放課後、応接間の一室に衛宮士郎の姿はあった。
腰掛ける備え付けのソファーは普段彼が座るような椅子に比べて遥かに上等で、柔らかく快適な座り心地にどうにも馴染めずにいた。
「――何で呼び出されたか、理由は分かってるか?」
室内には、彼の他にもう一人。
ヒーロー科一年A組担任教師、相澤消太が対面に座り自身が受け持つ生徒の応答を待っている。
「・・・・・・・・はい」
背筋に冷たいものを感じながら、士郎は短く答える。
放課後に呼び出しを食らっているのは説教の為だと、彼はよく分かっていた。何と答えるか、相澤もおおよそ予測していた。
聞く必要もない問いかけは単に確認の為で――同時に、士郎を言外に咎める為の言葉だった。
「俺が先生の指示を無視して勝手な行動をした挙げ句、色んな方にご迷惑をおかけしたから、です・・・・・」
先の一件で避難指示を受けたにもかかわらず、それを聞き入れずヴィランと戦い、その果てに教員や病院の人間の手を煩わせた。
若気の至りで済ませるには度を越した身勝手であり、その勝手を指導者たる相澤が見過ごすはずもない。
「少しズレてはいるが・・・・・まあ、概ねその通りだ」
返答に僅か齟齬を感じたようだが、相澤は士郎の言葉を肯定する。
「言うまでもないだろうが、お前はまだ学生の身で、”資格“未取得者だ。本来、ヴィラン相手に進んで戦って良い身分じゃない。――違うか?」
「・・・・・・いえ」
彼から返す言葉は無かった。
学生という身分なら、教師の言う事は基本的に聞くべきものだ。整列を求められれば素早く並び、教科書の内容を暗記しろと言われればマーカーを引く。
学校生活において担任教師とは直属の上司のようなもの。理不尽なものでなければ、その指示は実行出来るよう努めなければならない。それが彼ら自身の身体を保護するためなら尚の事。
何より、彼ら生徒は”プロヒーロー免許“を有していない。
資格を有さない者がプロの許可も無しに他者に対して“個性“を行使する事は違法行為だ。法治国家に属する以上、国が定めた規定は遵守する義務がある。
「例のワープヴィランに飛ばされた先で戦ったところまでは良い。避けようと思って避けれるものでもないし、正当防衛が認められる範疇だ。それについてはお前らを責めはしない。そもそもの話、俺たちがヴィランに一杯食わされてなきゃ、そんな真似させずに済んだ話だからな」
だが、と相澤は一拍を置く。
転移させられた先でヴィランと戦闘になった事に責められるところは無い。
しかしそれは、あくまで転移先での戦闘だけで――
「広場に向かって例の三人と戦った事については擁護できん。ゴロツキ共を制圧した後、大人しく避難していれば大怪我もせずに済んだ。――ま、これに関しちゃお前に限った話じゃないがな」
「・・・・・・・・・」
ヴィラン連合と名乗った集団の中枢、死柄木弔をはじめとする三名のヴィランに挑んだのは明らかに相澤の指示を無視した行動で、極めて無謀なものであった。
彼以外にも担任の言葉に反し同じ様な行動を取った者もいたが、士郎ほど直接的な戦闘を行ってはおらず、他は皆五体満足で済んでいる。
だから、呼び出されているのは彼だけなのだ。他の生徒がごく短時間の小競り合いや傍観に留まっていたのに対し、彼だけが本格的な戦闘行為を行なった。
罪の比重が偏るのは当然だろう。
「何度も言うが、USJの一件でお前達にお咎めは無い。お前たち生徒を危険な目に遭わせてしまったのは、こちらの責任だ。――でもな、その辺を抜きにしても、お前達の行動が誉められるもんじゃなかったって事は理解しておけ」
「・・・・・はい」
諭すような相澤に、士郎は神妙に頷く。
USJにおける自身の行動に後悔は無いが、規則を無価値と断じるほど開き直ってはいない。
仮に、先日の件で実際に罰せられたとしても、彼は処罰を甘んじて受け入れた。
――もっとも、それで改めようという気も、ほんの僅かなのだが。
「――ま、褒められた行動では無かったが、俺が助けられたのも事実だ」
突き刺す様な鋭い気配が和らぎ、相澤は一度瞼を閉じた。
二秒ほどそうした後、再び眼を見開き、それまで士郎が見たこともない真剣な表情を浮かべ――
「お前たちのこと――守ってやれなくて、済まなかった」
そう言って自らの教え子に向け、頭を下げた。
「や、やめてください! 先生は俺たちを守る為に戦ってくれたんですし、“あんな”化け物じみたヴィランを相手にできる人間なんてそうそういませんよ!」
担任の突然に過ぎる叩頭に、士郎は顔を青くする。
道理で言えば然るべき謝罪だったが、今回に限って言えば文字通り“相手が悪過ぎた”。
彼らが対峙した脳無というヴィランは誇張無しの怪物で、オールマイト以外に真っ向から戦い対抗できた者はいない。規格外そのものな存在であり、相対してなお生還できた事はただの偶然だ。
相澤は間違いなく全霊で挑み――単に、相手の方がより強大であっただけのこと。
本当なら、彼は逃げても良かった。
敵との実力差は一見して明らか。勝敗は見えていて、敗北は死を意味する。
生命の危機に直結する脅威を前にしては、プロヒーローであれ自己の生存を優先しても許されるべきだ。
――それでも、彼は戦い続けた。
当時の戦いにおいて、彼はただの一度も撤退の二文字を思い浮かべた事はない。
両腕を粉砕され、内臓に傷を負い、執拗に頭部を嬲られ続けて、なおも最後まで諦めず、瞳には闘志を灯したまま。
自らの責務を果たし、護るべきモノを護るため、彼は己が命を賭した。
最初から最後まで。彼というヒーローに恥入るところなど一つとして存在せず――そんな相澤を否定する真似を、たとえ本人であろうと彼は認めるわけにはいかなかった。
「先日の件は、禍根の残るようなものじゃ無かったし、みんなが無事に生き残れたのも先生方のおかげです。後生ですから、頭を上げてください」
「・・・・・何も、そこまで必死にならんでもいいだろう」
謝罪する自身に対して、逆に頭を下げそうな勢いの士郎の気配に、さしもの相澤も顔を上げざるを得なかった。
教師として生徒の安全を任されている彼からすれば、こんな言葉一つで許されるほど先日の事件は軽いものではないのだが、一番の被害を被った少年は必死の様で自身への謝意を拒んでいる。
当の被害者本人にこうまで頼まれては、聞き入れない方が却って無礼だろう。
「ほんと、勘弁してください。ただでさえ病院で根津校長に頭を下げさせてるのに、相澤先生にまでそんな事されたら、明日からどんな顔して先生方に会えばいいんですか」
「合わせる顔がないのは俺たちの方なんだが・・・・・・まあいい。お前がそこまで言うなら、この話は終わりにしよう」
早々に話を切り上げた相澤に、もういいのか、と士郎は拍子抜けする。もっとこってり絞られるものと身構えていたのだが、二、三のお小言で説教を済むとは思っていなかった。
そもそも、不思議というなら罰則を与えなかった事も不思議なのだ。
USJ襲撃による被害を防げなかった事を学園の責とするにしても、教師の指示を無視して勝手な戦闘行動を取った自分には、何かしらのペナルティはあるものと踏んでいた。
良くて反省文、悪ければ退学、除籍や停学が妥当、といった具合に覚悟は済ませていた。
それが、蓋を開けてみれば特にお咎め無しで、説教も最低限。随分、気を遣った処分だ。
「えっと・・・・・それじゃあ、俺への用事はこれで終わり、ですか・・・・・?」
肩透かしもいいところな呼び出しだったが、それで構わないというなら願ったり叶ったり。
士郎も、進んで叱られたいと思うほど、生真面目な性格はしていなかった。
夕飯の支度やこの二日間放置していた部屋の掃除だってある。帰れるのなら、早急に帰宅したいというのが本音だ。
「いや。説教とは別に、実はもう一つ話がある」
鞄に手をかけようとする士郎に、相澤は待ったをかける。
どうやら、説教だけでわざわざ放課後に残されたわけではないらしいが、これで終わりと考えていた士郎にとっては、思いもよらぬ返しだった。
「もう一つ、ですか・・・・・?」
「ああ。正味なところ、こっちが本題みたいなものでな。病み上がりに悪いが、もう少し付き合ってくれ」
「それは構いませんけど・・・・・・」
いったい、何を話そうというのか。
とりあえず、独断専行に対する叱責は終わり、一連の騒動に伴って発生した諸々については、昨日のうちに話を進めている。こうして呼び出されるほどの要件など、今の自身にはさらさらなく。
・・・・・なんて、な。
彼は心中で肩を竦め、直前まで羅列していた“候補”を除外する。
とぼけてみせたところで思い付く理由なんて一つしかない。襲撃の前と後で変わっている事で、彼の身に起きたモノ。その上で、呼び出されるほどの話の種といえば――
「話っていうのは、USJの広場前にある跡について、ですか?」
「・・・・・その様子だと、心当たりはあるようだな」
話が早くて助かる、と。まったく助かっていそうのない難しい顔で、相澤は詳細を話し始める。
「今朝の事だ。校長から、広場の前にえらく妙な痕があると聞いて実際に見に行ってみたんだが・・・・・確かに、おかしな痕跡だった」
早朝、負傷を押して復帰した相澤が挨拶もそこそこに手渡されたのが事件について纏められた資料で、彼の言う痕跡はその中でも一際目を惹くものだった。
「増強型が殴りつけたようには見えんし、かといった爆発があったと見るにも無理がある。――というよりも、あの場にいた誰であれ、その痕跡を残せそうになかった」
どう表現すればいいのか、何よりどうやって作られたのか、相澤は見当をつけられないでいる。
脳無の破壊によるものでも、オールマイトの尋常ならざる踏み込みによるものでも、戦闘の余波によるものでもない。雄英教員並びに生徒、さらには確認されているヴィラン達の“個性”では、およそ説明のつけられない不可解な傷跡。
「“抉られた”痕、とでも言えばいいのか。地面の一部が不自然に消失していたよ」
直線で約10m、横幅およそ3m、深さ10cm程の規模で地面が削られていたのだ。
窪んだ地面は巨大な生物が這いずった痕にも見えた。
その痕跡を表現する言葉として相澤が選んだのは、消失の一語。
「更に奇妙なことに、その痕っていうのが随分と綺麗な抉れ方をしててな。触れてみると粗さが全く感じられない上に、外力が加えられた様子も無い。大昔のコミックに、地面だろうと岩だろうと簡単に掘り進む道具が登場してたが、まさにあんな感じだ」
何らかの物体に外部から人力で力を加えて何かを壊せば、その痕は大抵歪なものになる。
理由は単純で、与える力が均等ではないからだ。何の技術も経験も無い人間が、全く同等の膂力を出力する事は極めて難しい。人間は緻密に組み立てられた機械ではないし、脳内で如何に正確な計算式を組み立てようと、実行する肉体の行使は当人の感覚に大きく左右される。
故に、USJに残されていた様な痕跡を作りたいのなら、コンピューターで制御された機械によるミクロ単位の精密な作業を行うしかない。――無論、これは純粋な人間の力のみで実現しようとした場合の話だ。
「今の時代、古今東西の不可思議な現象は“個性で”大概再現できる。だから、この可笑しな痕跡自体もそこまで不思議なものじゃない」
“個性”という、いま以って全容の解明できない超常現象であれば、人力でこの痕跡を生み出すことも出来るのだろう。
1-Aメンバーである芦戸三奈であれば、その肉体から生成する強力な酸を等量落とす事で類似した痕跡を残せる筈だ。同じく1-A生徒の青山優雅なら、腹部から照射するレーザーでより容易に同じ痕を刻み込めるだろう。
しかし、問題は再現可能か否かという点ではなく――
「不可解なのは、コンクリートの強度をスプーンでゼリーでも掬うみたいに削るなんて芸当が出来る人間は、当時の現場にはいなかったって事だ」
同じ結果を生み出せるかではなく、その時の状況でこの痕跡に結びつき得るかが焦点となる。
そして相澤の言う通り、襲撃時に条件を満たしていた人物は存在しない。――つまり、本来なら生まれようがないのだ、この痕跡は。
人力では再現できず、実現可能な”個性“の持ち主もおらず、
「――なのに。その痕跡を作ったのは衛宮―――お前だ、という生徒が何人もいる」
あり得ない話だった。
衛宮士郎の”個性“はあくまで刀剣を中心とした無生物の複製で、その特殊性を鑑みたとしても、件の痕跡を残せるとは到底考えられない。
だが、広場で繰り広げられた戦いの顛末を見ていた生徒は皆、やったのは衛宮士郎だと言う。
「話によれば、お前がナニかを弓で放って、それが例の痕跡を残した、と。今のところ、全員の証言が一致している――いったいどういうことか、説明してもらえるか?」
出来るはずのない人間が、起こし得ない現象を”個性“によって引き起こした。
ヒーロー養成所として特に”個性“を伸ばすことを目的とする教育機関である雄英が、“個性“絡みのこの謎を放置出来るはずがない。
故に、前置きこそ回りくどかったが、話はこの問いに帰着する。
――いったい、
◆
問いかける眼光の鋭さは、普段の三割増しといったところか。油断の無い眼が、虚偽も言い逃れも許さないと物語っている。
この気配では、洗いざらい吐き出すまで返してくれそうもない。
・・・・・当たり前、か。
自らが残した結果。
あの時、衛宮士郎が何を成したのか、その異常性も含めて分かっている。
全てを彼方へとやり過ごす霧を貫き、死なぬ怪物を葬る為に、俺は記憶の底からあの一振りを引き出した。
不完全な記録で構成され、有るべきものはなく、有るべきでないものが混じる粗悪品だったが、要求を叶えてくれるだけの能力は備えていた。
――即ち、敵対者を肉片すら残さず消滅させる、絶対的破壊の一撃。
あの剣の前ではどんな防備も役に立たない。如何なる抵抗も蹴散らして、二人の人間と一体のバケモノを殺し尽くす筈だった。
仕損じたのは、単に俺自身が相手の対応を見誤っただけの事。
――だが、逆を言えば。
アレは、中りさえすれば死なずの怪物をも屠る剣だという事で――そんな一撃、衛宮士郎には到底成し得るはずがないのだ。
「実のところを言えば――あの力について、俺自身もよく分かってないんです」
ヨクワカラナイモノを、ヨクワカラナイまま行使した。
事の顛末の真相は、そんな間抜けたものだ。
不明な点だらけで、当時の自分が何をしたのか、断言できる事は少なく――それ故に度し難い。
理解も無く、真髄も掴めずに剣を振るうなど、己の心を戦う相手と据える衛宮士郎には到底看過できない雑な体たらくだ。
辛うじて実用に耐えうるレベルまで再現できたのは、不幸中の幸いだった。
「だから、詳しく説明しろと言われても、今の俺には出来ません」
「・・・・・だが、お前は現にやってみせた。何かしら、感じるものはあるんじゃないか?」
不可能と主張する俺に先生は食い下がる。
個性を肉体の延長と捉えるのなら、行動による実感は文字通り身に染みたものになる。新たな能力を開花させてもそれは元の“個性”から派生した形であり、大枠から外れない。
その論でいけば、どんな力であれ一度でも発現させたなら一定の理解は生まれるはずで――それは、あながち間違ってない。
「・・・・・どんな原理で成り立っていて、本質が何処にあるかまではハッキリしません――けど、使ったモノの名前とその能力については、理解しています」
世界に刻まれた真名と、その真髄。
これらを理解していなかったなら、そもそもあの一振りを引き抜いてはいない。俺は当時の状況を打破する為の武器を求めて、それに応えられる力を行使した。
必然、あの剣がどんな存在なのか、僅かであれ把握している。
「今の俺に話せるのはその二つだけです。・・・・・それでも、構いませんか?」
「構わない。それだけ知れればひとまず十分だ」
要求に対して不十分な情報である事は間違いない。彼が――延いては雄英が知りたいのは、俺が何をしたかという以上に、どうやってその能力を用いたか、だろう。
