の“大英雄”と対峙しようとする人間の面持ちには見えず、酔っぱらいの悪ふざけか、或いは破滅願望持ちだと言われる方がまだ信じられた。
そもそも、オールマイトに進んで臨もうとすること自体が出久には理解不能な選択だ。
・・・・・ああいうのを、狂喜っていうのかな・・・・・
常識的な思考、画一的な認識で死柄木弔を捉えるべきではないのかもしれない、と考える。
明確な敵意を示して、垂れ流される殺意は本物で――なのに、長く夢見てきたオモチャを手にしたかのように喜んで。
言動や振る舞い以上に、それらの感情は矛盾している。およそ常人の思考、真っ当な感性にはあり得ない、破綻した精神構造。あの時の死柄木弔は正しく狂人と呼んで差し支えない様相だった。
「・・・・・・・・・・・」
出久の困惑をよそに塚内もまた、死柄木弔の不可解な態度を分析する。
・・・・・オールマイトに強い恨みを持つ人間・・・・・・・・いや、“それ”だけで説明するには些か苦しいか。
怨恨、の二文字が塚内の脳内に浮かんだが、それも一瞬だった。
他者の殺害を目的とする者の動機が恨みであっても何ら不思議ではないが、話を聞く限りそう単純な事でもないように思える。
彼に陶酔するある種の熱狂的なファンの様な人物という線もないだろう。もしそうであったなら、オールマイトに向ける感情に敵意が混じることはない。たとえどれだけ偏執的で対象を害そうという意思があろうと、それが好意から来る行動であるのなら、敵対感情は生まれ得ない。そんな“不純物”が混じった時点で、それはただ敵意でしかなくなるのだから。
・・・・・ともあれ、まずはその辺りから洗っておくべきだろうな。
確率としては低く、根はより複雑に絡み合っているのかもしれない。だが彼ら刑事の職務とはそういった細かな可能性を一つずつ潰していき、最後に真相へと至るものだ。“あり得る”という状況が存在する以上、それを精査し尽くさないわけにはいかない。
「ありがとう。とても参考になったよ。今の話は捜査にしっかりと活かさせてもらうから」
実際のところ、今回得られた証言がどれだけ捜査に役立つかは不明――というより、いま聞いた所感だけであるのなら、確実に大勢には影響を及ぼさない。話の内容は抽象的で、警察という組織が指標とするにはやはり客観性に欠ける。
無論、それら小さな違和感も確かな手掛かりである、と塚内個人は考えるが、全体を動かすには明確な根拠が必要なのだ。
とはいえ、不快な記憶を思い起こしてくれた少年に、そんな捜査の実情を語れるはずもなく。結局、簡素な謝辞を述べるに留まる。
次いで、話は先の黒霧と同様、死柄木弔の個性について移ったが、こちらは他の生徒から得られた証言以上のものは聞けず特筆すべき点も無かった。
「もっと注意深く観察していれば何か分かったかもしれませんけど・・・・・すみません、お役に立てなくて」
「いやいや、あんな状況で相手のことをつぶさに精査しろ、だなんて無理な話だよ。君が気に病むことなんか一つも無い。それに、あれだけ色んな印象を話してくれたんだ。感謝こそすれ、
柔らかく笑んで、気にする必要は無い、と出久を励ます。
瞳に見える感情の動きの少なさが少しばかり恐ろしく感じるが、その穏やかな声は少年の心の重荷を幾らか和らげ――
「――それじゃ、次の話に移ろう」
――その表情は、少しの間を開けたあと真剣なものになる。
直前までの柔和さは無い。
声色は硬く、瞳は険しい。表情は僅かながらに強張っているのが見て取れた。
釣られ、出久も改めて居住まいを正し、塚内の言葉を待つ。
「最後はあの大男・・・・・脳無について聞かせてくれ」
挙げられた名は、黒霧と同じく今回の襲撃において中核であったと目される人物。
プロヒーロー及び生徒を一人ずつ瀕死に追いやった張本人であり、あろうことかオールマイトと真っ向から殴り合いを演じてみせた、正真正銘の怪物である。
この男、オールマイトとの戦闘を経て、現在は警察によって身柄を確保されている。
「率直に聞こう。――君はアレを、どう感じた?」
先の黒霧や死柄木に関する話と違い、今度の質問は曖昧な問いかけだった。
一人の人間に感じる印象など、対峙した人間によって変わってくるものだ。人間の感性に一つとして同様のものがないというのなら、その差異は正しく千差万別、星の数と紛う程になる。
警察という、純粋な事実と確たる証拠を以って真実を追求し、秩序を保つ事を意義とする組織にとって、一個人の所感はあまりにあやふやな証言だ。
行方の知れぬ逃亡犯を追うならまだしも、既に拘留している犯罪者の調査にはあまり役立つものではないだろう。
「・・・・・あのヴィランは凄まじく強かったですし、躊躇いなく人を傷つける姿はとても恐ろしかったです。でも――」
一方、問われた出久は自らが感じた印象を伝えるも、途中で言葉を途切れさせる。
ほんの二、三時間前に目にした光景は脳髄に焼きつき、記憶から消そうにも既に頭から離れなくなっていた。
未だ鮮明なままの記憶は、直前の出来事の様に思い起こせる。
自らの恩師にして、憧れのヒーローと渡り合う姿を見た。
ぶつかり合い、互いの拳を打ちつけ合う様は、二つの巨大な山が意志を持って互いを飲み込もうとするかの様で。離れて傍観していた彼は、否定のしようもないほど圧倒された。
黒塗りの巨躯が、自らの担任を嬲る姿を見た。
現役で活動するプロのヒーローを一方的に蹂躙し、彼の抵抗をまるで児戯の様に感じさせる姿には、ただ恐怖するしかなかった。
いずれの所感も正真正銘、緑谷出久が抱いた感情であり、決して偽りではない。
あの時、彼は真実、ヴィランの在り方に恐怖し、これと戦うヒーローの姿に呑まれた。
――だが、されど。
「――でも、それ以上に。あのヴィランは、ひどく“異質”でした」
俯きながら告げた言葉。それこそが緑谷出久が最終的に行き着いた、脳無というヴィランに対する認識だった。
彼は言う――異質だった、と。
――その感情は畏怖ではない。それは、嫌悪だ。
目にしたモノを、あってはならないと断じる、否定の意思だ。
――その感情は、恐怖ではない。それは、忌避だ。
目の当たりにしたモノに決して近づきたくはないという、拒絶の想いだ。
彼の心が。肉体が。魂が。
あの化け物は、あってはならない存在だと、思考を巡らせるまでもなくそう断じていた。
何故、それほどまでに強い嫌悪を覚えたのか。
ただ犯罪者であるというだけなら、その行いに批難は向けても、相手の存在そのものを否定するような、そんな過剰な拒否反応を見せることはない。
だが、出久は心の底から、脳無というヴィランに言いしれぬ不快感を感じた。それこそ、能無の行動全て、あり得るはずのない不自然な現象と思えてしまうほどに。
いったい、ナニが彼をこうまで慄かせたのか――その答えは、数時間前に一人の人間によって明かされている。
「――意思の無い、“動く死体”、か」
それは、一人の生徒によって齎された情報だった。
無数の刀剣を記録し、複製する彼は、同時に物体の解析・構造把握も可能としている。主に対象となるのは無生物だが、ある程度の技術とコツさえあれば、それは生物にも適用出来た。
その彼が告げた言葉こそ、出久をはじめ多くの生徒に忌避感を抱かせた根源――理解そのものを拒まざる得ない、悍ましい正体。
――曰く、脳無は意思の無い動く死体だ、と。
「事件当時の脳無の様子はある程度聞いている。自らは一言も話さず、一歩も歩かず、ただ死柄木の指示のみによって駆動していたとね」
常に死柄木の側に控え、指示が与えられるまで微動だにしない。瞬きすら脳無は挟まなかった。
言葉は、一言も発されていない。命令で誰かに襲いかかる時にあげられた身の毛もよだつ咆哮以外、声らしい声が聞こえる事は無かった。
自律性の欠如、自意識の不存在、生物を生物たらしめる自我は皆無。その様は何処か機械的に、或いは人形めいて見えたという。
「脳無を間近で見た君はどうだい? 本当にヤツが死体だと思ったかい?」
「・・・・・分かりません。確かに、脳無が能動的に動く事はありませんでしたし、誰かの命令でしか動かない事を操り人形みたいに捉える事はできるとは思います。けど、それでヤツが・・・・・その、死体だって断言出来るかと言われれば・・・・・」
「そうか・・・・・」
そもそも、情報が揃っていないのだ。ヴィラン連合がどの様にして成立した組織なのか、構成員は如何にして集ったのか、どうやって雄英の授業スケジュールを把握したのか。脳無にしても捕縛したばかりで、調査に乗り出してすらいない。
事件はまだ終息したばかりだ。確証など、一つとして持てるはずがない。
・・・・・そう。確証は持てない。けど――
断言は出来ないと。そう口にしながら、出久は脳無に対して異質さと同時に、どこか既視感を感じていた。それは道端で朽ちているカラスであったり、たまたまテレビで見たマグロの解体ショーであったり。
そういった光景に、出久は近寄り難さを覚える。恣意的に遠ざける程ではないが、進んで視界に収めようとは思わない。叶うのなら目を逸らし、記憶には留めないようにする。
――それは、何故?
自問し、答えを探る。原因は明白だった。
それらは、“死”だからだ。
命の終わり。肉体の崩落。精神の消失。魂の離散。生存という状態が終了し、思考する事も、希求する事も、実行する事も出来なくなる、どんな生き物でも辿る凋落。
その姿はいつかの末路を示していて、物言わぬ死体は言えるはずもない言葉を告げている。
――いずれ自分<オマエ>も、同じようになるのだ、と。
無論、実体の無い妄想だ。実際にそんな言葉が発せられているはずもない。
ただの
第一、出久が動物の死骸を見て常にこんな思考をしているわけではない。それらに対する忌避は無意識のもので、彼がこれまでの人生でこんな事に意識を割いた事は一度も無かった。
不快な空想が、たまたま遭遇した未知の脅威と結び付いたに過ぎない。
――だが、もしもの話。
脳無とそれらに類似性を見た結果、既視感を抱いたとしたのなら。
それは、脳無がカレらと同じモノだと思ったからではないか――?
「・・・・・・・っ」
身震いがした。吐き気のする想像に、顔の歪みを抑えられない。
もしこの思考が事実を捉えていて、脳無の正体が告げられた通りのものなのだとすれば、それはどんなに悍ましい真実なのか。
事の背後にいる人物の在り様を出久は想像出来ない。いや、想像したくない。
いったいどれほどの悪人なら、こうも非道な産物を世に放てるというのか――?
