どうも、なんでさです。
今回は半年以上ぶりの更新となり、拙作を楽しみにしていただいている読者の方は本当にお待たせいたしました。
エタッたわけではなかったんですが、なかなかどうして執筆が進まず、いつのまにか大晦日も正月も、挙げ句の果てにはGWまで通り過ぎてしまいました。そのくせ、話そのものはあんまり進んでいないという有様です。
次回からはようやく体育祭に突入となりますので、読者の皆様方はどうか、気が向いたら読んでやるか、ぐらいの気持ちでお付き合いいただけたら幸いです。
四月も下旬に差し掛かり、淡い桃色の失せた葉桜に微かな物寂しさを感じる今日この頃。
ここ最近は、ほぼ毎日のように放課後に緑谷と二人で訓練場を借りている。
それというのも、体育祭に向けて彼の特訓に付き合うと約束したからだ。
内容はその日その日で変えているが、主な鍛錬は緑谷の“個性”制御に組み手、それに実戦形式の立ち合いなど。
元々、超パワーに合わせた体づくりをしていたぶん身体能力は申し分ないし、戦闘での立ち回りも悪くなかったから、動きが様になってくるのも早かった。
今の緑谷なら、入試で相手したようなロボの一体や二体、“個性”を使わずとも倒せるだろう。
「緑谷、片付いたならさっさと行こう。あんまりのんびりしてたら混み始める」
帰りのHRが終わって退出する相澤先生を見送るのも束の間、急ぎ早に緑谷の席へ足を向ける。
迫る体育祭に向けて特訓しようと考えるのは俺たちに限った話じゃない。のっそり準備してたら職員室前に訓練場の使用許可を求める生徒の行列ができること請け合いだ。
「順番待ちになっちゃったら時間がもったいないもんね。行こうか、衛宮くん」
緑谷もとっくに準備できてたみたいで、準備万端、と鞄を掲げた。
その姿に頷き、今日も今日とて相澤先生から許可を取り付けようと、二人揃って出入り口に向かう。
――その直前。
「衛宮に緑谷! 今日の特訓、俺も混ぜてくれ!」
「私も、ご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
二人で教室を出ようとしたところで、うちのクラスきっての熱血漢とお嬢様に持ちかけられ、突然の誘いに緑谷と顔を見合わせてポカンとする。
これまでずっと二人で特訓してた上に、他のクラスメイトからこういう誘いを受けたのは初めてだった。
「俺は別に構わないけど……どうする、緑谷?」
開きかけた扉にかけた手を離し、友人へと問いかける。
この特訓自体、俺が緑谷を手伝うという名目で始めたものだから、何をするか、どうやるか、みたいな主導権は一任している。
彼がノーと言えばそれまで、せっかくの申し出を断ることになるのだが……
「むしろ、こっちからお願いしたいくらいだよ。二人が良ければ是非!」
「よし。なら、一緒に行くか」
緑谷も乗り気な上に俺が断る理由も無く、二人の提案を受け四人で職員室へ向かい、動き出しが早かったこともあって進みの遅い列にやきもきすることもなく使用許可を取り付けることができた。
その後、更衣室でそれぞれ体操着に着替えて訓練場で合流する。
幸いにも俺たち以外の使用者はまだいないようで、これなら思う存分、特訓に精を出せるだろう。
「いまさら聞くのもなんだけど、二人ともこのメンツでどういった特訓するつもりだったんだ?」
各自でウォームアップをしながら、この特訓の新顔となる二人に改めてその意図を問う。
鍛えるにしても、方針なり目的なりを決めないことには集まって特訓する意味が薄い。筋力を付けたければ筋トレ、スタミナを付けたければランニング、といった風に。
目的もなくただ闇雲に鍛えたところで悪戯に体力と時間を浪費するだけだ。
「俺は、模擬戦でもって思って声をかけた。体育祭で決勝まで残れたなら、そん時はタイマンになるみたいだからな。八百万は?」
「私も切島さんと概ね同じです。体育祭ではいかに対人戦をこなせるかが結果を左右することになるでしょうから」
二人の考えは理にかなっていた。
迫る体育祭、競技は基本的に生徒同士のぶつかり合い。
組やチームは無く一人一人が一つの勢力になるから、“個性”の相性なんかがモロに出る。出場選手はヒーロー科のみならず他の科の生徒も加わるから、不利な“個性”を相手取ることもあるかもしれない。
相性が悪い相手に当たってしまった時、それを覆せるのは技術や立ち回りだ。
真剣に優勝を目指すのなら、対人戦を見越した特訓は必須だろう。
「僕たちが普段やってるのとあんまり変わらないし、あとは組み合わせとか考えるだけだね」
「ん。とりあえず一対一<タイマン>で、もう一組は審判兼記録係ってところだな。……あとは、せっかく頭数があるんだし、コンビ戦もやれるか」
肉弾戦だけでなく、“個性”もフル活用した正面戦闘。
対人戦の訓練ならこれが手っ取り早い。緑谷と二人での時も、一番比重が大きいのはこれだ。
生きた人間と対峙し一瞬一瞬の判断で戦いの趨勢が決まるからこそ、単に体や“個性”を鍛えるだけじゃ得られない経験と知識を手に入れられる。
今回は他人の視線から見た自身の姿という情報が加わるから、普段俺たちがやっているよりさらに有意義なものになるだろう。
「最初は誰にする? いつもやってる俺と緑谷がまず実演するか、それとも――」
「そんなら、まずは俺と衛宮でやらせてくれ!」
俺の問いに真っ先に名乗り出たのは切島。拳を握り意気込む姿は、彼の気合の程を感じさせる。
「緑谷と八百万は、それでいいか?」
「僕は大丈夫だよ」
「私も構いません。お二方の立ち合い、しっかりと見学させていただきます」
「じゃ、俺たちが一番手ってことで」
先に観察したいという意図があるのか、それとも譲り合いの精神か。
残る二人も順番に異論は無いようだ。
確認すべきことももう無いし、切島の要望通りトップバッターを務めるとしよう。……と、そのまえに。
「投影開始<トレース・オン>」
切島と互いに距離をとった後、言霊を紡ぎ空の両手に陰陽の二振りを投影。
そのまま、二刀の刃に当たる部分を、交互にそれぞれ反対の手首にぐっと押し当てる。
……抜かり無し。これで、万が一も起きない。
剣を離した部分にあるのは僅かな窪み跡だけ。出血どころか、傷の一つも残っていない。
もともと、いま投影した二振りは刃を潰してある。実戦形式の模擬戦とはいえ、真剣なんて持ち出して相手を怪我させるわけにはいかない。
訓練なら、“なまくら”で十分だ。
「すまん、待たせた……て、どうしたんだ?」
準備は出来た、と姿勢を整えて相手を見据えて見れば、朱い瞳を大きく見開いて固まってる切島が目に映った。
他二人も似た様子で、事故現場でも目撃したみたいだ。
「何かおかしな事でもあったか?」
「……いや、だって、おまえがいきなり自分の手首を斬りつけるもんだから」
「ああ、そういう」
やっておいてなんだが、いきなり手首に刃なんて引いたら、傍目に見ればクラスメイトが脈絡も無く自殺衝動に駆られたように見えなくもない。……いや、それ以外に見えないか。
俺は殺傷力を持たせずに造ったつもりだけど、他の人間にそんなことわかるはずもない。
「大丈夫。刃引きして造ってるから傷一つない」
「そういうことでしたら私たちも一安心ですけど……心臓に悪いので、せめて一言、言ってからにしてください」
「驚かせて悪い。次からは気をつけるよ」
問題は無い、と両手首を晒して謝る。
友人が目の前でリストカットなんて光景、肝の小さい人間なら卒倒ものだ。
俺ももう少し周りの視線を気にしておくようにしないと。
「なあ、衛宮。なんでわざわざ刃潰してんだ」
改めて構えを取ろうとした俺に、差し込むように切島が問いを投げかけてきた。
頭に?を浮かべている彼は、実に不思議そうな顔をしている。
「本当に斬れたらマズイだろ? 体育祭前に怪我なんてさせる気はないからな」
「怪我って……おまえ、俺の“個性”が何なのか忘れたのか」
「覚えてるよ。けど、それとこれは別だ。下手に真剣を向けて万が一、硬化が解ける瞬間と噛み合ったら目も当てられない」
彼の“個性”が硬化だって事は理解してる。
岩どころか頑丈な金属並みの硬度になった肉体は弾丸すら跳ね返すだろうし、並大抵の剣じゃ斬るどころか血を流させる事だって出来やしない。
けど、その硬化は永続的なものじゃない。具体的な条件までは知らないけど、訓練での様子からして持続時間なり本人の忍耐なり、何らかの制限がある。
もし、硬化が途切れるタイミングで斬りかかってしまえば、狙い所によっては大怪我どころじゃ済まない。それに――
「それじゃ意味が無えんだ。本物の刃物だろうと受け止めてこそ、“個性”にも磨きがかかる。だから衛宮、遠慮なんてせずに全力でやってくれ!」
「切島くん、これはあくまで模擬戦なんだし、何もそこまでこだわらなくても……」
「模擬戦だからこそだ! 訓練だろうと、実戦だと思ってやる。怪我にビビって体張れねぇようなやつは漢じゃねえ!」
切島はこちらの対応がお気に召さないらしい。緑谷の説得もどこ吹く風。
あらゆる攻撃を受け止めてみせると気炎を吐く様子は、漢らしく在る事を旨とする切島にしても、どこか違和感を感じさせた。
余裕が無い……というよりは必死か。
ナニカに駆り立てられているかのように、今の彼は不自然に映った。が――
「……分かった。そこまで言うなら、仕方ない」
投影した干将・莫耶を破棄し、新たに無銘のショートソードを両手にそれぞれ握る。
全く同型のそれらは、愛用する陰陽剣と違って特徴らしい特徴もなく、鈍い銀色の刀身が無骨さを際立たせている。
斬れ味は並以下。硬化を破る事は当然、“個性”が解けてもよく鍛えてある切島の身体を両断するほどの鋭さは無い。当たりどころにもよるが、そうそう致命傷にはならないだろう。
「今度は刃を潰してない。こいつなら
一振りを刃が切島に見える様に掲げる。
この剣なら、彼の意気込みにも応えられるはず。
「……いや。それじゃあ駄目だ」
「これでも駄目なのか……? 今度は何が不満なんだ」
しかし、剣を一瞥した切島からの返答は否。
彼の望んだ通り間違い無く斬れる真剣を用意したのに、なおも不足だと言われる。
「さっき言ったはずだぜ、本気でやってくれって。あの双剣がおまえの愛剣なんだろ? なら、そんな使い慣れてない物なんて使わず、あっちで勝負してくれ!」
――愛用の双剣で。
それはつまり、干将・莫耶でやれと、そういうことか。
切島の前で――いや、ほとんどのクラスメイトの前でその二振りを使った事はまだないんだが、いったいどこで知られたのか。
緑谷と峰田、蛙吹さんの三人になら近くで見られたし、人から聞いたのだとすればそこからか。
或いは、脳無との戦いを遠巻きに見ていた他の人物かもしれない。
……いずれにせよ、困ったことになった。
できれば、切島の頼みに応えてはやりたい。俺も、訓練は本気でやった方が有意義だと思う。
ただ、それでも駄目だ。他の剣ならともかく、あの二振りをそのまま人に向ける事は出来ない。
できれば、こっちの説得に応じてもらいたいけど……
……多分、口で言っても納得しないだろうな。
そこはまず間違いない。
切島自身、あまり言葉を曲げるタイプじゃないし、今日は普段以上に気合いが入ってる。口八丁で丸め込むのは骨だろう。
ならば、どうやって説得するか。
……仕方ない、か。
できればやりたくない方法だし、あんまり好きなやり方じゃない。
けど、さっさと済ませるにはこれが一番。だから――
「八百万。一つ頼んでいいか?」
「え? な、なんですの突然、頼みって……」
「なんでもいいから、金属の塊を創造してくれ。それなりに硬くて頑丈なのを」
いきなり水を向けられた八百万は整った顔を怪訝そうに歪めて、こちらを見つめ返す。
脈絡も主語もなく頼みがある、なんて言われたら誰だってそうなる。ただ、あまり無駄な時間は使いたくないし、こんなことをお願いできるのは彼女しかいない。
俺じゃ、パフォーマンスに丁度いいものは造れない。
「おい、衛宮。いきなり何なんだよ。金属の塊って……そんなのどうするつもりなんだ」
「いいから、ちょっと待ってくれ」
俺の突飛な頼み事に切島は混乱してるが、今はスルーだ。
言葉で説明するより、実際に
「……分かりました。何をするのかは存じ上げませんが、強度と硬度の高い金属塊を用意すればいいのですね」
「ああ、頼む」
俺の意図は察せずとも、無意味なことではない、と八百万は判断してくれたらしい。
彼女はジャージの前を開き内側に着たシャツの裾をたくし上げた。
彼女の“個性”、創造を行使する準備だ。自身の体内で脂質を他の物質に変換・構成する事で無生物を創り出すという能力だから、創造した物は必ず身体から直に現れる。服を着ているとその時に破れてしまうから、ああして邪魔な覆いを取っ払っているのだ。
初日の戦闘訓練はじめ何度も見ている姿で、俺にとっては既に見慣れた光景、なんだが……
……相変わらず、心臓に悪いよなぁ。
創造が完了するまで八百万から、ふい、と思わず視線を逸らす。
正直、まともに見てられない。
彼女が“個性”を発動するという事は、少なからず素肌を晒すということで。
創造する物のサイズによっては、見せつけられるその真っ白い肌の面積が広がるということで。
…………端的に言って、凄まじく色っぽいのだ。
女性の素肌を直に見るなんて、年頃の小僧っ子には劇薬そのもの。
出来る限り、じゃなくて絶対に見てはいけない類のものなのだ。
……それなのに。
本当に不思議で、全くもって不可解なことに、八百万はどうしてか自身の“個性”を人前で行使する事に躊躇いがない。戦闘装束なんか、ほぼ見えてる面積の半分以上は肌色。効率と利便性を重視した結果なんだろうがそれにしたって大胆過ぎる。
いくら“個性”がアレとはいえ、もう少し恥じらいを持った方がいいのではないでしょうか?