手段も重要ではあるが、それは本命ではない。
真に謎を解明したいなら結果よりも成り立ちと本質こそが肝要だ。そこを紐解かない限り十全な理解には至らない。・・・・・いずれにせよ、現段階で提供できるのはいま言った二つだけなのだが。
「・・・・・剣の銘は、”カラドボルグ“。ケルト神話に描かれる、伝説の魔剣です」
「なに・・・・・?」
アイルランドに伝わる、古い物語群<アルスター・サイクル>。
神話に綴られたとある英雄が振るう一つの剣がある。硬い稲妻という意味を持ち、地平の果てまで無尽に延びる刀身で以って、三つの丘の頂を斬り裂くという伝説を残した。
その一振りこそカラドボルグ。怪物の絶殺に用いた、英雄の象徴。
「・・・・・神話というのは、何かの比喩か?」
「いえ。単なる事実です」
胡乱げな視線を向ける先生は、いかにも困惑した表情を浮かべていた。
それなりに歳を食って、真面目な話し合いに臨んでいる生徒がいきなり妄想癖を拗らせたような言葉を発すれば、怒りや呆れよりもまずは動揺が生まれるだろう。
普段から”イタイ“発言を繰り返しているような人間なら話は別だが、俺は今日まで至って常識的な態度で生活してきた。
こんな真面目な場で、巫山戯た真似をする人間だとは思われていないだろう、多分。
だからこそ、彼はあの剣の出典をただの喩えと捉え――しかし、現実は言葉通りのものである。
「俺の”個性“は、刀剣をはじめ現実にある物を記録し複製するものです。形や材質、構成だけを真似るんじゃありません。何の目的で製造されたか、どんな技法で鍛錬されたか、どういった道程を経てきたか。――その剣が経験した記憶や記録ごと複製するんです。だから――」
「――だから、例の力は神話の剣を模した複製だと?」
「少なくとも、俺はそう認識してます」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
先生は口を閉ざし、考え込むそぶりを見せる。
おそらく、俺の言葉を信じるか信じまいかを決めあぐねているのだろう。話の内容は荒唐無稽でも、“個性”が事実を保証している。俺も嘘は吐いていない。
受け入れるにはあまりに胡散臭い話でも、虚偽と断じるだけの要素も不足している。
少なくともこの話し合いでは、彼は提供された情報を前提としなくてはならない。
「・・・・・わかった。ひとまず、お前の言葉が事実だとして話を進めよう」
暫く無音であった先生は、徐に口を開きそう言った。
今は真偽の程より、実質的な効果の方が重要なのだろう。
「お前の言うとおり、そのカラドボルグ、というのが伝説上の武器だとして――ソレには、どんな能力が備わっている?」
「・・・・・前提として、俺が二日前に使ったのは、本来のカラドボルグに手を加えた改造品、だと思ってください」
再度の問いに、あらかじめ注釈を加えておく。
俺が引き出した彼の剣は、その構成がところどころ造り替えられた痕跡があった。おそらく、特定の性能に特化させるため以前の俺が見出した形状なのだろう。
故に、アレは贋作であるという以上に、本来のカタチから逸脱している。
その点については理解してもらわなければ、いらぬ誤解を生む。
「簡単に言うと、アレは空間ごと対象を穿つ徹甲弾です」
「・・・・・空間ごと、か」
「はい。射線上にある障害全てを空間もろとも貫くから、余波を受けた痕跡がその部分だけ消えたようになるんだと思います」
影響範囲内にあるものは、自らが存在する領域ごと抉られる。
そこには物理的な強度や硬度、耐久性も関係無い。どれほどの頑健さを誇る物質であろうと、空間というより上位の概念によって存在が許されているにすぎない。
目には見えない、人間には虚空としか捉えられない世界の境界にして土台。
あの一射を受けるという事は、この物理世界から消失するも同然なのだ。
「USJにいた連中が妙な感覚を覚えたと言っていたが、それもカラドボルグとやらが原因か?」
「妙な感覚、ですか?」
「何か、圧力のような、呑み込まれるような感覚だった、と聞いている」
「・・・・・ああ、なるほど」
一瞬、妙な感覚と聞いて内心首を傾げたが、次ぐ先生の言葉で得心が行った。
彼らにとっては、確かに不可思議な体験だったろう。おそらくそれは、彼らが今までに感じたこともないような気配だったんだから。ハッキリとしない曖昧な表現が出てきても、仕方のない事だ。
・・・・・でもこれ、先生にどう伝えればいいんだ・・・・・?
言語化は、まあ出来なくはない。ほとんど感性頼りのニュアンスしか言えないが、一応の説明は可能だ。
ただ、個々人の感じ方次第で捉え方はどうとでも変わるし、あの剣の気配を感じ取った面々と同じ体験をして、それでも何一つ影響を自覚しない人間も中にはいるだろう。
相澤先生がその手の人種だったなら、理解させるのは難しい。
「感じ方の話なんで、説明が難しいんですけど・・・・・そうですね、実際に見てもらった方が早いと思います」
おそらく、これが一番手っ取り早い。
剣が纏う気配を感じ取れるなら、実際に見て触れれば否応なく理解できるはずだ。
それで何も感じないのなら、どんなに言葉で説明しようともむだだ。
「実際にって・・・・・大丈夫なのか? お前の異常な不調、その力を使ったからだと、ミッドナイトは推測してたが・・・・・」
「精度次第、ですね。前回も杜撰な出来でしたけど、今回は更に希薄な作りにするんで、多分大丈夫です」
無謀な行使の上、正体の分からない力に手を出した結果、碌に制御も出来ず力に呑まれた。今までにない不調は、理解の及ばないモノを無理矢理に引き出したせいだ。
けど今は、曲がりなりにも一度は投影に成功してその在りようも多少は理解できた。
ほんの僅かな力だけを再現し、構成の大部分を削ぎ落としたガワだけなら、リスク無しに投影できるだろう。
・・・・・やれる筈だ。
刃に埋められた身体が脳裏を過ぎったが、それも一瞬の事。
懐疑を押し留め、自己に埋没し“個性”を行使する。
手を掛けるは未だ全容の見えない未知領域<アンノウン>。今の自分では、決して全て担う事を許されないチカラの奔流から、一滴の雫を掬い上げるために一指を差し入れる。
融合炉に身一つで挑むようなものだ。僅かでも制御を誤れば原型も留めず死に絶える。
慎重に、慎重に。己の背骨に焼けた鉄芯を通すかのように、身体中隅々までか細い神経を通すかのように。
記憶の底より、彼の伝承を再現する。
「――――投影、完了<トレース・オフ>」
両腕に感じる微かな重みに閉じていた瞳を開き手の中を見やる。
そこに見えるは、金と蒼に彩られた柄が美しい一振りの剣。誰もが目を惹かれる特殊に過ぎる捻れた刀身は、記憶に新しい。
ケルト神話が誇る勇士、フェルグス・マック・ロイが担った伝説の魔剣――その廉価版だ。
「・・・・・・随分、変わった形の剣だな。それが、例の――」
「偽・螺旋剣<カラドボルグ>。
「手に取ってみても構わないか?」
「どうぞ。好きなように検めてください」
見た目に反して
自分の手から剣が離れても持っていた時と腕に感じる重みがほとんど変わらず、我ながら上手く
「これは・・・・・・・・・」
検分に取り掛かる直前、受け取った剣を両手に収めた先生が息を呑んだ。
普段、気怠げに細められている瞼は見開かれ、多くの不測の事態に対応してきたはずの彼が、僅かながらに動揺の色を滲ませている。
その様子を見れば、彼がどちら側の人間かは明らかだった。
「・・・・・・衛宮。
「手を抜いた分、希薄にはなってますけど。多分こいつが原因だと思います」
多分と前置いたのは、確信が持てないから。
そもそも、俺は彼らの言う未知の感覚など感じなかったし、その根源がこの剣なのかどうか、判断ができない。
よしんば、それがこの剣から発せられたものだったとして、それに共感する事も出来ない。
俺は剣を生み出した側の人間で、一時的にとはいえ“担い手”としてアレを手にしていた。違和感を感じた彼らと違い、俺が感じたのは長年握り続けてきた得物を手にしたかの様な馴染み深さだ。
だから、俺が彼らに示せるのは理解だけ。もし、担い手ならざる人間が発動された剣の真髄の余波を受けたなら、それを不可思議なモノだと捉えるだろうという、想像だけだ。
「コレは、いったいなんなんだ・・・・・・?」
惹き込まれたように視線を剣から離せないまま、戸惑った声で先生が問いを零す。意図して声に出したというより、心中の疑問を解消出来ず無意識のうちに口にした様な感じだ。
アレを直に触れて間近で視界に収めたなら、半ば我を失ってもおかしくはない。
そして、そんな魔的ともいえる影響力を持っているからこそ、耐性も馴染みもない人間が、アレを長く持ち視界に収める事は危険極まりない。
「先生。ひとまずこっちを見てください。ソレも、俺が預かりますから」
返答を待たず、ほとんどぶんどる形で先生から剣をひったくる。
限界まで削ぎ落としたとはいえ、先生の感性を確かめる為にある程度の再現はしてある。あんな粗悪品でも、まじまじと覗き込むのは彼の精神に悪い。
「今のは・・・・・」
「コイツが持つ
「・・・・・・・・・・・・そうか」
いくらか俯き気味だけど、声色は落ち着いてる。混乱からすぐさま平静を取り戻すのは、流石のプロか。
もちろん、剣に魂を持っていかれる、なんて事にもなってない。
「・・・・・・他の連中の言ってた事が、なんとなく解ったよ」
「すみません。先に一言、言っておくべきでした。」
「いや、いい検証になった。今の感覚は、遠巻きに眺めてるだけでは分からんだろう」
「そ、そうですか」
あっけらかんとした物言いに、流石に面食らう。
先生は自覚してないんだろうけど、あのまま長時間放置してたら精神が塗り潰されてもおかしくはなかった。
そんな体験を時短扱いとは、効率を重視する彼らしいといえばらしいけど、それにしたって合理に偏りすぎではないだろうか。
剣の影響以前に変なところで人間性を失っていないか心配になる。
「――しかし。結局のところ、アレはどういう原理なんだ」
我を取り戻したところで、先生が疑問を口にする。
今ので謎の感覚の出処こそハッキリとしたが、その正体についてまで推察する事は流石のプロヒーローでも難しい――というより、不可能か。
コレは、”個性”なんて超常現象に慣れきって科学技術を飛躍的に発展させた現代文明にあってなお、いまだ人智の及ばない“神秘”だ。
相澤先生みたいな、所謂オカルトに無縁そうな人には特に縁遠い世界だろう。――とはいえ、これからそのほとんど無縁な世界を理解してもらわないといけないんだが。
「相澤先生は、初詣なんかには行ったりしますか?」
馬鹿正直に原理を解説したって、先生にはしっくりとこないだろう。なんせ、具体性も無ければ科学的な理論も介在しない、五感よりも六感に訴えかける類のものだ。
あれこれ言葉を増やして余計に混乱させるることはない。自分が思いつく限りの近しい例で説明するとしよう。
「なんだ、藪から棒に・・・・・・まあ、日本人だからな。学生の時分までは何度か参拝してたが」
「その時、境内で神聖さや厳かさを感じた事はありませんか?」
「仮にも宗教施設、多少は感化されることもある。・・・・・・それが、さっきの話に何か関係があるのか」
あまりに唐突で突拍子も無い質問だったからか、先生が訝しげに聞き返してきたが、関係大有りだ。むしろ、それが本質と言ってもいい。
「その神聖さや厳かさをより色濃くしたのが、先生がこの剣から感じたモノです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
相澤先生の眉間に皺が増える。今の説明では解りづらかっただろうか。
あまり端折らず、もう少し具体的な言葉で説明した方がいいみたいだ。
「えっと、オーラなんて言われるものがあるんですけど、ご存知ですか?」
「流石に、それくらいは知ってる」
聞いたこともない、なんて言われても困るから、ちゃんと知っていたようで助かった。
その言葉の意味をイメージだけでも掴めているなら、説明はしやすい。
「ああいうのって、それが積み重ねてきた時間や歴史、持っている気配や見えないエネルギーが重みになって感じ取れるものなんです」
先に挙げた例えは、一つの典型だ。
神社とは文字通り神の棲まう社であり、その玉体が収められる場は神域と化す。神力は隅々まで行き渡り、境内にある物は小石一つでさえ神聖さを帯び、不浄の存在は赦されない。
俗世と隔てる鳥居、主たる神が通る参道、信者が参る拝殿、信仰がひとところに集まる荘厳な本殿、それら全てが訪れた者に影響し、見えない心に畏れと敬いを生じさせるのだ。
「この剣も似たようなものです。内に秘めた力、培った年月、人々から向けられる信仰。そういうモノが合わさって、ある種の重圧になってるんです」
「・・・・・とんだオカルトだな。とてもじゃないが信じられん―――普段の俺なら、そう言ってるんだろうな」
そう言った相澤先生はチラリ、と俺の手にある剣を見るも、すぐに視線をずらした。さっきみたいな放心状態になる事を厭ってだろう。
「・・・・・・脇に逸れたな。この話について、今はとりあえず置いておこう」
おそらく、判断に窮したか。
否定するには、理解が足りない。分析するにも、材料が足りない。考慮に値しないと、放置する事も出来ない。
だから、保留。
一人で消化するには余りにも突飛な現象を把握する時間が必要なんだろう。
「質問を続けるが、そのカラドボルグは以前から使える力だったのか?」
「いえ。あの瞬間までは使えませんでした・・・・・・正確に言えば、存在を把握していなかった、ですけど」
使えたかと聞かれれば、確かに使えはしたのだろう。曲がりなりにも自分の中に記録されているものだ。やろうと思えばやってやれない事はない。
しかし、アレは忘却してしまった記憶の中から探り当てたものだ。
仮に、以前の衛宮士郎が完璧にあの剣を複製する事が出来たのだとしても、何もかも忘れて存在する事すら知りもしなかった俺には、どのみち扱える代物じゃなかった。
「把握していなかった・・・・・・それはつまり、お前は剣の力を知らなかったって事だな? 使えばどうなるか知らなかった――そういう事だな?」
確認の言葉は、どこか願望が混じっているように聞こえた。
そうなのだろう、という断定ではなく、そうであってくれ、という切願。
けど、それは――
「いえ。引き出した時から――もっと言えば、アレを見つけた瞬間から、そのチカラがどんなものか、俺は理解していました」
そうだ。俺は正しく認識していた。
ソレが、空間をも抉り貫く事も、放てば常人の眼には捉えられない速度を出す事も、放置すれば力尽きるまで射線上の全てを破壊していく事も。
能力も扱い方も、理解していたからこそ選んだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
返答を受けて、先生は暫く押し黙った。
数十秒か、それとも一分ほどか。こうして向き合って会話をする場では不釣り合いなほど、長い沈黙だった。
「・・・・・理解していた、と。そう言ったな、衛宮」
ややあって、先生は沈黙を破った。
上げられた瞼の奥に見える眼は、心なしか鋭さを増していて――
「それならお前は、あの剣を使えばどんな結果を招くか――それも、理解していたのか?」
「――――――」
――その眼光そのものな鋭さで、そう、衛宮士郎を問い詰めた。
「お前が使った剣の残した破壊痕は相当なものだ。戦車の主砲だってアレには及ばんだろう。ソレを――防ぐ事も避ける事もままならないそんな威力の一撃を人間相手に使えばどうなるか、それを解った上で使ったと、そういうんだな」
彼はあくまで問いを明言しない。ただ事実を羅列し、俺の言葉を待っている。
それは、俺に対する評価か。
