前作のワールド、アイスボーンに続き本作もとても面白い、かつ味わい深い作品でした。
その一方で、ゲームの進行が滞りなさすぎる上に下位の時点で完結してしまうため、メインストーリー自体は非常にアッサリ終わってしまうのは物足りなく感じました。上位解放後も一部モンスターにのみ報酬が偏ったり、いくつかの武器が不遇すぎたり、後はハンターの挙動自体がワールドやアイスボーンに比べて微妙に遅かったりと、色々と気になる点や不満点はありますが、それを踏まえてなお素晴らしい作品だと思います。
一応、ネタバレになるため詳しいことは記せませんが、特にストーリーは様々な意味で過去作を遊んできたプレイヤーにとって衝撃的なため、まだプレイを検討している方には強く購入をお勧めします。
十万人以上の観客による歓声を、真っ向から掻き消すほどの雄叫びが轟く。
スタジアム中央で入り乱れるは総数十二組の騎馬。
戦端が開かれ、フィールドを駆けるいくつもの人間戦車<チャリオット>。
彼らの多くは一箇所を目指し猛進する。その矛先は――
「実質、1000万p<ソレ>の争奪戦だっ!!」
「ハッハッハ! 頂くよ、緑谷くん!!」
――緑谷出久の騎馬、その一点狙いである。
第一種目を一着で終えた彼に与えられた持ち点は1000万。
獲得したポイントの総合点によって勝敗が決定する第二種目、最後までこの最高得点を保持できたチームは決勝トーナメント進出が確定する。
たとえチームの戦力が全騎馬中もっとも低いものだったとしても、競技終了の瞬間に獲得していればそれでトップ通過だ。
持ち点の少ない騎馬、戦いが不得手なチームほど奪い取りに動く。
「いきなり襲来とはな。これも追われし者の定め……」
迫り来る集団を前に、呟いたのは常闇踏陰。
緑谷出久チーム、その前騎馬を務める彼に動揺した様子はない。
1000万という規格外のポイント保持チームだ、もとよりこの状況は想定済み。多数の襲撃者を前にしようと、萎縮する心胆など持ち合わせていない。
「選択しろ、緑谷!」
「もちろん――逃げの一手!!」
チームメイトからの問いかけに、出久は瞬時に応じる。
下される指示は交戦ではなく退避。ポイントを奪い合う事はせず、自分たちのポイントを死守する事を選択をした。
自チームの持ち点を最後まで守りきれば自動的に勝利となる以上、無理に相手からポイントを奪い取る必要はない。
「逃がすかよっ……!」
「っ……!? 地面を……!」
無論、他チームがそのような逃げ切りを容認する筈もない。
出久のチームに一歩踏み出す猶予すら与えず、襲撃者の“個性”が発動される。
瞬間、硬度を失い液化する足場。まるで底無し沼に落ちたかのように地面に沈んでいく騎馬。
彼らには知る由もないが、その現象は襲撃者――ヒーロー科B組、鉄哲徹鐵が率いるチームの一人、骨抜柔造が有する“個性”『柔化』によるものだった。
生物を除き、触れた対象の硬度を極度に低下させ軟化させるその能力は、まさにこの瞬間その特性を遺憾なく発揮し、逃げ去ろうとする獲物の足を絡め取った。
足を失った獣が生存競争を生き残れないのと同様に、移動そのものを封じられた出久たちにもはや抵抗の術はない。ここで襲い来る騎馬全ての応戦を余儀なくされる。
「発目さん、麗日さん、顔よけてっ!」
しかし、騎手たる少年の顔に諦めの色はなく、一瞬で状況を理解した彼は対応に動く。
彼は後騎馬の二人が自身の指示通りに動いたのを確認し、背部に背負ったバックパック状の機械から伸びるレバーのスイッチを押し込んだ。
起動された装置の噴射口から強烈な燃焼ガスが地面へと放出され――僅かな溜めの後、彼ら全員が空へと打ち上げられる。
「飛んだ!? サポート科のかっ……!」
あと一歩で獲物を取り逃した鉄哲徹鐵は、何が起こったのかすぐさま把握した。
緑谷出久のチームで後騎馬を任されたうちの一人、発目明はヒーロー科ではなくサポート科に所属する生徒だ。
サポート科は競技中、自身の作成した道具に限って使用が許されている。出久の背中に取り付けられた装置もその一つであり、人間一人なら余裕を持って浮遊させられるだけの出力を有していた。
だが、ジェットパック一つだけでは騎馬全体を支える事はできない。この大飛翔を実現させられたのはもう一人の騎馬、麗日お茶子によるところが大きい。
彼女の”個性“無重力<ゼロ・グラビティ>によって本人以外を無重力状態にさせた事で、いま現在チーム全体の重量は一時的に彼女と衣服及び装備品分のみとなっている。さらに、彼女の履く靴も発目明の持ち込んだ発明品であり、ホバーブーツとでもいうべきそれもまた、チームの機動力向上に一役買っている。
これら二人の力の掛け合わせによって、翼を持たない身でありながら、彼らは空という領域への道を手にした。
「行かせないってのっ!!」
されど、その場所もまた安全圏とは程遠い。
地上より上空の出久たちへ放たれたのは、伸縮する二本のイヤホンプラグ。耳郎響香の”個性“、イヤホンジャックだ。
これらは対象に刺す事で、彼女の心音を増強して叩き込む音響攻撃を可能とする。捉えられれば、撃墜は免れない。
「させん――!」
迫る脅威を察知し、常闇踏陰が声を上げる。
同時、彼の腹部から黒色のナニカが現れ、二本のプラグを叩き落とした。
「いいぞ、黒影<ダークシャドウ>! 常に俺たちの死角を見張れ!」
『アイヨッ!』
踏陰はそのナニカに周囲の警戒を指示する。
そのナニカの名は黒影<ダークシャドウ>。それ自体が常闇踏陰の”個性“でありながら明確な自我と言語能力を持ち、彼自身の影の写し身でもある、闇で構成されたモンスターかの様な存在だ。
闇の怪物は踏陰と常に繋がっており、その周囲を自在に動き回って主に及ぶ害を退けている。彼らの騎馬を攻略しようとするなら、まずはこのダークシャドウの攻略法を見出さねばならない。
「着地するよ!」
麗日お茶子の掛け声と同時に、騎馬の高度が下がる。
発目明が提供した装備は確かに優秀だが、無制限なわけではない。いかに“個性”で騎馬全体の重量を抑えたとしても、実質人間一人分ほどの重量を宙に留め続けるのは負担が大きい、
空中への退避は、あくまで一時的なものだ。
「降りてきたぞ、追え!」
降下を好機と捉え、1000万を奪い取るべく再び突貫するいくつもの騎馬。
そんな光景を尻目に漁夫の利を狙う者や大穴は狙わず堅実にポイントを稼ぐ者もおり、フィールドはまさしく合戦場そのものだ。
試合は始まったばかり。いまだ結果は見えてこず、ここからさらに苛烈さを増していくだろう。
「――――」
――ただ、一チーム。
誰も彼もが鉢巻を奪い合う中。
とある騎馬だけはそれらの争奪戦に加わらぬまま、静かに息を潜めていた。
◇
『"個性"使用制限?』
『ああ。相澤から出された条件で、そいつを破ると俺は失格になる』
第二種目、開始前。
衛宮士郎は自身に課された条件を、チームメンバーに伝えていた。
チームとして試合に臨む以上、自分に何ができ、できないかは共有しておかねばならない。
たとえそれが、結果次第でライバルになるかもしれない二名に、自身の付け入る隙を教える事になるのだとしても、今この場では同じ目標を目指す仲間だ。
彼の中で、彼らを欺くという選択肢は皆無だった。
『なんでそんな事に?』
『詳しい話は省くけど、少し“個性”に不調があって、それで過度な行使はするなって言われちまったんだ』
詳細と原因を話せば長くなる上、また先日の一件を掘り返す事になる。
事件の記憶も過去に埋もれ始めている。いまさら蒸し返して、不快な気分を蘇らせる必要はない。
いま告げるべきは、その制限が与える影響のみだ。
『具体的に言うと、投影の回数を一試合につき二十回まで制限されてる。それ以上は“個性”を使えない』
『た、たったの二十回だけ……?』
先日の一件で、担任から言い渡された限度。
“個性”の使用を二十度までに限定し、刃が暴走するリスクを回避する為の措置だ。
これを破った時、士郎は体育祭への挑戦権を失う。
それが、相澤消太の出した条件だった。
『だから、応戦にしろ防御にしろ、“個性”を多用した対処は出来ないと思ってくれ』
十五分間の競技時間、自チームを除いた計十一組の騎馬全てが敵対するともなれば、“個性”の使い所は慎重に見極めなければならない。
刀剣の層写は非常手段、直接扱う武具の投影も最低限に抑えて、ようやく戦いきれる計算だ。
『……けど、これはあくまで俺の都合だ。今の話を聞いて俺とはやれないって思うなら、遠慮なく他のやつと組んでくれて構わない』
士郎自身は、この条件そのものを然して気にしていなかった。
対人戦では投影を多用する事は少なく、二十回もあれば大抵の競技はクリアできる公算だった。事実として、彼はその二十度の投影をやりくりして第一種目を五着で終えている。
だから、担任が制限を言い渡した時も彼は動じることなく、何の問題もないと高を括っていた。
しかし、それが団体戦ともなると勝手が違ってくる。
個々人の能力値がそのままチームの総合力になる以上、一人が全力を尽くせなければアベレージの低下は避けられない。個人と集団では一度に割けるリソース量も違ってくる。
衛宮士郎をチームに組み込むと言うことは、組み分け段階でハンデを背負うという事を意味する。
より確実な勝利を得るために彼との共闘を避けるという選択は、決して間違ったものではない。
『――その必要は無い。俺は、お前の技を見込んで誘いをかけた。仮にその話を先に知っていたとしても、同じ判断をしただろう』
間違った判断ではない。他にも選択肢はある。――その上で、障子目蔵は衛宮士郎と共に次の競技へ臨むと決断した。
それによって齎される不確定さを考慮に入れても、自身に還る利の方が遥かに大きいのだと、その確信のもと持ちかけた共闘だった。
『……峰田はどうだ? お前が受け入れられないって言うなら、俺は他所のチームに混ざるか、それも無理なら最悪、棄権するけど』
目蔵は士郎の抱えるハンデを容認したが、もう一人が同じように受け入れるとは限らない。
この三人でチームを組むと言うのなら、彼の意思も問わなくてはならない。
『いや、文句はねえけど、そもそもそれで弾かれるのは衛宮じゃなくてオイラの方だからな?』
そして、最後の一人もハンデを抱えた士郎との協働を承諾した。
こちらに関しては、前提として後から加わった上に目蔵は士郎と組む事を望んでいるため、このチームしか行き場の無い彼には受け入れる以外の選択肢が無いと言う事情があるのだが。
『ん……。分かった。二人がそれでいいなら、俺も気兼ねなくやれる』
両者の了解を得たいま、チームは本当の意味で結成された。
これより第二競技の終了まで、彼ら三人は互いに協力し合う関係となる。
『……それで、話を戻すけど。次の騎馬戦、二人はどうしたいんだ。先にその辺りの方針は決めておこう』
三人の人物が手を組み同じ目標を目指す。
そのためには、明確な方向性が必要だ。どのようにして、如何なる形で試合を終えるか。
即席のチームで戦うには、共通の認識が必要だ。
『無論――』
『1000万狙いだぜ!』
士郎の問いに、目蔵と実の二人は揃って同一の答えを出す。
1000万。
第二種目最大の獲物――即ち、緑谷出久を狙うのだと、彼らは告げる。
士郎にとっても、それは概ね予想できていた返答だった。
第二種目の通過が確定するから、という単純な理由ではない。
この雄英体育祭は世間にも周知されている通り、生徒達のヒーロー業界に対するアピールの場でもある。――いや、むしろそちらの意味合いの方が強い。
各種目でいかに活躍し、自身の存在をプロに印象付けるか。残した爪痕が大きいほど、のちの可能性を拡げられる。
1000万という争奪戦必至であろう騎馬を狙い、見事そのポイントを奪い取ってみせれば、プロの目に留まる可能性は極めて高い。
『それなら、一つ俺に考えがある』
二人の答えは想定通りで、士郎も同じ意見であった。
乱戦が予想される第二種目、チームメイトを確実に決勝へ出場させるには、やはり1000万の奪取こそが確実。