俺なんか、彼女とペアで訓練に臨んだ時、弓を握るまで精神を鎮める事ができなかった程だ。
……無論、八百万に失礼だからそんな内心はおくびにも出さないが。
「……できました。厚さ100mmの、超硬合金です」
「あ、ああ。ありがとう、助かった」
男衆が悶々としてる間に創造は終わっていたらしい。心中の動揺は悟らせず、簡素に礼を言う。
彼女のそばには鈍い光沢を放つ金属製の塊立たされている。高さはだいたい50cmよりちょい上あたり。
注文通り、頑強な金属を創造してくれたようだ、
「ねえ、衛宮くん。それでいったい何をするつもりなの?」
「ちょっとした実演、かな」
短く返答しながら、切島に向き直り巨大な鋼塊をコンコン、と叩く。
「切島。コイツを硬化した上で全力で殴ってくれ」
「は? 殴るって、そのばかデカい塊をか?」
「ああ。とりあえず、やってみてくれ」
手品でも披露されたみたいに呆けている切島に、その通りだと答える。
わざわざ八百万にこんな物を用意してもらったのは、彼にこのカッチカチの金属を思いっきりぶん殴ってもらうため。……正しくは、その第一段階だけど。
「おまえが何をしたいのかよく分からんが……まあいい。やってみろってんなら、やったろうじゃねえか!!」
言って、切島は指を鳴らす。
理由はともかく、硬くて頑丈な物体を殴ってくれ、という頼みは彼にとってはいい鍛錬であると同時に、ある種の挑戦にもなるのだろう。腕をグルンと回し勇んで構えている。
腰を落とし、狙い定める拳はストレート。凝縮するかのように力を溜め込み、数秒先の衝撃に打ち勝たんと備えていて――
「――ふんっっ!!」
短く気合いを吐き出すと同時に拳を打ち下ろすように叩き込み、ガゴオォォン、と鈍い衝突音が響いた、
拳が離されたそこは、僅かに陥没している。“個性”による硬度はもとより、振るった拳の鋭さ、速さ、重さ、どれも十分な一撃だった。
「つぅ……、流石に、今の俺じゃ割れねぇか」
さしもの切島も今のはそれなりに堪えたようで、硬化を解き手をプラプラと揺らし、残った結果に自分の未熟を嘆いている。
その一方で、俺は僅かでもあの鋼塊を窪ませた事に内心で驚いていた。
八百万が用意してくれた金属の頑強さは、解析で把握している。金槌どころか、威力の低い銃弾じゃ命中した瞬間に弾けて散るほどの硬度を誇っていた。
それを少しとはいえ傷つけるとは、まさに戦鎚とでもいうべき一撃だ。
あれが今から自分に向けられると思うと、いささか恐ろしい。
……まあ、ともあれ。
「切島、そこ開けてくれ。次は俺だ」
「え……? お、おう」
無銘の剣を二振りとも地面に突き立て、変わる形で切島が立っていた場所に陣取る。
引き下がらない切島の説得にわざわざこんな回りくどいやり方を選んだのは、否定しようがない事実を示して納得させるため。
八百万に頑丈な金属を用意してもらい、あえて壊せない事を知った上で切島に殴らせたのも、その前段階。
本番は、ここからだ。
「――――」
大きな金属塊の前に立ち、鈍く光る鉛に近い銀色のそれを見下ろす。
三つの視線を背に感じながら剣を投影。
両手には、刃を潰していない干将・莫耶。
「すぅ―――」
息を一つ吸い、構える。
右の陰剣は大上段で。左の陽剣を水平に。
狙うは鋼塊の中心線。
「―――ふッ」
呼気を吐き、続け様に二閃。
標的の正中線と水平線に、それぞれ撫でるように二刀を滑らせる。
刃が通り過ぎた後、鋼塊は不動のままだ。
「……気合い入れて剣振ってるとこ悪ぃんだけど……スカしてるぞ、狙い」
「そう、だね。剣を振った時、何も音がしなかったし」
「そもそも、普通の刀剣でこの合金の断割は不可能ですわ、衛宮さん」
それまで何も言わずに一連の動作を見守っていた三人が、振り抜いた姿勢を解いたところで口を開いた。
仰々しく剣を振るった割に、何の変化も見られないことに拍子抜けしているようだ。
みんながそう思う気持ちは分かる。頑丈な金属の塊に剣を振り落としたっていうのに、どっちかが欠けることも、音が鳴ることもなかったんだから。三人の反応は、きっと正常だ。
――だからこそ、この未知を理解できない。
「……」
友人たちの困惑には答えず、鋼塊の一角に手を置き内から外に向けて押す。
血管が浮くぐらいには力を込めてそうすること数秒。
「………え?」
「……うそ」
呆然とする三人の前で、ズズ、と音を立てて鈍銀色の塊から四隅の一角がズレる。
見た目以上の重さで、押し出され移動していく速度は遅い。ゆっくりと、スロー再生と錯覚しそうなとろさで、しかし確実に一塊から離れていく。
そうして、面積の大半を宙に突き出した一欠片は、ゴトン、と重力に従って地面に落ちた。
「……なんで? さっきは外してたんじゃ――」
「いいや。きっちり、こいつの軸に通したよ。縦横一閃ずつ。ちょうど四等分だ」
信じられない、という想いがありありと浮かんだ表情で漏れた切島の小さな呟き。
ここに鎮座する金属の頑丈さは、彼自身が自分の身で実感している。コンクリートどころか、ちょっとした鉄板なら簡単にひしゃげさせるだけの硬度を実現できる切島が、僅かに窪ませる事しか出来なかったそれを、こうも綺麗に両断させた事実を容易に受け止められはしないのだろう。
「そんな馬鹿なこと……モース硬度ならダイアモンドにも次ぐ炭化タングステンの合金、それを何の機構も搭載されていない単なる刀剣で切り裂くなんて、そんなこと……」
「確かに、ただの剣じゃ無理だろうな。斬れる斬れない以前に、刃を叩きつけた時点で刀身が折れる。――けど、こいつは特別だ」
身を固める三人の前に陽剣、干将を掲げる。
黒い中華刀は陽の光を浴びて黒曜石の様に艶やかに光り、刀身に走る紅の亀甲模様がその照りを際立たせている。鍔の中央に描かれた太極図はこの剣の在り方を示す縮図そのものだ。
芸術品としてみれば、この一振りだけでも珠玉の一品と言えるだろう。贋作とはいえ、歴史共に価値を認められればどれだけの値が付くか想像も付かない。……けど、これは剣であり、武器であって鑑賞品ではない。その本領は、やはり斬る事にある。
「いわゆる、名剣とか宝剣って言われる類のモノでさ。そこらの金属なんか、一方的に断ち斬れるだけの鋭さがある」
そう言って、今度は地面に落とした塊の一部へと莫耶を振り落とす。
その性質を生かしてあらゆる加工工具や金型に用いられる頑健な金属は、しかし抵抗らしい抵抗もなく白刃を受け入れた。それこそ、包丁で切り分けられる豆腐みたいに。
「切島くんの硬化でへこませるのがやっとだった金属を、こんなにあっさり……」
「それだけ優れた剣だってことだ。……けどこれで、俺が何をしたかったかは分かったんじゃないか?」
陰陽剣を破棄し、雄英の至る所に配備されている謎のハイテク雑用ロボットに片付けを頼みながら切島を見やる。
少し前まで驚きに縛られていた彼はいま、眉根を寄せ拳を握りしめ微かに身を揺らしていた。
「俺の“個性“じゃその剣は受け止められないって、伝えたかったんだろ? ……悔しいけど、こうまで見せつけられちゃ認めるしかねえよ」
――干将・莫耶。
中国の伝説に記される二刀一対の夫婦剣。
刀匠『干将』が呉王の下命によって鍛え上げ、陽剣には自身の、陰剣には妻である『莫耶』の名をそれぞれに与えた至上の二振り。
制作過程において行き詰まった夫を見かねた妻が、神域の業物を鍛え上げるには人身御供が必要だと告げ、自ら炉に身を投げ命を捧げることで完成させたという逸話が残されている。
妻の命が込められているからか、夫婦の名を冠した二刀は互いに引き合い必ず持ち主の元に戻るという性質を有していた。
果たして、陰陽を体現したが故にそんな力を備えたのか、或いは人々の伝承する物語があらざる能力を付与させたのか。
真実は分からないが、はっきりしている事は一つ。
――至高の素材と命で以って鍛えられた二刀は、斬鉄すら容易にこなす業物へと至った。
切島と完全な干将・莫耶で打ち合えば拮抗なんて起きない。すんなりと、バッサリと、冗談みたく簡単に彼の身体が斬り落とされるだけだ。
その事実を過たず理解してもらう為に、こんな回りくどい方法を選んだ。
「口で説明すればいいところを、イヤミなやり方で悪かった」
「謝んなくたっていいさ。俺も多分、言葉で説明されるだけじゃ納得しなかったと思う。……それより、早く模擬戦を始めようぜ。俺が言うのもなんだけど、時間を無駄にしちまったからな」
ともすれば侮辱とも取れる俺のやり口を、気にしていない、と流した切島は距離を取って俺を待っている。
模擬戦だというのに、その体は緊張からか少しだけ強張って見えた。
「確かに、時間がもったいないな。――八百万、合図を頼む」
「………分かりました」
気を取り直し、自分も姿勢を整え切島に向き合う。
しばしの間を置いて八百万が頷き、数瞬先には開始の宣言がなされる――その刹那。
「――――」
視線を合わせた切島の瞳は闘志に燃えていた。訓練だからと、気を抜く気楽さは見えない。
やるからには全力で。
一挙一動すべてを糧にするのだと、真っ直ぐな情熱を湛えていて――それは、入学初日に緑谷に感じたモノと同じ輝きだった。
……ああ、本当に。
「始め――!」
――うちのクラスには、眩しい眼をしたやつばかりがいるな――。
開始から五度の交差で、実力の差を思い知った。
「おぉおお!!」
「―――」
胸部めがけた打ち込みは、拳に添えるように振るわれた剣によって流され、虚しく空を切る。
崩れそうになる姿勢を辛うじて留め、ならばもう一度、と狙う逆袈裟の拳は半ばで相手の剣に打ち弾かれた。
模擬戦が始まってから約三分。同じような光景が何度も繰り返されている。
硬化し岩をも砕く拳は、しかしなんの守りも持たない生身の人間を未だ打ち抜けずにいた。
……まるで届かねえ……っ!
機械じみた正確さで繰る二刀によって迫る攻勢を悉く凌ぐ姿は剣士そのものだ。
その実力が如何ほどのものか、剣使いならざる身では正確に測る事はできないが、しかし剣を武器とするからこそ当初は対等に渡り合える自信があった。
剣士。
それは、剣という触れたモノを斬り裂く鋭利な刃物で以って敵対者を打倒する者で、丸腰の人間がおよそ敵うことのない存在だ。
触れれば斬られる得物の鋭さも驚異だが、より覆し難いのは剣士と拳士を隔てる最大の要因たる攻撃圏<リーチ>の差だろう。
通常、拳で戦う者が対戦者に最大威力の攻撃を届けるには、相手の懐まで潜り込まなければならない。敵の動きを読み移動先を予測した上でその先へと踏み込み、或いは身体能力の差で翻弄し無防備な身体を殴打する。
拳での戦いで最大効率を求めるなら、超至近距離の肉弾戦を挑むしかない。
しかし剣道三倍段の言葉が示す通り、その戦い方は武器を持った人間を相手にした時、難度が格段に跳ね上がる。
拳を握らず道具を持つことによって、攻撃を届かせることの出来る範囲は得物の全長分だけ拡大する。当然、一撃を加えるのは武器を持った人間の方が早い。
無手である以上、剣使いを相手にすれば不利な戦いとなる事は必然。
――されど、その強みを潰し尽くすのが、硬化の“個性“だ。
コンクリートを遥かに凌駕する硬度へと達した肉体は生半な刃を通さない。本来なら致命となるはずの被弾は甲高い金属音を奏でて微かなこそばゆさを感じさせるのが関の山。
敵に有効な攻撃手段がなくなれば、接近もまた容易となる。
殺傷力の高さとリーチの長さ。
武器による利点はこの“個性”の前に意味を成さない。
それと同時に、対剣士戦闘の経験も彼の自信へと繋がっていた。
先の襲撃事件では武器を使うヴィランはいくらでもいて、刀剣を振り回していた者も一人や二人ではない。しかし、いずれも硬質な肉体を傷つける事は叶わず、むしろ彼は敵の斬撃にカウンターを合わせて刀身を折り砕いていた。
相性と経験。
切島鋭児郎にとって剣士とは御し易い部類の敵だ。
――この時まで、そう思っていた。
剣と拳を交えるたび、その分析は浅薄に過ぎる、と刃の鋭さで以って教えられる。
正面から受け止めれば砕かれうる硬い手刀は刃の腹に乗せられあらぬ方向へと飛ばされ、間合いを詰めたからといって相手の守りを抜けるわけでもない。
相性差で完全な優位に立つ筈の戦いで、何一つ上回れない。
……なんつぅ巧さだよ……!