「オールマイトのお陰で脳無は拘束できてる。ヤツの身元にしろ、複数の個性を持つ原因にしろ、その身体を調べればハッキリするだろう。それに、“彼“もそう遠くない内に意識を取り戻すはずだ。言葉の真意は、直接本人に確かめるよ」
言って、塚内はペンとメモを懐に仕舞う。聴取が終了した合図だった。
「あ、あの! 一つ聞いてもいいですか?」
「ん? なんだい?」
「彼は――衛宮君は、大丈夫なんですか・・・・・?
塚内が仕事を終えたと判断した出久は、事件が終息してからずっと気になっていた問いを投げかけた。
今回の一件で、1-Aメンバーの中から出た、唯一の重傷者。生徒の身であるにもかかわらず、ヴィラン連合中核の三名に真っ向から立ち向かい、撃退に貢献した人物。
自らのクラスメイトである衛宮士郎の安否を、出久は気にかけていた。
「・・・・・処置は終わった、と聞いている。ただ、傷が傷だけにまだ意識は戻らないそうだ」
「・・・・・・・・・・・・」
重苦しく返された情報に胸が痛んで、言葉を発する事も出来なかった。
友人が意識を取り戻せないほどの傷を負った事もそうだが。
――何より、死戦を超えてヴィランに立ち向かおうとする彼を引き留められなかった己にこそ、憤りと情けなさを感じた。
誰よりも友人のそばにいて、オールマイトに彼を逃してくれと託されたのに、離れていく手を掴めなかった。
何故、彼を止められなかったのか。
難しい事ではなかった筈だ。走り去ろうとする彼を追いその手を引っ張る。それだけのことではないか。平時ならいざ知らず、無数の刀疵と出血で足取りも覚束ない彼に追いつくことなど、造作も無いことだろう。死に行く衛宮士郎を延命させる為なら、刃で埋め尽くされた身体を羽交締めにしてでも押し留めるだけの勇気も、出久は持っている。
ならば、そう出来なかったのは何故だ。容易い筈の行動を実行に移せなかったのは、どんな道理によるものだ。いや、そもそも――
・・・・・止められなかったんじゃない。
瀕死の衛宮士郎が駆け出した時、追い縋って止めようとしなかったのは、そうしようという気が微かだったからだ。
見捨てようと思ったわけではない。オールマイトの頼みを蹴るつもりでもなかった。――ただ、自身と彼の意思が限りなく近かったから、戦いに赴く彼の歩みを止められなかった。
出久も衛宮士郎と同じ様に、オールマイト一人を残して逃げたくはないと、そう思っていたのだ。何より――
・・・・・衛宮くんが、
オールマイトが現れて、あの場にいた生徒は皆安堵したはずだ。どれだけ強力なヴィランであろうと、どんな窮地であろうと、彼なら絶対に覆してくれる、と。
それが彼らの総意だ。それが世間の認識だ。これまでの彼の実績に見合った、人々の頌徳だ。
――だが、衛宮士郎は違った。
オールマイトの勝利を、彼は信じていなかった。英雄を一人残して逃げ出す事を、彼は許さなかった。――今までオールマイトが背負い続けてきた期待にこそ、彼は憤っていた。
――俺が・・・・・俺たちが、あんたに、背負わせすぎてるんだ。
それは、およそ十五年間生きてきた出久が、ただの一度も聞いたことのない所感だった。
オールマイトを讃えない市民はほとんどいない。
――それだけの偉業を、彼は成してきた。
オールマイトの身を案じるものは、少なからず存在する。
――殊更、彼の“秘密”を共有する者達は顕著だった。
いずれかであれば共感出来た。どちらかであれば理解出来た。
賞賛は日常のBGMで毎日、憂慮はテレビや雑誌の中の評論家たちが稀に。
だが、オールマイトの力を讃えながら、彼の身を心配しながら――その上で、彼の在り方に疑問を呈する人間は、初めて見た。
きっと、それが彼を止めなかった最大の要因だ。
現代に生きる者であれば考えるはずもない疑問を口にする姿を見て驚き――僅かながらに同意する自分がいた。
だから止めなかった。だから自身も逃げなかった。
同じ想いを抱いた友人の行動を、その信念を、どうして止められようか。
・・・・・でも、そのせいで彼は・・・・・
だが、リスクを承知で行かせたのなら当然、代償は課される。
それを由と思えるほど、出久は毅然としてはいられない。自らの判断ミスで二人のクラスメイトが傷を負い、一人は死の淵まで進んでいった、その事実だけは変えようもない。
罪悪感は、拭えそうにない。
「幸いにして、命そのものに別状はないらしい。かなり凄惨な姿だったけど、あれらの刃は、同時に自癒機能もあるようでね。出血多量で命を落とさなかったのはそれが原因だって聞いたよ」
「そう、なんですか・・・・・?」
重く沈んだ心が、僅かばかり浮上する。
体から飛び出していた刃の意味にも驚いたが、何より友人の生還は間違いないと聞かされ、その事に対する安堵はひとしおだった。
「ミッドナイトが真っ先に駆け付けたことは幸運だった。彼を眠らせて刃の発現を押さえていなければ、処置は遅れていただろう。それに――」
一拍おいて、件の生徒が病院に運ばれて行った時の光景を思いだしながら、続きを口にする。
「君達の
瀕死の重体となった衛宮士郎の幸運は二つ。
以前、彼の暴走に遭遇しそれを治めたミッドナイトが他のプロヒーローと共に、ヴィラン撤退直後にUSJに到着した事。
もう一つは、二人の生徒が付き添って、彼をより速く病院へ送るために尽力した事。
彼自身の性質に加え、この二つの幸運が無ければ、彼の生死は危ういものになっていただろう。
「あまり無責任な事は言えないけど、現状聞いている話や私個人の経験からして、彼の復帰はきっとそう遅くはならないと思うよ」
「良かった――」
刑事のお墨付きを受けて、出久もようやく安心した。
確かに、友人の姿は酷いものだったが、またすぐにこれまでと変わらない姿で会えると聞いて、この一時は心の中の痞えが取り払われた。
「――さて。聴取はさっき終わったし、これ以上時間を取らせるのは申し訳ない。話はここまでにしよう」
「は、はい!」
席を立った刑事に倣って、出久も立ち上がる。
時刻は五時に差し掛かろうとしていた。塚内の言う通り、直に辺りも暗くなり始める。ヴィラン襲撃などという出来事に巻き込まれた身で、その上、帰りまで遅くなっては彼の親族に要らぬ心配をかける事になる。それは、ヒーロー志望だとか警察だとか以前に、家族を持つ人として褒められたことではない。
「また何か思い出したりすれば、君の担任経由ででも連絡してくれるとありがたい」
「分かりました。その時はまた連絡させてもらいます」
「うん。助かるよ――それでは、ご協力に感謝します、緑谷出久君。どうか気を付けてお帰りください」
最後に、一人の警官としてそう締め括った塚内に頭を下げ、出久は帰途につく。
入学一週間ほどでやっと見慣れてきた大きすぎる扉を潜り、教室を後にする。
地平線に太陽が沈み行き、眩しいくらいの茜色と溶けるような藍色が混ざり合って、得も言われぬコントラストを生み出している。廊下は、その狭間とも言うべき境界の色で染まっていた。
燃える炎と暗がり。出久の今の心境に酷似していた。
・・・・・もう二度と、こんな事を起こさない様に、早く
強く拳を握り締め、誓いを新たにする。
悔恨は消えず、自身の過ちは変わらない。しかしだからこそ、その失敗を繰り返さぬ為、二度と目の前で友人を死に目に合わせぬ為――何より、約束を果たす為に。
緑谷出久はいま一度、自らに
◆
――はじめての白い光に目を細める。
まぶしい、と思った。
なんて事はない、目が覚めて光が目の中に入ってきただけの事。
けれど、そんな当たり前のことが、生まれて初めての感覚みたいに思えた。
きっとまぶしいという事がなんなのか、そもそも解っていなかったんだろう。
「ぁ――――え?」
目が慣れてびっくりした。
無理もないと思う。
目を覚ましたら、知らない部屋の、知らないベッドの上に寝かされていたんだから。
煌々と輝く蛍光灯に、真っ白で汚れの無い部屋。
それが、■■■■が置かれた全く未知の――けれど、安心できる空間だった。
「・・・・・どこだろ、ここ」
醒めきらない頭のまま、周りを見回す。
白い部屋は広く、並べられたいくつものベッドの上には、いろんな人たちがいた。
大人も、子供も。男の人も、女の人も。
全員が怪我を負っていて、身体中のあちこちに包帯を巻かれている。
・・・・・けれど同時に、彼らは助かった人たちだ。
誰もがあの■■から抜け出して、生き延びた人たち。
この部屋に不吉な影は無くて、だからもう大丈夫なのだと、そう安堵する。
「――――」
気が抜けて、ぼんやりと視線を泳がす。
窓から見える外は平穏そのもので。
――濁りひとつない晴れ渡る青い空が、たまらなくキレイだった。
◆
「――――――」
沈んでいた意識が浮上し、目を覚ます。
薄く開いた視線の先、最初に見えたのは見知らぬ白い天井。
二本組の直管蛍光灯が白く照らすそれは、俺の記憶には無いものだった。
・・・・・ここは・・・・・
背には柔らかな感触。どうやら、ベッドにでも寝かされてるみたいだ。
鼻腔に入り込む、微かに鼻をつく匂い・・・・・薬品特有の刺激臭。
・・・・・病院、か。
驚きは無かった。
確かに、目を覚ませば見知らぬ一室で眠っていたという、常なら混乱必至の状況な訳だが。
しかし、こういった類の景色というのは、衛宮士郎にとっては馴染みのあるものだ。
なにせ俺が覚えている限りで一番最初に見た風景で、それからも何度も厄介になった、知らないくせに見覚えのある天井なのだから。
普段なら不快感を覚える突き刺すような薬品の匂いも、妙に懐かしく感じる。
必然、自分がいる場所も、かつてと同じところなんだって、すんなりと確信した。
・・・・・似たような夢を見ていたな・・・・・。
意識を取り戻す直前。
夢想の光景は、知らない病院のベッドで目覚めるという、いま自分が置かれている状況に酷似していたものだった。
いつ頃の記憶かは分からない。
過去を失う前のものか、新しく生まれた後のものか。
昔の出来事なんてどれも曖昧で、明瞭に思い出せる情景なんて案外少ないものだ。
・・・・・ただ、不思議な感覚ではあった。
見ず知らずの場所にいて、どういう状況なのかもか全く理解出来てないのに、何故だか安堵しきっている自分がいる。
そんな、なんとも可笑しな矛盾を孕んだ夢だった。
「――――?」
ふと、右手に違和感を感じて思考を中断する。
そこに不快さはない。
包み込む様に触れるソレは、とても暖かく、柔らかな感触だった。
目覚めてすぐは頭も体も覚醒し切ってなくて、いまいち全身の感覚もハッキリしてなかったから、気付くのに数秒遅れたみたいだ。
「・・・・・・・・・・っ」
その正体不明の心地良さが何なのか確かめる為に首を動かそうとして――同時に走った鈍い痛みに、中止を余儀なくされた。
やはり、まだ感覚がまともに機能してないみたいだ。
首に鈍痛を感じて、それが首といわず全身にも感じ取れるんだって、ようやく把握した。
おまけに尋常じゃないくらいダルくって、身動ぎする事すら億劫だった。
「・・・・・・・・・」
これはもう、どうやっても動かす気にはならないな、と早々に諦める。
幸い、目を開けて視線を巡らせる程度の気力はあった。
右手を包み込む違和感の正体を探る事ぐらい、目を動かすだけで事足りるだろう。
眼球を揃って右下に向かわせ、今度こそ違和感の原因を視認する。
その先に、見えたのは――
「ミッド、ナイト・・・・・?」
「――ええ。目を覚ましたみたいね、
長く黒い髪に、整った顔立ち、蠱惑的なタイツのような装束に身を包んだ女性。
――プロヒーロー、ミッドナイト。
俺の右手を両手で包みながら、彼女は優しげに微笑んでいた。
「えっ、と・・・・・・・・・・」
脳の処理が追いつかず、言葉に詰まる。
なんとなく、違和感の正体が誰かの手ではないか、とは考えていたけど。
その人物をミッドナイトに紐づけるような想像力は、さすがに持ち合わせていない。
何で彼女がここにいて、なんていうか、その・・・・・所謂つきっきりで看病してた、みたいな雰囲気を醸し出してるのか。
そのあたりの事情やら経緯やら理由やら、これっぽっちも想像付かない。
まずい。とてもマズイ。
起き抜けでろくすっぽ頭も働いてなかったとはいえ、自分より一回り年上の女性である――しかも、世の男性陣を魅了して止まないミッドナイトの手の感触を、心地いいなどと感じてしまった。
いやもう、正直いったい何がマズいのかもよく分かってないが。
いずれにせよ、ナニかとんでもなく“イケナイ”経験をしてしまったのではないだろうか・・・・・!?