防ぐ手立ての無い絶大な火力を人に向ける――そんな火を見るより明らかな結果を望んで選びはしないと、そう捉えていたのかもしれない。
或いは、そんなことにすら考えが回らないくらい視野の狭いやつだと思われていたのかも。
いずれにせよ、俺が告げるべきは変わらず――
「あの一撃を放てば、あの三人の命を奪い得る、と。――この剣なら連中を
足止めするでも、捕えるでも、気絶させるでもなく。その命を奪うために射った。
逡巡や迷いは無かった。
奴らを止めるにはそれしか無いと、奴らはここで殺さねばならないと。
半分は客觀的な分析で、半分は直感で。自らの理性と本能は、共に同じ判断を下した。
「――お前は、自分が何を言っているか分かってるのか」
底冷えしそうな声が発せられたのは、答えを口にした直後だった。
「自身の意思で、それもなんの権限もないただの学生が他者の命を害する――それは、明確な殺人行為だぞ」
殺人。他者の命を奪い、その存在の全てを否定する行為。
それがどれだけ愚かで罪深いものか、法治国家に生きる人間なら誰もが理解しているだろう。
命を奪う行為は、何処の国でも最も嫌悪される重罪だ。盗みや傷害なんかとは程度が違う。それらはまだ補填が利く、やり直しができる。盗まれたものは取り返してやればいい。傷つけられた身体はいくらでも取り繕える。
けど命が失われれば、それはもう二度と取り返しがつかない。どんなに身体を修復してやっても、どれだけの“個性”に縋ろうとも、命の灯火が消されればそれまでなのだから。
だから、法的に違法だっていう以上に、人命ってものは何より尊重しなくてはならない。
――たとえそれが、人の命をなんとも思わないような外道下衆だったとしても、だ。
「脳無については、まだいい。何らかの方法で死体が動いているだけと判断していた以上、お前に殺意はなかったと判断できる。だが、それ以外の二人は間違いなく生きた人間だった。――それをお前は、殺そうとしたっていうのか」
先生の眼は鋭いどころか、もはやこちらを睨みつけるものになっていた。
自分が受け持つ生徒が発した言葉と思考を、決して認められないと弾劾するかのように、静かに怒りを湛えている。
「――はい。その通りです」
返す言葉に震えはない。
嘘偽り無く事実を伝えた。隠す必要もなければ、誤魔化す気も無かった。
あの日、あの瞬間。俺は確かに、あの三人を殺そうとした。その事実に変わりは無い。
「・・・・・・・・・・何故だ」
間を置いての問いは短く、それが何を意味するか分からなくて、次ぐ言葉を待つしかなかった。
「お前は、ヴィランだからといって無闇に命を奪うような真似はしないはずだ。実際、ドームと広場でお前が相手にした下っ端連中は重傷を負いはすれ、命に別状もなければ後遺症が残った奴もいない。――なのに、あの三人にだけは明確な殺意を向けた。奴らと他の連中で、何が違う?」
確かに、あの三人以外は命まで奪おうとはしていない。死なない程度に串刺しにして自由を奪った程度。時間が無くて雑に蹴散らした奴らも殺さないようには狙いをつけた。
今頃は全員、警察病院で元気に呻き声でも上げてるだろう。
連中が中核の三人と違って容易い相手だったからそうできたというだけではあるけど、それはただ戦力差の話だ。
俺が奴らを殺そうと決めたのは、あの男が口にした言葉にある。
「・・・・・あの時、死柄木は言ってました。
それはつまり、奴らは諦める気など毛頭無いと言う事で――
「あいつらは、成功するまで同じ様な事を仕出かすつもりです。オールマイトを殺そうとして、その度に誰かを巻き添えにする。――そんな巫山戯た真似は見過ごせない」
口にしながら、思わず拳に力が入る。
奴らという脅威を野放しにするわけにはいかなかった。動機や思想、その見境の無さも無視出来ないけど、何より連中には脳無という化け物がいる。
今回、オールマイト殺しの巻き添えを喰ったのは比較的人口が少なくさらには各々が一定の戦闘力を持つヒーロー科の人間だったが、次の決行が市民を巻き込まない保障なんて何処にも無い。
プロが手も足も出ず、オールマイトも圧倒できない造られた殺戮人形。そんなものが街中に――それこそ、人口が集中する都市部に放たれたらどうなるか。・・・・・想像するだけでもゾッとする。
脳無が人工的に生み出されたものなら、“量産“は不可能じゃない。最低でもアレと同等以上の個体を連中は複数保有していると考えるべきだ。それこそ、今度はもっと多くの脳無を引き連れてくる可能性だってある。
「・・・・・分かってる筈だぞ、衛宮。どれほど正しい道理があろうと、法の許しも権限も与えられていない人間に“ソレ” は認められん。俺たちみたいな人間にだって、その手は最終手段だ」
さっき言っていた通りだ。
国っていう集団に居座ってる以上、意図して人を殺した罪は極めて重い。
たった一つしかない命というモノを奪う行為は、相手が誰であれ決して許されるものじゃない。
「もし本当に連中を仕留めていたら、その罪はお前自身の命で贖う事になっていたかもしれないんだぞ。目標を達成する前に人生を棒に振る気か?――二度と、下手な真似はするな」
彼が口にした言葉は警告や諫言というより、忠告としての色合いが強いように聞こえた。
下手な真似。
それはつまり、法に触れる不心得を咎めてるんじゃなくて、そんな事で命を張る選択をした愚かしさを言ってるんだろう。
・・・・・確かに、命は惜しい。
まだやるべき事も、叶えたい理想も、何一つ果たしていない。道半ばどころか、スタート地点にさえ立てず死ぬなんてのはまっぴらだ。でも――
「――いや。それは順序が違いますよ、先生」
「なに・・・・・・?」
市民であれ悪党であれ、その命を他人が奪う事は許されず、法に反すればその罪は自身に還ってくる。
その道理に揺るぎは無く、どんな理由があっても正当性は持ち得ない。――でも、そんなのは些細な事だ。
あの場でヒーロー志望が――正義の味方を目指す者が真に憂慮し避けなくてはならない事は、法を遵守する事でも、自分の死でもない。
「あの時の俺が何より優先すべきだったのは、誰かが傷つけられる可能性を潰す事です。――俺に与えられる罰なんて、重要じゃありません」
少し考えれば分かる事だ。
奴らを逃せば、多くの人々が傷つく。奴らを殺せていたなら、あの三人と俺一人の命で、大勢の人間を脅威から守れる。
単純な計算の話だ。市民も悪党も命の価値は同じだというなら、より多くを残せる選択をすべきだ。
「勿論、市民もヴィランも死なせずに終わらせるのが一番だって事は、よくわかってるんです。けど――」
俺にもっと力があれば――それこそ、オールマイトのような絶対的な力があれば、誰一人死なせる事なく、争いを収めることも出来るのかもしれない。
けれど、衛宮士郎の力なんてちっぽけなもので、強大な力を人々を苦しめるためだけに使うような人間には、加減なんてしてやれない。息の根を止める事でしか、人々を守る事はできない。
それがひどく歪で、自分が最も嫌っている類の思考なのだとしても。奴らという悪<イチ>を切り捨て人々の平穏を守る事が、当時の俺に選び得た“次善”だった。だから――
「殺す事<ソレ>が、みんなを救う道に繋がるのなら――俺がこの手で、殺します」
改まって口にするまでもない。
命を奪われる覚悟。命を奪う覚悟。命を背負う覚悟。――そんなものは信念なんて呼ぶべくもない、戦うと決めた人間なら最初から持っておくべき前提だ。
剣を執った以上、そんな事実はとっくに受け入れている。
「法どうこうっていうのだって同じです。仮に奴らを殺せていたとして――それで警察に捕まえられて裁かれるっていうんなら、俺は大人しく罰を受けますよ」
俺の行動や思考が、国家の治安に真っ向から喧嘩を売るものだっていう事も理解している。
自分には何の権利も資格も無い。ヴィランが相手であろうと、彼らを傷つけ命を奪う事など許されない。そう理解した上で、尚も曲げられない。
だからこそ、曲げられない以上はその責任は果たす。
「――その結果、殺した者の知人から恨まれ、守った人々から人殺しと後ろ指を指されてもか?」
暫し沈黙していた先生が、見定めるような眼でそう問いかけた。
それは、他者を殺すという行為には必ず付き纏う煩悶で、ヒーローも市民も問わず大抵の人は抱え込みたくない現実なんだろう。それが、他者を傷つけ、他者の命を奪うという事の重みで、
――故に、返答は一切の躊躇なく。
「――たとえ、世界中の人間に疎まれたとしても。俺は自分の信じる道を――“正義の味方”を、張り続けます」
遠い昔に誓った理想は変わらず。かつて見た笑みは、今もこの胸に。
どれだけ批判されようと、どれだけ罪を重ねようと、折れることなど出来はしない。
一人でも多くの人を救う為に、衛宮士郎は最後まで剣を振るい続ける。
◆
「待って、衛宮くん」
夕暮れ時の校舎に、少年の声が響く。大きな声では無かったが、人の行き交いが途絶えた廊下では僅かな声量でもよく耳に届いた。
「あれ、緑谷か?」
衛宮士郎は声の方向へと振り向き、その先にあった姿に驚く。
相手は彼と同じ組のクラスメイトで、今日この日に友人となったばかりの緑谷出久だった。
「どうしたんだよ、こんな時間に。何か用事でもあったのか?」
彼らが向き合う廊下は暗い。四月の中頃とはいえ、夕方にもなれば日は月とその位置を入れ替え始めている。
授業は既に終わり、生徒はとっくに帰宅しているべき時間だ。おまけに、士郎は放課後に担任教師からの呼び出しを受けていて、話を終え彼が解放されたのは五時半過ぎた頃。
そんな時間まで帰宅もせず校内に残っていたという事は、出久もまた何かしらの用があったと思われた。
「ううん。特に用事があったわけじゃなくて・・・・・むしろ、これからあるっていうか・・・・・・」
「?」
ハッキリとしない物言いだった。
出久が多少ばかり内気な性格である事を士郎も承知していたが、見知った相手に吃るほど根暗な人間でない事は士郎も知っている。
いったい何が理由でこうなっているのか、彼には見当もつかなかったが、ともあれ。
「何が言いたいのか分からないけど、とりあえず用があるのは俺に対して、て事でいいか?」
「あ、うん。そうなんだ。衛宮くんに話があって・・・・・よくわかったね」
「わからいでか」
何が言いたかったのか、何の用があるかまでは与り知らない事だが、何の用事も無く遅くまで残って彼に声をかけたのだ。九分九厘、用があるのは士郎に対してだろう。
「それで、どういう用件なんだ? 長いこと待たせてたみたいだし、急ぎの用か?」
ちょっとした事なら、何も今日中に済ませる必要はない。明日、時間のある時にでも訪ねてくればいいい。それをわざわざ終業から一時間以上も待っていたのだ、それなりに急を要する内容なのだろう。
「えっと・・・・・実は、そこまで急いでるってわけじゃないんだ」
「急いでないって・・・・・それなら、なんでまた今日に拘ったんだ?」
さぞ火急の用件なんだろうと思っていた士郎は頭を捻る。
いつでも果たせる用事のために下校時刻を過ぎた校舎に残って、いつ来るかもわからないクラスメイトを待っていたなど、中々に異常だ。
「急いではないんだけど、なんていうか・・・・・その、出来ればすぐに話したくて・・・・・」
「・・・・・なるほど」
必要に駆られてではなく、出久の個人的な感情で士郎と早急に話をしたかったらしい。だから、遅くなる事も承知で彼は士郎を待っていた。
長時間拘束されていた人間をまたすぐに引き止めるのは配慮に欠けると言えるが、お目当てである当の本人は特に気にした様子もない。知りたい事をすぐに知れずにやきもきする気持ちは、士郎にも覚えがあった。
今は彼もこれといった所用も無い。後一回、話に付き合う時間はある。ただ――
「話をするのは構わないけど、時間はいいのか? あんまり帰りが遅いと家の人も心配するだろ」
一言二言で済むのなら問題は無いが、つい今しがた士郎が追えてきた説教のように一時間以上もかかれば家ではとっくに夕飯時だ。
断りも入れず道草を食って帰りが遅くなれば、彼の母親が用意してくれるであろうせっかくの手料理も冷め切ってしまう。
ご家族の許可も無しにそれは、流石に親不孝が過ぎるだろう。
「それなら大丈夫。家には遅くなるからって連絡してあるから」
「ん、そうか」
基本、出久は真面目な性格の生徒だ。その辺りの根回しは抜かりないらしい。
この分なら、彼の保護者に要らぬ心労をかける事はないだろう。もっとも、
「あらかじめ断りを入れてたって事は、それなりの長話みたいだな」
「どう、かな。そこまでは考えてなかったや」
士郎の確認に出久は苦笑するが、同時にその雰囲気はどこか真剣さを伺わせた。どうやら、その話というのは出久にとっては重要なものらしい。
そうなると立ち話は不釣り合いだ。何処かに腰を据えて、落ち着いて話したほうがいいだろう。
しかし、それを学校でやるわけにもいかない。既に授業時間を終えた生徒がいつまでも校内に残っていては迷惑になる。
かといって街に出て適当な飲食店に入るには時間が悪い。この時間の間食は晩飯時の腹具合に影響する。となると――
「なら、話がてらうちで飯でも食っていくか? 俺のとこなら落ち着いて話せるし、時間も気兼ねしなくて済むぞ」
諸々考慮した上で、士郎はそう提案していた。
“個性”の保有が当然になりその性質が一つのステータスとなったこの時代、雄英に入学するまで出久は“無個性”であったが故に良好な人間関係を築けないまま人生を送ってきた。
親しい友人など幼稚園以降できた試しもなく、幼馴染に当たる爆豪勝己はむしろ彼の劣等感を象徴するような人物だ。
だから、友人の家にお邪魔する事など本当に久しぶりの事で、ましてや夕飯に誘われるなど初めての事だった。
士郎の提案にテンパって半ば勢いで頷いてしまった出久は、士郎の後をついて彼の借りるアパートの部屋前に案内された。
それから五分ほど、二日間部屋を空けていたから軽く掃除してくると言った士郎を、改めて母親に連絡し事情を説明するなどして待っている。
・・・・・なんか、思わず頷いちゃったけど、ほんとに良かったのかな・・・・・。
電話も終え友人の呼びかけを待つ出久は、いまさらながらにお招きに乗ってしまって良かったのか煩悶する。
士郎が二日間もこの部屋に帰らなかったのは、偏にヴィランの襲撃時に負った傷による入院が原因で、話によれば退院は今朝早くの事だ。
出久は、病み上がりな上に色々とドタバタしてる彼に要らぬ負担をかけてしまったのでは、と内心気が気ではなかった。
「悪い、待たせた。もう入っていいぞ」
「は、はいっ! お邪魔します!」
やっぱり、今からでも士郎に謝ってお暇しようか、などと考えてるうちに扉が開かれ、士郎が顔を出した。
緊張気味な出久は、なんでもないはずの友人の登場に心臓を跳ね上がらせ、不自然なくらい気合のこもった返事で部屋に足を踏み入れる。
室内はいかにもお値段低めなアパートの一室で、どこか古めかしく飾り気の無い部屋だった。
「急いでたからちょっと散らかってるかもしれないけど、適当に寛いでてくれ」
「あ、うん。それじゃ、お言葉に甘えて」
士郎に促されるまま座布団の上に腰を下ろす。見たところ普段使いしている感じではなく、来客用か予備のものを引っ張り出してきたようだ。間違いなく先ほどの軽い掃除中に用意したものだろう。
・・・・・家事をやってるって聞いてたけど、すごいしっかりしてるなぁ。
ネクタイを緩めながら、そんな事を考える。
男子学生の一人暮らし部屋といえば散らかっているものというイメージを持っていたが、この部屋は隅々まで掃除が行き届いている。床に小物が散乱してもいなければ、ゴミが放置されてもいない。
およそ不衛生という言葉とは永遠に縁が無さそうだ。――だからだろうか、出久は暫く部屋の中を見回しているうちに、ある違和感に気づいた。
・・・・・この部屋、もしかして物が少ない?