反射で場当たり的に対処しているわけではない。剣の一振り一振りに意味があり、自身が不利になる流れは作りはしない。
切島がUSJで相手にしたような、ヴィランもどきのチンピラ連中とは違う。緻密に組み上げられた術理と確かな理念で以って振るわれる、これこそが真の剣術だ。
これと比べれば、ゴロツキどものそれはただの棒振りでしかなかった。
その程度の連中を剣士と認識していた時点で、切島鋭児郎と衛宮士郎の間には埋めようのない技量差がある。
何気なく過ぎた剣の軌跡にどれだけの技が詰め込まれているか、理解することもできない。
……分かっていたことだ。
接近戦では、切島鋭児郎が衛宮士郎に勝てる道理はない。
USJにおける彼と脳無の戦いが証明している。切島は黒塗りの怪物が動く様を肉眼で捉えることができなかった。見えなかった以上、正面戦闘で切島鋭児郎が脳無と張り合える道理は無い。
衛宮士郎は違う。
自身とそう違わない身体能力で、自分より脆い身体の彼は、曲がりなりにもあの怪物と戦えた。
実際に見たわけではない。後日、友人から又聞きしただけの話だ。けれど、こうして手玉に取られているのだから事実なんだろう。
この戦況は当然の帰結。接近戦を挑んだ時点で、彼の劣勢は目に見えていた。
……それにしたって、動じなさすぎだろっ……!
一度、大きく距離を取って仕切り直しながら、内心で相手の立ち回りに呻く。
実力差は承知していたし、納得はできずとも、勝ちの目は少ないだろうとも理解した。
だが、拳が届かないどころか、その場から一歩たりとも動かせないなど――果たして、訓練前の己に想像出来ただろうか。
怯まず、退かず、ただ不動。
衛宮士郎は勝負が始まってからずっと、その場に根を張ったかの如く泰然と構えている。
「――――」
退いた自身に対し、対戦相手は追撃をしない。
相手をじっと見つめる視線は細く、両腕をぶらん、と下げたままこちらの出方を待っている。
……それが、あまりにも冷然としていて、まるで心の内まで見透かされているようで――
「……っ、あぁああああ!!」
嫌な思考を振り払わんと、再び突貫する。
臆してはならない。
目の前の人間が接近戦において自身より高みにあるというのなら、己にできる事はただ全霊を尽くして挑みかかること――!
……ただ殴りかかるだけじゃ防がれる。ならっ……!
疾走を止めず、むしろギアを上げていく。
拳では届かない。ここまで、どんなに速く腕を振るっても全て正確に防がれた。殴打では脅威にならない。
相手の防御を上回る方法でなければ駄目だ。だから――
「だぁああああああああッ――!!!」」
咆哮とともに、トップスピードのまま相手に飛びかかる。
点での攻撃が駄目なら、面での制圧で。
剣では防ぎようもない質量で激突し、そのまま身動きを封じれば――
「――――」
「なっ――!?」
全身で捉える。
その思惑は、相手が身を逸らしただけで、呆気なく頓挫した。
「クソっ! これでも無理か!」
接地し前転すると同時に即反転し相手へと向き直る。
視界に収めた友人は、とっくにこちらへ向き直っていた。
表情に驚いた様子はなく、浮き足立った気配もない。変わらず冷静なままだ。
……端から読まれてたってのかよっ……!
これまでとは違う攻撃法に動じることなく対処し、その事実に安堵すら見せなかった。
今の策が衛宮士郎の意表を突き、それを辛うじて回避できたというのなら、狼狽や躱せた事への喜びがあっていいはずだ。
だが、特に変化は見られない。感情に起伏はなく、平坦な心持ちで佇んでいる。
それはつまり、先の一手は彼にとってなんら驚くに値するものではなく、容易く捌ける想定内の行動だったということに他ならない。
……どうする、どうすれば届く……!?
もはや迂闊には攻められない。
ここまで、ひたすらに攻め続けたせいで体力の消耗が大きい。このまま続ければ、いずれ硬化が途切れる。
一旦、インターバルを挟んで、それから……
「疾ッ――!」
「なんっ……!?」
驚愕の声は、鋭い呼気に中断させられた。
腹に感じる僅かな違和感と衝撃。
それ即ち、攻撃を受けたということ。相手との距離は2m近く。刀身の短い短剣で届く間合いではない。
だが現実として、今まさに己はたたらを踏まされていて。
――その元凶を、揺れる視界に収める。
「槍……!?」
いつの間にか、衛宮士郎の両手から二振りの剣が消え、代わりに彼の全長を優に超える槍が右手に握られていた。
柄の後端を握り腕一本で全重を支え、前方に突き出した姿勢はフェンシングにおける突きを彷彿とさせる。
その攻撃、長物のリーチを活かした槍捌きは、徒手の切島にとって剣使いとの対峙以上に難物だ。加えて――
……ここで戦い方を変えてくるかよ……!
得物の取り替えは、間合いの変化だけに留まらない。
守りに徹しその場から微動だにしなかった彼は、今や自ら前へと踏み込み攻めに転じている。
攻撃は最大の防御ということか、彼は
このまま機先を取られ続ければ、そう遠くないうちに圧し負ける。
「……っ、このっ!」
これ以上打ち据えられては敵わない、と不安定な体勢から放つのは掬い上げるようなアッパーカット。
拳が槍の穂先を捉え、鋭利な切先を天へとカチ上げた。
無理矢理に軌道をズラされた相手は、腕を跳ね上げられ無防備な姿を晒している。
……いまっ!
一瞬の隙を好機と見て駆け出す。
武器を腕ごと大きく弾かれた相手が体勢を整えるには僅かな時間を要する。
体力を消耗し個性がいつ途切れてもおかしくないこの状況、ここで退いては再び劣勢に立たされる。
勝利するにはこの僅かな間隙に距離を潰しほぼゼロ距離での殴打を放つしかないッ――!
「おぉおおおッ――!!」
相手は隙だらけのまま、未だに腕を引き戻せていない。
間に合う。
あちらが新しい武器を取り出したり回避するよりもこっちの拳の方が――
「ぐっ……!?」
一歩早い。
そう信じきっていた展望は、喉への衝撃と共に笑ってしまうくらい簡単に覆された。
直上へと腕を弾かれ急所を晒していたはずの相手は、こちらが腕を振りかぶっていた時には槍の柄を守りに回している。
目の前でいったい何が起きたのか。その動きを、両の眼でしかと目にしていた。
……こいつ、あの一瞬で持ち手を移しやがった……!
槍の後端を握っていた右手は穂先近くを持ち、無手だった左手は中間あたりに添えられている。
上から下へ。下から上へ。
跳ね上げられた腕を下ろしながら、槍を握る力を緩め手の中でスライドさせることで瞬く間に守りの構えを取ったのだ。あたかも、上下する昇降機<ラダー>かのように。
間に合わないはずの守りはたった一工程で間に合わせられ、顔面を狙った拳はか細い壁に遮られた。
……その上、こっちの力を利用して返してくるのかよっ……!
防御を間に合わされただけでも肝を抜かれてるのに、相手は拳を持ち手の中間に受けると同時、拳を受けた弾みを動力に転用し、右の手を離し穂先は自身に向くように槍を半回転させその勢いのまま突きを放った。
先の衝撃は、左回りに飛んできた槍の石突に喉笛を強打された事によるもの。
もっとも、硬化故に急所への打ち込みそのものはさしたダメージではない。
だが、その冷静さ。
瞬時に持ち手を変える判断と、攻撃を逆手に取り反撃へと転じる曲芸じみた技量。
分かりきっていた近接戦闘での練度差を、まざまざと思い知らされた。
「っ……!」
再度体勢を崩した己に、槍の切先が何度も突き刺さる。
反撃どころか防御する余裕もない。一瞬でも気が緩めばその時点で“個性”は維持できなくなる。
刃もまた止まらない。停止という概念を知らぬとでも言うかのように休みなく穂先を突きつけてくる。途切れることのない追撃は、獲物の身を啄もうとする嘴のようだ。
「づっ……!」
胸板を打ち抜いた一際強い衝撃に、今度こそ耐えられない。
突き込まれた槍の刃こそが鍵とでもいうように、胸を起点に身体は生身の姿へと戻り、硬化という支えを失った脚は踏ん張りを失っていく。
――その隙を、見逃す相手ではない。
硬化の解除を好機と見て、これまでで一番大きく槍を振りかぶる。
持ち手を耳の側まで下げた構えは、矢を番え弦を引く弓兵の姿にも似ていた。
「フッ――!!」
だんっ!! という力強い踏み込みと共に、引き絞られた槍が解き放たれる。
事前動作の長さに見合って、刺突の速度はやはり最も速い。
脱力しかけた脚では横合いに逸れることも、後ろに下がる暇すら無く。防ごうにも再度の硬化は間に合わないだろう。
一秒のち、“個性”という鎧を失った己の眼前に肉断つ槍の矛先が突きつけられる。
それでこの対戦は終わり。
防ぐ手立て無し、と観客兼審判に判断され、終了を言い渡される。
それが、この短かった立ち合いを締める幕引きで、対戦者たる衛宮士郎の思い描く決着。
――故に、この状況こそ、最後の勝機となる。
「っ、ぜぇあぁあああああああッッッ――!!!」
崩れ落ち行くまま、前方へと吶喊。
その駆け出しは惰弱で腑抜けたものではない。
姿勢は低く、今にもつんのめりそうで、それでも相手の懐へと飛び込んでいく。
……ああ、分かっていたさ。
そう、初めから分かっていたのだ。
己が、目の前の友人に接近戦では勝てない事も。
彼がこちらの隙に最大威力を叩き込んでくる事も。
――硬化が解けた瞬間をこそ、狙い撃ってくる事も。
あの時、喉仏を打ち突かれた時から、この対戦の結末は見えていた。
“個性”が維持できなくなった自身に、槍が突きつけられる。その光景はきっと――いや、間違いなく実現する。
劣勢に立たされながら、焦る思考のどこかで妙に冷静なまま確信していた。
――だから、その王手をこそ待っていた。
一秒先には倒れそうな姿で、
そうすれば、絶対に勝負を決めにくると思ったから。
目の前に吊るされた勝機という名の餌を逃すはずがないと、そう考えたから。
対戦相手の眼前で一瞬でも丸裸な状態を晒すという無謀な賭け。搦手を好まずまた得意としない己が、単純頭で絞り出した幼稚な――けれどこれ以上ない起死回生の一手。
現実は目論見通りとなり、槍は捉えたはずの敵を逃し後ろへと流れていく。
突き出した槍は間に合わない。
距離を離す暇は与えない。
――今度こそ、逃しはしない。
……獲ったっ!