・・・・・イカン。なんか、顔が熱くなってきた・・・・・
これはダメだ、色々と。
こちとら高校入学したての健全な青少年なんだ。
彼女みたいな絶世の美女と接触して、平静でいられるような鋼の精神は持ち合わせちゃいない。
冗談抜きで、俺の情緒とか羞恥心とかその他諸々のMP的な何かがガリガリと削れる音がする。
「眠る前に何があったか、思い出せる?」
俺の困惑やら気恥ずかしさやらには気付かず――或いは見て見ぬフリをしているのか。
手は握り込んだまま、俺の顔を覗き込んで彼女は問いかけてくる。
「・・・・・・・・・・・・」
柔らかい表情は変わらないが、声色は真剣なものだ。
こっちも、いつまでも動揺していちゃ話も進まない。
気を鎮めて、直前の記憶を掘り下げる。
午後のヒーロー基礎学。USJでの災害救助訓練。襲撃。ヴィラン連合。
・・・・・大丈夫だ、掘り出した記憶に欠落は無い。
襲撃犯にまんまと逃げられた事も、力の過剰行使で串刺しになった事も、全部憶えてる。
全身に生えていた刃が治って、こうしてどこかの病室に放り込まれてるって事は、ひとまず事件は収束したと見ていい。
・・・・・傷は・・・・・概ね塞がってるか。
自分の体に“解析”をかけて、大まかな状態を掴む。
表向きにも、体の方は大袈裟な処置はされていない。
まともな治療で、あれだけの傷がすぐに塞がるはずもなし。大方、リカバリーガールあたりの世話になったんだろう。
ミッドナイト以外の気配は無いから、今は席を外しているか、或いは既に帰った後か。
もし彼女に助けられていたとしたら、体が動く様になればすぐにお礼に行かないと。
ともかく、現状は把握した。
今はまず、聞くべきことがある。
「先生や、クラスの皆は無事ですか・・・・・?」
目線だけをミッドナイトに向けて、最優先事項を確認する。
しっかりと彼女の疑問には答えるべきだし、聞きたい事は幾つもある。
けれど、何よりもまず、その事を確かめなければいけない。
「――真っ先にその言葉が出てくるあたり、相変わらずね」
「え・・・・・?」
懐かしむ様な、それでいて嬉しそうな、よく分からない表情をされた。
てっきり、まずは質問に答えろ、とでも叱られると思ったのだが・・・・・
「なんでもないわ―――まず、あなたのクラスメイトだけど、何人か軽傷を負ったぐらいで全員無事よ」
「よかった・・・・・」
ひとまず、級友たちが大きな怪我もなく、あの襲撃を乗り切れた事にほ、とする。
彼らがチンピラ風情に遅れを取ると思ってはいないが、それでも不測の事態は起こり得る。
こうして言葉で事実を伝えられるまでは、安心なんてできっこない。
・・・・・まあ、真っ先に脱落した俺が心配するのもおかしな話だが。
情けない事に、俺は途中で完全に伸びちまってた。
皆が必死で戦う中、呑気に気を失っていた人間が、無事に生き延びた連中を案じるなんてのは、お門違いかもしれない。
「それじゃあ、先生たちは――相澤先生と13号は、どうなったんですか・・・・・?」」
「・・・・・あの二人は手ひどくやられたみたいでね。13号は、自分の『ブラックホール』を相手のワープでそのまま返されて、背中から上腕にかけて、ひどい裂傷を負ってる。命に別状こそないけど、傷の深さからしてしばらくは大人しくさせとくべきでしょうね」
「ワープに・・・・・」
黒霧と呼ばれたヴィランの、“13号は行動不能にした”、という言葉はこういう意味だったのか。
13号はその個性で、災害現場でどんな障害も吸い込んで、被災者を救い出している。
だが、それは向ける先を変えれば、当然人間も塵にしてしまえる力だ。
そんな力を持って産まれたからこそ、13号は俺たちに個性を扱う事の危険性を教示し――それがこうして13号自身に還されたのは、皮肉というにはあまりに悪意に満ちた結末だ。
「イレイザーの方は両腕をやられた上に顔面も骨折してる。でもまあ、オールマイトとカチ合う様な奴に痛めつけられてこれなら、まだ軽い方だわ」
「・・・・・・・・」
「幸い、脳の方に異常は見られないし、これといった後遺症も無し。本人がその気なら多分、明日明後日にでも復帰してくると思う」
「そうですか・・・・・」
ひとまず、誰かが命を落とす、なんて事態にならなかったのは、不幸中の幸いだろう。
そこだけは、素直に喜んでいい。
・・・・・一方で、受けた被害が軽かったとも、決して言えない。
俺たち生徒は大した怪我も無く済んでるが、先生たちの傷は深い。
日常生活に戻れるようになるのも、普通なら何ヶ月とかかるダメージだ。
個性という超常の力で人体にはありえない速度での治療が可能になっているからこそ、早期の復帰を実現できるというだけ。
彼らの苦痛は決して生半なものじゃない筈だ。
・・・・・俺たちを、守る為に・・・・・
各家庭の親御さんから子供を預かっている以上、教員でありヒーローである彼らが生徒の安全を保障するのは当然の義務ではある。
今回の一件も、まず彼らが矢面に立って、生徒を避難させるのは自然な流れだろう。
だから、彼らに守られた事も、それで彼らが傷ついた事にも、何ら責任を感じるものではない。
彼らは彼らの仕事をしただけであり、そこに疑問を挟む余地は、微塵も無いんだろう。
・・・・・確かに、その通りだろうさ。けど――
そんな事実で潔く納得できるほど、自分が出来た人間じゃないってのは、よく分かってる。
たとえ、彼らが自らの使命を果たす為に戦ったのだとしても、彼らが傷ついてしまった事を無関心に受け入れるなんて、絶対に出来ない。守られるべき生徒で、彼らの力には足元にも及ばないのだとしても、出来る事はあった筈だ。
先生たちが、俺たちの避難を優先して行動する以上、自由に立ち回れない事は目に見えていた。
その隙を、俺は埋められたはずなのに。彼らの負担を、減らせた筈なのに。・・・・・俺は、そうする事が出来なかった。
もし、黒霧が立ち塞がった時、奴を制圧できていたなら。
もっと早く、相澤先生の援護に向かえていれば。
彼らの傷は浅かったかも・・・・・いやそもそも、傷つく事もなかったかもしれないというのに。
・・・・・なんて無様。
己の無力さなど、言い訳にはならない。自身の立場など、免罪符にもならない。
誰かを助ける選択をできたというのに、機会を掴めなかった。
力不足だった、責任は無かった、そんな言葉で自分を騙くらかしたところで、守れたものを守れなかった事実に変わりはなく――
「――あなたいま、馬鹿な事考えてるわね」
「は・・・・・?」
突然の罵倒に、間の抜けた声しか出せない。
そりゃ、頭の出来が良いとは口が裂けても言えないし、俺が馬鹿なのは昔っからだから、そう言われたところで特に反論なんて浮かばない。
けど、何の脈絡もなく蔑まれると、こちらもどう返せばいいのか分からなくなる。
当のミッドナイトはこっちの当惑なんてお構いなしに呆れ顔のまま口を開く。
「自分がもっと強ければ、もっと上手くやれてたら二人は傷つかなかった――大方、そんな事でも考えてたんでしょ?」
「・・・・・っ」
ドキリ、と鼓動が跳ねる。
思考を読まれた事も、それをただ視線を合わせていただけで実現してみせた事も。
技術か、直感か。
どちらであれ、こちらを驚愕させるには十分な読心だ。
「・・・・・よく、分かりましたね」
「職業柄、似たようなのは何人も見てきたから」
“ああ、そういえば”、と妙に納得する。
ヒーローと呼称される存在に相応しい在り方を貫こうとする人間なら、自身の未熟で誰かを傷つけてしまって、それを容認出来るはずもない。
ミッドナイトはそういった人間を、正しく“山ほど”見てきたんだろう。
そして、おそらくは彼女自身も――
「気持ちは分かるんだけどね。――それでも、人間には出来る事と出来ない事がある。自分の力が及ばない事なんて幾らでも存在する。たとえ、プロのヒーローだって、そこに変わりはないのよ。まだ子供のあなたなら尚更ね」
「・・・・・・・・・・」
彼女の言いたい事は理解できる。
所詮、人間なんて初めから不完全な生き物だ。自己の限界以上の行為を成せないのは当然で、各々の上限は生まれた時点で定められている。
代償も無しにそれを覆す事はできず――払うモノを払ったとしても、思い通りの結果を得られるとは限らない。
彼女の言う通り、今回の結末が、いまの俺に許された限界だったのかもしれない。
「私は、あなたは賢い子だと思ってる。自分に責任が無い事ぐらい、初めから分かってるんじゃない?」
「けど、それは・・・・・」
責任が無いと言うのなら、そんなもの初めから何処にも存在しない。
教師だ、生徒だ、ヒーローだ、一般人だ・・・・・そんなのは、あくまで社会に組み込まれた枠組みで、責任なんてものはそこに生きる人間が潤滑に世界を回すために刷り込んだ規則でしかない。
生き物にとって、そんな余分な規範は初めから不要なモノだ。
俺に責任が無かったっていうなら、彼らだって、自分の命を張ってまで俺たちを守らなきゃならない責任なんて無いだろう。
でも俺は、それを言い訳にはしたくない。
責任の所在が別にあるからといって、それを盾に己を許せば、いずれ同じような愚を犯す。
俺自身の力不足だって同じ事だ。
力が無いから諦めるのか。己には抗し得ない状況だから受け入れるのか。
それなら、ヒーローとは何の為に存在するのか。
許せない悪逆、抗い難い現実を撃ち破り、誰かを守る為に彼らは戦っている筈だ。
歯を食いしばり、血を滲ませ、己がどんなに傷ついても、守りたいモノを守る為に立ち上がる――それこそが、真にヒーローと呼ばれる在り方な筈だ。
俺がまだヒーローではないのだとしても。彼らとは違うモノを目指しているのだとしても。
「・・・・・それでも俺は、認めたくはないんです」
己の無力も。
目に映る理不尽も。
誰かが傷つく事も。
それが子供じみた我が侭で、的外れな自責だと言われても。
人々の不幸を払えない己は、どうしても受け入れられなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・」
ミッドナイトは無言。
視線だけで見上げる彼女は目を細め、その表情は上手く言い表せないものだった。
考え込んでいるのでも、悩んでいるのでもなく――何か、想いを馳せているような、そんな顔に見える。
「・・・・・そうね。確かに、ヒーローを目指してる人間が適正や責任で良し悪しを計ってちゃ、拾えるモノも拾えないわ」
ややあって、彼女は表情を崩してそう言った。
数秒前まで見せていた、あの言い様もない貌は、どこにもなかった。
「でも士郎くん、これだけは自信を持って。――あなたはあの時、確かに誰かを守れたんだって」
「・・・・・そんな事は、ないです。結局、俺は何もできてません」