故に、策は既にその手の中にあり――
『二人とも、俺の話に乗ってくれるか?』
――あとは、チームメイトの信頼を得られるか、ただそれだけだった。
◇
激しさを増す試合模様、過熱する点取り合戦。
その中心には近づかず、開始から五分を経過した今なお、衛宮士郎は標的である1000万の奪取に動こうとはしなかった。
「衛宮、残り時間十分を切った。まだ獲りに行かないのか?」
「ああ。まだ頃合いじゃない」
タイムリミットは刻一刻と迫ってきている。
各所で騎馬同士のポイントの奪い合いが繰り広げられ、順位の移り変わりも目まぐるしい。
このまま機を伺い続けて、それで1000万を奪い取れるのか、そう問う目蔵に士郎はやはり方針を曲げようとはしない。
「けどよ、緑谷狙いでかなりの騎馬が集まってんだぜ? このままじゃ、他のチームに先越されちまうよ」
「あいつの実力はよく知ってる。面子も上手く揃えてるし、周りのチームも騎馬同士で牽制し合ってるからそこまで圧力は強くない。今の緑谷ならあの程度の包囲は凌げるはずだ」
USJ襲撃事件後から今日まで共に続けてきた鍛錬は伊達ではない。
士郎は出久の成長を最もよく把握している。“個性”の制御に難はあれど、元々の素質も合わさって出久の対応力ならしばらくは持ち堪えられると、士郎はそう判断している。
「よしんば、他に取られたとしても、その時はそっちを狙えばいい」
ルール違反や危険行為でもしない限り、この騎馬戦では途中失格はない。
序盤もしくは中盤に1000万を確保したところで、今度は自分達が追い回される。それで最後に奪われでもしたら本末転倒だ。
故に、本気で最高得点を狙うと言うなら終盤。残り時間が僅かとなり、各騎馬が疲弊したタイミングこそが一番の狙い目となる。
それまでは、他チームの注目を引きすぎず、散逸的に襲ってくる騎馬をあしらうだけでいい。
「……とはいえ、“保険”はかけておくべきか」
最後に勝負をかけると言えば聞こえはいいが、それはつまるところ、目論見が失敗すればこの第二種目で敗退するおそれもあるということを意味する。
彼らの持ち点は445p。決して低くはないが、かといったそれだけで確実に決勝へ進出できるほどの点数というわけでもない。
理想は1000万を奪取しての一位通過だが、それがなくとも突破圏内に入れるだけのポイントは確保しておきたいところ。
「今のうちに、一つか二つポイントを取っておこう。障子、守りと周囲の警戒は任せた」
「了解した」
士郎は他騎馬からのポイント奪取に専念する。
その間、自チームに意識を向けることはできないが、騎馬たる眼蔵の“個性”は複製腕。通常の腕に皮膜で繋がる二対の触手先端から、肉体各部の器官を幾つも複製でき、さらにそれらは通常の器官よりも機能が高い。
目や耳が複製されれば、彼の警戒網を掻い潜ることは困難だ。
不意打ちでポイントを奪われることはまずありえない。
「峰田、“鏃”を頼む」
「おう」
そう言って、士郎は鏃が無い矢を投影し、その矢先を、目蔵の腕と皮膜に守られた峰田に向ける。
峰田は頭部から生える野球ボールほどの球体状の物体を一つ捥ぎ取り、矢先に取り付けた。
「頼んだぞ、衛宮!」
「ああ、頼まれた」
準備を済ませた士郎は友人の激励を背に、使い慣れた黒弓を投影し矢を番える。
ここまで戦況の観測を続けたことで、彼はポイントの分布と各騎馬の戦法を既に把握している。
あとは、矢を射る先を選定するのみ。
……半端な点じゃ意味が無い。
標的となるものはいくらでもいるが、旨みのあるチームはそう多くない。持ち点と合わせて上位四位に近い位置を狙えるものが望ましい。
それでいて守りが疎かで、他所に意識を割かれている騎馬は――
「――あれだ」
標的を定め、二秒とかからず弦を離す。
解き放たれた矢は文字通り空気を切り裂いて飛翔し、数十メートルの距離を瞬く間にゼロにする。
標的は高速で接近する存在に気づくこともなく、鏃は獲物を過たず捉え――その頭部に巻かれた鉢巻を掠めていった。
「ぇ……?」
標的となった騎手たる少女が疑問の声を上げる。
頭部に微かな振動が走り、その側をナニカが通り過ぎていった感覚。
直後に感じた喪失感に、咄嗟に頭部を探れば、そこにあるはずのものがない。
「うそ……!?」
奪われた、と気づきナニカが通り過ぎて行った方向に視線を巡らせると、何かに張り付き宙ではためく自チームの鉢巻が見える。
その形状は鏃を除けば通常の矢そのもので、おそらくはとあるA組の生徒が放った物か――その様な考察を挟める余地など少女にはない。
「くっ……!」
少女が、鉢巻めがけて腕を伸ばそうとする。
奪われまいとするその行動はほとんど反射的な物であった。それ故に思考を省いた挙動は迅速で、実行には二秒と要さなかった。
「あっ……」
されど、鉢巻を奪い去った矢は取り返そうとする試みを嘲笑うかのように少女の手をすり抜け、通ってきたであろう軌跡をなぞって逆戻りしていく。
飛んでいったその先を見れば、異形型“個性”の大柄な生徒の背で弓を構える赤銅色の髪の少年、衛宮士郎がワイヤーらしきものが括り付けられた矢を掴み取っていた。
「やられたっ……!」
少女が持ち点を失った事実を認識した頃には既に手遅れ。
鉢巻を回収した士郎達は、入り乱れる多くの騎馬と“個性”の応酬に紛れて、鉢巻を奪い取った少女達の視線から身を隠していた。
「峰田、鉢巻を頼む。間違えてくっつけてくれるなよ」
「分かってらぁ!」
目論見通り他騎馬からポイントを奪い取ることに成功した士郎は、鉢巻が張り付いた矢を実に渡し投影を破棄する。
それらしい振る舞いを見せているのは士郎だが、このチームで本当に騎手を務めているのは後ろにいる峰田実の方だ。
彼と目蔵の圧倒的な体格差と複製腕によるガードを最大限利用するなら、彼が騎手として適任だった。
もっとも、より確実に守り切るため士郎の背後に彼を陣取らせ、その上で目蔵が“個性”で幾つかの腕を複製し支えるという、凄まじく窮屈な状況となってしまっており、居心地の悪さは全騎馬中随一だろう。
「流石、見込んだ通りの腕前だ、衛宮。やはりお前に声をかけたのは正解だったな」
首尾よくポイントを奪い取った士郎に、目蔵が賞賛の声を上げる。この一連の結果こそ、彼が士郎をチームメイトとして選んだ理由だ。
第一回の戦闘訓練時、対戦相手の一人であった士郎の弓によってリタイアさせられた目蔵。
コンマ数秒のうちに三箇所の急所を射抜き、確保テープまで巻きつけたその弓の腕前なら、この第二種目でも相手の騎馬が反応するより早く鉢巻を奪い取れるであろうと、彼はそう考えたのだ。
そして目蔵の狙い通り、士郎の放った矢は容易にポイントを獲得してきた。
「向こうが緑谷たちに気を取られてたからだよ。正面からじゃこうはいかない。――それと、峰田とこの捕縛布のおかげでやりやすかったってのも大きい」
ただ矢を放つだけでは鉢巻を奪い取ることはできない。
狙った鉢巻を掠め取り、その矢を回収するための工夫が必要だった。
最初は鏃の形状を変形させることで鉢巻を引っ掛け取ろうと考えていた士郎だったが、騎手の”個性“がその考えを変えさせる。
峰田実が有する”個性“は『もぎもぎ』。頭髪が粘着性の高い球体に変質し、それを捥ぎり取ることができるという能力だ。その粘着力は極めて強力で、一度くっつけば本人だろうと取り外す事は出来ず、増強型の“個性”だろうが大型重機だろうが力づくで引き剥がせないほどの代物であった。
この性質を利用して“もぎもぎ”を矢の鏃にする事で、容易に鉢巻を掠め取ることに成功した。
それ自体は行使者本人にはくっつかないため、騎手役との都合も良かった。
そして、矢の回収は矢筈に紐を括り付けることでクリアした。
チームメイトの二人は知らないことだが、この紐は彼らの担任が使用する捕縛布を解析していた士郎が、そこからさらに設計を変更して伸縮性を加え形状を変化させた物だ。
プロヒーローがヴィラン捕縛に使うほどに信を置く装備であり、頑丈さは折り紙付き。運悪く辺りを飛び交う“個性”による攻撃に巻き込まれたとしても、容易く斬り裂かれる事のない強度を誇る。
この戦法は、複数の要素が噛み合った上で、標的の意識外から奇襲を仕掛けられる士郎だからこそようやく成功させられる芸当だ。
「なんにせよ、これで持ち点と合わせて650p。向こうもわざわざ取り返しにはこないだろう」
士郎は矢で射抜くのに十分離れた位置にいた騎馬を標的とした。彼我の距離は明白であり、獲物となった少女達がポイントを取り返そうにも、すぐに追って来れるものではない。
「順位は暫定五位だ。終わりがけに上位陣も変わってくるだろうし、このまま終盤までやり過ごしたいところだけど」
このチームの狙いはあくまで緑谷出久の1000万。
これを獲る事が本命であり、それ以外のポイントは失敗を想定した保険以上の意味を持たない。
下手に点を抱えすぎて、一位以下狙いの騎馬に襲われては作戦に支障が出る。
頃合いまで、誰の注意も引かず耐え忍ぶ事ができれば最善。
「どうやら、そうもいかないようだぞ、衛宮」
「……みたいだな」
警戒を促しながら、目蔵が後方に振り向く。
その方向には、騎馬が一騎。明らかに士郎たちへと向かって来ていた。
「……気づかれたか。油断してると思ったんだけど、案外よく視てるんだね」
全員がB組に所属する、四人一組の騎馬。士郎が試合の推移を観察していた時、A組の女子生徒、葉隠透率いる騎馬の隙をついてポイントを盗みさったチームだ。
その騎手である男子生徒が、目蔵の複製腕を指して言う。それが侮蔑だったのか、単なる感想だったのか判断はできない。
「どうする、衛宮。退くか?」
「できるなら、そうしたいところだな」
相手の言葉は意にも介さず、目蔵は士郎の判断を仰ぐ。
彼らの方針は明確だ。勝負所まで無用な交戦はせず体力を温存する、そうやって動いてきた。
その方針を曲げ、ここでポイントの奪い合いに乗る必要性は薄い。
「逃げるのかい? それはまずいんじゃないかなぁ。なんせそこの選手代表は、正々堂々競うって宣誓してたじゃないか。ヒーローを志す者が大勢の前で誓った事を翻すべきじゃない」
交戦を避けようとする士郎たちの会話を聞き、それを引き止めようとする金髪の男子生徒。
ポイントを奪い取りにきた以上、獲物の逃走など認めるはずがない。
わざわざ士郎の選手宣誓を持ち出してまで引き止めようとする。
「生憎、宣誓に反した覚えはない。ミッドナイトがどんな手も許してる以上、これも正しい競い方だ」
見え透いた挑発に士郎が乗ることはない。
競技は中盤に差し掛かったばかり。一番大きな獲物を狙う彼らに、小物の相手をする理由が無い。
「遠巻きにみんなの競争を眺めながら、油断したチームのポイントを盗むのが立派な競い方とは思えないなぁ。知ってるかい? 君らみたいなやり方を、世間一般じゃ卑怯者って言うんだよ」
B組の騎馬は、ここでポイントを確実に奪い取りたいらしい。
口にする言葉は内に含んだ棘を隠そうともしない。
騎手を務める金髪の男子生徒は薄ら笑いを浮かべ、士郎たちの敵愾心を煽りこの場に留まらせようとする。
――だが、それは。
「――は、笑わせるなよ“B組”。クラスぐるみで他クラスの弱みを嗅ぎ回ってた連中の言えた台詞じゃない。卑怯者なんて言葉は、そっちにこそ相応しい誹りだろうよ」
神経を逆撫でする言葉の羅列を聞きながら、しかし士郎は笑った。
愉快げに、自らを顧みることの出来ない未熟者を嘲るように。
「――へぇ」
嘲笑を受けて、男子生徒の笑みが変わった。
わざとらしいニヤついた眼が鋭さを増し、気を抜いていた体勢に力が籠る。
「気づいてたんだ。――A組はもっと単純な人間の集まりだと思ってたよ」
「ああも露骨な行動をとっておいて、誰にも気づかれないと思っていたなんてな。そっちの司令塔はよっぽど短慮な人間らしい。そんな人間に唆されて下らない三文芝居に付き合わされた連中には心底、同情する」
「……っ」