槍を掻い潜った、その先。
勝利の確信と共に、見上げる形となった友人へと全力で腕を振りかぶり、そして――
――何故か、視界から相手の姿が消えた。
「――――え?」
突きを放った後の友人も、勝負を見守る二人も見えない。
目に映るのは、ただひたすらに青。所々に茜の差した、綺麗な群青色。
「痛っつ……」
一瞬のうちに様変わりした景色に混乱するうち、後頭部から踵裏まで行き渡る衝撃。
背部には、硬い感触。手を動かせば、ザリザリとしたイヤな手触り。
そして何より、下顎にジンジンビリビリと響いてる鈍痛。覚えのない痛みが、自身を襲っている。
……何が、どうなって……。
何も分からない。何が起きたのか把握できない。
茫然とする頭のまま、直前の出来事を思い起こそうとして。
「そこまでッ――!」
――凛、とした少女の声に、思考は断たれた。
「一応、これから振り返りをするんだけど――大丈夫そうか?」
「……ああ。知らん間に仰向けに寝かされた原因が分からないこと以外は大丈夫だ」
「それは、観客の感想を聞きながら追々な」
審判を務めた八百万の宣言に従って武器を破棄し二人のもとへ戻る。
その途中で切島を立たせて引っ張ってきたはいいが、どうやら混乱はおさまっていないようだ。
決着が言い渡される直前に何が起きたのか、全く認識していないらしい。
「お二人とも、お疲れ様でした。訓練ながら、互いの力と技を駆使した見事な立ち合いでしたわ」
「打ち合いも凄まじかったけど、“個性”に頼るだけじゃない、要所要所での駆け引きも凄かったよ!」
「おーう。最後は何が起きたのか全く分かんねぇけど、二人ともありがとなー」
賞賛と労いの言葉をかける緑谷と八百万に、切島はどこか間延びした声で返した。
まあ、そこまで甚大なダメージというわけでもなさそうだし、そのうち元に戻るだろう。
「――さてと。早速だけど、二人の感想とか観察してて気になったところを聞かせてくれ」
「うん。それじゃ、録画を交えながら話すね」
そう言って緑谷は、携帯端末を操作し始めた。
ここ最近の俺たちがそうやってきたように、訓練での様子はああして録画している。記録を残しておけば、終わった後により詳細に議論したり、至らぬところを省みることができるからだ。
ややあって、少し離れた位置から俺と切島を撮影した映像が再生され始めた。
模擬戦の序盤、待ち構える俺と果敢に攻め立てる切島、という場面だ。
「……分かっちゃいたけど、やっぱ近接じゃ敵わねえな」
「そんなに大差は無かったぞ? 切島のパンチ、一発が重い上に硬いから、めちゃくちゃ腕に響いて何度か受け損いそうになったし」
「……いや。あんだけ打ち込んで一発もイイのを入れられなかったんだ。衛宮のが何枚も上手だよ」
タオルで汗を拭いながら悔しさを滲ませる切島に、容易く捌ける拳ではなかった、と伝える。
実際、金属とそれに負けず劣らずの硬い物体同士をぶつけ合わせたおかげで、まだ少し腕に力が入りづらい。こう、骨の奥から震わされたみたいな感じだ。
「私の所感ではありますが――客観的に見て、切島さんの攻撃は威力や速度がある反面、極めて大振りです。この戦い方だと、相手に余裕を持たせてしまうことになるのは否めませんわ」
互いに模擬戦の感想を言い合う俺と切島を他所に、八百万が映像がある程度進んだところで一時停止し、そう評した。
予備動作というのは、小さければ小さいほどその後の動きが読みづらい。切島が何度もやってたみたいに、側頭部まで拳を引いてのパンチなんてのはいちばん対応が容易な攻撃だ。
その辺を理解して相手の力量を賞賛しつつ省みるべきは指摘する、実に彼女らしい評価と言えた。
「切島くんの『硬化』は攻撃にも防御にも使える強い“個性”で、攻める時も守る時もどちらか一方に大半のリソースを割けるからすごく攻略しづらいし、攻撃する時もほとんど反撃を気にしなくていいから一撃一撃が速くて重い。でもその分、一つの行動にのめり込んでしまう傾向があるんだと思う」
短く纏めた八百万とは打って変わって、緑谷は落語の前座噺もかくや、という大量の言葉を一息で垂れ流した。
言ってる内容はどれも的を射ているし、切島の“個性”をよく加味した上で彼の戦い方や癖まで推察した細かな分析ではある。……ただ、頭に浮かんだ思考をほとんど無加工のまま垂れ流してる感じで、あんまりにも冗長過ぎるから呪文でも唱えてるように思えてしまう。
「……要するに、周りが見えてないって事か? けどよ、この時はまだそんなにややこしい事にはなってないと思うんだが……」
切島は、サビワンパートくらいある緑谷の言葉を彼なりに要約して、その評価を理解しつつも、どこか納得していないようだった。
序盤の流れがあまり変わり映えしないから、余計にそう思ったのかもしれない。
やや不満顔な切島に緑谷はしばし思案し、少しして、えっと、と口を開いた。
「切島くんは、衛宮くんより消耗が激しかったことには気づいてた?」
「そこは自覚してる。ずっと攻めっぱなしだったしな。意識しはじめたのは飛びかかりを躱された時だけど……あ」
そこまで言って、そうか、と切島は緑谷の言わんとする事に気づく。
切島は俺の防御を崩す為、攻撃の手を緩めなかった。そこまで思い切った戦法を選べたのは、緑谷の指摘通り反撃を容易に弾ける硬化故で、防御の心配をせずに攻撃に専念できるから。
でも、相手の守りを突破できずその方法をいつまでも続ければ、疲弊は避けられない。
それを避けたいのなら適当に仕切り直せばいいだけだが、攻勢を緩めるという選択が頭になかった切島はそのことに気づかず、打ち合いを続けるうち知らず知らずに疲労を蓄積させていった、という事だ。
「道理で俺の方が汗だくなわけだ。……てか衛宮、ほとんど汗かいてねえのな」
切島が気付いたように、さっきの模擬戦で俺はほとんど消耗していない。
体力はまだ有り余ってるし、息も上がってない。汗は軽く拭えばそれで見えなくなる程度。
それだけ、俺たちの間で戦い方の効率に差があったということ。
「偉そうな言い方に聞こえるかもしれないけど、切島は良くも悪くも、“個性”に頼り過ぎてると思うんだ」
「そうは言われても、俺にとっちゃ硬化は唯一の武器みたいなもんだし、戦いはこれありきだぜ?」
「けど、作戦立てたり身体を効率良く動かしたりってのは、“個性”とは無関係だろ? USJの時、一芸だけじゃプロは務まらないって相澤先生も言ってたじゃないか。一芸に特化するのは良いけど、それを有用に扱う為の知識や技術だって必要だ」
切島に限らず、他のクラスメイト、ひいては大多数のプロヒーローやヴィランにも言える事だ。
プロヒーローはそもそも“個性使用資格“の一種を有した人間の事で、ヴィランに至っては“個性”を用いて犯罪を犯した者達の総称だ。どっちも“個性”の存在が前提で、彼らがいちばん重視するものが“個性”になるのも一応、分からない話じゃない。
けど、そこを鍛えるばかりで技術を磨かず疎かにすれば、本当に強い者に勝てないどころか、“個性”の相性差だけで簡単に捩じ伏せられる事になる。
「“個性”ってのは、何も絶対の能力じゃない。乱暴な言い方をしちまうと、それなりに使える武器や道具の一つでしかないんだ。その一つに頼りきってちゃ、対策されて完封されるのがオチだけど、手札が増えればそれだけ択は拡がる。“個性”だけじゃ勝てない相手にも勝てるかもしれない」
付け加えれば、この特訓の目的は最初からそういった“個性”に頼らない部分の強化だ。
「トップヒーローってやつを目指してるんだろ? ――なら、一人で出来る事は多い方がいい」
「……確かに、それもそうだな」
切島がそこそこ止まりな末端のヒーローを目指してるなら、それでも構わないのかもしれない。
けど彼は、限られた数の人間しか座る事を許されない席をもぎ取ってまで雄英ヒーロー科という狭き門を潜ってきた人間だ。そこらのプロの中で燻るような将来、望んじゃいないだろう。
「話がまとまったところで、動画の続きを見ていきましょう。ここからは、展開もガラリと変わりますから」
八百万が頃合いを見て、録画の一時停止を解除した。
再生される記録は、それまでの流れをまさしく真逆にしたものだ。
攻撃手は防衛に、守勢を貫いていた側は攻勢に。天秤は傾き、立ち位置は入れ替わる。
「俺は、衛宮が弓以外に剣も使えるところを今日初めて見たけど、まさか槍まで扱えるとは思わなかった」
「私も様々な武器種の稽古を受けて参りましたが、先ほどの槍捌きは目を見張るものがありました。衛宮さん、実は武芸百般でしたのね」
「あいにくと、使えもしない物をブラ下げる趣味は無いからな。……まあでも、どの武器も一通り扱えるってだけだから、そんなに大したもんじゃないぞ」
“個性”自体、刀剣の複製に特化したもので、他の武器やらそれ以外の道具やらは複製効率が悪い。剣より余分に力を使う。
色んな状況を想定して、大概の物は実戦で使える程度には鍛錬をしてきたけど、どうしたって主な得物は剣になるのだ。
「僕はここ最近、一緒に特訓してたから知ってたけど……
「あんな大道芸みたいなことやっといて……?」
「大袈裟だって。あんなの、そこそこ鍛錬を続けてる奴なら、大抵の人間が出来る芸当だからな」
妙に持ち上げられるのがきまりが悪くって、早口に否定する。
切島は、槍の柄で切島の拳を受けた時の事を言ってるんだろうけど、あれぞまさに小細工だ。
本当に優れた槍の名手なら、その直前に槍を弾かれるなんて手落ちはやらない。
苦し紛れの反撃なんてスルリと抜けて、心臓一突きで仕留める。
「……で。最後は空いてた左手に造ったあの白い短剣で斬り上げ、と。……突きを避けれたと思ったら、こんなの喰らってたんだな、俺」
色々と話してるうちに、録画は最終局面に移っていた。
俺の大振りな突きを回避して、逆転の一撃を狙う切島――そこへ更に、切島の顎に
切島は全く理解してなかった決着を映像で改めて知り、その時の痛みを思い出したように顎をさすっていた。
「気付かなかったのも仕方ないよ。最後のこれ、切島くんの視線より更に下から振り上げられてるから、衛宮くんを見上げてる状態じゃ見えっこないんだ」
「うわ、マジだ。低っく」
緑谷の解説に唸る切島
でも、それもやむなしだ。あの時の切島、ほとんどすっ転びそうな勢いだったからな。
それを下から斬り上げようとしたらもっと低く――それこそ、地面スレスレから振り上げるしかない。
こっちも踏込みに合わせて姿勢を低くしてたから上手くいった。
「これによく反撃できたよなあ。俺は正直、上手くハマったと思ったんだけど」
「――あの。その事についてなんですけれど」
切島が感嘆と共に無念を溢していたところ、八百万が小さく手を挙げた。
ん? と返せば、彼女はこちらに不可解そうな顔を向ける。
「正直に申し上げますと、私、衛宮さんがこの場面で何故、反撃出来たのかが分かりませんの」
「だからそれは、衛宮が上手いことこっちの踏み込みに合わせてだな」
「いえ、そうではなく……私、この時の切島さんの表情や“個性”を見て、相当に苦しい状況なのだと思いましたわ。少なくとも、ここから反撃できるとは考えられないくらいには。もし、衛宮さんが切島さんの様子を信じたなら反撃されるなんて思わないでしょうし、このタイミングですと見てから反応するのではきっと間に合いません」
何度も槍に突き刺され、“個性”も解けて後は倒れていくだけ。
この時の切島はまさしく満身創痍という言葉がオーダーメイドされたスーツみたくピッタリだった。よろめく彼を見て、僅かでも余力があると考えられる人間はほぼいないだろう。
それほど、切島の切迫ぶりは真に迫っていたし、実際に後がない事も間違いなかった。
――だから、本当ならこの時の俺に迎撃の用意なんて必要無くて。
「ですから、衛宮さんは初めから分かっていらしたのではないですか? 切島さんがこのタイミングで起死回生の一手を打ってくる事を。――おそらくは、硬化が切れるずっと前から」
そう言って、八百万は俺を見据える。
事実はどうかなのか、と問いただしているのに、その眼に疑念は見えない。
自身の語った言葉に間違いはないと、そう確信しているようだった。
そして、彼女の推測はおおむね的を外していない。
切島が最後に仕掛けた突撃は、俺にとってとうに視えていたものだった。もっとも――
「半分正解、だな。切島が何しようとしてたか分かってた、てのはある意味その通りだ。――けど、それだけじゃ花丸はやれない」
間違いじゃないけど、正解でもない。
八百万の観察眼は確かだ。なんせ、外から見ていただけで俺が切島の行動を事前に把握していたことに気づけたんだから。
でも、ここで重要なのは
「……予測できた事よりも、何故それが可能だったか、の方が重要だと。そういうことですか?」
「――さすが。やっぱり、頭の良さじゃ敵わないな」
瞬時に言葉の真意に気づいた八百万に、心の底から感服する。
そう。本当に考えるべきは、俺が切島の動きを察知していた事じゃなくて、どうしてそんな事が出来たのか。
勝敗を決した最大の要因はそこにある。
「二人が何言ってんのかイマイチ分かんねーけど……結局、衛宮は何で俺のカウンターを読めたんだ?」
顎に手を当て考え込む八百万と違って、切島は早々に考察を諦めたらしい。頭をガシガシと掻いて眉間に皺を寄せている。
ちなみに、さっきから苦笑いしてる緑谷は多分、俺が何をしたかってのを理解してる。……というより、さんざっぱらやられたから、体で覚えたってのが正しいんだろうけど。
「……んー。別に教えても構わないけど、できれば切島が自分で考えてみてくれ。思いついた事をそのうち言ってくれれば、答え合わせするから」
「えぇ……。なんでまたそんなめんどくさい事を……。勿体ぶらずに教えてくれよ。ここで焦らされると、なんか気になってそわそわしちまう」
なんとも言えなさそうな緑谷には気づかず、切島はよほど答えが気になるのか、俺に手を合わせて拝んでまで聞き出そうとしてくる。
けど、ここで頷いてしまうと、多分、彼のためにならない。
「なら切島は、どんな能力の“個性”か分からないヴィランと戦うことになった時、相手にその正体を馬鹿正直に聞くのか?」
「え?…… い、いや。そんなことしないし、答えてもくれねえだろうけど……」
「なら、そういうことだ。敵の力を測って、相手の戦法を見抜く……戦力分析ってのは基礎中の基礎で、いちばん戦局を左右しうる能力だぞ」
これから先、プロヒーローとして活動していくなら、能力がまるで分からない初見の敵に何度も出くわすことになるだろう。
どんな力を持っているか見抜けないせいで、自身の攻撃がまるで通じない、なんて事は当たり前のものになっていく。
その苦境を自力で切り抜ける力が無ければ、待っているのは死という名の敗北だけだ。
「切島さん。衛宮さんの言うことはもっともですわ。鑑識眼の有無は生死に直結する能力ですもの」
「えっと、僕が言うのも烏滸がましいかもしれないけど、もともと強い”個性“を持ってる切島くんがそういう技能を身につけたら、もっと幅広い活躍が出来ると思うんだ!」
渋る切島に、緑谷と八百万が背を押す。
正面激突を是とするスタイルの切島と違って、二人とも頭の中で戦いを組み立てるタイプだから、今の話に共感するところがあったんだろう。
「……分かった。そこまで言われて尻込みしてんじゃ漢らしくねえからな。その答えってやつを、見つけ出して見せるさ!」
クラスメイト三人にケツを叩かれ、切島も火がついたようだ。
やってやる! と意気込む彼は見ているだけで清々しい。
元から竹を割ったように真っ直ぐで気持ちがいい心の持ち主。一度こうと決めれば目標達成まで突っ走るだろう。
「そういや二人とも、切島だけじゃなくて、俺の気になった事とかも教えてくれないか?」
切島の課題が見つかったところで、次の組み合わせに移ろう、と口にしようとした寸前、まだ自分の評価は聞いていなかったと気づいた。
今日はせっかく八百万もいるんだし、何か意見を貰えたら、と期待する。
「いえ。衛宮さんには特に何も」
「僕も言える事は無い、かな」
「……あれ?」
二人揃っての同形異音の返しに思わず間の抜けた声を出してしまった。
凄いな、こっちが質問してからほぼノータイムだったぞ、今の。
雄英に合格してるだけあって、二人とも中々の反応速度……………じゃなくて。
「何もないって事はないだろ。こう、足運びがお粗末だった、とか。狙いがみえすいてた、とか」
何かあるだろう、と食い下がる。
こちとら爆豪みたいな天才児でもないんだ。欠点や改善点の一つや二つ、無いほうがおかしい。
よしんば、いつもは俺に教わることの方が多い緑谷からは出づらいとしても、俺なんかよりずっと頭の出来が良い八百万なら些細な綻びでも見つけられると思ったんだが……
「知識面での教示であれば自信を持ってお教えできますが、近接戦闘の心得や是非となると、私は衛宮さんにとんと及びませんので。尾白さんあたりなら、何か言える事もあるのでしょうけれど……」
「……左様ですか」
そう言われては、こっちも引き下がるしかない。
ビシッと指摘でもしてくれると思っていたけど……いや、されない方がいいのか?