誰も守れてなどいない。
相澤先生も13号も、既に勝敗を決していて、彼らを救うには俺は辿り着くのが遅まきに過ぎた。
その上、緑谷を死線に踏み込ませ、俺の独りよがりで八百万を傷つけた。
被害を大きくしただけで、俺が拾えたものなど、ただの一つもありはしない。
「――いいえ、ここだけは絶対に譲らない。あなた自身が認めなくても、私はあなたを認めるわ」
なのに彼女は、そうではない、と言う。
優しい微笑みを浮かべているけど、その瞳に揺らぎはない。
「あなたがいなければ、イレイザーの傷はもっと深刻だったかもしれない。あなたの奮闘が無ければ、誰かが命を落としてたかもしれない。あなたが立ち向かったから、守れたモノがあった。――その事実は、本当に誇れる事なのよ」
だから、胸を張れ、と。
力強い断定は、暖かな肯定に満ちている。
彼女は心の底から、俺の行いには意味が有ったのだと、そう告げている。
「――――――」
本当に、そうなんだろうか。
俺の力なんてちっぽけなもので、敵を倒す事も出来ずに自滅しただけ。
本当にヴィランを退けたのは、オールマイトだ。俺は所詮、彼が来るまでの時間を、ほんの少し稼いだに過ぎない。
・・・・・それでも。
それでも、守れたモノもあったんだろうか。
未熟で、唯一役立てる戦いで用を成さなかった俺でも、誰かの現在<イマ>を、守ることができたのか。
――もし、そうだったなら、それは――
「ただ、教師の指示を無視してヴィランと戦っちゃったのは、ちょっと不味かったわね」
「・・・・・すみません」
不意打ち気味に漏らされたお小言に、力無く謝罪する。
それについては、全くもって反論のしようがないのだ。
黒霧に飛ばされた先でゴロツキどもを制圧したまでは良いとしても、そこから相澤先生の援護に向かったのは完全な命令違反。
先生は俺たちを逃すために一人で残ったのに、これじゃ彼の選択を虚仮にするようなものだ。
今回は運良く生き残れたものの、あれで死んでいたら相澤先生に対して申し訳なさすぎて、成仏しきれず地縛霊にでもなってたかもしれない。
「ま、そのあたりのお説教はそのうちイレイザーがするだろうし、私はこれ以上とやかくは言わないけど」
「は、はは・・・・・」
クドクド、グサグサとお叱りをされる場面が容易に想像できて、乾いた笑みしか浮かばない。
元々、身なりから恐ろしい気配を感じさせる相澤先生だが、ドライアイ故に充血した眼が一層、威圧感を増していて余計に恐ろしい。
あの眼で鋭く睨まれると、何もないのに萎縮してしまいがち、というのは我らがヒーロー科1-Aでは共通の認識だったりする。
・・・・・同じ状況になったら同じ事をする、なんて言ったら日が暮れるまで“縛り上げ”られそうだ。
「ともあれ、皆の安否についてはいま言った通り。士郎くんに比べれば、誰も彼も断然マシよ」
「う・・・・・」
いやまったく、我ながら恥ずかしい話なのだが。
あれだけ他人を心配しておいて一番の重傷者は俺だってんだから、落語みたいなオチである。
・・・・・我ながら、精進が足りてない。
まったくもって軟弱にも程がある。
こんな事でヒーローを目指そうだなんて、ちゃんちゃらおかしい。
退院したら、今まで以上に鍛え抜かないと。
「――さて、と。色々と話す事はまだあるけど、あなたの意識も戻った事だし、そろそろお医者さんを呼びに行くけど、他に聞いておきたい事とかある?」
「えっと・・・・・」
そう言われて、少しばかり迷う。
もちろん、聴きたい事はいくつもある。
ただ、それが彼女を引き留めてまで、ここで今すぐ質問するべきものなのか。
皆の安否は知れたし、今回の事件も一応は収束したと思っていい。
俺の身体についてなんかは、これから医者からの説明を受ける事になるだろうから、ここで質問することでもない。
今後の予定や学校への復帰みたいな細かな話は、それこそしっかり腰を据えて話すべきものだ。
火急の要件も無し、差し当たって、この場で彼女に問う必要のある疑問は無いだろう。
・・・・・ああ、でも。
そこまで考えて、今さらのように思い出した。
質問というよりは、挨拶という事になるが。
彼女に対して、個人的に言っておきたい事はあったのだ。
「質問じゃないんですけど、ミッドナイトに言いたい事があって」
「あら、何かしら?」
それは本当なら、一番最初に言っておくべきだった事で。
ずっと昔に、言いそびれてしまった言葉でもある。
もっと早くに言えれば良かったのだが、この瞬間まで機会を逸し続けてしまった。
この事で長いこと思い煩ってきたが、その煩悶も今日で終わりだ。
これから告げるのはとてもありきたりな言葉で、ずっと溜め込んできた割に、まるで重みのないフレーズだろう。
だからこそ、そこに宿す感情だけは褪せさせず。
長く植えていた種を芽吹かせる様に――万感の思いを込めて、言葉を紡ぐ。
「お久しぶりです、ミッドナイト―――また助けてくれて、ありがとうございます」
数瞬、室内から人の声が途絶える。
耳に入るのは、微かな衣擦れの音だけ。
その停滞は、言葉の受け手の静止を意味する。
受け手はミッドナイト。言葉は衛宮士郎から。
聞く筈もないと思い込んでいた言葉に、彼女は半ば強制的に声を失わされていた。
「――――――私のこと、憶えてるの・・・・・?」
沈黙する事、およそ五秒ほど。
たっぷりと時間をかけて再起動した彼女は、短く問い返した。
それは、少年の記憶を確かめる発言で――もう十年も前になる過去へと遡るものだった。
かつて、火に包まれる街の中で倒れ伏した少年を救い出した、一人の女がいた。
その少年は全身を刃によって串刺され、意識を失ってもなお苦痛は彼を苛み続けた。
女は自らの“個性”で少年を深く眠らせる事で痛みから解放した。
程なくして少年は救助され、街から炎は消え失せた。
――ある冬の日の、とある昼下がりの出来事だった。
その女と少年――ミッドナイトと衛宮士郎の関わりは、ほとんどその時限りのものだ。
少年を救い出した後も彼女には果たすべき使命があって、彼もまた新たに人生を歩み始めなければならなかった。
二人の関係はそこで途絶えていて、少年にとっては白昼夢のような刹那の出来事だったろう。
当然、その子供が自分の事を覚えてるなんて、ミッドナイトは毛程も思わなかった。
幼い時分の出来事なんて呆気なく忘れてしまうものだし、当時、様々な意味で慌ただしかった少年が、ほんの僅かに顔を合わせていただけの女の事をいつまでも覚えているなんて、あまりに現実離れした思考だった。
あの邂逅を覚えているのは自分だけ。向こうからすれば、自分は特に関わりも面識も無い他人。
幼い頃に自らを救ったヒーローがいたのだと、そう理解しているだけで、個人の事なんて記憶しているはずがない。
そんな考えだったから、数奇な星の巡り合わせで、自身の勤め先である学び舎に入学してきた彼に、彼女の方から接触をする事はしなかった。
・・・・・ただ。
本音では、少年と顔を合わせて話をしたかった。
かつて助けた子供が成長して、自身の古巣でもある学園で奮闘する姿を間近で見たかった。
悲惨な過去を過ぎた事と笑って話せて、あれから色んな出会いや選択があったのだと、互いに過去を懐かしむ――そんな出会いが訪れるのを、長いこと密かに楽しみにしていたのだ。――同時に、それが少年にとっては傍迷惑なだけの願望だと分かっていた。
だから、この想いはいつまでも自分の胸の内に秘めていようと彼女は決めていて――
「忘れませんよ。十年前、記憶を失う前の俺をミッドナイトが助けてくれた事も。目覚めた時、そばで手を握っていてくれたことも」
――なのに、見下ろす少年は、何もかも憶えている、と笑っている。
相手への遠慮から、少年に干渉しすぎないように、と決め込んでいたのに。
蓋を開けてみれば、そんな気後れが馬鹿馬鹿しくなるほど、彼の記憶は鮮明に残っていた。
まるで手が届かないと思い込んでいた宝物が、実は意外な程身近なモノだったと知った様で。
・・・・・これはちょっと、ヤバいわ。
自身が浮かべている表情が、ぎこちないものになっている、と自覚する。
だって、その言葉は色々と卑怯というものだ。
久しぶりに会いたいな、などと思いつつも迷惑をかけないようにと数歩身をひいて、それでも昔と変わらない危うさに気を揉んだり、それはもう色んな感情でヤキモキしてたっていうのに、よりにもよってバッチリ憶えてましたとは。
サプライズとは、受ける側からすれば常に予測のつかないものなんだなぁ、と強く実感する。
おかげで、心の内はそれはもう盛大に乱れていた。
奇襲じみた衝撃への驚きがあって。
全くの無為であった一人芝居を恥じらう心があって。
――でも、それ以上に。
憶えてくれていた事への嬉しさの方が、何倍も優っていた。
驚愕も気恥ずかしさも、追いやってしまうほど。
昂ぶりは抑えきれなくて、年甲斐もなく喜ぶ自分がいる。
そんな風に、悲喜こもごもな心持ちだから、恥じらいに歪んだり、みっともなくニヤけそうになるのを堪えるのにも一苦労だった。
「てっきり忘れてると思ってた。一度、顔を合わせたぐらいで、それっきり会うことも無かったのに。よく思い入れもない私の事を覚えてたわね」
口早に告げられた言葉は、照れ隠しも兼ねていた。
こうして声に出して平静を保っていなければ、様相が崩れてしまいそうなのだ。
せめて、言葉の上では余裕を見せていたかった。
とはいえ、それは紛れもなく本心からのもの。
少年にとって己はちっぽけな存在でしかないと、そう自認しているのは事実だ。
「まさか。それこそ、ありえませんよ」
しかし、真実は真逆である、と少年は語る。
ほんの少し会っただけの、心の中に残る事もない他人――それは、ミッドナイトが勝手に決めつけていた自己評価だ。
彼は、救われた恩を忘れていなかった。
彼は、包まれた手の温もりを忘れてはいなかった。
僅かな時間しかなかった彼女との関わりを、彼は確かに覚えていて――
「告白すると――俺がヒーローを目指したきっかけは、ミッドナイトなんです」
――それ以上に、彼女の存在は彼の道行に強く影を落としていた。
「私が、ヒーローを目指したきっかけ・・・・・?」
「はい。昔から誰かを助けられる生き方をしようって決めてて、けど最初はそれをどうやって叶えるか悩んでたんです」
語られるのは、誰に告げるまでもない、長く秘されてきた彼の真実だ。
迷いも躊躇いも無く、たった一人でもひたすらに理想へ邁進していけそうに思える、衛宮士郎の本当の憧れ<ハジマリ>。
彼は施設に引き取られて物心つく頃には、人々を救える正義の味方になろうと決意していた。
しかしそれは、ただ目的を明確にしただけだ。それをどうやって実現させるか、明確な手段が伴っていない。