「――とはいえ、乗る方も乗る方か。プロに活躍を見せつけられるこの大舞台にいながら、クラスの大半でまずやることが他人の粗探しっていうんだから滑稽だ。同じB組でも第一種目を上位で通過して1000万を狙いに行っているあそこの四人の方が、よほど見所がある」
「……なかなか、言ってくれるじゃないか」
B組の騎手から、対面当初の余裕が消える。
歪む表情は、取り繕おうとも誤魔化しきれない苛立ちの表れか。
「気に障ったか? けど、それは筋違いの憤りだぞ。こっちはただ事実を言っただけだ。恨み言なら、あんな粗末な斥候<スカウト>の真似事を提案した、見通しの甘い
対峙する騎手に視線を向けて、ニヒルに笑う士郎。
その様子を見て、B組の騎馬全員も今になってようやく気づいた。選手代表も務めたこのA組生徒は、誰が敵情視察を提案したか察した上で、自分たちを玩弄しているのだと。
「ようするに、喧嘩売ってんのかよ、テメェ……!」
声を上げたのは、前騎馬を務める生徒だった。
それまで舌戦は騎手に任せきりだったが、繰り返される罵倒に我慢の限界が来たらしい。
徹底的に叩き潰す。そんな感情が瞳に灯っていた。
だが、激する彼とは対照的に、士郎は平静のまま様相を崩さない。
「おかしな事を言うな。因縁をつけてきたのは、そっちの騎手が先だろう。俺はそれにいくらか応じただけだ。攻撃すれば反抗が返ってくる、そんな道理すら許容できないっていうなら、夏休みに中東にでも行ってくるといい。あの辺りのブラックジョークを耳にしていれば、その柔な心胆も多少は図太くなれるはずだ」
「このヤロウ……!」
「……落ち着け、円場」
今にも飛びかかりそうな勢いの前騎馬を、騎手の男子生徒が制する。
憤懣に表情を歪めていたのは彼も同じだが、反論の余地すら無い痛言とクラスメイトの激昂ぶりが、かえって彼の頭を冷やした。
「君の言う通りだ。誰もが本気で臨んでいるこの体育祭に、卑怯なんて言葉は罷り通らない。その点は、僕の見当違いだったよ」
一転する主張。
士郎たちの不名誉をあげつらった彼は、それ自体が道理の外れた言動だったと言う。
それは、自らの落ち度を認める言葉に相違なかった。
誤った解釈をし他人を貶めるという愚昧、自身の行いはまさにそのような物だったと、彼自身が断じる。
ともすれば、言葉の上で敗北を認めるような言動だが、
「――けど。それなら、僕たちが第一種目で得たモノを活用しようと、何の問題もないだろう?」
卑怯な方法などない。如何なる手段であろうと須く容認される。
ならば、彼がした事も、彼の話に乗ったクラスメイトたちも、何ら負い目を感じる必要はない。
ここでその成果を発揮しようと、それは勝利と優勝を掴む為の正当な競い方だ。
そう。
事実として、彼らB組がA組に対してアドバンテージを保っている事は変わらない。
1-A 生徒の“個性”、技量、戦法、性格。それら情報的な優位がある限り勝敗は決まっている、と彼は笑い、
「だから、それが甘いって言うんだ」
ピクリ、と。
否定の言葉に、好戦的な笑みが歪む。
「確かに、お前たちはA組の“個性”や戦い方を観察して、その対策も多少は考えているんだろうさ」
その為に、B組はクラスぐるみで予選を中・下位に甘んじた。
長期的な見方で、合理的な戦略を組んだ。
全ては、自分達の力を示すため。A組に劣るものなど一つもないのだと、世に知らしめるため。
その目的のもと、何人ものクラスメイトを付き合わせ、そうして積み上げた勝利への道であり、
「けど、それがどうした? 所詮は篩い落としの予選だ、全力を出した奴なんて一人もいない。小手先の技を見て満足ならいくらでも盗み見るといい。それとも、たかだか障害物走程度で見せた力があいつらの全霊だと――本気で、そう思っていたのか?」
行為そのものが無意味だと告げる言葉。
徒労でしかない茶番に勤しんでいた彼らに向ける冷笑。
形ばかりの問いかけは、明瞭なまでに一つの意思を告げている。
――B組<オマエ>の企みは、どこまでいっても猿知恵の絵空事だ、と。
「得意げになるのも構わないけどな。どんなに見栄えのいい構図を描いたって、そこに骨子が通らないなら出来の悪いハリボテにしかならない」
「――――」
ビキリ、と何かが割れ砕けた錯覚。
B組の騎手は笑みを崩さぬまま士郎を睨みつけ、
「――なら。本当に無意味だったか、君自身が試すかい?」
その瞳に、燃えるような敵意が渦巻いていた。
もはや彼の頭からは、言葉で相手を翻弄し生まれた隙を広げてポイントを奪うなどという、当初の目的は抜け落ちている。
あるのはただ、目の前の人間を完膚なきまでに叩き伏せるという、憎悪にも似た激情だった。
……少し、煽りすぎたかな。
今度こそ、完全に臨戦体制を取ったB組のチームに、士郎は些か当惑していた。
彼らが仕掛けてきた舌戦に乗り徹底的な挑発で相手の冷静さを失わせ、頃合いを見て撤退するつもりだったため、状況そのものは思惑通りのものだ。
しかし、相手がこうも過剰に反応してくるとは思わなかった。
試合開始直後からの観察で、目の前の騎馬が真っ向勝負を仕掛ける手合いではなく、他チームの裏を掻き、どさくさ紛れにポイントを盗み取る戦法を取っていることは把握している。
手より先に言葉で相手を切り崩そうとする思考、正道ならぬ方法で勝利を収めようとするスタンスからして、敵の戯言など一笑に付しそうなものだが。
……案外、根は仲間想いなのかもな。
あくまで個人の印象ではあるが、B組の騎手が怒りを見せたのは、彼ではなく彼のクラスメイトを貶す発言に対してだったように士郎は感じた。
彼個人への言葉にも、大きな反応は見せていなかった。
……なんにせよ、さっさと引き離さないと。
士郎は目の前の騎馬には聞こえない小声で、相手が隙を見せたら離脱するよう目蔵に伝える。
試合時間はようやく半分を切ったところ。終盤に1000万の奪取に動くつもりでいる士郎たちにとって、ここでの損耗は単なる浪費だ。
「残念だが、遠慮させてもらう。こっちも忙しくてな、無駄な争いに付き合ってやる暇は――」
無い。
そう、告げようとして、
「そこのA組ぃ――!!」
「……なに?」
右方から響く咆哮。
一瞬、目の前の騎馬に不意を打たれない程度に視線を向ければ、一騎の騎馬が彼らめがけて突っ込んできていた。
「あれは、さっきのチームか」
迫り来るは、目の前の騎馬と同じ全員がB組に所属する騎馬。
先ほど、士郎が鉢巻を奪った女子生徒四人組のチームだ。
「まさか、わざわざ取り返しに来たのか……?」
別のA組を狙っているのではない。間違いなく士郎たちを標的にした吶喊。
目的は明白、報復だ。
騎馬全員、その顔に闘志と怒りを滾らせ、自分たちから鉢巻を持ち逃げした盗人を誅さんと気炎をあげている。
……まず間違いなく、1000万の方を優先すると思ったんだが。
士郎にとって、それは想定外のものだった。
ポイントを取り返しにきたことではない。そう決定するに至った彼女達の思考に対してだ。
士郎は第一種目における各走者の順位と顔をおおよそ把握している。上位のうち、B組に所属する生徒は四人のみで、迫りつつある彼女らはその四人ではない。
つまり、彼女たちはB組がクラスぐるみで行った作戦に乗った一部ということだ。その上で、第二種目での彼女達の標的は緑谷出久だった。
後の勝利を盤石なものとするべく、自己アピールの機会も功名心も捨てられた人間が、最優先目標を放ってほんのわずかな失点を取り返しにくることはない。
そう考えたからこそ、士郎は彼女らを狙った。
たとえポイントを奪ったとしても、リスクや効率を考慮して矛先を変えはしないだろう、と。
……読み違えたか……まったく。
己の浅はかさに舌を打つ。
A組に対するB組の対抗意識は明らかだった。それこそ、仕返しを優先してもおかしくはない。
彼らのその気持ちを考慮に入れていなかった、士郎の失態だ。
……ともあれ、これで終盤まで逃げ延びるのは難しくなったか。
目の前の騎馬も油断なく、士郎たちを見逃してくれそうにない。
たとえ一時的に切り抜けたとしても、しばらく追われる羽目になるのは確定だ。
どうあれ、この二チームを相手取るより他になくなった。
「やっと捕まえた。さあ、あんたらの分ごと、私らのポイント返してもらうよう!!」
いよいよ追いついた少女達、その騎手を務めるサイドテールの女子生徒は、好戦的な笑みを浮かべて士郎達にそう宣言する。
そして、そのまま顔をふい、ともう一つの騎馬に向け、
「物間、お前の狙いは“爆破”の方なんだろ。さっさと本命の方に行きなよ。こっちは私らが先約だから」
一切の躊躇も遠慮もなく、堂々と獲物を譲れと宣った。
総当たりの形式を取るこの騎馬戦、ポイントの争奪は早い者勝ちだ。先に戦おうが後から乱入しようが、鉢巻を手にしてしまえばいいだけのこと。
それでも律儀に言葉にしたのは、それぞれがある程度の方針を共有しているからか。
「そのつもりだったんだけどね、ちょっと予定を変えたんだ」
「……どういう風の吹き回しだよ。こんな出し抜きにくい相手に拘るなんて、らしくもない」
「優先順位が変わっただけだよ」
すぐに別のポイントを奪いに行くと考えていた少女にとって、少年の返しは意外な物だった。
そもそも、この物間という男子生徒のチームは正面対決を得意とした構成ではなく、本人の性格からして隙の多い騎馬を狙う方針をとっていたはずだった。
なのに、いま彼らが前にしているのは極めてポイントを奪いづらいチーム。
彼らがまず放置する類のもののはずなのだが。
「それより拳藤。お互い、目当ての騎馬は他にあることだしさ、ここは一つ協力しないか? 彼らのポイントは、取ったチームのものって事で」
「……なるほど。お前がそんな話を持ちかけてくるって事は、あっちの騎手にこっぴどく言い負かされたみたいだね」
思わぬ提案に、しかし少女は大まかな事情を察した。
彼女と少年の付き合いは決して長いものではないが、この一カ月の間にどんな性格かはお互いに知れている。彼という人間は、この場にこだわったり共闘を申し入れてくるタチでない。
それでも常ならざる考えに至ったのは、よほど対峙したA組が気に入らないということだろう。
妙なところで
「いいよ。こっちも時間ないし。さっさとあっちの鉢巻ぶんどって、1000万獲りに行かなきゃだから」
「そうこなくちゃ。拳藤のそういう剛毅なところは本当に頼もしいよ」
「言ってろ。……つーわけだから、さっさとポイント渡してもらうよ、A組!」
話し合いを済ませいま一度、士郎たちに向き直る二騎の騎馬。
必ず鉢巻を奪い取る、そう意気込む双方共にヒーロー科の生徒、手を抜ける相手ではない。
二つの騎馬に狙われ、離脱も叶わなくなったいまは窮地そのものだ。
「二騎でかかればすぐに片がつく、と。俺たちも侮られたもんだ」
しかし、士郎は追い詰められた様子など微塵も感じさせない。
不敵な笑みを崩さぬまま、泰然と構えている。
――無論、ハッタリだ。
相手は二騎、全員がB組に所属し、この騎馬戦で士郎が見ていた限り保有する“個性”もあまり見せてはいない。
情報も少なく、間違いなく強敵であろう二チームを相手にし、余裕など皆無だ。
だが、その内情を晒しては相手に勢いを与え、すぐに押し込まれるだろう。
「小賢しい立ち回りしかできない連中が、正面対決でどこまでやれる?」
故に、彼らを退け、目的を果たそうというのなら。
臆す事なく、真っ向から打ち破るほかない。
「こっちの台詞だっての。コソコソとポイント掠め取るだけのやつが――」
挑発に応じ、少女の騎馬が動く。
負けじと皮肉を返しながら、走り出した勢いのまま騎手が腕を振り翳し――
「私の拳を、受け止められるか――!!!」
右腕を相手に力強く振り抜く、その刹那。
彼女の拳が、一瞬のうちに
「っ……!?」
前兆もなく増大した質量、延伸される攻撃範囲。乗用車を掴めそうなほどに肥大した拳を受け止める術など無い。
間合いは意味を無くし、無防備な士郎へと、渾身の殴打が打ち込まれる――!