机、テーブル、箪笥。
その手の必需品を除けば、士郎自身の私物らしきものの影が一つも見当たらない。
出久で言えば、彼の部屋にはオールマイト関連のグッズが至る所に飾られているが、この部屋の景色はその正反対。室内にある物は全て生活に必要な物で占められている。
人が住む部屋にあって然るべき個々人の“色”というべきものがこの部屋には皆無だった。
・・・・・なんか、殺風景だな。
この部屋に対する出久の忌憚ない感想だった。些か無神経な評価だが、それだけこの部屋は飾りっ気が無い。
いくつか見て取れる生活感が無ければ、ここを倉庫だと説明されても出久は信じただろう。
もっとも、その生活感ですらよく行き届いた手入れのせいで微かになっているのだが。
「粗茶ですが、どうぞ」
「ご、ご丁寧に、ありがとうございます」
暫くの間、そわそわと落ち着き無く部屋の中を見回していたところ。ス、と丁寧に差し出されたお茶に、出久も釣られて堅苦しい返しをしてしまった。
それがどうにもぎこちなかったからか、士郎はそんな出久の様子に苦笑する。
「緑谷はお客様の立場なんだから、そんなに畏まらなくてもいいんだぞ」
そう言って士郎は盆を下げてまた台所に戻っていく。
目の前には、湯気を立ち昇らせる湯呑み。ポツンと置かれたその中身は、透き通る淡い萌黄色の緑茶だった。
「えっと・・・・・いただきます」
出久は数秒ほどその美しい色合いを眺めていたが、やがて意を決したように――何を覚悟したのかは分からないが――湯呑みを掴み茶を一口啜る。
「・・・・・っ!」
淹れたばかりのお茶は温かく、しかし痛みを覚える様な熱さはない。渋みや苦味は感じられず、強く、しかし自然な甘味と旨みが口内を満たした。鼻に抜ける香りも爽やかでそれが実に心地いい。
「衛宮くん、このお茶、すごく美味しいよ!」
一口飲み終え、ほぅ、と息を吐いたのも束の間、これまで飲んできた茶の味わいとのあまりの違いに、出久は思わず士郎へと感嘆を伝えていた。
出久自身、お茶というものにそこまで強い拘りや知識があるわけではないが、だからこそこの一杯には感動を覚えた。
「それ、一番茶って言ってな。四月から五月くらいに摘まれるやつなんだけど、一年のうち最初に収穫される茶葉で特に甘味が強いんだ」
「へぇ。茶葉って収穫する時期ごとに種類があるんだね」
「季節ごとで芽の硬さとかも違うからな。当然、新しくて柔らかいやつほど甘くなる。で、一番茶はその名の通り、茶の芽が顔を出したばかりの一番やらかいものを使ってるってわけだ」
茶葉は一年を通して四回ほどの収穫時期があり、その一度目となるのが四月から五月にあたる。
甘味の素となるテアニンという成分は日光に当たることで苦味成分のカテキンに変化するのだが、一番茶は芽を出してすぐに茶摘みが始まるため日照時間が極めて短い。
これによりテアニンがカテキンへと変化せず、甘み成分としてそのまま多く残されるのだ。
「一番茶の収穫が始まるのは大体四月の下旬くらいからなんだけど、今年は少し早かったらしい」
「気候とか天気とか、そういうのが良かったのかな」
作物の収穫についてとんと知らぬ出久には、収穫時期が前後した理由をそう予想する。
よく日光を浴びて、適度に水分を摂る。彼がすぐに思いつく植物の生育に関係しそうな要素はその二つしか無かった。
「・・・・・・・・ほぅ」
湯呑みを傾け、ずず、とさらに一口。
二口目だからといって一口目に比べて旨さが褪せることもなく、むしろ二度目だからこそより意識してその味わいをじっくりと楽しんでいた。
・・・・・緑茶って、こんなに美味しかったんだ。
ハッキリと言って、今までの自分はお茶というものを見縊っていたのかもしれない、と出久は思い至る。
飲食時に摂取する水分の多くはお茶だが、どれも大して変わらないと考えていた。違いがあるとすれば精々、緑茶か麦茶か、といった種類そのものだった。
だがいま自身が飲むこれは、これまでの常識、茶に対する認識を真っ向から打ち崩すものだ。
一番茶。最も早くに摘まれる茶葉。初物は味良く縁起がいいと言われるがなるほど、確かにこれは美味である。
・・・・・というより、味が違いすぎない?
出された茶を飲み干し、内心で出された一杯をしきりに絶賛していた出久だったが、そこでふと、違和感に気づく。
確かに、この茶は美味い。これまで一度も飲んだことがないくらいには美味い。その美味さの理由も、士郎の話を聞いて納得できた。しかしだ。今しがた聞いた説明なら、これまでの人生で自分がこれと同等の茶に巡り合っていたとしても不思議ではないのではないか。
だって、そうだろう。これはただ、最初に収穫される茶葉というだけであって、決して希少な品種のものではない。なら、これまでに一度くらいは飲んでいたって不思議ではないのだが・・・・・
・・・・・待てよ。まさか、これ――
思考の果てに、出久は一つの可能性に思い至り、台所の士郎へと向き直る。
心なしか、その動作は錆びた機械のように固かった。
「・・・・・ねえ、衛宮くん。もしかしてこのお茶って、結構お高いやつじゃ・・・・・」
「ん?・・・・・そうだな。ブランドにもよるけど、一番茶自体基本的に高級品だし、
「やっぱり・・・・・!?」
見事に予想が的中し、出久は悲鳴じみた声を上げる。
凄まじく美味い茶だとは思っていたが、そもそも常日頃飲むものとランクが違っていた。通りで美味いわけだと、慌てふためく頭の片隅で変に納得する。
「い、良いの!? そんな良い茶葉をこんな適当に出しちゃって、ほんとに良かったの!?」
決して裕福な家庭とは言えない一般的な庶民の出である出久にとって、こうもあっさりと高級な品を消費する経験など皆無であった。
まして、それが自分に振る舞われたとあっては、とても落ち着いてはいられない。
・・・・・ていうか、ぜんっぜん粗茶じゃないじゃないか!
こういうものは普通、並のものを出すのではないのか。いくら決まり文句とはいえ、これでは詐欺同然だ、などと、現在進行形で茶のお代わりを準備する友人に、よくわからない激情を内心でぶつけていた。
「良いんだよ。これ、貰い物だから。近所の人に、ご両親が茶農家の人がいて、毎年送ってくれるんだってさ」
「で、でも、せっかく良いお茶なんだから、僕なんかに出さないで、自分で飲んだ方が・・・・・」
「いや、逆だ。こんな高級なの普段から使わないから。こういうのは、今日みたいにお客さんが来た時なんかに振る舞ったりするもんで、自分で消費するのは一回か二回で十分なんだよ」
士郎はすっかり萎縮した出久の遠慮なんて気にもせず二杯目を注ぎ、挙げ句の果てに羊羹の載った皿を新たに投下した。
「ちょっ、衛宮くん!?」
「今うちにある来客用の茶菓子なんてこれしかないんだけど・・・・・もしかして羊羹苦手だったか? 」
「いやいやいや、そうじゃなくって!」
「大丈夫なら良いんだ。飯前だからほんとは良くないんだけど、せっかく良い茶なんだから茶菓子の一つでも無いと味気ないだろ?」
出久の慌て様を知ってか知らずか――いや、この男、確実に分かった上で無視している。招いた客の動揺やら何やら、まるっきり相手にせず押し通す気である。
オロオロとする緑谷を置いて、士郎は給仕を終えるや否やまたしてもさっさと台所へと戻っていった。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
もはや抵抗は無駄と悟った出久は、のろのろと菓子楊枝で切り分けた羊羹を口に運ぶ。
――当然ではあるが、温かい緑茶と羊羹の組み合わせは、非常に美味であった
出された茶と菓子を全て腹に納めてからというもの、出久は観念したかの様にこの状況を受け入れていた。あまり駄々を捏ねても、それはそれでもてなしてくれる友人に悪いと思ったからだ。
本当は、士郎の手伝いをしようともしていたが、それもやはりお客様だから、と士郎自身に断られてしまった。今は台所から聞こえる調理の音を耳に入れつつテレビを見ている。
『先日、ヴィランによる襲撃を受けた雄英高校ですが、例年通り体育祭を執り行う予定との事で――』
適当にチャンネルを回した情報番組では、ちょうど二日前の一件と約二週間後に迫った体育祭について議論していた。
学園の責任を追及する有識者がいる一方、意外にも登壇するコメンテーターの大半は体育祭の開催に肯定的だ。
楽しみにされているという事もあるが、おそらくは襲撃での被害が僅かだった事が大きいのだろう。――もっともそれは、取り繕われた真実だが。
・・・・・もし、本当の事が知られていたら、どうなってたのかな・・・・・。
報道では襲撃によって出た被害は施設の損壊と教員二名の重傷のみと語られているが、実際にはもう一人重傷者がいて、もっと言えばその人物は死の淵に立たされた。
世間にその事実が露呈すれば、今からでも中止を、と叫ぶ声が上がるのだろうか。
もしそうなれば、体育祭をチャンスの一つとして捉える学生には大きな痛手となる。
・・・・・衛宮くんが自分の事を隠すように頼んでくれたから、大きな波風も立たずに済んでる。
それは、ヒーロー科の生徒にとっては僥倖とも言える行動だった。
ヒーロー育成機関がヴィランの襲撃を許した挙句、生徒にまで被害を出していたと外部に知れれば、管理能力を疑問視され体育祭どころではなくなっていたかもしれない。
出久にとってもそれは都合が悪かった。他の生徒以上に彼は体育祭で結果を出さねばならない
しかし、それを素直に喜べないのも、また事実だった。
「・・・・・ねえ、衛宮くん。病み上がりって言ってたけど、衛宮くんは今度の体育祭、出れそう?」
出久は直前の思考を頭の隅に追いやり、紛らわす様に士郎へと声をかけていた。
そもそも、当人が問題無いと言っていた事。件の隠蔽についてあれこれ考えるのは、それこそ友人に対する侮辱になると思ったからだ。
「ん? そうだなぁ。日常生活にはもう支障ないし、もう二、三回リカバリーガールの所に通ったら完治するだろうから、体育祭には余裕で間に合うと思う」
出久の内心になど気付きもせず、士郎は気負いなく自身の容体を語った。
リカバリーガールの治療が如何程のものか、出久は身をもって理解している。彼女の手にかかれば復帰も早いだろう。・・・・・いささかダメージに対して回復のペースが早すぎる気がするが。
ともあれ、一つ心配事が減った事には違いなかった。
「そっか。それなら良かった」
「・・・・・さて、どうかな。緑谷や他のみんなからすれば、ライバルが一人減った方が良かったんじゃないか?」
「へっ!?」
安心した、と気を緩めた出久に、士郎は間髪入れず皮肉を返していた。
流石にそんな台詞が飛んでくるとは思っていなかったのか、出久は目を剥く。
「そ、そんなことこれっぽっちも思ってないよ!?」
立ち上がって慌てふためきながら、両手をワタワタと振って士郎の言葉を否定する。
他の学校で行われる体育祭が基本的にクラスや学年、或いは紅白組での対抗であるのに対し、雄英のそれは形式が異なる。
種目は毎年変わってくるが、第一、第二種目は上位進出の予選、第三種目が一対一のトーナメント形式。よってクラスも組も関係なく基本的には生徒同士のぶつかり合いだ。
最も輝かしい栄冠を与えられるのは上位三名まで。功績を残すにしろ名を残すにしろ、最後まで勝ち残った方がいい事は言うまでもない。故に、母数が減ればそれだけ楽になるというのも事実。
とはいえ、ライバルの出場そのものを厭うような、言ってみれば姑息な考えをする人間は、少なくとも彼らが在籍するクラスにはほぼいない。それは、出久とて例外ではない。
「確かに僕も優勝したいって思うけど、それは正々堂々と競い合った上での事だし、何より僕は――」
「――くく。いや、悪い。ちょっとした冗談だ。うちの連中がそんな小狡いこと考えてるなんて、思っちゃいないよ」
「―――へ?」
慌てて言い繕おうとする出久の言葉を、士郎の笑い声が遮った。可笑しそうに、さっきのは悪ふざけだと、悪びれもせず言い放つ。
「じょ、じょうだん・・・・・?」
「まさか、真に受けるとは思わなかった。緑谷はもうちょい舌戦を鍛えたほうがいいな」
「・・・・・え、衛宮くんっ!!」
よくも騙したな、という感情の乗った声に士郎は、ハッハッハ、とこれ見よがしに高笑いする。
腹の黒さでは、出久の何歩先も行っている士郎であった。
「まったく、ひどいよ衛宮くん。これでも、結構気にしてたのに」
揶揄われたと知った出久は座布団に腰を下ろし、彼にしては珍しく不貞腐れる。
直前まで士郎のアレコレに葛藤していた分、不満も強かった。
対する士郎もこれ以上弄っては本気で機嫌を損ねかねないと思ったのか、調理の手を止めてすまんすまんと手を合わせる。
「悪かったよ。ほんとは揶揄うつもりなんて無かったんだ。けど、緑谷があんな事を気にしてたもんだから、つい可笑しくなった」
「あんな事・・・・・?」
謝る士郎の言葉にふと、妙な台詞が入っていて、出久は反射的に聞き返していた。
あんな事、とは果たして何のことだろうか。
「多分だけど。緑谷、俺が大怪我したのを伏せた事を気にしてたんだろ?」
「・・・・・っ!?」
士郎の返答に出久は一瞬、呼吸が止まった。
彼の指摘は確かに、少し前の出久が気に病んでいた事だが、それは内心で処理したものだ。声に出してもいない心境を見抜かれ動揺を抑えられずにいる。
「な、なんでその事を・・・・・」
「ニュースがちょうど、そういう話してたからな。視線もチラチラ感じてたし緑谷も妙に複雑そうだったから、割と分かりやすかったぞ?」
だから、そんな事をわざわざ気にしてるのがどうにも可笑しかった、と士郎は語る。
士郎にとって、先の件はとうに終わったことの上、彼にとっても利がある話だった。別段、隠した所で困りはしないし、それを気に病む必要は皆無なのだ。
一方、出久の方は様々な意味で驚きを隠せなかった。
簡単に内心を悟られたこと、一瞥もせず自分に対する視線に気づいたこと、自分の感情を気配から察したこと。どれも、出久が声を失うには十分だった。