まだ幼かった彼は、如何に理想を叶えるか、その筋の通し方を決めあぐねていた。
人を助けるというなら、何もヒーローに拘る必要はない。
この時代でも警察という秩序の維持機構は健在で、災害が起きればレスキュー隊はヒーローと共に救助にあたる。傷病に侵されれば医者は必要不可欠だ。法律と現実の軋轢に苦しむ市民の為、弁護士はいつだって奔走している。
彼らが生きる社会は複雑で、救いの形も一つではない。
より多くの幸福を願って成った存在なら、どんな職であれ貴賎はない。
各々の形が違えど、それぞれが抱えた願いは同質なのだから。
――だが、しかし。
違いは無いと。ヒーローだけが絶対ではないと。
それぞれの在り方に優劣は無いと理解しながら、それでもなおこの世界に足を踏み入れたのは、偏に過去の経験故だった。
――記憶を失う前、自分が何をしていたのかは覚えていない。
己がどのような心持ちで爆弾魔に挑み、どう力を行使したのか。それらは、もはや衛宮士郎とは関係の無い過去だ。
かつての功罪は、既に同じ名前を持つだけの、別人のものでしかない。
・・・・・ただ、痛かった事と、苦しかった事は覚えていた。
明瞭な情景は思い出せずとも、その耐え難い苦痛の感覚は、体の奥底に刻み込まれている。
きっと、誰の助けもなければ、幼かった心は苦痛に耐えきれずに壊れていた筈で、
――その苦しみを取り払ってくれた女の人がいた。
ミッドナイトという名のその女性は、ヒーローと呼ばれる存在だった。
世に蠢く悪意に立ち向かい、何人もの人々を救ってきた人物。
彼女はそれまでそうしてきたように少年を救い、その生還を心の底から喜んでくれた。
・・・・・ああ、憶えてるとも。
彼女が与えてくれたものは、一つとして忘れていない。忘れられるはずもない。
痛みを忘れさせてくれた微かに甘い香りも。包帯まみれの手にも伝わってきた温かさも。目に涙を浮かべて、目覚めに安堵する嬉しそうな顔も。
そのどれもが、今の衛宮士郎を形作る土台になった。
「面と向かって言うのは少し照れくさいんですけど――あの時、ミッドナイトに助けてもらったことや、あなたが浮かべていた笑みが忘れられなくって。いつか自分も、あなたみたいに生きられたらって、そう思ったんです」
死んでいたはずの人間を、ただ一人助けてくれた人物。絶望の淵にいる人間の前に現れ、手を差し伸べる存在。
かつて衛宮士郎を救ったその在り方は、正しく“正義の味方”そのものだった。
だから、己の生き方を定めた時に思ったのだ。
――いつの日か、自分を助けだし多くを与えてくれた人と同じモノになろう、と。
これまでミッドナイトが繰り返してきたように。
衛宮士郎は苦しむ人を救い、誰をも死なせないようにするヒーローになる。それこそが、自身の目指した理想に最も近しいのだと。彼女の姿を思い返して、子供心にそう考えたのだ。
一度でも方向を定めたなら、もう迷う事はない。
それからというもの、目指した目標に向けてひたすらに鍛錬を重ねてきた。
自滅するしか用途の無い“個性”を武器として使えるまでに制御を習得して、理不尽な災禍に負けぬよう、技術を磨き知識を培ってきた。
そうして今日まで生きてきた。
これまでの積み重ねがどれだけ実を結んだのかは分からないが、少なくとも雄英に認められるまでには成長できたんだろう。
衛宮士郎がこうして生き永らえているのも、ヒーローを目指そうと決心できたのも、彼女が十年前に俺へと手を差し伸べてくれたからだ。
ミッドナイトとの関わりが無ければ、今の自分は無かった。
「――ホント、ヒーロー冥利に尽きるわね」
そしてミッドナイトも、今度こそ笑みをこぼした。
生徒の手前、だらしない顔は晒したくないと思いつつも、こうして直に敬愛を示されると、いつまでもお高く止まっていられなかった。
もとより、生徒達のひたむきな心の在りようを好む彼女だ。こういう純粋な想いというものに彼女は弱い。
・・・・・それに、実のところを言えば。
相手の存在が心に焼き付いていたのは、彼女も同じだった。
十年前、死にかけながらも誰かを助けようとした少年。
息も絶え絶えな有り様で、それでも己を顧みず、見ず知らずの家族を護ったその在り方。
その時に抱いた戦慄は本物で、あんな悲惨な出来事は二度とあってはならないと今でも思う。
――しかし、同時に。
あの時の光景に焦がれているのも、また事実だった。
こんな感情は本来抱くべきではない。
かつての惨状は間違いなく地獄そのもので、見下ろす少年に与えられた苦痛は、閻魔の沙汰もかくやというほどだった。
それは本当なら嘆くべきもので、凄惨な彼の姿に同情はしても、感動を覚えるなど許されない。
けれど、美しいと感じたのだ。
他者の生存と引き換えに己の命を差し出すなど、あってはならない献身だと知っている。
――それでも、あれこそが本物のヒーローなのだと。
あまりにも悲しく、尊い在り方に、彼女は見惚れたのだ。
「ありがとう、士郎くん。そう言ってくれると、プロとして誇らしい。それに、あなたが立派に成長してくれたことが、とっても嬉しいわ」
そんな感傷はおくびにも出さず、ミッドナイトはそう告げる。
一人の大人として、不幸な境遇にあった少年が健やかに育ったのは喜ばしい。
衒いなく、心から祝福出来る事だ。
「――それはそれとして」
「あてっ」
ペチン、とミッドナイトが士郎の額を叩くと、彼は痛みに小さく呻いた。
威力の程は高が知れている。母親がやんちゃする幼子を嗜めるようなものだ。
ただ、彼女の行動があまりに予想外だったから、士郎は目を丸くして下手人を見上げる。普段愛想のない表情は、いきなりの仕置きに対する驚きで染まっていた。
対照的に、ミッドナイトの表情は厳しいものになっていた。
怒りは感じられない。代わりに、咎める様な視線が士郎に突き刺さっている。
「士郎くん。また、“昔みたいに”無茶をしたみたいね」
”昔みたいに“、というのがいつの事を指してるのかは考えるまでもない。
士郎が十年前の出来事を忘れていて、ミッドナイトとの出会いも憶えていなかったのなら、彼女はこの話を持ち出す気はなかった。
だが曲がりなりにも記憶が残っていて、自身が何をしたのか、自覚は無くとも認識しているのなら話は別だ。
この話をする以上、少しばかり時間がかかる事になる。
目覚めてすぐの士郎には辛いものがあるかもしれないし、医者への報告もせねばならない。
しかし、今を逃せば次に落ち着いて会話をできるのがいつになるか。いつまたヴィランの襲撃が行われるか分からない。そうでなくとも雄英のヒーロー科生徒は年中、学園から課される試練を乗り越えるのに多忙なのだ。
彼女は、ここで言うべき事は言っておくべきだ、と判断した。
「それは・・・・・・・」
「再会できたのは本当に嬉しいんだけど・・・・・こんな病室で、傷だらけのあなたじゃなかったら、もっと良かったわ」
ミッドナイトがイメージしていた再会のシチュエーションは、もっと穏やな情景だった。
なんでもない昼下がりに道端でばったり出会って、散歩がてらに昔話に花を咲かせる。そんな、特別さも悲壮さも無い、ありふれた日常での邂逅を、彼女は望んでいたのだ。
実際の光景は、そんな平穏さとは無縁なもので――十年前のあの日の様に、何より彼女が忌避した状況だった。
「無茶をするな、なんて台詞、私みたいな人間が言えた事じゃないけどさ。それでも、自分の命を端っから捨てるような真似はやめなさい」
ミッドナイトは、ずっとその事を危惧していた。
彼が雄英入試に現れた時からその可能性を考えて、後輩で彼の担任になる相澤に注視するよう頼み、同僚には彼が自己犠牲に走りづらくなるようなスタイルへ誘導するよう依頼したりと。
入学一週間程度の新入生に対する注目としては、異様なほどの入れ込み具合だ。
もっとも、衛宮士郎という人間の奉仕体質を考えれば、頭ごなしに否定できるものではないのも確かだった。
成長と共に、彼の気質が変わっていれば良い、と彼女は心から願っていた。
或いは、以前よりは緩和した程度でも良かったのだ。彼が自分の命を軽んじて、躊躇いもなく死地に飛び込んでいくような、そんな精神性が施設での生活で抑制されていたなら、それだけでも彼女は安心できた。
・・・・・だが、現実は懸念通りのもので。彼の性質は最悪のタイミングで発揮されてしまった。
「・・・・・そうでもしないと、勝てない相手だったから・・・・・」
「ヴィランがどんな連中だったか、私もある程度は聞いてる。学園の警備や教員側の私たちの不備であなたたちを危険に晒してしまった事は、本当に申し訳ないと思ってる」
命を賭さねば抗えない様な敵だったのかもしれない。責められるべきは彼女ら雄英側の人間で、こんな説法めいた指導をする資格など、彼女にはないのかもしれない。
少年に向けられるべきは礼賛のみが相応しく、他がために悪意へと立ち向かった彼の行動は、掛け値なしに尊いものだろう。
それでも――
「――それでもね、こんな風に自分を粗末にするようなやり方は、駄目なのよ」
絞り出したかのような声は、心の底から滲み出た悲嘆を感じさせた。
その言葉は、ただの同情や倫理を語っているのではない。悼むような哀愁は、彼女自身の実体験からくる戒めだ。
――誰かを守って、死んだ者を見た。
時にヴィラン。時に災害。
向き合う災禍は種々なれど、呑まれた後の末路は変わらない。
謂れのない暴威に晒され、無惨な骸を晒した同胞の姿は、脳裏に焼きついて離れない。
――現世を去った死者を悼んで咽び泣く声を聞いた。
人の子ではないプロヒーローなどいない。如何に超常の力を得ようと、人間という生き物である事に、何ら変わりはない。誰もが皆、個々に大切な誰かがいる。
無条件に愛情を注ぐ親族、将来を誓い合った愛し人、共に語らった友人。
彼らが向ける親愛は双方向で――故にこそ、片割れを喪った嘆きは、あてもなく彷徨い続ける。
潰れるほどに胸をかき抱いて、二度と取り戻せない幸いを想って悲しんだ誰かの叫喚が、いつまでも耳朶を叩いている。
「私たちプロヒーローは、常に死と隣り合わせで戦ってる。それこそ、一歩道を逸れれば呆気なく帰って来れなくなるような、そんな身近さよ」
プロヒーローなら、遅かれ早かれ誰もが通る道だ。見え透いた事実であり、避けようもない現実でもある。断崖に手をかける誰かを引っ張り上げようというのなら、諸共に幽谷に堕ちる覚悟で臨まねばならない。
命という名のコインを投げ入れ、多くのモノを求める。当たりを引けば、望んだ通りの未来を得られよう。ハズレを引けば、賭け金が戻る事はない。
――それが、命を救うという事だ。
外的な脅威を前にした誰かを助けるには、同等の価値を捧げるしかない。
死は誰にでも平等で、屈すれば無明の帳は容赦なく現世と幽世を別つ。