まあとにかく、残念だが仕方ない。
何事も向き不向き、得手不得手がある、てのは実際その通りだし、金物屋に畳の新調を頼んだって門前払い喰らうだけ、という事だ。
「なら、次は緑谷と八百万の対戦、てことでいいか?」
批評が終わってしまえば、出番は観客の二人に回ってくる。
「ええ。順序としても、それがよろしいかと」
一手お手合わせ願います、と緑谷に言って離れていく八百万。
開始位置に向かう彼女は、体操着なんて芋っぽい服装がまるで妨げにならない優雅さがあった。
立ち居振る舞いというか、教養というか、ちょっとした所作で育ちの良さ――ああいや、彼女自身の生まれ持った気品が窺えるな。
「衛宮くん、合図お願い!」
こっちが八百万の立ち姿に感心してる間に、二人の準備は整ったらしい。
緑谷の一瞥すらくれない催促は、彼が既に対戦相手以外の人間を意識から追い出しているからか。
目の前に立つクラスメイトを確かな強敵と認め、全霊で挑まんと闘志を滾らせている。
「それじゃ――両者向かい合って」
俺の言葉に倣い、二人の視線が鋭さを増す。
高まる戦意と共に、互いが勝利を手にするべく相手の全てを見透かそうとしていて――
「始め――!」
その昂揚が途切れないうちに、戦いの幕を切った。
「……なんつうか、意外だな」
「緑谷が善戦してることがか?」
切島の呟きを拾いながら、二人の戦いを観る。
勝負は一方が攻め一方が防ぐという、俺たちの時と似たような展開になっている。
大体、開始から一分を過ぎたところ。経過時間で言えば序盤も序盤だが、“個性”を自在に扱える者とそうでない者の対戦である事を考えれば、異常なくらい長続きしている、とも言えるだろう。
「もちろん、それもあるんだけどよ……前の戦闘訓練からして、緑谷が自分から攻めに行くとは思わなかった」
攻め手は八百万、守り手は緑谷。双方の個性習熟度を考慮すれば、展開は自ずとそうなる筈だ。
だが蓋を開けてみれば、攻守は予想とは逆転したものになっていた。
緑谷は絶えず間合いを詰めようと走り、追われる八百万も万が一緑谷が“個性”発動してくる事を厭って距離を取り続ける。
「緑谷って、もっと相手の出方を待ったり予測で作戦立ててくタイプだったろ? あんな躍起になって突っ込んでくようなやつじゃなかったと思うんだが……」
切島はスポーツドリンクのボトルを片手に、戸惑いを浮かべていた。
二人の試合模様が、よほど想像から乖離していたんだろう。八の字眉の困惑顔はなかなかに趣がある。
以前の訓練で一度だけ披露された緑谷の戦闘。
A組きっての強者である爆豪勝己に対して、彼の判断はほぼ全て待ちの一手であった。
当然と言えば当然。
己より高い機動力を誇る人間を相手に自ら踏み込むのは愚策。出方を待ち、策を練り、徹底的に対戦者の行動を潰す方が勝率は高い。
コンスタンスに“個性”を扱えない彼のスタイルは、自ずとそういった形に落ち着く。
――そのはずだった。
しかるに、今の彼はどうだろうか?
自ら敵へと走り寄り、繰り出される迎撃を掻い潜って拳を叩き込もうとする姿は、相手の油断と隙を縫ってしっぺ返しを狙うような受け身の戦法に見えるだろうか?
否だ。
今の緑谷は迎え撃つのではなく、自ら攻める戦い方を選んでいる。
隙を探す間も作らずひたすらに敵へと向かうなど、以前の訓練とは明らかにかけ離れた戦法だ。
窮地にあってなお思考を止めず活路を見出さんとするのが緑谷出久の戦い方ではなかったか。
考えなしに突貫する今の彼は、自ら価値の目を捨てに行っているようなものだ。
――もっとも、緑谷が迎撃しかできなければ、の話だが。
「緑谷が考えて戦うタイプだってのはその通りだけど、別にカウンターしか狙わないわけじゃない」
「でも、爆豪と戦った時はまさにそんな感じだったぜ?」
「そもそもの話、訓練にしろイメトレにしろ、緑谷にとってまともに戦闘行為を意識したのはあれが初めてだったんだ。だから、まだ自分のスタイルも確立できてなかったし、ああいう戦いしかできなかった」
緑谷が“個性”を自覚して使い出したのはここ一年ぐらいのこと。他の連中みたいに、戦闘を見据えて鍛錬なんてしてきてはいない。
戦いの“型“なんてものは、それこそ先の話だ。
「……そっか。緑谷はまだ“個性”の制御もできてないから、戦い方も固めらんねえのか」
「強いて言えば、“相手に勝てる戦い方をする“、ていうのが今の緑谷の戦法になるか」
最初の戦闘訓練の時もそうだった。
開始直後の初遭遇では爆豪の攻撃を逆手に取った動きをし、薄氷を踏むような、という但し書きこそつくものの麗日と共に勝利を収めた。
自身に出来る事をし尽くし、相手に勝利できるよう戦法を組み上げる。
それが、今現在の緑谷ができる唯一の戦いと言っていい。
「だから、戦う相手が違えば、緑谷の戦い方も変わってくる」
「なら、八百万に近づこうとしてるのも、お前の言う“勝てる戦い方“なのか?」
「そうなるな」
爆豪と八百万では、“個性”も戦法も、性格ですら違う。何もかも異なっているからこそ、一方に通じた策はもう一方には決して通じない。
「……けど、それだとなおさら変じゃねーか? 八百万の“個性”は迎撃バッチリだぞ。……ほら、今も」
そう言って切島がしゃくる先を見れば、八百万が捕縛用のネットを緑谷目掛けて投じていた。
接近しようとしていた緑谷は寸での所で躱したが、回避した僅かな隙にまた距離を離される。
今のところ、二人の戦いは同じ流れの繰り返しだ。
緑谷が近づこうとすれば八百万は多種多様な捕獲道具で迎え撃ち、緑谷はそれらを凌ぎ八百万の懐に潜り込もうとする。
見ようによっては一進一退とも、マンネリとも取れるか。
「“個性”を自由に扱えない緑谷じゃ、八百万相手に攻めるのは悪手だぜ?」
遠間から攻撃する者に、無策の突撃。
それが勝てる戦いと言えるのか、と切島は疑問している。
無論、純粋な身体能力で戦うしかない緑谷が不利である事は間違いない。
離れた所から道具を投げつけるだけでいい八百万に対して、緑谷は迎撃を回避して白兵戦を仕掛けなければならないのだから、負担の比重は大きく偏っている。
リーチ差による劣勢、それをほんの少し前に経験した切島が現状を覆し難いと考えるのはやむなしだろう。
――もっとも、それが必ずしも決定打になるとは限らないが。
「そこまで愚策ってわけでもない。――むしろ、あれがいま出来る最善手だ」
そう、最善だ。
緑谷は、この場所で、現状実現出来る戦法の中から最も勝ちの目がある戦いを選んでいる。
限られた手札の中からからしか選べないごく僅かな選択肢のうちの一つではあるが、これがベストな戦法である事は事実だ。
少なくとも、俺が同じ条件で八百万と戦うことになれば、やはり同じ戦術を選んだだろう。
「そうは言うけどよ、近づくだけであんなに苦労してちゃ勝ち目があるようには思えねえけど……」
「キツイ状況ってのは間違ってないけどな、八百万相手に下手に時間をかけたらそれこそあいつの独壇場になる」
「時間?」
大袈裟に言ってるわけじゃない。
八百万の“個性”は時間をかければかけるほど、その能力が高まっていく。
それは出力上がるとか、速度が早まるとか、そういった話ではなくて。
「八百万の『創造』は、造る物体のサイズで生成時間が変わるんだ」
小さく軽い物ほど短く、大きく重い物ほど長く。
先程の鋼塊といま投げつけている捕獲網で創造にかける時間が違うのは、それが理由だ。
もしかすると、使い勝手のいい道具の類は瞬時に生み出せるよう、鍛錬によって造り慣れたのかもしれないが、サイズによる創造過程の長短が主な違いである事は確実だろう。
「距離を保ったまま創造する時間を与えて、強力な武器なり道具なりを用意されたら、緑谷は一気に苦しくなる」
「それで、緑谷はずっと攻めてるのか」
「ああ。八百万も、一度に二つ以上の物を創造するのはまだ慣れてないらしいから、ああしてる方が相手の動きを制限できる」
仮に、八百万が同時に二つの道具を創造出来たなら、また話は変わってくる。
単純に手数が増えるから……だけじゃない。
全く同じ物でも、二つあるってだけで、想定される攻撃は一つ二つと増えていく。
ただでさえ回避に神経の大半を集中させないといけない緑谷にとって、思考に割く容量を増やされるのは致命的だろう。……逆に言えば、一度に対処すべき物が一つだけだからこそ、緑谷も強引な策に出れている。
「……でもよ。そんな芸当、いつまでも続けらんねえんじゃねえか?」
「そうだな。漠然と突っ走ってるだけじゃ、すぐに捉えられる」
単なる投擲と、侮ることなかれ。
八百万が放つのは、下手な鉄砲ではない。
引きつけてからの投擲、フェイントでの撹乱、あえて近づかせることによる回避の制限。
どれも、相手を確実に補足するための工夫がなされている。
それも当然、八百万が身につけたのは無数の物質の構造だけではない。それらを有効活用する術もまた、彼女は理解している。
多彩な手数と優れた頭脳から繰り出される戦略・戦術の数々は、遮二無二の疾走など僅かたりとも寄せつけはしない。
「――けど緑谷は、ただ突っ込んでるだけじゃない。だから、今も勝負が続いてる」
蛮勇では凌げない。愚直では越えられない。
自らの力を過信した人間など、彼女は歯牙にも掛けない。
ならば、緑谷はどうか。
彼は無意味に相手へと突撃する人間か? 自身の身体能力に頼り切った戦いをするか?