「ま、そういうの気にするところは、緑谷らしいっちゃらしいけど」
そう言いながら、士郎は両手に皿を乗せて運んでくる。
出久が気付かないうちに、調理は終わっていたらしい。炊事に疎い出久にはその内容までは分からなかったが、盛り付けられた料理は湯気が立ちどれも食欲をそそった。
「おまちどおさん」
士郎が配膳し終えたところで、出久はあらためて食卓に上がった料理を見る。
目につく品々は実に立派で、和食寄りのその献立はやはり男子高校生が作れるレベルではないな、と改めてその家事レベルの高さに舌を巻いた。
「さわらの蒸し焼きに長芋の豚巻き、それかられんこんとアスパラのじゃこ炒め。玉ねぎとレタスのサラダはこっちでドレッシングをかけてある。味噌汁の具はごぼうとにんじんだ。ああそれと、さわらには醤油ベースのネギだれを別で用意してるからお好みでどうぞ」
説明されるメニューに、出久の脳は半ば追いつけずにいた。もっとシンプルに焼き魚とか、豚カツとか、そんな感じで来ると思っていたのだ。というより、料理のりの字も知らない出久に思い浮かぶレシピなど、オーソドックスなものしかない。
料理に関してど素人どころかほぼ未経験の出久には、士郎の話した献立は情報量が多すぎた。
「さ。冷めないうちに頂いちゃってくれ」
「あ、うん。えっと、それじゃあいただきます」
士郎に促されるまま、出久は箸に手を伸ばす。
色々と驚きやら戸惑いやらあるが、彼も育ち盛りな学生。いい時間な上に台所から漂っていた香りに、実はかなり空腹を刺激されていた。
もはや辛抱たまらんと言った様子で、炊き立ての白米が盛られた茶碗片手におかずへ手を伸ばす。最初の狙いはさわらだ。
「ん! この魚、身がふわっとしてて美味しい!」
身に通した箸から硬さは感じない。ふっくらとした身はあっさり切り分けられ、かといって身崩れする事もない。皮は最初から剥がされていて、大き目の骨も取り除かれているから食べやすい。
蒸し焼きにしているだけあって、魚の他にもしめじや小松菜も共に調理されていて、ただの焼き魚以上に手が込んでいるのは一目瞭然だ。
味付けも絶妙で、調理工程から作った人物の食べる人間への細やかな気遣いを感じる。
「そりゃよかった。さわらは今の季節が旬だからな、今を逃すとしばらくは良いのが手に入らなくなる。・・・・・ああいや、旬の時期は東西で違うんだったか・・・・・」
さてどうだったかな、と記憶を探る士郎を他所に、出久はもう一口さわらを口に放る。今度は小皿に盛られたネギだれを付けた。
もともとさわら自体は淡白な味をしているから、ねぎの旨みが効いた濃い目のたれはよく合い米も進む。
その後も次々に他のおかずへ箸を伸ばし、どの料理も出久を満足させたが、一番印象に残ったのは炒め物だ。
れんこんとアスパラガスの組み合わせは、今まで体験したことがない。どちらも歯応えのある食材だからその食感が実に心地よかった。ちりめんじゃこの塩味もいいアクセントになっている。
よくもこんな一品を思いつくものだと、出久は感心しきりだった。
「そういや、さっきの続きじゃないけどさ」
「んむ・・・・・?」
「・・・・・すまん。飲み込んでからでいいぞ」
しばらく箸を動かしていた士郎が、思い出したように話しかける。
咀嚼していた出久はそこで動きを止めたから、どこか間の抜けた表情になっていたのは対面の士郎にしか分からなかった。
ごくん、と口の中身を飲み下した出久は一息つき、あらためて士郎を見る。
「ふぅ・・・・・。それで、どうしたの衛宮くん?」
「さっき、体育祭の話をしてただろ? もうそんなに時間無いけど、緑谷はどうするのかなって」
「どう、ていうと・・・・・」
「もちろん、“個性”の事だ。制御、出来そうなのか?」
まともに扱う事もままならない力を、友人がどう利用して迫る大舞台に臨もうとしているのか。士郎はその事を気にかけていた。
正直に言って、今のままでは優勝を狙うどころか予選の時点で脱落してもおかしくはない。それも順位のせいではなく、自滅によってだ。
「・・・・・正直に言うと、まだ調整できそうにない、かな」
一方、出久もその事については危惧していた。
肉体の許容値を遥かに凌駕した膨大なエネルギー。それを完全に使いこなす試みはいくつも試しているが、いずれも上手く行った試しがない。
「USJの時は自壊せずに使えてたけど、それは?」
士郎が思い返すのは、先日の襲撃事件。
死に瀕した彼を救い出す為、出久は自らの力を使った。その一瞬、その一度だけ、彼は反動無しで力を扱えていた。
「むしろ、あれがはじめてだったんだ。無意識にだったけど上手く力をセーブできて骨折もしなかったし、その理由もなんとなく掴んでる。・・・・・けど、それを自在に制御出来るかって言われると、まだ難しい、かな」
士郎の疑問に答え、またそのきっかけについても彼は既に察していた。同時に、それはまだ本人の意思で左右できるものではない。故に、体育祭で力を発揮出来るという確信は持てずにいる。
「・・・・・入学初日にさ、“個性”の制御には苦労した、て言ってたよね?」
難しい顔から一点、出久は思いついたようにそう問いかけていた。
「ああ。リスクそのものも今だって残ってる。その辺は、麗日あたりから聞いてるか」
「あ、うん。放課後に教えてもらった」
問いに頷くと同時、士郎はその危険性は変わらないと補足する。
その辺の事情については、出久も二人の友人を通じて承知していた。
全力を出せば全身が砕け散る出久と比べても、なお死と間近な“個性”。それを幼い頃から鍛え上げ、その代償を何度も負ってきた友人の精神力、話を聞いた出久はその場で卒倒しかけたものだ。
―― しかし、だからこそ手本とするにはうってつけなのかもしれない。
「それで、もしよかったら聞かせて欲しいんだ。衛宮くんが、具体的にどうやって“個性”を制御したのか」
それは、かつての個性把握テストで教えられた心構え、気の持ちよう以上の事。思想ではなく、技法を問うている。
無論、彼らの“個性”は細部を見ても大枠で捉えても、類似する箇所は殆ど存在しない。内包する危険性という意味ですら、その性質は異なるものだ。
故に、厳密には士郎の経験がそのまま出久に活きる事はない。
ただ、それでも何かの足しになるかもと、もしかするとなんらかのきっかけを得られるのではないかと、そう思っての問いだ。
「んー、具体的な方法というか、俺にとっての手引き書<ガイドライン>みたいなものは確かにある。――けど、それを緑谷の“個性”制御に活用するのは無理だ」
返ってきた答えは、期待を外れて否定だった。
出久の求める、士郎なりの方法を確立していると言いながら、それは決して出久の役には立たないという断定。
「い、いやっ。それは実際に聞いてみないと分からないんじゃないかな!?」
にべもなさ過ぎる返答に、さしもの出久も食い下がる。
もう、体育祭まで時間が無い。高校初の大舞台でなんとか結果を――叶うのならば優勝を勝ち取りたいと願う出久からすれば、どんな些細な話でも取り込めるものは取り込みたいのだ。
ともすれば無様とも取れる必死な出久に、しかし士郎は首を振る。
「いや、これについては断言できる。そもそも俺が言ってる方法ってのは、あくまでモノを作る為の行程みたいなもんだ。言ってみれば工場での組み立てラインで、緑谷が知りたいのは原料の取り扱いそのものだろ」
出久の要望を否と断じた理由を、士郎は例え話で説明する。
仮に、彼ら二人を同じモノとして見たとしよう。両名とも扱いが困難な原料をそれぞれにエネルギーとして活用する技術を有している。問題は、その劇薬を如何に無害なまま用いるかという事。
出久の場合、この前提条件をクリア出来れば、それがそのまま“個性”の調整を可能にする。対して士郎は、原料を無害化する所までは出久と同じだが、そこからさらに先の作業が必要となる。
先ほど言っていた方法というのがこれにあたり、出久が助言を求めているのは、その前段階での事だ。
「そのガイドラインを緑谷に教えたところで無駄な知識になるだけだし、下手をすれば変な先入観を持たせて却って目標から遠ざける可能性だってある。だから、俺の方法を教えてはやれないし、教える気もない」
「・・・・・なら、衛宮くんが言う原料の扱い方ならどうかな。そっちなら、僕にも活かせるかもしれない」
順序だって説明して断る士郎に、出久は尚も引き下がらない。
仮に、前提条件が同じであるというのなら、そこには類似性、互換性があると考えるのは自然な事だろう。ただ、
「悪いけど、そっちに関してはこれといって特別な方法なんて無い。単に、ガキの頃から反動に構わず“個性”を使い続けて、最終的に感覚を掴んだってだけだからな」
「・・・・・そういえば、そうだった」
今の今まで忘れてた、というように項垂れる出久。
結局のところ、士郎が“個性“を制御するにあたってとった行動は、身体を壊しながらひたすらに反復する事だった。
施設の庭で”個性“を使って、学校の授業で一人”個性“と向き合って、暇な時間に手慰みのように”個性“を発動して。
何度、傷を負ったのかわからないし、何回、死にかけたかも覚えていない。それぐらい自身を省みず、死を厭わず、死に物狂いで鍛え続けた結果、ようやっと手綱を握ったというだけの事。
だから、劇的に成長を促せるようなコツやノウハウなど、彼は端から持ち合わせていないのだ。
「緑谷がもっと小さい頃、それこそ小学生にもなってないような歳からなら、そういう闇雲なやり方も選択肢の一つに含めれたかもしれない。でも、今から体育祭に間に合わせるには、それじゃあ効率が悪すぎる」
「そう・・・・・だよね」
アテが外れて意気消沈する出久。
その様子からして、士郎からの助言にかなり期待していたのだろう。
「悪いな、力になれなくって」
「・・・・・ううん。そもそも、衛宮くんの努力を盗み見るような事を考えてた僕が悪かったんだ。力の扱いは、ちゃんと自分の手で掴み取ってみせるよ」
申し訳なさそうな士郎に、出久もまた頭を下げる。
そもそも、たったの数週間で他人が十数年をかけて築き上げたものと同じ成果を得ようとしていたのが、土台無理な話なのだ。
力とは、技術とは、継続することによって自らに根付くもの。きっかけ一つ、助言一つで身につく程度のものなど氷山の一角止まりだ。
彼があくまで頂点を目指すのならば、彼自身が時間をかけて向き合っていくしかない。
「まあでも、そんなに落ち込まなくてもいいんじゃないか。少なくとも、問答無用でぶっ壊れてた時に比べれば、かなりの進歩だろ?」
思い悩む出久に、士郎はそう声をかける。
確かに、新たな見地を得る事は叶わなかったが、出久は既に曲がりなりにも力の調整に成功している。
あとは、その経験を糧にして着実に歩を進めていけばいい。
「・・・・・うん。まだ全然だし、ほんの小さな一歩だけど。それでも確かな一歩だよ」
励まされた出久は、しかしてその瞳に士郎を移さず、ただ自身の両手を見つめながら告げる。
相手に答えるというよりは、自らに確認する様に、或いは意気込みを新たにする様に。
士郎にもその気概は伝わっていた。新たに掴んだとっかかりを、死に物狂いでモノにしようとしている。藁にも縋る、なんて自棄じゃない。確かな目標を見据えて臨んでいる。
ならば、士郎が案ずるべき事は何も無い。あとは友人の努力が実るように願い、それがより早いものになるよう、必要なら僅かばかりの助力をするだけだ。
「・・・・・そうだ。“個性”関連で力にはなれないけど、戦い方とか武器の扱いなら教えてやれるし、訓練も時間があればいくらでも付き合うぞ。もしお前が必要だって思うなら、いつでも声をかけてくれ」
「ほ、ほんとに!? 衛宮くんの戦い方は凄く上手いし、訓練にも付き合ってもらえるなら、すごく参考になるよ!」
アドバイスをしてやれなかった代わりに出した士郎の提案に、出久は嬉しそうに笑い、ありがとうと礼を言う。
出久の見た限りにおいて、A組で最も戦闘が巧いのは士郎だ。能力が高い生徒、単純に強い生徒は他にもいるが、こと戦闘技術という一点において、士郎はクラスでも随一だと思っている。
それは、第一回目の戦闘訓練時に見た戦略性についてもそうなのだが、なにより出久がそう判断するのは、USJで見た脳無との戦いが理由だ。
長年、ヒーローオタクとして過ごしてさまざまなヒーローとヴィランの対決を見た出久からしても、脳無はずば抜けて規格外だった。なんせやつは、この時代において最強の個人であるオールマイトと真正面から殴り合いを演じてみせたのだ、
最強のヒーローと互角に戦えたヴィラン、罷り間違ってもヒーロー科に在籍して一ヶ月も経たないヒーローの卵が相手を出来る存在ではない。
――だが、その不可能を僅かな時間とはいえ、可能としたのが衛宮士郎だ。
両手に白と黒の中華刀を握り、オールマイトですら軋ませる暴拳を捌き掻い潜ってみせた技量は、到底真似できるものではない。
時間にすればほんの数分か、或いは一分程度の事だったのかもしれない。しかし、人間の限界を超えない身体能力で、オールマイト並みのパワーを誇る化け物とそれだけの時間撃ち合ったという事実は偉業というにふさわしいものだ。
素の能力で劣る相手に喰らいつくには技量や頭脳戦で対抗する他なく、衛宮士郎がそのどちらも備えている事は疑いようもなかった。
「持ち上げてくれてるところ悪いけど、俺の技量なんてそこまで大したものじゃないぞ」
興奮気味に喜んでいる出久に、士郎は苦笑しながら訂正した。
訂正されたとうの出久は、それが士郎の謙虚さからくる謙遜だと思い笑って受け流したが、実際には士郎の戦闘技術そのものは二流の域を出ないものだ、ということをこの時の出久は知らない。
それからも、食事をしながら他愛無い話が続く。
一人暮らしはどうとか、体育祭に向けて一緒に特訓でもどうかとか。
どれも当たり障りのない話題だったが、二人ともに初めてのシチュエーションだったから、存外に楽しんでいた。