「づぅ………っ!」
その脅威を、咄嗟に反応した目蔵が右腕を差し込みガードする。
恵まれた体格を買われチームの守りを担う彼は、見事にその役目を果たした。
「ぬぅ、おぉおおおっ!?」
しかし、受け止めた拳の威力は衰える事を知らず、自らの一撃を遮った邪魔者ごと薙ぎ払わんと一気に振り切る。
真っ向から防いだ目蔵に、その勢いを留めることはできない。彼の体は、背に乗せた二人ごと後方へ一メートル近く押し飛ばされた。
……拳の肥大化と、それに伴う膂力の増強か。
それが、どれだけ驚異的な事か。
少女と目蔵の体格差は一見して明らかだ。身長は10cm以上も差があり、異形型の肉体も相まって少女の体躯は大きく目蔵に劣っている。筋量も違えば、骨量も及ばない。
にもかかわらず、同年代の男子二人を背に乗せてもなお機敏に動き回るほど優れた身体能力を誇る目蔵を、一回りか二回りも下回る体躯の少女が力づくで押し飛ばしたのだ。
「どうした! 大口叩いた割に、その程度か!?」
「っ……!」
隠されたポイントを露出させるべく、自ら離した距離を詰め、ガードを無理矢理にこじ開けんと拳を連打する少女。
それら左右の拳撃を、目蔵は躱す事しかできない。
先の交差で膂力の差は歴然としている。何の策もなく受け止めれば、そのまま圧し潰されるたけだ。
「僕たちを忘れてもらっちゃ困るなぁ!」
少女の猛攻に気を取られている間に、もう一方の騎馬が左翼より士郎たちに接近していた。
なんの偶然か、騎手の少年もまた腕を振りかぶっており、手先は貫手の形を取っている。
目蔵はそれを防ぐ事で、いかなる“個性”を宿すのか確かめようとして、
「触れるな、障子!!」
「………!」
その行動を静止する士郎の声。
敵の攻撃に対し、受けてはならないと下される指示。
目蔵は素早く反応し、すぐさま回避行動に移った。
「つっ……!」
だが僅かに間に合わず、相手の指先が掠めた。
幸い、もう一方の少女のように絶大な威力を秘めているわけではない。……が、奇妙でもある。
ほんの少し、微かに触れられた程度だというのに、接触した箇所に想像以上の熱が残っていた。
まるで、高速で挙動する物体が皮膚の上を通過した様なこの感覚は、
「振り抜く直前、腕全体がドリルみたいに回転してた。多分、あの騎手の"個性"だ」
「……なるほど。これは、摩擦熱か」
士郎はその類稀なる視力の高さで、振り抜かれる腕の変化を視認していた。
騎手の肘先から指先までが高速回転し、掘削機の如く唸りを上げていた。
両腕か、四肢か、或いは身体全体か。
最低でも、腕を含んだ肉体を高速で旋回させる能力だろう。
厄介なのは、威力の増加より性質の変化だ。回転が加わることによって、彼の一撃は単純な殴打ではなく相手の防御ごと抉り弾く削剥の性質を有する。
まともに受ければ、殴りかかる力に加え回転による衝撃も蓄積し、そのダメージは計り知れない。
「ひとまず距離は取れたが、このまま防ぎ切れるか……」
男子生徒の騎馬が割り込んだことで、もう一方の騎馬も同士討ちを厭い足を止めていた。
離される距離。
彼らが再び攻め込むには、三歩の踏み込みが必要となる間合い。
「うまく避けるじゃないか、A組。ヴィランに遭遇した時も、そうやって逃げ回ってたのかい?」
「止めな、物間! 口が過ぎるよ!」
「そう目くじら立てないでくれよ、拳藤。これでも僕は結構、同情してるんだぜ? 入学してすぐにヴィランに追い回される羽目になって、実に憐れな話じゃないか」
「止めろって言ってんでしょ! これ以上余計なこと言うなら、先にあんたらの方から倒すよ!」
優勢に立ち、男子生徒の騎馬も勢いづいてきたらしい。憎まれ口に磨きがかかる。
一方で、少女の方はそんな彼の振る舞いは気に食わないようだ。彼の立ち回りは作戦として間違った物ではないが、そういったやり方は少女の主義には反するのか。両者の間には、明らかな温度差がある。
同じ作戦で動いていたとはいえ、彼ら全員のスタンスまで同じわけではないらしい。
「どうすんだよ、衛宮。あいつら、めちゃくちゃめんどくさいぞ」
目蔵の腕の中から、外の様子を伺っていた峰田実が状況を危惧する。
防御の上から殴り飛ばす少女と、防御の上から削り弾く少年。守りを固めてやり過ごすには厄介な組み合わせだ。さらに、“個性”を見せたのはいまだ騎手だけで、騎馬の方は誰一人として能力を使用していない。
交戦開始から二十数秒。たったそれだけの時間で、苦境に立たされている。
やはり両チームともに難敵であり、容易に突破はできそうにない。
このまま二騎の攻撃を防ぎ続けたところで、ポイントを守りきれるかは賭けだろう。当然、1000万を狙いに行ける道理は無い。
彼らが当初の目標を捨てないというのなら、防ぐ以外の手立てが必要だ。
「――障子。悪いけど、腕を解いてくれ」
「なんだと……?」
背に乗せたクラスメイトの指示に、目蔵は己の耳を疑った。
士郎はいま、腕を解けと言った。三対の腕と皮膜からなる覆いを下ろせと。それはつまり、守りを捨てろという事。
この騎馬で守りの要とも言うべき構えを下げれば、鉢巻の保持を諦める事と同義だ。
「本気か、衛宮。二騎を相手にするいま、峰田を晒せばすぐにポイントを奪われるぞ」
「それは分かってる。でも、あの二人の攻撃を正面から受ければ、そのままこっちが崩されかねない」
強引に守りを突破する相手に、力で抵抗するのは下策だ。
特に、拳藤と呼ばれた少女の攻撃を真っ向から受け止めてはならない。
彼女と目蔵の膂力差は明白だ。力比べでは絶対に勝てない。正面から衝突しようものなら、無理矢理に殴り払われ体勢を崩される。
二対一の現状、その隙は命取りだ。
同じ攻撃に晒されるのでも、自分たちに都合のいい受け方をしたい。
故に、士郎はガードを下ろせと指示した。相手の攻撃を防ぐのではなく、いなす事で致命的なリスクを回避する。
それが、現状で士郎に選びうる最善手だった。
「どっちみち、今の状況が続くならそのうち奪われる。なら、こっちから手を変えるしかない」
「……ただ守りを捨てるだけでは、いずれ奪われる事に変わりはない。何か、考えはあるのか?」
障子目蔵には、二騎の猛攻を凌ぎきるだけの実力はない。
どれだけ回避に専念しようと、その対応力には限界がある。騎手の峰田実もまた、現状を打破できる“個性”ではない。
衛宮士郎がいかな策を持っているか。全てはその一点にかかっていた。
「……策らしい策があるとは言えない。けど、任せてくれるなら、あの二騎は必ず抑えてみせる――信じてくれるか?」
返答は、期待したものではなかった。
具体的な手立ては伝えず、確証のない自信を告げるのみ。
どこまでも曖昧な言葉は、信用に足るものではない。だが――
「――最初に言った通りだ。俺は、お前の腕を見込んでチームを組んだ。衛宮がやれると言うなら、俺はそれを信じる」
決して、信用を得られるほどの保証はない。
彼らが共に過ごした時間は短く、問答無用で相手の考えを信じられるほど、お互いを知っているわけではない。
しかし、だからこそ、目蔵は何より自身の判断に従った。
それは、衛宮士郎に対する“信頼”だ。戦闘訓練時の経験、USJで繰り広げた怪物との打ち合い。目蔵がこれまで見てきた士郎の全てを加味した上で、彼ならば必ず実現してみせる、という信頼。
相手への信用や相互理解など関係ない、ただ己が目で見た士郎の力量を評価して、彼はこのチームを組んだ。
故に、障子目蔵の為す事は変わらず。
「お前は好きに動け。出来る限りそちらに合わせよう」
騎手を隠し続けてきた覆いが取り払われ、士郎の視界が開ける。
ほどかれた複製腕たちはそのまま士郎の体を掴み固定し、いくつかは士郎が手にしていた弓を預かり、残りの多くは先端の形状を眼球に変えて周囲に向けられた。
その形態をとった意味は言うまでもない。士郎が不安定な姿勢でも戦えるように、外野に横槍を入れられぬように。
自身の勝機を全て背に乗せた友人に預け、彼を全力で支える為に、彼は自らの“個性”を行使した。
「どれほど激しい攻防だろうと耐えてみせる。だから、安心して戦ってくれ。――託したぞ、衛宮」
自身の持てる力の全てを補助に費やす。
全幅の信頼。
それを形と示したクラスメイトの姿に、士郎は小さく笑い。
「――ああ、任せてくれ。俺の全霊で、その期待に応える」
託された願いを果たす為。
黒白の双剣を構え、不落の守護を約束する。
「二刀流……?」
敵騎馬の変化に、騎手の少女は疑問を漏らす。
騎手を覆っていた守りを下ろし、代わりにもう一人が二振りの短剣を手にして彼女らを見据えている。疑う余地のない、接近戦の構え。
――
自然と、少女はそう考えた。
ポイントである鉢巻を完全に隠し他の騎馬に奪わせなかった守りを捨て去り、小さな剣で彼女らの猛攻を防ごうなど、勝負を捨てたとしか思えない。
しかし、二刀を構える少年の眼は恐ろしいほどにまっすぐで、投げやりになった様子もなければ、玉砕の気概も感じられない。
立ち昇る戦意はむしろ鋭さを増し、諦めの色は絶無。
その眼は、どこまでもまっすぐに、少女らを射抜いていて――
「……そう。本気なんだ」
退かず、投げ出さず、屈さず。
剣を携え敵を待ち構える様は、正面からの競り合いを是としている。――つまり彼らは、本当にあの二振りだけで少女達の攻撃を防ぎ切るつもりなのだ。
「――随分と、馬鹿にしてくれるじゃん」
静かな呟き。
普段の少女を知る者からすれば、異様なほど冷めた声が彼女の口から零れ落ちる。
騎手の少女がほとんど人に見せたことすらない、本気の激情。
向ける先は、剣を構えた少年。
その姿が、勝利を諦めない眼が、何より少女の怒りを燃え上がらせた。
「弓を得物にするような奴が、そんなちゃちな剣で――」
言葉と共に、騎馬へと下される合図。
前方への突進を命じながら、少女は半身を引いて、大きく腕を振りかぶり、
「私の拳と、やり合おうってのか――!!!」
爆発させた感情と共に、大拳を打ち込む。
その大きさは、先までのものよりさらに一回り大きい。人間を優に握りつぶせる程の拳は、巨大な岩塊が放たれたかの如き威容を誇る。
逃げも隠れも許さぬ必殺の一撃。
鉢巻を奪うべく、邪魔な障害を打ち砕かんと少女は猛り、
「ぉお――――っ!!!」
「なっ――――!?」
必殺の筈の一撃が、敵を捉えることなく空を切った。
ありえざる現実に、少女の思考は数瞬停止する。
怒りに任せたとはいえ、その威力が渾身のものであることに疑いの余地はなく、拳速は敵に退避の暇すら与えず間合いを潰した。
彼女と同等以上の膂力か、彼女の一撃にも耐えうる頑丈さを持つ人間でなければ、無事ではいられない。
狙われた者に諦観を強いる、全霊の拳撃。
――それを、たった二振りの短剣が受け流したなどと、どうして信じられようか。
馬鹿げた話だ。
拳と剣の質量差は数倍程度では利かぬほどの開きがある。まず攻撃を受けること自体が自殺行為だ。接触した時点で砲弾を浴びたかのように吹き飛ばされるが必定。
力で拮抗できない以上、本来なら回避が最も堅実な選択である。
……だというのに、対峙した少年はそのちっぽけな二刀で、少女の拳を逸らした。
それは、いかほどの技術を要する所業か。
膂力、速度、重さ、体積、全てが届かない一撃を、ダメージどころかその身に触れることすら許さずに受け流した。
込めた力が僅かでも違えば、攻撃が届くまでの時間が少しでも変わっていたなら、受ける刃の角度が1°でもズレていたら、拳は虚空へ誘導されることなく少年の身体を打ち抜いていただろう。
ほんの微かな見誤りが結果を狂わせる、まさしく常軌を逸した達人技。
「――――」
「………」
動揺が収まる時間などない。
突進の勢いは止まらず、いなされるがまま少女らは敵騎馬とすれ違う。
刹那に、交差する両騎手の視線。
少女はその眼に驚愕の色を浮かべ、少年の瞳は鋼の如く揺るぎない。
「……っ、まぐれで凌いだって!」
終わっていない。
通り過ぎてすぐに反転。
再び相手の騎馬へと殴りかかる。
「はぁぁああああああーーーーーーッ!」
裂帛の声を上げ打ち込む殴打。
先のような、一撃に全てをかけるものではない。
左右交互、相対者に息吐く余裕すら与えない拳のつるべ撃ちを見舞う。
無論、連打<ラッシュ>の代償として威力は数段落ちている。しかし、一撃一撃が少年を殴り飛ばすには十分過ぎるほどの力が宿っており、緩むことのない連打も相まって、彼女の攻勢は鋼鉄の防護壁すら歪ませるだろう。
「――――!」
「………っ!」
されど、崩せない。
高速で、さまざまな角度から放つ拳のいずれもが流され、払われ、躱されていく。
間断のないこの攻防、尋常な人間に付き合えるものではない。
全ては瞬間の出来事。高速の戦闘下、拳と剣は瞬きのうちに交差している。
一秒ごとに自身の神経を擦り減らしていくに等しい防御を為しておきながら、剣の騎手は僅かたりとも表情を変えることなく、呼吸も乱していない。
冷静そのものな姿は、少女の猛攻など何ら脅威にならないと言っているようだ。
……こいつ……!