死した者は昏い影を落とし、愛した誰かを残して逝く。
苦しむ人を見たくないと。危機に瀕した誰かを救いたいと。そう願って奔走した者こそがまた新たな悲しみを生んでしまう。
そんな悪循環は、往々にして起こりうるのだ。
「もちろん、それを承知でこういう世界に入ったし、この生き方を間違ってるとは思わない」
自身もまたそういった人種の一人であり、いざとなれば自らを差し出す覚悟で活動している。
なにより、己を犠牲にしてでも多くの人の幸福を願う、そんな在り方こそが眩い程に尊いのだと、彼女は知っている。
だから、否定しない。
これまでの人生も、先にあの世に行ってしまった戦友達の選択も、正しいものだったと彼女は胸を張って言える。だが――
「――けどね。命を賭ける事と、生きる事を放棄する事は、全くの別物なの」
「・・・・・・・・・・・」
結果のみを見れば、二つは同じ事のようにも思える。
失敗の果てに命を失う事と、初めから自己の生還を度外視する事。
どちらもある意味で捨て身であり、誤れば死に至るという点は変わりがない。
しかし、ミッドナイトはそれらは断じて違うものなのだと、強く否定する。
結末のみが重要なのではない。過程が異なれば、その選択の意味合いも、見える未来も変わってくるのだと。
「私たちヒーローはね、市民を守って、自分も無事に生還しなくちゃいけないの」
無論、士郎も無意味に命を投げ捨てるほど、生に頓着が無いわけではない。
死の冷たさと悲しさはよく知っている。終わりのない暗闇へ堕ちていく恐怖は一生つき纏って離れることはない。――なにより、様々な人の手で何度も助けられてきた命を、意味も無く粗末にする様な真似は彼自身が到底容認出来ない。
だが、彼にとって何より認められないのは、やはり人々の不幸であり、究極的には彼らの死だ。
だから、それを防ぐという目的があるのなら、後先を考慮しない捨て身も決して無意味なものにはならず――そんな生き方は、最悪の選択に他ならない。
本来なら、彼にその事を教える役目は相澤が担うはずだった。
衛宮士郎が雄英を卒業するまでの約三年間。その間にヒーローとしての心構えを教授し、それを徐々に身につけさせる。
それが、当初ミッドナイトが思い描いていた構図であった。
しかし、世界はそんな悠長な心持ちを許さなかったらしい。
彼女がゆっくりでもいいと考えられたのは、差し迫った危険の無い学園内での教育に終始するが故だった。だが事もあろうに、その想定を嘲笑うかのようにヴィランの襲撃は起こり、士郎は再び己を投げ捨てて戦った。
ヴィラン達が明確に雄英を――オールマイトを標的にして襲撃を仕掛けてきた以上、成功するまで同じ事を繰り返すのだろう。
その度に、衛宮士郎は自らを犠牲に悪に立ち向かう。
己の末路が死であろうと、彼はお構いなしだろう。
――そんな未来を、許していいはずがない。
「ヒーローは、皆の笑顔を守るモノでしょ?もし士郎くんが危険に飛び込んで死んでしまったら、あなたの“家族”はその事を一生悲しむ事になるんじゃない・・・・・?」
問いかけは静かに投げかけられた。
まるで、小さな子供に単純明快な道理を諭すように。
「どう・・・・・でしょうか・・・・・」
士郎は自信なさげに、曖昧な言葉を吐き出す。
言わんとする事には共感する。
家族が、愛する人が亡くなって、涙しない者はいない。かけがえのない大切な存在であれば、長く共にいて健やかに生きていてほしいと願うのは、人として当然の思考だ。
彼は、そこを疑ってかかるほど、斜に構えた性格をしていない。
「どう、て言うのは・・・・・」
「昔から、愛想も面白みもない人間でしたし、いつまでも他人行儀だった俺みたいなやつを、施設の人達がどう思っているか、あまり分からないんです」
それなりに良好な関係で、十年間一緒に過ごしてきた。その自負はある。
しかし、家族の様な、と言えるほど互いに心を許し合っていたかと聞かれれば、彼は疑問符を付けざるを得なかった。
なにせ、愛想笑いも碌にしない可愛げのない小僧だ。大人に好かれるような子供ではないだろう、と考える。
間違ってはならないが、彼が十年近く世話になった施設の運営は真っ当なもので、職員は入所した子どもたちに対して親身に接している。
問題があるとすれば、むしろ士郎の方だ。
十年間もひとつ屋根の下で一緒に過ごして、それでも、彼はその生活にいつまでも馴染めたような気がしなかった。
施設で浮いてるわけでも、皆と不仲なわけでもない。
ただ、自身を家族の一員であると、彼が未だに思えなかっただけの事だ。
血の繋がり、というものに拘っているわけではない。
そんなものがなくても、一緒に過ごして、互いを大切だと思いあえる絆があるのなら、それは家族そのものだ。彼は、他の子供たちが施設でそうなっていくのを、何度も見てきた。
では何故、それが自身に当てはまらないのか。その答えを、彼は知らない。
もし言える事があるとすれば、自分の帰る場所は別にあるような、そんな錯覚を抱いていることぐらいで――
「・・・・・なら、一人の人間として、ならどうかしら。彼らが善良な人間なら、顔見知りが悲惨な目に遭って、平然としていられる?」
士郎の本音を聞き、ならば、とミッドナイトはアプローチを変える。
家族云々に関してはこれ以上彼女が口出し出来る領分ではない。士郎の考えが的外れであれ真実であれ、その疑問を拭えるのは当人達しかいないのだから。
だが、家族としての情ではなく、人情であれば話は変わってくる。
「それは・・・・・多分、少しは悲しんでくれるんじゃないかと」
概ね予想通りの返答に、そうでしょうね、とミッドナイトは頷く。
教師としての彼女が知る限り、施設での生活で彼らの間に軋轢は無く、入所先も特に目立った悪評が囁かれたこともない。
それは、彼らは掛け値なしに善良であり、知人の死をさらり、と流すような薄情な人間でない事の証明になるだろう。
士郎の命が脅かされたと知れば、彼らは例外なく悲しむ事になる筈だ。
十年の月日には、それだけの重みがある。
「親しい人に涙を流させない為にも、最後まで自分の命も諦めてはいけない。それが、プロのヒーローというものよ」
これは、心構えの話だ。
敵が強大だとか、生存率の程とか、そういった論理的な問答ではない。
初めから自己を犠牲にするなど以ての外。守るべきは命のみならず、市民の幸福も慮る。
プロヒーローの在り方とは、斯くあるべし。
その気構えを持てない者は、ヒーローには成れないのだと、彼女は説く。
「言ってる事は、分かります」
誰もが幸福であってほしいと、その願いは万人に共通する理想だ。
士郎も同じだ。
幼い頃から、平穏な日常を眺めると、自然に笑みが溢れた。人々が楽しげに笑って暮らせているのが、とても嬉しかった。少しでも誰かの喜んでる姿が見たくて、色々な頼み事を聞きに行った。
雄英の門戸を叩いたのも、正義の味方になろうとしているのも、そんな思いが高じてだ。
ならばこそ、ミッドナイトの言葉に否定する箇所など存在せず――
「――でも、俺一人の命で大勢が助かるなら、その方がずっといいです」
にもかかわらず、彼は正反対の言葉を吐き出す。
反論には、僅かな逡巡も挟まなかった。見上げる瞳は揺るがず迷いは無い。
確かに人々の幸福は大切だ。彼らの笑顔こそ、何より守りたい平和の形に相違ない。
だがそれも、彼らが生きている事が前提の話だ。
死者に、鼓動は無い。死者に、幸いは持ちえない。――死者は、恨みを残してさえくれない。
死ねば、全て終わりなのだ。
どんなに幸せであって欲しくても、どんなに笑顔でいて欲しくても、命の脈動が途絶えれば先は無い。
彼らの幸福を守りたいというのなら、何より優先すべきは彼らの生存だ。
一人の人間の命で、より大勢の命が救えるのならば、勘定としてはお釣りが来る。
「それに。俺が死んだところで、そう大層に悲しむ人はあまりいないでしょうから」
苦笑しながら、士郎はそう締め括った。
込められた自嘲に謙遜は感じられない。
他人にとっての自分の存在などその程度でしかないと、本気で思っている。
きっと、養護施設の人間に対しても同じ考えを持っているのだろう。彼らが悲しむのは、人間として当たり前に持つ善性故で、衛宮士郎という個人を偲ぶものではないと。
・・・・・何を馬鹿な、とミッドナイトは半ば本気で怒りを抱く。
衛宮士郎の利他性など今に始まった事ではないが、だからといって周囲の人間までもが彼を蔑ろにしているなど、ひどい思い込みだ。
もし彼の言う通り、誰も彼を大切に思っていないというのなら、そもそも彼女はここにいない。
この認識は、ここで改めておくべきだ。
・・・・・けど、ここで私の名前を出すのは、違うわよね。
無論、士郎の死を悲しむのはミッドナイトとて同様だ。ヒーローとしての矜持や人間としての道徳など無くとも、彼女は一人の人間として、衛宮士郎を案じている。
その事を彼に伝えれば、多少なりとも効果はあるかもしれない。
しかし、そういった役目を担うのは、ヒーローの様な立場に明確な差異のある人間より、もっと相応しい人間がいる。
「それ、八百万さんの前でも、同じ事を言えるの?」
「・・・・・・・・・・」
問いかけは簡潔で、それ故に応答は容易な筈だ。
しかし、士郎は決定的な証拠を突きつけられた犯罪者かの如く、押し黙った。
ミッドナイトが何を思って、一週間程度の付き合いしかないクラスメイトの名前をここで出したのか――その意図を、士郎も理解している。
数分前、彼女に気絶する前後の記憶を確認された際、彼は記憶に欠損は無いと言った。
ここに来るまでの一日をどう過ごし、その最中に誰とどんなやり取りをし、その終わりに何が起こったのか。それら一日の軌跡を忘れていない。
ならば、クラスメイトである八百万がどんな行動に出たか――彼は、過たず憶えているはずだ。
「自分が傷つくことも厭わず、あなたが無理しようとするのを止めた――彼女がなんでそんな事をしたのか、あなたはきっと、分かっていないんでしょうね」
そうでなければ、先の発言は出てくるまい。
他者の危険や傷には誰より敏感なくせに、自分に向けられる親愛にはとことん鈍い。
彼女の気持ちを言ってしまうのは容易いが、それでは意味が無いし、言うべきでもない。
彼女がした無謀の動機を伝えるのは、自身の役目ではない。それは、実際に彼を救おうとした本人の口から語られるべきだ。
――だから、ここで告げるべきは、一つだけ。
「士郎くんが自分をどう思っていようと、あなたの事を心の底から大切に思っている人は必ずいる。――そのことは、忘れないで」
彼の在り方を、否定する事は出来ない。