とはいえ、それも料理が残っている間の事。皿が空になってしまえば、その時間も終わりだ。
「ごちそうさまでした。とっても美味しかったよ、衛宮くん」
「お粗末さまでした。喜んでもらえたなら何よりだ」
手を合わせて食後の挨拶をする士郎を置いて、士郎はさっさと後片付けを始める。食器を引き、余った料理にラップをかけて、食後の茶を出す。洗い物はひとまず後回しにした。
客人を放っておくわけにはいかないというのもそうだが、何より――
「――さて。落ち着いたところで、そろそろ本題に入ろうか」
士郎は一口茶を口にした後、湯呑みを置いてそう切り出した。
こうして夕飯に出久を招いた本来の目的、それは出久が士郎と話をする為だ。
「それで、俺に何が聞きたいんだ?」
出久が何の話で士郎を呼び止めたのか、とうの士郎はまだ知らない。
彼が知っているのは、その話は別に急を要するわけではなくて、けれど出久はすぐにでもその話をしたくて、それがちょっとした雑談程度の内容ではないということだけ。
それ以外は聞いておらず、また聞こうとも思わなかった。言いたい事があるなら、本人の方から言ってくるだろう、と。
「・・・・・あの日、衛宮くんがオールマイトと話をしていた時からずっと気になってた事があるんだ」
あの日、というのがいつの事かは聞くまでもない。
出久の心には、その瞬間から決して放置できない疑問が、胸に残り続けている。
「衛宮くん、言ってたよね。君や僕、それに他のみんながオールマイトに背負わせ過ぎてるって」
その時の光景が、言葉が、出久の脳にこびりついたまま離れない。
絶対的な悪意を前に、ただ一人で挑もうとする平和の象徴に、彼は言っていた。あなたにばかり苦しい思いをさせて、いつまでも頼り続けてしまっていた、と。
「オールマイトがどれだけ凄いか、きっと僕らみたいなヒーロー科の人間は一般の人よりも知ってると思う。――それなのに、なんであんな風に考えられたのか、どうしてあんな事を思い付けたのか。それがずっと、不思議だったんだ」
オールマイトという英雄<ヒーロー>の偉大さは分かりきっている。
千人以上を救ったデビュー当時の救助活動、一国家の劇的な治安回復への貢献、以後も最前線で人々を救い続けその果てに得た平和の象徴という称号。
どれも常人には実現どころか夢想することすら不可能。彼の全てが彼の絶対性を示している。
どんなに強大なヴィランだろうと、どんなに凶悪な犯罪者だろうと、彼を斃す事は叶わない。
世間の、世界の評価はきっとそんなところだ。誰も、オールマイトが破れる姿など想像出来ない。ましてや、彼の背負っているモノなど考えもしない。かつての出久がそうだったように。
――されど、ただ一人、絶対のヒーローに憤る者がいた。
「何故って聞かれても、俺もそんなに理屈っぽく考えてるわけではないからなぁ」
出久の真剣な問いに、士郎は頭を掻く。
彼は、返答に困っていた。何故なら、彼が投げかけられた問いは、彼にとって当たり前のことでしかなく――
「たった一人で、国の、世界の平和を背負い続けるなんて――そんなの、苦しいに決まってるだろ」
何でもないことのように、ごく普通の常識を諭すように、士郎は語った。
「確かに、オールマイトは凄いさ。ヴィランと戦えばまず負けないし、人助けだって誰よりも速く熟す。あの人が笑ってないところなんて、見た事もない」
それらは全て事実だ。これまでのオールマイトの生き方と在り方を額面通りに告げている。
戦えば負け無し、救助活動は迅速、常に浮かぶ快活な笑みは人々からの人気の源。日本どころか、世界中の誰もが知っている彼の姿だ。だが――
「けど、あの人だって傷つく事はあるし、怪我をすれば痛みもする。窮地に陥った人間全てを常に救い出す事も出来ない。――俺には、オールマイトの笑顔は、自分の疵を隠す為の仮面にしかみえないんだ」
「――――――」
士郎は、出久が息を呑んだ気配を感じた。
出久のオールマイトマニアっぷりは士郎も知っている。彼からすれば、この話はひどく衝撃的なものなのかもしれない、と思い至る。
しかし、質問された手前、半端なところでやめてしまうつもりはなかった。
「苦しみを抱え込んで、助けられなかった人達への罪悪感と後悔を溜め込んで――だっていうのに、その痛みを誰かに漏らす事も、涙する事も出来ないなんて、そんなの間違ってる」
士郎は、オールマイトの絶対性を知りながら、それが完璧なものとは初めから思っていない。
痛みは彼の肉体を蝕むはずだ。救えなかった人への悔恨は彼の心を引き裂くはずだ。人間として感じて当然の苦しさが、彼の中にも存在するはずだ、と。
「それなのに、誰も彼もオールマイトの背負ってるものなんて見向きもせず持て囃して、あの人も“自分”を殺してみんなの期待通りに振る舞って幻想<ユメ>を見せて――俺は、それがどうしようもなく、気に食わない」
語り続ける士郎の声には、いつの間にか怒りが込もっていた。
心底、世間とオールマイトの振る舞いが許せないと、抑えるつもりの感情が僅かに漏れて、それが言葉に乗っている。
その、本心からの怒りを感じて、衛宮士郎がなぜあんな事を言っていたのか、出久はようやく気付いた。
「衛宮くんは最初から、“平和の象徴”っていうものが認められなかったんだね」
「――当たり前だろ。たとえ、あの人が人助けを好きでやってるとしても、死ぬまでずっと誰かの為に生き続けてその報いが一つもないなんて、俺には許せない」
そう吐き捨てる士郎の仏頂面は、普段より険があった。話に拍車がかかって、上手く心を鎮められないのだろう。
士郎はしばらく、無言でいた。
「・・・・・悪い。熱心なオールマイトファンの緑谷に聞かせる話じゃなかった」
気を落ち着かせる事ができたのか、十秒ほど経った頃、士郎は出久にそう謝罪していた。
他人に自身が好むモノを否定されていい顔をする人間などいない。自制の利かぬまま心情を吐露した事は悪手だったと反省する。
「・・・・・ううん、大丈夫。雄英に来る前ならともかく、今は僕も、オールマイトが色んなものを背負い過ぎてるって思ってるから」
バツが悪そうな士郎に対して、出久は穏やかだった。
自身が尊敬する、半ば信仰対象の域に達しているオールマイトを否定する様な考えを聞いたというのに、まるで気にしていない。それどころか、士郎の言葉に同意すらしている。
予想に反した反応に、士郎は眼をぱちくりとさせて面喰らっていた。
「・・・・・意外だな。他の奴ならともかく、お前がそんな事言うなんて」
「雄英に来て、それまで見向きもしなかったことを、色々知ったから」
昔は違ったよ、と出久は笑う。
彼のオールマイトに対する崇拝に近い感情が、変わったわけではない。ただ、ヒーロー科に来てそれまでとは違う視野を得て、或いは未知の事実を知ってこうなったのかもしれない。
そう理解した士郎は、なるほど、と頷きを一つ入れ、
「それは、オールマイトが弱ってる事を知ったからか?」
「――――――――え?」
――そう、緑谷出久が決して無視出来ない問いを投げかけた。
「――――衛宮くん。いま、なんて」
「オールマイトが弱ってるのを知ってるからかって聞いたんだ。その様子だと、知ってる――というより、本人から聞いたみたいだな」
「――――――――」
時間が、凍りついたかのようだった。
周りの音が聞こえなくって、体は一ミリたりとも動かせない。心臓の鼓動すら、止まったような錯覚に陥る。
――オールマイトが弱っている。
友人が問いかけたそれは、本来なら絶対に彼の口から出て来るはずのないものだ。
それは、知られていない情報だった。知られてはいけない事実だった。――絶対に、隠し通さなければならない真実だった。
「なんで、そのことを――」
それを知っているのは、知って良いのは、限られた人間だけだ。一部のプロヒーロー、一握りの警察関係者――そして、“唯一”の生徒。
それらの人間だけが知る事を許された、決して世に出してはならない平和の象徴の実態。
それが、何故、何の関わりもない生徒に漏れてしまっているのか――
「――緑谷にはまだ言ってなかったんだけど、俺の“個性”――『投影』は、モノを複製する“個性”なんだ」
「―――――」
辛うじて紡いだ言葉で、何故と問いかける出久に対し、士郎は唐突に自らの“個性”を語る。
脈絡が無くて、今すぐにでも質問に答えて欲しいと思いながら、驚愕に心を乱された出久は自分の思い通りに口を動かすことが出来ず、ただ友人の話を聞くことしかできない。
「複製ってんだから、絶対もとになる原典<オリジナル>を知ってなくちゃならない。創造の”個性”を持ってる八百万なんかは、自力で知識を付けて構造とか材質を把握してるけど、俺は違う」
言って、その手に黄色いゴーグルを造り出す。
それは、出久もよく見知ったもので、絶対にこの場にあるはずがないもの。
「なんで、相澤先生のゴーグルを――」
「――普通、プロヒーローの装備品の設計図なんて教えてもらえるわけない。商売道具だし、下手に情報が漏れてヴィランに知られちゃマズイからな」
プロのヒーローが纏う装束とは、素材一つとっても機密情報の塊だ。それぞれが個々のスタイルや能力に合わせて選別され、調整され、構成されている。
持ち主であるヒーローと、そのコスチュームを開発したサポート会社以外、その情報は知りようがない。
「でも、俺は教えられずともそれを把握できる。“個性”の一部でな、一眼見るだけでいい。それだけで、贋作を造る為に必要な設計図、模倣する対象の構造を“解析”出来る」
知るはずもないプロヒーローの装備品の設計図を把握し複製できたのは、その“解析”という能力故だ。一瞥、たった一度でも視界に収めれば、彼は大抵の物の構造を読み込む事が出来る。
彼らA組の中でこの能力を知っているのは、一度だけ士郎と訓練でペアを組んだ八百万だけだ。
「それに、この能力はある程度生き物にも使えるんだ。人工物なんかに比べると難易度が上がるけど、大雑把な体調とか傷の有無を調べる事は簡単に出来る」
「じゃあ、オールマイトが弱ってる事を知ってたのって――」
「この“解析”で、あの人が酷い傷を負ってるって知ったからだ。USJで脳無を死体だって言ったのも、同じ理由だな」
秘密を暴いた方法を知ると同時、僅かに出久の緊張が解ける。
秘め事は過たず知られたのに、むしろ安堵した様な反応を示す出久を不審がった士郎だが、さほど気にせず話を進めた。
「どういう経緯かは知らないけど、緑谷はどこかでオールマイトにあの人が弱まってるって事を聞いて、なおかつその事は秘密にして欲しいって言われたんじゃないか?」
秘密にしている理由を、士郎は容易に察することが出来た。
“平和の象徴”を称するオールマイトが、悪党に付け入らせるような隙を公言するとは考えづらい。
犯罪の活性化を避け、市民の不安を煽らぬ為、自らの負傷を隠したのだと、士郎は予想する。
「・・・・・衛宮くんの言う通りだよ。“ヘドロ事件”の時、ヴィランを捕まえに来てたオールマイトと出会って、たまたま傷の事を知ったんだ」
「ああ、そういえばあの事件に巻き込まれてたんだったな」
士郎の言葉を肯定した出久に、士郎は道理で、と納得する。
ヘドロ事件とは、今からおよそ一年前、とある街にヘドロで構成された身体を持ったヴィランが現れ、一人の子供を人質に取って暴れたというものだ。
このヴィラン、他人の肉体に入り込んで操る事も可能だった様で、捕らわれた子供は人質であると同時に都合の良い操り人形でもあった。
そして、巡り合わせとは奇妙なもので、その囚われた子供というのが当時中学生だった爆豪勝己で、出久は無謀にも彼を救い出そうと渦中に飛び込み、命を落としかけた彼らを救ったのがオールマイトだった。
「なるほど、オールマイトと妙に距離感が近いのはその時の縁か」
「えっ!? な、なにを急に!? そんな事、ないと思うけど!?」
「・・・・・なんでそこで慌てるんだ?」
再び動揺を露わにした出久に、士郎は心底不思議そうに首を傾げる。
「前々から、緑谷を見るオールマイトの眼が他の生徒を見てる時より親しみが込もってるのは分かってたし、“個性”だって近しいんだから、師弟みたいな関係になってるんだろ?」
「い、いや、それは、なんと言いますか・・・・・」
「別に隠さなくていいよ。教師が生徒に眼をかけて個人的に指導したりなんてのは、そんなに珍しいもんじゃない。俺も前に、スナイプから声をかけられたし」
ヘドロ事件での縁や、出久が以前までは“無個性“だと思い込んでいた事を考慮すれば、”個性“の開花や雄英への挑戦はオールマイトとの接触がきっかけだと考えられる。
加えて、出久の肉体がいまだに”個性“をギリギリ納めていられる程度の強度しかない事から、身体を作りはじめたのも入試の一年前かそこら程度。
その短い期間の中であれだけの出力を誇る“個性”に耐えうる肉体へと鍛え上げるには、相当な努力が必要なだけでなく極めて効率的で専門的な訓練計画が必要な筈。
トレーニングマニアでもなかったであろうただの中学生がそんな知識を有していたとは到底考えづらい。ならば、当時の出久には指導者がいて、その人物こそがヘドロ事件で知り合ったオールマイトなのではないか。
出揃っている情報から、士郎がこういった予測に繋げるのは至極自然な事だった。
「緑谷が秘密にしときたいって言うなら、別に構わないんだけどな。オールマイトが生徒一人を贔屓してるって他の生徒に知られたら、それはそれで面倒だろうし」
ヒーロー科でプロのヒーローに指導を受けることは、ヒーロー志望の学生にとっては憧れの一つ。雄英であれば、その価値は一際高いものだろう。
――だが、それでも不足だ。オールマイトからの個人指導に比べれば、比較しようもないほど霞んでしまう。全国最高峰のヒーロー育成機関の指導と秤にかけてなお、揺らぎもしないような輝きが彼にはある。
その恩恵、仮に一身に受ける者がいると知れれば、周囲がどう思うか。
嫉妬、嫌悪、憎悪、敵愾心。下手なやっかみを受けて恨まれても面白くない。
「・・・・・えっと、衛宮くん。できれば、いま言った事は誰にも言わないでくれないかな・・・・・?」