終わらない拳と剣の応酬に、少女は表情を歪ませる。
二度目はないと息巻き放った右ストレートを逸らされた事実に己が未熟に対する自責を懐き、四撃目を凌がれたところで何らかの“個性”による干渉を疑い、十を越える打ち合いを経て自らの疑念を打ち消した。
こうまで続けば、否が応でも理解させられる。
偶然ではない。妨害を受けているのでも、自身が手を抜いているのでもない。目の前の男子生徒は真実、少女の領分で彼女と対等以上に渡り合っているのだ。
……馬鹿か、私は……!
無駄な思考に割ける余裕など無いと分かっていながら、少女は己に毒づかずにはいられなかった。
彼女が自身から鉢巻を奪った騎馬を追いかけたのは、勝算があったからだ。
遠間からの狙撃と逃げ切りに徹するチームなら、拳の間合いに入れてしまえば容易く倒せると、そう踏んで奪還に乗り出した。
だから、いざ目当ての騎馬に追いつき、相手の騎手が剣を構えた時も、単なるハッタリだと考えた。第一種目で、その"個性"が遠距離からの制圧に優れていることも把握していた。あらゆる要素を鑑みて、彼が近接戦闘に秀でている筈がないと、そう思い込んだ。
結果はどうだ? 少女は少年の身体に触れることすらできず、ポイントも取り返せずにいる。
端的に言って、見誤ったのだ、彼女は。
少女が、遠距離戦しかできないと決めつけた少年の振るう剣閃は機械的なまでに正確で、堅実な太刀筋は無骨でありながらも流麗だ。
攻撃を捌く動きに無駄な動作は一つとしてなく、徹底的に余分を排した剣術はある種の機能美を感じさせる。
"個性"柄、接近戦が主となり、また自身も武道を嗜む少女は、対峙する少年の剣が決してお飾りの棒振りではないと気づく。しかも――
……これ、二刀流なんかじゃないっ。
先刻の呟きを、少女は否定する。
彼女の知る限り、この国に現存する二刀流の流派はその多くが本差と脇差という大小異なる二刀を武器とした剣術であり、脇差の
脇差はいわば盾の役割であり、それぞれの動きは半ば独立していると言っていい。
中には、二刀の脇差を扱う二刀小太刀術などと呼ばれる剣術もあるが、それもやはり少数派であり、実態は別の武器を想定して一方の脇差を持つ場合や、体術を多用する型であることがほとんどだ。
しかし、目の前の少年が振るう剣は、それらのいずれにも属さない。
左右に握る二振りは装飾や色合いを除けば全く同一の形状で、大多数の二刀流とは異なりそれぞれの運用にも違いはなく、守りを旨とし双方が同じ役目を担っている。
二つの武器を扱っているというよりは、二刀を一つの武器として扱っていると言うべきか。
他の二刀流が別々の生き物であるのなら、目の前のこれは二つの首を持った一個の生物だ。互いが独立しているようでその実、根底では常に繋がっている。
既存の流派とは決して相容れない彼の剣術は決して二刀流とは呼べない。
強いて言うのであれば、双剣術。
中華風の形状も合わさって、古代から続く中国の剣技などが最も近しいかもしれない。
いずれにせよ、彼の剣術が彼独自の技法であることは確実だ。
……正気か、こいつ!
それを思うと、身体が震えそうになる。
過去から現在に至るまで、二刀流をはじめ二つの刀剣を用いた剣術というのは習得者の割合が低い。
理由は単純、扱いが極めて困難だからだ。
二刀を用いる性質上、片手でしかそれぞれの剣は振るえず、腕一本で重い金属の塊を支えねばならない。そのため一つの武器を両手で扱う技術に比べて、威力も速度も数段劣る。まともに運用しようというなら
筋力は、前時代の人類にはない"個性"保有者故の強靭な肉体で、相応に鍛えれば多少は解決できるかもしれない。
しかし、剣を扱う技術そのものは、術者自身の積み重ねが無ければ身につくものではない。一つの剣術として形にするには長い……それこそ数年程度では話にならぬほど膨大な鍛錬が求められる。
そして、仮にそれらの前提条件を満たしても、実際に戦闘で活かせるかどうかはまた別の話だ。
そもそも、両手で異なる動作を行うということ自体、常人の頭脳と肉体では処理しきれない高度な作業。鍛錬で決まった動作を繰り返すだけならともかく、敵対者が存在する実戦でこれを為そうというのはほとんど狂気の沙汰だ。
戦闘を念頭に置いて剣術を磨くというのであれば、まず確実に二刀流などは除外される。鍛えたところで、通用する可能性は限りなくゼロに近いのだから、当然だろう。
……だからこそ、少女は目の前の騎手に恐怖した。
彼の剣は間違いなく彼独自のもの。他の武術にはない、我流の型。
つまりそれは、実用性など望むべくもない剣術を実戦に耐えうる域にまで鍛え上げ、剰えそれを誰の教えも受けずに自ら積み上げたという事に他ならない。
信じがたい事実だった。
少年の"個性"は遠距離からの一方的な制圧が可能なもので、弓の腕前は十数メートル先の標的を様々な障害をすり抜けて射抜くほどに精密だ。
それほど遠距離戦に特化した能力を持つのであれば、まず間違いなくそちらを伸ばす。それが最も効率的で、より自身の能力を高められる。
だというのに、少年はその道を取らなかった。
安全圏から敵対者を確実に圧倒できる能力を持っていながら、それが活きる事のない間合いでの戦闘法を、気の遠くなるような鍛錬の末に身に付けた。
自らも"個性"運用の為に武術を取り入れた少女には分かる。目の前の騎手がどれほど多くの時間を費やしてきたか、それがどれだけ異常で恐ろしい事か、その過程を想像できるほど少女にはよく分かった。
「………っ」
少女の拳が鈍りそうになる。
もし彼女の考えが正しいものであれば、目の前の騎手は接近戦において彼女とは比較にならないほどに優れた腕の持ち主ということになる。
そうでなければ、人間大ほどの拳を眉ひとつ動かさず受け流し続けることなどできるはずがない。
果たして、そんな人間を相手に鉢巻を正面から奪い取れるのか。
そんな迷いが、少女の心を揺らし、
「拳藤――!」
「っ!」
クラスメイトからの呼びかけが、沈みかけた思考を中断させた。
少女はその意図を察し、即座に行動へ移す。
「はぁッ―――!!!」
連打を止め、最大まで肥大化させて放たれた拳は相手の騎手に退避を許さない。彼らに残された道は、拳を真っ向から受け止めるか、受け流すかのみ。……そしておそらく、この一撃も彼には届かない。
だが、それで重畳。
もう一方の騎馬が、鉢巻を奪い取るべく側面より回り込んでいる。いかに芸達者とはいえ、二騎を同時に相手取れるはすがない。
少女の拳への対処に動いたが最後、彼女らの術中に陥り、
「ふッ――!」
「ばっ――」
想定通り、少女の拳は受け流される。
予期した通りの行動であり――唯一、結果だけが違った。
「………っ!?」
矛先を誘導され、あらぬ方向に飛ばされる拳。その先には、今まさに連携を取っていたクラスメイトの騎馬がいる。
少女は、拳が彼らへ届く前に全力で制動をかける。
余裕は一分たりとも無かった。この一瞬、彼女の全神経は自ら放った拳を引き止めるのに注ぎ込まれる。
「……っぶなぁ!」
停止は、すんでのところで間に合った。
あと少し、コンマ数秒でも反応が遅れていれば、彼女はクラスメイトをフィールド外まで殴り飛ばしてしまったかもしれない。
「いっつ……」
直後、少女は腕に走った痛みに顔を顰める。
全力で放たれた拳を力づくで無理矢理に止めたのだ。その甲斐あって、クラスメイトを戦闘不能に陥らせるような失態を演じずに済んだのだから、痛み程度は安い代償だろう。
むしろ、この行動で筋を痛めでもしなかったことに喜ぶべきかもしれない。
「…………」
「…………」
言葉なく、二人の騎手は曲芸じみた剣捌きを見せた少年を見やる。
剣を手にする姿には些かの疲れも見えない。油断なく二騎を待ち受けている。
「……っ、はぁああああ!」
何かを振り払うように、少女の騎馬が遮二無二に突っ込む。
もはや一刻の猶予もない。
想定以上に時間を取られてしまったいま、1000万の奪取など思考の隅に追いやった。
彼女たちも、そのクラスメイトも、ここで目の前の騎馬から全てのポイントを捥ぎ取らねば、決勝への進出は潰える。
悠長に共闘などする間もなく、既に互いが同じ獲物を奪い合うだけの競争相手だ。
どちらか一方だけが、先に進める可能性を手にできる。
――敗退の予感をひしひしと感じながら、それでも彼女達は諦める選択肢を持っていなかった。
◇
「これは……」
試合時間が半分を切った頃、緑谷出久は自分達にかかる"圧"が緩み始めたことに気づいた。
競技終了が迫り、焦りを感じた騎馬は少なくない。当初の予定、
今なお出久達からポイントを奪おうとするチームはおり、これまで体力を温存し周りの疲弊を待っていたチームもあるだろう。
それでも、彼らにかかる負担が減ったのは確かだ。
「残り七分。みんな、このまま気を抜かずに――」
好転する状況に慢心せず、油断することなく。
最後まで力を尽くそうと、そうチームメイトを鼓舞しようとして、
「待てやデクぅ―――!!!」
――爆ぜるような怒号に、出久の言葉は遮られた。
「かっちゃん……っ!」
爆炎を利用して宙を吹き飛ぶ爆豪勝己。
後方から迫り来る幼馴染の姿に、出久は苦い顔をする。つい少し前、空中に退避した出久達を追ってきた彼を追い払ったばかりだというのに、またしても1000万を奪いにやってきた。
「逃がすかよ、クソナード!!」
ほとんど間を置かない再トライ。
ロケットじみた勢いで見る間に双方の距離が縮んでいく。
執念すら感じさせるほどの猛追ぶりは、ずば抜けたタフネスと向上心のなせる技か。
「常闇くん!」
「黒影<ダークシャドウ>――!」
出久が指示を出すよりなお早く、常闇踏陰は自らの“個性”を行使している。
彼の腹部から、再び現われる黒い影。
闇の怪物は、同じ愚を犯そうとする粗忽者に身の程を弁えさせるべく疾走する。
「舐めてんじゃねえぞッ!!」
迫り来る黒い影を勝己は嘲りながら、右腕を横に向けその掌から爆破を起こす。
推進力を生み出していた噴射口の方向転換により、前方へと押し出されていた彼の体は一瞬のうちに左方へとシフトする。
『ナッ……!?』
目の前、既に攻撃を放っていた黒影に、その直後に移動軸をズラした勝己を捉えられる道理はない。
迎え撃たんと浴びせかかった嘴と爪は虚しく空を切り、その間隙を縫って再び少年が前方へと飛ぶ。
馬鹿な、と、黒影と踏陰は声を失う。
先の迎撃は絶妙だった。
相手が速度に乗り切ったタイミングで彼の眼前に到達した黒影の嘴と爪が届くまでには一秒と要さず、回避はおろか防御を挟み込む余裕すらないはずだった。
同時に、彼の回避行動がギリギリのものだった以上、おそらく迎撃を予測していたわけでもない。
その上で、対処不可能な攻撃に対処できた理由。
……純粋な反応速度の高さ故とでも言うのか……ッ!