――もちろん、否だ。
爆豪勝己を相手にした時もそうだった様に、観察し、思考し、予測し、そうして勝利をもぎ取ろうとする。
個性を自在に扱えない彼は、そういう戦い方を選ばざるをえない。
だから、今回も以前と同じこと。
――単調な行動はその実、目に見える以上の意味を持っている。
「俺には後先考えてないようにしか見えねえんだけど……、実際のところ、緑谷はどうやって八百万の攻撃を掻い潜ってんだ?」
「言葉にしたら、簡単なことなんだけど――」
本当に、単純な事だ。
何か特別な事をしているわけじゃなく、これといった策を用いているわけでもない。
やっている事――心がけている事といえば、一つだけ。
「早い話、緑谷が意識してるのは注視すること。あいつは今、八百万の動きを
対峙する人間をつぶさに観察し、僅かな変化も見逃さない。対戦者の注視に全神経を集中する。
それが、“個性”使用者に純然たる身体能力で食い下がれている理由だ。
「それだけ……?」
「それだけ」
鸚鵡返しに返せば、問いかけたとうの切島は目を丸くしていた。
拍子抜けした、というよりは理解が出来ない、という風だ。
「そりゃあ、戦いなんてやる以上、相手の動きをよく観察するのは重要だろうけど……それだけであそこまでは出来ねえよ」
そんなこと、俺だってやってる、と切島は漏らす。
確かにそれは、戦いというものに関われば誰もが意識せざるをえないことだ。
スポーツ、訓練、喧嘩、格闘技――そして、殺し合い。
対戦者、敵対者の存在を前提とする行為の殆どは当て嵌まる。
そうすることが当然で、だからこそ特別さはない。特別じゃないからこそ、それは劣勢を覆すだけの要因にはならないと、切島はそう言ってるんだろう。
でも、俺の言うソレと切島が考えてるのじゃ、きっと大きな違いがある。
「一つ聞くけど、切島なら
「どれだけって言われると難しいけど……、手足の動きとか、あと姿勢とかもか。そういうのは、出来る限り見逃さないようにはしてるつもりだ」
返答は、まさに想像した通りのものだった。
切島の考えているものじゃ、大まかなことしか把握できない。
もちろん、間違ったことを言っているわけではない。けど、
「いま緑谷がやってるのに比べたら、それだとまだ足りないな」
もし、切島が考えている程度のものだったら、この対戦は早々に決着がついてる。
緑谷にとって、八百万との戦いはそれほどまでに相性が悪いのだから。
だから、あいつがこの勝負に勝とうとするなら、何もかも“精度”を上げなくちゃならない。
「相手の動きを見るって言っても、目の付け所は色々ある。四肢の構えに重心の移動、表情に視線の向き、筋肉の動きや呼吸の間隔――あとは、相手の気配も」
人体は、目に見える範囲だけでも様々な情報を物語ってくれる。
構え方を見ればどんな戦い方を旨とするのか掴め、目の動きは次の行動を予告している。皮下で躍動する筋肉の動きからどう体を動かそうとしているのか読み取ることも不可能じゃない。
そして、気配――感情や思考の変化を捉えることが出来れば、相手が何を狙っているのかも僅かながらに察知できる。
埋めようのない手数差、比べようもない選択肢の総数。
それらを覆すには、常に相手の行動を予測し続け、何手先も見据えた戦いをしないといけない。
一手、誤れば、一瞬、思考が鈍れば、それで全部ご破算になる。
緑谷がやっている事とは、とどのつまりそういうものだ。
「そういった細かな動きを見逃さないようにしながら、緑谷は戦ってるんだ」
「マジかよ……」
もともと、緑谷は予測して対応する戦いができていた。
頭の回転も速くて観察眼も存外に鋭いから、相手の情報を分析して立ち回るという行為がすでにある程度身についている。
ただ、持って生まれたその素質に、本人の能力が追いついていなかった。
どれだけ鋭い洞察力を持ち、非の打ち所がない策を練り上げようと、“個性”の有無による単純な性能差で捩じ伏せられればそれまでだ。
緑谷が“個性”を十全に扱えない現状、この欠点を克服する事は難しい。
加えて、考えを巡らせる時に動きを止めてしまう悪癖も、その欠点に拍車をかけていた。
だから正面からの相対には弱いし、一対一の勝負じゃ最初に立てた予測を超えられると勝てなくなる。
その弱点を補い緑谷の力を底上げするためにこの技術を教えた。肉体の性能差を、予測によって埋めることが出来ればいくらか遣り様も増えるはずだ。
もっとも、教えている俺が未熟な上にあいつも完全に習得したわけではないし、もっと上達すれば今度は予測の精度も上げないといけない。
“無個性”状態のまま“個性”を使ってくる人間に勝利するにはまだまだ不十分。
それでも、いまこの勝負においては、確かな効果を発揮している。
「……あいつ、始まってから、ずっとそうやってんのか」
切島の呟きから感じる声色は驚愕そのもので――同時に、ある種の畏れも込もっていた。
それは、硬化という頑強な鎧を持つ自身と違い、無個性とほとんど変わらない身で気の遠くなるような戦い方を実践し続ける胆力に慄いたのか。
なんにせよ、切島が緑谷の戦法をその程度と評することは、もうない。
「……ま、そうは言っても緑谷が圧倒的に不利な事は変わらないし、ずっと集中力を途切れさせないなんて事も難しい」
緑谷が相当頑張っていることは間違いないし、その奮闘に八百万が手こずっているのも事実。
それでも、勝負の天秤は傾けがたい。
相性、というのもあるけど。余裕を持って戦えている八百万と、綱渡りみたいな戦い方を続ける緑谷とじゃどうやったって前者の方が余力を残せる。
「この勝負が長続きすることはない。――現に、ほら」
「……あ」
視線の先、距離を縮めていた両者はしかし、緑谷は地に伏せ、八百万はしっかりと地面を踏み締めている。
勝敗は、誰の目にも明らかだった。
「誘い込まれたな」
緑谷は八百万の迎撃を掻い潜って接近する事には成功した。が、そこからあいつが有効打を打ち込む前に、八百万が“創造”した金属棒によって打ち据えられ、地面に転がされた。
元々、緑谷が接近できたのも八百万があえてそうなる事を狙ったからだ。
遠距離の攻撃手段しかない、あるいはその他の手札は乏しいと、ここまでの展開で緑谷が判断するのはそう不思議なことじゃない。
だからこそ、そこに付け入る隙ができる。
…… まあ、何はともあれ。
「――両者、そこまで」
「――――」
決着を宣言する声に従って突きつけた武器を下ろし、息を整える。
今は、自身が地面に倒したクラスメイトに手を貸す余裕も無い。
……本当に、僅差の決着だった。
勝負は、ギリギリのものだった。
こちらの投擲をはじめとした迎撃は確実に相手を追い詰めたけど、同時にそれを掻い潜って一瞬でも弛まず接近しようとする姿は決して軽くはない重圧を感じさせた。
最後の一瞬、あと少し対応が遅れていれば緑谷さんの攻撃は届いていて、王手をかけられるのは私の方になっていたかもしない。
圧倒的優位にありながらこうまで追い詰められるなんて、まるで想像もしていなかった。
……侮っていたわけでは、ないけれど。
緑谷出久というクラスメイトを弱いと思っていたわけではない。
制御は未熟なれど、その“個性”の威力は決して無視できないもので、咄嗟の判断力やひらめき、勝利を見据えた戦略眼には光るものがあるとわかっていた。
だからこそ、彼が“個性”の制御を身につけているかもしれない、という仮定のもとで自身に有利な戦いを心掛け、いつ何を仕掛けてきてもいいように常に彼の動向は警戒し続けた。
けれど、彼の戦いぶりは想定の斜め上のもので、そのイメージと現実の乖離<ギャップ>に苦しめられたのは否定しようがない。
……まるで、一挙一動の全てが見透かされているような、そんな錯覚を覚えさせられた。
こちらがどこへ移動するか、何をしようとしているか、さらには心の中まで覗き込まれていそうな、そんな感覚。
いつまでも喰らい付いてくるその姿は、いっそ恐ろしくもあった。
――同時に、対峙したからこそ理解できたこともある。
何をしようと、何処へ行こうとその“眼”から逃れられない、こちらの思考すら組み込んで常に数手先を見透すかのような戦法。
それと似たような戦い方を一度、見たことがある。
対戦者としてではなく、味方として。ある人物の隣で、その様を見ていた。
だからこそ、断言できる。
――あれは、衛宮さんの戦い方だ。
入学してすぐの頃に行われた屋内での対人戦闘訓練で、当時圧倒的な実力を見せつけた轟さんのペアを完封せしめた、未来予知とでもいうほかないあの戦術予測。
先程までの緑谷さんの動きは、あの時の衛宮さんを彷彿とさせた。
……ここ最近、一緒になって特訓に励んでいるのは知っていたけれど……そういうアプローチでしたか。
てっきり、“個性”制御に勤しんでいるのかと思えば、鍛えていたのはあくまで戦闘技能。“個性”という、個々人の資質に一切頼らない、純粋な技術の向上が目的だった。
予想外ではある。しかし、それなら納得できる。
以前とはまるで違う戦い方も、短期間で洗練された動きも、どちらも説明がつく。
彼自身、これからの伸び代を感じさせていた上に、僅かとはいえ衛宮さんの薫陶を受けている。
もはや、絶大な破壊力で逆転を狙ってくるだけの緑谷さんではない。
……慢心しない、だけでどうにかできるほど、容易い場所ではないものね。
入学してから今日まで、誰も彼もが進歩している。歩き方が違うだけで、全員が同じように先へと進んでいる。
昨日までの分析が今日も通じるとは限らない。歩を緩めればその分だけ置いていかれる。
周りに置いていかれないように、自分の理想とする姿になれるように――かけられた期待に応えられるようにするには、自身も常に己を超えていくしかない。
……精励恪勤よ、百。
覚悟は言葉には出さず。
心意気を固めながら、立ちあがろうとするクラスメイトへと手を差し出した。
「お疲れさん。いい勝負だったぞ、二人とも」
「ありがとう衛宮くん」
「お気遣い、感謝いたします」
戻ってきた二人に労いの声をかけ、タオルとドリンクを順にそれぞれに渡す。
二人とも、息つく間もない勝負だったからか疲弊の色が濃い。
ほとんど立ち止まることのない激しい展開だったから、それも当然か。
「なんつーか、八百万の“個性”もやっぱ強ぇけど、緑谷もいつの間にかあんな戦いできるようになってたんだな」
二人が受け取ったドリンクを飲み終えて一息ついたところで、切島がそんな感想をもらした。
「ええ。私も緑谷さんの戦法には意表を突かれました。引き離しても追い縋ってくるあの圧力に何度、圧し負けそうになったかわかりませんわ」
実際に戦った八百万も少なからず緑谷の戦い方に衝撃を受けたらしい。
微かに歪んだ表情は、緑谷相手に彼女がそれだけ苦い思いをしたということだ。
「訓練の成果が出た、てところだな」
「衛宮くん以外の人と実際に戦ってみて、僕も成長を実感できたよ。……最後の最後で、やられちゃったけど」
「そこは反省点だな。八百万が接近戦に対応出来る可能性を低く見てなきゃ、まだ勝敗は分からなかったぞ」
最後の交差は、八百万が上手く罠に嵌めた形だが、それも緑谷の油断があればこその話。
初めから相手の近接戦闘技術を警戒していれば十分に対処出来た。
「そういや前から気になってたんだが、八百万は棒か杖でも習ってたのか? 槍の動き、ではないよな」
緑谷から視線を切って、今度は八百万に話を振る。
さっきの対戦で、決着の要因になったポールのような金属製の棒による攻撃、見た限り適当に振り回しているだけではなかった。
彼女へと掴み掛かろうと伸ばされた緑谷の右腕を外側へと弾き、向かってくる緑谷を躱し、素早い足捌きで背後に回り込み彼の背中を打ち据え地面に倒した一連の動作。
あの澱みの無い動きは、単なる棒振りで咄嗟に出来るものじゃない。
棒術、あるいは杖術か。
「ええ。免許皆伝とはいきませんが、他にも幾つかの武器術を嗜み程度に」
「やっぱり。色々、習い事もやってきたって言ってたもんな」
道理でいい動きだ、と納得する。
俺が、“個性”の性質故に剣をはじめとした武器を扱う技術を培ってきたように。
彼女もまた、戦闘には直接的に結びつかない“個性”の弱点を補うため、繰り返し練習を重ねてそれらを身につけたんだろう。
一瞬見ただけでも、彼女が真剣に稽古に励んできたんだと分かるほどあの動きは自然だった。
「“個性”の有無もあったけど、今回は純粋に鍛錬量の差が物を言ったな」
「……うん。分かってた事だけど、みんなに追いつくには、まだまだがんばらないとだ」
幼い頃から自身の力を磨いてきた者と、そうでない者の違い。
八百万が培ってきたものには、十年分の重みがある
“個性”を自覚し始めて一年そこそこの人間が一朝一夕でその努力を超えるのはまず不可能だ。ましてや、ほとんど無個性”での戦いならなおさら。
いかに緑谷が鍛錬に励み死に物狂いで強くなろうとしていても、その差を覆す事はできない。
「……でもまあ、今の時点で八百万相手にこれだけ粘れたんなら、そう悪くもないさ」
握りしめた拳を見つめ意気込む緑谷の背を、ばん、と軽く叩く。
結果としてみれば、二人の勝敗を決したのは練度差だったわけで、本来なら戦いにすらならないはずなのだ。
そんな誰もが思い浮かべる見え透いた図を食い破り、あと一歩のとこまで八百万を追い詰めた。対戦中だって、気が抜けたり集中を切らしたりもしていなかった。
緑谷の事情を考慮すれば、かなり成長している方だ。
気張るなとは言わないが、そう気負う必要もない。
「さて、と。二人の戦いにいま言った以上の粗もないし、休憩挟んだら次の対戦を始めよう」
緑谷に言うべきことは言ったし、八百万にもミスらしいミスは無かった。未熟と思える部分は、本人が自覚して正していくだろう。
ここからは、体を休めてそ寝る時間だ。
「――いえ。その必要はありませんわ」
「八百万さん……?」
ふと視線を巡らせれば、八百万が対戦位置についていた。
その瞳は戦いの最中にいるときと同じ鋭さで、俺を見据えている。
「私は、このまま衛宮さんとの対戦を行います。インターバルは挟んでいただかなくて結構です」
「待てよ八百万、流石にあの試合の直後に衛宮と勝負すんのは無理があるぜ」
「それでも、このままがいいんです。あの戦い方をする緑谷さんと対峙した、この感覚のまま衛宮さんに挑みたいんです」
「いや、そうは言ってもだな――」
「――お受け、いただけますか?」
俺へと問う声は普段のそれより低い。
緊張しているような――いや、まるで恐れているような、微かに震えた、そんな声。
けど、眼光はそんな気弱な様子が嘘みたいに、これから始まる戦いへの闘志で満ちている。
その意気、疲弊したまま勝負に挑もうとするその気概が、決して自惚れや戯れの類でないことは明らかだった。
「――いいのか?」
「はい。構いません」
「……わかった」
少し考えた後、了承し所定の位置へと向かう、
八百万が何を以って休むことなく次の対戦を行おうとしているのかはわからない。
その上で、彼女が今の状態が俺と戦うのに最適なんだって判断したなら、俺がその頼みを断る理由は無い。
「衛宮さん」
「なんだ?」
位置につき、数秒後には戦いが始まるという、この瞬間。
俺に呼びかける八百万の眼は、やはり俺を真っ直ぐに射抜いていて――
「――どうか、本気でお願いいたします」
そう、短く告げた。
「――――」
相変わらず、その意図は分からない。八百万が、これから始まる模擬戦で何を得ようとしているのか、いまだに判断がつかない。
ただ、彼女の言葉が本心からのものだってことだけは分かった。だから――
「――それなら、遠慮無しでいくぞ」
――彼女の望む通り、徹底的にやるとしよう。
三戦目の始まりは突然で、見物客として残された二人は状況についていけずにいた。
本来なら数分の休息を挟んで行うはずが、勝負を終えたばかりの少女はそのまま次の対戦を開始しようとして、指名された少年も何故かそれを受け入れてしまった。
試合直後に間髪入れずである以上、余力は既に尽きかけていて、このままいけば勝敗は確実に少女の惨敗という形を迎える。
常に自身に厳しく、己を律する少女が疲弊による無様を晒すなど――ましてや、確定した敗北を無意味に容認するなど、彼女にとっては許しがたい醜態のはず。
果たして、彼女に如何なる思惑があるのか、緑谷出久も切島鋭児郎もそれを察する事はできず、ただ事の成り行きを見守るしかなかった。
「――――」
「…………」
両者が位置についてからしばらく、互いを睨み合う時間が続いた。
片や薄くその眼を細め、片や僅かに強張った表情でまなじりを強くを絞り。
戦いの緊張感に身を委ねる彼らは言葉なく相手を見定め、そして――
「…………ッ!」
合図という合図は無かった。
何をきっかけにしたでもなく、張り詰めた空気が唐突に爆ぜ八百万百が先んじて動きを見せる。
彼女が真っ先に“創造“したのは盾。およそ十歩の間合いを開けたまま、彼女は攻めではなく守りの姿勢をとった。
それは、対戦者たる衛宮士郎の弓を警戒した結果だ。
……衛宮さんを相手に、この距離で真っ当に戦ったところで私に勝ち目はない。
彼の狙撃精度のほどは、戦闘訓練で嫌というほどに理解している。
さらに、類似した創造型の“個性”でも展開速度という点において二人の間には大きな差があった。
彼女が創造に要する時間は、最速でも一秒以上かかる。
対する士郎はほぼ一瞬だ。構え、手を開く。たったそれだけの動作の間に、黒塗りの弓は彼の手中に収まり狙いを定められている。
彼女が何がしかの道具の創造を完了している頃には、矢は既に放たれた後だ。
以上を踏まえて、中・遠距離戦で彼女が勝てる見込みは皆無と言っていい。
……かと言って、接近戦を仕掛けるのは愚策。
遠距離が駄目なら接近戦で打倒、となるのが常道だが、こと士郎相手にその道理は通用しない。
常軌を逸した弓の腕前によって誤解されるが本来、彼の本領は距離を選ばないオールラウンダーなスタイル。
たとえ弓による正確無比な狙撃を掻い潜ったとしても、その先に待つのは守りを旨とする剣技による迎撃だ。
先の一線における戦力差を考慮すれば、その防御の硬さは極めて高いものだろう。彼女もいくらか接近戦での心得はあるが、士郎のそれに比べれば半端者の域を出ない。
……だからこそ、時間を稼がなければ……!