既に確信を抱いている士郎にこれ以上言い訳した所で無駄と悟ったのか、出久は口を噤むように頼んだ。
無論、士郎がその頼みを蹴る理由は無い。
「そこは分かってる。俺も、本人の了解も無く他人の秘密をバラしたりしない。ただ――」
士郎は、間髪入れずに秘密は漏らさないと約束した。
もとより口外するつもりなど毛頭なく、第一、出久とオールマイトの関係ならともかく、トップオブヒーローの弱体化など、社会への悪影響が大きすぎる。
しかし、それ以外にも言うべき事があると、言葉を続ける。
「秘密にしておきたい事があるなら、もうちょい表情は抑えろ。あんな風に狼狽えてたら、隠せるものも隠せない」
「え、えぇ!?」
士郎の忠告に叫んだ出久は心底意外そうな――というより、心外そうな顔を浮かべる。
不意打ち気味にとはいえ、秘密を言い当てられただけで狼狽していては秘密も何も無いのだが、当人にその自覚は無かったようだ。
「そんなに分かりやすかった・・・・・?」
「お前には腹の探り合いは向かないって確信できるくらいには分かりやすかった。相手の台詞に驚くなとは言わないけど、せめて心の中で処理出来るようにはなっとかないと、いつかあっさりバレちまうぞ」
容赦の無い言葉責めに、出久は目に見えて意気消沈していた。上手くやれていた自信があった訳でもないが、こうも酷評される程とまでは思っていなかったのだろう。
長年、自らの“個性”を秘密として抱えてきた士郎からすれば、出久の普段からの態度は隠し事をしていると公言してるも同然だった、
「話っていうのは、これで終わりか? 学校の廊下でいきなり話がある、なんて言われた時は何の事かと思ったけど、まさかこういう用事とは思わなかった。・・・・・とにかく、秘密はちゃんと守るよ。これでも口は硬い方だから、そこは安心してくれていい」
改めて秘密の遵守を確約し、いまだにショックから立ち直れない出久に構わず、士郎は茶を一口啜る。
最初に出久に出したものと違い、至って普通の茶だ。一番茶のような濃い甘みはないが、緑茶特有の苦味と深みを味わえるこちらの方が士郎の好みにはあっていた。加えて、先ほどまで話に熱が入っていたから、乾いた喉に茶が染みた。
このまましばらくまったりとしていたい、という欲も湧いてくるが、夜ももう遅い。
いい加減、叱られた子犬みたいにしょんぼりする目の前の同級生を帰らせる時間だ。
「ほら、いつまでも落ち込んでないで。緑谷、電車通学だろ? 早めに帰らないと、帰宅ラッシュが辛くなってくるぞ」
もうとっくに始まっているだろうけど、とは言わなかった。
どっちみち、人に揉まれて心身ともに疲弊するのだ。今からその苦しみを想像させてやる事はない。
「そ、そうだね。あんまり遅いと、お母さんも心配するだろうし、そろそろお暇するよ」
士郎に尻を叩かれて、出久もようやく復活する。事情は実家に連絡済みだが、かといってそう遅くまで出歩くわけにもいかない。
わざわざ夕食に招かれた用件も既に済んでいる。これ以上の長居は、それこそ蛇足だ。
そうと決まれば動きは早い。立ち上がった出久はさっさと荷物を抱えて玄関に向かう。
「それじゃ、衛宮くん。お邪魔しました」
「おう。緑谷も気をつけてな」
自身を見送る声を背に、出久は友人宅を後にした。来た時と違って、あたりはとっくに暗くなっている。
人混みに混じって駅に向かう間、出久はさっきまでの話を思い返す。
友人に秘密の
この一、二時間の間にあった事を思い返しながら、思いつく端から頭に浮かべていく。
当然、それは友人に話しかけた本題にまで及び、
「――そういえば」
だからだろうか、話を聞いている時には考えもしなかった事を思いついた。
認められない、と友人が憤っていた平和の象徴。
傷付きながら、誰にもその苦しみを見せず、誰にも頼らず戦うその在り方。
――それが、ヴィラン連合を相手取った友人の姿と、被る事に。
「・・・・・衛宮くんは、気づいているのかな」
聞き遂げる相手のいない問いに答えが返ることはない。
――誰の耳にも止まらぬまま、出久の呟きは夜の闇に溶けて消えた。
◆
雄英高校・会議室。
ここに今、この学園で教鞭を執る教員にして現役のプロヒーロー九名が集まっており、会議の始まりを待っていた。
招集者は校長根津の隣に陣取るイレイザーヘッドこと相澤消太。彼の目の前には、銀色のアタッシュケースが鎮座し、デスクの上で異様な存在感を放っている。
「忙しい中、急に呼び立てて申し訳ない。急ぎ、共有しておきたい事項ができ、またご意見を伺いたくお集まりいただきました」
参加するメンバーを見回し、全員の準備が整ったと判断して相澤は会議を開始した。
「前置きはいいからよお、さっさと本題に入ろうぜ。俺はもう眠くなってきてんだ」
「茶々を入れるな、マイク。余計に長引く」
参加者の一人、相澤の招集に対して真っ先に会議室へ到着したプレゼントマイクが、気だるげな様子でわざとらしく欠伸をしてみせる。
他のメンバーを待っていた時間も相まって既に面倒になってきていたのか、同じく参加者のスナイプの諫言もどこ吹く風だ。
「そこの堪え性なしは放っておくとして――」
「おい待てコラ。放ってんじゃねえ」
「今回お話ししたいのは、昨日USJで発見された、例の異質な“痕跡”についてです」
ぶー垂れる同期の男をスルーしつつ、相澤は議題を明かす。
この場にいる全員、その痕跡については把握しており、相澤が何を言わんとするかを察した。
「衛宮くんが残したっていう、削ったみたいな痕の事ですよね。何か分かったんですか?」
「ああ。今日の授業後、説教ついでにあいつから話を聞いてきた」
全身ずんぐりむっくりな防護服を纏う13号に相澤が頷く。
「まず最初に、うちの生徒が証言した通り下手人は衛宮で間違いありませんでした」
「痕跡が痕跡だから、ヴィランやオールマイトによるものかもと考えていたけど、やはり彼の仕業だったか。しかし、いったいどうやって・・・・・」
ヒーロー科生徒の“個性”については、教員のほとんどが大雑把ながらに記憶している。
殊更、今年度の入試一位通過者であり、さらには特殊な背景の衛宮士郎は、彼ら教員にとって最も記憶に残っている新入生だ。
彼の“個性”はどんな事が出来るのか、この場の誰もが理解しており――その特殊さを以ってしても、件の痕跡には結びつかない。
一体いかなる物を、剣を複製すれば、あれほど長大な抉り痕を残せるのか。
「衛宮があの痕跡を作った方法――というより、武器については、お手元の資料を拝見していただければ。簡単にですが、衛宮が話した内容を纏めてあります」
相澤の説明を受け、彼以外の教師がデスクへと眼を向ける。そこには『投影物 “カラドボルグ”について』と銘打たれた用紙一枚だけが用意されていた。
主題の一文を一見し、皆が首を傾げた。
複数の教員を招集するほどの案件にしては資料が少なく、あまり見慣れない単語も彼らの疑問に拍車をかける。この一文で内容を把握する事はおろか、推察する事も不可能だろう。
誰もが怪訝そうな顔を浮かべていて――その表情が、資料を読み進めるごとに強張っていく。
「――これは、何かの冗談で?」
問いかける声は硬い。明らかに動揺が見て取れる。
それは、確認した資料に対する驚愕から。内容に理解が及ばず、それを信じることも出来ない。
故に、それを洒落だと判断するしかなかった――たとえ、相澤がそんな事をする人間ではないと知っていても。
「空間そのものを貫通する能力に、神話が出典の剣、おまけに正体不明の精神干渉。コミックの設定の間違いじゃないのかい?」
「お気持ちは察します。俺も全部が全部信じられたわけじゃありませんし。・・・・・ほんと、つまらない冗句と切り捨てられたなら楽なんですがね」
記された情報に疑いを向ける同僚に相澤は憤る事はせず、その代わりと言うようにアタッシュケースの口を開き、その中に納めたモノを開示する。
「それは――」
「衛宮に頼んで、預からせてもらいました。資料に記載した剣を極端に劣化させたもの、だそうです」
そこに鎮座するは、黄金の装飾の美しい蒼の柄を持つ、ドリルの様に捻れた刀身の剣。
先の襲撃事件で衛宮士郎が用い、謎の破壊痕を残した原因と目されるものである。
「どうです、皆さん。感性次第らしいんですけど、あいつの言う通りならよほど鈍い人間でもない限り、多少は何かしら感じ取れるものがある筈なんですが」
自身は決してキャリーケースの中は覗かず、剣を視界の端に映しもしない。開いたケースの蓋を押さえながら、何かあれば直ぐに閉じられる様に構えている。
そのまま待つこと十数秒ほど、教師一同に変化が起き始めた。
「・・・・・・・・・・・・・・っ?」
「これは・・・・・圧力、なのか・・・・・?」
「・・・・・あまり、気分の良いものではないな」
戸惑うように、あるいは居心地が悪そうに。明確に輪郭を認識している者もいれば、微かに違和感を覚える程度の者もいるが、おおむね全員が何かを感じている事は確実だった。
その反応を見れた時点で十分と相澤は判断し、静かにケースを閉じる。
「そこに記されている内容すべてを信じられなくとも、この剣が特殊な存在であるという事は納得できたでしょう」
「・・・・・そうね。今のを感じた後じゃあ、そこは認めざるを得ないわ」
衛宮士郎の発言が事実であるとは断定できない。剣の能力も、その出典も、あくまで彼がそう言っているに過ぎない。本人一人だけが確信を抱いていたところで、明確な証拠を提示できなければ他人からの信用を得る事は不可能だ。・・・・・しかし、剣が見た目通りの単なる武器ではないという点において、先の異常性は彼らを納得させる証拠たり得た。
「理解を得られたところで、本題はここからです。衛宮が保存する武器についてどう受け止めるべきか。・・・・・本来なら、担任である俺が対処すべき話なんですが、なにぶん事が事だけに判断が難しい。出来れば、ここにいる全員の知恵をお借りしたい」
預かった剣の異様さを知らしめたところで、相澤は急な召集の目的を語る。
衛宮士郎の力を、それが生み出すモノを、自分一人では手に負えないと判断したが故に、他者の協力を求めた。
それは、相澤にとっては望ましい選択ではなかった。あくまで自らが請け負う生徒の問題、それも“個性”に関する事柄。自分一人で解決するのが正しい道理というもの。
自身の管轄で安易に他者を頼るのは、彼の矜持にそぐわない。――だが、独力で解決出来ない問題を抱え込み、生徒に正しく向き合えないのなら、それこそ彼の嫌う非合理。
自分の出来る事は全力で。力の及ばない事は他を頼る。適材適所、役割分担はプロの基本だ。
「・・・・・正直なところ、俺も――いや、おそらく全員が同じ気持ちだろう。これらの話を事実と仮定したとして、それをどう扱えばいいかなんて、軽々に結論を出せるものじゃない」
「スナイプの言う通りだと思う。この“カラドボルグ”の能力や雰囲気は置いておくとして。本当に神話に登場する剣の複製なら、“個性”の範疇に収まる問題じゃないでしょう」
「これが事実だと断定できたなら、最低でも歴史学者はてんやわんやでしょうね」
スナイプ、ミッドナイトが共に悩ましげに口を開く。
この話があらゆる意味で常識を超えている事は言うまでもなく、考慮すべき事はいくらでもある。
資料一枚渡されて、それで妙案が浮かぶ程度の話だったなら相澤も彼らを頼ったりはしない。
「無論、そこは俺も解ってます。今回は、あくまで情報の共有が第一。対応やら方針決めは、今後時間をかけて行いたい」
相澤とて同僚達の反応は織り込み済みであり、落胆する事はない。
彼らにこの事を認識してもらえれば、ひとまずはそれで十分だった。
「みんなして顰めっ面してるとこ悪いんだけどよぉ、俺にはイマイチ話が見えてこねえんだけど」
「・・・・・お前、そこまで巡りが悪いのか」
「いやいや、言ってる事はわかるのよ? ただ――」
そんな中、プレゼントマイクだけは、周囲とは違う意味合いで疑問符を浮かべていた。
彼は、皆が言わんとしている事を理解して、その上でそれらを重視していない。
「仮にここに書いてあることが全部真実だとして、それが何の問題になるってんだ? 将来有望なヒーロー志望が、頼もしい力を持ってるってだけのことじゃねぇか。剣のコピー元なんて明かさなけりゃいいし、バレたところで騒ぎたい奴は騒がせときゃいい話だろ?」
身も蓋もない話だが、彼の言う事には一理ある。
どんなに不可思議な力であれ、制御できるならそれはただ便利な道具だ。出所はさして重要ではない。
彼らヒーローが考えるべきは、いかに効率良く確実に人々を守れるかであり、研究やら外野のガヤなど放っておけばいい。そんなもの、ヒーロー活動になんの関係も無い。
「馬鹿言うな。得体の知れない力ほど、厄介なものもない。何かしら対策は練っておくべきだろう」
「第一、問題はそれだけじゃないでしょう」
「それだけじゃないって・・・・・他に何があるんだよ」
マイクの主張は間違っていないが、浅慮でもある。
無用な混乱を招く事はヒーローとしても認められず、この力で生徒が身を滅ぼすかもしれない。――だがそれ以上に、考慮すべきがもう一つ欠けている。
「いい、マイク? この“剣”はね、昨日今日いきなり会得したんじゃなくて、彼が失った記憶の中から引っ張り上げてきたものなのよ。・・・・・その意味が、本当に分からないの?」
「なんだよ意味って。もったいぶらずに言ってくれよ」
「だからね、これが彼の中にずっとあったモノなら――それと同じようなモノが、まだ他にも保存されてるかもしれないってことよ」
カラドボルグと呼ばれる剣を衛宮士郎が記録したのは、彼が記憶を失う以前のこと。
何処にあったのか、何処で見たのか、出典にまつわる全てが謎に包まれている。――それは逆を言えば、神話に描かれる武器と同等以上の存在が無数に眠っている可能性を孕んでいるということでもある。
現状、衛宮士郎が自己に保存する物の総数は不明。数えきれないという意味ではなく、本人が把握できない範囲があるという意味で。