それが、答えだ。
緻密な戦術予測もなく、未来予知でもない。
本来なら対応できるはずもない迎撃に対応できたのは、彼の反応速度がそれよりなお早かったというだけのこと。
”個性“のような物理法則を超えた特別な能力によらない、ただ純然たる肉体スペックの発露。
眼前にまで迫った攻撃を放たれた後に見てから回避し、さらには攻勢すら緩めずにいられるのは、まさしく天賦の才と言えるだろう。
「いっかい見せたもんが、俺に通じるとでも思ってんのか!?」
彼は二秒とかけず出久たちに追いついた。
横並びになった一人と一騎。
迎撃に出た黒影が戻るには、時間が足りない。
駆け引きもへったくれもない、爆豪勝己の天性のバトルセンスによって出久らは危機を迎える。
理想的と言えるほど完璧な動きで迎撃を掻い潜った彼は、出久達の側面から鉢巻を奪おうと火の粉を散らしながら腕を伸ばし、
「そんなこと、思ってるわけないだろッ!!」
故に、その"完璧"な対応を、幼い頃から爆豪勝己という人間を視続けた緑谷出久が読み違えるはずもなく。
伸ばされる簒奪者の腕、その手首を出久は頭を逸らしながら確と掴んだ。
「らぁっ……ッ!!」
「………っ!?」
何を、と思う間も与えない。
出久は、掴んだ手首を思い切り引っ張り、勝己が攻撃に乗せた勢いをも利用し彼の体を投げ飛ばした。
「デク、テメェ……ッ!!」
天地を逆さまにした姿勢のまま呻く勝己に、余裕などない。
彼を放り投げた勢いは単純な筋力では説明がつかないほど強く、このままでは地面への落下は免れない。
「がぁああッ……!!」
憤怒を爆破と共に地面へ叩きつけ、落ちそうになる体を爆風で強引に浮上させる。
一定の高度を得た勝己を、どこからか伸びてきた帯状の物体が巻き取り引き寄せていった。
爆豪勝己が率いるチーム、その騎馬の一人である瀬呂範太の“個性”だ。彼の両肘はテープのような物体を生み出すことができ、ラグなく射出及び巻き取りができる。
「……やっぱり、そう都合よくはいかないか」
クラスメイトの見事な早業に、出久は自身の目論見を崩されたことを知る。
彼は勝己を掴む際、自らの“個性”を発動させていた。
いまだ完全習得には至らず、自在に操れるほどの練度には達していないが、最低出力で短時間なら“個性”を行使できる段階に彼は至っている。
他人の手首を壊さない様に掴み取り、そのまま投げ飛ばすことは、今の出久にとっては難しいながらも不可能な芸当ではなかった。
とはいえ、それら一連の動作を瞬時のうちに合わせることは困難を極める。
出久が反応できなければ意味がない上に、一瞬でも鈍れば反撃を喰らう可能性もあった。
そこまでして投げ飛ばすという行動を取ったのは、もし上手くいけば最大の障害の一つを取り除けたかもしれなかったからだ。
この騎馬戦、騎馬が崩れてもその間の行動が無効となるだけで失格にはならない。
しかし、騎手が自ら騎馬を離れて落下するのであれば話は別だ。
主審を務めるミッドナイトは爆豪勝己のプレーを、地面に落下しない限りは認めると言っていた。逆を言えば、少しでも接地していれば許容されないと言うことである。
もし、あのまま勝己が地面へと落下していたなら、おそらく彼は“落馬”したとみなされ失格判定を受けていただろう。
それを狙っての危険な賭けだったが、それは勝己の咄嗟の対応とチームメイトの補助であえなく頓挫した。
……かっちゃんを落とせなかった以上、このままいっても逃げ切りは難しい。
爆豪勝己は、異様なほど出久に執着している。この先、競技が終了するまで何度でも襲いかかってくるだろう。
爆破の”個性“によって空中まで追ってくる彼の脅威は、他騎馬の比ではない。
ジリジリと消耗させられ、最後には奪われる。地力で劣る以上、持久戦になれば勝己の方が遥かに有利だ。
しかし、彼の気を他所に逸らすことができれば、或いは――
「……っ、止まって!」
思考の海から抜け出し、騎馬へと指示を下す。
いくつものチームから狙われる彼らにとって、停止は致命的であるにもかかわらず、なおも立ち止まらせた原因――その存在が、目の前にいる。
「――そろそろ獲るぞ、1000万」
出久たちを前に、そう告げた騎手は一人の少年。
燃え盛る炎のような赫と、冷気漂う氷を想起させる皎の髪。
瞳は、碧と灰の異なる二色からなる金銀妖眼<ヘテロクロミア>。
――轟焦凍。
A組きっての実力者にして優勝候補の一人が、満を持して出久たちの前に立ちはだかった。
「やつならもう少々、機を待つものと考えていたが……随分と買われたな、緑谷」
このタイミングで仕掛けてきた難敵に、常闇踏陰は険しい顔つきで皮肉を口にする。
轟焦凍という生徒の実力は、既に同クラスに在籍する生徒たちの知る通りだ。
四名のみの推薦入学者の一人、ビル一つを一瞬で凍結させる規格外な”個性“の出力。いずれをとっても強者と称するに相応しく、ともすればその実力は爆豪勝己以上のものかもしれない。
既に、戦闘力は半端なくプロなど歯牙にも掛けない領域に達しているのが彼だ。
彼と対峙するなら、並大抵の生徒は真っ当な勝負すらさせて貰えずに敗北を喫する。
彼の率いるメンバーもまた粒揃い。
走力においては右に出る者のいない飯田天哉。
デメリットこそあれど広範囲攻撃と通電による麻痺が厄介な上鳴電気。
創造の”個性“による圧倒的な万能性を誇る八百万百。
合理的かつ総合力が高いチームと言えよう。
そんな彼らが、制限時間を半分近く残した段階で1000万の奪取に動いた。
彼らであれば、どんなチームが相手だろうと僅かな時間でポイントを奪い取れるだろうに、大きく余裕を残して行動した。
もしこの場で1000万を手に出来たとしても、余りに余った制限時間を競技終了まで、今度は彼らが逃げ延びねばならない。いかに自分達の力に自信があったとしても、多数に囲まれるリスクがどれほどのものか、彼らも理解している――理解してなお、今が勝負時だと判断した。
それが意味するところとは即ち、それだけの時間が必要だと思われているということ。
圧倒的な格上であるはずの彼らは、格下であるはずの彼らを侮ることなく対等な"敵"として買い被っている。
……思えば、それもおかしな話だ。
あらゆる面において轟焦凍は緑谷出久を上回っている。幼少から重ねたであろう修練は彼を確かに鍛え上げ、同年代とは比べるべくもない高みへと押し上げた。
出久と彼とでは、勝負というやりとり自体が成り立たない。そも、同じ土俵にすら立っていない。
どこまでも住む世界の違う二人。――なのに、その片割れは一方に対し奇妙な対抗心を抱いた。
埋めようのない実力差がありながら一方的に宣戦布告し、勝ち進むだけならより狙いやすい獲物がいくらでもいるというのに、わざわざ激戦区に身を投じている。
他者との交わりを拒絶し、ひたすらに独りで完結しているような彼が、路傍の石ころにも等しい出久を気に留めたのは何故なのか。
「たぶん、麻痺からの凍結を狙ってくる。常闇くんは防御と牽制に専念して!」
「承知!」
「麗日さんは囲われないように気をつけながら移動を!」
「分かった!」
多くの疑問、多くの不可解がある。
しかし、そのどれもが出久の頭にはない。考えるのは、ただひたすらに、仲間の想いに応える術。
今の彼は、一つのチームを率いる騎手だ。出久が1000万を守り切れねば、彼ら全員の願いを途絶えさせる事になる。
一人の戦いではない、皆の戦い。
ならばこそ、その全てを叶えることこそ、緑谷出久の責務だ。
「来るよ!」
警戒を促すと同時、轟焦凍の騎馬が前進する。
否、彼らだけではない。他にも複数の騎馬が同時に仕掛けてきている。競技終了が迫る中、ついに動き出した優勝候補の一角に焦りを抱いたか。しかし――
「上鳴!」
「分かってる、しっかり防げよ!」
短い呼びかけ。
向けられた人物は意図を過たず理解し、その身にスパークが走る。
表出する電光、翻され彼らを覆い隠した絶縁シートは、数秒後に起こる現象を示唆していて、
「無差別放電、130万ボルトォ―――ッ!!!」
咆哮と共に、上鳴電気の肉体から強烈な電気が溢れ出す。
迸った電撃は陽光すら呑み込むほどの光を放ち、周囲一帯を満たした。
回避は不能。
最上の環境では光の速度にも及ぶ現象から逃れる術はない。
そこかしこで上がる苦悶の声。
先に対策を施していた発生源と、あらかじめ予測を立て防いだ出久のチーム以外、周りにいた騎馬はただ一つの例外なく捉えられ、有無を言わさず感電させられる。
「残り六分弱、後には引かねえ……ッ!」
その、致命的なまでの停滞をこそ、轟焦凍は狙っていた。
彼の持つ右の能力が行使される。
八百万百の創造した長物を伝導部とし、彼ら自身は避けて地面を伝う冷気。氷霜は足を止めた騎馬を残さず凍りつかせ、彼らの行動力を完全に封じた。
「一応、貰ってくぞ」
電撃による痺れから抜けきれず、更には歩みそのものを禁じられた者達に、強奪者の行為を阻む事はできない。
轟焦凍の騎馬が彼らのすぐ側を通り去り、その最中にまるで行きがけの駄賃だ、とでも言わんばかりに自分達の鉢巻を奪い取って行ったとしても、彼らには悔しさに叫ぶ以外、抵抗の素振りすら許されなかった。
「一対一に持ち込む気だな」
轟焦凍は他の騎馬を無力化し、さらには分厚い氷を壁のように生み出して彼ら二騎を周囲からの分断までやってみせた。
まるで、氷でできた極小の決闘場<リング>だ。
騎馬戦という形式上、この氷壁を超えて他のチームが介入してくるには相当の労力を要するだろう。
「どうしようデクくん! 後ろフィールド際で、もう逃げれへんよ!」
後騎馬の一人、麗日お茶子の悲鳴じみた報告に後ろへ視線を向ければ、なるほど確かにラインギリギリ、フィールドの瀬戸際まで追い込まれていた。
元から、そう広い面積があったわけではない。
正面からの相対を頑なに避け、密度の低い場所への退避を繰り返し続ければ、自然こうなる。
或いは、それすらも見越して追い詰めた轟焦凍らの目論見だったのか。
今となっては、どちらが真相かなど瑣末な事だ。
徹底した逃げの戦略を採っていた出久たちは遂に退路を絶たれ、ここに来て最強の敵と正面から対決しなくてはならなくなった。
まさしく詰み。
教員も、報道陣も、観客も、チームメイトすら、誰しもがそう考えているだろう。
――ただ一人、出久を除いて。
「大丈夫。轟くんたち
「ほ、ほんとに……?」
「うん。ライン際で他のチームが介入してこない分、むしろさっきより状況は楽だよ」
その落ち着き払った声に、彼の騎馬はどれほど驚いたか。
一対一、最有力候補との正面対決を前に、臆するどころか勝利を宣言する姿は確かな自信を覗かせている。
「でも――多分、タイマン勝負にはならないと思う」
「え……?」
一対一なら逃げ切れる、と。
確かな自信のもと勝利を告げ、その直後に出久は前提そのものを否定した。
明らかな矛盾。相反する言葉の意図をお茶子は測りかね――
「デクゥゥゥウウウ――――!!!」
怒声にも似た咆哮に、その意味を理解する。
爆豪勝己。
二度もあしらわれ、さらには氷壁によって標的と分断された彼は、されどそんな障害などお構いなしに、いまひとたび獲物を仕留めんと現れた。
「逃さねえつっただろうがっ……!!」
突入した先、状況の把握など行わない。
そばにいる轟焦凍らなど眼中にないかの如く、一直線に出久達を狙い襲いかかる。
「黒影<ダークシャドウ>――ッ!」
二度の攻防と同様、常闇踏陰が再びその“個性”で爆豪勝己を迎え撃つ。
一度目は、労せず叩き落とした。二度目は、想像以上の反応速度でやり過ごされた。
そして、これが三度目。
「学ばねえなぁ、鳥頭……!」
爆豪勝己は三度、踏陰の“個性”を視た。
こと戦闘においてはより強く才能を発揮する彼に、同じ手は何度も通じない。それは、先の交差が証明している。
このまま黒影が迎撃に出たとしても、同じ結果の焼き増しとなるだけだ。
「見縊るなよ、麒麟児……ッ!」
だが、尋常ならざるは爆豪勝己だけにあらず。
常闇踏陰もまた狭き門を潜り抜けた一人。
伊達で雄英に合格したわけではない――!