いずれの距離<レンジ>で戦ったとしても、士郎の優勢は不動だ。
その上で八百万百が勝ち筋を見出すためには、兎にも角にも時間が必要だった。
無論、粗末な策であれば彼はあっさりと彼女の目論見を看破し、それを切り伏せるだろう。
必要なのは、士郎を確実に無力化できる武器、そしてそれを反撃も許さずに運用する事。
策を練る為の猶予と、正確な実行。それらを捻出して初めて勝機が見えてくる。
最速で盾を構え守りに入るという消極的な姿勢を見せたのも、その時間稼ぎを為すためだ。
正面から放たれる矢は盾と自身の反射速度で凌ぎ、相手が接近を試みようものなら、先の一戦のように妨害しながら距離を取る。
そうして膠着状態を維持している間に、必勝の策を構築する。
これが、八百万百の導き出した今回の模擬戦における対衛宮士郎の戦法だった。
「――――」
そして、八百万百が勝利への道筋を模索し盾を構えたのにコンマ二秒ほど遅れて士郎も動き出す。
彼はその場から移動せずその腕を徐に上げた。
素早い動作ではなく、むしろゆとりすら感じさせる緩やかさで、徐々に持ち上がる右腕。
剣を握る姿勢ではない。だが、弓を構えようとしている風にも見えない。
腕の位置は胸辺りを超え水平を通り過ぎて、高く掲げられる。
百は意図の掴めない士郎の行動を不可思議に思う頭の片隅で、その姿が何処か楽団<オーケストラ>を調停する指揮者のように思えて――
「は―――?」
――耳障りな金属音と共に構えた盾ごと吹き飛ばされたのは、その直後のことだった。
「………っ」
気付けば、みっともなく尻餅を付いていた。
突然の転倒に頭が追いつかず、立ちあがろうという思考すら浮かばない。
そして、自身に何が起きたのか理解できないまま状況を把握する間も無く腕から広がる痛みと痺れ。
手は強い衝撃を受けたかのように震え、ろくに力も入らない。構えていたはずの盾はいつの間にか取り落としていた。
……何が……いったい、何をされたの……?
座り込んだまま正面に目を向ければ、百を指し示すかのように腕を下ろした衛宮士郎の姿が目に入る。
何も持たない腕からは、何らかの攻撃を行なった様子は窺えない。
……何かを投擲した……? いいえ、それはありえない。
想起された可能性を一秒とせず否定する。
先ほどの緩慢な動作から投げ出される物体に、感覚を一時的にでも失わせるほどの衝撃を生み出せるとは思えない。
そもそも百は、士郎との模擬戦を始めてから一度も視線を逸らしてはいない。彼が何らかの武器を投じていたならそれに気付いたはずだ。だが、彼にはそんな仕草は見えなかった。
唯一、一瞬の内に見えたのは、微かに閃いた銀条だけで――
……待って、光……?
はた、と頭に浮かぶ一つの可能性。
吹き飛ばされる直前、ほんの僅かに見えた鈍い光。もしアレが、刃の照り返しにより光だったとすれば。
指揮棒を掲げたような姿。一瞬だけ視界に奔った反射光。無手のままの衛宮士郎。
“投影”は、空間にも可能。
……ああ、なんてこと。
思い至った結論に、震えが走る。
それは可能性としては決して無いものではなかった。その情報を彼女は知っていた筈だった。
なのに、自身の知る衛宮士郎の戦闘スタイルによって、意識もせずに排除していたもの。
おそらくは、自身の背後に転がっているであろう物体の正体。
……刀剣の、射出……!
解を導き出すと同時、衛宮士郎の周囲に展開される刀剣の数々。
ロングソード、クレイモア、エストック、ツーハンデッドソード、タルワール、カトラス、シミター、グラディウス、柳葉刀、野太刀。
種類を問わず、形状を問わず、どれ一つとして同じものは存在せず。
古今東西、あらゆる国と時代の剣群が、白銀の刃に鈍い光を湛えながら、主の号令をいまかいまかと待ち望んでいる。
「っ…………!」
自身に向けられる切先を見て、防ぐ事は出来ないと判断し、彼女はようやく退避を選択する。
だがその動きはぎこちなく、足取りは覚束ない。
衝撃による痺れと痛みがいまだに残る体では、座り込んだ姿勢から咄嗟の回避行動を取ることは困難だった。
「きゃっ!?」
無論、無防備極まりない彼女を見逃すような手抜かりをするほど、衛宮士郎は手緩い男ではない。
彼女の進行方向を遮り同時に退路を塞ぐように、待機していた刀剣が一刀、また一刀と投じられていく。
高速で射出される決して小さくはない質量の塊はそれだけで強い衝撃を生み、刃が潰されているにも関わらずそれらは全て轟音を響かせ地面へと突き刺さっていく。
土煙を立たせながら乱立していく無数の刀剣は、まるで大地に撃ち込まれた軛かのようだ。
「………うっ」
少しずつ迫ってくる包囲に追いやられ、今度は正面から地面に倒れる百。
そうしている間にも剣群は無慈悲なまでに放たれ続け、彼女に体勢を整える暇も、思考させる猶予も与えない。
今の彼女が気付けているかは不明だが、刀剣による囲いはその間隔をいつのまにか大きく縮めており、さながら剣の牢獄の如し様相だ。
たとえ、立ち上がり冷静さを取り戻したとしても、既にまともな身動きも取れはしない。
「ぁ………」
倒れた自身にかかる影にふと、百が空を見上げれば、そこにはさっきと変わらず冷たさすら覚える瞳で自身を見下ろす衛宮士郎が見えた。
襲いかかる無数の刀剣にみっともなく慌てふためいている間に近づいていたのか。
彼は表情を変えないまま、手にした無骨な西洋剣を倒れ伏す少女へと突きつけている。
「――ここまでだ」
「………っ」
反撃も回避も、決して間に合わない距離。
一切の抵抗を封じられたこの状況、倒れた彼女は砂を噛むような思いに身を震わせた。
それは、こうして抵抗もできずに詰されたからではなく、本来なら勝負はとっくに着いていたのだと、そう理解するが故だ。
士郎がその気であったなら、剣による砲撃をわざわざ一本一本放つ意味も無ければ、あんな風に彼女の進退を遮る必要も無い。
彼女には対応できないほどの数の剣群を一斉に掃射し、彼女自身を直接狙い打てば済む話。
なのに敢えてそうしなかった。
それはきっと、驕りがあったとか余力を残そうとしたとかではなく、出来る限り対戦者の少女を傷付けないように慮ったからだ。
わざと彼女の進行方向の少し先に剣を撃ち込み追い詰めたのは、相手に大きなダメージを与えずその上で完膚なきまでに制圧するため。
初撃をかろうじて逸らせたのも、彼女が守りの体勢に入るのを士郎が敢えて待ったためだ。
百は優れた頭脳でその真意を過たず把握したからこそ、己の無力さに悔しさを覚えている。
……よく考えれば、わかることだったのに……。
実際に見た事がなかったために、候補の中からいつのまにか除外してしまっていた衛宮士郎の攻撃法。
だが、過去に聞いた話を思い返せていれば、気づけていたはずだ。高速で撃ち込まれる刀剣という質量の塊がどれほどの威力を齎すのか。それが自身に防ぐ術はないものだと、どうして思い至らなかったのか。
彼女はひたすらに、己の未熟を恥じ、
「……私の、敗けですっ……」
無念を滲ませながら、自らの敗北を受け入れた。
極めて圧倒的な戦い、赤子の手を捻るかの如く一方的な試合となったが、こうなってしまった原因は彼女自身にある。
試合直前、彼女は本気で戦うよう、士郎に願った。
士郎の“個性”柄、全力を出すという事は対戦相手の殺傷を前提としてしまう。当然そんな対戦は望めず、それ故に彼女は本気の戦いを願い出た。――思えば、それが間違いだったのだ。
そもそも彼女は、本気という言葉の実態を履き違えている。それは、互いが互いを高め合い、切磋琢磨するようなものではない。
正しく本気とは、必ず目標を達成しようとする意思であり、その為にはあらゆる手段を用い確実かつより効率的な方法で実行する事。そこに、正々堂々とした勝負など存在しない。
故に士郎は、最初に盾の“創造”を見過ごした以外、反撃の糸口となるような“創造”の暇を百に与えなかった。
ただ尋常な勝負を望んでいたのなら、彼女は手加減をしないように求めるべきだったのだ。
「――――」
かくして、少女の宣言を聞き士郎も投影を破棄する。
地面を深々と抉り突き立っていた無数の剣達は、初めからこの世に存在しなかったかのように粒子に還っていった。
後には無惨な破壊痕だけが残る。
「立てるか?」
「……大丈夫です。どうぞお気遣いなく」
差し出された士郎の手を制し、百は自力で起き上がる。
無様な戦いぶりを晒してしまった手前、試合が終わった後にまで情けない姿を見せるのは憚られた。
「こちらの見落としがあったとはいえ、一切の抵抗も許さない試合運び……流石の戦術でしたわ、衛宮さん」
「いや、単に”運“が良かっただけだよ」
立ち上がり土埃を払った百は素直に対戦者である士郎の力量を賞賛したが、彼自身はその言葉をただ運の一言で斬り捨てた。
何せ、今回の一戦自体まともなものではない。
当事者の片割れは模擬戦を開始する前から疲弊しており、両者の勝負に対する意識の違いも大きく、百自身も自覚していたように彼女には致命的な見落としもあった。
それらが少しでも違っていたなら、試合はどう転んでいたか分からない。
圧倒的な勝利を収めたからといって、それが実力差によるものだとは士郎は考えない。
……衛宮さんは、ご自身の力を過小評価しがちですね。
対して百は、自身の勝利は偶然の産物でしかないと語る士郎に、内心で苦笑する。
先の一戦は勝負とは呼べないほど一方的な、もはや蹂躙としか形容出来ないものだった。
あそこまで大差があれば、運勢や巡り合わせによる影響など、たかが知れているだろう、と。
「――八百万」
「なんでしょうか?」
百がそんな事を考えている間に、士郎が彼女に呼びかける。
ちょっとした訪ねごとをするくらいの気軽さで、平時の無愛想な顔のまま彼は口を開き。
「――得るべきものは得られたか?」
――そう、短く問うた。
「――――」
問われた少女の顔が固まる。
目的語の抜けた意味の分からない質問。本来なら、何を、と聞き返すところだろう。
しかし、彼女は聞き返しはせず、ただ無言であった。何故か?