どんなに歪んだ生き方だとしても、結局は衛宮士郎という一人の人間の人生。教導することはしても、真に是正する権利は他の誰にも持ち得ない。――それでも、彼の身を我が事のように案じる人々が存在するのだと。その事実だけは、彼に伝えておかねばならなかった。
「ひとまず、話はここまでよ。士郎くんは、少し休んでなさい」
ミッドナイトはそう言ったきり、士郎の手を離し立ち上がる。
今度こそ医者を呼びに行くのだろう。元々、彼の記憶の前後の確認が取れた時点で、そうするつもりだった。
真っ白な引き戸に手をかけた彼女が、最後に振り返ったその先――
――冷たい病室の中。一人残った衛宮士郎が、瞳を閉じて思い悩む姿が目に残った。
随分、おかしなところに話が飛び火したな、というのが正直なところ。
ただ生徒である俺の無事を確かめるだけの会話が、俺の願望で昔話になって、それがいつのまにか説教に変わってた。
なんでそういう流れになったのか、いまいち釈然としないが、こちらに非があったのも確かである。
だからまあ、俺なりにこうして自問してるわけなんだが・・・・・
・・・・・八百万の行動の意味、か。
どこか責めるような視線が、いやに痛かった。
俺だってその理由は知りたい。でも悩んで解れば、こうして苦悩はしない。
元々、人の機微には疎い方だ。出会って間もない彼女の行動心理を、あの僅かなやり取りだけで察しろというのは、なかなかに酷ではなかろうか。
・・・・・無事、だとは思うけど・・・・・
心に引っかかるという意味では、そっちの方が余程気がかりだった。
彼女の真意がどうあれ、俺のせいで彼女を傷つけてしまったのは変えようもない現実だ。それを、彼女が勝手にやった事だなどと、責任を押し付けるつもりはない。
そもそも、俺が醜態を晒さなければ彼女があんな風に傷つくこともなかったんだから。
唯一、ミッドナイトが彼女について特段言及しなかったのが、救いと言えば救いか。
「いま、何時だろ・・・・・」
なんとなしに視線をずらし、窓の外を見やる。
長いこと意識を失ってたのか、あたりはすっかり暗くなって星がよく見える。
山林と海に挟まれているとはいえ、雄英及び周辺の街は開発が進んでいる。だから、夜になったとしてもそうそう明かりが無くなることはない。・・・・・が、軒並み電気が落ちている様子を見るに、かなり遅い時間なんだろう。
消灯時間もとっくに過ぎてるから、病室内の光源はヘッドライトの僅かな光だけだ。
「時計は・・・・・・・あるわけないか」
病室には基本、時計は置かれない。どうしても必要なら、入院患者が家族なり友人なりに頼んで持ち込むしかない。
どうして時計が設置されないのかって理由を知ってる患者はそういない筈だ。なんなら、関係者である医者や看護師も意外と知らなかったりする。
前に“個性”の制御をポカって入院した時、面倒を見てくれた方々に実際に聞いてみたら、誰もハッキリ理解していなくて、返ってくる答えもバラバラだった。
一人は、コストがかかるから、と言っていた。
数十、数百とある病室全てに時計を一台ずつ配置してちゃ、そりゃあ出費も嵩むってもんだ。
時計本体の費用に加えて、電池代やら修理費やら、更には設置したりズレを修正したりする時間を考えれば、余計な人件費もかかる。その癖、置いたところで満たせるのは、患者のささやかな願望のみ。兎にも角にも、無駄が多すぎるのだ。
病院だって慈善事業でやってるわけじゃないし、無闇に金を出したくないってのはよく分かる。
ある看護婦は、盗難を起こさないため、とも言っていた。
世の中、ちょっとした小物程度なら持ち帰っても構わないだろう、なんて呑気に考える輩もいるらしく、そういった連中が盗んでくのを嫌って置いてないのだとか。
昔、施設の子供の誕生日にバイキングに連れて行かれた時、用意されていた使い切りのバターやらを大量に持ち帰っていた奥様方を見たことがあるから、この考えもあながち否定できない。
他にも、そもそも必要ないから、と言う人もいた。
検温やらリハビリやら採血やら、患者が入院中に済ませるべき事の大半は、医者達の方から勝手にやりに来てくれる。
いちいち時間を把握したところで、患者の方からどうこうすることなんてまず無い。
だったら、時間を確認する時計なんてあった所で、宝の持ち腐れだろう、という事だ。
こんな感じで、聞いた話には一貫性が無いし、どの説もそれなりに納得できるものだった。
だから最終的には、諸説ありっていう便利な謳い文句に落ち着くんだろう。
・・・・・ただ、個人的な考えを言うのなら、そもそも時間を確認する、という行為そのものが患者にとって悪影響なのではないか、と思う。
時間ってのは、老若男女関係なく流れていく。超常現象がこの跋扈する超人社会においても、その法則は絶対だ。
傷を負った彼らは、この白亜の城塞でそれを癒そうとやって来る。そこに、時間という普遍の摂理を突きつけてくる時計があっては、弱った心身を更に脆くしてしまう。
カチコチ、カチコチと。
古臭い秒針の音は、彼らに老いや不吉な未来の到来を想起させるだろう。
だから時計は置いていないんじゃ、なんて何度も入退院を繰り返した俺は思うのだが――
「・・・・・そんな事、どうだっていいだろ」
どん詰まった頭で、毒にも薬にもならない無益な思考が繰り返されてる。
時計が置かれてない理由なんて、真剣に考えたってどうするというのか。そんなの推測したって何の意味も無いし、現在時刻を知る術が降って湧いてくるわけでもない。
結局のところ、こんな益体も無い考察やら時間やらを気にしてるのは、答えの出てこない問題から逃避しているからだ。
関わりも無い事柄に意識を向けて、投げられた問いから目を背けてる。
不誠実な話だ。自分を心配してくれた人の気持ちが分からないからって、それを隅に押し込もうとしてる。
・・・・・でも、だからといってどうすればいいというのか。
ヒーロー志望である、もしくはクラスメイトだから、ていう理由以外に八百万が俺を押し留めようとした訳なんて思いつかない。
普通に考えたら、あり得る動機はその二つぐらいだろう。
逆に、それ以外にどんな理由があれば、命を張ってまで俺みたいな人間を助けようとするのか。
小学生に高校で初めて知る数式の回答を求めてるようなもんだ。
他人の心の内を覗ける様な“個性”を持ってる奴ならまだしも、俺には彼女が何を思ってあんな無茶をしでかしたのか、知る由もない。
「・・・・・復帰できたら、直接聞くか」
どっちみち、数日しないうちにまた学園で顔を合わせるのだ。
焦って答えを出さずとも、本人の口から聞かせてもらえばいい。
完全に思考放棄と言われても仕方ないが、どうにか勘弁してもらいたい。
治療を受けはしたが、まだ万全にはほど遠いのだ。
頭のてっぺんからつま先まで余さず痛むし、頭ん中は思いっきりかき混ぜられたみたいにぐらついてる。おかげで気分は悪いは吐き気もあるわで、とても考え事なんてしてられない。
今はとにかく、泥のように眠りたい。
・・・・・まあ、それも医者がやってくるまではお預けなんだが。
ミッドナイトたちが帰ってきたら、最低限の説明は聞かされるだろう。一度睡眠状態に入って、またすぐ起こされちゃ、眠気が散ってしまう。
ここは諦めて、この不快感に耐えるとしよう。
そうして。
ミッドナイトが退室してから、体感で三分ほど。
彼女が、白衣を纏った男を伴って戻ってきた。
「こんばんは、衛宮士郎くん。疲れているところを悪いけど、もう少し我慢してくれるかい?」
見たまんま白衣のドクターな男は、挨拶もそこそこに簡易的な検査を始めた。脈拍測定、瞳孔反射のチェック、簡単な受け答えなど。
検査を終え彼は『特に異常は無さそうだね』と呟き、次に俺の体がどうなったかの話に移した。
「君の傷ね、リカバリーガールに弱めの治癒をしてもらった後、刃での切創や刺創はこっちで傷口を縫い合わせてる」
想像通りだが、やっぱりリカバリーガールの“個性”で治癒してもらったようだ。あれだけ切り傷、刺し傷で埋め尽くされた体だ、普通の外科手術では傷を塞ぎきる前に体力切れだろう。
彼女の能力はあくまで自然治癒力の促進・活性化だから、一度に行使しすぎると対象は体力を消耗しすぎて逆に死ぬ恐れがある。だから彼女の治癒は瀕死から中等症まで持っていくにとどめて、後はここの医者たちがなんとかしてくれたらしい。
まあ、あの負傷具合を思い返せば、それでもかなり“個性”に頼ってはいるが。
「リカバリーガールが驚いていたよ。君を治療した時、他の人じゃあり得ないくらいに治癒されたって。よほど強い生命力の持ち主なんだろう」
そう言って、医者は笑う。
体質なのか相性なのか、昔からこの手の“個性”はよく効いた。どういった方向性であれ、治癒の類であれば通常の数倍の効果が現れるらしい。
そのおかげで何度も命を拾ってる。逆に、それが無ければ今までに何回死を迎えているか。
こんな体に産んでくれた、顔も名前も覚えていない両親には感謝している。
「まだ完治したわけじゃないから、今日明日は安静にね。それと、しばらくはリカバリーガールの治癒で徐々に傷を治してもらうから。退院自体は大人しくしていれば明後日には出来ると思うよ」
「はい、分かりました・・・・・お手数をおかけしてすみません」
頷く事は出来ないから、瞼を一度落とすことで、お辞儀の代わりにする。
礼に欠ける所作だが、彼もこちらの心情を汲んでくれたようで、『お大事に』と告げて退室していった。
俺とミッドナイトだけが、音の無い一室に残る。
「・・・・・そういうわけだから、今はゆっくり休んで。事件がどうなったかとかの詳しい話は明日してあげるから」
穏やかに告げて、ミッドナイトは微笑んだ。
少し前の会話で見せた怒りは一過性のものだったようで、今はその影もない。
俺もいい加減、目を開けてるのも辛くなってきたから、お言葉に甘えよう。
「そうさせてもらいます。付き添ってもらってありがとうございました。ミッドナイトもお気を付けて」
プロヒーロー、それもミッドナイトに夜道の注意なんて、仏さんに仏道を説くようなもんだが、それでも万が一ということもある。
特に、ミッドナイトは絶世とも言えるその美貌を、セクシーという表現が可愛らしく思えるほど際どい装束で彩っている姿で、世の人々の記憶に残る人物だ。
酔っ払いが魔が差してつい、なんて事もあるかもしれない。――もっとも、泣きを見ることになるのは高確率で手を出す側だろうが。
ともかく、身の安全には気をつけて欲しいと思い、立ち去る彼女にそう言って――
「え?帰らないわよ。今日明日は私があなたに付き添う事になってるから」
「―――はい?」
瞬間、脳が機能停止<フリーズ>。羅列された単語の意味を捉えかねる。
――帰らない。
――付き添い。
――今日明日は。
一秒のち、再起動。
告げられた言葉を咀嚼する。
――誰が――ミッドナイトが?