「……っ!?」
みたび立ち塞がった漆黒の怪物を、先刻と同様にすり抜けた爆豪勝己は飛び込んだ先で動きを止める。
右方への急激な直角機動、最短で障害を突破するはずの挙動は、しかし黒影を振り切ることは叶わない。勝己が移動した時点で、黒影は既に彼の前へ回り込んでいる。
爆風を利用する以上、爆豪勝己が一度の爆発で進めるのは直線のみ、複雑な動きはできない。
そのため彼は、手のひらの向きを調整し小刻みに爆発を繰り返す事で、あらゆる方向への飛翔を実現していた。
しかしその代償として、方向転換を行う度に速度はリセットされる事になる。
彼の飛翔はあくまで、爆発のエネルギーによる推進力を利用した擬似的なもの。真に空を行くものではないが故の限界だ。
だが、黒影にその様な限界はない。蛇のように、或いは龍のように身体をくねらせ、ソレは空中を自在に行き来する。
ならばこそ、宙において爆豪勝己より遥かに高い自由度を有する黒影が、
「押し返せ!」
「……っ!」
闇の
爆発を起こす掌を避け両肘を確と掴んだ黒影は、勝己を押し飛ばす。
抗おうとも、空中での力比べでは踏ん張りの利かない彼に勝機はない。
「――チ」
舌打ち、押し出される爆豪勝己。
力押しでは敵わずとも、爆破によって反撃することはできた。
しかし、空中。何も遮るもののない空間、そこでの停滞を彼は厭った。
この場には遠距離への攻撃手段を持つものが三人以上いる。宙で動きを止めれば、自身へ彼らの攻撃が向けられた時に対処が難しい。
今の吶喊で1000万を奪えなかった以上、無理にとどまる必要はない。
己が騎馬へと戻るべく、彼は黒影の迎撃を受け入れ勢いに逆らわず落下していった。
「……っ、右に移動!」
穿たれた穴から遅れて参じた騎馬に回収される勝己を尻目に、出久は騎馬へ指示を下す。
ここには彼らだけでなく、この隔離空間を作り出した張本人もいるのだ。
出久達が爆豪勝己に気を取られていた隙に、轟焦凍の騎馬も迫っていた。
「――――」
しかし、そこまで。
距離を詰めようとした彼らは、出久達が移動した後、それ以上動かない。
――否、動けない。
轟焦凍の“個性”の一端、“半冷”は右半身より生じる。
空気中の冷気を操るのではなく、自己の肉体から冷気を生み出し、それがなしうる現象を引き起こす。氷結という結果はその最たるものだ。
この性質上、遠方の対象に干渉するには、必ず地面をはじめとした既にある“土台”を経ねばならない。導体が存在しない環境において、瞬時の“個性”行使で出来るのは精々が右半身の周囲を冷やして凍結させるのが限界だ。
故に、彼が最大限その力を振るうには、どうあっても“接地”という工程<プロセス>を踏む必要がある。
轟焦凍が動きを止めた原因も、この“接地”にある。
地を這って氷を生み出すために、扱い方次第では対象に含めてはいけないものまで効果範囲に収めてしまう。
そしていま、彼らの左前方に位置する標的に最短距離で氷結を届かせるには、前騎馬を務める飯田天哉をも巻き込まねばならず、そうなればただ自分達のアシを封じる事になる。
自らに代わって戦場を駆ける騎馬を失った将の末路など語るべくもない。
“個”の戦闘ならともかく、騎馬戦という“群”の競技では、彼の能力の性質は付け入る隙となる。
……轟くん達は、これでしばらくは抑えられるはず……。
動きを止めたクラスメイト達を見て、出久は自身の想定が間違っていなかったことを確信する。
氷結は放たれない。それは、轟焦凍自らの首を絞める事に繋がる。
騎馬の機動力差も大きな要因だ。
エンジンの"個性"を有する飯田天哉は確かに優れた騎馬と言えるが、彼の真価は直線での速度勝負にこそある。
限られた狭い空間では、小回りの利かない彼より重力を無<ゼロ>にし二つの装備で機動力を高めた出久らの方が遥かに素早い。
唯一、この不利を一手で覆しうる電撃も、行使者本人の許容値と"個性"のデメリットにより間を置かない連発はできない。できたとしても、黒影という壁に阻まれる。
……でも、油断はできない。
轟焦凍達は抑えられる。
それはあくまで、いくつかの仮定が正しい事を前提としたものだ。
もしかしたら、轟焦凍は騎馬を巻き込まずに最短距離で氷結を放てるのかもしれない。飯田天哉はこの狭い空間でも本領を発揮できるのかもしれない。上鳴電気は連続して放電できるのかもしれない。
いずれか一つでも出久の想定と違っていたのなら、均衡は崩れる。
いや、仮にそれら全てが間違ってなかったのだとしても。
……綱渡りな事に、変わりない。
上鳴電気の電撃、まずこれが完全に無力化し続けられない。
壁となる黒影は強力な"個性"だが、唯一、強い光を放つ存在に対しては無力となる。その弱点を知られていないからこそ防壁として成り立っているのであって、限度を超えて電撃を浴びればもう防げない。
加えて、未知数なのが八百万百の存在だ。
"個性"の万能さもさることながら、本人の頭脳もまた優れている。彼女に出久達の抱える幾つかの問題――それこそ、黒影の欠点を見破られたら、その時点で電撃への防備は失われると考えた方がいい。
何しろ、どんな物体であれ構造さえ把握できていればそれを産み出せるのが彼女の"創造"である。電撃など行なわずとも、黒影の耐久値を超えるだけの光源を用意する事は容易いはずだ。
八百万百に対して、戦術・戦略勝負で勝ち目はない。
そして、なによりも不可解な一つの事実があって、本来なら行使されて然るべき能力が振るわれていない。
この均衡は、それ故に保たれていると言えるだろう。――同時に、その不確定さが出久を追い詰める。
……残り五分すこし、僕に守り切れるのか?
轟焦凍に対する現状の優位は様々な要素と偶然が重なった結果、望外に生まれたもの。
出久が意図したものではない。偶然の産物であるなら、同じく偶然の出来事で呆気なく壊れるのが必定だ。
ほんの少し、たまたま、些細な何かがあれば、轟焦凍は一気に攻め立てるだろう。
その時、彼らの攻勢を押し留め1000万を守り切れるのかと問われれば、出久には肯定できるだけの自信がない。
先ほど、一対一でなら逃げ切れるとチームメイトに語ったのも、追い詰められたと士気が下がりかけたチームを鼓舞するために言い放ったもので、実のところ虚勢を張っていただけだ。
勝算があるのは事実だが、それが確実なものでないことを出久は理解している。
か細い、一筋の糸のようなものだ。実行できるかも、手繰り寄せられるかも、全ては自分達次第。
それも、爆豪勝己が現れたいま、ほとんど無意味になってしまった。
優位も勝算も、全ては一対一だからこそのもの。第三者の介入があっては瓦解する。
その上、相手は空中の移動という、騎馬戦という競技の在り様を足蹴にした動きをする。彼からの攻勢は、それこそ間断の無いものになるだろう。
轟焦凍の騎馬に意識を割きながら、爆豪勝己の迎撃まで行う……そんな無理難題を、果たしてこなせるだろうか……?
……無理だ。絶対に逃げきれない……。
自問するまでもない。
出久達にとって、防衛をこなせる"個性"は黒影のみ。どれだけ力を尽くそうと手数が足りない。しかも、相手の二騎には黒影の弱点となる強い光を発せられる人間が複数いる。盾と壁は失われたも同然だ。
そも、轟焦凍達の対処ですら危ういというのに、どうして爆豪勝己達まで退けられるというのか。
守りに入る以上、何をどうやっても出久達に勝ち目は無い。
……なら……ならどうする!?
守れない。その事実は覆しようがない。
であれば、それ以外の策が当然必要であり、選択と決定はすぐさま下さねばならない。
だが、如何なる策なら、如何なる行動なら、この窮地を切り抜けられるのか。
逃走は出来ない。
周囲を分厚い氷の壁で覆われ、先ほど爆豪勝己達が開けた穴も既に轟焦凍によって塞がれている。道を断たれたいま、陸路での脱出は不可能だ。
空への退避はしてはならない。
出久達は"個性"と装備の組み合わせによって騎馬ごと空中を移動できるが、飛行にはそのための姿勢と僅かな"溜め"を要し、その間は無防備になる。
二組の難敵がその隙を逃すはずがなく、仮に狙い通り飛べたとしても、彼らの上昇速度では轟焦凍にせよ爆豪勝己にせよ、また他のメンバーにせよ、射程に収まっているうちに捉えられる可能性は十分にある。
思考は高速で回り続け、様々な手段を想起し、その度に打ち捨てていく。
時間がない。有用な策を思いつくだけの余裕がない。
あと数秒もせずに二騎は襲いかかってくる。それまでになんの打開策も見出せないなら、出久はチームメイトに勝利を齎せない。
いっそ、1000万を諦め二位から四位を狙った方が賢明か。
いや、それも駄目だ。出久は点数の分布を把握できていない。残り時間で通過に必要なポイントを確保できる保証はない。
繰り返される否。
思考は止まず。あらゆる選択肢を破棄し、至る結論は全て同じ。
守れない。逃げられない。――信頼に応えられない。
……分かっていた。
こうなれば、轟焦凍と爆豪勝己の騎馬と同時に対峙すれば1000万の死守は叶わないと、出久は理解していて。そうならないように立ち回る事が彼の役目だった。
それを果たせなかった時点で、当初の狙いは破綻している。試合時間の半分を切った今では、予選通過すら高望みだ。
分かりきっていた結末。どうにもならない現実。
諦めろと、心の片隅で囁く声すら聞こえてくる。
――なのに。
終わりだと、勝てないと理解している。
これ以上の足掻きは徒労でしかない、誰よりも出久自身がそう断じている。
それなのに、無意味な思考を今も続けている。
守れない、逃げきれない、それは変えようのない事実。どれだけ足掻こうと、きっと無様を晒すだけだと知っている。
だが、しかし、それでも――
「――なら。やるべき事は一つだけだ」
そうして。
幾多の思考と否定を繰り返した末に――緑谷出久は、一つの決断を下した。
◇
その変化に真っ先に真っ先に気付いたのは、轟焦凍だった。
……なんだ……?
前方、彼が獲物と定めた騎馬、その騎手を務める緑谷出久の表情が変わった。
気がついたのは偶然だ。この場に乱入してきた闖入者を警戒しつつも、混乱に乗じ打開策を打たせるような愚は犯すまいと、本命の一挙一動を注視していたからこそ、目についた。
直前まで顔を歪ませ現状に頭を悩ませていたであろう様子と打って変わって、確かな意志が宿った表情。
まなじりを強く絞り、真っ直ぐに己を見据える瞳は一つの決意に満ちていて――
「っ――!?」
直後、目の前の光景に轟焦凍は瞠目する。
爆豪勝己が再び爆ぜ飛び、1000万を奪い取らんと襲いかかった瞬間。
緑谷出久の騎馬が前方――即ち、轟焦凍の騎馬へ向かって駆け出した。
彼らは立ち止まらない。脇目も振らず、もう一方の襲撃者へと迫っていく。
フィールドを限定され逃げ道の数を減らされてしまったため、爆豪勝己の襲撃を避けるには前進するしかなかった。――それだけの理由だったなら、驚く事はなかっただろう。
氷壁が囲うこの小さな決闘場は、騎馬の機動力を大きく制限する。退避行動を取りたいからといって、無闇に動けるものではなく、高速の交戦下では特に慎重にならざるをえない。
後先を考えない移動を行えば、氷壁とライン際に阻まれ動きを阻害される。速度を出し過ぎても激突と場外の二択が待っている。
この場では競争相手は勿論だが、何より己の立ち回りに神経を尖らさねばならない。
それが仮に、自ら捕食者の前へ飛び出す行為だったとしても、択を狭まれた被捕食者に選択の余地はないのだ。
だから、この狭いスペースで二騎に狙われる緑谷出久の騎馬が、苦渋の判断として一方から逃れる為もう一方へ近づく可能性は確かに有り――闘志に満ちた騎手の眼が、その可能性を否定する。
……あいつ……ッ!
力強い疾走。
轟焦凍の騎馬へ向けて飛び進む姿に、逃走の意思は見えない。
騎手は右腕を構えている。守りの為ではない。腕を引き、前方へ突き出すための予備動作。
……なんのつもりだ……!