底は未知数であり、ともすれば無尽蔵なのかもしれない。ならばこそ、彼らの懸念は当然のものだろう。
――特異な力を持った、特殊な出自の武器が一つだけである保証など、どこにもないのだから。
「“個性”でしか実現できないような現象を引き起こす、物理法則を無視した力を秘めた武器――そんなものをいくつも有しているなら、それは一個人が複数の“個性”を保有しているのと同義だ」
「待てよ。いくらなんでもそれは――」
「ありえないと。考えすぎだと、そう思うか? ――やつは実際に、空間を抉る剣なんてものを複製してんだぞ。おまけに、あいつが分かっていることを全て話したかも、隠し事をしていないかも、どれだけ自分の能力を把握しているかも分からないんだ。深読みするに越した事はない」
相澤の視線に竦められ、さしものプレゼントマイクも反論する気は起きなかった。
それ以前に、彼も言葉とは裏腹に衛宮士郎の特異性を理解し始めている。否定の言葉は、彼自身がその可能性を認めたくないからだ。あまりに常軌を逸した可能性、それを容易に受け入れられるほど、彼の神経は図太くはなかった。
「――相澤くん、少し熱くなり過ぎているよ。みんなも一度落ち着こう」
剣呑な気配が漂い始めた頃、それまで沈黙を保っていた根津が場を制した。
険しい表情を浮かべていた教員たちが一転、小さな校長へと視線を向ける。
「校長、何かお考えが?」
「いや、正直に言えば僕も混乱している。まだ考えというほどのものは無いさ。君たちの戸惑いも理解できる。――ただね。事があまりにも特殊だから、みんな肝心なことを忘れてる」
「肝心なこと・・・・・?」
「僕たち教師が考えるべきは、衛宮君の“個性”にどう対応するかじゃなく、如何に彼の成長を手助けするか、ということさ」
熱に浮かされて議論を重ねる教師達と違って根津は冷静だった。彼らと同じように混乱していると言いながら、特異な力の存在に心を乱してはいない。
芯はぶれず、自らの信念と矜持に従っている。
「特異な力ではある。けど、これはあくまで彼の”個性“だ。危険視したり、抑え込もうとするものじゃない。僕たちは、この力を彼が正しく利用できるように導く術を見つける事に力を入れればいい」
「・・・・・確かに、仰る通りです」
力は力であり、“個性”もまた“個性”でしかない。善し悪しなどなく、益か害か、扱う人間次第でどうにでも転ぶ。
生徒がその分水嶺にて後悔の無い選択を果たせるよう道を示すことが、彼ら指導者の役割であり使命だ。それ以外の懸念は二の次、余分でしかない。
「では、衛宮の“個性”の詳細はこれまで通り我々は秘匿しつつ、やつがどこまでやれるかを探り、新たな力を思い出し次第その運用を指導する、という方針でいきます」
そう纏めた相澤に、意義を唱える者はいない。
根津の言葉を聞いた以上、それ以上の干渉は無用であると全員が判断した。
「今回は、ひとまずこの辺で十分でしょう。遅くに御足労いただき、ありがとうございました」
最後に相澤が締め括り、会議はお開きとなった。
教員は各自、会議室から退出していく。
「・・・・・・・・・・・?」
その最中、相澤が自身に目配せしたのを、ミッドナイトは見逃さなかった。根津もその仕草に気付いてはいたが、彼は特に口を挟む事なく、他の教師と同じ様に離れていった。
会議室に残されたのは、相澤とミッドナイトの二人だけ。
「・・・・・それで、何の用なのイレイザー。わざわざ他が出払うのを待ってたんだから、周りには聞かせたくない話なんでしょうし。――士郎くんのこと?」
「ええ、まあ。ミッドナイトさんには、話しておこうと思いまして」
ミッドナイトは、相澤が無意味にこんな事をする人間ではないと知っている。
彼がこうして自分一人に視線を遣ってきた以上、内密に済ませたい用件があるということ。そして、自身を引き留めたという事は、要件は衛宮士郎に関してであると見て間違いない。
その考えが正しいと示すかのように、断定的な物言いに相澤が不平を溢すことはなかった。
「あなたは以前、衛宮を他人の為にしか生きられず、他人の幸福でしか笑えない人間だと言っていたでしょう」
「事実、彼はそういう風に生きている。でなければ、私たちがあれこれと手を回そうとすることもなかったわ」
今年度の一年生が入学する以前、入試における二次試験の評価を下した後の出来事だ。
ミッドナイトが相澤を呼び止め語った衛宮士郎の在り方。彼は、自らの存在意義を全て他者に置いていると、彼女はそう語った。
「そこを否定する気はありません。俺自身、あいつのそういう気質のおかげで後遺症も無く仕事できてますから―― ただ、そこに一つ補足を入れておこうかと思いまして」
かつての言葉に否やはない。衛宮士郎そんな人間でなかったら、彼は二日間も病院に縛られる事はなかった。
ミッドナイトの感性は正しいと、そう言える。――だが同時に、もう一つの異常性を、彼女は見落としていた。
「あいつは、衛宮士郎っていう人間は、既に命のやり取りをできてしまえる。おそらく、俺たちプロなんかよりもよっぽどシビアに、そして容易に」
「・・・・・まさか。彼はまだ高校生になったばかりの子供よ? そんな簡単に命を奪い合う覚悟ができるとは思えない」
相澤の言葉に、ミッドナイトは否定を投げかけた。
衛宮士郎だから、という理由ではない。単純に、これまで平穏に暮らしてきた学生が今の段階で殺し殺されを受け入れているなど、到底信じられるものではない。
おそらく、彼女でなくとも、そう考えるだろう。
――本人と、一人を除いて。
「あいつ自身が言ってたんです。それで大勢が救えるなら、たとえ罪を犯す事になったとしても、自分の手で悪党を殺すと。――USJで例の剣を使ったことが、それを証明してます」
「・・・・・・・・・・・・・」
他人の為にしか生きられないから。他人の幸福でしか笑えないから。
だから、それらを理不尽に傷つける者に一切の容赦は無い。必要なら、命を奪う事も厭わない。
ミッドナイトも、薄々は勘付いていたはずだ。カラドボルグという絶大な破壊力を持った剣を、その力を理解した上で人に向けた以上、彼はヴィランを絶命させるつもりで、矢を放ったのだと。
「あいつは、色んな意味で他の生徒とは一線を画す人間ですが・・・・・一番の違いは、誰よりも現実を見据えてる、というところです。人を救う事、生かす事がどれだけ難しいか理解していて、世界はままならないものだと知っている」
「それは・・・・・そうかもしれない。彼は、命を救う事に固執してるみたいだから」
「おそらく、衛宮は命の価値に差をつけないんでしょう。誰も彼も平等に扱って・・・・・だから、数で判断する。どちらも等価値なら、より多い方を残そうとするのは、当然の思考でしょう。――そんなやり方、やってる本人が一番苦しいだろうに」
衛宮士郎が単に悪党の命を軽んじているだけなら、話がこうも拗れることはなかった。道徳と法律を説いて彼の認識を改めれば、それで済んだ話だ。
・・・・・だが、そうではない。
衛宮士郎は、悪党だからといってその命を軽んじる事は決してしない。相澤は先の話し合いで、彼がむしろ悪党ですら救いたいと思っている節があると感じた。
それは、ただ命に優劣をつけるよりなお酷な在り方だ。大のために小を切り捨てる判断をしながら、本人は切り捨てたモノへの慚愧に苦しむ。
本当は誰も犠牲にしたくないくせに、いざとなれば誰よりも冷徹に、躊躇なく
その二律背反、救いたいモノと救えないモノの間で板挟みになりながら、衛宮士郎は死ぬまで同じ事を繰り返し続けるのだろう。
「きっと、あいつは折れませんよ。途中で自分の生き方を曲げる事はしない。指一本動かなくなって、死ぬ直前まで同じ事を繰り返すつもりなんですよ」
衛宮士郎は、既に生きる目的を定めている――いや、おそらくは生まれた時から生存意義の定まっている人間だった。
ただ、他者の生存と幸福の為に。それを守る事が生きる意味で、それこそが彼にとって何よりの幸福になる。己に還るものなど、初めから求めもしない。
それが、衛宮士郎の一生。
「真っ当な人間が当たり前に手にする幸福も楽しみも、何もかもかなぐり捨てて、最期に本人は『満足のいく人生だった』、てくたばるつもりなんですよ――俺は、そんなやつの末路を認める気はありません」
静かな宣言には、憤りが込もっていた。自らの教え子が突き進もうとする破滅を、決して受け入れはしないと、彼の瞳が語っている。
「・・・・・それは、あんたが彼の担任だから?」
「いいえ。俺個人が、やつをそうさせたくない。――十年前のあなたと、同じですよ」
「・・・・・そう」
教師として以上に、一人の人間として。
かつてのミッドナイトがヒーローとして以前に、一人の人間としてある少年の在り方に焦がれた様に、相澤もまた衛宮士郎の生き方を無視できない。
何一つ残らない空虚な終着など、あの男には相応しくないと、そう確信するが故に。
「話はそれだけです。お時間を取らせてすみません」
「いえ、知らせてくれて助かった。私も、これからはもう少し積極的に彼の指導に関わるわ」
「・・・・・自分の仕事は疎かにせんでくださいよ」
「それくらいの分別はついてるわよ」
だといいんですが、と言って会議室を去る相澤。その後に続きながら、ミッドナイトは衛宮士郎の行く末に想いを馳せる。
相澤が語った可能性を、彼女も危惧してきた。だからこそ、彼女は雄英に入学した彼に気を回してきた。
彼女をそうさせるのは、かつての彼が成した行動故だ。
少年というべくもない幼い時分に、自己の命と引き換えに見知らぬ親子を守ろうとした。その気質は今も変わらず、このままいけば彼はいずれ他者を救った果てに死を迎えるだろう。
・・・・・しかし、彼女が思い浮かべていたその瞬間は、決して孤独な最期ではない。
仲間に、友に、救った誰かに惜しまれ、涙されながら息絶える。人を助けたが故に命を落とすなら、きっとそれが自然で相応しい終わりなはずだ。
――だが、衛宮士郎の在り方がもし本当に相澤が語った通りなのだとすれば、彼の死を嘆く人間は果たしてどれだけいるのだろうか。
いかに市民を救おうと、その最中に捕えるべき犯罪者を死なせてしまえば、その時点で賞賛と同じだけの批難をもらう。
大多数のヒーローなら、そんな事態にはならない。命を奪うにまで至らないということもあるが、何よりそうしなければならないようなヴィランが現れた時、彼らは他の者を頼る。そうでなくとも、敵わない相手と無理に戦おうとはしない。市民の避難後なら、命を張る必要は無いからだ。
それがプロヒーローの取るべき行動であり――衛宮士郎は、決してその選択をしない。
強力な力を持ったヴィランが根深い悪意を以って罪を犯し、それを取り逃すような事になってしまえば、生まれうる被害は甚大なものになる。
その可能性を、彼は見過ごさない。たとえ死が免れないとしても、後の被害を生まぬ為に実力差など考慮せず挑みかかり、ヴィランの命を奪ってでも止めようとする。――USJの時と、同じように。
その時、自らの命を失いながらヴィランを殺して人々を守った時、世間は彼をただ讃えはしない。ヴィランを死なせた責を問い、より適切な対応があったのではないかと探り、ヒーローとしての彼の在り方そのものが正しいのかを精査するだろう。
それを間違いだとは言わない。どうあれ、人の命を奪う事は最も罪深い所業だ。
かといって、それがあの少年に相応しい応報だとは思えない。誰かの為に頑張った人間が、その死を純粋に悼まれないようなこと、あってはならないはずだ。
ならば、自身はどうすればいいか。悲惨な結末を避ける為、彼女は何を為せばいいのか。
――これまで通り、他の教員と協働して衛宮士郎を鍛える?
それも一つの手であり、重要な事だ。彼に、命を奪うまでもなくヴィランを制圧してしまえるだけの力量があれば、こんな煩悶に悩まされる事はない。
だが、それはおそらく不可能だ。誰もがオールマイトのようになれるわけではない。先日の襲撃犯の一人、脳無の様な常軌を逸した難敵は、必ずどこかで現われる。
如何に力を付けようと個人では覆せないモノはある。それはオールマイトですら例外ではない。
だから、結論としてはありふれたものになるのだが、
・・・・・結局のところ、士郎くんが変わらないと、どうにもならない話なのよね・・・・・。
力では限界がある。彼の心に、何らかの変化が無くてはならない。
他者を救いたいと願いながら、それでも自身の命を惜しいと思える様な心境の変化。そういったものだけが、彼女の危惧する結末を回避できるのだろう。
そして、そんな変化を齎せるモノがあるとすれば、それは――
・・・・・いえ、それは、いくらなんでも無責任過ぎるわね。
かぶりを振って、彼女は思考を中断する。
直前まで思い浮かべていた結論は、最も衛宮士郎を変えうる可能性があった。しかし、それを安易に由とするのは恥知らずだと、彼女自身が自覚している。妙案は浮かばず、焦燥は募るばかり。
ハッキリとしていることがあるとすれば、一つ。
――ミッドナイトは、衛宮士郎を変える人間にはなれない。
どうも、アーマードコア6にどハマりしていたなんでさです。
自分、子供の頃から色んなゲームに手を出すタチではなく、基本的に好きなジャンルやシリーズのものだけプレイしていて、acシリーズの名前を知ったのも随分後のことだったんですが、ac6発売以降、youtubeなんかで色んな方のac6の配信を見て滅茶苦茶やりたくなり、それまで購入を見送っていたPS5ごと購入してしまいました。
そのおかげというか、所為というか、とにかく時間が溶けまくりました。多分、2、3ヶ月の間はずっとテレビに齧り付いてac6プレイしてましたね。その間、ほとんどソシャゲも触れずでしたから、我ながら凄まじいのめり込みっぷりでした。
過去作は媒体や当時の技術的に手は出そうと思いませんが、リマスターを発売して欲しいとは思います。acfaでハイスピードネクスト戦をやってみたいです。