神様みたいなわんこ男子に救われたTS黒髪美少女が、優しさによって心を開き一緒に幸せになる話   作:阿久津なぎ.

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29.オーディション当日

 オーディション当日。俺たちは電車に乗り、駅前に大きなビルを構えるアークスティック芸能事務所の本社前にいた。

 

 

 都会は何もかもが高い。ここに何人もの芸能人がいて、活動しているんだと思うと身が引き締まる思いだ。

 

 俺は宿題を終えてずっと考えていたが、最終的には浩之に諭される形でオーディションを受けることを決めた。

 

 それから、平坦ではなかった。時田さんの紹介ということは伏せられているが、俺は一か月前に募集が終わっている課題曲を寝る間も惜しんで少し離れた公園で練習していた。

 

 危ないからと浩之もついていたため、少し離れているということもあり、練習時間は一日30分程度。自分の歌としてものにするのに風呂場で口ずさんだりしてとにかく歌づけの毎日だった。そういう経緯があって、今俺はここにいる。

 

 申込用紙を持ち、ビルの中に入って受付の綺麗なお姉さんに受付用紙を確認してもらい、ビルの中を案内されてオーディション会場へ向かう。浩之は二階で一般の人間でも入れる休憩室で待つことになった。

 

「瑛太。実力は十分だから。全部出し切ってきて」

「ああ。じゃあ、ここで。またあとでな」

 

 浩之に手を振って離れると、「がんばれー!」と真剣さとのんきさが半分の声が聞こえてくる。緊張をほぐしてくれるためなのだろうが、周囲からの目が痛い。

 

 オーディション会場に入ると、十数人の、10代から30代くらいまでの男女が審査員の前にずらっと並んでいた。まだ空いている椅子もあるので、ビリではなさそうだった。

 

「ようこそ。君はえーっと……」

「藤原瑛太です」

「ああ、藤原さんね。一番左端の席に座って」

 

 時田さんから話が通っているからか、俺の名前と性別が違うことには審査員は深く触れなかった。

 

 しかしオーディションを受ける人間たちの中には「うそ、TS?」などと話し合う声が聞こえてきて不愉快になるが、顔にも体にも出さないようにする。

 

 やがて時間内に全員が揃うと、一番偉いらしいプロデューサーっぽい少し肉付きのいい男性が立ち上がってマイクを手にする。

 

「えー、今回はオーディションを受けていただきありがとうございます。プロデュサーの伊藤良純(よしずみ)と申します」

 

 そこで拍手が起こったので、一拍遅れて俺もみんなにならい拍手をする。プロデューサーはうんうんと頷くと、俺たち全員の顔を見ながら続けた。

 

「今回のメンバーは選考の結果20名となりました。この中からわが社でマネジメントするボーカリストを選出したいと思います。方法は自己紹介と歌唱パートに分かれています。他に特技がある方は申し出てくれて構いません」

「えー、では右端の席、1番の方からお願いします」

 

 進行役らしいスーツの男性が指名する。かなりの美少女が立ち上がり、まず「よろしくお願いします」とお辞儀をする。

 

「高橋玲奈。高校二年、17歳です。歌を歌うのが好きで、ずっとボーカリストになりたいって夢見てました。だから、この場所に立てるのが光栄でしかたありません。どうぞ、よろしくお願いします」

 

 高橋さんがお辞儀をして、拍手があがる。それと同時にスタジオ内に課題曲の音楽が流れ始め、一瞬。

 

 すごい声量とテクニックを兼ね備えた歌声が飛び出してきた。その圧倒的な実力に俺たち参加者は一瞬にして彼女の歌に呑まれた。

 

(嘘だろ、こんな化け物が基準になんのかよ)

 

 オーディションでもなんでもそうだが、一番手というのは基準にされやすい。難しいファルセットや綺麗なビブラートを駆使して難しい課題曲を軽やかかつ華麗に歌いあげる。

 

 その様子はまさに天使と言って過言ではなく、誰しもが彼女をライバルとして認識したことだろう。

 

 ラストサビを歌い終えて一瞬息を整えてからお辞儀をした彼女に、審査員も驚きを隠せない様子で立ち上がって拍手している。審査員たちは完全に高橋さんの(とりこ)だ。

 

「いやー……すごかったね。まさか一番手からこんな逸材が現れるなんて。あと何かある?」

「いえ、特にないです。ありがとうございました」

 

 そう言ってお辞儀をして顔を上げた高橋さんの横顔は自信に満ち溢れていた。それだけのことをやってのけたのだ。

 

 その後二番手三番手と続いていくが、高橋さんの圧倒的な実力を前にしり込みしたのか、いまいち伸び悩み審査員も普通の顔をして用紙に何か書きこんでいる。

 

 そうして俺以外全員が歌い終わったあと、俺の晩が来た。立ち上がってお辞儀をし、プロデューサーや審査員の顔を一度見回す。

 

「藤原さんはTS症候群だってね。声に変化は?」

「あります。多少は。それでも歌いきって、ボーカリストになるためにここに来ました。そこにTS症候群もなにも関係ありません。ただ、歌いきるのみです」

 

 プロデューサーの片眉が上がった。それがどういう意味かわからないが、俺はマイクを握る。大丈夫。今までどおり歌えば、やれる。

 

 そしてスタジオに全総が響いたとき、ノイズが入った。そのまま、「ガーーーー」という音をたててスタジオ全体に響き渡る。

 