彼らが、緑谷出久らが何をしようとしているかは解らなくはない。いや、むしろ解りやす過ぎる。
明確な前進、守りを考慮しない構え、睨め付けるかの様な表情、それら全てが一つの答えを示していて――故にこそ、轟焦凍は戸惑いを抑えられない。
「――っ、飯田っ!」
動揺に判断を遅らせ、緑谷出久らの吶喊から二秒後に轟焦凍は声を上げた。
指示を受けた前騎馬を務める飯田天哉が自らの脚に備わった"エンジン"をふかせその場から離脱する。
直進してくる緑谷出久の騎馬を迂回する形で、彼らの右方から前方へ。
二騎は攻防を経ず、互いに通り過ぎていく。
これで状況は振り出しに戻る。
緑谷出久の騎馬は鉢巻を奪われずに済み、予想外の逃走先に動きを止めた爆豪勝己も、僅かな時間を置いてまた1000万の奪取へとその身を飛ばすだろう。轟焦凍らは二つの騎馬を冷静に観察しながら、隙が生まれた瞬間一気に畳みかける。
それが、この場における三組の立ち位置。三つの騎馬それぞれが懐く、共通の認識であり――
「おぉおおお――!!」
――緑谷出久の騎馬の反転が、その認識を覆す。
「……っ!」
生まれた五歩の距離を広げる事をよしとせず追い縋ってくる敵の姿に、轟焦凍は歯噛みする。
交差によって間合いを確保するだけの余地を得た筈の出久達が、あえて接近を試みている異常。
その意味を分からぬほど、彼は愚かではない。
……自分から……!
打って出てきた、と。
前へと進む踏み込み、迎撃ではなく攻撃のための構え、戦気に満ちた表情。
それら全てが、これまでの彼らとは全く異なる。
競技が始まって以来、緑谷出久の騎馬はひたすらに逃げの手を打ってきた。
他の騎馬と正面から対することをせず、敵チームの動きに合わせて行動する受け身の姿勢。
それは、当然の戦法だ。
この第二種目においては、獲得した得点の多寡で勝敗が決する。1000万という規格外なポイントを与えられた緑谷出久を擁する彼らには、他所から鉢巻を奪う必要がない。
何せ、他チームの全得点を合わせても、彼らの持ち点の一割にも満たないのだ。
1000万を守りきれば自動的に決勝進出が確定する以上、彼らが逃げ切りに徹するのは必然であった。
だが、今のは違う。
事ここに至り、出久達は当初の作戦を捨てるという判断を下した。
敵騎馬から逃げず、自ら攻勢に出る。自己の持ち点を死守するのではなく、相手のポイントを奪い取ろうとする。
これまで出久達が貫いてきた方針と180度反対の選択であり、本来なら無意味な行動だ。
彼らが保有する1000万のポイントはそれだけで勝利を確約している。
決勝への進出を望むのなら、与えられた得点を守り切るだけでいい。それ以上の加点は過剰でしかなく、むしろ自分達の保有する鉢巻を奪われるリスクを自ら高める事に繋がる。
当たり前だ。自ら打って出る以上、彼ら自身の守りは脆くなり、二騎のうち一方へ意識を傾ければもう一方への警戒は疎かになる。
轟焦凍、爆豪勝己。
彼らがどちらの騎馬を狙うのか、どちらともを獲物にするのか、それは関係がない。
いずれにせよ、両方に対して適切な対処を同時に熟す事は不可能だ。
無駄な行動、どころではない。彼らは攻勢に出る事で自ら不利益を被ろうとしている。
――それでも。
それでも、彼らは理解したのだ。
守るだけでは、逃げるだけでは勝てないのだと。奪わねば、奪われるのだと。
捨て鉢になったのではない。
自らの不利と鉢巻を奪われる可能性を加味した上でなお、これが最も勝算の高い策なのだと信じて彼らは全霊を尽くしている。
「っ………!」
そして、出久達の決断は、図らずも轟焦凍にとって最も好ましくない選択であった。
何故ならば、防戦において彼らの騎馬は、出久達に対して決して優位ではないからだ。
機動戦では氷結は使えない。自慢の機動性も限られた空間では本領を発揮できず、相手の運動性から逃れることができない。放電も乱発できない上に黒影に防がれる。
守りに入っては、出久達に勝つ事はできない。だからこそ、彼らは何があっても攻め手でなくてはならなかった。
「俺を無視してんじゃねぇ、クソデク――――ッ!!!」
「――――!」
前方から、爆豪勝己が己へ――否、緑谷出久の騎馬へ向かっていく姿を捉える。
憤怒の形相を浮かべて爆炎を撒き散らしながら飛翔する様は、まさしく怒りの権化だ。
勢い勇んで奪いかかりにいっておきながら、眼中にないとばかりにやり過ごされたのが彼の逆鱗に触れたらしい。
狙われる出久にとっては厄介極まりないが――しかし、両者の中間に位置する轟焦凍達にとっては好機でもあった。
……緑谷達が爆豪に対処しているうちに……!
態勢を整え直す、と。
彼らは、様々な制限によって背後から追ってくる騎馬を振り切れずにいる。だが、爆豪勝己が二つの騎馬に割って入ってくれば状況は変化し、出久達の追走も確実に中断されるだろう。
そして、おそらく爆豪勝己の矛先が変わる恐れもない。
彼の緑谷出久に対する異様な執着心は、彼とて知っている。どのような形であれ、あの二人が対峙すれば戦いは免れず、彼らの間に立ち入れる者はいないのだと。
今この瞬間も、それは変わらない。
邪魔をせず、両者の間から離れれば、爆豪勝己は自ずと緑谷出久達を抑えてくれるだろう。
「ぶつけるぞ、飯田!」
思考を実行に移すべく、轟焦凍は自身の騎馬、その機動力の源たるチームメイトへ指示を下した。言葉少ない声に、しかし彼の意図を過たず察した飯田天哉はすぐさま軌道を変え、騎馬を左方へと引っ張っていく。
タイミングは完璧だった。
轟焦凍の騎馬を挟む一人と一騎の距離は二歩の踏み込みで縮まるもので、そのまま進めば彼らの衝突は一瞬で訪れる。
当然、急激に進行方向を変えた彼らの動きを、緑谷出久の騎馬が咄嗟に追える筈がない。どうあれ、想定外の事象に対して動きを止めるのは、生き物の性だ。轟焦凍達の意図を盗み見るような"個性"でも持っていない限り、まず脚を鈍らせる。
仮に、その停滞が一秒に満たないものだったとしても、出久達が再始動するより、爆豪勝己が自らの射程に獲物を収める方がずっと早い。
これで、彼らを隔てるものはない。すぐに両者の潰し合いが始まるだろうと、轟焦凍は視線を向け、
「な――!?」
――直後、自分達の右側面を飛ぶ爆豪勝己の姿を見た。
緑谷出久達と交戦しているはずの人物が、変わらず自チームの傍にいる異常。
ありえない。他の誰かならいざ知らず、爆豪勝己が緑谷出久を捨て置き、それ以外の誰かを付け狙うなど、絶対にありえない。
彼の行手を遮っていたというならともかく、わざわざ道を譲ってまで双方のぶつかり合いをお膳立てしたというのに何故、未だこの至近に彼の姿があるのか。――原因を、自らの左方に見る。
……緑谷……!
爆豪勝己が飛翔する方向とは逆側。
轟焦凍の騎馬、その左側面を、やはり変わらぬ距離で疾走する緑谷出久の騎馬。
……あの動きに対応した……!?
唐突に過ぎる急カーブ、一秒と経たないうちに爆豪勝己の迎撃を余儀なくされるあの刹那に、既に方向転換を終えていた騎馬を後から追従すら余地は無かったはずだ。出久にしろその騎馬にしろ、そこまで並外れた反応速度を有してはいない。
たとえ、寸前で轟焦凍の意図を察したのだとしても、出遅れる以上は直前までと全く変わらない距離を維持する事は不可能だ。
――ならばこそ、結論は一つ。
……読まれただと……!?
轟焦凍が思考を実行に移すよりなお早く、彼の意図に緑谷出久は気づいていた。
初めから想定している事象に、肉体の硬直も初動の遅れも生まれえない。それらは、あくまで想定外に対する反射の様なものだ。
傍から見れば唐突な変化であろうと、そうと分かっていたのなら如何様にも備えられるし、こうして追撃を続行することも不可能ではない。加えて――
……あの野郎、こっちの騎馬を壁に……!
追走する騎馬の位置は、真後ろにつけていた先までと打って変わって左側面。
追い縋るに最適なポジショニングとは言えず、この位置では氷結こそ届かないが放電による迎撃を直に浴びてしまいかねない。
彼らの機動力と運動性なら、当初の位置関係を崩さずに転身することも出来たはずなのに、あえてこの並びを是としたのは何故か。
それは、轟焦凍の騎馬を爆豪勝己を阻む障害物とするためだろう。
爆豪勝己が最短距離で出久達へと追いつくには、高度を合わせての直進が最も早い。
空中を自在に行き来するとはいえ、爆破による飛翔はやはりその推進力を活かした高速の直線機動こそが最大の利点。複雑な軌道を描けば速度は落ち標的に逃げる時間を与えてしまう。
彼が緑谷出久から鉢巻を奪おうというのなら、退避を許さぬ怒涛の強襲を以って他にない。
そんなことは出久とて理解している。理解しているが故の、現状の並びだ。
爆豪勝己は、標的との間に轟焦凍の騎馬という壁がある以上、迂回するにしろ飛び越すにしろ、どうあってもそれを避けていかねばならない。
つまり、無駄な工程を加えざるをえず、余分な時間がかかる。――そして、その"余分"さえあれば、緑谷出久の騎馬が動くには充分すぎる。
……読み合いで、上回られたってのか……!
この状況、たったいま思いついた急場しのぎとは到底思えない。
周囲を氷壁で囲った時から――或いは、この競技が始まる前から、想定の内にあったのか。
いや、まさかそんな事があるわけ――
「……っ」
頭に浮かんだ仮定に、それを否と断じようとする己に、内心で舌を打つ。
事実は事実だ。緑谷出久とその騎馬が、轟焦凍の想像以上に上手く立ち回っている事は確かな現実。
それを認められぬというのなら、彼は今度こそ自らの命綱を失うだろう。
「っ――――!」
「ッ――――!」
瞬間、二者が同時に動く。
言葉なき咆哮。
緑谷出久の騎馬が肉薄し。爆豪勝己が爆ぜる。双方が激突する中心には、やはり轟焦凍の騎馬が。
「……っ!」
巻き込まれ、なし崩し的に迎撃を余儀なくされる。
轟焦凍は、今日、幾度目か分からない歯噛みをし、騎馬を止めさせぬまま迫る二者を凌ぎ、生まれた僅かな間隙に離脱を試みる。
その度に緑谷出久達は逃すまいと追い縋り、爆豪勝己も自らの騎馬と空中を往復し1000万を簒奪せんと飛翔する。
全ては、その繰り返し。
飛び交う"個性"が空気を揺らし、それぞれの読み合いがそれぞれの手を潰し、騎馬と騎馬がぶつかり合う。
観客はおろか、当事者たる選手達の予想すら超えもつれ込んだ三つ巴にも等しい混戦。
白熱する激闘、死力を尽くした競り合い。
追い込まれ、すわ脱落かと思われた緑谷出久達の奮戦も、爆炎を散らし飛び駆ける爆豪勝己も、それら二者を抑えて永らえる轟焦凍達も。
いずれも、人々を湧き立たせるには十分であり、会場のボルテージは最高潮へと達する。
だが、そんな傍観者の熱狂も、フィールドで争う選手達には何の関係もない。
彼らそれぞれに果たしたい想いがあり、叶えたい願いがあり、掴みたい栄光がある。
彼らが全霊を尽くすのは、ただ己がため。自身らの姿を見て上がる歓声など、雑音にもなりはしない。
戦いは続く。
緑谷出久をはじめとした三騎も、彼ら以外の騎馬も。立ち止まることをせず、諦めることをしない。
不利も無謀も不可能も、知ったことではないとひたすらに駆ける。
届かぬのなら、届くまで伸ばし続けるのだと、その身で示し続ける。
――されど、期限は確かに迫っている。
どれだけの力を尽くそうと、どれだけの想いを賭けていたとしても、刻が満ちれば終わる事に変わりなく。
勝ち上がれるのは僅か上位四チーム、勝者の椅子は限られ、栄冠を戴く権利を巡って競えるのは十六名のみであり。
――残り三分、決勝<サキ>に進むのは、果たして――
第一種目に続き第二種目はアッサリ終わらせる、なんてつもりでしたが、全くそんなことなかったですね。
それどころか一話で終わらず次話に持ち越し。つくづく、創作って予定通りにいかないものなんだな、と分からされました、ハイ。
なんでこんな長引いてるかって言えば、まあ当然の如く出久パートなんですが、本来ならあんなに描写するつもりなかったんですよ。けど、せっかく二次創作でクロスオーバーやって、本編から大きく逸れる様な話にしてんだから、色々とやりたくない? っていう欲が執筆中に湧いてきまして、結果こんな感じになりました。
騎馬戦決着は、できればもう少し早く投稿したいと思います。