――誰に――俺に?
「つきっきりで看といてあげるから、安心して寝なさい」
「いや、待っ――づぁっ・・・・・!」
ようやく飲み込んだ内容に仰天して、跳ね起きてしまったのが良くなかった。微動する事すら出来なかった体が、無理矢理な挙動で大絶叫を挙げている。
ズキズキって感じの擬音じゃなく、こう、バキゴキ、みたいな?
簡潔に言って、凄まじくイテーのデス。
「そんなにびっくりしなくてもいいでしょうに。――ほら、ちゃんと横になって」
「・・・・・っ、すみません」
痛みで凝り固まった体をミッドナイトに支えられ、仰向けに戻る。
ポフン、という柔らかいベッドの感触を背中に感じつつも、まだ話は終わっていない、と彼女に視線を向ける。
「そ、それより!ミッドナイトが俺の付き添いって、一体どういうことですか!?」
「どういう事って、言葉通りよ。保護者の方はそう簡単に来られないし、あなた未成年だし。一人で入院生活は結構大変でしょ?」
だから私が保護者代わり、なんてあっけらかんと宣う我らが18禁ヒーロー。
・・・・・え、なに?俺が悪いのか、これは・・・・・?
心底不思議そうな顔で、何を当たり前な、みたいな視線を向けられてもどうしようもない。
あまりにも平然としてるから、こっちがおかしくて向こうが正しいのではないか、なんて思えてくる。そんな事あるわけないと思いたいが、こうも自然体でいられれば妙な疑問が鎌首をもたげてくる。
「・・・・・あの。お気持ちはありがたいんですけど、そこまで迷惑をかけるわけには・・・・・ミッドナイトも仕事があるだろうし・・・・・」
日付が変わってないなら今は水曜日で、次は木曜日になる。当然、祝日でもなければ振替休日でもない、至っていつも通りの平日である。
雄英も通常運営だし、ミッドナイトは教師なんだから出勤しなくちゃいけない。
教職の多忙さはよくよく耳にする。教壇に立って講義を行うだけでなく、授業資料の作成に生徒達の心的な教育など、彼ら教師の役割は様々だ。
深夜まで残って仕事をやっつける、なんて事はザラだっていう。
そんな大変な職に就くミッドナイトの貴重な時間を、俺なんかの為に使わせては駄目だ。
「それなら大丈夫よ。特別に有給もらってきたから。校長も、私がいた方がいいだろうって、許してくれたわ」
なるほど、有給か。
それなら仕事の心配をする必要も無いし、丸一日潰したところで誰に憚られることもない。
・・・・って。
「いやいやいやっ、余計に駄目ですよ!? 大事な休みなんですから、ちゃんと自分の為に使ってください!」
何がどう大丈夫だっていうのか。
ただでさえ忙しい教師の、年に十日かそこらしかない貰えない自由な休日を、担任でもない一生徒の付き添いに消費するなんて、気前が良いどころの話ではない。
彼女が俺に時間を割く必要は無いし、そうする理由もないはずだ。
「そうは言うけど、その体じゃ準備も何も出来ないじゃない」
「それはっ―――その通り、ですけど・・・・・」
反論しようとした言葉が、喉でつっかえる。困った事に、そこは否定出来ない。
おおよそ二日間程度の入院とはいえ、着替えやら日用品やらは準備しないといけない。そういった身の回りのものは基本、患者側で用意するもんだから、突発的に厄介になる事になった俺には、どうしたって持ち込めない。
衣服なんかは料金を払えば貸し出してくれるところもあるけど、それ以外ってなると難しい。
病院としても、未成年者だけよりは保護者がいた方が何かとスムーズにやれるだろう。
それに強がってみても、今のままじゃ俺一人でこなせることなんてほとんどない。一晩寝て、それでも碌に動けなかったら、飯を食う事すら出来ない。
ミッドナイトが同伴してくれるっていうんなら大助かりだし、願ったり叶ったりではある。
・・・・・でもなぁ。
その辺の諸々の事情を考慮しても、素直に頷き難いものがある。
冷静に考えてみてほしい。俺は今年で十六になる男子高校生で、ミッドナイトは一回り以上年上になる女教師。
そんな二人が同じ部屋で一夜を共にする・・・・・・・・字面から既に如何わしい気配を感じさせる。
この状況はどう考えても危うい。主に、
健全な青少年としましては、精神衛生上、実によろしくないわけでして、とても心穏やかに眠れそうにない。
ここはやはり、丁重にお帰り頂くのが、双方の最善になるのではなかろーか。
「やっぱり、俺一人でも大丈夫ですから―――」
気にせず帰宅してください。
そう、彼女に言おうとして。
――なんか、変な音が聞こえてきた。
言いかけた言葉を留めて、音の出所に視線を向ける。
ミッドナイトの腕。
手を掛けられる極薄のタイツ。
破られる。めくれてく。
ビリビリ。
「ちょっ、何やってんですか!?」
「いやね。士郎くんったら全然、諦めようとしないから、もうめんどくさいしいっそのこと強制的に眠って貰おうかなって」
「ひ、卑怯なっ・・・・・!」
トンデモねーこと言い出しやがるこの人。
話がつかないからって、相手の生徒が反論する間もなく寝かそうとするなんて、教師のやる事じゃない!
「それでもヒーローですか!?見損ないましたよミッドナイト!!」
「なに言ってるの。聞き分けの無いヴィラン相手に、呑気に駄弁ってるヒーローが何処にいるのよ」
「犯罪者扱い!?」
付き添いを断るのがそんなに駄目な事なのか。
有無を言わさず意識を奪われるほど、俺は悪い事をしたのか。
もしそうだと言うのなら、この国の倫理観は破綻しているって断言できる。
「士郎くん。ヒーローってのはね、時に無慈悲なものなのよ」
「今はその時じゃないでしょう!?」
「誤差よ、誤差。―――それより、もう“個性”発動してるんだけど、そんなに勢い良く喋ってていいの?」
「だぁー!嵌められたぁ!」
気付いた時には既に手遅れ。
前後が曖昧になって目の前の景色が溶けていく様は、まさしく微睡みに落ちる前兆。
夢の世界に直行、強制断崖絶壁ダイビングだ。命綱も、手頃な木もない。蹴り落とされたが最期、朝日が昇るまでは帰ってこれないのである。
・・・・・今夜の記憶、無くしてくんないかな・・・・・
脱力しきった寝顔やら寝相やらを教師に見られるなんて拷問、是非とも遠慮願いたい。
疲労で急に局所的な記憶障害とか起こってくれれば、明日、朝一番に羞恥で悶えずに済む。
・・・・・まあ、そんな限定的で都合の良い異常、起こるわけがない。
どのみち、とっくに彼女の眠り香を吸い込んでるから、いまさらどうにもできない。
というより、そもそもの消耗も相まって、もう目を開けてるのも辛い。さっさと寝たくて辛抱たまらないんだ。
諦めて、溺れるような眠りに身を委ねるほかない。
――せめて、だらしない顔だけは見せない事を祈って、意識を手放した。
どうも、他のゲームに現を抜かした上に、概ね完成したところでいきなり前半パート付け足してさらに3ヶ月投稿先延ばしにしたなんでさです。
今回の投稿、分かりやすく前後半になっているんですが、最初は病院で目覚める士郎パートだけで投稿の予定でした。ただ、それだと話として幅がなさすぎるというか、ほとんどワンシーンだけで一話ってのもどうなんだ? と思い始めたがために、ここまで遅くなりました。
最終的に、こちらの方が作者個人としましては納得出来るものではあったのですが、改めて士郎以外のパートになるとアホほど時間かけるな、ということを再認識いたしました。
果たして、以前の様なペースを多少なりとも取り戻せる様になるのか、なんとも自信の無い作者でございます。