「なんだ!? 何が起こってる!?」

「機械トラブルです! 今修理入ってます!」

 

 音響担当らしい男性が機械の蓋を開けて中身をいじりながら声をあげる。するとノイズは収まった。が、肝心の曲がかからない。

 

「なにをやってる! 大切なオーディションなのがわかってるだろうが! 意地でも直せ!」

「だめです、配線が一部いかれちゃってて……新しい機材を取ってこないと」

「このスタジオは次のタレントさんたちが使うんだ。そんな余裕はない」

 

 どくん。心臓が跳ねる。やっぱりだめなのか。このまま、何もできずに帰るしかないのか。

 

「くそっ、直れ!」

「あんまり強くやるとねじ切れるぞ! どれ、貸せ!」

 

 どくん。浩之の笑顔がよみがえってくる。きっと合格してきてくれると信じてやまない、大好きな浩之の笑顔が、崩れていく。

 

「だめだ、直らん。藤原さん、悪いけど……」

 

 どくん。高橋さんが勝ち誇った表情をしているのが見えた。だけど俺は、俺は! ここで負けるために来たんじゃない!

 

「……歌います」

「えっ?」

「アカペラで。歌います」

「む、無茶だ! 悪いことは言わない。こっちのトラブルでこうなったんだからオーディションはちゃんとやる。だから……」

「歌わせてください!」

 

 俺は願いを込めて叫んだ。そしてプロデューサーの顔を見上げる。

 

 彼には俺の顔がどんなふうに映っていただろう。高橋さんは信じられないものを見る目で俺を見ている。

 

「……本当に、いいんだね。採点は厳しくなるよ」

「構いません。歌えます」

 

 オーディションに来ていた応募者がざわつき始める。プロデューサーたちが審査員席に戻ったのを見て、俺は全総を頭に思い浮かべて足でリズムを取り、声を発した。

 

 思ったように声が出る。Aメロもサビもその後のBメロも、難しいファルセットとビブラートを使うCメロもすらすらと歌える。歌うのがこんなにも楽しいのは久しぶりだ。

 

 最後の静かなラストの歌詞を歌い終えて、スタジオは割れんばかりの拍手に包まれていた。

 

「すごい……。この難しい曲を、アカペラで、本当に曲が流れているように歌いきるなんて。技術も、歌い方も、感情の込め方も完璧……ごほん。結果は追って連絡します。今日のオーディションではトラブルがありましたが、すべての応募者の声を聞けて感謝しています。それではみなさん、マイクは椅子に置いてスタジオを出てください」

 

 プロデューサーが場を締めて、応募者たちがスタジオを出ていく。高橋さんは俺を何か恐れをもって見ていたような気がしたが、すぐに立ち去っていったのでそれ以上のことはわからない。

 

 俺は歌いきれたことに少しぼうっとしていたが、しばらくしてからはっとして急いでスタジオを出る。

 

 四階のスタジオから二階に戻ってきて、浩之が待つ休憩室に入る。すると見えない耳と尻尾をぴーんと立てて、そして尻尾を振り回しながら浩之が走り寄ってきた。

 

「オーディションどうだった? うまく歌えた?」

「ちょっとトラブルあったけど……。全力ぶつけてきたよ。これでどうなるかは知らん」

「えー。合格しそうとか、そういうのないの?」

「それがわかったら苦労しないよ。一人めちゃくちゃ歌うまい化け物いたし」

 

 高橋さんのことを思い出す。あの完璧な歌唱は並大抵の努力で得られるものではない。才能と、センスと、努力に裏打ちされたものだ。

 

 対する俺はアカペラで歌っただけ。いや、アカペラは相当難しかったが、これで落ちるならそれは時の運だ。またお声がかかるのを信じてライブを続ければいい。

 

「そうなのか? でも、瑛太はきっと負けないよ」

「その根拠のない自信はどこからくるんだよ」

「んー……。勘!」

「勘かよ! もっとこう、普段から努力してたからとかないのか?」

「瑛太は努力してたよ。努力してたから、勘で受かるって言えるんだ」

 

 へにゃ、と笑って浩之は俺の頭を撫でた。だから、俺はそれを黙って受け入れる。オーディション、まさかあんなことになるなんて思ってもみなかったから。

 

 へにゃへにゃの浩之成分を補給してほどよく興奮と緊張が解けたら、浩之を少し見上げて笑う。

 

「帰ろう。今日はサチエさんが鍋作ってくれるだろ」

 

 その顔を見た浩之が目を丸くする。何か変なことでもあっただろうかと思っていると、口元に手を当てる。

 

「瑛太が……笑った……!」

「な……! 人を笑わない人みたいに言うな! 学校ではわりと笑ってるだろ!」

「なんていうの、こう自然と笑うことが少ないっていうかさ。作り笑いが多いから瑛太は。それが、なんか自然と笑ってくれたから、嬉しくて」

 

 浩之は相変わらず恥ずかしいことを言う。軽く浩之の足を踏んでから先に進む。

 

「いてっ」

「他の人の視線が痛いから早く出ようぜ。ここ、一応一般人がギリ入れるところだとしても業界人ばっかりだからな」

「わかった。だから怒らないでよー!」

 

 後ろからぱたぱたと走ってきて隣に並ぶ浩之を横目で見ながら、少し顔が赤いのを隠す。もうバレてるかもしれないけど。

 

 少しだけ、ほんの少しだけ明るい未来が見えてきた。そんな気がする。

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