それは、何を指しているのか理解ができなかったからではなく――その問いが過たず彼女の思考を見透かしたものだったからだ。
……最初からお見通しだった、というわけですね。
見抜かれていたのか、と百は嘆息する。
実のところを言えば、彼女が士郎らとの特訓を願い出たのには、鍛錬以外の目的があった。
それは、先の一戦を思い返せば容易に察することが出来る。
疲弊したまま、勝てないと確信したまま勝負に臨む。そんな、徒労としか思えない無意味な行動を取っている事自体、彼女の二心の証明だ。
ならば、無駄骨を折ってまで彼女が得ようとしたものは何だったのか。
自身を追い込むためではなく、勝敗ですら瑣末ごと。
特訓という名目にかこつけて、見苦しく踊らされる姿を晒してまで彼女が欲したもの――それは、士郎との戦いそのもの。
彼の戦術を、傾向を、技量を、戦闘における衛宮士郎の全てを観察し記憶する事。
それこそが、先の模擬戦で彼女の求めたものであり、体育祭を二日後に控えた今日という日にいきなり特訓への参加を求めた本当の狙い。
そして、そうまでして彼女が士郎の戦力把握に努めた動機は如何なるものなのか。
士郎の戦法にいくらか似通った戦いをする緑出久との対戦で鋭敏化した感覚を残したまま、消耗すら気にかけず格上と断じる相手との勝負に挑んだのは何故か。
――無論、勝利するためだ。
この場での勝ち負けではない。
二日後、来たる体育祭――その決勝において、衛宮士郎に勝つため。
彼を下し難い強敵と捉え、しかし敗北を認める気など僅かたりともなく、それ故に全霊で勝利を得る為に手を打った。
そう、詰まるところ、“本気”だ。
明後日に迎えるであろう対決に向けて、彼女もまたあらゆる手を尽くし、本気で臨んでいる。
それ故の下調べであり、嘆願であった。
……その上で、ということですか。
だが、だからこそ士郎の言葉は彼女の虚をついた。
不自然な振る舞いをしたとはいえ、百は自らの思惑もおくびにも出していない。
それなのに、僅かな違和感から彼女の魂胆を察したのだ。
士郎自身はその時、彼が決勝まで残る事を前提にしている百に内心で苦笑していたのだが、そんな事を知らない彼女は戦慄を覚えずにはいられなかった。
欠片ほども表に出していなかった自身の思惑を言い当てられた驚愕は、彼女にとってはそれこそ呼吸を忘れるほどの衝撃だったのだから。
――けれど。
「ええ。おかげさまで」
「……そうか」
心を宥め、返答する。
見破られたことへの動揺はあるが、だからといっていつまでも狼狽える様を見せる気は無い。
彼は、探られていると分かった上で戦った。そして、剣戟でも、弓術でもなく、剣弾という戦法を用いた。
相手に情報を与えると、そう理解した上で、彼女が見た事のない攻撃を多用したのだ。
余裕の表れ、ではないだろう。
彼がそんな風に相手を見下して戦いに挑むような高慢な人物でない事を、彼女は知っている。
単なる善意か、或いはそれすらも策の内か。
……いいえ、何であろうと関係ない。
おそらく彼は、基本的な戦法はおよそ全て晒した。それらを見た彼女には、対策を講じるも戦術を練るも思いのままだ。
もし彼らが決勝で相見えることになれば、優勢であるのは間違いなく少女の方。
そうまでアドバンテージを手にして、不甲斐ない戦いをするわけにはいかない。
衛宮士郎の考えがどんなものであろうと全てを凌駕する。その気概が、彼女にはある。
「――次は、負けません」
衛宮士郎の眼を真っ直ぐに射抜き、力強く宣言する。
彼女を突き動かす様々な感情、決意、信念。そのいずれもが、同じ方向へと向いている。
必ず二日後の大舞台で彼に勝利し、そして――
「最後まで俺が残れるかも分からないけど――でも、そうだな。もしそうなったなら、力の限り相手になる」
俺も負けるつもりは無い、と。
少女の宣言を受け、その挑戦を士郎も真っ向から受け入れる。
未来がどうなるかは分からない。
総勢百名を超える選手達の中で彼ら二人が上手く決勝戦に進めるかは未知数だし、トーナメントの組み合わせ次第では対戦することのないまま終わる可能性もあるだろう。
その上、どちらか一方でも途中で脱落してしまえばそれまでだ。
だが、もしもの話。
もしも、彼ら二人が決勝の場で相対することがあれば。
その試合はきっと、苛烈なものになるだろう。
「さ。そろそろ戻ろう。いつまでも二人を待たせちゃ悪いしな」
「はい」
促す士郎について、百も残された出久達の元へと向かう。
会話にかまけて、時間を無駄にするわけにはいかない。
時間を取ってしまったが、特訓はまだまだ始まったばかりなのだから。
「………?」
歩を進める百の耳に、ふと異音が届いた。
ブシュ、という、弾力のある柔らかな、それでいて内側に幾らかの液体が含まれているモノが破れたような、或いは何かが突き刺さったような、そんな音。
「お、おい衛宮、お前その腕……!?」
……切島さん?
音の出所を探すそうとした彼女の耳にクラスメイトの切羽詰まった声が届き、意識を引かれたる。
声の主である切島鋭児郎は青ざめた顔をしていて、ひどく狼狽えている。彼はただ一点だけを見つめていた。
視線の先には、彼女のほんの少し前にいる衛宮士郎、その左腕がある。
不思議に思い、何を見ているのだろう、と彼女は同じ方向を見る。――見て、しまった。
「………うそ」
目にした“ソレ”に、現実から目を逸らしそうになる。
……だって、それは本当ならそこにあっていいものではなくて。
……いまこの瞬間に、現れるはずのないもので。
……もう二度と、目にしたくはなかったもので。
「え―――?」
少年が、驚きに目を見開く。
百達は錯覚や幻覚であればと願い――しかし、現実は無常だ。
彼らが、その眼に収めているものこそ、紛れもない事実。
――衛宮士郎の右腕から、血に濡れた銀色の刃が飛び出している。
「あ、あぁ………」
過去の光景が、記憶の底から這い出してくる。
ほんの二週間と少し前に見た、恐ろしくて、悍ましい、焼き付けられたように海馬に染みつく、死にかけた少年の姿。
少年の命を喰い破る、呪いそのものな凶器が、再び貌を覗かせている。
……止め、ないと……
動転する心持ちで、それでも思考だけは止めなかった。
かつて見た凄惨な光景を、また起こさせてはならない。あんな事、二度とあってはならない。
この場には、彼を眠らせられる者も、彼の傷を治癒できる人間もいない。
今この場で、僅かなりともコレに対処できる人間は一人だけだ。
……私が、衛宮さんを助けないと……
揺れる瞳で、それでも衛宮士郎から目を離さず、覚束ない足取りで彼に近づこうとする。
あの時はただ取り乱すばかりで、処置の一つもできなかった。
でも、今は。彼の苦しみを見過ごさないと誓った今は。
……今度こそ、あなたを――
救ってみせる、と。
過去の恐怖に竦む心のまま、それでも少女は震える手を伸ばす。
“個性”は既に待機状態だ。
必要な器具も薬品も、いつだって創り出せる。
かつての失敗を決して繰り返しはしないと、彼女は心を奮わせ、そして――
「待った。――みんな、落ち着いてくれ」
――制止の声に、その動きを止めた。
「え、衛宮くん……?」
「どうして………」
百の動きを制した士郎の言葉に、三人は戸惑う。
襲撃事件の際に彼らが見た通りなら、すぐにでも無数の刃が現れる。その事は本人が一番よく理解っているはずなのに。
動揺する三人を他所に、当の士郎はどこまでも冷静だった。
「……大丈夫。これ、ちょっと制御にしくじっただけだ」
「で、でも、
「いや、これくらいなら、そう大袈裟な事にはならない」
落ち着き払った士郎の様子を見てもまだ恐々としていた三人だが、刃の現出は止まっている。
以前の事を鑑みれば今頃、身体中から刃が飛び出ている筈なのに、その兆候はない。
「本当に、大丈夫なんですか……?」
「ああ。少なくとも、この前みたいなことにはならない」
士郎はこれまでの経験から、“個性”の制御ミスにしろ過剰行使にしろ、暴走具合がおおよそどの程度のものか感覚的に把握できる。
今回のは、比較的に軽度のものだった。
「よ、良かったぁ……」
「本気で心臓止まるかと思ったわ、俺」
「ええ、本当に。寿命が縮む思いでしたわ。……ああ、いえ。だとしても急いで手当をしませんと」
断言する少年の言葉に今度こそ納得し、三人揃って脱力する。
下手をしなくとも命を落としかねない暴走だ。それが再び目の前で起こっているかもしれないとなれば焦燥もする。
危険はないと知った彼らの安堵は、それこそ急死に一生を得た時のそれと同等だった。
「……でも、おかしいな」
出久達が安心のため息をつく隣で、士郎は不可解そうに顔を顰めていた。
どこか納得がいかなそうな顔で、自身の腕をまじまじと見つめている。
「衛宮さん、おかしいとは?」
傷の痛みなどまるで気にせず怪訝な顔をする士郎を不思議に思い、百はそう聞いた。
「それが、特に何かミスをした覚えがないんだよ。投影も、いつも通りだったんだけどな」
対して、返ってきた言葉は予想外のものだった。
『投影』という“個性”はその扱いの難しさ故に、度を越した行使や制御の失敗によって自らの身を危険に晒すと、士郎本人がそう語っていた。
なのに彼は、手抜かりは一切無かったと言っている。
「衛宮の“個性”がどんな感覚なのかは分かんねえけど、失敗なんて、無意識のうちにやっちまうもんなんじゃないか?」
「……いや、そういうんじゃないんだ」
首を捻る士郎に、鋭児郎がそれは自然な事ではないか、と溢したが、こと士郎に限ってそれはほぼあり得ない。
行使するにも命懸けで、制御するために幼い頃から断崖での綱渡りじみた訓練を士郎は何度も繰り返してきた。
一つ誤れば、どころか、集中が一瞬でも途切れれば命を落とすような、極めて正確な制御と完璧な理解が求められるものなのだ。
ヴィランに殺されかけた時ですら、彼はその扱いを誤ってはいない。
それほど自身の能力を熟知し扱い慣れた彼が、この平時においてそんなミスを犯すことなあるはずがない。
意識も朦朧としているというならともかく、こうもハッキリと覚醒した状態で己の失敗を見落とすほど鈍った覚えは、彼には無かった。
「……しかし、この腕で続けてもみんなの鍛錬にならないな」
まだ納得はできないが、失誤の原因はともかくとして、刃が突き出し負傷した腕では模擬戦などまともに出来はしない。
よしんば、片腕を封じて続けたとしても、そんな不完全な状態では、相手になる友人たちの糧にはならないだろう。
士郎にとっては不本意な話だが、彼がこのまま訓練に参加し続ける意義は皆無だった。
「せっかく誘ってくれたのに中途半端になっちまって悪い。俺は先に抜けるけど、みんなは気にせず続けてくれ」
拳を下ろした彼は、それじゃあ、と簡素な別れの挨拶だけを残して、早々にその場を立ち去る。
治療のためというのもあるが、何より怪我人がいつまでも居座っては、鍛錬の邪魔になるだけだろうと、そう思っての事だった。
「……行っちまった」
「大丈夫かな、衛宮くん……」
「……心配、ですわね」
離れていく士郎の背を見送った三人は、急な出来事に未だ戸惑いが残り、不調故に傷を負った友人を案じた。
剣山の様に串刺された彼の姿を至近で見た彼らにとって、再び惨憺たる光景が繰り返されるかもしれないという、その憂いが消えることはない。
きっとこれから先も、あの光景は脳裏を掠めるのだろう。
――結局、気勢を削がれた三人は、その後も特訓に身が入らないままだった。
つい先日、モンハン新作の新しいPVが発表され、興奮すると同時に色々と別ゲー感も感じてしまし、ちょっと心配している作者でございます。
雰囲気がガラッと変わってるのもそうなんですが、アイルーと主人公まで遂に喋り始めて、いよいよもって違う作品になってきているように思え、実物はこれまで通りのモンハンらしさが残っていることを切に願います。
そんな作者の杞憂はさておき、最新話について。
約六ヶ月もかけて完成した本話ですが、実のところやってることはアニメで台詞もなくダイジェスト形式で流れた各自の鍛錬風景なんですよね。コミックなら一ページ未満のコマで済まされてるような。
そんなところに時間かけるなよと自分でも思うんですが、やっぱり物語の幕間みたいなのはあった方がいいと思うし、なんだかんだ必要なお話なので、どうかご容赦をば。
あと、今回から三人称視点などでは各キャラクターの名前を出す時、下の名前で表示することにしました。
なんか、ヒロアカって名字で書くイメージがあったんですけど、基本こういうのってどの作品でもファーストネームでやるものですし、士郎だけ名前でってのもおかしかったので、こうなりました。
もし違和感など感じるようでしたら、感想等にでもご意見お寄せいただけるとありがたいです。